2019年11月16日 (土)

『ガン入院オロオロ日記』東海林さだお著

『ガン入院オロオロ日記』東海林さだお著
入院以外を多く書いている本ですが、最初に初体験入院日記ⅠⅡⅢを書いている。まず東海林さん自身がガンの手術をしたことを知らなくて驚く。
冒頭のページから面白くて、数度の入院体験者の私は失礼だけどいろいろ思い出されて笑ってしまった。
その冒頭です。
「入院したことがありますか?」と訊かれて、「ある」と答えた人、「ない」と答えた人、「何回もある」と答えた人、いずれも共通していることがひとつある。
いずれも嬉しそうに答える、というところが共通している。
よくぞ訊いてくれた、と言わんばかりにヒザをのり出して答える。
それゆえ筆者が、「ある」にも「ない」にも「何回もある」にも「!」のマークをつけざるをえなかったのである。
「ない」と答えた人が嬉しそうなのはよくわかる。健康自慢の人である。
「ある」と答えた人ははどうか、」病気自慢の人である。「こんなにも病弱なオレ」この真逆な自慢に、誰もが納得してしまう不思議。
「何回もある!」と答えた人に至っては、頼まれもしないのに、大急ぎでシャツをめくってお腹の手術の傷跡を、「ホラ、こことここ」と自慢気に見せびらかしたりする。 

全くその通りかもしれません。私自身「何回もある」に入るのですが、べらべらとやってしまっているかも。相手は辟易していたのではないでしょうか。
年取るとクラス会も同窓会もどうしても体のことが話題になってしまいがち。わかっているけどやっぱりそちらに向かう。しかし情報交換は弱い者にとって重要で、色々な医者や病院を知り、喜んだり安心したりとても役に立つのです。
しかしこの本を読んで、滑稽なのでほどほどにしなくては。なんでも加齢ですからと言われる医者のおっしゃる通り。

今読んでいるのが『すぐ死ぬんだから』内館牧子著と、読んだ『明日死んでもいい暮らし方』ごんおばちゃま著なども読んでかなり覚悟が出来たので、読むのをやめて、年だから、年、年、という言葉から少しでも遠ざかった時間を一日のに中に作りたい。

 

 

11/3(日)飯能→宮沢湖→高麗峠→巾着田ハイキング 21260歩

この日、西武線・稲荷山公園で入間基地航空祭が開催され、西武線は早くから激混み状態でした。男の子、そして女の子も航空ショーを楽しみに両親に手をつながれ大喜びの様子。私も一度見たいと思ってもこの混雑にはもう入っていけないのが残念。

飯能はお祭りの日であった
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飯能駅から北へ歩くと加治神社に到着。
この辺りは徳川光圀の家老・中山信吉はじめその子孫の墓碑多数が残るところである。加治神社は信吉の祖父家勝が芦毛の馬を連れた老人(吾妻天神)に救われたとの伝承のある天満宮だそうだ。
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コウヤボウキ
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宮沢湖に入っていくが、ここにムーミンバレーパークが今年オープンしたそうで、ここも家族連れが沢山向かっている。
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対岸の方にそのパークが見える。
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カラスウリの実や面白いキノコ。
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高麗峠へ
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高麗峠(標高177ⅿ)
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高麗川
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高麗川のドレミファ橋を通って巾着田へ。
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巾着田の彼岸花はもう葉になっている。
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日和田山が見えている。最近楽しく登った記憶が蘇る。
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高麗川で遊ぶ人々。
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高麗駅へ向かう道にはいつも花が咲いている
白いそば
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八重のキバナコスモス
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フウセントウワタ
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2019年11月11日 (月)

中山道7 六軒駅~鵜沼宿~太田宿(3)  

気が付いたことがあります。岐阜県の中山道沿いのトイレはとてもきれいで、また所々に配置されていて有難いです。
              
◆鵜沼~太田の続き

加茂川が木曽川へと合流する加茂川送水樋門がある。ここで、坂祝町から美濃太田市へと入った。
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美濃の俳人、兼松嘯風句碑があり、その先の欄干にたくさんの句碑がある。好きな人には散歩しながら楽しめるところでしょう。日本ラインと大きな中洲、近くや遠くの山々と緑、ロマンチック街道なる素晴らしい歩道など、実に心和む風景だ。
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土手をいったん降りて、芳春寺へ。お寺の前に地蔵尊、馬頭観音、三界萬霊塔、弘法大師が並んでいた。
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再び土手に上がり、少し進み、マルバルコウソウの群落に目を惹かれながらムクノキと金木犀のところで降りる。
解説板にはこの地で生まれた坪内逍遙(父が代官所の役人で10人兄妹の末子だった)が夫婦で訪れた際にこの木の前で記念撮影したという写真があった。
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ムクノキと背中合わせに虚空蔵堂があり、逍遙の子どもの頃の遊び場だったところだそうだ。
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また、ここのあたりは承久の乱(武家政権確立)の古戦場跡でもある。いろいろな石碑もあった。
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●太田宿 (51番目の宿)鵜沼宿から7.4㎞、伏見宿まで7.9㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠20軒。

太田宿に入ってきた。猫のお出迎え。時刻は4時近く。今年はいつまでも暑くて夕方にならないと会えなかった。
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本陣跡。今は門が残るのみである。和宮が江戸に向かう時に新築された門とのことだ。おまけに中山道の家並みも新築、修繕されたそうだ。和宮下向に際しては各宿場はてんやわんやだったことが伺われる。
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その向かいにあるのが、太田宿中山道会館。エノキが大きくとヤドリギがたくさんついている。
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展示室には、太田宿の展示の他、この地に暮らした坪内逍遥や岡本一平に関する展示もあった。
突き当りの見える机上の模型は、坪内逍遙の父が勤めていた太田代官所。逍遙が書き残した平面図を元にして造ったものだそうだ。
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岡本一平は岡本かの子の夫で、岡本太郎の父。終戦の年にここに疎開し、昭和23年に亡くなるまで漫俳を創唱し、漫風を発行した。
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脇本陣跡の林家住宅。うだつの上がる立派なお屋敷だ。今も住んでおられるそうで、隠居家のみ見学できるが4時までなので次回に見学する。
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今日は魚徳で、お土産「子持ち鮎の甘露煮」を買ってもらう。これは美味しかった!
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旅籠だった小松屋(吉田家住宅)は今は案内所となっている。坪内逍遙や、播隆上人の説明板などがあった。
播隆上人は槍ヶ岳を開山した上人さん。知らなかったです。
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向かいの建物は旧十六銀行太田支店だったところ。
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鬼瓦に「銀」とある。
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祐泉禅寺に寄る。
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北原白秋の歌碑と坪内逍遙の歌碑があった(芭蕉句碑と播隆上人の墓碑もあるらしいが次回に見つけることに)。ここでこの日の街道歩きは終了した。
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美濃太田駅へと向かう。いろいろな鉄道が合流していて立派な駅舎だ。駅近くのいろいろな案内にポルトガル語が書かれているのが多い。
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美濃加茂市のマンホール。日本ライン下りの船と船頭さんが描かれている。
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美濃太田駅の前には、坪内逍遙の胸像があった。
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5時35分の高山本線で岐阜へ。乗り換えて名古屋着は6時45分。
名古屋駅のお店で駅弁・だるまの満彩おこわ弁当を買い、いつもの7時26分発のひかりに乗り込む。
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東京駅9時10分着。帰宅はいつもの10時半頃だった。41278歩。

 

 

 

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2019年11月 5日 (火)

中山道7 六軒駅~鵜沼宿~太田宿(2)

●鵜沼宿の続き

ここで昼食です。鉄門の斜め前にある「花の木」で昼食。ねぶか雑炊のセットです。
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伊能忠敬がいまから200年前の文化6年(1809)に測量に訪れた際、鵜沼宿のねぶか雑炊(ねぎ雑炊)をうとう峠で食べたという由緒あるもの。
雑炊が出るまでの間、りんごマンゴー酢をおつまみとともに飲んで待つ。
雑炊の他、茶碗蒸し、刺し身入りサラダ、ポテトサラダ、茶碗蒸し、肉団子、ごま豆腐など最近の昼食ではピカ一だ。
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食後、少し戻って鵜沼宿町屋館を見学。
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江戸時代には絹屋という旅籠を営んでいた武藤家は明治に入り郵便局を営むことになった。その建物を市が譲り受け、歴史民俗資料館として公開している。

復元された高札場。
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赤坂神社にはたくさん御神燈が並んでいた。
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ここから見た秋の雲が素晴らしい。5000~13000ⅿに現れる巻雲や巻積雲(鱗雲)が一番好きな雲で、我が人生最高の雲は美ヶ原の空にあったことを思い出す。
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東の見附跡と、道標を兼ねた赤坂の地蔵堂がある。鵜沼宿はここで終わり。
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◆鵜沼~太田

ここからうとう峠に向けて坂道がはじまる。
江戸時代から農業用水として利用されていた合戸池(かっこ)が行く手の左に現れた。
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峠らしい道になり薄暗い。「うとう」とは疎いで「不案内、よそよそしい、気味の悪い」という意味があるという。
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うとう峠の一里塚(100番目)があった。こちら北側は残っているが、南側は崩れていた。
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至る所にイノシシ出没注意と、まむし注意の看板が立っており、まむしが怖くて下や木からぶら下がっていないかを見ながら歩く。イノシシに効き目があるかはわからないが、娘が大きな音のカウベルを付けた。私の付けた鈴はまるで蚊の鳴くような声(音!)なので効き目はなさそう。
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コフキサルノコシカケか  ホウロクタケとshikamasonjinさまに教えていただきました。有難うございました。
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鬱蒼としたところを下ると木橋がある。
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JR高山本線と県道をくぐるトンネルを通る。脇から水が流れ込んで水浸し。
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坂祝町(さかほぎ)へと入ってきた。階段を上がると県道だが、多くの飲食店が閉店となってさびれていた。日本ライン下り(以前乗ったことがある)が終了したそうだからか。シャッター街同様見るに忍びない。

踏切のところでちょうど高山本線がきた。
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ここで岩屋観音へと上がっていく。木曽川が見える。
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観音堂には地蔵尊。奥にもいろいろな仏像がある。
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中山道はここから、太田宿の近くまで県道を行くのだが、車量も多く、風情もないので、皆も通るという川沿いのロマンチック街道を行く。
川と対岸の山々が見えて、素敵な散歩道。名前がまた日本ライン同様ロマンチック街道とは。風景がドイツのライン川沿いに似ているから付けられたとか。

水神と庚申塔が祀られ、勝山湊跡がある。木曾川の対岸犬山市栗栖と勝山を結ぶ。桑名方面へ向かう年貢米の積み出し港として、また水上交通の要所として栄えたそうだ。
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向こうに見える岩肌が見えている山は、可児市の鳩吹山である。
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さっきも書いてあったけれども、またロマンチック街道の文字が書かれている。
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はるか彼方右手に御嶽山が見えた。あの山の向こう側に中山道があるのだ。まだまだ木曽は遠い。
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2019年11月 1日 (金)

中山道7 六軒駅~鵜沼宿~太田宿(1)                

日にちが前後してしまいましたが街道歩きに戻ります。10/17(木)いつもの6:16ののぞみに乗り、名古屋→岐阜→六軒駅へ。9時10分頃から歩き出す。殆ど曇り。
歩いている本人でないと興味がわかないと思うのですが、それを読んでいただいてくださる方々に感謝です。復習の意味で書き連ねているのですが、日本のこんなところがあると一つでも頭に残ると楽しいです。歩かなければ見られないこともあります。

◆六軒~鵜沼

まずは駅近くの神明神社に寄る。このあたりにはこの名の神社が多いと調べてみたらわからなかったが、この神社は主祭神が天照大神で全国に5000社あるという。
蕃塀があります。これは初めて見るような、あるいは今まで気が付かなかっただけか。蕃塀とは「参道上で拝殿の前に存在する短い塀」で、正殿を直視しないようにするとか、不浄なものの侵入を防ぐために造られたという説がある。愛知、三重、岐阜などに多いらしい。
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またまた馬頭観音があった。三面八臂。この後も次々と現れて大喜び状態。
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六軒一里塚跡も標柱のみ。
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長楽寺のこの石造は地蔵群か33体の観音様か?
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津島神社には各務原市指定重要有形民俗文化財の皆楽座がある。皆楽座は。客席を持たない舞台のみの芝居小屋である。廻り舞台、奈落、セリ、太夫座などを備えているそうだ。驚いたことに拝殿を兼ねているため本殿に向かって正面にある。
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              皆楽座
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2本の大きなキンモクセイが満開。この日は一斉にどこも咲いていて、一日中金木犀の香りの中にいるようでした。
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坊の塚古墳である。岐阜県では2番目に大きい前方後円墳だそうだ。
古墳の上に登ることが出来た。向こうが前方になり、今立っているところが後円となる。滋賀県では出会わなかったが、岐阜県には古墳が多いようです。
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空安寺の前に日露戦役忠魂碑。乃木希典の字だそうだ。この地の方がたくさん亡くなったのだろうか?碑の後ろの塀を見てもわかる通り、空安寺は立派な塀に囲まれたお寺だ。
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お隣に衣装塚古墳。こちらは円墳で、上部に墓碑が並んでいるそうで4世紀後半から5世紀前半に築造。
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●鵜沼宿(52番目の宿)加納宿から16.8㎞、太田宿まで7.4㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠25軒。

西の見附跡があって鵜沼宿に入ってきた。
見附跡の横の階段を上っていくと翠池がある。農業用のため池だそうだ。
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石亀神社に寄る。ご神体の石亀様が亀に見える。
鵜沼は石材の産地だったので採掘場跡に建てられた神社。この鵜沼石は尾張藩主の墓石としても使われたそうだ。
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鵜沼宿は濃尾震災(明治24年)により建物は消失しまったのだが、最近になって脇本陣の復元をはじめとして整備され、道の塗装もされ、風情のある街並みになっている。
登録有形文化財の4軒、安田家住宅、梅田昭二家住宅、梅田吉道家住宅(茗荷屋)、坂井家住宅と続く。茗荷屋だけ唯一震災を免れた160年前の建物だそうだ。
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二ノ宮神社は6~7世紀頃の古墳の上に建てられた神社で、下に横穴式古墳の石室があるという珍しい神社。
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鵜沼宿脇本陣跡。
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江戸時代末期の鵜沼宿各家の間取りを描いた 「鵜沼宿家並絵図」 をもとに、現存する脇本陣の外観や内装、意匠などを参考にし、脇本陣を務めた坂井家の建物の姿に平成22年に復元し、公開している。うだつが上がっている。ここに宿泊した芭蕉の句碑もあった。ボランティアガイドさんが熱心に説明してくださる。
中山道69次の瓢箪。大小あるが宿の大きさに比例しているのもあった。
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お庭。
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部屋の様子
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風呂場  
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ボランティアガイドさんたちは今年、文献をもとに和宮が召し上がったという食事の再現をしたそうだ。
茄子の奈良漬けとごぼうだけの味噌汁が好物だったそうだ。献立表の部分、写真がちょん切れです。

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菊川酒造。
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旧大垣城鉄門(くろがねもん)。高麗門と呼ばれる型式の門で、短冊型の鉄板を隙間なく貼っている。火矢による攻撃から門を守るため。
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2019年10月29日 (火)

八海山・苗場田代・奥只見湖遊覧で紅葉狩り

雨の合間、10月23,24日に行ってきました。
行きはMaxたにがわ号で上毛高原駅へ、帰りは越後湯沢駅からとき号に乗って帰ってきました。

23日(水)晴れ

●吹割の滝

まず2日間ツアー専用のバスで群馬県の吹割の滝へ。かつて2回ほど行ったことがあるが、今回は大雨による増水で滝の迫力満点。
今まで東洋のナイヤガラと言われても実感が湧かなかったのが、ミニミニのナイアガラをちょっぴり味わえました。
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浮島観世音堂に如意輪観音様がおられた。すっかり忘れていました。
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●八海山

新潟県南魚沼市にある越後三山(中の岳、越後駒ケ岳と八海山)として知られ、山頂の八ッ峰が象徴的です。1778ⅿ。
ロープウェイで山麓駅(標高376ⅿ)から山頂駅(標高1147ⅿ)まで5分で771mの標高差を登り、展望台で山頂の方や日本海(佐渡島が見えるというがどれだか判別できなかった)まで眺望を楽しむとともに、紅葉を眺める。今年は朝晩の気温差があまりなくて赤がちょっと茶色っぽくなっているようだ。パンフレットのあるような紅葉ほどではなかった。

ロープウェイから八ヶ峰が見えた。
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展望台からの八海山山頂方面。
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展望台から
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●大源太湖(標高550ⅿ)

正面に見えている、上越のマッターホルンと呼ばれる大源太山(1598ⅿ)の麓のダム湖。大源太川の砂防ダムで今補修工事中で残念ながらきれいでなく、紅葉もこの標高だとまだであった。
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苗場プリンスホテル泊。紅葉ツアーでバスが19台も来ていて夕食は早めの5時に行くよう指示される。バイキングでした。席を確保し行列についてお皿にめちゃめちゃに取ってそれからはゆっくりいただく。質はよく美味しかったので普段の倍ちかく食べたのでした。
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24日(木)曇り一瞬日が射す。

●苗場ドラゴンドラから田代ロープウェイ

あいにく曇りでゴンドラの中の窓がガスがかかったようになって残念な紅葉狩りでした。
しかし、苗場ドラゴンドラ(8人乗り)は苗場高原から田代高原をつなぐ、日本最長の5481ⅿの長さを誇る。上って下って、上って下って、上って平、上って平、上る。実に雄大な眺めでわくわくしながら25分間も乗っていました。
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二居湖
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苗場ドラゴンドラ山頂駅から田代ロープウェイへ移動。日本一の瞬間地上高230ⅿも絶景。91名乗りで10分。
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奥只見へ
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奥只見湖遊覧

外輪船ファンタジア号に乗る。19世紀のアメリカ・ミシシッピー川の貨物船をモチーフにしているとのこと。
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 銀山平(昔銀が採れた)から奥只見ダムまで50分近く乗っていたでしょうか。晴れていれば尾瀬の燧ケ岳が見えたはずだ。一瞬日が射して紅葉がきれいに見えたので由としましょう。
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奥只見ダムは昭和36年完成の、日本最大級の貯水量を(黒部ダムの3倍)を誇る巨大ダムです。
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越後湯沢の駅にて
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今日の食事は全部撮り忘れたが越後の山菜、きのこも十分に味わえたので良かった。今年の紅葉狩りはブナやナナカマド中心の越後、福島のを見ることが出来、おそらくこれにて終了か。満足しました。

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2019年10月25日 (金)

中山道6 美江寺~河渡宿~加納宿~六軒駅(後編)

加納宿(53番目の宿)河渡宿から5.9㎞、鵜沼宿まで16.8㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒。

加納宿は城下町で規模も大きいが(5番目に大きな宿場、美濃最大)、空襲で焼けてほとんど遺構は残っていない。
岐阜は和傘と提灯が特産である。それは加納藩が最初は松平氏だったが永井氏に変わり幕末には石高が減り、財政逼迫で傘の内職を武士に奨励したから。 今も全国の和傘の9割を生産している。

西番所跡。そばに「皇孫殿下御生誕記念碑」が。今の天皇です。
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加納は何度も大火に見舞われていたのか、秋葉神社が多くなる。地図で見ても九社もある。
街道らしい街並みとなり、岐阜駅前の通りを過ぎると道路が全面カラーとなってきれいな街道だ。この写真はかなり東に寄った専福寺辺りの街道の様子。
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加納天満宮。1445年、斎藤利家が沓井城(加納城の前身)を築城の際、守護神として勧請され、菅原道真を祀っている神社。
舞台の奥に見える拝殿が、戦災でこの加納宿で唯一残った建物だそうだ。
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本陣跡兼皇女和宮御泊所跡の標柱があり、和宮の歌碑もあった。「遠ざかる都としれば旅衣 一夜の宿もたちうかりけり」。中山道には和宮に関する碑が多く和歌を読むと切なくなる。
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行かなかったけれども、光国寺は初代加納藩主奧平信昌の正室・亀姫の建立。亀姫はと家康の長女で、母が築山御前だ。弟に秀忠、御三家がいる。

当分本陣跡兼明治天皇御小休所跡などの標柱を過ぎ、大手門跡の石碑を右折して、突き当りの加納城跡に寄る。家康が関ヶ原の戦いの直後に築城を命じた。城址までは岐阜大学付属小中校などが並んでいた。
石垣が残り、本丸跡は史跡公園になっている。
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高札場跡を通り過ぎ、先の四つ辻を右に曲がると側溝蓋に御鮨街道とある。岐阜町で作られたなれ寿司を江戸へと届ける街道だったそうだ。
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東番所跡で加納宿を出る。ここから次の鵜沼宿までは16.8㎞と非常に長いので今日は六軒駅までしか行かれなかった。
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加納~六軒駅

御鮨街道と中山道の分岐があり、力士鏡石が建てた道標・鏡岩がある。
江戸文政期の二代目鏡岩は土俵外での行いが悪かった。父の13回忌に改心して寺を建て、自分と同じ大きさの木像「ぶたれ坊」を作り、罪滅ぼしのつもりで旅人に棒でぶたせた。ぶった旅人にはお茶を振る舞ったことから 「茶所(ちゃじょ)」 という地名が生まれたそうだ。この後名鉄茶所駅を越える。
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立派なお屋敷は森邸である。
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岐阜城が見えている。
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伊勢街道との追分に追分地蔵があり、前に道標が立つ。半跏趺坐地蔵菩薩と般若心経を巻いた地蔵菩薩である。
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細畑の一里塚(105里目)がある。昭和27年に道の両側に復元され植えられた榎が大きくなっている。
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「明治水(目薬)」の庵看板の小木曽薬局。庵看板って初めて!!
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手力雄神社・・天照大神が隠れた岩戸を開けた天手力雄命が祭神で、火祭りが有名。狛犬が3対、常夜燈が5対もある。
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桜並木の続く境川を高田橋で渡る。すぐそこに名鉄の高田橋駅が見えており、丁度電車を撮ることができた。
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濃川排水路の橋の袂に、「中山道 間の宿 新加納」の標柱がたっており、ここから道は少々上り坂になり、ここから広大な各務原台地へ上がっていく。次の鵜沼宿まで長いために5つの立場が設けられており、ここもその一つだ。道の歩道部分はずっとカラーである。
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久しぶりに道祖神に会えた。
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善休寺は真宗大谷派で親鸞聖人像、蓮如上人像がある。
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手水石には葵のご紋があるが、これは尾張徳川家が各務野にて狩の折に宿所としたことから、特別に葵の紋を与えられたことによるそうだ。
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新加納の一里塚跡(104里目)を通り過ぎ、日吉神社による。
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ここで有名なのが、狛犬ならぬ狛蛙!(狛犬もいた)。狛鹿はどこかで2度ほど見たが、狛蛙は初めて。
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和菓子のだるま屋さんに寄って有名な豆大福を買う。後で6軒駅で食べた。
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新境川を渡る。堤に桜が千本以上植えられているそうだが、これは地元出身の歌舞伎役者市川百十郎が寄贈したものだそうで、百十郎桜と呼ばれているそうだ。春はきれいでしょう。
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市民公園はとても広く、まるでヨーロッパの公園のようだと話し合ったほどだ。岐阜大学の跡地もあった。
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各務原市のマンホールはいろいろあるようなのですが、見たのはラグビーボールのような形を同心円に並べたスリップ防止仕様の蓋で、市章が真ん中に入ったこれだけでした。 
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警察署の前に張りぼての恐竜ナッシーが。交通事故ナッシー(なし)という願いを込めたネーミングだそうだ。
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各務原の特産はキムチだそうだ。1999年に韓国の春川市と姉妹都市交流が始まったから。春川市は「冬のソナタ」のロケ地で冬ソナファンの聖地。
たまに爆音がするのは軍用機の音で航空自衛隊岐阜基地が街道の南側にあるから。

無人駅の六軒駅から名鉄に乗り、名鉄岐阜駅へ。
ここでこの日は嬉しいことがありました。岐阜にお住いのMさんがお忙しい中、駅で待っていてくださって3年ぶりにお会いしました。
そのままご一緒に名鉄名古屋線に乗り途中で下車されて行きました。その間15分足らずの短い御目文字でしたが、お風邪一つ引かずお元気にご活躍のご様子を確認し、私も頑張らねばと思ったことでした。
ご親戚の家の岐阜銘菓「登り鮎」を頂きました。家で賞味させていただきましたが美味しかったこと!ありがとうございました。
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名古屋駅で、漬物をつまみにビールを飲み、味噌煮込みうどんを久しぶりにいただく。
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いつものひかりに乗りいつも通り10時半頃家に着く。今日も約5万歩でした。次回から日の暮れも早く電車も不便になっていくので歩数は減ります。

      (完)

 

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2019年10月20日 (日)

中山道6 美江寺宿~河渡宿~加納宿~六軒駅(前編)

10/10(木) 2週間ぶりで、前回と同じ時間に出発し、名古屋から大垣へ、そこから樽見鉄道で美江寺へ9時頃到着した。この日も富士山がきれいに見えました。
既に歩いた街道の宿の名前の順番も忘れ、印象深い所だけしか頭に残っていないのですが、東海道を3往復もした人の話を聞いて、もう街道のすべてが頭に焼き付いたのではと思います。しかし1回だけでももういいやというというのに、6回も同じ道、500㎞近い道のりを歩くなんて狂気の沙汰としか思えないほどのことです。そこまで街道を愛し没頭できるという人も世の中にはいるので驚きです。


美江寺~河渡

樽見鉄道一両編成はカラフルでかわいらしい。お天気も良く10月というのに29度の予報で暑くなりそうだ。
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駅から街道に出たところに道標には「右岐阜加納二至ル 左北方谷汲二至ル」と読める。前回から度々谷汲道の名が出てくる。
この道の先には谷汲山華厳寺があり、西国観音霊場第三十三番札所で結願寺だそうだ。
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2週間前より稲穂がさらに重そうになっている。その向こう側に横一直線に見えるのはたくさんのビニールハウスで、サボテンが栽培されている。まさしく名高い濃尾平野の風景だ。
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サボテンはハウスごとに種類が違っていて、かなりいろいろな種類が栽培され、一体どの方面に出荷されるのだろうか?
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五六川を渡る。美江寺が江戸日本橋から56番目の宿場だから付いた名前の川。
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高札場跡、本田代官所跡と続く。
関ヶ原の戦い後、幕府は有力大名が出てこないよう10万石未満の小藩と幕府の直轄領に細分し、ここ本田代官所は1770年に大垣藩預けとなるまで続いた。徳川幕府も参勤交代をはじめ、随分いろいろ考えたから260年も続いたのですね。
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立派な本田地蔵堂(延命地蔵)があった。
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糸貫川を渡った先の高台に馬場地蔵堂がある。今回の台風では実にたくさんの川が氾濫したが、昔は堤防もダムもなく日常茶飯事で大変だったでしょう。糸貫川あたりもしばしば氾濫し、堤防が築かれ、板橋が架けられたそうで、代官はこの地域の治水に尽力し、田畑と農民を水害から救ったそうだ。
このお地蔵さんにも「右谷汲道」と彫られていて道標を兼ねている。前回の道中にもこうした石造が多かった。
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河渡宿(54番目の宿) 美江寺宿から4.7㎞、加納宿まで5.9㎞。本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠24軒。

瑞穂市から岐阜市に入り、慶応橋を渡ると河渡(ごうと)宿に入ってきた。
鵜と鮎の図柄が描かれた岐阜市のマンホールが目に入る。
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河渡は本陣1軒のみ(脇本陣なし)の美江寺宿と同じく小さな小さな宿だが、長良川が川留めになると賑わったので旅籠の数は美江寺宿よりずっと多い。
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河渡一里塚跡(107里目)と松下神社跡。
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河渡宿は土地が低く、雨や雪で泥沼化したので、代官松下内匠が宿全体を5尺ほど土盛をして以降は被害が減り、村人がこの功績に対し、神社と碑を立てた。

昔は堤防の上にあったという馬頭観音堂がある。観音堂には愛染明王が祀られる。真ん中の明王の頭に馬頭らしき姿が見える。岐阜市に入ってから馬頭観音が増える。昔馬を木曽の方からあるいは木曽に向かって使ったのであろうか。
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長良川を河渡橋で渡る。少し上流には小紅(おべに)の渡しがあり、県道なので無料で船で2分で渡ることができるそうだ。葛飾柴又みたいなのでしょうか。
揖斐川、木曽川と並んで有名な長良川は郡上市の大日ヶ岳が源流で、多くの支流を合わせて伊勢湾の流れ込む。橋から伊吹山が見え、揖斐川からも見えた金華山の岐阜城がさらに近づいてきた。
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鏡島(かしま)湊跡の説明板があった。鏡島湊は長良川を利用した舟運の湊として、豊臣秀吉の政権以前から栄え、織田信長の祖父が鏡島に新町を作り、岐阜城の外港として整備し、関ヶ原合戦後は加納藩の支配となり、明治後半まで利用されていた場所だ。
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河渡~加納

鏡島城跡に石河駿河守光清が祀った倉稲魂稲荷神社がある。赤い鳥居が社殿まで並んでいる。
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観音寺の前には朝日縮緬碑がある。このあたりは江戸時代から丹後・長浜とともに三大縮緬の産地だった。特に鏡島地区では村中が機織りに従事していたという。
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乙津寺・・日本三躰厄除け弘法大師(京都東寺・川崎大師)のひとつ。お寺の境内にはたくさんの石仏などがある。   
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四国八十八所観音。
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昼食はデニーズ(お寿司屋さんが廃業していた)でシーザーサラダ、からすみスパゲティとドリンクバーつき
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多羅野(だらり)八幡神社。3つの神社が合祀されていて、左から秋葉神社、八幡神社、天満神社である。昔から「だらり餅」という餡餅が立場にあって1916年まで続いた。
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医王寺の馬頭観音。道標を兼ねた馬頭観音は岐阜だけのものか、この先木曽にもあるのか楽しみ。
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2019年10月14日 (月)

白丸ダム魚道

青梅線・古里(こり)駅~白丸駅ハイキングで白丸ダム魚道を見てきました。
以前は橋の上から川に築かれた魚道を見ただけでしたが今回はトンネル内のを見ることが出来ました。

古里駅に降り立つとこのあたり一帯の蚊の駆除だそうで各家全体を消毒しているのに出会い驚く。
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奥多摩はヒメツルソバの群生があちこちで見られるところだ。
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ついつい道祖神や燈籠に目がいってしまう。
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シロシキブは今秋初めて。
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多摩川を何度も渡っては川沿いの道を上ったり下ったり、結構な登山並みの運動になります。
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名前のわからない滝あり。
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展望台から。山間には結構家が多い。
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シライトソウかな? その他シュウカイドウ、キバナアキギリ、ツリフネソウ、シラヤマギク、イナカギクなどが次々と山道に現れて秋を満喫する。シライトソウでなくサラシナショウマでした。葉を見たらそうでした。shikamasonjinさま、ありがとうございました。
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コスモスもとてもきれいだ。
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年季が入ったようなサルノコシカケ 名前はコフキサルノコシカケ(またはオオミノコフキタケ)だそうです。shikamasonjinさま、いつもありがとうございます。
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大分ダムに近づいてきた。
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魚道(全部で約332ⅿ) 東京湾から79㎞も沢山の堰をのぼってこの魚道に辿り着き、ジグザグに次はトンネル部の魚道の中を遡り、落差30ⅿあるダムの上に行く。
この多摩川には、ヤマメ、アユ、ウグイをはじめ100種類近くにも及ぶ魚たちが生息し、川を上り下りしながら生活している。

明かり水路部魚道  一番奥で手前方面に曲がって続いているが木の陰で見えない。
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管理棟から螺旋階段を下りてトンネル部の魚道を見学する。
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ダムと調整池
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この店でビーフステーキ&ハンバーグセットを注文したのですが半分も食べられなかった(TωT)ウルウル
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白丸駅も無人駅。のんびりと電車を待つ。
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一日置いて国立能楽堂へ「能楽研修発表会」で舞囃子・狂言・能を堪能。我が頭には狂言しかわかりませんでした。
翌日はクラス会で14人中9人出席。5人の方はそれぞれに重い、軽い病気を抱え、私も来年無事に出席できるかなど思ってしまったことでした。
感心したのは姫路から日帰りで参加した友人は、子供が中学生の時ご主人を亡くし、3人の息子さんを育てながら75歳まで経理の仕事をし、退職後は歩く水泳とヨガ、オカリナ、パソコンのエクセル研修と、オカリナなど大変ながら楽しく過ごしている様子を披露してくださった。この2種類のスポーツは体に良いと言われ、調子よいとのこと。1年に1度、3時間半もワイワイとよくしゃべる私たちです。
その翌日が中山道歩き6回目でした。1日おいて土曜日から白馬に1泊の予定が入っていたのですが、台風でキャンセル、実は体力限界でほっとしているところです。

 

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2019年10月11日 (金)

中山道5 関ヶ原~垂井宿~赤坂宿~美江寺宿(3

◆赤坂~美江寺
赤坂宿を出ると
道標を兼ねた石造がこの後も見られるようになった。岐阜県に多いのでしょうか。これは加納薬師地蔵の道標
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 田んぼ用の用水路が至る所にあって、水がきれいだ。
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揖斐川まで七回り半の道標や三回り半の道標があって、そんなに曲がってないように見えるのがおかしい。
「右ぜんこうじ道 左谷汲山ごうどいび近道」と彫られている聖観世音菩薩の石仏が、はやり道標を兼ねているのが現れた。
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三回り半の手前に、珍しい素戔嗚社がある。1888念大垣輪中瀬古堤決壊で神府が竹藪に漂着し、鑑定をすると素戔嗚尊と判明し、この地に社殿を設けたそうだ。
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民家の塀で脇の水路の魚を狙っているサギ。上野動物園のハシビロコウを思い出す。
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柳瀬橋を渡った先の神明神社の前に柳原一里塚(109里目)解説板があるが違う所にあるらしい。昔と道がわずかに違うのか。

この日は丁度彼岸花の時期であちこちに咲いていたが、平野井川の土手には彼岸花がいっぱい。まだ蕾があって満開ではなかったがきれいだ。今年はこの地方も彼岸花が遅れているようだ。
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瑞穂市に入ったところに小簾紅園(おずこうえん)がある。和宮が呂久渡を利用したことによる記念碑建立のため整備された。
和宮御遺蹟碑の横に呂久渡船場跡碑が並んでいる。呂久の渡しは中山道を遮る呂久川(現揖斐川)を舟渡しでつなぐ渡し場だった。
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「落ちて行く身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれこそすれ」という和宮が詠んだ句碑がある。周りを見回すと殆どもみじばかり。秋に来るときれいでしょう!
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呂久渡し場跡
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紅園の前にマンホール。旧巣南町のものと思われるマンホールはもみじがである。小簾紅園のもみじと関係し町の木だ。大垣市も神戸町もマンホールを見つけることができなかった。
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馬淵家の長屋門。呂久の渡しの船年寄・馬渕家の立派な屋敷だ。
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大きなお地蔵さんがいた。
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揖斐川を鷺田橋で渡る。名古屋の方の東海道で通った揖斐川は河口で長良川と合流して伊勢湾に流れ込む。
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橋の歩道から金華山も見えてきた。
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瑞穂市は富有柿発祥の地で、確かに柿の木が多い。まだ色づいていなくて存在がわからない。
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宿の石碑があるポケットパークを通る。
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犀川沿いに歩いているとカルガモがたくさんいた。
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美江寺宿(55番目の宿) 赤坂宿から8.7㎞、河渡宿まで4.7㎞。本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠11軒。

美江寺宿は和宮が小休憩したというがこじんまりした極めて小さな宿である。
宿に入ると美江寺千手観音が見られた。手が沢山彫られている。こういう観音様も久しぶりだ。
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観音様の横の新月橋から見た風景が広重の絵に描かれている。今も面影は残っている。
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本陣跡
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その先の枡形の角に庄屋の和田家は虫籠窓のある大きな町家である。
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かつて美江寺があったという美江神社には高札場が復元されていた。
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美江寺一里塚跡(108里目)の標柱
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樽見鉄道の美江寺の駅はかわいらしい。見つけられなかったくらいだ。駅からは金華山がさらに近くに見えていた。
来た電車はたった一両編成で、満席であった。
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駅コンコースできしめん。新幹線の中ではいっぱいやる。
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今日のお土産は栗入りきよめ餅。
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前回と同じのぞみより一つだけ多く、小田原に停車するひかりで、家到着はいつもの10時半頃でした。

私のブログはニフティーのココログですが、ここ半月以上もコメントの反映が出来ないという障害が生じています。私にはコメントのあることは受信できているのですが、それを見るのが遅くなった時にお返事が遅くなるという不都合が生じますが、ご容赦ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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2019年10月 5日 (土)

中山道5 関ヶ原~垂井宿~赤坂宿~美江寺宿(2)

垂井~赤坂

赤坂宿を出ると相川を相川橋で渡る。北側の山が美しい。ここは洪水があったため人足渡しだった。一方、朝鮮通信使や姫宮などが通る時には木橋がかけられたそうだ。
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橋を渡ったところにあるのが垂井追分道標。中山道と美濃路の追分である。美濃路は垂井と東海道熱田(宮宿)を結ぶ脇往還である。いつか歩くつもりでいる。中山道も本によっては木曽路までは美濃路と言っている。
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昼食は、今回は飲食店が見つからず、コンビニイートインで。名古屋名物のあんかけスパゲティを売っていた。東京には売っていない!ソーセージの赤が気になったけれど、美味しかった。
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大垣市・青野町に入る。青野一里塚跡(111里目)と大神宮常夜燈がある。
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教覚寺には青野藩主・稲葉正休の碑がある。稲葉正成(春日局の夫だった人)の子孫だが、江戸城内で大老を刺殺、自身も殺され、青野藩はお家断絶となった。
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寺の鐘楼台は石灰石で、フリズナ(有孔虫)の化石がある。珍しいというよりあまり化石を見る機会がないということです。たまには博物館に行かなければ。
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この辺りは見渡す限り田んぼで、稲穂が垂れて収穫も近そうだ。日本の秋の原風景。
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間の宿と思われる青墓宿が大谷川を渡った東詰めにあったらしい。廃寺の圓願寺には芦竹庵があった。
牛若丸が奥州へ落ちのびる途中、青墓の圓願時で休み、江州から杖にしてきた芦の杖を地面に突き刺し 「挿しおくも 形見となれや 後の世に源氏栄えば芦竹となれ」 の歌を詠んだという。その後、芦から芽が出て竹の葉になったとの伝説がある。
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照手姫の墓と言われる墓もあった(東海道の方にもあった)。墓の横の植物が芦竹かもしれない。照手姫水汲井戸まで残っていた。
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今日は古墳を2つも見た。その一つ、粉糠山古墳で墳丘長100ⅿの前方後円墳だが、今は墓地になっていた。青墓の遊女たちが捨てた粉糠が積ったものであるという。
写真では古墳の形が全くわからないが向こうに盛り上がっているのが円墳のようだ。
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2つ目はその先の昼飯町(ひるい)の昼飯大塚古墳。岐阜県最大の前方後円墳で150ⅿある。4世紀末の築造。
昼飯の由来は大坂の海から拾い上げられた善光寺如来という仏像が、善光寺へ運ばれていく途中、一行がこの地で昼飯を食べたからだそうだ。とても大きい!
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登って見ると四方が見渡せ美しい景色が広がっている。伊吹山の方を見る。
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目を北東の方に転じると石灰を掘っている山が見える。江戸時代からここでは良質な石灰石が採掘されて、今も工場がこの辺りに点在している。
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赤坂宿(56番目の宿) 垂井宿から5.2㎞、美江寺宿まで8.7㎞。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠17軒。
東海道にも赤坂宿があるので中山道のは美濃赤坂とも呼ばれる。

赤坂宿西の入り口に、赤坂宿御使者場跡と兜塚がある。
関ケ原合戦の前日、杭瀬川の戦いで戦死した東軍・中村隊の武将・野一色頼母の首と鎧兜を埋めた場所。
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赤坂は所郁太郎生誕地であり、お墓がある。所郁太郎とは、瀕死の重傷を受けた井上聞多(後の明治の元勲井上馨)を手術し畳針で縫いその一命を救ったという憂国の青年志士だった。初めて知った志士。
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脇本陣跡の斜め前にある和菓子屋さんの金生堂で栗きんとんわらび餅を買い、先にある本陣跡の公園で食べる。これは美味しい。
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1831年に建てられた谷汲道道標。19㎞北にある谷汲山に向かう道。道標や高札場の字がいつもなかなか読めない。江戸時代の庶民は凄いなんて思う。
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十六銀行はビルでなく宿場に馴染んだ建物で、静岡の問題になった銀行もそうだったことを思い出す。
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旧清水家住宅。1730年建築で大垣市指定文化財。土日は公開。昔米屋で2階は米を収納する広い部屋が残っているそうだ。
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おやつを食べた本陣跡は公園になっている。奥に小さく見える青い像は所郁太郎の像で、和宮が宿泊した記念碑もそばにある。
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赤坂本町駅跡があった。
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赤坂湊会館。赤坂警察署を復元したもので、これも土日に資料館として公開されている。
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赤坂湊跡。赤坂港はかつて桑名まで船が行っていて、近代は名古屋まで石灰を運ぶ船が往復したそうだ。鉄道ができて衰退。
今は港が復元されていて、大きな火の見櫓が立っている。
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続く

 

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