2018年10月18日 (木)

秋をそこここで満喫

●河村城跡・洒水の滝
御殿場の山北駅で降り、標識に従ってハイキングです。

             山北駅では明日走らせるSLを点検整備中

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      山北町マンホールは富士山と丹沢湖に架かる永歳橋をデザイン
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                    河村城址案内碑
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                    城址への道
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   畝掘が見えてきた(敵の侵入を困難にしようと堀底を畝で区切ったもの)
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河村城址碑 河村城は平安末期河村氏によって築城されるが、足利尊氏に負けた。その後いろいろ支配者が変わったが、戦国時代に後北条の支配となり、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、この城は落城し廃城となった。
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   きのこ 久しぶりに見るきのこ。薄い色。裏返して見るのを忘れてしまった。
アシナガイタチタケとSきのこ博士さまに教えていただきました。ありがとうございます。

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城址公園から見える中央の山は、東名高速や新松田駅から見える、河津桜で有名な松田山ハーブガーデンの頂上。
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                     小田原方面
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洒水の滝へ向かうと田圃は見事にひこばえが生えた穭田(ひつじだ)になり、稲架(はさ)が並んでいた。
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         花 ホトトギスやミゾソバ、コスモスなど秋の花が満開
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              道祖神 ダムを造るので移転された
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                    最勝寺 水子地蔵
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  洒水の滝 台風以来と言うことで水量がかなりあるのに幅の細い滝であった
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●小布施
・浄光寺へ、小布施駅よりシャトルバスで岩松院の近くのこの寺に向かう。
浄光寺薬師堂は重要文化財で、室町時代初めの1408年に建てられたもので、こんな場所に残っていたのが貴重だ。中が暗くて、建築の細かい所や薬師如来と眷属を見られなかったのが残念。
山門の仁王さまもかなり古いことを感じさせる
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              薬師堂は苔むして静かな佇まい
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          岩松寺への道はリンゴやコスモスですっかり秋の風情
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                   トリトマと岩松院
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・岩松院1472年荻野氏の開基で、先日見た北斎最晩年89歳の21畳分ある「八方睨み鳳凰図」を再び見て、福島正則の菩提寺で、霊廟を拝見。
「一茶と蛙合戦の池」と小林一茶の句碑を見る。蛙はヒキガエルだそうで少ない雌をたくさん雄が奪い合う様子を、病弱な我が子に託して詠んだと言われる。
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町へシャトルバスで戻って、栗の小径を通り北斎館へ。栗の木を敷いた小径が素敵。栗の木も植えられていた。電車の沿線に栗の木がたくさん見られた。
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小布施堂正門 高井鴻山の祖父が1750年に立てた門で、江戸末期には勤王志士、文人墨客、そして北斎もこの門をくぐり、通算4年間も名作を描き続けた。
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北斎館では、再び北斎86歳の作品、二基の祭り屋台の「龍・鳳凰図」と「男浪・女浪」の怒涛図を見て再び感動する。
他に企画展示で「富嶽三十六景」と「富嶽百景」を、肉筆展示室二部屋で肉筆画・美人画、花鳥画、風景画をたくさん見た。

竹風堂は行列で断念し、喜の呼庵で栗おこわを食べ、栗のお菓子のお土産をいろいろ買って善光寺へ向かう。
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●善光寺 55年ぶりで何も覚えいなかった。年間600万人も参拝するという善光寺は無宗派という事にも驚きですが、貫主のセクハラ問題にも揺れている。

                  仁王門から山門を見る
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山門の楼上にかかる「善光寺」の額は字の中に5羽の鳩がいるから「鳩字の額」と呼ばれている。重要文化財。
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本堂は国宝。裳階を廻らせた二重屋根は檜皮葺として日本一の規模を誇っている。江戸時代中期の建築で、壮大な伽藍は東日本最大だそうだ。
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500円払うとお戒壇めぐりが出来るのです。こんな真っ暗な世界、もしかして生まれて初めて。御利益は何じゃ。極楽の錠前を探り当てました。秘仏の御本尊と結縁だそうです。
そこから出ると、法要があったので、絶対秘仏(日本最古の仏像とか)の御本尊を安置する宮殿を一瞬拝することが出来た。

      経蔵 重要文化財。一切経が納められ、輪蔵を回すことができる。
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善光寺参道は趣があって素敵だ。ツルウメモドキや漆喰の建物、昔の建物などを見ながらとうとう長野駅まで歩いてしまった。
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2018年10月15日 (月)

東海道五十三次歩き29 井田川~亀山宿~関宿(3)

この日は関宿の終わりまで最後は早足で西の追分まで行き、関駅までバスで戻ったのです。この1週間後関駅から西の追分までの手段が歩くしかなかったので、早足で駅から百五銀行まで、そこから再び西の追分へ歩いたのでしたが、ちょっと抜かしたところがあったので写真を撮り今回それを入れました。

●関宿(47番目の宿)亀山宿から5.9㎞ 日本橋から約415.1㎞ 宿の長さ約1.8㎞ 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠42軒の続き。

                ゴミ箱まで街並みに合わせている
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・百五銀行の先も今までの倍位街並みが続く。手前左の家を仔細に眺めてみると、1階には出格子があり、庇の下から出格子にかけて幕下(風雨から店先を守る)があり、出格子の下には「ばったり」という上げ下げが出来る棚があって、今は下げられ、人が座ったり、商品が並べられるようになっている。2階を見上げると虫籠窓(漆喰で塗籠た竪格子窓)がある。
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・端光寺には、家康が食べたと伝わる権現柿がある。当時の和尚が幼少の頃、家康と親交があった。ちょうど柿がなっていた。
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・関のマンホール。亀山市になる前の旧関町のイメージキャラクター「アスレ」だそうだ。肩にとまっているのはキジ、笠につけているのはシャクナゲ。関街並み資料館に飾ってあったマンホールは色がついているのでよくわかる。
たまたま読んでいた山本昌仁著『近江商人の哲学』に載っていた写真の昔の近江商人に、このアスレが似ていませんか?
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         彼岸花も丁度きれいに咲いていたが、萩も満開であった。
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・関まちなみ資料館に寄る。関町の伝統的な町屋を公開した資料館。
                   箱階段や薬箪笥
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               1階の部屋の中は思ったより明るい
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                2階の虫籠窓の内側の様子
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                    関宿のジオラマ
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            明治時代の自転車。なかなかに乗りにくそう。
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川北本陣跡、隣の問屋場跡、斜め向かいの伊藤本陣跡を通る。

・2階の手摺と格子の意匠が実に細かい
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・旅籠玉屋歴史資料館へ。関宿を代表する大旅籠。江戸時代に建築された貴重な旅籠建築で、当時使われていた道具類や、庶民の旅に関係する歴史資料などが展示されている。今まで数回このような展示を見てきたが、いつも不便な旅をしていた江戸の昔に引き寄せられる。
まず奥の土蔵(広重の浮世絵展示)を見学後、宿の中を見る。
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                   帳場(今のフロント)
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               布団の薄いこと、枕がとても使えない。
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                 貴人が泊まる離れ座敷と坪庭
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・隣りの旅人宿石垣屋は、築120年で肥料商だったが、宿泊施設で、寝袋持参だと2500円と書いてあった。
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・少し戻って百六里庭(鳥瞰亭)から関宿の家並を見る
                        東側
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                     西側(鈴鹿峠側)
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・高札場
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・福蔵寺 信長の三男信孝が信長の冥福を祈るため建立しようとしたが、秀吉に自害させられ、家臣が首を持ち帰り、菩提寺とした寺。
                      信孝の供養塔
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           敵討ちで有名な関の小万の碑。お墓も境内にある。
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・会津屋 昔は山田屋という旅籠で、仇討ちの小万が育った家。仇討ち本懐後も38歳で亡くなるまで奉公した。現在はおそば屋さんか。
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・地蔵院 見られないけれど、日本最古の地蔵菩薩(通称・関のお地蔵さん)。741年に行基が流行していた天然痘から人々を救うため安置したと伝えられる。本堂・愛染堂・鐘楼は国の重要文化財。
                       本堂  
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                    おびんずる様
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                      一休坐像
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・漆喰彫刻(鶴と亀)や細工瓦が見られた
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・観音院 戦国末期に焼失、江戸時代にこの地に再興。観音山に西国三十三カ所の霊場を開いたという。
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・西の追分
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          本日のお土産は志ら玉と関の戸
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                    夕ご飯のお弁当661_450x300
ビールはしゃちほこの上に信長、秀吉、家康がのっていてなかなかに面白いデザインで笑う。662_300x450
西の追分(バス)→関駅(関西本線)→名古屋(のぞみ)→東京(8:53着)家には10時過ぎに到着。電車に乗ってる時間が長くなってきました。

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2018年10月11日 (木)

東海道五十三次歩き29 井田川~亀山宿~関宿(2)

前回、関西本線に1970年代初めまでD51が走っていたと教えていただき、びっくりしました。そういえば大井川鉄道では新金谷駅からはまだ年間72日間もトーマス号が走っています。
亀山城跡にあった蒸気機関車は昭和19年製造で昭和45年3月廃車と書いてありました。約131万㎞走り、亀山機関区も走ったようです。今夕のテレビでやっていましたが、現在では維持費がかかって殆ど走らせているところはない。しかも撮り鉄が多く乗ってくれないとのことです。

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●亀山宿の続き
・城跡から東海道に戻り、西町問屋場跡を通り過ぎたら、弥次さん喜多さんを久しぶりに見る。

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・その先の旧舘屋住宅(枡屋)は幕末から大正にかけて呉服商を営んでいて、蔵も大きくて立派だ。主屋のこの建物は明治6年築。
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・飯沼慾斎生家跡(植物学の基礎を拓くなど、近代科学草創期の代表的な自然科学者)・・初めて知った名前です。
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・青木門跡(家康が繁茂する青木を見て感激、おお青木と言ったことに由来する地の名前と門)
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・道の反対側に入って所に加藤家屋敷跡がある。とても立派な土蔵と長屋門だ。
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・西の丸外堀跡の先が京口門跡である。京口板橋からきれいな流れの竜川を覗く。
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・今は櫓も見えず、急坂ではないが、広重の亀山宿はここからの眺めを描いている。全く面影はない。
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◆亀山宿から関宿

・黒い漆喰の森家住宅は国の有形文化財。貴重な町屋的な表構えを見せる。アンティークも扱っているカフェーを営業しているが、お休みだった。
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・慈恩寺の青面金剛と三猿が素晴らしい
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                     十一面観音
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・野村一里塚(105里目)はとても立派で樹齢400年だそうだ。残っているのは北側のみだが、珍しい椋で脇往還を含めた東海道ではここと佐屋街道の神守一里塚だけに現存する。
ちょうど彼岸花が咲いていてきれいです。
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・内田権四郎(1642~1731年)宅跡。半世紀にわたって亀山藩の大庄屋を務め、古い記録を集め『久々五集』を編纂した。どんなことが書いてあるのでしょう?
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・善性寺には何と槇の木で出来た「H」型の山門がある。
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ハイビスカス・ローゼルの花はオクラに似ていた。蕾かと思ったら萼らしい。そっくりでよくわからない。
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・数えたら56も石灯籠が並んでいる布気皇舘太神社
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・桜の並木が続く大岡寺畷
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・左手に鈴鹿川が流れる
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              野生の鹿が川を渡っているのを発見!
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                  田園風景と鈴鹿山脈
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●関宿(47番目の宿)亀山宿から5.9㎞ 日本橋から約415.1㎞ 宿の長さ約1.8㎞ 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠42軒。
古代三関の一つ「鈴鹿関」が置かれたところ。後の2つは不破関(美濃)、愛発関(敦賀)→逢坂関(大津)。

・関宿
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・鳥居が見えてきたが、ここが関宿の東追分で入口である。鳥居をくぐって左に曲がると伊勢別街道である。
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一里塚跡(106里目)を見て宿の通りへ

・関宿の街並みは歴史的町並みが残り、昭和59年に重要伝統的建造物保存地区に選定された。電線は地中に埋め込まれ素敵な街並みだ。東西追分の間は1.8kmあり「関宿かるた」が至る所に下がっているのである。
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・山車庫 関の山の語源になった関の山車が入っている。人混みをかきわけて山車が巡行する様子から、精一杯という意味の関の山という言葉ができたという。
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・百五銀行も昔の家のまま営業している
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・延命寺山門 旧川北本陣の門を移転したもの。
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寺と銀行の前の道を歩き、東海道を越えた突き当りが関西本線の関駅だ。まだまだある宿をこの後電車が来る時間まで楽しんだ。(続く)

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2018年10月 8日 (月)

東海道五十三次歩き29 井田川~亀山宿~関宿(1)

9/27(木)今回は古い家並みがあちこち残る雰囲気の良い亀山宿と、東海道で2つ目の重要伝統的建造物群保存地区の関宿を歩くので大変楽しみにしていました。
4:40起床でのぞみ6:30に乗り、名古屋で関西本線に乗り換え前回の井田川駅に9:50頃到着。出かける時から道中ずっと降っていた雨が駅に着いたら止んでいた。遠くなって歩数も34057歩でかなり楽になった。

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◆井田川~亀山宿

・駅前の日本武尊をまた見て、旧井田川小学校跡の二宮金次郎像を見る。家の方には殆どないが、この街道筋では廃校をいくつか見てきた。宿の中でも廃屋があり、電車が通ったことにより、駅から遠ざかる宿ほど過疎化が進んでいる。そして沿道のバスは一日に数本。各家は駐車場を2つも3つも持っている車社会だ。
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・亀山のマンホール。亀山城多門櫓と市の花の花しょうぶが描かれている。
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・歩道橋のタイルには亀にローソクがのっている。亀山はローソクで有名なのだそうだ。知らなかった。全国シェアの5割以上で全国第1位だし、ローソク燃焼比較実験で世界1の評価を得たローソクとのこと。
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・椋川
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・瓢箪「ぶら下がるだけが仕事の大瓢箪」と書かれ、数えきれないほどぶら下がっていた。
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・谷口法悦題目塔 谷口法悦は京の日蓮宗の篤信者で、一族とともに17世紀終わり頃、各地の街道筋や追分などに題目塔を造ったという。篤信者の凄さを知る。
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・和田道標 三重県内で東海道最古の道標(1690年)。亀山城下から亀山領若松港へいたる重要な分岐点だったそうだ。
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・シャングリさん 通行人による疫病から子ども守るために祀ったという小さな祠だ。現代は外国からも疫病が入りますが医学が発展してありがたいものです。
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・石上寺の一つ一つ囲まれている石仏
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・和田一里塚(104里目)復元されたもの
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●亀山宿(46番目の宿) 庄野宿から7.9km 日本橋から約410㎞ 宿の長さ約2.3km  本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒。
この宿は石川氏6万石の城下町。幕府直轄だったため、これを嫌う大名たちが泊まりを避けたため宿場町としての規模が小さく、発展しなかった。しかし歩いてみると亀山城跡の趣のある宿であり、道が曲がりくねって枡形になっている。

・露心庵跡 説明板のみだが、この辺りが亀山宿の入り口になる。江戸口門跡はさらに900m先にあり、京口門跡も西側にある。江戸口門は城主が築造し、外側に堀を巡らし、土塁に囲まれた枡形の曲輪があり、門には櫓や番所が置かれていた。
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・亀山宿も屋号札があちこちにかかっていて楽しい
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昼食は亀山名物・みそ焼きうどん(サラダ付)。牛肉入りで美味しかった。
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・店を出ると飛び出し坊やがこの辺りにもあった
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・福泉寺山門 1795年建造、江戸時代後期の地方有力寺院の建築様式。正面軒唐破風付入母屋造、本瓦葺、一軒一戸の楼門。立派です。
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樋口本陣跡、高札場跡、大手門跡などを通り過ぎる。

          道はずっとベージュ色のカラー塗装でわかりやすい
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・左手に遍照寺が。東海道からお詣りすると鐘楼門をくぐった後、坂を下りることになる。位の高い人は坂を下りることを嫌ったそうで、「頭で鐘撞く遍照寺」と言われた。そう言われてみると表門をくぐって下るのは珍しいかもしれない。他にあったかしら。
門からの眺めは素晴らしい。門をくぐって下から門を見る。
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                    千手観音石像
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         弘法堂の中には弘法大師様が21体も。これまた珍しい。
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・だいくや跡
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・少し先の道を右へ曲がって亀山城跡へ向かう。現在残るは多門櫓と石垣、土塁、塀の一部が残っている。
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・亀山神社 城跡の横には立派な亀山神社があった
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・城址の楠門跡に何故かSLが展示されていた。C58359とあった。
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2018年10月 3日 (水)

老化と古くなってきた陋屋と

家は22年、その3.5倍の私。
私は老化だけならいいのに、それ以前から続いている落とす癖にもう呆れかえって「落とさない」念仏を「転ばない」念仏と同時に唱える毎日。
実は以前海外でリュックを忘れて戻った話は書きましたが、その他にジャケットや、気に入っていたブラースなどはおっていた衣類を置き忘れています。その他こまごまいろいろ。
今回はなんと財布を落としてきました。幸い、お金とカードは全部他にしまっていたので、財布そのものとパスポート写真やコピーしたものだけで済んだのですが。
今度は何を無くすのかまで考えてしまう情けなさ。パスポートだけは無くしたくないものです。

家はどんどん朽ちてきています。何しろ建売ですからね。
屋根と壁はもう2度も塗り替えました。1回に90万円近くかかりました。
そして先日、今年の雪(1月22日)で雨樋が壊れ、半年もじゃじゃ漏れの音を聞いてきましたが、新しく替えました。約58万円(これは火災保険がききましたのでラッキー)。
外に設置してあるガス(名前が出てこない)、台所のガス台、トイレ2ヵ所全とっかえ、水道あちこち、畳、網戸。障子がはずれなくなって張替が出来ずそのうち専門家にお願いする予定。クーラー5か所のうち3ヶ所取り替え。電気製品もこの22年に洗濯機、冷蔵庫、テレビやビデオ数台に電話機や子機買い替え。
壁は汚れ、はがれ、一部レースのカーテンは破れ、、、まあきりがないです。
10回くらいの引っ越しで、家具は鏡台だけであとは全部壊れ全とっかえしました。それも大分くたびれてくすんでいます。

そしてあまりに巷にあふれている高齢化の問題、その後期高齢者になる1年前に私は医療機関にあちこちお世話になり、医療にお金をたくさん使うようになりました。
健康保険料も家族で年間かなり払っていますが、若い人たちが支払っている分に侵入するようになりすまない気持ちです。本当によくぞ、後期高齢者とは言ったものよ。
元気な人もたくさんいるのに、私としては元気で働いて、そして遊んできたはずなのに、突然あちこちガタが一度に降りかかってきました。こんなことで3年過ごしているうちに、死の準備をするようになりました。何時命が尽きるかはわからないけれども、あがいてもしょうがないのだからと自然に任せるという気持ち。でもやはり頑張らないとどんどん衰えるのも確か。
今は歩けなくなったら一番困ると、頑張って歩いています。数年でしたが登山をしたことがつながって、頑張れば歩けるんですね。
呆けちゃんの方はならないことを祈るのみ。

そしてブログ、このお蔭は計り知れないものがあります。どんなにか嬉しいことがあったでしょう。お世話になった方々にお礼申し上げます。今月18日で13年たちます。15年間つまりオリンピックの年まで出来るといいけれど。またよろしくお願いいたします。(普通はその日に何年と書くのに、早めに言ってしまって。なぜなら殆ど忘れて、gakiさんには時々教えていただいたりして、逆さまです。今年も忘れそうなので・・・と冒頭の落し物、忘れもの多しの私に戻りました)

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2018年10月 1日 (月)

東海道五十三次歩き28 南日永~石薬師宿~庄野宿~井田川駅(後編)

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●石薬師宿(44番目の宿)の続き

・元旅籠だった家の壁に陶板で宿の町割りが再現されている
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・小澤本陣跡 近くに松の木があったので「松本陣」ともいわれていたという
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・佐佐木信綱記念館は、「佐佐木信綱資料館」「生家」「土蔵」「石薬師文庫」から成り立っている。

まず石薬師文庫がある。信綱が石薬師村に還暦記念に送った。伊勢国学に関する多くの書籍が裏手の「土蔵」に収められる。文庫の前には祖父と孫の歌碑が並んでいる。
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佐佐木信綱記念館 色々な資料がそろっている。家系図を見ると歌人が多い。孫の幸綱も有名で早稲田大学教授時代の弟子「サラダ記念日」でデビューした俵万智の歌を楽しんだものだ。
♪「夏は来ぬ」の卯の花が生家にあるが今咲いていないのが残念。後で知ったが、娘が卒業した中高校の校歌の歌詞の作詞者が信綱で、とてもいい歌なのだそうだ。
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生家
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                                  産湯の井戸と卯の花
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・道の向かいにある浄福寺は佐佐木家の菩提寺で、信綱の父弘綱の墓がある。山門前の築山の上に弘綱の記念碑が立つ。
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・宿の名の由来になった石薬師寺。本尊は石薬師如来で秘仏。花崗岩で像高190㎝で弘法大師作という。1629年再建で市内でも最古の寺院建築とか。
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お百度石の上のお地蔵様が可愛いし、参道も長く、境内に木々が多く、なかなか立派なお寺だ。25_300x450
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・御曹子社へ。 源頼朝の弟、蒲冠者範頼を祀った神社で、武道、学問に優れた人物だったので、それらの願望成就の神様だという。範頼も頼朝に伊豆に幽閉され謀殺されたと言われる。
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・石薬師一里塚跡(102里目)で石薬師宿が終わる
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次の庄野宿までは2.7㎞で、御油・赤坂宿間1.7㎞に次ぐ短距離区間だ。東海道の宿場間の平均距離は8㎞とのこと。

                                      関西本線が通る。
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後(次回)で知ったが、この線は亀山までがJR東海で(2両とか4両編成)、亀山から同じ関西本線なのにJR西日本らしく乗り換えなければならない。亀山から向こうは1両編成だった。すぐ庄野宿に到着。

●庄野宿(45番目の宿)石薬師宿から2.7km 日本橋から約401.3㎞ 宿の長さ約1km  本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠15軒。ここには脇本陣があったが、石薬師宿同様小さな宿場だ。

広重の東海道の絵では最も有名な「庄野・白雨」は鈴鹿川沿いの雨中の道を行く駕籠と人が描かれている。JR加佐登駅辺りと言われるが、箱根同様、坂がデフォルメされているらしい。

・江戸側と京側に庄野宿の標柱が立っていた
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・この宿も連子格子の古民家があり、人をほとんど見かけない静かないい雰囲気だ。
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・庄野宿資料館にお邪魔する。油問屋だった旧小林家の住宅の主屋を創建当時の姿に復元している。
戦災を免れたので資料は充実していて、古文書、民具、農具などの他、当時の土産や保存食の焼米俵のサンプルも展示。特に320年前の高札は良く読めないけれども当時のままで見応えがある。
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・問屋場跡
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・本陣跡 この後も高札場跡、脇本陣跡、郷会所跡と続く。
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・川俣神社の天然記念物スダジイ。推定樹齢300年で三重県天然記念物。樹高12m。鈴鹿川沿いには川俣神社がいくつもあり、川の氾濫に悩まされた住人が治水を祈って建立したらしい。
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◆庄野宿~井田川駅

・鈴鹿市のマンホールをやっと見つけた。トンボがデザインされている。
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・いぼとり地蔵 いぼや眼病に効くそうでお参りする
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・女人堤防の碑 領民は何度となく川の改修を神戸藩に掛け合ったがとりあわないので、たまりかねた女性たちは夜陰にまぎれて堤防建設を行った。処刑場に連行されたが間一髪で赦免の早馬が到着し、救われたという。
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・103里目の中冨田一里塚跡を通り過ぎると、川俣神社。
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境内に「無上冷水井戸跡」碑が立つ。織田信長の三男で神戸城主織田信孝が愛飲したという井戸跡だ。
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・地蔵堂の中に弥勒菩薩?如意輪観音? 椅坐して左足を下ろし、右足を上げて左膝上に置き(半跏)、右手で頬杖を付いて瞑想している(思惟)ように見えるので。如意輪観音は左足は下さないで右足を立てて座るようだが、はっきり区別もしないという説もあった。弥勒菩薩のポーズを実験してみたが、なかなかに疲れる。
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・明治天皇小休所碑
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亀山市に入るとすぐ井田川駅(無人駅)に到着。

・駅前には日本武尊の像があった。日本武尊は伊吹山で病を得、奈良へ向かう途中のノボノ(駅から北西へ2㎞の地)で亡くなり、そこの古墳が墓とされ、宮内庁が管理している。
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名古屋では新幹線まで時間があったので、エスカのきしめん屋さんで「鍋焼ききしめん」を食べる。
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         今日のお土産は「安永餅」と「ミニしるこサンド」でした
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東京駅は9時前、家には10時過ぎに到着。

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2018年9月26日 (水)

東海道五十三次歩き28 南日永~石薬師宿~庄野宿~井田川駅(前編)

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9/7(金)今までで一番早い4時半起き、6時17分ののぞみに乗り、名古屋に7時51分到着。名鉄で四日市へ、あすなろう鉄道で南日永に着いたのは9時6分。
天気予報には雨が入っていたので、もしかして広重の絵の「庄野 白雨」かと思いきや晴れてしまって、日焼け止めなしで真っ黒になってしまった。歩いた歩数は38831歩。

◆南日永~石薬師宿

まずはここ出身の実業家・稲垣末吉翁頌徳碑(製錨製鋼工場で巨万の富を築き、社会福祉、学校建設など様々な寄付をした偉人)を見て、東海道を進む。

      この辺りにも飛び出し坊やや嬢やをあちこち見かける
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・実蓮寺には滝川一益の母の墓がある  
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・西唱寺の境内に水道記念碑が立つ。1859年、有志で登城山から竹管で水道を施設した。住むには水の確保からで、昔から苦労した人々の姿が見えてくる。
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・日永一里塚跡(100里目)
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・左手に名残の一本松。松並木が続いていたという四日市では前回と今回の2本のみだ。戦時中油を取ったためになくなったという。枯れないといいけれど。
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・日永追分へ来た。伊勢へお参りする旅人は左へ、東海道を進む者は右へとここが分岐点であった。鳥居が目に入るが、これは安永3年、江戸に店を持つ、今の津市出身の一個人が伊勢出身の同志を募り建設し、更に維持費も寄付をし、現在日永自治会が管理しているという。大きな鳥居一つとっても、高価で維持管理が大変ということです。
ここには道標、常夜灯、湧水(井戸)もある
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・歩を進め小古曽駅近くの観音寺へ。黄檗宗の末寺。黄檗宗特有のものであるが、山門の屋根の両端に「魔伽羅」(サンスクリット語で鰐)が飾られている。黄檗宗のお寺に行ったら是非忘れないで見たいものだ。
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あすなろう鉄道の終点駅・内部駅を左に見て、内部川を渡り、菊屋さんで「采女の杖衝」という最中を買う。
                          ヤナギバルイラソウがきれいに咲いていた
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・いよいよ有名な杖衝坂に。日本武尊が東征の帰途、大変疲れられ、腰に差していた剣を杖の代わりにして登ったのでこの名がある。
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また芭蕉が馬に乗ってこの坂を越えようとして、あまりの急坂に落馬して詠んだ句「徒歩ならば杖つき坂を落馬かな」、その句碑もある。
坂の途中には句碑の他に、杖衝坂の史跡柱、大日の井戸(坂の途中にあった大日堂に供える閼伽水をくみ上げた)、常夜灯などがあった。しかし坂はどうやら昭和初期になだらかな坂に造り替えたようで、落馬するほどの坂とは思えなかった。
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・坂を登りきった所に弘法の井戸(弘法大師が指し示したところから清水が湧き出たとい)と血塚社(日本武尊の脚の出血を封じたと言われる祠)がある。
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采女の一里塚(101番目)の説明板のあるところは小公園で、ここで「采女の杖衝」最中を食べる。ブランコに子供の時以来だが乗ったら気持ちが良いのなんのって、いつまでも乗っていたかった。前方にはズームして見たら四日市のコンビナートが見えた。
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・采女の一里塚跡が道路の向こう側にあった
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鈴鹿市に入る

・地蔵堂と単直庵がある
地蔵堂には弘法大師、地蔵菩薩、役行者が、単直庵には阿弥陀仏が祀られている。お花もたくさん飾られ、地域の人が大切に守っている様子が伝わってくる。
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ここで「とんてき」の店・来来憲にて昼食。とんてき定食は量が多いので、少な目のこま焼き定食のご飯をさらに少なめにしてもらう。それでも量が多くて残してしまった。
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●石薬師宿(44番目の宿)四日市宿から10.8㎞ 日本橋から約397.3km 宿の長さ約1.8㎞ 本陣3軒、脇本陣0軒、旅籠15軒。東海道で最も小さな宿場という。

・石薬師宿標柱 これが石薬師宿の東入口で北町の地蔵堂があり、旅の安全のために建てられた。標柱は西の入り口にもあった。
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       石薬師宿の道は人もほとんど見かけず静かな雰囲気である
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・信綱かるた道 石薬師宿は歌人・佐佐木信綱が生まれた所で生家も現存している。1.8㎞の石薬師宿の道を1番から50番まで信綱の歌かるたと共に進む。
どの歌もわかりやすく、故郷やその自然、家族(特に父親)など心を打つ。5歳や8歳の時の歌もあり3作ばかり見逃した他全部写真に収めて、家でも楽しんだ。
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・大木神社 石薬師の鎮守社で式内社 式内社とは延喜年間(901~922)にすでに存在していた神社だとのこと。1つ勉強になった。
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2018年9月24日 (月)

『ザックを担いで イザベラ・バードを辿る』「日本奥地紀行」の旅・研究会編

●海に面していない国家を内陸国、国境を接する全ての国が内陸国である内陸国のことを二重内陸国という。二重内陸国では、海に出るために少なくとも2つの国境を越えなければならない。 世界に2ヶ国、ウズベキスタンとリヒテンシュタインだそうです。なるほど世界地図を眺めると、そうですね。190数ヶ国あってたった2ヶ国とは驚きました。内陸国は世界には48ヶ国ある。一生海を見ないで過ごす人も多いのでしょう。今まで随分海を見てきたので、その気持ちを推し量ることが出来ません。

●最近の川柳に旨いと拍手です。

・「体中ほとんどどこも泣き所」
 皺に驚いたのは既に昔、喜寿を越してからは全然「喜」でなく、体のあらゆるところが、医者に言われる加齢で傷んでいます。1週間に1つは増えていく時期もありで、泣けちゃったんですが、まあ、こんなに長期間使えばいた仕方ない、よくここまで交通事故にも他の事故にも遭わずに生きてきた。もう戻らないことに気づき、何時心臓が止まってもおかしくないのだと気づいたのもここ1年。気を取り直して雑学にでも励むことにしました。昔から三日坊主が欠点なのですが。

・「借りたけど返さなくてもいいトイレ」 うーん、そういえば公衆トイレ以外はいつも「トイレをお借りします」と言っておりますね。

・「視力表ムリヤリ読んで度が合わず」そうだ、そんなことするとかえって損なわけです。でも度々メガネを買う羽目にもなるので買い換えた数年はムリをしよう。

●『ザックを担いで イザベラ・バードを辿る』「日本奥地紀行」の旅・研究会編

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雑大で、講師が大学のワンゲルの友人たちとイザベラ・バードの歩いた道を辿った記録の本を購入。
以前『日本の奥地紀行』を読んだとき、イメージがつかめないでいたが、作者たちは国道になってしまっている部分も多く、同じ道を全踏破したわけはないけれども、バードが褒めていた日本の美しい景色がきれいな写真となって収められています。

雨の中の道の悪さ、宿の蚤、虱、食事の悪さ、敗れ障子からの覗き。危うく命を落としかけたこともある川下り。目的は北海道アイヌの地だったのになぜ船で行かなかったのか?

幼少のころから虚弱体質で、脊椎の病、神経痛に悩まされたそうで、医師から航海による養生を勧められ、40代初めに、イギリスからオーストラリア、ハワイ島を経由してアメリカへ向かい、ロッキー山脈を馬で越える冒険旅行をしたのがきっかけで、その後、日本を始め中国、韓国、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インド、ラダック、ペルシャ、クルディスタン(クルド人が居住する領域)、トルコなどを訪れている。初来日は明治11年。

虚弱体質でこんな病を抱えていたら、国内でさえ大変と思われるのに、揺れる船で大航海が出来たのか。そして日本の中でも今の我々が辿ってもそんな道、そんな宿はないから同じ追体験はできない過酷な旅をどうして出来たのか。日本だけではなく、ここに書かれている国々の中には今行ってもかなり大変なところもあるのに。やはり航海で心身ともに強靭になって、医師の言うことは本当だったのであろうか。
大英帝国最盛時が生んだ女偉丈夫は生命にかかわる災難に遭っても、冷静さを失わずに気力も一向に衰えない。最悪の場面に立ちあえば、自分のことだけで精いっぱいだが、同じ目に遭っている他者やその家族のことを考えるという強さ、気丈さを持ち合わせていたという。
後に結婚した夫からは「虎の食欲と駝鳥の消化力備えている。詮索好きで落ち着きのない、大胆で意志の強い性格」と評された。

この本の執筆者たちは、主として会津西街道、越後米沢、羽州街道、北海道の峠、そして日光、横浜を記録している。バードの、時には優しい日本観だが、とても厳しい日本人観を読み解きながらいろいろな角度から見ている。
参考資料を見ると10冊くらいバードの歩いた道を辿って、上梓している本があったのですね。クラブツーリズムが過去2回ツアーを組んでいたのは知らなかったし、驚きました。
写真を見たら行きたくなってしまったけれども、まだ東海道さえ踏破できないので写真で我慢しましょう。

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2018年9月20日 (木)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(最終回)

<10日目> 8/28(火)晴、13~28度 オシエク(クロアチア)

船は夜半にクロアチアに入り、早朝ヴコヴァルに到着し、ドナウ川の支流ドラヴァ川岸のオシエクにバスで向かう。
クロアチアはお臍から下の両足を模したような面白い形の国であるが、アドリア海に面したザダル、シベニク、スプリット、ドブロブニクのあるダルマティア地方と北にある首都ザグレブが有名ですが、今回は向かって右側(スラヴォニア地方)の短足の足底の中心のオシエク見学です。

歴史的には1526年にオスマン帝国軍に破壊、略奪された。1687年、今度はハプスブルク帝国領下に。バロック様式の建築物が立ち並び、ウィーンやブダペストの影響を受けて文化が花開く。1991年から1995年のクロアチア独立戦争ではここでもたくさんの命が奪われた。宗教はローマカトリックが86.3%

                                     クロアチア・ヴコヴァルで 
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オシエクは全て要塞になっていて、オスマントルコを防衛するために五稜郭のように設計された。模型。しかし破壊されてしまったので今は一部の城壁のみ残る。
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                                          内戦による壁の弾痕
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クロアチアの猫(岩合さんの世界猫歩きで隣国のボスニア・ヘルツェゴビナの猫を紹介していたので見入ってしまった)
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     フランシスコ修道院(17世紀)ハンガリーから流れてきたマリア様を祀っている1871_450x300
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                  中央広場の三位一体像(1792年建造、ペスト終焉記念像)
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真ん中の町から上の町へ
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聖ペテロ・パウロ教会 1892年着工、1900年完成のレンガ造りネオゴシック様式。
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                                              街の風景
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昼食は船内で。サーモンサラダ、ポークロイン、チーズ、パイナップル
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午後はシェスタ。16:30ハンガリーのモハーチ到着。シェンゲンエリアに入る入国審査が行われた。

船内最後の夕食 ハンガリーに入ったのでハンガリーの国旗が飾られ、給仕をしてくださる方もハンガリーの民族衣装。ダイニングルームの模様替えや衣装替え、そして誕生日の祝いをされた人が今まで数回あった。ピックサラミ、ハンガリーグヤーシュ、クレープ。
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船には8日間(3日目夕方から11日目朝まで)で朝食8回昼食5回夕食8回も御馳走になり、お世話になりました。添乗員さんも船内放送を日本語に通訳して大活躍でした。

<11・12日目> 8/29・30(水・木)晴、29度 ブダペスト(ハンガリー)~日本へ

                                     5:55 月が川面に映っていた 
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川の水が少ないためにブダペストに着けず、途中のハンガリーのカロチャに早朝に到着。7:30に船とお別れ。ありがとう、ヴィヴァルディ号。
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バスで首都ブダペストに向かうが朝のラッシュで交通渋滞で大混雑。11時頃本来着くべきブダペストの船着き場に到着後、主な所のみ、バスで市内観光。この街には縁があって3回目。ずっと人が少なくて静かな街を巡っていたので何と観光客の多いことと、久しぶりに大都会に入ったという感じだった。
ハンガリーも歴史的にはいろいろあるが、1000年にハンガリーの英雄イシュトバーン1世によって建国された王国が1918年まで続いたということだ。文化、音楽、芸術などは割愛して、人口と宗教だけを。人口は約1000万人。宗教はカトリックが約68%、プロテスタント約25%。

・ブダ側
                                                  王宮
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漁夫の砦(1896年建造の白い石像のとんがり屋根を7つ持ち漁業組合が守っていた)と教会
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                                                漁夫の砦
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                                漁夫の砦よりドナウ川とペスト側
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                                   国会議事堂(夜がきれい)
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チャーマーシュ教会 1255年のゴシック様式建築で歴代王の戴冠式が行われた。屋根はジョルナイ陶器で出来ている。塔の高さは88m。黒いマリア様を見る。
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・ペスト側
聖イシュトバーン大聖堂 1851年から約50年かけて完成。ドームの高さは96m。第1代の王の名前が付いた教会。
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良く見えなかったがイシュトバーンの聖なる右手や主祭壇のイシュトバーン像などを見る。
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昼食のレストランで生演奏を聴きながら グヤーシュスープ、チキンパプリカ、クレープ
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ブダペスト空港17:30発でカタールを経て12日目の30日18:30に成田に到着した。
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船に乗ってからは一日中観光したのは2日間だけ。あとは殆ど半日観光で、残りはシェスタということでゆったりとした旅行でした。美しき青きドナウ、飛び交う鳥、緑豊かな平野、静かな古都、そこに残る弾痕。まだまだ旅行にも行けない貧しい人々がいるというが、それを感じさせないきれいな町や村の佇まい。ことに内戦などで傷ついたバルカン諸国、今回はセルビアとクロアチアの一部しか見られなかったけれど、住んでいる周りの景観を決して乱さない徹底ぶりは全ヨーロッパに共通の事といえましょう。何事もないように見える欧州も今年は暑かったとのこと、また雨が少なく川の水が少なく大きな船が就航できないということがあるとは考えもしませんでした。日本は地震と台風、ゲリラ豪雨と災害にずっと見舞われっぱなし。大変な人が多い中、こうして遊んで申し訳ないとも思ったことでした。

ぼーっと見ていただけの旅行記を、長いこと読んでいただきありがとうございました。

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2018年9月17日 (月)

東欧5ヶ国ドナウ川クルーズ(5)


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<8日目> 8/26(日)晴、16~25度 終日航海日

左舷からブルガリアからセルビアの国境が見え、ドナウ川はセルビアと右舷ルーマニアの国境を行き鉄門峡(アイアン・ゲート)を通る。アイアンゲートはドナウ川最大の景勝地で川幅が100~150mまで狭まり、水深は50mまで深まり、ドナウ一の渓谷美が約130㎞続く。そして1994~2004年にかけて熱狂的な登山家グループによって彫られたダキア王のデケパルス(在位87~106)の彫刻があるのでしたが・・・・・

                                   7:50分頃 立派な橋をくぐる。
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11:15分頃 左舷にブルガリアとセルビアの国境が見えた。国境には川が流れているとのこと。
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   昼食 パテのパイ包み、サーモンステーキとロブスターパスタ、ティラミス
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            13:30鉄門の第2閘門手前の橋が見えてきた
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         閘門の横。 船の後部から閘門が閉まるのを見忘れた。
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閘門の前側 船を固定し、閘門が開けられ水がドンドン入ってくる。水位が同じ高さになったら船を進める。
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            18:47頃、第一閘門に入る。ここは2段上がる。
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             19:00頃、振り返ると閘門入口が閉まる。
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                  19:30 第2段目が見える
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鉄門に入ったのは21:30頃になってしまっていた。第2閘門に入ってから3時間も経っていて、もう真っ暗。船からライトアップしたが鉄門峡もダキア像王も見られなかったのがとても残念なことでした。
20:30にガラ・ディナーが始まる。 フォグラ、子牛肉、チーズ、ベイクドアラスカ(デザートのみ、鉄門を見終わってからとなる)
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21:30頃、ディナーの途中から甲板に出てまずトラヤヌス記念碑(セルビア側)を見る。AD100年頃ローマ帝国の軍団道路が通った記念碑。
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五賢帝の一人トラヤヌス帝(在位98~117)は101年と106年にダキア戦争を起し勝利。それからダキアはローマの属国になり、ローマ人を植民した(ダキアに金があったから)。ローマ人の言語たるラテン語がこの地の言語になり、混血してルーマニア人の祖先になった。ルーマニアの由来はローマ。
元々トラキア人の一派ダキア人がBC1000年頃ドナウ川の北側に独立国家を建設した。南側のブルガリアに住んだのがトラキア人であった。

ダキア王・デケバルスこそダキア戦争でトラヤヌスに敗れて最後は殺されてしまった王だ。高さ40mあるそうで白昼見たら圧倒されたでしょう。絵葉書を買って見たらこんな様子です。ヨーロッパ最大の大きさ。
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          5分後マラコア教会(ルーマニア側)が浮かび上がった
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<9日目> 8/27(月)曇 15~25度 ベオグラード(首都)、ノヴィ・サド(ドナウ川沿いの第2の都市)(セルビア)

セルビアは旧ユーゴスラビア連合のチトーが亡くなって後、いろいろ紛争を経て、2006年モンテネグロ独立により、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国が誕生し、ユーゴスラビア連邦は完全に解体した。なお、アルバニアは独自の道を歩む国で同じバルカン半島にありながら別である。コソボは100ヶ国に承認されている。

           今日は珍しく曇の予想。川霧がたちこめていた。
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10時にベオグラードに到着した(丸2日間船内で過ごしたが不思議、退屈はしなかった)。11時から昼食。ガーデンサラダ、フィレミニオン(写真撮り忘れ果してどんなお料理だったか?)、メレンゲのお菓子
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●ベオグラード観光 セルビアは、今回訪れた5ヶ国では初めての国で、2つの都市を観光するだけだけど、楽しみにしていました。
・カメラグダン公園と城壁
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ベオグラードでサヴァ川がドナウ川に合流している。手前がサヴァ川、向こうがドナウ川
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                      サヴァ川
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・聖サヴァ聖堂(セルビア正教会)1935年から建設始まるが寄付で建設のため未完成。世界最大級。但し主教座聖堂でなく聖ミハエル大聖堂が主教座である。
外側はギリシャ大理石、内部はカララ大理石、地下には24金の金箔が使われている。
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・隣のチトーが建てた小さなセルビア教会の中
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・クルセドの僧院 郊外ヴォイヴォヴィナ地方・フルシュカゴラに16世紀にオスマントルコから逃げてきたコソボのキリスト教徒たちが40以上の修道院を造る。現在16のみ。
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・ドナウ沿いのホテルで発泡酒とデザートでリフレッシュメント
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●ノヴィ・サド観光 セルビア北部ヴォイブォヴィナ地方の中心地で、セルビア第2の都市。ドナウ川の寄港地。
日も暮れ、夜の街を観光。
                     カフェ通り
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                  図書館とセルビア教会
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可愛い男の子が握手して、なかなか手を離してくれなかった。嬉しいおばあさんであった。
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                     大司祭宮殿
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                    カトリック教会
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                        市庁舎
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               フランツ・ヨーゼフが宿泊したホテル
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ノヴィ・サドの船着場より帰船。夕食、キルシュ、鴨胸肉、ピーチメルバ。船の食事のデザートは日本もののようにあまり甘くなかったのがありがたい。
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