2019年1月21日 (月)

外濠を歩く(1)

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『東京人』1月号の特集が「外濠を歩く」で、市ヶ谷と飯田橋の間にある勤務先に長い間勤めていたので、あの市ヶ谷の土手を通った日々を思い出し、12月の元気だった日に外濠を出発点から途中まで歩いてみました。

600x453へたな地図ですが、地図にある紫色の線が外濠で、九段下から始まって両国橋で終わる、「の」の字の形をしている。全長17.3㎞。この日は御茶ノ水駅で日が暮れて、あと1時間弱は次回に散歩することにした。この次回がなかなか訪れないことになろうとはこの時は微塵も思っていなかったのだが。

東海道と同じく、娘の後にくっついて行くのだったが、娘は『東京人』と『でか字マップ東京23区』の2冊を持ちながらなので大変そうだった。

地下鉄九段下駅を降りたところが俎橋で、少し戻った所が堀留橋。ここが外濠り巡りのスタート地点。江戸時代の日本橋川はこの橋辺りで行き止まりとなっていて(現在はこの先の神田川までつながっている。以前日本橋を起点に遊覧船で日本橋川から神田川に出て御茶ノ水を通り隅田川に出て、また元の日本橋に戻るというコースに乗船したことがあった)、堀が留まることから「堀留」という地名になった。
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               日本橋川の上は首都高が走っている
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出発するとすぐ立派な千代田区役所があって、その前に大隈重信の雉子橋邸跡がある。
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その雉子橋を過ぎると江戸城外濠の石垣が見えてくる
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一橋徳川家の名の由来となった一ツ橋。江戸城一ツ橋門の石垣も残っている。
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大手町川端緑道に入ると向かい側は気象庁
かつて、桜の開花などを知らせていた木々の旧静物季節観測の木々がある。
丁度満開の実を輝かせていた。
                    クロガネモチ
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                       ソヨゴ
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                      モチノキ 
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                   マルバシャリンバイ
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常磐橋に出るが工事中。常磐橋は江戸城正門の大手門へ向かう外郭正門であった。
渋沢栄一の銅像があった
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次は一石橋。そのたもとに一石橋迷子しらせ石標がある。迷子探しのための告知石碑で、左に迷子の特徴を書いた紙を貼り、右に心当たりのある人がその旨書いた紙を貼る。同じものを桑名の春日神社で見た。
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呉服橋近くに北町奉行跡がある。遠山の金さんが4年間執務していた。
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八重洲地下街で食事をした後、有楽町の方へ歩き数寄屋橋の碑に到着。ここには橋も濠もない。
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新幸橋で山手線の内側に入ると、日比谷公園の修理中の公会堂が見えた。
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道路の左手に大同生命のビルがあり、元禄初年~現在までのこのあたりの外濠の変遷を示したパネルと広重の絵があった。濠もここにあったらしい。
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突き当たったところ(日比谷公園の左手)が文部科学省で正面玄関前に埋め込まれた大きな石は、外濠の石垣を再利用したものとのことだ。
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東京メトロの文科省出入り口の地下に江戸城外堀跡地下展示室があって説明板もある。
                  
                  発掘された外濠の石垣
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この辺りの石垣を建設したのは矢のマークの毛利家。石のあちこちに矢印が見受けられた。
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2019年1月15日 (火)

リラックマ状態ですが、もうちょっと。

お久しぶりです。1月ももう半ば、もう1ヶ月寝ております。
病名はどう呼ぶのかわかりませんが、感染性の腸炎のようで、ここにきてやっと少し良い方に向かっているようです。
半月ばかりは本も読めない状態でしたが、今年に入っていろいろ楽しんでいたのですが、昭和49年発行の『世界の歴史』全16巻に手を付けたら小さな字で約500頁、2巻目に入りましたがきっと途中で投げ出すでしょう。(2巻目は塩野七海氏のギりシャ人とローマ人の物語20冊近くがこの1巻で終わってしまった)

毎日がリラックマ状態、幸い家族が今まだ元気なので面倒を見てもらっていますが、一人だったらと思うとぞっとしました。
いずれそうなるかもしれないし、反対になるかもしれないし、ちょっと死の淵を覗いたような日々でした。
そんな折、昨年9月に亡くなった樹木希林さんの『一切なりゆき』を読んで、結婚生活やいろいろ驚くことが多い中、大女優さんが靴は長靴入れて3足、あの素敵な洋服はもらいものか、ちょっと手を入れてアレンジしたとか。下着はよその亡くなった御主人の新品のをもらってゆったり着ているとか、家具は捨てられた昔の物を手入れして使っているとかで、ほとんど何もない生活で実に快適と書いていました。共感しました。そして全身癌でありなから6年間も、特に最後の1、2年は未封切りも含めて随分たくさんの映画に出演されている。
特に治療もせず、「痛い」じゃなくて「ああ、気持ちいい」と言い換えるとか、いろいろな症状も感じるけど、感じないようにしていて、知らんぷりしているそう。凄い方だ!

娘からも、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」
      しあわせは 歩いてこない
      だから歩いて ゆくんだね
      一日一歩 三日で三歩
      三歩進んで 二歩さがる
      人生は ワン・ツー・パンチ
      汗かき べそかき 歩こうよ・・・
を贈ってもらい、11月5日から約2か月半やっとここまで漕ぎ着けたところです。
これから先はこのようなことの連続にならないとも限らないわけで、あまり心が強くならない自分を叱咤激励して進むしかありません。

今年もまたどうぞよろしくお願いいたします。、

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2018年12月27日 (木)

皆さま、良いお年をお迎えください。

いよいよ暮れも押し迫って参りました。

家人が「モ〇○○菌が体内に入り込んでしまったのではないか」と申すのですが、まさかね。
最初は気管支、今は腸に入り込んで、結果はまだわかりませんが、途中からもう1週間くらい臥せっております。
点滴は2回ほどしてもらい、年明けまでは医者がお休みでもどうにか持ちそうな感じです。

ご訪問、そしてコメントを下さった皆様、この1年間も本当にありがとうございました。
どうかよいお年をお迎えくださいますように。
また新しき年にもどうぞよろしくお願いいたします。

ブラジルの国花・イペー(黄色の花)
日本の桜や南半球の紫色のジャカランダと並んで同じように黄色の花が咲くという。
その種子をmatsubaraさまを通しSaas-Feeの風さまから戴いたのは5月頃。①③⑤と言う3種類が順次2週間たった頃発芽し夏を乗り切り、今部屋の中に取り込みました。
果して何年後に花を咲かせるのか、生きている内に見たいものですがちょっと無理かな。
左の2鉢が⑤、一番右の1鉢が①、真ん中の4鉢が③と一番よく発芽しました。葉が徐々に落葉しつつあります。3種類の葉の形が異なります。
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2018年12月19日 (水)

スマホを持っていても何もできない私と同じようで笑ってしまう

『恋するように旅をして』角田光代 直木賞作家の随筆より(2005年の話です)

一人で旅に出る以外、行動に移すパワーがことごとく欠如している。
飲食店に一人で入らない。一人で映画を観に行かない。コンサートやライブのチケットをみずから買ったことがない。買い方が分からない。どう調べていいのかわからないから調べもしない。興味のある絵画展やイベントがあってもそこへのいきかたがわからなければいかない。時刻表が読めない。読もうとしたことはあるが、暗号が書かれているとしか思えない。東京に長く住んでいるが乗り換えがわからない。路線図だの時刻表だの理解できないものを理解しようとつとめて眺めていると胃がきりきりしてくる。ビデオ屋もみずから会員にならない。なぜなら私には目当てのビデオを捜すことがことができない。監督別、役者別、あいうえお順、入り混じっている文字を目で追っているとこれまた胃がきりきりしてくる。
そうすると、行動が非常に狭まってくる。決まりきった場所しか移動せず、決まりきったことしかしなくなる。
そして結論は、自堕落でもなければ、初心なのでもなく、面倒くさがりやでもなく、ひとりで旅をするための行動力を温存してるのだろう。

私の子どもの年齢の作者が2005年(13年前)に書いているのですが、これ私と思わず笑ってしまった。そして最後のオチみたいのにもっと笑ってしまった。
私は乗り換えが少しわかり、絵画館には行けるが、他は殆ど同じ様な状態。違うところは一人で国内はおろか海外旅行もできないし、その上私には作家と言う文章の上手な、物語を構成する能力なく、何の取り柄もないと言うことで、一瞬暗くなったのでありました。呆れられてもいます。この3年間、努力ということが私の体から抜け去ったこともとても痛い。

しかし、スマホがこんなに便利になった現在、まさか作者がこの状態が続いているとは信じられないけれどどうなのでしょう。
私もスマホを使いこなせず、決まりきったことしかしていないで、上記のチケットを買えない云々殆ど出来ないが、とても便利でもうやめられない。ないと困る。
再び思う。角田さんはバリバリに使いこなして上記の事を全部こなしているのか。何しろ若いのですから。

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先日名古屋で川上貞奴が福田桃介と住んでいた家を拝見してきたが、貞奴と川上音二郎が結婚して住んでいたのは私の故郷・茅ヶ崎。
駅から南へ200m行ったところに高い松などがたくさんそびえて、今はきちんと整備された高砂緑地があって、そこに彼らは「萬松園」と伊藤博文に名付けてもらった家に住んでいた。九代目の市川團十郎を慕ってそのそばに住んだというわけだ。その後実業家・原安三郎(三溪園を造った人)の別荘になった。私がいた頃この前をよく通った。
その原別荘の跡地に貞奴たちが住んでいた方の場所は今は立派な市立図書館になり、別荘の中で茶室・書院が「松籟庵」として残っている。
用事があって行ったのが月曜だったのであいにくお休みだったが中の庭を垣根越しに覗いてみた。
その門と庭
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平塚らいてうに碑 雷鳥は奥田博史と事実婚で、結婚した頃奥田が結核を病み茅ヶ崎の南湖院で療養中、らいてうは看護していた。
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2018年12月13日 (木)

名古屋城・徳川園・徳川美術館観光

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インフルエンザも治って(次の副作用が始まる直前)、打撲のリハビリで少し歩こうと出掛けたのが名古屋です。
名古屋観光ルートバス「メーグル」で廻ります。

            
久しぶりに新幹線から富士山が見えて富士山気違いは大喜び
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●名古屋城
1610年に関ケ原で勝利した徳川家康は、天下普請として加藤清正・福島正則ら西国大名20家に、豊臣方への備えとして名古屋城の築城と清州からこの地への引っ越しを命じました。天守や櫓は小堀遠州・中井正清らに命じ、1612年に完成。
尾張初代藩主として家康九男の義直が入り、御三家筆頭尾張徳川家の居城として栄えました。
戦災でやられたけれど、東南・西南・西北隅櫓、天守(修理中)、本丸御殿、表と東の二の門、二の丸庭園などが復元されています。

                                    初代藩主の菊人形と奥方

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金のシャチ 名古屋城のシンボル。創建時は貼られた金の量は慶長大判で1940枚だったそうだ。鯱は空想上の生き物で、水を呼ぶといわれることから火除けのまじないとされた。
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必勝カヤの木(天然記念物)推定樹齢600年。1945年の空襲でも枯死を免れた。大坂夏の陣に藩主義直が父・家康と共に出陣の際、カヤの実を武勲を祈念して食したという。
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    西南隅櫓と天守閣(今鉄筋コンクリートから木造に耐震のために修理中)
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西北隅櫓公開中(名古屋城には~丸が4つある。本丸、二之丸、西之丸、御深井丸)。この櫓は御深井丸(おふけまる)にあって、現存三階櫓14のうちの一つ。他の櫓同様3階だが、他は1,2階は同面積、3階が狭くなるが、ここは階を上がるにつけて面積が逓減していく。櫓については殆ど知らなかったのでこの説明は面白かった。
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                   2階からの眺め
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天守と本丸御殿。鯱が小さく見えた。鯱の高さは約2.5m 。18Kの重さは両方で約88㎏だそうだが。
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<本丸御殿> 天守閣とともに国宝だったが空襲で焼失。13棟からなり、室内は花鳥風月などを画材とした障壁画や飾金具などで豪華絢爛。今年6月に復元公開された。

                       玄関
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                   表書院 謁見の間
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               対面所 身内だけが立ち入れた
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上洛殿 3代将軍家光の上洛に合わせて増築された豪華絢爛な間。天井、欄間。
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                       廊下
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          飾り金具
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                       梅の間
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                 二之丸庭園 枯山水回遊式
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●徳川園と徳川美術館

徳川園の起源は尾張藩第二代藩主光友の隠居所の跡地に1695年に築造された大名庭園。その後家老職へ。明治22年尾張徳川家の邸宅。昭和6年に名古屋市に寄付され、空襲で焼失。2004年に再整備で開園。
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              子福桜とイソギク
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続いて徳川美術館へ。徳川の名品の数々や能舞台、途中で蓬左文庫も見学した。短期間限定の「源氏物語の世界」をやっていて、国宝の「源氏物語絵巻」を見ることができた。

●文化のみち(白壁地区) 江戸期に武家屋敷があり、明治・昭和にかけては起業家、宗教家、ジャーナリストなどが交流する舞台となった場所で、戦火を免れた建築物がたくさんある。

<二葉館>
「日本の女優第一号」川上貞奴が夫の音二郎が亡くなり7年後女優をやめた後、電力王と呼ばれた福沢桃介の建てた二葉町のこの家に桃介とともに暮らした。当時財界人や文化人のサロンになっていた。その後少し離れた文化のみちに移築復元された。
ステンドグラスの美しい館で、貞奴の居室や書斎がそのままの状態で見られた。
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カトリック教会
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名古屋市市政資料館
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お土産は「金鯱ういろ」なかなか美味しいういろうでした。
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2018年12月 9日 (日)

高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

木枯らしも吹かなかった暖かだった11月、12月になってもまだエンジェルストランペットが咲いていましたが今日枯れました。
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tona自虐本・・・高野秀行著『辺境メシ』~ヤバそうだから食べてみた~

打撲した時にすぐ骨密度を計測され、血液検査のための血を抜き取られた結果、転落4日後にはもう骨粗鬆として薬を飲むことになりました。
11日間飲んだとき、書いてある副作用の中で、食欲不振、下痢の症状が突然現れ、即、勝手に薬をやめても1週間以上続き、おかゆとスープと栄養補給剤で安静に過ごしていました。
静かに歩けるようになって自虐本として買ってきたのが『辺境メシ』。
何しろテレビで美味しそうな食べ物を見ても顔を背け、無理に口の中に押し込んでいた状態だったのに、もっと凄い食べ物を見て、普通の食べ物が美味しく見えるか、いえいえ自分を虐めちゃえという心境。

いやはや高野さん、どこの国の”うえっ”というような食物、飲み物も全部一人だけでも試してしまうのですから、もう驚きを越えて同じ人間かと呆れてしまうほどでした。
小さい頃胃腸が弱かったという著者が、なぜ辺境ばかりに行って変な食べ物を口にして美味しくて満足したり、まずくても味わったことを喜んだりしているのか、本当に変わった人だと思います。
以下、今まで聞いたことのある食べ物や驚いた食べ物
<アフリカ>
ゴリラ・チンパンジーの肉や猿の脳みそ。蟻。ラクダの肉、ラクダ乳丼。デーツは過酷な砂漠マラソンの必需品。

<南アジア>
羊の脳みそと睾丸。水牛の生肉、皮、脊髄リンパ液、頭全部、髄液胃袋包みカリカリ揚げ。

<東南アジア>
巨大蜘蛛の唐揚げ。虫の缶詰(モグラコオロギ、ゲンゴロウ、蚕のさなぎ、バッタ、赤アリの卵)。大ナマズのトムヤム。
虫のサンドイッチや虫のピザ。田んぼフーズ(蛙、おたまじゃくし、ムカデとイモムシを掛け合わせたようなガムライケーン、その他ゲンゴロウなど)の水煮。
ネーム(豚の生肉発酵)・・これは最高に美味しいそうだ。

<日本>
猛毒フグの卵巣の糠漬け。ツチクジラ。猫を狂わす「ちゅーる」。ワニ(鮫)のバーガー・ソーセージ・サブレ。

<東南アジア>
ホンオ(韓国のエイの発酵食品)は世界で2番目に臭く恐ろし事になる食べ物。ちなみに1番はスウェーデンの「シュールストレミング」・・食べた後で失神したり入院したりする人が大勢いるとか。
虫と言えば、バッタ、タランチュラ、セミの幼虫までは聞いたことがあるが、巨大ムカデとサソリを作者は間違って生で食べた、きゃー。唐揚げにしたら美味しかったそうだ。
豚の生血の和え物。山羊の胃の中のものスープ。中国最凶の料理・胎盤餃子。

<中東・ヨーロッパ>
イランのチョウザメ肉。上記のシュールストレミング。臭さを形容した言葉が数々あるけど、それはそれは凄い。トルコの2.5cm四方の皮に包む極小餃子。

<南米>
ペルーの蛙丸ごとジュース。ヒキガエルジュース。アマゾン蛇のスープ。アンデスの巨大ネズミ串焼き。ペルー・アマゾンの口噛み酒(普通の醸造より美味しかったそうな)。
幻覚剤ヤヘイで1時間なのに千年間も旅をしてしまった幻覚剤を試す。

著者はヘンな食べ物探索がライフワークなのだそうであり、今や消えようとしている世界の伝統食品を消える前に早く食べに行かねばとおっしゃる。

読んでいるうちに時が経って私の副作用が消えたのでありますが、もう写真と文章で想像するだけで何一つ食べたいと思わない。以前にも書いたように唯一の私の食の冒険がイモムシの焼いたのであります。

そんな折も折、山友だち(80代の男性)が春から痩せた(伝聞)そうで、すい臓がんと言うことを本人から電話で知りました。入院せず、今は病院に腹水を抜きに通っていて殆ど食べられないとのこと。でも癌の治療は一切しないと言っています。さすが山男、凄いのですが、物を食べられないという憂き目、辛い日々ですね。tonaさんは無理にでも飲んだり食べられるだけいいよと言われました。全くその通りです。

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2018年12月 4日 (火)

モロッコ周遊(最終回)

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●7日目11/2(金)シャウエン観光~首都ラバト~カサブランカ(リックス・カフェで夕食)

◎シャウエン

青・青・青のシャウエン。
何故この街が青く塗られたのか?
諸説あるようです。
・街の人々は青が好きだから
・元々、スペインに住んでいたユダヤ教徒が、キリスト教徒にどんどんと追われる形で、この山並みのシャウエンへと住み移り、やがてユダヤ教で“天空・神・心の平静・海”などを象徴する神聖な色である青の色を、家の外壁に塗り始めたのが、その理由だとされている。…するとユダヤ人が住む町はすべて青くなるはず。
・青はイスラムの神聖な色だから。・・・ではなぜシャウエンだけに。
・元々この辺の石灰石は青みがかっている
・虫よけのため
・夏の暑さを涼しげな青色で紛らわせるため

シャウエンは1471年にアラビア人が建設し、ポルトガル、スペイン軍を阻止する拠点だった。イぺリア半島から移住してきたイスラム教徒やユダヤ教徒が定住し、街は拡大した。1920年にスペイン領,1956年にモロッコに返還された。

早朝にアザーンの声が下の街の方から聞えてきた。今日は天気も良くホテルの室内から街を又眺めてみる。
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   昨夕より青く見え、ズームして見ると屋根の色はまちまちということがわかる。722_450x300_2
ホテルから徒歩で下の街まで家々を見ながらゆっくり写真も撮りながら昨晩のメディナの中心ハマーン広場まで下っていくと、建築様式はスペインの影響も見られるが、建物の外部に庭を作らないというイスラムの特徴がわかり、しかしながらイスラム風のタイルが散りばめられた玄関や壁にフラワーポットが見られるなど、青の中にいろいろなアクセントとなっていることが、まず日本では考えられない風景となっている。
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シャャウエンなどモロッコは猫が街の中でも可愛がられているようである。最後の猫は我等がガイド助手さんが猫の餌を買って与えている所。ここの猫は岩合さんの映像にもあったような。
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                 ハマーン広場に到着
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               お土産を買ったお店のおじさんがポーズ
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                     青く塗られた墓地
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◎ラバトへ
ラバトは一度12世紀中頃ムスヒド朝が首都にしたが、その後フェズへ、1912年にフランス統治下でモロッコの首都となる。

          さすが一国の首都、道路も建物も立派になってくる。
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  海辺のレストランで食事。 主菜のシーフードミックスフライが美味しかった。
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         ところ変わればお墓も変わる。形の面白い墓石がびっしり。
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モハメド5世廟 1956年モロッコの独立を宣言し、追放先のマダガスカルから帰国したモハメド5世の廟。その息子2人もここに眠る。
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          お母さんはだめだが子供の写真は撮らせてもらえる
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                  衛兵は白馬に跨る
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◎カサブランカに戻ってくる。(1泊して8日目空港より出発、アブダビ経由で成田に9日目の昼過ぎに到着)

リックスカフェにて夕食。映画のセットを模してこの地に建てられた。
映画『カサブランカ』『モロッコ』を借りてきてもらったので見た。『カサブランカ』もモノクロだがイングリッド・バーグマンの美しいこと!うっとり。
『モロッコ』のマレーネ・ディートリッヒのあやしげな美しさを久しぶりに拝見。サハラ砂漠がちょっぴり見えただけだった。昔の映画で気になるのが煙草をやたらふかすことかしら。
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今回は洗濯を一切しないように準備して行ったこと、お茶も部屋で沸かさないで、店で暖かい紅茶をいつも飲んだこと、6泊のホテルのうち湯船に浸かったのは2日だけ。お風呂に入らなくても死なないねと言って睡眠時間確保に充てたことと、移動距離が長く居眠り多し。というわけで朝早いことも多くても、自分ではハードと思わなかったけれども、疲れは帰ってから出るものと身に沁みました。もう2度とこういう国やハードなスケジュールの旅行に行かないように釘を刺されました。勿論もう懲り懲りです。

イスラムの国と言えばトルコに2度ほど行きましたが、イスタンブールのバザールとモスクでちょっぴり味わっただけ。アルハンブラ宮殿の思い出は遠くなってます。エジプトはさらに昔に行ったので遺跡に気を取られ、イスラム教の「イ」の字も頭にありませんでした。しかし今回はイスラム教が誕生してすぐアフリカ北部モロッコまですぐ進出しベルベル人が追いやられ(しかし彼らは共存し、しっかり定着して生きている)、その倍のアラビヤ人によって国が統治されていったことを知り、対岸のスぺイン、ポルトガル、フランス等との確執などおぼろげながら知るにとどまりましたが、日本にはない自然を楽しんできました。

今日で帰国してちょうど1ヶ月です。長い間読んでいただきありがとうございました。

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2018年11月30日 (金)

モロッコ周遊(5)

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●6日目11/1(木)フェズ観光~青の街・シャウエンへ

◎フェズの迷路
マラケシュの時と同様に雨です。
フェズは世界一の複雑な構造の迷路と言われている。モロッコ初のアラブ系王朝イドリス朝(9世紀)及び学問、文化の中心として栄えたマリーン朝(13~14世紀)の王都であった。
現在はモロッコ第4の都市で人口約120万人で文化・手工業の中心。

                         マリーン朝のスルタンが建設した14世紀の居城
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               街の南の要塞からのフェズ。隙間ない迷路の様子がわかる。
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                                いろいろな植物が植えられている
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いよいよメディナ散策。ガイドさんとアシスタントさんに挟まれて迷子にならないように必死に後に付いていく。
青の門・ブー・ジェルード門から入る。14のうちのフェズ最大の門。外側の青はフェズのシンボルの色。2つの塔が見えている。
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                                  内側はイスラムの聖なる色の緑
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                                                 肉屋
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                                                   猫が多い
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ブ・イナニア・マドラサでフェズ最大の神学校(1350~1912年)だったが、現在は博物館。
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タンネリ 皮なめしと染色工房見学 入り口でミントを渡される。ずっと鼻にしていないと強烈な臭いで気分が悪くなってくる。テレビでも数回見たけれど、こんな所で働いている人がこんなだったとは。テレビからは臭いが伝わってこなかったので驚く。牛、羊、山羊、ラクダの皮を天然染料で染色している。赤はケシ、オレンジはヘンナ、黄色はサフラン、緑はミント、青はインディゴだそうだ。
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                ムーレイ・イドリス廟 808年に王都を築いたモロッコ王の聖地
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◎シャウエンヘ 夜のシャウエン散策

シャウエンが見えてきた。この段階ではそんなに青く見えません。写真中央山裾の白い建物がホテル。
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                                               ホテルからの街
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ホテルの夕食では添乗員さん(男性)が厨房でソーメンを茹でてふるまってくださいました。今晩の主食になり美味しかったこと!日本からはるばる20人分のソーメンを持ち歩いて重かったことでしょう。やっと軽くなりましたね。その他味は薄いために各種ドレッシング、醤油と、毎日バスで日本のお菓子を、時には3種類も配ってくださり、即いただきました。
何時も写真は自分のは殆どなしですが、今回はラクダに乗った写真などたくさん撮ってくださったり、気配りが行き届き、何も抜けてないという今までの男性添乗員の中で3大添乗員の一人です。

食後20:30から21:50まで夜のシャウエンの街を散策した。 青い色はやはり明日行く午前中が一番きれいであった。
バスでメディナの中心のハマーン広場へのグランモスク(ベン・ラシッドが1471年に建設)の付近を散策する。
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                                            夜のシャウエン
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             帰ってホテルの部屋から再び街を見る
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2018年11月27日 (火)

モロッコ周遊(4)

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●5日目10/31(水)サハラ砂漠の朝日見学とベルベル人テント訪問~雪のモワイアン・アトラス山脈を越えフェズへ、

◎5:20起床で6:00に4WD10分、ラクダステーションに向かう。ラクダさんたち、こんなに朝早くからご苦労様ね。

4~5頭繋がれたヒトコブラクダに乗ります。サハラの日の出鑑賞ポイントまで約30分揺られる。(行きはよいよい、帰りは・・先頭と交代したラクダの瘤の位置が悪いらしく痛くなって下りたくなってしまったが必死にしがみついていた)。それにしても真っ暗な中を何を目印にポイントまで行けるのか。目が凄くいいのですね。421_450x300
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日の出は大体7時25分頃 地図を見ると日の出るあたりはアルジェリアだ。

                                             7時19分
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                                               7時21分
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                           7時23分 砂漠の色が見えてきた
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                  7時24分頃、日の出の時間だが雲で見えず残念無念。
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急な坂を下りるのは潜って転ぶので危険。傾斜のない方を選んで降りていく。
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                                             砂漠に水
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                                                  ラクダ
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                                 私を連れて行ってくれたおじさん
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                                         雲が出てきた7:49
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◎ベルベル人のテント訪問

ベルベル人のテントと向こうに見える建物が冬用の建物
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                               お母さんが羊?の毛を紡いでいる
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おや、いつの間に家族全員揃っている。そっぽを向いている間、一体どこから出てきたのだろう。
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テントのそばには鶏やヤギなどの家畜が。今も殆ど自給自足の生活か。毎日何を考え、どんなことをして生活しているのか、その一部を見たのだが。
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             砂漠の中にも所々にこうした家があった
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                  オーベルジュへ帰る
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◎フェズへ向かう

ズィズ渓谷沿いを走る。ナツメヤシの群落。今丁度デーツの収穫時。市場にも山と積まれて売られていた。
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軍事基地の町エルラシディアを通り過ぎると、ハッサンアッダーヒルダムが見えた。かなり大きい。
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昼食するミデルトの町に近づくと何と雪(標高1400m)。交通も閉鎖と言うニュースが入ってきたが、除雪車も出て再開してホッとする。
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雪の中のモアイアン・アトラス山脈を越えるとき、アトラス杉が多く目についた。
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イフレンはモロッコのスイスと呼ばれる高級避暑地。家族で滑っている人など雪の中で遊んでいる人々が。
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                 木々は黄葉していた
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無事18:30にフェズのホテルに到着。今日は朝のサハラ砂漠から、アトラス山脈の雪景色まで、実に変化に富んだモロッコであった。

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2018年11月23日 (金)

モロッコ周遊(3)

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●4日目10/30(火) ワルザザード~アイト・ベン・ハッドゥ~トドラ渓谷~メルズーガ(サハラ砂漠泊)

                     朝7:30に出発すると朝焼けのハイアトラスがきれい!
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先ずアイト・ベン・ハッドウへ。
ここでは1954年の『アリババと40人の盗賊』を皮切りに1962年『アラビアのロレンス』、1985年『ナイルの宝石』、2000年『グラディエーター』、2010年『プリンスオヴペルシャ』など20本以上の映画が撮影されている。
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11世紀頃集落ができ、ハッドゥ家が支配し、塩などを運搬する隊商交易で栄えた。孤立している集落で、掠奪から身を守るため、城砦のような構造で川が自然の壕となり、入口はひとつだけ、1階は窓がなく換気口のみ。路は入り組んでいる。外壁には銃眼が。最上階は穀物倉庫が備えてある。ベルベル人やその補修工事などや作ったお土産品が見られた。昔からの生活もいかに大変であったかを垣間見た。
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                                          近くの撮影所
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                                     カスバ(要塞)街道を走る
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                                            結婚式の行列
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                                      お昼は有名なタジン料理
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トドラ渓谷 約25万年前の石灰石の岸壁。ロッククライミングの場。
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カナート イランや中央アジアから技術が伝わり、山から水を引いて飲料・潅漑用とした。大変な工事だったようだ。
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エルフードに到着した後、1泊2日用にした荷物を積んで、4WDに乗り換えサハラ砂漠のメルズーガのオーベルジュに到着。
宿泊した建物と部屋
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明日、いよいよ早朝サハラ砂漠の朝日を見に行く。


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