2025年1月18日 (土)

小田宅子

俳優・高倉健・本名は小田 剛一(おだ たけいち)の5代前の直系の、歌人・小田宅子(いえこ)は『東路日記』を著した。
九州中間市に居を構えた裕福な商人の出である。養子を取り、のちにに弟が生まれたので家督を譲り、醬油屋に職を変えているが。
その先祖の一人に北条篤時(金沢文庫の創設者・実時の子)がいるそうだ。
宅子さんは子育てを終えてから和歌を学び、万葉集から源氏、平家物語、本居宣長などまで勉強し古典の教養溢れた女性である。
天保12年(1841)に宅子さんは53歳で他女3人と従者3人で伊勢へと旅立つ。
瀬戸内海は船に乗ったり下りたりで山口や錦帯橋や安芸の宮島など多数見物する。大阪に到着後山越えして奈良の地をあちこち見物し、伊勢へ。その後中山道木曽(九州との貧富の余りの凄さに驚いている)から善光寺へ向かい、そこから日光、江戸で遊び、甲州街道から秋葉街道(今でも大変な峠道のようだ)、三重県、京都で長い事遊び、大阪にも滞在し、瀬戸内海を帰っていく。
5ヶ月3200キロお買い物遊山紀行であった。
以前東北の三井夫人の豪遊の時も触れたような気もして重複して申し訳ないですが、あまり衣服、履物など恵まれてない時代に、その土地その土地で、素晴らしい歌を作っているのでそれを観賞しながらの、我々とは全然味の違うその昔の街道旅を味わえました。
女性でありながら一日に7里半、時には8里つまり30㎞も32kmも歩いてしまうのですからちょっと心も体も出来が違う。私たちは最大28㎞か。
豊かで心と体が丈夫ならこんな大変なことを人間はしてしまうということです。これは田辺聖子著『花ざかり 花の旅笠』で知りました。


昨日17日は阪神大震災から30年でした。あの恐怖をテレビで見て、そのあと、ニューヨークビルの倒壊、そして東日本大震災の大津波や原子力発電所の途方もない事故を見守ってきたわけです。
そんな中我が家では同じ日に結婚60年、すなわちダイヤモンド婚を迎えました。金婚式ではもう無理だと思っていたのですが、お陰様にてここまでずっと喋る相手がいて幸せなことでした。

お若いお隣のご夫婦から心のこもったお花を頂戴して感激で胸がいっぱいになった幸せ者です。半年前にちょっと雑談で喋ってしまったことを覚えていてくださったのです。

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2025年1月12日 (日)

メンサ

MENSA これは1946年、イギリスで創設された国際的なグループ。
テストを受けて全人口の上位2%IQ(知能指数)の持ち主と言う基準に達すればだれでも入れる。
中野信子さんもその一員だと著書に書いてありました。知らなかったのは私だけ?

以下はサイトの丸写しです。

メンサの会員数
今日、会員数は全世界100ヶ国以上で約134,000人。南極をのぞく世界全大陸の約40ヶ国に支部を置いています。 日本には、約4,700人(2019年12月現在)の会員がいます。
メンサ会員の年齢は4歳から94歳に亘っています。学歴においては、小学校卒から高校中退、あるいは、複数の博士号所持者などいろいろです。 会員の経済的な地位、職業の範囲もさまざまで、教授もいればトラックの運転手もいる、科学者や消防士、コンピューターのプログラマー、 農家、芸術家、軍人、音楽家、労働者、警察官、ペンキ職人といかにも多様です。 有名なメンサ会員、さまざまな賞の受賞者もいれば、名の知れないごく普通の会員もいます。
ほとんどの分野のSpecial Interest Group(SIG)があります。メンサは各分野毎に専門のSIGを提供します。 あなたは細菌学やシステム分析から始まり、シャーロックホームズや・スタートレックを見つける事もできます。 期待するものや予想外であるものが多数有ります。生化学・宇宙科学・経済学・ポーカー・ローラースケート・スキューバダイビング・UFO・魔法・パン作り・ ワイン醸造・漫画・銀細工・紋章学、意味論・エジプト学・養蜂・オートバイ・タップダンス・古典・野球・バスケットボール・フットボール・射撃・ ハンググライダー・スカイダイビング等々。


余談:↑に紋章学というのがありますが、早稲田の講座で「イギリスの絵画学」を受けていた時にイギリスの紋章学会に入って研究している女性がいまして驚いたものです。また当時教鞭をとれらていた長澤和俊教授にNHKでも盛んにやっていた「シルクロード」をパキスタン方面からフンザとかカイバル峠(細かい地図にも載っていなくてもう一度教授の本を読まなくてはわからない)などを通り、中国シルクロード入りをした話などの講義を受けたときに、受講生の女性も多く一緒にその旅をしたとか聞いて、井の中の蛙の私はこれまたびっくりしたものでした。これはメンサと関係ない話ですが、ラクダでシルクロードを40日間も回ったと言う女性に海外で出会ったのですが、その体力にも度肝を抜かれました。

今年は病人の関係で子供たちは玄関先でお年賀を置いて帰りました。現在ご馳走のなりつつあります。
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2024年12月31日 (火)

大晦日

「喜びの遊び」つまり~でなくてああ良かった、というパレアナの話を思い出して
『少女パレアナ』『パレアナの青春』を借りて読みました。内容は全部忘れていたけれども、いろいろあった今年なので、来年は何でも良かったの精神で行こうと思った次第です。今は入院してなくて家に居られてなんて幸せなんだろうと。自分自身も大小合わせて5回の入院生活は長かった25日が一番辛かったかも。
この程度の私ですからもし、もっと辛い深刻な病気で長い入院を強いられたら地獄。そう今は天国にいるようなものです。
当たり前ですが、もういろいろ気にしない、良い方に解釈して、助けを借りて何があっても大丈夫精神で行く。(決意だけはいつも立派なのだけれども)。
物価が上がって大変になってきたけれども、まだ自分で栽培しないでも食べ物をいっぱい売っていることに感謝しこの大晦日を迎えました。

今年も拙いブログをお読みいただいた皆様には心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
滞りがちなわがブログ、来年の10月にはブログ20周年を迎えられるように元気溌剌とまでいかなくても過ごしたいと願っているこの頃です。
どうぞ良いお年をお迎えください。


今年も咲いたオキザリス・パーシ-カラー(12/15)
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シャコバサボテンと最後のバラ(12/30)
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南米チリのアタカマ砂漠も全く雨が降らず、サボテンが死にかかっているそうで、異常気象はこんなところにもとテレビで見て心が痛みました。
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ユピアポア・コルムナアルバは延々と遠くまで死の墓場のように映っていました。一つだけ咲いていた花は実に美しい。
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コピアポア・デアルバータもそのうち同じ運命をたどると言われる。花がこれまたはかなく美しい。
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その花
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2024年12月23日 (月)

青梅街道2 東高円寺駅~上石神井駅

2回目は東高円寺の駅から12時45分より歩き始める。このためには昼食は11時からでした。
青梅街道は杉並区を通過中はずっと銀杏並木で、練馬区に入ると欅並木に変わる。一体何本の銀杏が植えられているのであろうか。丁度黄葉がきれいで今年は銀杏を満喫することが出来た。
銀杏の下の燈籠は一対あって、中野駅から妙法寺への参詣者の目印に建立されたそうだ。
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その 堀之内妙法寺(日蓮宗本山)は 「厄除祖師」として有名なので寄った。日蓮上人が法難に遭い伊豆に流されたとき、弟子の日朗上人が霊木に祖師の御影を刻んだものがこの寺に伝わったのが「厄除祖師」、11代将軍家斉、12代将軍家慶が立ち寄って休憩したので有名になったという。

仁王門をくぐり、祖師堂へ。文化8年(1811)建立。ここに祖師が安置されている
内部は金箔で覆われていてなかなかに豪華である。
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彫刻は、北斎が参考にしたと言われる波の伊八のものだそうだ。素晴らしい。
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鉄門。極彩色の鳳凰が上に。ジョサイア・コンドル(河鍋暁斎の弟子・イギリス人)が設計し明治11年建立。重要文化財。
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本堂(三軌堂)。日蓮聖人と釈迦如来が安置されている。
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日朝堂の中には日朝上人像が奉安されている。身延山第11世行学院で日蓮宗の代表的教学者。勉学で眼病を患い、回復後眼病の人々を救おうと大願を立てたという
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廿三夜堂。二十三夜塔は見てきたけれど、お堂は初めてだ。毎月23日に開帳される。
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浄行さま(浄行菩薩)、健康の守護神。これも初めて。
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有吉佐和子の碑。
このお寺の近くに住んでいて、境内を通って帰宅することも多かったそうだ。
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街道に戻る途中に日本橋越後屋の三井家の菩提寺・眞盛寺に寄る。
右が本殿(安永5年(1776))、左奥が客殿。客殿と庫裡は明治26年、細川侯爵邸として建てられたものを譲り受けて移築された。
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お地蔵様をはじめいろいろな石像がある。
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竹林もあり紅葉もきれいであった。
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街道に戻り、少し歩くと新高円寺の駅があり、その前の道を入っていくのが五日市街道で数年前に完歩した。
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街道は荻窪駅へ向かっているが、荻窪駅の手前で藤澤ビルの南側の道へとまわりこむと長屋門がある。
この長屋門は名主中田家のものだったが、藤澤家が取得してビルを建てる際に裏側に移築したのだそうだ。
その前には明治天皇荻窪御小休所の石碑がある。明治16年立ち寄られた。
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街道は地下道を通って北西側へ続き、太陽が左手に見えるようになる。少し進むと青梅街道と環八の交差点「四面道」だ。
昔、秋葉神社があり、この境内に高さ2mほどの常夜燈があった。下荻窪村・上荻窪村・天沼村・下井草村の四か村の境にあるから四面道と呼ばれるようになったという説と、常夜燈が四か村を照らすので四面燈と呼ばれ、それがやがて四面道となったという説があるらしい。
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しばらく歩くと荻窪警察署の斜め前に荻窪八幡神社がある。
寛平年間(889~897)の創建。永承6年(1051)に源頼義が奥州征伐の途中で戦勝祈願し、凱旋の時、神恩に感謝して厚く当社を祀ったと言われる。古いお話です。
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祓門からは神門が見える。くぐるとお祓いになるというので通ってみる。本日の大きな目的だ。
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拝殿
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道灌槙。文明9年(1477)太田道灌が石神井城を攻めるにあたって戦勝祈願した際、植樹したもの。
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ベンチで休憩。おやつは荻窪駅ルミネで買った苺大福。お土産はどら焼き。病人は餅が食べられないので、外に出たときの私のおやつは餅系の大福などを買ってもらう。
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続いて井草八幡宮。鳥居も大きいし境内が広い。元は春日社だったが、源頼朝が奥州遠征の際に戦勝祈願に立ち寄って以来八幡宮となった。
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参道も長く「二の的」という表示がある。流鏑馬が5年に一度行われるのだそうだ。隅田川で一度見たきりなので、鎌倉やここのも見てみたい。
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楼門
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頼朝公御手植の松。
奥州平定に成功した頼朝はお礼として雌雄2本の松を植えた。雌株は明治時代に枯死、雄株も昭和47年強風で折れてしまったそうで、現在のは2代目の松だそうだ。
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こちらが倒れてしまった松の根の一部。
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神門を通って拝殿へ。
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北参道を通って街道へ出るが、大きな燈籠があり、屋根は銅板葺で八畳分の広さがあるそうで驚く。
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その先で練馬区に入ると銀杏並木からケヤキ並木に変わった。
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最後に江戸向き地蔵を見る。享保14年(1729)のもの。
3体の地蔵の間に、文政9年(1826)に建立された三山百番供養塔(出羽三山・坂東/秩父/西国の百カ所)がある。
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上石神井駅に向かい、西武線乗り継ぎで地元駅へ。帰宅は5時半だった。約24000歩。

(完)

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2024年12月12日 (木)

青梅街道1追分~中野宿~東高円寺

五街道と姫街道、大山街道、五日市街道などを歩いてきたが今度は青梅街道へ。
往復の電車を除いて日暮れまで3時間なのでちょっとずつ進む。
青梅街道は甲州街道の脇往還として新宿から山梨県酒折まで130㎞。歩くのはそのうち青梅までの40㎞です。

新宿3丁目で降りて、老舗の追分だんごでおやつとお土産を買って、すぐそばのスタート地点(午後1時頃)へ。

スタート地点にある新宿元標。
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ここ追分が甲州街道と青梅街道の分岐点。甲州街道もここからだった。

新宿駅東口の広場に馬水槽がある。
19世紀にイギリスで馬に水を供給するために設置されたもので、明治36年にイギリスから贈られた。ライオンの口から水が出て、上では馬が水を飲み、下は犬猫が飲み、この裏は人間が水を飲んだ。
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東口から西口へつながる地下通路には宿の絵が描かれていた。中野宿から始まり、田無、小川、箱根ヶ崎、青梅宿の順。
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線路横の電車からも垣間見える思い出横丁を右に、左にモード学園やSOMPO美術館などの西口ビル群を見て進むと右側に常圓寺がある。
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日本銀行本店本館、東京駅丸の内庁舎などを手がけた建築家・辰野金吾のお墓があるそうだが、見つからなかった。

ここから見えた上部と途中が雪化粧したような、面白いビルは、東急歌舞伎町タワーだ。エンタメ関係も充実しているようだ。
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お隣にあるお寺が常泉院(浄行菩薩)に寄ってから、なだらかな成子坂を下っていくと少し先に成子天神がある。
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説明版によると、このあたりは江戸時代マクワウリの特産地だったそうで、この地域が鳴子坂(転じて成子)とよばれていたことから鳴子ウリと呼ばれたそうだ。
菅原道真公に縁がある。参道境内には拝殿はじめ七福神や力石などがある。
一番奥に結構高い立派な富士塚があった。頂上には浅間神社あがって、ここからも昔富士山が良く見えたことでしょう。
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道路の反対側には天保年間のものが再建された成子子育て地蔵尊があり、そばに小さなお地蔵さんがあって、右が延宝4年(1676)のものという。ビルの谷間にこのようなものが残されていることに感動。
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淀橋、下は神田川が流れる。
中野長者が財を地中に隠し、手伝った人を殺して橋から神田川に投げ込んだ。長者と橋を渡るときには見えた人が帰るときには見えなくなったことから「姿見ずの橋」と呼ばれるようになった。徳川家光が鷹狩りで通り、不吉でよくないということで京都の淀川に似ているからと「淀橋」と名づけたという。
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中野坂上の交差点から左に折れたところの公園に象小屋跡の説明板がある。
八代将軍吉宗に献上するためベトナムから連れてこられた象(姫街道の象鳴き坂を通った象)は、しばらく浜御殿で飼われていたが、中野村の源助という者に払い下げられ、このあたりに小屋を建てて飼育されていた。寛保2年(1742)に病死。牙の一部が宝仙寺に保存されているそうだ。
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街道の下は地下鉄丸の内線が走っている。中野坂上の駅を通り過ぎて右手にある象の牙を保存する宝仙寺に寄る。牙は見られなかった。
源義家が後三年の役を平定して京へ凱旋の途中、陣中に護持していた不動明王像を安置するため創建したお寺。仁王門、三重塔、本堂と立派な構え。境内には中野町役場跡碑もあった。
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三重塔手前の塚は石臼塚で使われなくなった石臼を供養したもので初めて見る珍しいもの。
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御影堂には弘法大師像が。
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四面に弘法大師が彫られたもの。22×4面だから88体。
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追分だんごで買った豆大福で休憩。
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お寺を出て右折したところにやままさ醤油醸造所のレンガ塀が残っていた。
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街道を少し進んで右手に少し入ると明徳稲荷神社があるがここの辺が中野宿の中心だったそうだ。

鍋屋横丁の交差点の手前に慈眼寺がある。
珍しいパゴダ風の塔がある。住職がタイで修行し、その縁で仏舎利を授かり納めるために建てたそうだ。
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本堂前には邪鬼らしきものが。
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このお寺には大変古い江戸元禄期の庚申塔など石仏群がずらりとある。
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下の部分に道標が刻まれた(写真に納まっていない)をかねた馬頭観音。
「左あふめ(青梅)道  右いぐさ(井草)道」と刻まれている。
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立派なざくろがなっている。
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鍋屋横丁は妙法寺への参道であり、鎌倉街道でもあった。
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北野神社(総本山は京都の北の天満宮)を通り過ぎ、東高円寺の駅を過ぎて、蚕糸の森公園(以前蚕糸試験場があった)を散策した。
柊の花
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スズカケノキと滝
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紅葉がきれいだった
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帰宅は5時すぎ。約17400歩。
途中で電話を入れながらも心配だった家人は無事5時間20分留守番出来てほっとしました。

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2024年12月 5日 (木)

老いとはどんなか?

ホトトギスはまだ咲き続ける
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マルバルコウソウが3本家に現れた。今日咲き終わりました。
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久坂部羊著『人はどう老いるか』ベストセラーと言うことで読みました。

この作者は医者でもあって、よくもこんなにすらすらと状況を書けるものと感心した作家です。
他の本『人はどう死ぬのか』『人はどう悩むのか』でもみんなこんな調子でわかりやすく、超高齢に向かう人の状態を鮮やかに描き出し、どうししたらよいかを問いける。ただただ頷くのでした。というのもこの順に自分が進んできたからです。
最近、『人生これからが~』とか『~歳からが一番充実して楽しい』という系の本が多く出回っています。それが該当するのは前期高齢者で、後期高齢・それも80歳を過ぎたあたりからは下記のようになって行くのです。
高齢者でない方は全然及びでないし関係ないので読む必要はないかと。

これは最初の方の部分ですが、私も途中まで該当するのが多くて共感し、的確にしかも鋭く並べていますので作者・久坂部羊先生へすみませんが・・丸写しします。

<自然な老化現象>
肉体的及び機能的な劣化が進む
・目が見えにくくなり、耳が遠くなり、物忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、指示代名詞ばかり口にするようになり、動きが鈍くなり、力がなくなり、ヨタヨタするようになる。
・他につまずく、コケる、落とす、引っかける、食べたものをこぼす、むせる、丸呑みする。
オシッコのチョロッともれ、頻尿、腹圧性尿失禁、切迫性尿失禁、溢流生尿失禁、混合型尿失禁、大便の失禁も生じます。
・見た目も劣化し、ハゲる、白髪(眉毛、睫毛、鼻毛、腋毛、陰毛も)、シワ、シミ、たるみ、イボ、肝斑、色素沈着、青あざもできやすくなる。
・根気もなくなり、好奇心もなくなり、社会に対する関心もなくまり、好きなこと、おもしろいことへの興味も失せる。

精神面での老化(若い人に嫌われるオンパレード)
・頑固になる、キレやすくなる、辛抱がなくなる、愚痴が増える、小言が増える、心配が増える、不安が増える、疑り深くなる、嫉妬が深くなる、自分を抑えられなくなる、待てなくなる、わがままになる。

更に
関節が痛くなり、あちこち痛くなり、手が震え、脚が震えて歩けなくなり、細かい字も書けなくなり、着替え・入浴・食事・排泄・洗顔・移動が出来なくなり最後は寝たきり。

<様々な病気>が襲いかかる
がん、うつ病、認知症、肺炎、心不全、脳血管障害・・・一般的なもの
パーキンソン病、脊柱管狭窄症、変形性膝関節症、リウマチ、膠原病、肺気腫、肝硬変、狭心症・・・苦しい病気
脊髄小脳変性症やALS(筋萎縮性側索硬化症)・・・難病

最後に
下手に老いて苦しんでいる人、油断している人、浮かれ情報に乗って現実を見ずに明るく気楽で前向きな言葉を信じた人・・
いつまでも元気にこだわるといずれ敗北の憂き目を見る。
老いれば機能が劣化する分、あくせくすることが減る。あくせくしても仕方ないし、それで得られることも大したものでないとわかる。そういう知恵が達観に通じる。


新聞川柳に載っていた。最近訃報をはがきなどで友人が二人逝ったのを知りました。それでこの句がしみじみとながら飛び込んできました。
「ああ死んで
いくんだなあと
分かる年」

 

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2024年11月29日 (金)

山手線一周(最終回)上野駅~東京駅

ほぼ半年ぶりになる山手線歩き、ちょっとした距離ですが午後の数時間を使ってゴールを目指しました。

上野駅
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噴水を通って国立博物館へ向かう。
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ユリノキの黄葉。
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平成館で「はにわ」展を見て、御徒町へ向かう。
アメ横を通るが、途中に河童に似た「賑わいの像」というのがある。
東北・上信越新幹線に東京の次の駅を上野駅にしてくださいと言う台東区民の願いが聞き入れられた記念だそうだ。
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御徒町駅。
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秋葉原の手前で、日本百貨店に寄って、買ってもらったのは「至高のどら焼き」と「栗饅頭」。甘いの大好きなのでありがたやー。餡子中毒の気味ありです。まあ、今迄よく糖尿病にならなかったなあと。
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秋葉原駅
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万世橋を渡る。
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らんぷに汽車。なかなか洒落ている。
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神田駅。
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ゴールを目前にして、丸善のカフェにて、白玉ぜんざいソフトを食べて休憩する。
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遂に東京駅にゴールしました。
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本日は不忍池とか湯島聖堂とかいろいろあったのですが、「はにわ」展を見てしまって、あとは駅名ばかり写真に撮っての駆け込みゴール的になってしまいました。しかも昨年の2月から始まって2年がかりになってしまい、9回もかかりましたが終わってホッとしました。
目黒あたりが一番時間がかかり、面白かったです。
約15000歩。(完)


補足:「はにわ」展の写真

ポスターには踊る埴輪と挂甲の武人の顔の部分と動物が写っている。
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大王の埴輪、2.5mもある大きな円筒形の埴輪。埴輪の原型は壺型だそうで円筒形になり人間型になったようだ。
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子持家型埴輪、中心の家(親)の周りに4つ小さな建物(子)を配している。
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顎髭の長い埴輪、今みたいな剃刀のない時代では髭を伸ばしていた人が多かっただろうと思われるけど、他の埴輪は髭があるようなないような。
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船型埴輪
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国宝 挂甲の武人とその仲間
同じ工房で作成された可能性のある5体の挂甲の武人が集結した。
この一体はアメリカ・シアトルから里帰りしたもの。
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元は赤や白で彩色されていたという。再現されたもの。
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力士、あの時代に力士がいたの!
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導水施設形埴輪。水を引いて聖水の儀礼または遺骸を洗浄した施設と考えられる。
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棺の埴輪
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動物たち、馬、牛、鹿、猪、犬、鳥、魚。
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水鳥埴輪。今でも水辺で見かけるように子供がのっている。
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埴輪と言えば人型や動物だけしか思い浮かばなかったのですが、元祖壺型から始まっていろいろな造形があってまた一つ勉強になりました。

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2024年11月23日 (土)

神代植物公園のバラと菊

16日はバラ祭り最終日の1日前だったのですが、猛暑のせいでまだ咲いていますよと受付での嬉しい言葉を背にバラの大好きな夫を連れて行ってもらいました。気になった花を並べただけですがさっと流して見ていただければ嬉しいです。

入った所は菊展で、初めて見るものがあって奥が深いです!
懸崖など
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菊の盆栽。箱庭もありました。
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サガ菊や伊勢菊のように細い菊、管物と呼ばれる。
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60㎝以下の大輪厚物を1つ仕立てた福助作りとか3つくらい仕立ただるま作りなどがありました。
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江戸菊にはねじれている物が数種あります。
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次はダリアです。
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いよいよバラ園へ。新しい温室が出来てから噴水とバラ園のこの景色もすっかり馴染みました。
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ブルー・バユー
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ブルー・リバー
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チュリッシュ
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芳純 とても良い香り
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クィーン・オブ・神代 開園50周年(平成23年)を記念して、平成21年の金賞受賞花に公募で名前が付けられたもの。
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カリヨンをそばで見ると
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最後は温室へ。いつ来ても何か花が咲いていて楽しみのコーナーです。
アリストロキア・サルバドレンシス。スターウォーズの「ダースベーダー」に似た花。
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アリストロキア・トリカウダク。宇宙人?!
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ランを見てベコニア室へ。豪華絢爛。
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スイレンも種類が多い
熱帯スイレン「ホワイト・コトラーダ」
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ハイビスカスもきれいでいろいろあるが、「ガルラ」が変わっている。
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最後に変なサボテンを見て終わり。「鸞鳳玉」
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屋外で昼食。室内はカヌラをしているため入室出来ないので退院後初めての外食。寒くなると外出もできないし、外食出来たので大喜びでした。いつも忙しい子供たちに感謝です。
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2024年11月10日 (日)

木の実がいっぱいの秋の午後

まだ終わってないのに途中で削除しそこなって保存してしまって、同じ内容のを2本も出してしまいました。コメントいただける場合はどちらでも結構です。matsubaraさまには大変失礼しました。


先日娘に有給休暇をとってもらって、夫の昼食を見守ってもらい、私はを昼食の会食に参加できて楽しい時間を持つことが出来ました。
別の日、夫が昼食と夕食の間、自立出来る日が出来て数時間家を空けることが出来るようになったので、東村山駅から多摩湖(村山貯水池)までの狭山丘陵を歩いてきました。木の実で秋を満喫できました。

きれいな水の北川を渡って東村山市立の北川公園へ。
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ハス畑の向こうにゴイサギがじっと動かない。
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稲刈りも終わって秋の空がきれいな日本らしい美しい景色だ。
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森を歩いていくと木の実に出会う。下宅部遺跡の跡を歩いているときである。
どんぐりで一番丸くて大きいクヌギはここからはじけて落ちるらしい。
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クルミ
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マテバシイの実
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ツバキの実。下に、はじけて中身が出ているのもあった。
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トトロの森6号地
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森を抜けると旧廻田村名家、富田家の宝篋印塔がある。街道歩きでたくさん見たけれども遠い昔のようだ。
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カラスウリの実
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せせらぎの道を行く
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ガマズミがところどころに実をいっぱいつけているのが見える。
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ハナミズキの実や栗の実
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都立狭山公園に入る。トチノキの林が続く。花が咲く頃はきれいでしょう。
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宅部池
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コノテガシワの実、遠目には金平糖のようだ。色が独特。
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一重なのでフユザクラでしょうか
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ダム湖百選の多摩湖(村山貯水池)に到着。ドームが見える。この景色を見た最初は小学校の遠足だったがドーム以外は何も変わってない。
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東村山市のマンホールもこれ
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亡き志村けんのギャグ、だいじょうぶだァ-、だっふんだァーにちなんだお菓子を売る東村山駅前のお店で、今回はだいじょぶだァー最中を買ってもらっておやつの時間として休憩。以前は、だいじょうぶだァ-饅頭、だっふんだァー饅頭、だいじょぶだァーどら焼きを買ってもらって食べた。餡子も求肥も美味しい。
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帰りは東大和駅から多摩湖線で国分寺へまっしぐら。とても素晴らしい散歩道でした。約16000歩。
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木の実がいっぱいの秋の午後

先日娘に有給休暇をとってもらって、夫の昼食を見守ってもらい、私はを昼食の会食に参加できて楽しい時間を持つことが出来ました。
別の日、夫が昼食と夕食の間、自立出来る日が出来て数時間家を空けることが出来るようになったので、東村山駅から多摩湖(村山貯水池)までの狭山丘陵を歩いてきました。木の実で秋を満喫できました。

きれいな水の北川を渡って東村山市立の北川公園へ。
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ハス畑の向こうにゴイサギがじっと動かない。
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稲刈りも終わって秋の空がきれいな日本らしい美しい景色だ。
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森を歩いていくと木の実に出会う。下宅部遺跡の跡を歩いているときである。
どんぐりで一番丸くて大きいクヌギはここからはじけて落ちるらしい。
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クルミ
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マテバシイの実
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ツバキの実。下に、はじけて中身が出ているのもあった。
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トトロの森6号地
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森を抜けると旧廻田村名家、富田家の宝篋印塔がある。街道歩きでたくさん見たけれども遠い昔のようだ。
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カラスウリの実
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せせらぎの道を行く
13_20241110092301

ガマズミがところどころに実をいっぱいつけているのが見える。
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ハナミズキの実や栗の実
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都立狭山公園に入る。トチノキの林が続く。花が咲く頃はきれいでしょう。
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宅部池
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コノテガシワの実、遠目には金平糖のようだ。色が独特。
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一重なのでフユザクラでしょうか
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ダム湖百選の多摩湖(村山貯水池)に到着。ドームが見える。この景色を見た最初は小学校の遠足だったがドーム以外は何も変わってない。
20_20241110092701

東村山市のマンホールもこれ
22_20241110092801

うぶだァ-、だっふんだァーにちなんだお菓子を売る東村山駅前のお店で、今回はだいじょぶだァー最中を買ってもらっておやつの時間として休憩。以前は、だいじょうぶだァ-饅頭、だっふんだァー饅頭、だいじょぶだァーどら焼きを買ってもらって食べた。餡子も求肥も美味しい。

帰りは東大和駅から多摩湖線で国分寺へまっしぐら。とても素晴らしい散歩道でした。約16000歩。

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