青梅街道7 東青梅~青梅宿 (私の最後のブログです)
2/27青梅街道歩きの最後の目的地青梅に到着。お寺の多い今日の街道歩きでした。
東青梅駅から街道に出た1時50分過ぎ「ぶらり青梅宿」の幟がぶら下がっていた。ここから青梅宿に入ったようだ。
踏切を挟んである乗願寺や勝沼神社を過ぎると源平咲きの梅の花が咲いていた。
次は宗建寺へ。
ここには裏宿七兵衛の墓がある。
裏宿 七兵衛(うらじゅく しちべえ)とは、江戸時代中期の青梅裏宿出身の義賊で本業は農民。
Wikipediaに寄ると、まれにみる俊足で、遠方の悪徳商人宅などに盗みに出向き、一夜のうちに甲斐、秩父、相模を引き返しては、盗んだ金品を貧者の軒先に恵み、素知らぬ顔で日中は畑仕事をしたとの伝承があるが、実在であることがわかった。
元文4年に盗賊一味の頭として捕らわれて打ち首、獄門の刑に処された。暴風雨により近隣に位置する宗建寺に首が流れ着き、不憫に思った住職が手厚く葬ったと伝わる。
中里介山の長編小説『大菩薩峠』に描かれたことで、広く知られるようになった。
親蛙の背中に5匹の子蛙が乗る、むかえる(六蛙)がユーモラスだ。
若返る、栄える、蘇る、福に変える、無事帰る、良く考えるの「かえる」だそうだ。
毘沙門天
小さな三重の塔
石像群、石の状態で江戸時代後半らしいことが見てとれる。
住吉神社 階段が70数段あった。
門番的な「恵比須猫」と「大黒天猫」
江戸時代に建立され、本殿、幣殿、拝殿が一体として残った貴重な建物で彫刻も素晴らしい。
青梅宿アートフェスティバルの石猫(石に猫を描く)の作品が階段でない方の坂道に飾られていた。
街道に降りると昔駅の構内にあった映画ポスター、猫・変形判がたくさん貼られていた。
カラー版・消防のマンホール
常保禅寺の倶利伽羅龍王(不動明王の化身が剣に巻き付き剣を飲み込もうとしている)
開運招き猫地蔵 随分いろいろな猫を見た。
旧稲葉家住宅のお雛様には静岡、愛知県などで見た御殿雛があった
金剛寺
表門はお寺で唯一天保の火災を免れた門。
梅 平将門伝説の古木。季節が過ぎても黄熟せず落実まで青く「青梅」と付けられ青梅市の名の由来となったそうだ。
裏宿町の七兵衛公園にある裏宿七兵衛供養塔
ここでおやつにどら焼きを食べる。
青梅宿はこのあたりで終わり、すぐそこは次の宮の平駅、更に日向和田駅、石神前駅まで歩き、その手前の「へそまん惣本舗」でへそ饅頭をお土産に買ってもらって本日の歩きを終わりました。
へそに見えます。
地元駅には5時半頃到着。約19600歩。
奥多摩駅までいつかは行けると思いますが青梅街道歩きは一応ここで終わります。
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私の拙ブログを読んで頂いた皆様、コメントをずっと書いてくださった皆様、今回を以ってブログをお仕舞にいたします。
20年が目標でしたが、19年と4か月でした。下旬よりのっぴきならぬ事情が生じまして続けることが出来なくなりました。
本当に長い間ありがとうございました。お陰様でたくさんのことを教えていただき、刺激をいただき人生最後にこんな楽しいことに付き合っていただき感謝の言葉しかありません。
唯、時々皆様のところには訪問させてくださいませ。また過去の一部を少し見るために暫くこのままにさせていただきます。tona
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