2017年5月27日 (土)

東海道五十三次歩き4 蒲原~由比(1)

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5/17 蒲原の途中から16番目の宿、由比までです。JRは新蒲原~蒲原~由比。宿はたった1区間ですが、御殿山登山をしたのと、由比では静岡市東海道広重美術館でゆっくりしたためでした。29677歩、14.1㎞。
前回の最後の方に歩いた中宿・岩淵とそこから蒲原~由比が静岡県でただ一つ、江戸時代の建物や風情を残して、国土交通省の歴史国道に選定されているそうなのだ。

またまた早いこだまに乗れたので、8時35分頃から歩き出せた。
新蒲原駅からすぐ裏山の御殿山と続きの蒲原城(行かなかった)は桜の名所で花の咲く頃はさぞかし人で賑わうことでしょう。今は私たちだけ。徳川家康が甲斐の武田と戦った織田信長を接待するために建てた御殿があった。

八坂神社の所から御殿山(標高146m)ハイキング開始
途中蒲原野仏の会の人が造った野仏が迎えてくれる
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                                ホタルブクロがひっそりと咲いている

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                                    吊橋と頂上展望台
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                   さくらえびが干してあるのか、はるかかなたに見えた。450x266
                薩埵峠が木の隙間から見えた450x338_8

再び街道に降りて元歯科医院の「旧五十嵐邸」を見学。明治大正昭和の造りからなり、町屋を洋風に増改築した擬洋風建築で、外観が洋風、内観は和風の国登録有形文化財。無料。ボランティアさんから説明を受ける。450x338_9
          木で出来ている蓄音機や黒電話の電話室があった338x450
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                 欄間が広重の近江八景450x338_11
    蔵が2つもある。手前が井戸で2階の診療室まで組み上げていた。450x338_12
             きらびやかな襖絵の裏は墨絵の襖絵450x338_13
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                      診療台450x338_15

            斜め向かいの、国登録有形文化財の「志田邸」450x338_16
美                しい格子戸の「増田家」338x450_2
           ここで蒲原の西木戸跡になり、由比へと進む。338x450_3
進むに連れ、秋葉山入口道標を右に入ると貞心寺だ。塗装工事殉教者供養碑がありその説明で珍しい碑であることがわかる。
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左手には蒲原駅が見え、右手にとても厚い揚げが2枚も重ねて置いてある稲荷社がユーモラス。450x338_18

神沢川を渡って、神沢酒造で広重の薩埵峠のラベルがついているワンカップを買う。お店の82歳のおばあさん、東京から嫁いで60年とか、元気で店を切り盛りしている。
(由比宿へつづく)

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2017年5月21日 (日)

北本自然観察公園

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大宮と熊谷の中間くらいにある北本駅(初めて知りました)からバスで行ったところにあって、半日以上も様々な緑の中に浸っていました。いいこともあったのです。
自然学習指導員の方にいろいろ教えていただきました。9問の問題が出されるも満点は取れませんでした。450x338
                                           ミズキの花盛り450x338_2
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                        ダイサギ 体長90㎝、夏になると嘴が黒くなる。450x338_4
オトシブミという小さな黒っぽい虫が卵を1個産み葉を丸めたゆりかご。これもオトシブミというそうだ。孵った卵は木の葉を食べるとか。外敵や乾燥から子を守るためのシールドで、実に巧妙にできているのに驚きます。450x333
                                 キンランとギンラン
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                                             マユミの花450x314
                                             柳絮(柳の花)450x338_5
                                 シオカラトンボが飛んでいました450x305
                                テントウムシ 久しぶりに見ました450x302
ナナフシ 姿は葉や枝などの植物体に擬態している。聞いてはいたけれどもこんなに細いとは!私みたい。450x338_6
                                           小学生の手に421x450
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サモエド犬がいました。ロシアのシベリアを原産地とする犬の品種のひとつ。典型的なスピッツ系の体型をしている。スピッツと言えば、昔良く吠える犬として有名だった。この子はおとなしそう。450x338_11
最後に学習に参加したみんなで四つ葉のクローバー探しがありました。
思えば四つ葉のクローバーは、学生時代、北海道の旅でバスの待ち時間に広大なクローバーの群生地で必死に探したのに見つからず、その後50年探し続けても、まだ出会えません。
ところが、この日いの一番に見つけました。嬉しくていいこととはこのことです。
よく踏まれる環境の悪い所にあるそうで、指導員が五つ葉のクローバーやそのまわりに幾つかの四つ葉のクローバーが固まってある所を教えてくれました。450x338_12


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2017年5月18日 (木)

東海道五十三次歩き3 元吉原~~蒲原(2)

吉原宿が移動したため、元・中・新吉原と3つを巡り、吉原と蒲原の間に2つある間宿の一つ目、本市場を通り過ぎたところでした。

札の辻跡は高札場の跡 富士市ではずっとこのような標柱が立っていた。宿の東側(江戸方面側)には東木戸跡、宿の終わり西側には西木戸跡の表示があって、宿の始まりと終わりが分かる。右の写真は少し前に歩いた新吉原の東木戸跡の標柱。
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色々な道祖神が現れる 双体道祖神       道祖神
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          富士駅から身延線の一つ目の駅・柚木駅をくぐる450x338_4
               富士川の手前に水神社がある450x338_5
富士川渡船場の手前で、人々はここ水神社で安全を祈った。またここは富士登山道の起点でもあり、「富士山道」の道標がある。450x338_6
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                  富士川橋からの富士山 450x338_8
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角倉了以紀功碑 が富士山と富士川を見て建っている
京都の豪商、角倉了以(1554~1614)・素庵(1571~1632)の父子は、幕府から富士川の開鑿を命じられた。その水路は、ここから71㎞も遡る長さ。岩渕(淵)河岸(現在地付近)から鰍沢(かじかざわ)河岸(山梨県富士川町)の間約18里(71km)で、大変な難工事の末、完成した。これにより、富士川水運は明治44年中央線が開通するまでの約300年間、甲信地方と東海道を結ぶ交通の大動脈としての役割を果たした。ここ岩淵河岸は「下り米、上り塩」の中継地として繁栄した。この紀功碑が建立されたのは昭和12年だった。450x338_9

ここからが2番目の間宿の岩淵だ

東海道ではわずか二軒しか現存しない小休本陣の常磐家がある450x338_10
              岩淵から身延山への道が通っている338x450_3
この日歩いた道の両側の民家は庭も広く、玄関先や庭が美し花で飾られ、癒される旅でもあった。
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             岩淵のこの一里塚は日本橋から37里目338x450_5
旧稲葉家(現富士川民族資料館)は、富士市内で現存する最古の民家(18世紀中頃)450x338_14
この辺りの名物、栗の粉をまぶした栗の粉餅は途絶えていたが、ツル家菓子店で再現されたということで、買って食べてみた。餡子が入り、栗の粉ががまぶしてあり美味しかった。350x257
新幹線をくぐり坂を登ると静岡市に入り、高速道路を跨ぐ橋から富士山が見えた。金網越しで見えにくいが。450x338_15

いよいよ蒲原宿へ

おぉ、蛇が。東木戸に入る前に北条新三郎(蒲原城最後城主)の墓に行こうとしたがやめた。380x285
前回と違って今回は夜の道を照らした、たくさんの常夜灯を見て写真に撮った。その一部です。
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蒲原宿に入るとすぐ4本の太い鉄管が山から海へ伸びている。富士川の上流で水を取り入れ、日本軽金属の工場用の電力を発電している。338x450_10
「蒲原夜之雪」記念碑 広重の東海道五十三次シリーズの最高傑作といわれ、昭和35年の国際文通週間の記念切手になったことを記念して、絵が描かれた場所にほど近いこの地に記念碑が立てられたそうだ。この辺りの方に伺うと、蒲原でも冬には雪が降ったことがあるそうだ。338x450_11
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旅籠「泉屋」 天保年間の建物で、安政の大地震でも倒壊を免れた。2階の櫛形の手すりが面白い。450x338_16
        本陣跡 門、玄関、上段の間があることが旅籠と異なる。450x338_17

とまあ、まだ蒲原宿が途中であったが日が暮れてきたので帰路に着き、前回と同じ時間のこだまに乗り、最寄駅でこの間味しめた「庄や」で乾杯と相なりました。(完)

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2017年5月14日 (日)

東海道五十三次歩き3 元吉原~~蒲原(1)

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5/11、 14の宿・吉原から15の宿・蒲原の途中まで歩き、新蒲原の駅に出ました。
前回の吉原駅に1台早いこだまに乗ったので8時半頃到着して歩き始めました。JRの駅は吉原駅・富士駅・富士川駅・新蒲原駅まで。下記の理由で線路に並行してはいませんでした。

東海道散歩は何と言っても歴史散歩と景色鑑賞散歩ですが、今回は道祖神、常夜灯をかなり見てその鑑賞の旅ともなりました。
目下、私が街道歩きを何でしているか?は認知症になって迷惑をかけないようにするためが目的の一つ。果して効き目があるかどうかはわからないが、そう信じ切ってでのことです。

吉原宿は3度大きく場所を変えた。鎌倉時代以来の吉原宿はJR吉原駅あたりからの田子の浦港を望む地にあり、現在、元吉原宿と呼ばれる。ところが度重なる津波被害で1639年から北へ約2㎞の地へ移転した(中吉原)。さらに41年後の1680年、高潮で宿が壊滅したため、現在の富士市中心部に移った(新吉原)。

元吉原を見た後、北の中吉原に向かうため、ほんの少し左富士が見られるというわけだ。その後大きく西へ、途中から蒲原へ弧を描くように回るため、そして最初は地理的に、途中で道を間違えて後戻りしたため、あるいはあちこち寄り道したりで、隣の蒲原宿まで時間がかなりかかった。約44500歩、22㎞くらいでした。
途中、間宿(あいのじゅく)が2ヵ所、本市場(富士)と岩淵(富士川を渡ってから)がある。

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富士山と井戸の絵が描かれたマンホール 木之元神社にあった六角井戸は富士山の雪解け水で、これをお水取りに使っている。400x323
田子の浦港に面した港の見える公園に向かうと、見附跡や問屋場跡があって元吉原宿があった証だ。338x450
ここには阿字神社と奥宮があって生贄の娘お阿字が祀られている。前回の東田子の浦駅近くの六王子神社にはお阿字の死を悲しんで身を投げた6人の娘が祀られていた。338x450_2
田子の浦港 砂浜だった田子の浦は今は工業港で、以前製紙工場から流れ出るヘドロ公害で問題になったが、今は特産品のしらすが水揚げされるほどだ。
対岸に山部赤人の「田子の浦ゆ うち出でてみればま白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける」の歌碑があるそうだ。450x135
いよいよ北に向かって、左富士を見る。左富士は道中、ここと茅ヶ崎の馬入川の所だけ。450x338_2
                      広重の絵600x4501
 左富士が見える近辺が昔の中吉原宿の跡で地上には何も残っていない 600x450
                     馬頭観音450x338_10
平家越の碑 1180年、この付近に陣を張った平家の軍勢が、近くの沼から水鳥が飛び立つ羽音を源氏の夜襲と勘違いして敗走した伝承の地。450x338_3
岳南電車に出会えた。吉原駅と岳南江尾駅(東田子の浦の北の方)を結ぶ小規模な単線。車両は1両編成だったような。450x338_4
       ここから新吉原となり、長い商店街がはるか向こうまで続く。338x450_3
新吉原の名残の鯛屋旅館 1682年、宿形成年の創業で清水次郎長の定宿だった。今も泊まれる。東海道歩きの人には、出発の時に火打ち石を打って送り出してくれるとか。450x269
               鯱のある珍しいお寺 大運寺450x338_5
「ゆず庵」にて昼食。今回も桜えびが寿司、うどん、コロッケ、ドレッシングなどふんだんに使われていて、とても美味しい。450x338_6
民家の塀にあったユーモラスな「袂の賽神」という道祖神で、村の入口の守護神。450x338_7
             この辺りから最初の間宿の本市場だ 600x450_2
富士山型のかつらをかぶったようなかわいらしい道祖神(疱瘡稲荷神社内)338x450_4
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         アーケードのずっと奥がJR富士駅(身延線が出ている)450x338_8
                      (つづく)

            ・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・・。・。・

家のタツナミソウが増えて満開に(5/9)。北斎の「神奈川沖浪裏」ほどではないにしても白く砕けようとする波を眺めている感じです。
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2017年5月10日 (水)

大山街道7 阿夫利神社下社~大山山頂(阿夫利神社本社)

5月3日、4度目の挑戦、お天気も良く遂に登頂を果たし、大山街道歩きが終わりました。
阿夫利神社下社の標高が約700m、山頂が1252mなので約550mの標高差を登る。家到着まで約15000歩、7.2㎞でした。

今回は阿夫利神社下社まで大山ケーブルカーに乗り、下社から出発です。ケーブルカーまでバス終点から上って行くと、凄い行列で、しかも故障で点検中、いつ運転再開するか分からないとのこと。行列が次第に小さくなってきました。1時間後やっと乗ることが出来、やれやれ。下社に再びお詣りしていざ山頂へ!

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いきなりの急階段で息が切れる。山頂まではここ1丁目から28丁目まで続くが、この階段は1丁目から2丁目まで続くのである。4丁目から28丁目までは標識が立てられている。338x450
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                     6丁目の千本杉338x450_2
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           8丁目の夫婦杉は樹齢5~600年以上だそうだ338x450_3
       14丁目の牡丹岩 球体の岩が牡丹に見えるとのことだが・・・450x338_3
    15丁目の天狗の鼻突き岩 天狗が鼻を突いてあけた穴と言われる450x338_4
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                    ミツバツチグリ450x337
             スミレサイシンに似たスミレが咲いていた450x338_5
                     桜のトンネル450x338_6
                   ミヤマカタバミか450x340
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        阿夫利神社本社を上がると奥の院と山頂の標識がある450x338_8
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                     山頂から450x338_9
お弁当を食べて終え、25丁目から分岐するヤビツ峠への道を降りていく。すると富士山が見えたのでした。450x338_10
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             さらに下ると海の向こうに大島が見えた450x338_12
ヤビツ峠から秦野へバスで下り、駅前の「庄や」でビールやおつまみをたくさん注文して打ち上げ。美味しかったのなんのって。     ー完ー


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足慣らしにこの3日前4/30に大菩薩嶺(2057m)に登ってきました。車で上の方へ行けるので標高差360m位登るだけ。以前登った時はガスっていて何も見えなかった。
今回は快晴でこんなに美しい風景とは!

                 車で登る途中のアルプス450x338_13
             雷岩からの展望 上日川ダム湖が見える450x338_14
                   展望のない山頂338x450_5
         大菩薩峠へ下って行くと富士山がだんだん左に寄る450x338_15
                    賽の河原450x338_16
小説『大菩薩峠』の中里介山の名前を付けた介山荘の所が大菩薩峠(1897m)だ450x338_17

                  帰りに寄った奥多摩湖450x338_18

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2017年5月 8日 (月)

鎌倉15 大船駅西口

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4/25大船観音から大船駅の西域を巡りました。
大船駅は鎌倉市と横浜市との境界線が構内を横断していて、鎌倉市の北の玄関である。

87 大船観音寺 
曹洞宗大本山総持寺に属する。観音像は昭和4年に着手、同35年に完成した。観音信仰によって国民の平安、国家の安寧を祈願しようと、護国大船観音設立協会が設立されたことによる。338x450
              観音様 高さ25m、幅19m、奥行13m。338x450_2
胎内の様子
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88 玉泉寺 真言宗京都大覚寺派450x338_4
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よくばり地蔵さま・・だれの願い事でも、みんなかなえてあげようと頑張っておられる。338x450_4

89龍宝寺 曹洞宗
1503年、玉縄城主北条綱成が建立した寺院が始まりで、玉縄北条氏の菩提寺として栄えた。
本堂までの長い参道には多くの花木が植えられ、蕾しか見られなかったが、シャクヤクがたくさん植えられ、満開時は素晴らしいことでしょう。450x338_6
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  小田原城の支城として重要な役目を果してきた玉縄北条氏の供養塔450x338_9
  本堂には宝冠釈迦如来や玉縄北条氏や源実朝の位牌が安置されている 450x338_10
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             スパラキシス(Oさんありがとうございました)450x338_12
重要文化財旧石井家住宅 石井家は後北条の地侍から名主になり、建物は17世紀後半の頃のものと言われる。450x338_13
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90 諏訪神社
1512年に玉縄城主北条綱成が城の鎮守として勧進した社
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            ヒメツルソバの若々しい花なのでしょうか。違っていますね。
            ズームした別の写真を追加します。
クリーピングタイム「ヨウシュ(セイヨウ)イブキジャコウソウ」 0さんありがとうございました。 450x338_18
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                      鯉のぼり450x338_20

91 貞宗寺 浄土宗
二代将軍徳川秀忠の生母の母の貞宗院が1609年に没し、その邸宅を寺とした。
境内入口の貞宗院の宝篋印塔を安置した御廟が建てられ、ここだけでなく寺の屋根には葵の紋が見られる。450x338_21
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                      本堂450x338_27
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   キャラボクの老樹「鎌倉と三浦半島の古木・名木五十選」に選ばれている450x338_29

92 円光寺 真言宗京都大覚寺の末寺
本尊は不動明王で、初代玉縄城主北条氏時が僧澄範を招いて創建。玉縄城を守る寺。

                       本堂450x338_30
      薬師堂 ここの安置される行基作の秘仏は60年に一度の開帳450x338_31
               小さな五輪塔や石仏がたくさん並ぶ450x338_32

93 久成寺(くじょうじ) 日蓮宗
小田原北条氏の家臣で玉縄城の武将梅田秀長が1520年に屋敷を寄進し、日舜上人を開山として建立。徳川家康が小田原攻めのさい立ち寄り、寺領として三石を寄進した。

                 本堂と左は日舜上人像450x338_34
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境内に、三代将軍実朝を暗殺した公暁を討ち取った武将・長尾定景とその一族の墓と伝えられる石塔が立つ。(長尾定景は頼朝挙兵時には平氏方にいたが、後に同族三浦氏とともに頼朝政権を支えた人物)338x450_6
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鎌倉や北鎌倉と違って、同じ鎌倉市でありながら、人影は殆どなく静かなお寺巡りでした。

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           追記:昨晩今年初めての月見草が咲きました57_380x285

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2017年5月 5日 (金)

柄杓山(群馬県桐生)

山頂の桜が終わってしまった1週間後の4/22に、柄杓山(361m)に登ってきました。すっかり衰えてしまった体力を少しでも元に戻そうと歩いたり登ったりで励んでいるこの頃です。通院は歯の定期健診&掃除だけで、投薬は何もなし状態に戻りました。昨年は外泊は2日だけ、今年はもっと増えそうです。

柄杓山の山頂には600本の桜があるそうで全国的にも珍しい山。戦国時代には桐生国綱が山城を築いた城山である。山頂は本丸跡の広場になっている。

                                    こんな感じという(本より)

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今はこんな感じ。1週間遅くて殆ど散ってしまったのが残念でしたが、中腹には山ツツジが咲き始めていました。450x338_2
                                           登山口の日枝神社450x338_3
御神木のクスノキは600年前の3本と300年前の1本が植えられ、暖地性の植物のため、1ヶ所に数株見るのは珍しいのだそうだ。450x338_4
フデリンドウか? 茎の部分を写さなかったのでわかりにくいが、株立ちしていないので。しかしもっと高原に咲くらしいので、ハルリンドウと区別が難しい。450x338_5
                      山ツツジ450x338_6
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初めての花 茎も葉も紫色で花の状態は何とも表現のしようがない。ご存知でしたら教えてください。                                                   ヒメハギだそうです。shikamasonjinさま、多摩NTの住人さま、ありがとうございました。  

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                    桜のひこばえ450x338_11
                   山頂の本丸跡の碑338x450
                     四等三角点450x338_12
                      山並み450x338_13
                     ニリンソウ450x338_14
                    ムラサキハナナ450x338_15
                     シロタンポポ450x338_16
                     ハナモモ450x338_17
                      サクラソウ338x450_2

桐生から熊谷へ出て皆と分かれ、運転して下さる方がこちら方面の方なので、熊谷から東松山への途中の東平と言うところに寄って戴いた。
戦前から昭和24年頃まで疎開していたのが、松山第二小学校の小使い部屋です。母が用務員をして住む家が確保され、父は週末に東京から帰ってきていました。
勿論、周囲の景色も一変し、昔の面影はゼロでしたが、ここに戻ってみて、これで長年の夢が果たせました。338x450_3
一日おいて早稲田大学にまたもや1時間も時間を間違えて早く到着したので、転校して卒業した早稲田小学校と、住んでいた所が大きな建物にやっと建て替わったのを見に行って大満足。

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2017年5月 2日 (火)

東海道五十三次歩き2 沼津~原~元吉原(3)

様々な表情やしぐさの羅漢像がある大通寺450x338
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海岸は千本松原が延々と続き、平行して旧東海道とJR東海道線が走り、その北は江戸時代初期湿地帯(浮島沼)だった。そのため、干拓をして新田が出来たり(植田三十郎)、放水路を造ったり(増田平四郎)、天文掘排水路を造った高橋勇吉らの碑が点在する。
 
                    植田三十郎の墓338x450

富士市に入ると山ノ神古墳が線路の向こうに見える。標高5mで古墳の上に神社が見える。6世紀末から7世紀初頭のスルガのクニの王墓だ。埴輪も出土している。450x338_5
              柏原宿の標柱(原宿と吉原宿の間の宿)338x450_2
東田子の浦駅手前にある六王子神社。7人の巫女が大蛇の生贄の対象になったとき、若い「おあじ」が選ばれた。仲間の6人は悲しみのあまり浮島沼に身を投げてしまい、この神社に亡骸が祀られている。450x338_6
東田子の浦駅は富士山と愛鷹山が描かれている小さな駅だ。さあ、あと吉原駅まで一駅だ。450x338_7
立圓寺 真ん中の三角錐の碑が「望嶽の碑」で、尾張藩の藩医柴田影浩がここからの富士山を眺めて「願わくはお前(富士)の下で死にたいが、思うに任せない」と髪の毛を切って埋めたと言う記念碑。午後4時半なので富士山も霞んでいるが後ろに見えている。
その右に見える茶色の錨は1979年、台風20号で柏原海岸の打ち上げられたゲラティック号のものでその隣に二人の船員の慰霊碑もある。450x338_8
              ↑の増田平四郎の像と昭和放水路450x338_9
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                 この日初めて見つけた一里塚跡338x450_3
           この辺りになると富士山のすそ野が広がってきた450x338_11
仁藤春耕の道しるべ第一号。富士山裾野一周の時(御殿場に至る十里木街道)でも見た記憶があり、自費で120基を建てたもの。450x338_2_2
庚申堂 庚申塚や庚申塔はどこにもありますね(私も体内にいるという三尸虫に悪事を天帝に報告に行かれて70数年、庚申信仰を知らなかった故でありますがいろいろな病で災難が降りかかってきていると考えたりするこの頃です)。450x338_12
                ↑の高橋勇吉の天文堀顕彰碑338x450_4
極彩色の龍の建物が目を引く、毘沙門天妙法寺。ここは高崎、深大寺と並ぶだるま市が有名だそうだ。約1200年前、山伏が富士登山する禊ぎを寺裏の海岸で行った道場がこの寺の起源という。境内にある、お詣りすると足の痛みがとれる「くつ石」が見つからなかった。450x338_13
愛鷹神社に登ると目の前に日本製紙の工場と富士山のコラボがなかなか絵になっています。タンクが錆びていて休業したのかと思ってしまう工場ですが白煙がまだ上がっていました。450x338_14
すぐそこに吉原駅があり三島へ、午後6時23分のこだまに乗り最寄駅に着いてから8時半頃に五目あんかけそばにありつけました。(完)

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2017年4月29日 (土)

東海道五十三次歩き2 沼津~原~元吉原(2)

駅伝というのは江戸時代に始まったのでなく、大化の改新(646年)のときである。古代律令制下に五畿七道だ。
鎌倉時代に駅のことを宿と呼ぶようになり、戦国時代に駅伝制度は崩壊し、宿が残った。
東海道の参勤交代では四十二国百四十六家が利用した。この旅費が国元の財政を疲弊させたが、各宿場には繁栄をもたらせたのである。

片浜駅からまっすぐ行った海岸近くの魚がし鮨にて昼食。生の桜えびとしらすの他大きなネタの握りずしを堪能する。450x338
松林を抜けて海岸に出てみると、午後になって富士山は少し霞んではきていたがまだきれいに見えている。450x338_2
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                                             伊豆半島の方450x338_4
               吉原の製紙工場の煙が見える450x338_5
                旧東海道に戻って、祥雲寺へ。450x338_6
「お薬師さん、東司の神様」つまりトイレの神様。変った神様。東司がでんとあった。中に入らなかったのが残念。450x338_7
             御神木は樹類450年の緑マキ、幹回り4m。338x450
神明神社前に東木戸跡があり、ここから五十三次13番目の宿「原宿」に入る。韮山代官の支配所であった原宿は東海道最小の宿場で本陣の表示などもない。354x450
原は「駿河には過ぎたるものが二つあり。富士のお山に原の白隠」と歌われる白隠の里だ。500年に一人と言われるほどの高僧となり、臨済宗中興の祖と仰がれている。
                白隠の旧宿坊・長興寺と境内450x338_8
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          整備された、なかみちと白隠が住職だった寺・松蔭寺450x338_10
                     白隠禅師の墓338x450_2
ある時松蔭寺に、岡山藩主池田候が備前焼のすり鉢を贈った。白隠はこれを台風で折れた松の傷口に、雨避けにのせると、松はすり鉢をのせたまま大きくなった。松は当時の松でなく、樹上のすり鉢もレプリカとのことだ。338x450_3
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                      白隠誕生地338x450_4
            この辺り、鬱金桜を数本見かけ、満開であった。450x338_12
   木にしっかり張り付いたきのこ ツリバリサルノコシカケ sさん感謝です。450x338_13
          原宿の辺りは右手に目をやると富士山が見える町だ450x338_14
確認しなかったが、宿場に必ずある、問屋場や高札場跡がこの辺りにまとまってある。丁度このあたりがJR原駅である。
「白隠正宗」という日本酒を造っている高嶋酒造で「富士山の霊水」を戴き、また歩きはじめる。婿さんに買っていきたかったけれども、登山用リュックでなかったのであきらめた。

旧東海道にはバス停付近にコンビニがかなりたくさんあって、下世話な話ですがトイレがずっと見当たらない時に、そして水分やアイスクリーム補給に便利です。

午後3時過ぎ、一時富士山が隠れる。この辺から愛鷹山の雄姿をずっと右に見ながらの歩きになる。

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    マツバウンランの群生地、この辺りの家々の中にもたくさん咲いていた。 450x338_16
                                      (つづく)

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2017年4月27日 (木)

東海道五十三次歩き2 沼津~原~元吉原(1)

東海道五十三次歩きの最初は1昨年の5/12 三島~沼津を旅行会社のツアーに参加して歩きました。アスファルトの道を寄り道しながら、延々と京都まで歩くなんてちょっと耐えられないと、そこであきらめたのですが・・・
大山街道歩きももうすぐ終わって達成感に浸れそうだし、歌川広重の「東海道五十三次」の浮世絵を全部見る機会もあって、面影はない所が多いようだけれども、昔の人が歩いた気持に浸って歩いてみたいなと思ったところ、娘が有休を取って一緒に歩いてくれることになりました。
東京・神奈川はとりあえず飛ばして、前回の続き沼津からです。
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大山歩きと同じくウォークマップは風人社の『ホントに歩く東海道』です。蛇腹式マップだけでなく、コース解説書がついていて、全部はとても立ち寄れないほどで、特に浅間神社や愛鷹神社などは飽きるほどあってしまいには大方パスしてしまった。
この日は手元の活動量計(万歩計)では44619歩(22.3㎞)、階段500段でした。

日本橋から京都三条大橋まで約500㎞、江戸時代の人々は一日30~40㎞歩き、12~17日で歩いたそうな。1日10時間以上歩き続けて、それも10日以上も連続、あるいは川で阻まれて足止めをくうこともあったが、それでも現代人には考えられない健脚だ。女性は1日30㎞としても、かなりよく歩いた私の22㎞なんて甘いものだ。

6時15分前に家を出、東京駅7時26分発のこだまで三島まで行き(8時20分には着いた)、東海道線で沼津まで行きました。
小田原よりだいぶ手前からまだ雪が残っている富士山が見えました

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                  三島駅では目の前に美しい富士山が望めラッキーです450x329
沼津は城下町、宿場町、港町で、まず駅から南に歩いて、沼津城の守護神として稲荷を祀った城岡神社を通り過ぎると、沼津城本丸跡碑がある。338x450
                           沼津宿の標識を過ぎると清水本陣跡がある338x450_2
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丸子浅間神社は創建801年で坂上田村麻呂が東夷東征の折勧請したという。このあと沼津市,、富士市にたくさんの浅間神社が出てくるので撮影はこれだけにした。338x450_4

ここから寄り道して千本松原の方へ。
まず乗運寺。1537年増誉上人が開山したお寺で、松の木を配した庭がとても美しい。当時あった松原が武田・北条の合戦で切り払われて、住民が潮風に苦しんでいたので、増誉上人は松苗を植え続けて千本松原が出来た。狩野川河口から田子の浦港まで約10㎞も続いている。
境内には千本松原を愛して移住した若山牧水の墓がある。450x338
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この寺の先を行くと千本浜公園に出る。見事な松原が続き、富士山の光景が素晴らしい。450x338_3
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街道に戻って、六代松碑を見る。六代って誰?平維盛の子で、千本松原で斬首される寸前に文覚上人に助けられたが、後に上人とともに処刑された。平家物語の名場面なのだそうだ。すっかり忘れ、もう一度平家物語も読まなくてはと痛感。松の根元に葬られたが、その枯れた松の代わりにこの碑が1842年に建てられたそうだ。450x338_6
八幡神社には「従是東」と彫られた沼津藩領の傍示杭を通りすぎ、諏訪神社に着く。ここにはいくつかの神が祀られるが床浦社があって、疱瘡神だ。珍しい。当時は疱瘡は怖い病気だったから信仰する人もあったのでしょう。331x450
               街道にはこの標識が時々見られる450x338_8
山門の立派な蓮窓寺のはす向かいには神明塚古墳がある。五、六世紀の前方後円墳でその上に神明宮がある。450x338_9
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もうここは沼津の次の駅の片浜駅のそばでした。 (つづく)

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