2017年1月22日 (日)

原町田七福神巡り

大山街道歩きの大山登山は11日の快晴の日に先発隊が途中まで登ったのですが、降った雪が凍っていて断念したということで、後発隊の私たちもやめにして、桜の咲く頃に延期ということになりました。1200mを超す冬山を甘く見てはいけませんでした。

383x600その代わりに行ったのがウォーキング協会主催の「原町田七福神巡り」でした。ウォーキング協会ですからJR横浜線の古淵駅から町田駅まで何もない道路を一駅歩いて、町田駅の周りの七福神を巡りました。約10㎞で足の鍛錬に丁度いい具合でした。今年は2ヶ所も七福神巡りをして、何か御利益があるかもしれない。

原町田は小田急とJRの町田駅あたりの地名です。



弁財天(芸術財福)・母智丘神社  インドでは吉祥天とともに最も崇拝される女神
319x460
母智丘神社は屋根を見ると神社とわかるが、社殿正面が普通と印象が違っていた。
460x345
茅の輪をくぐって無病息災を祈る(普通は6月30日)。左足からまたいで輪をくぐって左回り、次に右足からまたいで右回り、次にもう一度左回り、最後に左足からまたいで神前へ進みます。出羽三山の羽黒山でくぐって以来です。
414x460

毘沙門天(福寿増長)・浄運寺 日蓮宗 
460x345_2
あれれ、毘沙門天が写真になかった!狐に目が行って撮り忘れか。

                紅朴伴に似ているツバキがきれい350x263
               境内稲荷社の狐は玉と巻物を咥えている460x345_3
長岡織部の墓 幕末から明治にかけての神道無念流の剣士。弟子が100人以上いたという。460x345_4

大黒天(五穀豊穣)・カリオン広場
345x460_2

福禄寿(財宝守護)・商工会議所
352x460

寿老人(不老長寿)・勝楽寺 浄土宗
404x460_2
460x345_6

布袋尊(家庭円満)・宋保院 曹洞宗
342x460
Photo
460x345_7

恵比寿神(商売繁盛)・町田天満宮 主祭神は菅原道真
445x460
460x345_8
460x345_9

      駅へ行く途中、この間の江の島まで流れていく境川を渡りました。460x345_10
350x226

原町田七福神は距離的にコンパクトにまとまっていて、像は同じ人の手になるのか、なかなかに可愛いと言える御尊顔を拝するのが楽しかった。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年1月19日 (木)

映画『この世界の片隅に』

400x241_2
軍港呉と広島が舞台の戦争時とその前後を描いたアニメで、特に戦時中の焼夷弾が落ちてくる場面や戦闘機が飛んでいる場面などリアルで、わずかながら防空壕に退避した経験を夢のように頭の片隅に記憶している私は思い出してぞっとしました。
絵がとても得意な天然キャラのすずが広島から呉へ嫁に行く。のんきな性格なので、舅や姑は優しいのに離婚して戻ってきた子連れの義姉には辛く当たられるが、悲壮感はない。優しい夫は戦死するわけでもなく、家は全焼するわけでもないが、自身の不注意で姪が死に、自身も右手を失い、絵も描けなくなり、広島の実家では原爆で母を失い、妹が原爆で病に倒れたなどで、天真爛漫なすずも笑顔がなくなって暗く沈んでいく。しかし淡いトーンの美しい場面がそれを強調することなく、戦争、原爆の悲惨さや厳しさや辛さを酷く描き出しては見えない。
70年前の戦時中の日本の生活風景は厳しく、親たちの苦労をも思い出してしまった映画でしたが、もう10数年もすれば体験した人の多くはいなくなるわけでこうして語り継がれる漫画や映画は貴重かもしれない。

         ============================

昨年12月31日にクラスメートが突然苦しまないで亡くなったという訃報が9日に入りました。家族にとっては看取ることも出来なかった悲しさがありますが、人として一番理想的な亡くなり方です。
親が亡くなって、次はもう自分たちの番になったのです。元旦にいただいた年賀状を見ながら彼女はもう今はいないのだととても寂しい。老病死の苦しみをさほど味わうことなく終わって、先に逝ってしまって「いいなあ」と羨ましくさえ思ったことでした。

そんな時、大病をわずらっておられるある人からいただいた年賀状にあった言葉にはっとさせられました。

素晴らしい すばらしい 生きていることが
   嬉しい うれしい 生きていることが
   笑える わらえる 生きていることで
    泣ける なける 生きていることで
       一日一生 すべて感謝

そう、今できることを精一杯やって、時には楽しみながら、↑の映画のような苦しみのない今の幸せをかみしめて暮らしていこうと、この詩を味わっています。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2017年1月16日 (月)

伊興七福神

356x600
今年もまた正月明けの1月7日(土)に七福神めぐりをし、その足で西新井大師へ向かい、東武線を乗り継いで浅草へ。浅草寺界隈を歩きました。
足立区北西部の四つの寺を巡る伊興七福神は、東武線の竹塚駅からが近い。
しかし今回は日暮里駅から舎人ライナーで終点の見沼代親水公園に行き、そこから地図のように巡りました。
七福神は恵比寿様が日本、天がつく3尊がインド、他が中国ということがやっと頭に入ったところです。

長い見沼代親水公園を歩く。遠く利根川の水を引いた見沼代用水は関東平野最大、全国有数の用水路で、ここ足立区が末端だった。
460x307
●法受寺 布袋尊 他に五代綱吉の生母・桂昌院の墓と怪談牡丹燈籠ゆかりの碑がある。460x345
                       布袋尊307x460_2
               きくばり地蔵 しっかりお詣りしました460x345_2
                こんな所に桂昌院の墓がある 460x345_4
                   牡丹燈籠ゆかりの碑460x345_5
460x345_6 460x345_7

▲東岳寺 次の寺に行く途中歌川広重の墓がありました。これも知りませんでした。460x345_8
460x345_9

●実相院 弁財天 大黒天 毘沙門天 そして子育て観音で知られる
460x341
     大黒天                    毘沙門天
460x345_10 345x460

                       弁財天345x460_2
                     子育観音460x345_11
                  八幡太郎義家公白馬堂345x460_3
●福寿院 福禄寿と寿老人
460x345_12
338x460

●源正寺 恵比寿
460x345_13
345x460_4

▲西新井大師 まだまだ人が多い
460x345_14

▲浅草 雷門、仲見世もこの賑わい。前へなかなか進めない。
460x345_15
460x345_460x345
460x345_16
460x345_17
                花やしきと六区は初めてでした460x345_460x345_2
460x345_460x345_3



| | コメント (12) | トラックバック (0)

2017年1月12日 (木)

鎌倉12 江ノ電・七里ヶ浜~腰越界隈(2)

650x353
サボテンの家あたりから山側に向かうと江ノ電の向こう側に石段があって山門へと続いている。これが満福寺だ。このあたりの江ノ電の両側にはぎりぎりに民家が建っていて、音はどうなのでしょう。乗っているとなかなかスリリングで面白いのですが。腰越駅を過ぎると都電のような路面電車になって車や歩行者と共存状態だが、事故が起こったという話は聞かない。307x460

77 満福寺 
古義真言宗大覚寺派 開山は行基。義経の「腰越状」で知られるお寺だ。
460x307
平家を滅ぼし、鎌倉に凱旋してきた義経だが、頼朝に鎌倉入りを禁じられ、ここ満福寺に逗留した。和田義盛などを通じて頼朝の怒りを解こうとしたが許されず、幕府公文所別当の大江広元に嘆願書を出した。これが「腰越状」といわれている。
460x307_2
本堂展示室(200円)には実物大の腰越状の版木が現存し、襖絵には静御前との別離など義経の生涯が描かれている。
460x307_3
460x297
460x307_4
460x307_5
460x307_6
460x307_7
                 鎌倉彫の格天井が豪華だ460x307_8
550x367_460x307
                  歌川国貞「壇ノ浦の合戦」550x367_460x307_2
                 歌川国芳「源平屋島大合戦」460x307_9

78 本成寺 次に行った、龍口寺の輪番八ケ寺の一つ。開山は日賢。創建1309年。満福寺のそばで寄ってみた。
460x307_20
79 龍口寺 
腰越から江の島の方へ向かう。ここは鎌倉でなく藤沢市に入る。この地は鎌倉幕府時代の刑場跡であった。
日蓮が『立正安国論』を幕府に奏上したら、それを中傷と受け止め、1271年、鎌倉松葉ヶ谷の草庵で日蓮を捕えて市中引き回しのうえ、この龍ノ口の刑場に連行した。いろいろあって刑は中止となったが、佐渡へ3年間の流罪となった。世に言う「龍ノ口法難」である。
その後1337年、日蓮直弟子の日法がこの地に敷皮堂を建立したのが龍口寺の始まりである。460x307_10
460x307_11
460x307_12
460x307_13
307x460_2
            誰でもお経を唱えれば1回突いてよい「延寿の鐘」460x307_14
明治19年に廃止されたのだが、かつて龍口寺は住持を置かず、子院の八寺が輪番で住持をつとめていた。
龍口寺輪番八ヶ寺は、腰越近くの本成寺(今回行った78)、観行寺、東漸寺、本龍寺、妙典寺、法源寺(今回行った80)と、藤沢市片瀬の常立寺、本蓮寺である。
このお寺は高校卒業してすぐクラスメートが亡くなって葬儀が行われた忘れられないお寺でもあります。

80 法源寺
ぼたもち寺とも呼ばれる。以前行った、大町の常栄寺の有髪の尼・座敷の尼が市中引き回しの日蓮にぼたもちを捧げたが、その尼さんの実家の菩提寺ゆえに、この寺もこう呼ばれる。
龍口寺輪番八ケ寺の一つ。開祖は日蓮の孫弟子・日行。1318年。
460x306
                     水子地蔵460x307_15
              墓地から腰越の町と湘南の海が見える460x307_16
                   片瀬江ノ島駅への橋460x307_17
            この境川の源流が、先月登った草戸山でした。460x307_18
小田急片瀬江ノ島駅から家路につきました。今回は長居をしたところが多くて輪番八ヶ寺を全部廻れなかったのが残念であります。460x307_19

| | コメント (17) | トラックバック (0)

2017年1月 9日 (月)

鎌倉12 江ノ電・七里ヶ浜~腰越界隈(1)

1/6(金)晴れ 鎌倉駅から江ノ電に乗り換え七里ヶ浜駅で下車。この日は約17000歩。

650x353                 クリックで大きくなります

●七里ヶ浜の海岸に下りると江の島と富士山が見えた。
「真白き富士の嶺、緑の江の島」と有名な歌になっている、明治43年逗子開成中学生12人のボート事件を歌ったもの。

470x302
                                富士山手前は小動(こゆるぎ)岬か470x312
振り返えると稲村ケ崎から三浦半島までの景色が見える。
「稲村ケ崎、名将の剣投ぜし古戦場」と歌われた新田義貞の渡渉伝説がある。470x313

74 霊光寺
1271年、鎌倉が大干魃に見舞われたときに、日蓮が雨乞いしたら池が出来るほど雨が降り続いた。明治の末の調査で1735年に江戸講中が建てた「日蓮大菩薩祈雨之旧跡地」と記された石塔が発見されたので日蓮上人像と本堂が建立された。

                       雨乞池460x307
                    日蓮上人祈雨旧跡碑296x460
                      霊光寺門460x298
                       本堂460x307_2
                       日蓮上人像 307x460
460x307_3

腰越に出て昼食。御主人が日展に出品するという画家の可愛いお店で「ネギトロわかめしらす丼」、またまたしらす丼であります。絵が数枚飾られた室内装飾、特にトイレの装飾が感動したお店で、鎌倉にはこうした隠れた可愛いお店が多い。460x307_4

小動岬へ。太宰治が心中事件を起し、太宰だけが助かった所(小説は『天国と地獄』)。
小動の地名は、風もないのに揺れる美しい松の木「こゆるぎの松」がこの岬にあったことに由来する。

75 小動神社
頼朝に伊豆配流の時代から仕えていた佐々木盛綱が文治年間(1185~90)に父祖の地・近江から勧請した。新田義貞が鎌倉攻めの戦勝を祈願し、太刀一振と黄金を寄進し、社殿が新たに再興された。

460x307_5
鳥居の注連縄が立派である。注連縄は藁ではなく合繊で出来ていた。(調べたら255000円もするとか!)460x307_6
                       本殿460x307_7
この神社には境内末社4つが祀られているが、海(わたつみ)神社の石鳥居は1728年(享保13年)銘の古い鳥居である。460x307_8
76 浄泉寺 
かつて小動神社の別当寺(神社を管理するために置かれた)であった。小動神社とは道路を挟んだ反対側にある。京都大覚寺の末寺。 460x293
460x307_9

●お寺のお隣の家には数えきれないほどのサボテンがある。写真を撮らせていただいたときに奥さんに伺うと10年間でこんな増えてしまった由。赤くなっている葉はサボテンの紅葉だそうで、春から緑色に変わるという。数の多さに「おったまげた」という言葉が出そうになったほどです。
通り側だけでなく、写真で撮れないけれども、家との間もびっしり埋まっていました。
460x307_10
460x307_11
460x307_12
460x307_13
           一つの鉢にもたくさんの種類が寄せ植えされている460x307_14



| | コメント (14) | トラックバック (1)

2017年1月 5日 (木)

「デトロイト美術館展」「クラーナハ展」

Hana1_460x307
Hana_3460x307 
             ¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨

●デトロイト美術館展 上野の森美術館

588x700デトロイトはアメリカのミシガン州南東部にある都市で、2013年約1兆8000億円の負債を抱え財政破綻をした自治体。(日本の1000兆を超す借金とは比較すべくもないが)
自動車産業で栄えたデトロイトは有力者の資金援助で1885年創立され、世界屈指のコレクションを誇る。一時はこのコレクションを売却することになったが、国内外の支援者とデトロイト市民により守られた。今回は52点がやって来たが、それが凄い収集で、その上、月、火曜日は写真撮影可(12点はSNS等公開禁止)と聞いたので3日に行ってまいりました。
帰ってからもう一度説明と絵を見ることが出来、これは画期的です。いい加減に見ているわけはないですが、写真を撮っている人も多いのに、こころなしか早く見られ、しかも混み合わずスムーズに流れています。

第1章 印象派 モネ1点、ルノワール3点、ドガ5点、ピサロ1点他

                   モネ「グラジオラス」400x300
      ピサロ「小道」 シニャックやスーラなどの点描画同様大好きです323x400
                 ルノワール「肘掛椅子の女性」267x400
     ドガ「バイオリニストと若い女性」 踊子と馬の絵以外はドガらしくない400x329

第2章 ポスト印象派 セザンヌ4点、ゴッホ2点、ゴーギャン、ルドン、ドニ、ヴァロットン、ボナール。ゴッホも大好きで2点がなかなか。 

                   セザンヌ「三つの髑髏」400x282
                      ゴッホ「自画像」290x400
                    ゴーギャン「自画像」356x400
    ルドン「心に浮かぶ蝶」 山種にある速水御舟の「炎舞」を思い起こします400x339

第3章 20世紀のドイツ絵画 どの絵も素晴らしいが、10人の作品中、カンディンスキー、ベックマン、ココシュカしか知りませんでした。

             カンディンスキー「白いフォルムのある習作」332x400

第4章 20世紀のフランス絵画 マティス3点、ピカソ6点、モディリアーニ3点、ルオーやデュフィなど7人の作品。
ピカソの具象画3点の肖像画は表情が良く描かれ、力強いと感じました。
モディリアーニ「女の肖像」「帽子を被った若い男性」
321x400 286x400


●クラーナハ展 国立西洋美術館

世界遺産になった美術館ですが、正面からはその価値が伺えないかもしれません。460x307
新聞には「ヴィーナス」と「不釣り合いなカップル」「マルティン・ルターの肖像」が載っていました。124x197
250x350_3 250x350_4


491x700_2クラーナハと言えば「ヴィーナス」。今まで見てきたヴィーナスとは何てイメージが違うことでしょう。吊り上った目、独特なプロポーション、宝飾品と透けるベール。
今回約60点が世界各国から集められているが、それで分かったのが、神話や聖書を描いたその顔がヴィーナスのように独特な顔であるのに対して、肖像画や当時の風俗を描かせると違って、克明な描写と確かな筆運びに感動させられるのです。
プロテスタント側のマルティン・ルターと親交が深く、肖像画を繰り返し描くかと思えば、ルターと敵対したカトリック側の人物の注文も受けて描いたという画家であると同時に、実業家でも政治家でもありました。

あの何でも化けてしまう森村泰昌が、ちらしのユディトとホロフェルネスの首の二役に扮しているのが笑えました。

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2017年1月 2日 (月)

吉祥三福神めぐり

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いたします。

大晦日には様変わりしたとかで20数年ぶりに紅白鑑賞。なるほど衣装だけでなく映像がキラキラ、ダンスの数々、凄いお金をかけて趣向を凝らしている。AKB48とか欅坂46、乃木坂46を初めて見る浦島太郎でした。
今日は箱根駅伝をちらちらと。応援の大学はまずまず。

●その間の昨日元旦は吉祥寺へ。恒例の井の頭弁財天の他、吉祥七福神のうち2つを回ってきました。
460x307
井の頭池には昔数百羽いた水鳥は、この日はカルガモ8羽、鵜2羽を確認したのみでした。昨年はキンクロハジロがたくさんいたのに。460x307_2
460x307_3
裏から見た井の頭弁財天の社。弁財天は秘仏で巳年しか見られない。さて次の巳年まで生きていられるか?460x307_4
                弁財天堂の裏には龍の形をした井の頭・銭洗い弁財天がある460x307_5
                                   マンサクがいくつか咲き始めていた380x270
                                ブルテリアに会えたのは何年振りか460x354

●次に向かったのが駅の北側の布袋尊の安養寺。「多摩新四国八十八ヶ所」第一番札所。1624年開山。
                                       御大師様 真言宗・豊山派307x460
                         布袋尊には大きな熊本の晩白柚のお供えが307x460_2
                中央が1665年の庚申塔。女性の名が十数人記されている。460x307_6
                                                六地蔵460x307_7

●大黒様の武蔵野八幡宮は1時間以上待ちの大行列で横から手を合わせただけです460x279

●福禄寿の大法禅寺 臨済宗・妙心寺派 1634年開山
460x307_8
                                                    福禄寿307x460_3
                                釈迦苦行像 肋骨が浮き出ている460x307_9

今年も健康であるようにお願いばかりする1年が始まりました。

| | コメント (20) | トラックバック (0)

2016年12月29日 (木)

シーボルトの長男、アレクサンダー・フォン・シーボルト

380x253
                   モミジバゼラニウム

雑大講義より
有名な父シーボルトはフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトという名である。フォンはドイツでの貴族階級に付けられる名で、シーボルト家は代々医者、学者の系統だ。
アレクサンダー・フォン・シーボルト(1846~1911)には13歳上の異母姉イネ(シーボルトと滝さんの子)と弟と妹がいる。
弟ハインリッヒ・フォン・シーボルト(1852~1908)は日本女性岩本はなと結婚し、2男1女をもうけ、その子孫が健在。オーストリア外交官であり、考古学者としてモースと一緒に大森貝塚の発掘をした人。

長男アレクサンダーは13歳の時日本入国が許された父とともに日本にやってきて、65歳で亡くなるまでのうちの40年間の奉職に対し、日本政府より勲一等瑞宝章を授与された。

それでどんな活躍をしたかを聴いて驚いた次第なのです。それは

・通訳官・外交官として、薩英戦争・下関事件の英国側通訳。1867年のパリ万博国覧会に同行。岩倉使節団の欧州回覧に随行。1878年パリ博に松方正義に随行。

・外務省の通訳官・参事官として、井上馨主導の2回の不平等条約改正に参加。伊藤博文の明治憲法発布の協力者として、ドイツとオーストリアの憲法、法律を英訳。

・人道家として、日本赤十字社設立に貢献。1891年の濃尾地震では義捐金を欧州で集めたそうだ。

・外務省のための情報収集と欧州の広報活動。定期的に欧州の主要新聞から日本に関する記事を抜粋し日本に送ったり、日本政府の立場に立って、欧州各国の通信社及び新聞社に正しい広報を伝える。

アレクサンダーが文書を交わした人は上記にとどまらず、明治の元勲の殆どと各国駐在の公使、日本赤十字社の人々、後藤新平、有栖川宮熾仁親王、そして欧州の王室や著名な人々、イギリスのハリー・パークス公使やアーネスト・サト― 等々。

岩倉具視がオーストリアで、美貌のエリザベート妃に謁見した時には、妃に日本のキリスト教弾圧のことについて聞かれたとか。
高橋是清とユダヤ人との仲介をしたのもアレクサンダー。
『伊藤博文の個人的な思い出』には、「博文は幕末のときにはテロリストだった。塙保己一の息子の幕臣を殺した」などが書かれているそうだ。
幕末、明治期の戦争まで関与し、明治新政権確立、憲法まで深く関わり、欧州に日本を正しく伝えた功績は計り知れなく、それがシーボルトの子どもであったことを初めて知ってとても興味深かったです。

380x254
                    アップルゼラニウム

今年もあと2日ちょっと残すのみとなりました。いつもご訪問、コメントいただきありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2016年12月26日 (月)

ヘンデル「メサイア」

昨日はクリスマス。毎年年末に「第九」「クルミ割り人形」と並んで頻繁に演奏される「メサイア」。
「メサイア」はハレルヤコーラスであまりにも有名です。「第九」や「クルミ割り人形」はこの時期聴いていたのですが、「メサイア(救世主)」を殆ど全曲を聴いたのは初めてです。
家から歩いて20分の市のホールで行われました。演奏時間は約2時間半 全部演奏されたとしたらその7割くらい聴いたことになりますか。
ブロ友のだんだんさんが歌っていました。
266x380
出かける前には全然知らない内容を調べてみました。ヘンデルがイギリスに渡ってからなので、歌詞は英語だ。
3部分構成で合唱と4人の独唱者により歌われます。
第1部:預言とキリストの誕生 21曲(うち19曲)
第2部:受難と贖罪 28曲(うち16曲)・・改心した人々が神の国の到来を賛美する最後のハレルヤコーラスがやはり素晴らしい。
第3部:復活と永遠の生命 9曲(うち5曲)・・キリストを信じる者への復活の約束、最後の審判を次げるラッパが鳴り響く。信仰告白、長大なアーメン・コーラスで「メサイア」は終わる。
これらは宗教画でたくさん見てきたのでいろいろな場面が浮かんできます。
モーツァルトの教会ソナタやレクイエムやバッハの教会音楽とはまた違って、音楽で絵にあるような聖書の様々な場面を想像しながら聴くという貴重な体験でした。

こんな長丁場をだんだんさんたち合唱団のメンバーは素晴らしく歌い切りました。
4人の独唱者の歌声、いずみホールバロックオーケストラの音色もヘンデルの時代に誘われました。だんだんさん、素晴らしかったですよ。お疲れ様でした。

                         ¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
松原哲明著『新約般若心経』を読んで、三蔵法師がインドから持ち帰って訳した難しい経を更に優しく噛み砕いたこの本で、日ごろの禅を中心とした仏教の教えの一端を覗けました。
その中で四苦、「生病老死」の中の「老苦」には笑ってしまいました。というのも自分のことだからです。笑っている場合ではないのですが。その一節です。
「父母の養育を受け、年長けて強健なり。然るに次第に老いて、頭は白く歯は落ち、目は弁ぜず、耳は聞えず。盛りは去りて衰え、皮は緩み、面は皺み、百の節は痛み、歩くに苦しみを極め、座するも起つも呻吟し、憂い悲しみて心悩み、心うたた滅す」5年前はこの半分もなく、今はただ歩けるというのが唯一の救いか。

そして今問題のイスラム教、阿刀田高シリーズ『コーランを知っていますか』読みつつあります。アラーの偉大なる教えが、優しく書かれているようでわかるかも。

ところが聖書、実は学生時代聖書研究会に入ったりしたのですが、不勉強でした。そして聖書や絵などから学ぶキリスト教は、イエスの教えはさっぱり把握しておらず、旧約聖書からキリスト誕生までの覚えきれないほどの人物が出てくる歴史や、マリア様のこと、洗礼者ヨハネのこと、四大福音書記録者、受胎告知、キリスト誕生、エジプト逃避、キリストの布教活動、キリスト磔刑、復活、最後の審判にいたる場面だけしか知ってないことに気が付きました。キリストの教えとは?大抜けでした。

                          ¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
今年も娘たちが毎年買ってくれるクリスマスケーキは高野でした。美味しくて普通の倍の大きさを食べ(食べ過ぎ)、私は夕飯をパスしました。
380x253

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2016年12月22日 (木)

人身事故

我が中央線は事故の何もない日は珍しく、今は毎日利用していないが、毎日利用している子供の話を聞くと遅れない日の方が珍しいという。
特に人身事故に出遭えば動くまで一番早くても30分、1時間以上は当たり前。通勤者にとってこの上ない迷惑な話です。
身を投げる人の心の心情になってみればそれはそれは悲愴な心の状態で計り知れないものがあるが、社会や鉄道会社に対する迷惑は多大なものがある。

ある日、山でご一緒の男性から聞いた話にショックを受けました。
その方は「私は人を数人殺した殺人者なのですよ」と突然仰ったのです。
電車の運転士さんだったのですね。人を刎ねたのですね。山に登っていても以前どんな職業についていたかなど聞いたことがないから突然の会話の内容に驚きました。
何でも同僚には数人、この事がきっかけで心を病んで途中退職された人がいたとか。この方は心は病まなかったけれども、体調を崩したそうな。今は83歳だかで私よりずっと元気に登っていってしまう。現在も車の運転がうまいのも、もと電車の運転士だったから運動神経が発達しているからと頷けました。

損壊した遺体は、独特な強い臭いを放つ。マグロというのだそうだ。その臭いを鼻が覚えてしまい、テレビや映画で人が殺されるシーンを見ると、鼻が臭いを思い出してしまうということを元鉄道員が書いている本も出ている。刎ねてしまう運転士だけでなく飛び散った遺体を拾い集める鉄道マン、車体の下まで潜って清掃する人々も大変らしい。そういえば殺人事件などにも従事する警察官も同じですね。こんな身勝手な人の行為が、立派な職業についている人を病や退職に追い込めてしまうことを今まで思いもしなかったのでこの日は、ちょっと衝撃的な日でした。

     ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

お隣の奥さんの山梨の実家からの人参、柚子、柿を頂きました。
この人参の長いこと。根の先まで45㎝でこんな長いのを食べるのは始めてです。昔の濃い味、甘い匂いがしてちょっとかたいけれども美味しい。
1221_460x207


| | コメント (22) | トラックバック (0)

«大山の晴れ乞い?に「気象神社」へ