2018年12月 9日 (日)

高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

木枯らしも吹かなかった暖かだった11月、12月になってもまだエンジェルストランペットが咲いていましたが今日枯れました。
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tona自虐本・・・高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

打撲した時にすぐ骨密度を計測され、血液検査のための血を抜き取られた結果、転落4日後にはもう骨粗鬆として薬を飲むことになりました。
11日間飲んだとき、書いてある副作用の中で、食欲不振、下痢の症状が突然現れ、即、勝手に薬をやめても1週間以上続き、おかゆとスープと栄養補給剤で安静に過ごしていました。
静かに歩けるようになって自虐本として買ってきたのが『辺境メシ』。
何しろテレビで美味しそうな食べ物を見ても顔を背け、無理に口の中に押し込んでいた状態だったのに、もっと凄い食べ物を見て、普通の食べ物が美味しく見えるか、いえいえ自分を虐めちゃえという心境。

いやはや高野さん、どこの国の”うえっ”というような食物、飲み物も全部一人だけでも試してしまうのですから、もう驚きを越えて同じ人間かと呆れてしまうほどでした。
小さい頃胃腸が弱かったという著者が、なぜ辺境ばかりに行って変な食べ物を口にして美味しくて満足したり、まずくても味わったことを喜んだりしているのか、本当に変わった人だと思います。
以下、今まで聞いたことのある食べ物や驚いた食べ物
<アフリカ>
ゴリラ・チンパンジーの肉や猿の脳みそ。蟻。ラクダの肉、ラクダ乳丼。デーツは過酷な砂漠マラソンの必需品。

<南アジア>
羊の脳みそと睾丸。水牛の生肉、皮、脊髄リンパ液、頭全部、髄液胃袋包みカリカリ揚げ。

<東南アジア>
巨大蜘蛛の唐揚げ。虫の缶詰(モグラコオロギ、ゲンゴロウ、蚕のさなぎ、バッタ、赤アリの卵)。大ナマズのトムヤム。
虫のサンドイッチや虫のピザ。田んぼフーズ(蛙、おたまじゃくし、ムカデとイモムシを掛け合わせたようなガムライケーン、その他ゲンゴロウなど)の水煮。
ネーム(豚の生肉発酵)・・これは最高に美味しいそうだ。

<日本>
猛毒フグの卵巣の糠漬け。ツチクジラ。猫を狂わす「ちゅーる」。ワニ(鮫)のバーガー・ソーセージ・サブレ。

<東南アジア>
ホンオ(韓国のエイの発酵食品)は世界で2番目に臭く恐ろし事になる食べ物。ちなみに1番はスウェーデンの「シュールストレミング」・・食べた後で失神したり入院したりする人が大勢いるとか。
虫と言えば、バッタ、タランチュラ、セミの幼虫までは聞いたことがあるが、巨大ムカデとサソリを作者は間違って生で食べた、きゃー。唐揚げにしたら美味しかったそうだ。
豚の生血の和え物。山羊の胃の中のものスープ。中国最凶の料理・胎盤餃子。

<中東・ヨーロッパ>
イランのチョウザメ肉。上記のシュールストレミング。臭さを形容した言葉が数々あるけど、それはそれは凄い。トルコの2.5cm四方の皮に包む極小餃子。

<南米>
ペルーの蛙丸ごとジュース。ヒキガエルジュース。アマゾン蛇のスープ。アンデスの巨大ネズミ串焼き。ペルー・アマゾンの口噛み酒(普通の醸造より美味しかったそうな)。
幻覚剤ヤヘイで1時間なのに千年間も旅をしてしまった幻覚剤を試す。

著者はヘンな食べ物探索がライフワークなのだそうであり、今や消えようとしている世界の伝統食品を消える前に早く食べに行かねばとおっしゃる。

読んでいるうちに時が経って私の副作用が消えたのでありますが、もう写真と文章で想像するだけで何一つ食べたいと思わない。以前にも書いたように唯一の私の食の冒険がイモムシの焼いたのであります。

そんな折も折、山友だち(80代の男性)が春から痩せた(伝聞)そうで、すい臓がんと言うことを本人から電話で知りました。入院せず、今は病院に腹水を抜きに通っていて殆ど食べられないとのこと。でも癌の治療は一切しないと言っています。さすが山男、凄いのですが、物を食べられないという憂き目、辛い日々ですね。tonaさんは無理にでも飲んだり食べられるだけいいよと言われました。全くその通りです。

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2018年12月 4日 (火)

モロッコ周遊(最終回)

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●7日目11/2(金)シャウエン観光~首都ラバト~カサブランカ(リックス・カフェで夕食)

◎シャウエン

青・青・青のシャウエン。
何故この街が青く塗られたのか?
諸説あるようです。
・街の人々は青が好きだから
・元々、スペインに住んでいたユダヤ教徒が、キリスト教徒にどんどんと追われる形で、この山並みのシャウエンへと住み移り、やがてユダヤ教で“天空・神・心の平静・海”などを象徴する神聖な色である青の色を、家の外壁に塗り始めたのが、その理由だとされている。…するとユダヤ人が住む町はすべて青くなるはず。
・青はイスラムの神聖な色だから。・・・ではなぜシャウエンだけに。
・元々この辺の石灰石は青みがかっている
・虫よけのため
・夏の暑さを涼しげな青色で紛らわせるため

シャウエンは1471年にアラビア人が建設し、ポルトガル、スペイン軍を阻止する拠点だった。イぺリア半島から移住してきたイスラム教徒やユダヤ教徒が定住し、街は拡大した。1920年にスペイン領,1956年にモロッコに返還された。

早朝にアザーンの声が下の街の方から聞えてきた。今日は天気も良くホテルの室内から街を又眺めてみる。
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   昨夕より青く見え、ズームして見ると屋根の色はまちまちということがわかる。722_450x300_2
ホテルから徒歩で下の街まで家々を見ながらゆっくり写真も撮りながら昨晩のメディナの中心ハマーン広場まで下っていくと、建築様式はスペインの影響も見られるが、建物の外部に庭を作らないというイスラムの特徴がわかり、しかしながらイスラム風のタイルが散りばめられた玄関や壁にフラワーポットが見られるなど、青の中にいろいろなアクセントとなっていることが、まず日本では考えられない風景となっている。
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シャャウエンなどモロッコは猫が街の中でも可愛がられているようである。最後の猫は我等がガイド助手さんが猫の餌を買って与えている所。ここの猫は岩合さんの映像にもあったような。
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                 ハマーン広場に到着
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               お土産を買ったお店のおじさんがポーズ
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                     青く塗られた墓地
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◎ラバトへ
ラバトは一度12世紀中頃ムスヒド朝が首都にしたが、その後フェズへ、1912年にフランス統治下でモロッコの首都となる。

          さすが一国の首都、道路も建物も立派になってくる。
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  海辺のレストランで食事。 主菜のシーフードミックスフライが美味しかった。
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         ところ変わればお墓も変わる。形の面白い墓石がびっしり。
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モハメド5世廟 1956年モロッコの独立を宣言し、追放先のマダガスカルから帰国したモハメド5世の廟。その息子2人もここに眠る。
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          お母さんはだめだが子供の写真は撮らせてもらえる
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                  衛兵は白馬に跨る
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◎カサブランカに戻ってくる。(1泊して8日目空港より出発、アブダビ経由で成田に9日目の昼過ぎに到着)

リックスカフェにて夕食。映画のセットを模してこの地に建てられた。
映画『カサブランカ』『モロッコ』を借りてきてもらったので見た。『カサブランカ』もモノクロだがイングリッド・バーグマンの美しいこと!うっとり。
『モロッコ』のマレーネ・ディートリッヒのあやしげな美しさを久しぶりに拝見。サハラ砂漠がちょっぴり見えただけだった。昔の映画で気になるのが煙草をやたらふかすことかしら。
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今回は洗濯を一切しないように準備して行ったこと、お茶も部屋で沸かさないで、店で暖かい紅茶をいつも飲んだこと、6泊のホテルのうち湯船に浸かったのは2日だけ。お風呂に入らなくても死なないねと言って睡眠時間確保に充てたことと、移動距離が長く居眠り多し。というわけで朝早いことも多くても、自分ではハードと思わなかったけれども、疲れは帰ってから出るものと身に沁みました。もう2度とこういう国やハードなスケジュールの旅行に行かないように釘を刺されました。勿論もう懲り懲りです。

イスラムの国と言えばトルコに2度ほど行きましたが、イスタンブールのバザールとモスクでちょっぴり味わっただけ。アルハンブラ宮殿の思い出は遠くなってます。エジプトはさらに昔に行ったので遺跡に気を取られ、イスラム教の「イ」の字も頭にありませんでした。しかし今回はイスラム教が誕生してすぐアフリカ北部モロッコまですぐ進出しベルベル人が追いやられ(しかし彼らは共存し、しっかり定着して生きている)、その倍のアラビヤ人によって国が統治されていったことを知り、対岸のスぺイン、ポルトガル、フランス等との確執などおぼろげながら知るにとどまりましたが、日本にはない自然を楽しんできました。

今日で帰国してちょうど1ヶ月です。長い間読んでいただきありがとうございました。

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2018年11月30日 (金)

モロッコ周遊(5)

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●6日目11/1(木)フェズ観光~青の街・シャウエンへ

◎フェズの迷路
マラケシュの時と同様に雨です。
フェズは世界一の複雑な構造の迷路と言われている。モロッコ初のアラブ系王朝イドリス朝(9世紀)及び学問、文化の中心として栄えたマリーン朝(13~14世紀)の王都であった。
現在はモロッコ第4の都市で人口約120万人で文化・手工業の中心。

                         マリーン朝のスルタンが建設した14世紀の居城
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               街の南の要塞からのフェズ。隙間ない迷路の様子がわかる。
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                                いろいろな植物が植えられている
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いよいよメディナ散策。ガイドさんとアシスタントさんに挟まれて迷子にならないように必死に後に付いていく。
青の門・ブー・ジェルード門から入る。14のうちのフェズ最大の門。外側の青はフェズのシンボルの色。2つの塔が見えている。
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                                  内側はイスラムの聖なる色の緑
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                                                 肉屋
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                                                   猫が多い
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ブ・イナニア・マドラサでフェズ最大の神学校(1350~1912年)だったが、現在は博物館。
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タンネリ 皮なめしと染色工房見学 入り口でミントを渡される。ずっと鼻にしていないと強烈な臭いで気分が悪くなってくる。テレビでも数回見たけれど、こんな所で働いている人がこんなだったとは。テレビからは臭いが伝わってこなかったので驚く。牛、羊、山羊、ラクダの皮を天然染料で染色している。赤はケシ、オレンジはヘンナ、黄色はサフラン、緑はミント、青はインディゴだそうだ。
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                ムーレイ・イドリス廟 808年に王都を築いたモロッコ王の聖地
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◎シャウエンヘ 夜のシャウエン散策

シャウエンが見えてきた。この段階ではそんなに青く見えません。写真中央山裾の白い建物がホテル。
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                                               ホテルからの街
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ホテルの夕食では添乗員さん(男性)が厨房でソーメンを茹でてふるまってくださいました。今晩の主食になり美味しかったこと!日本からはるばる20人分のソーメンを持ち歩いて重かったことでしょう。やっと軽くなりましたね。その他味は薄いために各種ドレッシング、醤油と、毎日バスで日本のお菓子を、時には3種類も配ってくださり、即いただきました。
何時も写真は自分のは殆どなしですが、今回はラクダに乗った写真などたくさん撮ってくださったり、気配りが行き届き、何も抜けてないという今までの男性添乗員の中で3大添乗員の一人です。

食後20:30から21:50まで夜のシャウエンの街を散策した。 青い色はやはり明日行く午前中が一番きれいであった。
バスでメディナの中心のハマーン広場へのグランモスク(ベン・ラシッドが1471年に建設)の付近を散策する。
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                                            夜のシャウエン
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             帰ってホテルの部屋から再び街を見る
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2018年11月27日 (火)

モロッコ周遊(4)

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●5日目10/31(水)サハラ砂漠の朝日見学とベルベル人テント訪問~雪のモワイアン・アトラス山脈を越えフェズへ、

◎5:20起床で6:00に4WD10分、ラクダステーションに向かう。ラクダさんたち、こんなに朝早くからご苦労様ね。

4~5頭繋がれたヒトコブラクダに乗ります。サハラの日の出鑑賞ポイントまで約30分揺られる。(行きはよいよい、帰りは・・先頭と交代したラクダの瘤の位置が悪いらしく痛くなって下りたくなってしまったが必死にしがみついていた)。それにしても真っ暗な中を何を目印にポイントまで行けるのか。目が凄くいいのですね。421_450x300
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日の出は大体7時25分頃 地図を見ると日の出るあたりはアルジェリアだ。

                                             7時19分
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                                               7時21分
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                           7時23分 砂漠の色が見えてきた
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                  7時24分頃、日の出の時間だが雲で見えず残念無念。
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急な坂を下りるのは潜って転ぶので危険。傾斜のない方を選んで降りていく。
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                                             砂漠に水
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                                                  ラクダ
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                                 私を連れて行ってくれたおじさん
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                                         雲が出てきた7:49
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◎ベルベル人のテント訪問

ベルベル人のテントと向こうに見える建物が冬用の建物
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                               お母さんが羊?の毛を紡いでいる
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おや、いつの間に家族全員揃っている。そっぽを向いている間、一体どこから出てきたのだろう。
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テントのそばには鶏やヤギなどの家畜が。今も殆ど自給自足の生活か。毎日何を考え、どんなことをして生活しているのか、その一部を見たのだが。
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             砂漠の中にも所々にこうした家があった
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                  オーベルジュへ帰る
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◎フェズへ向かう

ズィズ渓谷沿いを走る。ナツメヤシの群落。今丁度デーツの収穫時。市場にも山と積まれて売られていた。
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軍事基地の町エルラシディアを通り過ぎると、ハッサンアッダーヒルダムが見えた。かなり大きい。
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昼食するミデルトの町に近づくと何と雪(標高1400m)。交通も閉鎖と言うニュースが入ってきたが、除雪車も出て再開してホッとする。
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雪の中のモアイアン・アトラス山脈を越えるとき、アトラス杉が多く目についた。
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イフレンはモロッコのスイスと呼ばれる高級避暑地。家族で滑っている人など雪の中で遊んでいる人々が。
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                 木々は黄葉していた
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無事18:30にフェズのホテルに到着。今日は朝のサハラ砂漠から、アトラス山脈の雪景色まで、実に変化に富んだモロッコであった。

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2018年11月23日 (金)

モロッコ周遊(3)

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●4日目10/30(火) ワルザザード~アイト・ベン・ハッドゥ~トドラ渓谷~メルズーガ(サハラ砂漠泊)

                     朝7:30に出発すると朝焼けのハイアトラスがきれい!
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先ずアイト・ベン・ハッドウへ。
ここでは1954年の『アリババと40人の盗賊』を皮切りに1962年『アラビアのロレンス』、1985年『ナイルの宝石』、2000年『グラディエーター』、2010年『プリンスオヴペルシャ』など20本以上の映画が撮影されている。
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11世紀頃集落ができ、ハッドゥ家が支配し、塩などを運搬する隊商交易で栄えた。孤立している集落で、掠奪から身を守るため、城砦のような構造で川が自然の壕となり、入口はひとつだけ、1階は窓がなく換気口のみ。路は入り組んでいる。外壁には銃眼が。最上階は穀物倉庫が備えてある。ベルベル人やその補修工事などや作ったお土産品が見られた。昔からの生活もいかに大変であったかを垣間見た。
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                                          近くの撮影所
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                                     カスバ(要塞)街道を走る
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                                            結婚式の行列
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                                      お昼は有名なタジン料理
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トドラ渓谷 約25万年前の石灰石の岸壁。ロッククライミングの場。
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カナート イランや中央アジアから技術が伝わり、山から水を引いて飲料・潅漑用とした。大変な工事だったようだ。
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エルフードに到着した後、1泊2日用にした荷物を積んで、4WDに乗り換えサハラ砂漠のメルズーガのオーベルジュに到着。
宿泊した建物と部屋
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明日、いよいよ早朝サハラ砂漠の朝日を見に行く。


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2018年11月19日 (月)

モロッコ周遊(2)

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マラケシュ 2日目10/28(日)マラケシュ泊~3日目10/29(月)マラケシュ観光の続きから宿泊地ワルザザートへ

カサブランカからマラケシュへ向かう。バスの中から。マラケシュと言えば映画『知りすぎていた男』のドリス・デイの「ケセラセラ」を思い出す。

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クトゥビアの塔は1190年に完成したそうで、高さ77mでシンボルタワー。
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ジャル・エル・フナ広場で大道芸人(蛇使いも見た)や屋台で賑わう様子を見る。テレビで何回も見た所。
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メディナ(旧市街へ)のスーク(市場)へ
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                            今晩のメインディッシュ「ミックスケバブ」
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                                     食事を終えてからの広場
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◎ 翌日、午前中マラケシュ観光の続き。
カサブランカ、ラバトに続きモロッコ3番目の都市。標高450m。11世紀、ベルベル人初の王朝・ムラービト王朝、それに続くムワッヒド王朝の王都であって、交易、商工業、学問の中心として繁栄する。その後フェズに遷都、衰退するも15世紀サアード王朝の王都となり再び繁栄する。
                      コウノトリ
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サアード朝の霊廟  スルタン13名他200名がメッカの方向に顔を向けて埋葬され、異教徒は別方向へ向けて埋葬された。
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スークの路地を通りバヒア宮殿へ
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バヒア宮殿 1894~1900年に建設された宮殿。バヒアは美しい、永輝などを意味する言葉であるとともに最愛の妻の名前(第3夫人)である。4人の正妻で最愛の妻に最も美しい部屋が与えられた。後宮(23名の女性が生涯を過ごした)やプライベート庭園やモスク、プライベートの応接室などがあった。
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           瘤のある葉のみかんは食べられないそうだ
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モロッコにはアフリカ大陸の三分の一を占めるサハラ砂漠に隣接し、砂漠はほぼアメリカ合衆国と同じ面積だそうだ。しかしモロッコには西側より、アンチ・アトラス、オート・アトラス(4000m級)、モアイアン・アトラスと地中海近くにリフ山脈がある。そのため地中海と山脈に囲まれた地域は砂漠気候と異なる。日本よりずっと寒かった。

いよいよワルザザートへ向けて出発。ところがかなり行ったところで、橋が決壊、片側交通で行くのは午後遅くならないと無理と言うことで、マラケシュに戻り遅い昼食を摂って、再びワルザザードへ。途中のロケ地には寄る時間がなく明日早く行くことになったが、無事夜8時半頃宿泊地に到着。良かったよかった。
バスの右側には冠雪した山脈が見えてきて、時々映画『シェーン』のような風景が垣間見えた。

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           果物として食糧になるサボテンの産地のようだ
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アルガン油 モロッコのベルベル人の間では、クスクスなどに用いる食用油、スキンケアなどに用いる薬用、化粧用の油として利用されてきた。20世紀後半、ビタミンEの含有量や不飽和脂肪酸量が評価され、化粧品用の基油または油を直接利用されるようになった。 今は大変な手作業でなく機械化されたそうだ。娘に買ってみた。
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ティシュカ峠(2260m)
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トイレチップが1DH(デェルハム)ということで、50円くらいする他の国より安いなあと思っていったのですが・・・
昼は勿論、夜もアルコールを出すレストランは少なく、ツアー値段が安いので上記の事情も鑑みて物価が安いと思い込んで行ったら、大きな間違い。外国人値段(つまり現地の人は買い物もしていないし、喫茶店にもいないから)なのでしょう。紅茶1杯が安い所で240円、普通は480円もするので途中の大きいホテルで両替をすることになった。
何か飲まないとトイレに入れないところもあった。トイレはたまにトルコ式があった。
チップ係のおばさんも含めて人々は優しかった。西欧と違うかもしれない。

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2018年11月16日 (金)

モロッコ周遊(1)

インフルエンザが治ったらすぐ次の普通の風邪に移行し、階段転倒はお陰様でどこにも骨折はなくてすみました。ところが打撲傷が痛くて痛み止めとテープでしのいでおります。今朝,平熱を体温計で見て小躍りしております。(なお整形では骨粗鬆症の治療を即始められてしまいました。打撲や痛み止めの事は何も問診なく、他の医者でいただいたのでした。他にモロッコ下痢?というのもなかなか治りませんでした)帰国してからもう2週間になろうとしています。(あ~あ、ひどい目にあった。特に過酷な国は2度と行くな、海外にはもう行かない方がよろしいという警告か!)

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10/27(土)~11/4(日)の9日間、『青の街シャウエンとモロッコ周遊』というツアーに参加しました。男性4名、女性16名で半分以上は若い人。この点がエジプトの時と同じ。いつもは殆ど高齢者ばかりですから。モロッコは現在、雨期でずいぶん雨い合いました。

モロッコは王国で、アフリカでは他にスワジランド、レソトを数えるのみです。面積は日本の約1.2倍で人口は3365万人(日本の約1/4)。
民族はベルベル人30%、アラビア人65%、。言語はアラビア語(公用語)、ベルベル語(公用語)、フランス語。宗教:イスラム教スンニ派。

<1日目><2日目>
エティハド航空にて成田17:55発で時差5時間のアブダビに0:45に到着
アブダビ発2:35発でモロッコ・カサブランカに時差9時間の7:30着 
成田から富士山が見えた(初めて)
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<2日目10/28(日)カサブランカからマラケシュへ

●カサブランカ ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画を思い起こすだけの都市ですが、ここは周辺と合わせると人口50万人にもなるモロッコ最大の都市で経済の中心。(映画の舞台になった所は最終日に)。歴史もいろいろあるけれど、複雑ですべて省略。

ここでは「ハッサン2世モスク」を見学。

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1987~93年、前国王ハッサン2世が建てた。大西洋の上に建てられている。塔の高さは200m。外からは大きく見えないけれども、内部の大きなこと!、2万人の男性と5000人の女性が礼拝可能なのだ。サウジアラビア以外では最大のモスク。地下に沐浴場やハマム(トルコふろ)がある。シャンデリアを除き、建築材料はモロッコ製。
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アラベスク模様が素晴らしい。既に見たアルハンブラ宮殿のもの、そしてもう行かれないインドのタージーマハルに思いを馳せながらですが、全部細かく観察する時間がないほどであった。
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                    地下沐浴場
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再び外に出ると、カサブランカのビル群が見え、このタイルの下は海なのだ。
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西欧のカトリック、プロテスタント、国教会、修道院などの宗教画や石像や木造をたくさん眺めてきて、先日は東方国教会のイコンをたくさん眺め、そして今回偶像廃止のモスクの内面をとっくりと拝見させていただく。趣が全く違っていてどれがどうとは一概に決められない。

モロッコ最初の昼食のメイン。(魚のスープ、スズキの揚げ物と温野菜、フルーツサラダ)。味がなくて塩を振かけてもまだまだ味がない。血圧高めの人にはよろしいかと。私は低くなりすぎないように醤油かけたり、せんべい食べたり。
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2018年11月 7日 (水)

モロッコから帰って

ちょっと変わったイスラムの王国・モロッコから元気で帰りました。
とろがその夜軽く咳が出、翌日微熱が出て、昨日9度6分に上がって医者に行ったらA型のインフルエンザでした。
そのあとが悪かったです。ふらついて家の2階から13段転げ落ちて、痛かったこと。しばらく起き上がれませんでした。
整形外科にもこの熱とインフルエンザでは行かれませんので骨折してないことを祈るばかり。

というわけで愚痴を書いてこの項終わります。

1週間静養で外出できませんで、その後に書きますモロッコ紀行をよろしくお願いいたします。

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2018年10月25日 (木)

東海道五十三次歩き30 関~坂下宿~土山(後編)

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◆鈴鹿峠~土山宿入口

近江の国に入ると土山、ここはお茶が名物。お茶畑が広がっている。峠を越えたので今度は急な山道を下るのかと思うとそうではなく、坂といっても緩やかでほとんど意識できない。

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・万人講常夜燈の前でおにぎりなどで昼食にする。今まで初めて、途中に食堂が1軒もないのである。この常夜燈は江戸時代に、金比羅参りの講中が道中の安全を祈願して建立したもの。高さ4.55mでとても大きい。
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                                        滋賀県甲賀市に入る
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                                                 あざみ
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・旧土山町のマンホール  町の木・杉、鳥・キジ、花・お茶の花。
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・半分埋まっている鳥居とは珍しい。原因は何?
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・石灯籠が並ぶ熊野神社。還暦と言う字が多いので還暦記念に立てるのかもしれない。亀山宿と関宿の間に56も石灯籠が並んでいる布気皇舘太神社もありましたっけ。
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・十楽寺は工事中であったが入ることが出来た。ここの阿弥陀如来坐像は甲賀三大仏の一つで、日本最大級だそうだ。平安時代後期の像造という。
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・戦国時代の山中城址
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・今まで違った感じの飛び出し坊や。滋賀県は発祥地だ。
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・山中一里塚(109里目)公園には馬子と馬の像もあった
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・火頭古(ひずこ)神社の覆屋の中の本殿は国登録有形文化財
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・猪鼻村には入口と出口に石の標識があり、小さな宿のようだ。土山宿から坂下宿間の立て場(休息所)もあり、草餅や強飯が名物だった。道路もカバ色に舗装されていてきいれいだ。
今は緩やかな坂になっているが往時は険しい猪鼻峠があったそうで、立て場が必要だったのとのことだ。
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・屋号札を掛けている家が多い

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・中屋旅籠跡には明治天皇聖蹟碑が立つ
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・村を出て蟹ヶ坂集落に差し掛かると榎島神社があって、樹齢400年の椎の木がある。根元近くだけでも大迫力。
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・蟹坂古戦場跡 山中氏は伊勢から攻め込んだ北畠氏の軍勢を敗走させた戦場跡。この辺りには旅人を食べる巨大が蟹がいて、ある僧に説経され改心し、甲羅が8つに割れ往生した。村人は割れた甲羅を模した飴を作り厄除けにした。土山の名物だ。
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●土山宿(49番目の宿)

復元された海道橋 田村川にかかるこの橋が出来るまでは50m下流で溺れ死んだ旅人が後を絶たず1775年に出来て、2005年に復元された。

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・広重「土山・春之雨」はこの橋を大名行列が渡っている   
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・橋を渡ると青銅の鳥居のある田村神社がある。
812年創建。祭神は坂上田村麻呂、倭姫命、嵯峨天皇の三神。2月の厄除け大祭は石橋から自分の年の数の豆を落とす。
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                        本殿
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今日はここまでで、道の駅「あいの土山」で例によってお土産を買ってもらう。名物・「土山茶」と「かにが坂飴」。
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帰路ですが、あいの土山初のバス4:50に乗り30分ほどで貴生川駅に到着。
・駅にはかわいい甲賀忍者の絵が
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5時33分の草津線(京都直通)に乗り、6時半すぎに京都着。7:05の新幹線ー9:33東京着。帰宅は11時過ぎ。とまあ、日帰りできわたわけです。
今回からは京都から帰り次回から京都まで行って今日の所に戻る。日がますます短くなる。
本日のお弁当は京寿司で押しずしや笹ずしなども入っていてとても美味しい!
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何時も東海道歩きを読んでいただきありがとうございます。明後日27日から11月4日までモロッコに出掛けることになってしまいました。暫くお休みいたします。

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2018年10月22日 (月)

東海道五十三次歩き30 関~坂下宿~土山(前編)

10/4(木)小雨 一番日帰りが難しい所に来ました。新幹線(7:10発)ー名古屋(8:47着)、関西本線の名古屋(9:06発)-亀山(10:06着)、亀山(10:14発)ー関(10:20着)
線路は続いているのに、亀山でJR東海からJR西日本に変わるために乗り換えたら、一両編成の加茂行きはラッピング電車でした(お茶の宣伝か?)。 この日は36112歩。
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◆関宿~坂下宿
関駅から関宿の西の追分まで歩きここが今日の出発点となる。

・旧関町の違うバージョンマンホール 町の花・シャクナゲ、鳥・キジ、獣・鹿、木・杉が描かれる。

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・金の家紋の川北家。関宿の川北本陣と同じ家紋。
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・筆捨山が見えてきた。広重の「阪之下 筆捨嶺」はここで少しデフォルメされた筆捨山だ。説明板によると、狩野元信がこの山を描きはじめたものの、翌日描き残した分を続けようとしたところ、雲や霞がたちこめ、山の姿があまりに変ってしまったため、書き足すことができずあきらめて筆を投げ捨てたので付いた名前と言う。
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・107里目の一里塚跡
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・鈴鹿川は台風が通過したため水量が多いようだ
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                  野菊、アメジストセージ
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・東海道五十三次の標柱が日本橋から三条大橋まで並んでいて、そこに鈴鹿馬子唄会館があった。
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中に入ると、馬子唄が流れ、足の太い馬や坂下宿が展示がされていた。♪坂は照る照る 鈴鹿はくもる あいの土山雨が降る♪ 唄の通りにはならずずっと雨だった。
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・馬子唄会館の向かいは鈴鹿峠自然の家。 昭和13年に建てられた坂下尋常高等小学校の校舎で、国登録有形文化財に指定されている。
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・鈴鹿馬子唄発祥之地碑
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●坂下宿(48番目の宿)関宿から6.5㎞ 日本橋から約422㎞ 宿の長さ約650m 本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒。
この河原谷橋を渡って坂下宿に入った。
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・大竹屋本陣跡。往時は鈴鹿峠は難所だったので峠越えの旅人で賑わったが、関西本線の開通により駅から離れ、今は茶畑の中に3つの本陣跡と1つの脇本陣跡の標石が立つだけ。
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・法安寺の庫裡の玄関が坂下宿唯一の本陣遺構である
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・金蔵院跡。今は石垣が残るのみ。江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられ、上洛途中の家康や家光が休息したそうだ。
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・その脇に地蔵堂があり、身代地蔵尊が祀られているが、2体あるうち、右側のお地蔵様は板を突き抜けていて珍しい。
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◆坂下宿~鈴鹿峠
・2体の老人男性石像が立っているが、誰が何の目的で立てたかわからないそうだ。
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・鈴鹿峠の入り口には片山神社社標がある。鈴鹿明神、鈴鹿権現とも呼ばれる。1999年に焼失。
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台風の後のこんな道を登って行くと片山神社の登り口があった
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・鈴鹿流薙刀術発祥之地碑のところで道は折れ、いよいよ急な登り坂になった。
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・4基の常夜燈が石垣の手前に並ぶ
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・芭蕉の句碑「ほっしんの初にこゆる鈴鹿山」
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・山道には倒木が道を少し塞いでいた。台風が凄かったようだ。
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・鈴鹿峠に到着。約30分であった。
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・鈴鹿山の鏡岩 鈴鹿峠の頂上にある巨岩で三重県指定の天然記念物。硅岩が断層によってこすられ露出面に艶がでたもの。この峠に住む山賊が岩を磨き、そこに映った旅人を襲ったという伝説から、「鬼の姿見」とも言われている。
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        岩の頂上によじ登ってみる。石が少し艶があるように見える。
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             頂上からは眼下の国道などが良く見えた
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・向こうの森の切れ目が県境
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境界石には右滋賀県・近江の国 左三重県・伊勢の国と書かれている。とうとう滋賀県に入りました。箱根に比べるとすぐ登り切り拍子抜けの鈴鹿峠だった。昔はなんでも盗賊が多く出て難所とされたとも言われているそうだ。
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