2016年12月 8日 (木)

まさかの居眠り『インヘェルノ』

269x380
もうすぐ終わってしまうらしいと聞いて、思い立って映画『インフェルノ』を昨日観てきました。『ダ・ヴィンチ・コード』は本も読んで何となく覚えていましたが、2作目の『天使と悪魔』はうろ覚えでもう一度録画したので観たら丁度バチカンの話を書いた本を読んでいたので、とても面白く観られました。
そして3作目の『インフェルノ』、ダンテの神曲の地獄篇とそれを描いたボッティチェリの絵が関係するそうだ。絵の方は見たけれども、『神曲』は読んでいません。
とても難しそうなので読む気力がありませんでしたが、阿刀田高の『やさしいダンテ<神曲>』を婿さんに借りて読んだら意外や面白いではありませんか。
旧約・新約聖書、ギリシャ神話、ダンテが生きていた当時の有名人や友達、それ以前に生きた皇帝や司教などが地獄に落ちてしまっていたり、更生して天国に向かう煉獄にいたり、天国にいたりと段階ごとに出てくる。 
そもそもダンテが冥界に行くことになってしまったのは、暗闇に包まれた森に迷い込んで脱出できなくなったから。天国にいるベアトリーチェの依頼で辺獄にいたウェルギリウスがダンテの救出にやってきたわけで、地獄、煉獄、天国を巡って帰ることになったというわけです。

この映画は、生物学者ゾブリストが人類増加問題の解決策として恐ろしい伝染病を世界に広めようとしている。その方法は詩人ダンテの叙事詩「神曲」の「地獄篇」になぞらえて計画を実行している。ラングドン教授がダンテの神曲の「地獄変」に隠されたヒントを手掛かりに、女医シエナと共に、謎を解明していくという話です。
世界の人口が増え続けることは確かに大変な事でありながら、それに対して恐ろしいことを考える学者を設定し、これって本当に今に起こるのかと錯覚してしまう、なかなか考えさせられる話題ではあります。
フィレンツェ、ヴェネチア、イスタンブールと美しい都市が出てきて懐かしく、建物の天井裏にこんな隠れた場所があったのかと驚いたりしているうちに、ラストの謎の隠されたイスタンブ-ルの地下の貯水池、逆さになったメドゥーサが映し出されて、いよいよクライマックス、アクションが続いている頃、何と肝心要の所で自分では一瞬と思った居眠りをしてしまったのでした。気が付くとラストに近いシーンが。びっくり仰天。何と言うことでしょう。ナルコレプシーみたい。今度WOWOWプライムでやったらもう一度見なくては。
学生時代は勿論、映画や芝居や講義で居眠りしたことがないのに、最近の自分にこの他にも驚くばかりです。

        *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

雪の後にむっくりと起き上った一輪のサルビア、とうとう枯れて種が取れました。
1122_307x460

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 5日 (月)

草戸山(364m)

草戸山は南高尾山稜の山で、今年3月に大垂水峠から中沢山まで行き、残り一つを残した山です。来週大山の足慣らしその(1)ですが、あまりきつくありません。
高尾山口で下車し、目の前の山を登って行きます。
町田市の最西端に位置し、この364mが町田市の最高峰だそうだ。そして八王子市と相模原市との境界線上にあるとのことで、どちらからも登れる。逆に高尾山がそんな位置にあるということを初めて知った次第です。
この山は境川の源流が流れ出ていて、東京都と神奈川県の境界に沿って南東に流れ、向きを変えたりして藤沢市の江の島付近で相模湾に注ぐ。江ノ島の辺りは片瀬川とも呼ばれていましたっけ。小田急江ノ島線の終着駅も片瀬江ノ島と片瀬がつきます。

高尾山口駅はかなり前から改装され、温泉もある。尾籠な話、女子トイレの数が多くなって嬉しい。460x307_2
                 ずっと落ち葉一杯の道を歩む370x247
真ん中の木を挟んで左の方側に富士山が写っているのですが、良く見えませんね。460x307_3
               今の時期の竹林の緑の美しさに驚く460x307_4
                        黄葉460x307_5
                高尾山がなだらかな姿を現した460x307_6
                      草戸山頂上307x460
                     山之神(大山祇命)460x307_7
頂上から
                 相模原なのか町田なのか?460x307_8
         城山湖が木の間にキラキラしているけれども殆ど見えない460x307_9
              下山でまたまた「うかい竹亭」の前を通る460x307_10
460x307_11
460x307_12
                       地蔵様460x307_13
               川の流れの両側も落ち葉がびっしり460x307_14
                駅近くの紅葉がまだきれいです460x307_15
         *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*


今日で早大の方の4月からの美術講座が一区切り。知り合った、名前も知らないお友達が、先週ニューヨークの美術館めぐりに行ってきての絵葉書のお土産です。
私がニューヨークで時間があったのに、フリック美術館のフェルメール3点をうっかり見損なった話をしていたのでした。それを見ていれば、フェルメールはもう見られない3点だけでとても残念と言ったからです。私もこんな気遣いが出来る人になりたい。

                       稽古の中断           
                  兵士と笑う女   女と召使307x460_2
 
         *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

流行語大賞が決まってから、夫が何度も自分のことを「神ってる」と言うので無視しております。今日やっと言わなくなりました。

| | コメント (20) | トラックバック (0)

2016年11月30日 (水)

『おまつり万歳』たかぎなおこ著

467x650_2

『150㎝ライフ』でデビューし、ひとりぐらしシリーズ、様々な体験旅行やマラソンチャレンジ旅などで笑わせてくれた著者もとうとう結婚して、今度は全国のお祭りに出かけて行った。
「帯に絶景のお祭り、伝統の祭り、かわいい祭り、踊りまくりのお祭り。春夏秋冬、近所のお祭りから旅先でのお祭りまで」とあり、11のお祭りに行って良く食べ飲むたかぎさんです。
日本の祭り一覧を調べたら740近くあり、多い所が関東、中部。多い県は千葉県や富山県。1つしか紹介されてないのが徳島県、高知県。

著者が行ったのは
 小原四季桜まつり(愛知県豊田市小原町)
 ふるさと祭り東京(文京区)
●弘前さくらまつり(青森県弘前市)
●初午まつり火伏せの虎舞(宮城県加美町)
●大四日市まつり(三重県四日市市) 
 柳井金魚ちょうちんまつり(山口県柳井市)
 盆踊り大会(全国)
●龍勢まつり(埼玉県秩父市)
 鬼鎮神社の節分祭(埼玉県嵐山町)
 犬っこまつり(秋田県湯沢町)
 横手の雪まつり(秋田県横手市)

●印が一覧に載っていた祭りで、著者が行った祭りの約三分の一に過ぎない。小さなお祭りまで併せたら日本には数倍もあるに違いない。
以前ドイツ旅行で一緒になった男性が日本のお祭りを追いかけて数十年、50歳を過ぎたけれど、会社の合間なのでまだまだだと、祭り気違いぶりを披露していましたっけ。
ちなみに私は「札幌雪まつり」や「おわら風の盆」「平塚七夕」などたった6つしか行ったことがない。

それにしてもたかぎなおこさんの好奇心旺盛な事、引っ込み思案風でありながら何でも首を突っ込んで、どんどん実行に移してしてしまうことが凄い。
こんな細かい漫画を描くという作業もとても大変でしょう。
次はどんなことをし、どんな所へ行くのかなど興味深く、あと5年、長くて10年でしょうが、ずっとこの方を追っていきたい感じ。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2016年11月27日 (日)

亀戸大根&ジャズコーラス

亀戸で亀戸大根の料理を食べ、その後ジャズコーラスを聴きに行ってきました。

まず亀戸駅から7、8分にある「升本」で幻の大根、亀戸大根あさり鍋を食べました。
首都圏では昔から練馬大根、三浦大根、そして今幻の亀戸大根が有名ですが、亀戸大根は初めてでした。460x307
亀戸大根は日本一小さな大根です。長さ30㎝程度でわずか200g。色白でキメが細かく普通の大根より甘みが強く、ビタミンCも豊富だそうです。
鮮やかな緑の葉に対して、真っ白な軸(葉柄)が特徴で、他の花粉が付くと軸が緑に変わってしまうため、近くに作物を植えないようにして自然交配を防止する。升本が育てているそうだ。460x307_2

文久年間(1861~1864)の頃から亀戸の香取神社付近で栽培が始まり、最も盛んに栽培されるようになったのは明治で、可愛らしい姿から「おたふく大根」「あかめ大根」と言われていたが、大正時代に産地の名を取って「亀戸大根」と呼ばれるようになった。367x460_2
頼んだのは刺身と亀戸大根あさり鍋。あさりの炊き込みご飯に鍋から具と汁をかけながらいただくもので、あさりが鍋にもたくさん入ってとても美味しい。他につみれの揚げ物、亀戸大根たまり漬けも美味しい。別室では「お食い初め」のお祝いのようで赤ちゃんの泣き声が時々聞こえてきました。324x380
460x307_3



『映画とミュージカル音楽をジャズコーラスで!』By BREEZU 於すみだ生涯学習センター

ジャズコンサートは初めてです。
「シェルブールの雨傘」「いそしぎ」「シャレード」」など殆ど私の学生頃の映画からのが多く、勿論観客も同年代が殆どで、若い頃を思い出して楽しんでいます。
演奏のピアノとベースの演奏にも熱が入っています。ソプラノ、アルト、テノール、バリトンの混声ジャズボーカルカルテットで親しみやすく、トークも洗練されていて楽しかった。
342x460
392x650

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2016年11月24日 (木)

永青文庫「仙厓ワールド」と新江戸川公園

文京区目白台にあるこの永青文庫は始めてです。

地下鉄早稲田駅を降り、北に向かって歩くと神田川に出ます。中央のビルは椿山荘のホテル。460x307
橋を渡ると「胸突坂」が目の前に。坂下の左側(西側)には「水神社」、右側(東側)には「関口芭蕉庵」があります、後で見ることにして永青文庫へ。307x460
永青文庫は、元総理で陶芸家の細川護熙氏(18代)の祖父・16代護立が設立した。460x307_2
460x307_3
457x650_22_322x750_2出光文庫で数回見た仙厓ですが、ここ永青文庫でも100点以上仙厓作品を所蔵しているそうで、4回に分けての展示。今回第2期目で26作品を鑑賞。
ちらしではクリックしても小さくて見にくいと思いますが、ユーモアに富む禅画が楽しい。禅画の傍らに仙厓のコメントが書かれているのは、仙厓が禅の心を人々に説いたものと言われる。

文庫の前のここを降りると「新江戸川公園」の庭園に出ます。公園名も来年から「肥後細川庭園」と改名されるそうだ。460x307_15
庭園の真っ赤な紅葉と松の雪吊りが美しい。

460x307_4
460x307_5
460x307_6
460x307_7
460x307_8
庭園を出ると胸突坂に至り、先ほどの「水神社」へ。徳川家康が命じて造られた神田上水(神田川)は度々氾濫した。その堰の守護神として、江戸の町の安泰を祈願する神社。
上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちが参詣が多かったと言われる。
このあたりは田園地帯で、清らかな神田上水の流れ、前には早稲田田んぼが拡がり、後には目白台の椿山を控え、西には富士の姿も美しく眺められて、江戸時代は後楽に地であったと書かれています。460x307_9
                   御神木の大きいこと!307x460_2
             道祖神もひっそりと。見猿、聞か猿、言わ猿。307x460_3
坂の右手の「関口芭蕉庵」は、芭蕉が1677~1680年まで、神田川改修工事に参画してここの庵に住んだ。460x307_10
460x307_11
460x307_12
460x307_13
460x307_14
さらに東に進んでいくと江戸川公園に入る。小学生の頃、弁天町に住んでいた私はこの公園に遊びに来ていました。

大井玄洞胸像 明治43年の神田川の洪水後、大井玄洞が大正2年(1919年)から護岸工事を始め6年後に完成させた。昭和3年(1928年)に人々は治水の功績をたたえて胸像を建てた。307x460
神田川には桜の木が続いていて、春になったらきれいな眺めでしょう!

| | コメント (16) | トラックバック (0)

2016年11月20日 (日)

鎌倉11 長谷寺~極楽寺界隈(2)

460x336
長谷寺のあと、地図の青印の残りの6寺社を回りました。今は歩くのに一番良い季節です。

68 光則寺 日蓮宗

                                                   山門307x460
以前行ったときはたくさんのヤマアジサイの花を見て楽しみました。
拝観料をおさめる箱の横に置かれた「四季の光則寺 山野草と茶花のマップ」という手書きの印刷物を見て、何百種類か、その種類の多いことに驚かされました。花の寺として鎌倉では有名です。460x307
ウサギゴケ(タヌキモ科)兎に見える。苔ではなく藻の仲間で食虫植物だそうだ。珍しい花に出会えました。460x307_2
              ピンクと白のダイモンジソウ(ユキノシタ科)460x307_3
460x307_4
                   ジンジャー(ショウガ科)460x307_5
正式名の行時山光則寺の命名は、北条時頼の家臣、宿屋行時・光則父子の名を付けた。日蓮が佐渡に流された時に、弟子の日朗は光則の屋敷に捕えられていた。後に日蓮に帰依した親子の屋敷を光則寺として日朗を開山として仰ぎ1274年に創建した。
この本堂は1650年の建立460x307_7
                    日朗上人 土の牢460x307_8
                     土牢の中460x307_9
          ピラカンサをこんなにきれいに仕立てている家があった460x307_10
69 御霊神社
源義家の家臣で武勇名高い、鎌倉権五郎景政を祀る。志すことの成就、眼病平癒に効験があるとされる。41_460x307
460x307_11
                  鳥居のそばを江ノ電が走る460x307_12
ここには境内社がたくさんあります。稲荷神社、秋葉神社、祖霊社、第六天社、地神社、石上神社、御嶽神社、金毘羅神社です。

                      稲荷神社460x307_13
460x307_14
                      石上神社 460x307_15
239x460
                       カワラタケ460x318
70 虚空蔵堂
鎌倉十井の一つ「星月の井」があり、行基が彫ったと言われる虚空菩薩像があるが、いずれも見られなかった。460x307_16
舟守地蔵 海のまち鎌倉として、海上安全、大漁満足、海難除、水難除、船舶や水に関係する人に功徳を授けると篤く信仰される。307x460_2
● 日限六地蔵尊460x307_17
460x307_18
71 成就院 真言宗大覚寺派

アジサイが美しく海が見られる東側の坂は修繕で閉鎖中でした。460x307_19
空海がこの地で護摩を焚いて、虚空蔵菩薩求聞持法を修めたと伝えられる。460x307_20
          1219年、北条泰時が本尊に不動明王を祀って創建。460x307_21
                       江ノ電460x307_22
72 極楽寺 真言律宗

                   山門 境内は撮影禁止460x307_23
1259年 開山:忍性 開基:北条重時 元寇にさいして異国退散の祈祷を行い、幕府滅亡後も国家安泰を祈る勅願所として寺だった。

73 熊野神宮 極楽寺の鎮守社
460x307_24
本の著者(槇野修)が「平日の午後、観光客も参拝者もなく静かなひとときで、境内を一匹の猫がのんびりよこぎっていた」と結んでいるのであるが、私たちが行ったときも誰もいなく、全く同じで猫がよこぎり、神社の下に座ったのには、驚き偶然に笑ってしまいました。
作者は少なくとも4年前に訪れている。まさかその時の猫ではないでしょうね。460x254
帰り道、マユハケオモト(ヒガンバナ科 眉刷毛万年青)をやっと私も見ることが出来ました!460x307_25

| | コメント (20) | トラックバック (0)

2016年11月17日 (木)

鎌倉11 長谷寺~極楽寺界隈(1)

昨日、11/16にまだ紅葉には早いと思われましたが鎌倉へ。江ノ電の長谷駅で下車。12650歩。

東京駅経由で行ったため着いたらもう昼食の時間になって、長谷駅付近でお抹茶付きの半分生しらすの丼セットを食べました。460x307



460x336
                       地図の一番下の見えにくい寺は「成就院」です

67 長谷寺 浄土宗系単立寺院 鎌倉三十三観音霊場第4番 

奈良の長谷寺は真言宗豊山派なので両寺が宗派としてのつながりはない。
昔、徳道が巨大な1本のクスノキから二体の十一面観音像を彫らせ、一体は奈良長谷寺に、もう一体は行基が海中の投じたのが横須賀に浮かび上がり、鎌倉に遷され長谷寺が創立されたというのである。

以前アジサイの咲くころだったので、アジサイと蓮池と展望台からの海の景色のみを楽しんだのですが、今回はいろいろな仏様を拝んで参りました。

               山門の横のコブコブの樹が目を引く460x307_2
池の周辺の紅葉はもう少しといった所ですが、人気のお寺、人が一杯。白人も多かった。460x307_3
                卍の形をした、卍池があった。460x307_4
    あちこちにシュウメイギクとツワブキの花が咲いていた
460x307_5 460x307_6

               地蔵堂にも何故か真剣にお詣り460x307_7
                    金ぴかのお地蔵様307x460
460x307_8
460x307_9
460x307

                         鐘楼460x307_16
どんどん登って阿弥陀堂の阿弥陀様にお目にかかる。階段を上っているときに大した階段ではないのに、小学校4年生くらい男の子に「大丈夫ですか?」と声をかけられた。何しろ白髪頭の私なので同情されたのすね。本当に優しい子。こんな生徒がいるのですね。授業の一環で勉強をしにグループでお寺を回っているようです。307x460_2
         本堂の観音様は撮影禁止、大きな御姿を頭に刻んできた。460x307_10
                     海の眺め460x307_11
                      久米正雄胸像307x460_3
460x307_12
        四天王に守られておわすは阿弥陀如来様か釈迦如来様か?460x307_13
460x307_14
                       市の中心460x307_17
                     良縁地蔵460x307_18
                     海の眺め2460x307_19
                     水子地蔵460x307_20
                  転輪蔵 マニ車を回した460x307_21



       ボケ(黒光)               サザンカ
460x307_22 460x307_23

                       書院の庭307x460_5
            大黒堂のさわり大黒、自分の悪い所を撫でた。460x307_24
                 弁天堂の福徳弁財天 美しい460x307_25
                      弁天窟460x307_26
307x460_6
460x307_27
         真ん中の弁天様を名前とお願い事を書いて奉納しました460x307_28
この後6つの寺社を回りました。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2016年11月14日 (月)

大山街道5 海老名~愛甲石田~石倉橋

小田急線海老名から伊勢原の石倉橋まで17.5㎞。歩数は合わせて33452歩(約18㎞)で歩数更新です。次回は最終回で大山の山頂に立つ予定です。
480x359
[9]の2<海老名~厚木>4㎞

海老名駅前の道を外れると山が見えてきたが大山には雲がかかっている。この日木枯らし一号が吹いたと後で知ったのですが、大山街道には吹いていませんでした。550x367
                                             ケヤキの紅葉480x320_460x307
                                              相模川460x307
                                             相模大橋を渡る460x307_2
対岸に「厚木の渡し」の碑がある。厚木村渡船場跡で、常時5艘の舟が備えられていた。明治41年(1908)に相模橋の開通によって、この渡船場は廃止された。
厚木を訪れてた渡辺崋山が『厚木六勝』を残した内の「仮屋喚渡」はここを描いたもので、この碑と同じ場所に記念碑が建っている。「厚木六勝」ってどんな絵でしょう。→こちらを見つけました。墨絵のようです。崋山は1831年(天保2)9月20日から25日まで、田原藩主の妾腹の子、三宅友信の母親を訪ねた時に『游湘日記』を書いていて大山街道の道中の風物や江戸時代末期の厚木の様子が詳しく記され、当時の農民の生活などを知る大変貴重な資料となっている。・・・というわけで街道歩きしていると、例えば渡辺崋山に関する本を読んでみたくなるし、江戸時代のことも・・と気持ちだけが忙しくなって読書の方が伴わないのが悩み。550x367_460x307
相模川に沿う厚木の通りの店の多くのシャッターには、店がわかる絵がペイントされていて面白い。550x367_460x307_2
550x367_460x307_3
550x367_460x307_4
           厚木神社 那須与一が眼病平癒祈願した伝説がある550x367_460x307_14

[10] <厚木~愛甲石田> 6.9km

                   最勝寺の子抱き仏像460x307_3
まだまだ相模川に沿って歩く。熊野神社の大銀杏の根元は直径3m、樹齢450年以上の市の指定天然記念物だ。ここ下宿の熊野神社は厚木の総鎮守社であった。渡辺崋山がここの神社のカラスを描いた絵が『厚木六勝』の「熊林の暁鴉」。367x550_307x460
550x367_460x307_5
                     バラの花と実550x367_460x307_6
               柿の木の間から大山の頂上が見えた550x367_460x307_7
        三嶋神社 伊豆三嶋大社の祭神「大山祇神」を勧請している550x367_460x307_8
「長徳寺」 浄土真宗の美しい日本庭園のお寺 金色の鯉にうっとりです550x367_460x307_9
550x367_460x307_10
                   親鸞和尚の像も珍しい367x550_307x460_2
大釜は五右衛門風呂だったのでしょうか。中にはイネ科が植えられた植木鉢のまわりを金魚が泳いでいた。550x367_460x307_11
この石造物あたりから相模川に背を向け、西へと街道は向かう。小田急の愛甲石田駅に近くなる。550x367_460x307_12
                     大厳寺の六地蔵550x367_460x307_13
その左の円光寺にある、頼朝の家来・愛甲三郎季隆の供養塔。このあたりは愛甲氏居宅跡である。367x550_307x460_3
午後1時を回っていて愛甲石田で食事。10時頃にお団子やパン、チョコレートのおやつを食べていたけれども、良く歩いたので、お昼もしっかりといただけた。

[11] <愛甲石田~石倉橋> 6.6km 石倉橋は小田急伊勢原駅から3㎞の大山街道筋のバス停

愛甲石田駅を過ぎると、珍しい茅葺屋根の山門の「浄心寺」があり、1574年(天正2年)の開山だそうだ。360x550_301x460
  「高部屋神社」は創建が4世紀末で延喜式内社。ここの銅鐘は1386年と古い460x307_4
          新嘗祭奉納のかぼちゃは大53㎏、小43㎏で見事だ。460x307_5
  東名高速から見える巨大な東海大学附属病院の裏側を歩いていることになる460x307_6
咳止め地蔵 泥で作った団子を備え、治ったら本物の団子をお礼にお供えしたそうだ。460x307_7
                 昔の街道の面影が残る所460x307_8
三軒茶屋 3つの通りが交差する所で三軒の茶屋があり、旅人はお茶を飲んで一服した。460x307_9
草むらの中の道標 「右 いヽやまみち 左 ひなたみち 七五三引村 明和九年」と読めるそうだ。こんな石像があちこちにある街道だ。460x307_10
太田道灌公霊廟 江戸城を築き、山吹伝説で有名な室町時代の後期の武将だが、主君扇谷上杉定正により、この地で暗殺された。首塚など数か所に墓がある。
460x307_11
                     太田道灌墓307x460

大変長くなってしまいましたが、最後までご覧いただきありがとうございます。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2016年11月10日 (木)

ヨシダナギ著 『ヨシダ、裸でアフリカをゆく』

322x460
幼少期からアフリカ人への強烈な憧れを持っていて、「大きくなったら自分もアフリカ人のような姿になれる」と信じていた著者。それも10歳の時にあなたは日本人だと両親から突きつけられて挫折する。
ところが独学で写真を学び、2009年からアフリカ16ヶ国で少数部族を撮り続け、遂に自分も同じに裸になって、子どもの頃の夢を実現してしまった。
ぞれも実は彼女たちと同じ姿になることで初めて心を開いてもらって、写真も撮らせてもらって友達になれたということだ。
460x332_2
先日読んだハワード・W・フレンチ『中国第二の大陸 アフリカ ~100万の移民が築く新たな帝国~』でなかなかに大変なアフリカで中国人が果敢にも乗り込んで多くは苦労の末、財政的にも成功しどんどん本国から呼び寄せる。中国政府もアフリカ各国にインフラ整備など飴をぶらつかせ、十数年後にアフリカの資源を殆ど食いつぶすが、アフターケアーなし。アフリカ諸国の人民はそんなことはほとんど知らず、知っている国家元首らは自分の利益になれば将来には目をつぶる、という構図が見えた書なのです。この本でとにかくアフリカ人を相手にすることは実に困難極まることであるし、まして生活するなんて。それを逃げ帰りもせずに相手にする中国人には、ますます圧倒された。
3_301x460
で、ヨシダナギさんが、これがまた毛色の変わった人、実に奇怪な面白い人だ。
何でも学校には途中から行かず、人と話すことが苦手、お付き合いも苦手という人が、英語が全く話せなかったのに、ガイドを雇って奥地の少数部族の地に足を運んで写真を撮らせてもらうのである。
良いガイドあり。どうにも手に負えないガイドあり。だます。脅す。ねだる。無責任。いろいろな試練に耐えかねてナギさんは大泣きする。するとアフリカ人は女が泣くことに弱いことを発見。
アフリカ人は仕事が欲しいと言って仕事を与えても、真面目にしない。すぐ放り投げてしまう。なんで6時間も8時間も働かなければいけないのと逆切れされるそうだ。
ホテルと言えども野宿。ゴキブリが140匹の所に寝たり、初のエアコンは赤い泥とイグアナが飛び出る。
食べ物と言えば、蚊が入っているのや砂ジャリジャリのクスクス、泥水で入れた紅茶を飲まされる。ガイド曰く「濁っても同じ水だぜ!?何か問題が起きたとしても、腹を壊す程度だろ?そんなのトイレに行く回数が増えるだけだからあんま気にすんな」ですって。
お金をたかる子供たちにないと言うと、その中の一人にかえって同情されて、主食しかない貧しい家に食べに来てと招かれる。このような話をよく聞くけれど本当にあるのです。
これでもか、これでもかと起こるハプニングにもめげず、また翌年アフリカへと出かけていく。
そして少数部族の人と同じ裸になって腰蓑を付けることによって打ち解け、写真を撮らせてもらうのである。まさに郷に入っては郷に従えだ。
子どもの頃からずっと思い続けていたアフリカ人のような姿になれた瞬間。これがナギさんの最高の至福のひと時だったのだ。
写真に映る、アフリカの空に原色の服装、黒い美しい肌、子どもたちの様々な顔、どの1枚もなんて素晴らしいのでしょう。また違うアフリカを発見できる。
327x460

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2016年11月 7日 (月)

キチジョソウ&すみだ北斎美術館開館に向けての講座

毎年必ず咲いてくれるキチジョソウ。咲くとよいことがあるという話を信じて咲くのを待ち望む秋です。
とても強くて植木鉢のそばの地面に、植木鉢からどうやってか、こんなに1年で増えてしまいました。今気がついたのですが、植木鉢がきたなくてすみません。
307x460

460x307_2
雄しべしかない雄花と、花糸が赤紫色の雌しべがある両性花とまざって咲いています。両性花の方が多いようです。
345x460
4_460x432

       ////////////////////////////////////////////////////////

講演『帰ってきた北斎』
296x420
アメリカのLife誌で、「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に、日本人としてたった一人選ばれた葛飾北斎(86位)
1760年、本所で生まれ、満89年の生涯で93回も引っ越しをした北斎は、最後の引っ越し先だけ台東区だったが、生涯本所界隈に住み続けた。引っ越しも多かったが改名も30余という。
いろいろあった生涯だったが、19歳で勝川春章に入門して34歳で破門されるまで、錦絵を描いていたが、あらゆる技法を学んだ絵はこの春太田美術館で見ました。
その後36歳で美人画を確立。その後、神社の額絵、提灯奉納などや読本の挿絵、54歳で弟子たちへの絵手本として『北斎漫画』を描いた。

最も有名な素晴らしい「富嶽三十六景」は70歳過ぎてからの作品だ。北斎自身が「七十年前描く所は実に取るに足ものなし。七十三才にして稍禽獣虫魚草木の出生を悟し得たり。故に八十才にして益々進み、九十才にして猶其奥意を極め一百才にして正に神妙ならん・・・」
享年90歳で命を終えたが、その時はさぞ残念なことでしたでしょう。
富嶽三十六景を描いたころには、良いことがっあって、その後の活躍こそ、目を瞠るものがある。
北斎には2度の結婚により二男四女をもうけたが、長女の息子、北斎の孫がとんでもない悪で、飲む、打つ、買うでずっと悩まされてきた。ある時は家から離れて三浦半島に逃げていた時もあった。70歳頃、孫の父親(北斎63歳の時に長女が離縁)の、北斎の門人で養子の柳川重信に孫を返したので、北斎は悪夢からやっと解放されて、それからは生き生きと絵にいそしんだそうだ。
子どもたち、長男次男は養子に、次女、四女は早世、三女阿栄も離婚。長女、三女の離縁理由が、其々の旦那が父北斎よりずっと絵がへただったからという。
1842年・82歳で、信濃国高井郡小布施の高井鴻山邸を訪ね、再び1844~1848の亡くなる前年まで小布施に滞在し、祭屋台天井絵などを描いている。

今月22日に開館するが本所界隈に関する絵や、絵巻物、そして有名な富嶽36景の数枚が展示される予定だという。楽しみだが最初は混むのでしょうね。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

«高野山の天台声明