2024年7月11日 (木)

熱中症

世の中では熱中症のニュースが連日報じられています。
うっかりミスならまだまし、単なるお馬鹿で私も遂に熱中症になりました。
天井がぐるぐる回るので、気分が悪くて起き上がれず、手足がしびれるという体験もして、
カニューラをしている夫がガスに近づけないので、這って台所に行き、湯を沸かすのと夕食の支度の一部だけ、床に寝ながらして、また畳に寝っ転がって病人を監視していました。
原因はガスをやめてIHクッキングヒーターに替えるため業者に来てもらっとき、業者がブレーカーの半分を落とし、調べたことにありました。冷房を付けていたのにまさかこれで冷房が落ちたとは全然考えもなく、業者が帰った後、昼食の支度をして、いやに暑くなって冷房が効かないなあと思っても、原因に気が付くまで1時間以上経っていました。高齢で暑さに弱い私はあっという間に熱中症になってしまったという、なんとも言うも恥ずかしい話です。


『ミドリムシの仲間がつくる地球環境と健康』竹中裕行著

24億年前からシアノバクテリアが爆発的に繫栄し、「ストロマトライト」を形成し、地球に大量の酸素を供給していった。
それが5億年も続き、遂に海の中に酸化するものがなくなって、大気中に放出されるようになった。
大気中の酸素濃度が上昇すると次第に大気の上の方にオゾン層が形成されるようになった。オゾン層は生命に害を及ぼす太陽の紫外線を遮る役割を果たし、その結果、6億年前頃から酸素呼吸をする生物が現れ、さらに3億6千万年前あたりから陸上にも生命が広がっていったのだそうだ。
今世界で唯一、いろいろな条件がそろって、その「ストロマトライト」が24億年前から唯一、原子の姿で酸素を作り続けているのが、西オーストラリアのシャーク湾にある。
2012年、そこに行って実際に見ることができて酸素だ出来ているのかと長いこと眺めていました。

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今21世紀はマイクロアルジェ(微細藻類)は30万種以上あるといわれる。マクロアルジェ(大型藻類)が昆布、若芽、海苔などである。
マイクロアルジェには、酸素を作り続けたシアノバクテリアやユーグレナ(ミドリムシ)、クロレラなどその他たくさんあって、実にいろいろな働きをしているというのである。
免疫を高めたり、医療品、機能性食品へ。炭酸ガスを処理。肥料や餌飼料。生分解性プラスチックに。化粧品や日焼け止め等などいろいろな方面に利用されている。
クロレラの話は話題になり、クロレラを食べるなんて嫌だなあなんて思っていましたが、これからますますひどくなっていく。もとはといえば炭酸ガスに端を発して地球が壊れていくのを目の当たりにしている毎日、これらの研究によって地球がちょっとでも救われていけばいいのにという感想をもらった本でした。

鬼百合がたくさん咲いて、その右にポツンとバラ2つまた咲いています。ヒメヒオウギズイセンとともにオレンジ色だらけ。
唯一黄色のヒマワリは2.8mで天辺から咲き始めました。蕾が10個位見えるので楽しみです。

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2024年6月30日 (日)

『マザー・テレサ語る』ルシンダ・ヴァーディ編

『マザー・テレサ語る』ルシンダ・ヴァーディ編

マザー・テレサについては以前にも本を読んだことがあって、凄い人だなあとごく普通の感想をもっただけであった。
しかし、その行動の原点は一体信仰だけなのであろうか?そうしたらその信仰こそはこの世で一番凄いのではないだろうか?

そうなのでした。テレサにとってイエスは「私の神」「私の伴侶」「私の命」「私の唯一の愛」「私の抱くすべて」「私のあらゆるもののすべて」
それでイエスとともにイエスのためにイエスに対してしているのです。
テレサの神への、イエスへの信仰は凄まじいものであることを知ることになります。祈ることに始まり、深く信仰し、あらゆる人へ愛を与え、この世のどん底の人々を救って安らぎへと導き奉仕の日々が亡くなる日まで続くのです。
元々、シスターたちの神への愛はアフリカの未開の奥地から南アメリカのジャングルの中、そして世界でも最も貧しい人々のいる例えば
テレサが築いたインド・カルカッタ(コルカタ)の「死を待つ人の家」やその他、ハンセン病、エイズ患者の家など、普通の人が目を背けるような不便な大変な気候の地へ、大変混沌とした不潔な悪臭を放った、病原菌で溢れた地へ赴かせるのに驚いていただけです。
しかしマザー・テレサのもとから巣立った人は、どんなに貧しかったり汚れていたり、臭かったり、気持ちがすさんだ人に会っても驚かなくなるといいます。
神の力の偉大さを知る瞬間です。

しかし私は無神論者で、仏教もキリスト教も信じていません。神さえも。しかしながら困った時の神頼みをするから浅はかな人間です。
自分のことで精いっぱいでいかに現状の体調を維持していくかにかかりっきりと言っても過言ではありません。
いくつになっても悟ることができないのが情けないというか、人さまへのお邪魔虫というか、極端な意志薄弱というか。

時々こんな偉い人がいるんだということを思い出したいです。

 

10日前に我が家のヒマワリが咲きました。第1号。昨年お隣からいただいた種子10個のうち発芽したのは3つでした。
高さは今2m35㎝です。

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2024年6月22日 (土)

根深誠著『求道の越境者・河口慧海』

根深誠著『求道の越境者・河口慧海』

行けなかったチベットへ、昔潜入した10人の日本人は有名でその中でも仏教者が多い。
中でも一番有名な河口慧海の旅行記は多くの日本人に衝撃を与えた。
その河口慧海がネパールからチベットへどの峠から入ったかははっきりしていなかったらしく、著者はネパールのトルボ地方にあしかけ49年間かけて9回出かけて、75歳の時か、2022年に遂にそのルートを突き止めた、蛇足が多いがその記録である。
帰ってからや途中で、ある時は風や下痢に始まり、肝炎にかかり、デボラ出血熱になったり、出かけるたびにその他重病を何度も繰り返しながら行くその執念に男のロマン達成を感じた。今は最初のころと違って、チベットは中国のチベット自治区となり、中国共産党により国境線は警備が厳しく、多くのお金を請求しながら見せてくれないなどいろなところで行われているようであり、嫌な気持ちにさせられる。

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西川一三氏とも交流があり、本の中の一文を添えたりしている。
椎名誠の奥さんの渡辺一枝さんはチベット好きが高じて一人で何度も旅行し数冊のチベット本を上梓してるから、有言実行の女性である。

そろそろチベットも卒業しよう。



もう1週間経ってしまい、しかも1つを食べてしまって撮影の父の日の子供からのプレゼント。病人に食べやすいプリンとゼリーが重なってそれぞれ違う高野の果物が入っていて微妙にマッチしているそうだ。
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2024年6月11日 (火)

『なぜヒトだけが老いるのか』小林武彦著

少し暑くなってまいりました。いつも梅雨のこの季節、まだ今年は1週間後かの見当もつきません。
こんな梅雨の季節に私は生を受け83歳になりました。
いつも娘からもらうお誕生日祝い、とても気に入っているのですが、今年はちょっとした買い物以外は外に出られない、またここしばらく音楽会(ほとんどサントリーホールでした)から遠ざかり、もう行かなくなるであろう私に私の好きなCDをプレゼントしてくれました。ショパンと小澤征爾のベスト101です。これから何回も聴くでしょう。ありがとうです。
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退院して1週間が経ちました。洗面所までも歩くことができ、特別食だけれども食べることもできよく寝てまあまあ落ち着いているので一安心といったところです。いざとなると主治医や介護士などが駆けつけてくださることになっていてよけいです。慌てふためくのは私だけでしょう。酸素を一日中吸っているのでガスに近づけないように、買い物時は元栓を切って用心します。

夫が初めて言い出したことですが、「こんな状態になって生きている意味がない。もう家から1歩も外にも出られないし。家族の皆にも申し訳ない」と申すのです。
いや、そんなことないよ。折角2つの病院で医療を駆使して、いろいろな人たちに助けられて命を救っていただけたのだから、ありがたく思って命ある限り、テレビ、読書、子供の来訪など楽しみにして最後まで仲良く楽しんで行きましょう・・と励ましたのでした。

 

 

『なぜヒトだけが老いるのか』小林武彦著
鮭が卵を産んでその時に死んでしまう有名な話、何故といつも思っていました。
老後期間があるのはシャチとゴンドウクジラと人間だけなのです。あとの動物は食われてしまうか、最期までピンピンコロリなのだそうです。
いつも理解しないで読みっぱなしの癖がついて、この表題の答えを必死に探しました。
どうやら人間は・・・
社会の中で進化してその集団の維持のため様々な機能を獲得しました。中でもヒトを人たらしめたのは、人と人との共感力であり、さらに他者を思いやる利他的で公共的な精神でした。それらの性質のおかげでヒトが老いることを許され、長い寿命を手に入れることができたのです。
なぜヒトだけが老いるのか。それは死を意識し公共を意識するためです。死は何のためにあるのか。それは進化のためです。進化は何のためにあるのか。それは私たちを含めた地球上の全ての生物の存在理由なのです。・・・

シニアの知識人はどんどん公共のために吐き出すべきでしょう。世の中にこんな面白いことがある、これは将来すごく役に立つなどの有益情報をすべて吐き出して「ゼロ」になれたら素晴らしい。

死があったからこそ生物は進化し、私たちは存在してこられたのですから。可愛い後輩たちのための最後のご奉公と思えば、老いることも死ぬことも、少しは楽に感じられるようになるかもしれません。

 

 

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2024年6月 2日 (日)

退院

夫の退院が明日になりました。3月2日から6月3日でほぼ3か月の入院でした。
肺の炎症が治った状態になり、胸に溜まっていた水も救急病院で全部抜いていただき、その他の当座発症していた部分の治療を全部終えて、療養型病院に転院しました。
リハビリに励んだおかげで、病人食(高血圧・心臓病食・嚥下調整食)が食べられるようになって、ちょっとトイレまで歩けるようになりましたので、お陰様で退院の運びとなりました。
ただ肺の機能は右肺が何もなく、左だけで我々の10%だそうでずっと酸素を吸い続けます。
家でも月の半分は訪問診療や訪問介護を受けて、その他の日は自分でリハビリです。
もちろん医療の進歩にも目を瞠りますが、リハビリの効力も大したものと驚いた次第です。
さあ、明日から介護の日々で大変忙しくなりそうです。
パソコンを開ける時間がなさそうな日々はちょっと寂しいけれど、自分が共倒れにならないようにしたいものです。
昔から実は怠け者でありいい加減なのは得意なのですが、一人の命がかかっているのでそこは注意していきたいと思います。
最初は泣いてばかりいましたが、その後2か月は汚い家中の整理整頓と掃除と洗濯に励んで気を紛らわし、まさかの帰宅に備えていました。
娘たちが買ってくれた電動ベッドのお出まし。試しに斜めに上げてテレビを見てみたら心地良く昼寝をしてしまいテレビの半分は見逃すという事態に。

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一重のクチナシは毎年たくさん実を付けます。

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2024年6月 1日 (土)

山手線一周8田端駅~上野駅

久しぶりに歩きました。
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田端駅の近くに田端文士村記念館があったが休館だった。
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今は何も残ってない所に説明板があって、昔を偲ぶよすがもないほどだ。しかし随分たくさんの文士が田端に住んでいたものだ。
芥川龍之介旧居跡。
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寿命院の赤紙仁王尊。
赤紙を自分の患部と同じ箇所に貼って病気身代わりと心身安穏を願うようになった。
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満願のあかつきにはお礼として草履を奉納する。
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お寺のご本尊は不動明王だった。
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ピンクのちょっと混じった白いシモツケを見るのは初めて。
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小杉放庵の旧居地跡の周りにも色々な文士が住んでいた。
村山槐多、田河水泡、小林秀雄、直木三十五、竹下夢二、岡倉天心、萩原朔太郎など。
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陶芸家・板谷波山やサトウハチローの旧居跡を通り西日暮里駅へ。
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西日暮里公園は、飛鳥山の続きの道灌山で、江戸から明治にかけて虫聴きの名所だったそうだ。
一角には青雲寺があって加賀前田家の12代当主から4代にわたっての墓地があったが、今は金沢に移ったとのこと。
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江戸六地蔵は全部座っていたが、ここ浄光寺(雪景色が美しかったので雪見寺と呼ばれる)には、江戸東部の六ケ所の六地蔵の3番目の地蔵がある。こちらは立っている地蔵だ。
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古い庚申塔もたくさんあった。
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昼食はスイスの家を模したスイス・ミニ・カフェで生ハムとチーズの硬いパンのサンドイッチ。美味しかった。お庭は全部ハーブで埋め尽くされていた。
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夕焼けだんだんではいつも夕方でなく、今回は生きている猫にも出会えなかった。
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ここから近い朝倉彫塑館へ。
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高村光太郎や北村西望、イサム・ノグチ、平櫛田中、外尾悦郎、岡本太郎、佐藤忠良などなど実にたくさんの彫刻家がいる中で、朝倉文夫の作品は大好きです。特に人物の描写が皴1本に至るまで見入ります。
アトリエ、書斎、池のある庭、凝った和室の数々、観葉植物、屋上庭園(この日は雨で×)など、どこ見ても一点の隙もなく、庭は名勝指定を受けるほどです。
猫好きだったそうです。
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すぐそばに大黒天経王寺がある。日蓮上人作の大黒天が祀られる。
門をこちらから見て右手左側の中央の穴は、1868年の上野戦争時に彰義隊をかくまったための新政府軍からの銃弾の跡である。
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日暮里駅、乗換はするけれど外観は初めてだ。他の駅と感じが全然違う!
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ここから谷中墓地を回る。
まず牧野富太郎博士の墓。
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幸田露伴の小説『五重塔』のモデルで昭和32年に焼けてしまった跡。
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佐々木信綱の墓。東海道でも実家を見た。
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横山大観の墓は敷地が広い。
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鳩山一郎の墓を過ぎ、奥まったところに徳川慶喜の墓があった。柵で囲まれて入れない。
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渋沢家の墓も大きい。一番左が栄一の墓。
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最後にニコライ堂のニコライの墓。
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鶯谷駅、15時頃。
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寛永寺に入る。残念ながら正面は工事中。
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その他寺内を巡るとカシワバアジサイがたくさん満開を迎えていた。
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徳川綱吉霊廟勅額門。もう一つ隣にあったけれど似て言てこちらも立派であった。
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寛永寺を見てから最後に黒田記念館に入る。
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作品は『ブレハの海岸』
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上野駅に16時に到着。駅の撮影を忘れる。地元に帰ってスパークリングワインで乾杯。東京駅にはあと1回で到着なのですがいつになることやら。
約25500歩で前回と同じでした。

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2024年5月20日 (月)

博士ちゃん

家の中にいると外はかなり暑いと放送されていても、涼しい5月で久しぶりに春らしい春を庭を眺めるだけで満喫しました。

「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」をこのところ数回見て、楽しんでいます。
芦田愛菜さんって大学生になっても、なんて感じの良い品のある可愛い人でしょう。
極めつけは「博士ちゃん」たちです。
う~ん、男の子がやはり多いですね。ある一つのことにここまでのめりこむか!それに関して本当に博士です。
毎回どの子にも感心しっぱなし。なんでも君たちはやってしまうのね。その情熱はすごすぎです!将来も楽しみ。きっと一生変わらなく過ごすのでしょう。
どんな職業に就くのかも楽しみ。
大人版が山田五郎氏みたいな人。お金を稼ぐために趣味と一致し大成した人はたくさんいるでしょう。

帝国ホテル系のホテルグランドアーク半蔵門にて同窓会がありました。コロナで5年遅れて55周年。私より10歳年下です。
250人卒業したうち49人出席。幹事さんは二人でさぞ大変だったことでしょう。私が受け持ったクラスの子も11人出席で、卒業以来というお顔も数人、懐かしくて、生きて出席できて良かった。担任お二人は亡くなり、お一人行方不明。あの頃は50人で、それが当たり前で大変とは思わなかったから元気でした。49人の生きざまを聞いて時々びっくりしたり笑ったり。子供がいないので60歳からご主人と社交ダンスしているとか、ご主人が毎日同じことばかり聞いてくるので1週間同じ返事していたけど、医者に診てもらい行こうと言ったらご主人が切れちゃったとか、介護を20年間続けたとか。90歳から100歳までまだ親が元気、あるいは介護状態がいるとかで、本当に長生きの時代になったことを痛感しました。まだ仕事を続けている人、助産師さんを続けている人などいろいろ。出席できなかった人はそれぞれに、いつも出席したくないとか、いろいろな不幸を抱えているとかなどの理由が想像でき、ここで元気におしゃべりしている人は乗り切った人もいるわけで幸せな人たち!

私自身の同窓会やクラス会は小中高大ともう殆どなくなって、こうして人と会えなくなっていくわけ。90過ぎたある方はもうお友達が誰もいないのという人もいました。

5月3日にパソコンが新しくなりました。クィックアシストというのも入れてもらって、困ったとき来てもらわなくて遠隔操作で教えてもらったり直してもらったりで婿さんに感謝です。しかし立ち上がりの早いことにびっくり。前は一仕事して戻ってきたけど、今回は電源を入れたらもうすぐできるのです。パソコンも今回が最後かな。山中湖、花の都公園のチューリップ越しの富士山を。富士山好きなのでいつも富士山を。
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昨年頂いた、東日本大震災で1本だけ生き残ったヒマワリの種の子孫を10個蒔いたら3本、50㎝になりました。
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2024年5月 9日 (木)

最近の読書

癌でベッドに伏して亡くなっていった家族や親戚、登山や会食をともにしたこともあって亡くなった方もここ数人いて、その時のつらい気持ちをちゃんと汲み取っていなかった。本で読んだりしても自分自身のことでないので、これはほかの病気でもいえることでしょう。

山本文緒『無人島のふたり』120日以上生きなくちゃ日記
坂本龍一『ぼくはあと何回満月を見るだろう』

文面の奥に隠れているその心情を汲み取れないけれども私なりに推測して、なんて切なく悲しいことだろうという感想のみでした。しかし仕事のある人はまた違った面があるのは事実です。

そこで思い出したのが、大学も同じで、かつての同僚が70の半ばにして癌で亡くなりました。後で冊子で知ったのですがお子さん二人も驚くほどの、母親のあまりに素晴らしい最後の方の所作と言葉、最期だったとのことで、想像ができないのですが、付き合っていたころの彼女からも想像もできませんでした。

与那原恵著『赤星鉄馬 消えた富豪』
武器商人の父の遺産で日本初の学術財団「啓明会」を設立した人。(親戚に有名人が多いが白洲正子がいる)。日本ゴルフの草創期を牽引。芦ノ湖にブラックマスを移入(今困っている)。吉田茂、樺山愛輔、岩崎小弥太と深い親交があった。何も書き残さず、静かに表舞台から消え去った・・・と紹介されている。しかし維新前後から続く薩摩はすごいの一言。

今、小さな段ボール1個分くらいしかないわが蔵書の2度読みをしています。図書館から遠のいて。まだ残しておきたいのだけにしたいと。
それもそろそろ片付いて、週刊朝日百科でいろいろ買っていた中の『世界の歴史』130冊プラス『旅の世界史』10冊を読み始めました。
根気のいる読書ですがまあ頭の体操、勉強になるのですが、一体いつ読み終わるか?
『世界の美術』も140冊でこれはもう好きな画家しか読めないか全く手つかずになるでしょう。
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書店、図書館詣でも時々しなくては。
富岡鉄舟は生きているうちにすべての地域に行き、すべての本を読むべしと精進したという。名前の通り鉄人ですね。

ジャーマンアイリス(そろそろ終わり)と月見草(昨晩は6つ咲いた)。
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近くにオオデマリとコデマリがそろって咲いていた。
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アヤメの咲いている家は珍しい。
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2024年5月 4日 (土)

熱しやすく冷めやすい

私はつくづく熱しやすく冷めやすい人間と言うことを思い知りました。最近は熱するということもなくなって・・
子供の頃から習ったことや自分でやったことや趣味を、思い出してみました。
思いつくままに羅列してみると

旅行、読書、絵画鑑賞、雑学教室、早稲田エクステンションセンターや朝日カルチャーセンターでいくつかの講座受講。
書道、華道、茶道、
編み物、洋裁、レース編み、ビーズ刺繍、フランス刺繍、日本刺繡、ペーパーフラワー、絞り染め、七宝焼き、レザークラフト、コパークラフト、木目込み人形、鎌倉彫、パッチワーク、
ガーデニング、太極拳、コーラス、麻雀、
登山、ハイキング、植物観察会、街道歩き、

仕事の合間と退職後にまあ、随分お金も使い時間も使っていることに今更ながらあきれます。そして一つとして大成してないことにも。作品はほとんど捨てて少し残っているだけです。
もう出来なくなって残念なのが、登山で植物を見るのと海外旅行。まだ力を入れたいこともあるけれどももう捨てるだけなのと、体力がなくなったのでやめています。
ただ本は読めて、もうちょっと歩けるかもしれません。

道端にヒルガオが咲きだしました。
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2024年4月27日 (土)

中山道(最終回)北浦和~浦和宿~蕨宿~板橋宿~日本橋

夫が小康状態の時、是非踏破しなさいと逆に励まされて、34回目で最後になる中山道を歩いてきました。これで五街道を制覇することが出来ました。
京都から約534㎞、しかし東海道と重なるので途中草津から日本橋まででしたが距離もあり、色々な不都合が重なって、本来ならばもうとっくにゴールしていました。何しろ歩き始めは2019年6月6日でしたから約5年間かかったわけです。しかし5街道の中では山や峠あり、木曽などの川や遠くのアルプスの山々を眺め、森林や林の中を通り抜け、畑を花や垣根を愛で、あるいは色々な歴史に触れて神社仏閣にもお詣りして、昔歩いた人々の苦労に思いを馳せた歩きでした。

前回到着した北浦和駅から6時半に歩き始めた。
駅前に浦和レッズのレディア君がいて撫でる。
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成就院の頭痛除観世音や六面地蔵を見ているうちに
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浦和宿に入ったようです。
●浦和宿(3番目)本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠15軒。

浦和宿二・七市場跡の立て札と鳥居が見える慈恵稲荷神社の所にやってきた。
二と七の付く日、月に6回市が開かれ大変賑わったそうだ。
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リアルな石像、話かけられているみたい。
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浦和宿本陣跡、隣には明治天皇行在所趾。
代々星野家が勤め、加賀前田家の宿泊所であり、皇女和宮も昼食をとった。
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舗装路にいろいろ埋め込まれていた。
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縣社延喜式内調神社。
初穂米をここの倉庫に搬入する妨げになるため、鳥居と門が取り払われたとのこと。
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狛兎で中にも兎の石像が多い。
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兎が関係するのか、秩父の兎田ワイナリーから奉納されている。
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お助け井戸・・元関屋(材木商後米穀商)が関東大震災や東京大空襲で逃げてきた人々の喉を潤してあげた井戸。
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焼米坂という妙な名前の坂に出会い、辻一里塚跡碑を過ぎて蕨宿へ。


●蕨宿(2番目)本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠23軒。
この宿はとても力を入れている!

京都側の木戸口。
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蕨市のマンホール。蕨市の花・サツキをふんだんにあしらっている。
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昔の行列の様子が絵で再現されている。
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歩道の両側には中山道59次の渓斎英泉および歌川広重により描かれた浮世絵木版画のタイルが続く。
大津から日本橋まで70枚。
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蕨もあるけど、所々に特製が。
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本陣跡も立派に復元されていた。
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屋根は新しいが時々古い家がある。
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蕨宿の江戸方、ここで終わる。
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戸田市に入りマンホールを。レガッタと上に市の木モクセイ、下に市の花サクラソウをデザインした。
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競艇場は見えないが菖蒲川を通る。
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東京都の板橋に入る。目の前に坂が。日本橋を出発して江戸を出ようとする最初の難所の坂が清水坂だったそうだ。この後のいろいろな峠を歩いてきた身にはどうっていうことのない坂だった。

志村一里塚 中山道の3番目の一里塚で、都内でもあり、2基一対現存するのは全国的にも貴重。山の中でも随分見てきてはいるが整備され立派である。国の史跡に指定。
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南蔵院 吉宗公が鷹狩りの際の御膳所だった。
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●板橋宿(1番目)本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠54軒。平尾宿、仲宿、上宿からなる。旅人は板橋宿から出発する人が多かったので賑わったそうだ。

縁切榎がある。昔は男女の悪縁を切りたい、断酒を願って訪れたが、今は難病との縁切りや良縁を結ぶなどの信仰に変わったようだ。この日も4,5人の女性が何かを買って祈っていた。
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板橋の地名の由来になった板橋は木の太鼓橋だったとか。
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文殊院には文殊菩薩でなく立派な閻魔様が。
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板橋宿本陣跡。
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昼食は板五米店の古民家の飲食店で。
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脇本陣跡
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埼京線板橋駅の所にある、近藤勇と新選組隊士供養塔。
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板橋宿の商店街を抜け、次は巣鴨商店街に入ったが前回の山手線歩きで、高岩寺のとげぬき地蔵や真性寺の江戸六地蔵尊は見ているのでパスし、ひたすら日本橋に向けて歩く。

猿田彦大神庚申堂。
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西巣鴨、滝野川辺りは「種屋通り」と呼ばれ、種子屋が多く軒を連ね、日本の農業を支えてきたとか。

途中大円寺には八百屋お七に関するほうろく地蔵があった。火事の際、地蔵はこのほうろくを頭にかぶって焦熱の苦しみを受けたとか。
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すぐ近くに八百屋お七の墓があった。
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長い長い東大に隣接する歩道を赤門前まで歩くと、そのあとすぐ神田明神があった。湯島の聖堂なども以前見たので省略して。
境内の隅の2度目に会う「あかりちゃん」に会ってから日本橋に16時46分に到着しました。
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一日で歩こうと思い立ったので寄り道は少かったですが、約54500歩でした。

長い長い五街道歩きを読んでいただきありがとうございました。
  
 (完) 追記:もうすぐパソコンが壊れそうです。スマホを使いこなしていないので不便です。

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