2008年7月 1日 (火)

値上げ

Nezumi 今日、7月1日は半夏生(夏至から数えて11日目)だそうで、蛸を食べる習慣になったということを今年初めて知りました。節分の恵方巻きのようです。
蛸を安売りしていました。しかし食べませんでした。
そんな蛸の原産地はモロッコ、メキシコ、モーリタニア産です。
1日おきぐらいに食べる魚、気がついてみれば

鯵・オランダ産
鮭・チリ産
鯖・ノルウェー産
赤鯛・アイルランド産
鰻・中国産

など外国産が目に付き、これらは殆ど国産にお目にかかれません。養殖でなく海で採れたものは、海が繋がっているので心配はないと聞いたことがあるので、気にせず食べています。
昨日千葉県銚子の鰯が何と1尾100円、思わず買ってしまいました。久しぶりだし、銚子なので美味しかった!(気持の問題です)

原油の高騰で、このところガソリンの値上げから始まって、関連する食品も軒並みの値上げ、おまけに食料自給率(カロリーベース)は40%をきっています。北海道は192%なのに、東京は1%というから恐ろしくなります。
食糧危機の始まりでないといいのですが。

Photo 600mの高尾山しか登っていないこの頃なのに、この夏いきなり北アルプスの百名山の1つに登ろうとするのですから無謀もいいところです。
そこで階段を登ることを勧められ、駅ビルの8階まで日々登ることにしました。8階には本屋さんがあるので楽しみでもあります。
階段はたった175段とはいえ、最初は5階まで登ると、息はハアハアで、腿は引きつるしで登山はとても無理という感じでしたが、何度か登っているうちにやっと慣れました。
高山の花を夢見て頑張りたい。

ターシャ・テューダーさんが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。昨日最後の本『ターシャとコーギ』を買いました。一緒に住んでいたメギーちゃんどうしているかなあ。

眼の調子が悪くなったので、1ヶ月休めてみようと思います。本もテレビもパソコンもなるべく見ないで過ごすことはなかなか大変ですが、取り返しがつかないことになるのを避けたいと思います。

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2008年6月29日 (日)

ブルガリア(2)

[プロヴディフ]
カザンラクから南へ下ると、ブルガリア第2の都市、トラキアへ平原の真ん中にあるプロヴディフに着く。アレキサンダー大王の国マケドニアの主要都市だったが、ローマの支配下になったので、地下には競技場跡が、断崖にはローマの円形劇場跡もある。
さらにオスマン朝に支配されたのでその雰囲気も残されている町である。
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[ソフィア]
ブルガリアの西部の首都ソフィアは標高が550mで欧州の首都としては、マドリッドに次ぐ高所にある。隣国セルビアが近い。
ここもローマ、フン族、ビザンツ帝国、スラヴ、オスマン、共産党に支配され実にめまぐるしかった。ここは共産党に関する建物や銅像がすべて撤去された。ここでは教会めぐりをした。

↓博物館に展示されているトラキア人の金細工は精巧で見事だった

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↓聖ボヤナ教会(世界遺産、中心から8kmにある) ↓聖ソフィア教会

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↓アレクサンドル・ネフスキー寺院   ↓聖ニコライ・ロシア教会

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↓聖ゲオルギ教会 手前はローマの遺跡     ↓衛兵

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[コウノトリ]
リラの僧院へ行く途中にコウノトリの巣が煙突にある町を通った。

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[リラの僧院]
ソフィアの南のリラ山の奥深くにある、ブルガリア正教の総本山で、世界遺産である。私がブルガリアで1番見たかった建物である。
10世紀にイヴァン・リルスキによって建立され、14世紀に現在の形になり、19世紀に火事で焼けた後復旧されたのである。
ブルガリアがオスマン朝の支配を500年間受けたときも、この僧院だけは活動が黙認されたので、諸外国から贈られた眩いばかりの宝がたくさん残存し、書籍、印刷機などブルガリアの文化の保存、発展に貢献した僧院なのである。
4階建ての外陣には360の房があり、全国からの僧が寝起きしていて、厨房の煙突や鍋の大きさに驚き、清潔な部屋は住みごこちよさそうである。

外陣に囲まれて聖母誕生教会がある。白と黒の縞々模様のアーチをくぐるとその天井と教会の外壁に、これまたフレスコ画がびっしり。聖書の場面やこの地方のそれぞれの時代の生活の様子が描かれている。
教会内部のイコンも輝くばかりで立派である。

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                     ↓アーチのないところの壁も縞々模様である

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↓手前の塔は焼けないで14世紀のもの

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↓僧坊の中

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ルーマニアもブルガリアも正教だからイコンをたくさん見てきたが、それより両国では外壁や内部、墓、洞窟のフレスコ画の見事だったことが印象的です。

[いただいたたくさんの画像は色もショットもよくて、本当に有難かったです。両氏に感謝してこの紀行を終わります。有難うございました]

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ブルガリア(1)

  Tizu ヨーグルトとバラ祭りとそして琴欧洲の出身国ブルガリアです。
旅の同行のO氏とM氏からCDを送っていただき、ブログに載せてよいと快く承諾していただきました。

Photo ルーマニアとブルガリアの国境はドナウ川→で、ここではパスポートを出しての検問があった。
他のEU間にはないのであるが。

ブルガリアは共和国で面積が日本の3分の1弱で、人口は771万人。宗教はキリスト教(ブルガリア正教、カトリック)とイスラム教。
紀元前に最初トラキア人が国家を作っていた。
↓はそのお墓(世界遺産)の美しい壁画である。
↓またバラ祭りのパレードでトラキア人に扮した人が、巨大な鈴をつけてローマ人と戦ったりして参加した。

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Photo_7   その後ギリシャやローマの支配を受けたが、日本の奈良時代の頃にはアジア系騎馬民族ブルガール人とスラブ人の同化でブルガリア人が形成され、第1次、第2次帝国ができた。しかしオスマン帝国に破れ、その後500年も支配を受けた。
オスマン朝が衰退した頃、ロシアの支援で勝利してその後新興ブルガリア王国が誕生。2回の世界戦争で王国も潰れ、共産主義時代に入る。ジフコフ首相の独裁体制が続くが、ルーマニアと同様に1989年クーデターで崩壊、2007年EU加盟を果たした。
→は最後の国王の子息で亡命していたが、1999年から5年間共和国の首相を務めた品格ある教養人で、バラ祭りに招待されていた。
 

[ヴェリコ・タルノヴォ]
琴欧洲の実家はこの町の近郊にある。泊まったホテルには日本の新聞記事や琴欧洲の写真やサインなどが飾られていた。そういえば、ブルガリアには琴欧洲のお父さんのような、ちょっとギリシャ系に似た人がいっぱいいた。すぐ南隣はギリシャだからでしょう。
丘と崖が美しく、中世の街並みと溶け合った町である。第2次ブルガリア帝国(1187~1393)の首都があったところで、宮殿はオスマン朝の猛攻で瓦礫の山と化し、今は頂上に教会があるだけである。

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[イヴァノブォの岩窟教会]
13~14世紀に描かれたフレスコ画の壁画が、今でも色鮮やかにはっきりと残っていて、世界遺産に登録されている。ルーマニアもブルガリアも、紀元前や中世のフレスコ画がきれいに残っていることは注目に値する。

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[カザンラクのバラ祭り]
ブルガリアの中心にバルカン山脈とスレドナ・ゴラ山脈に挟まれた「バラの谷」がある。ここカザンラクで栽培されているバラは香水用で世界市場の8割を占めている。観賞用バラと違って、小ぶりで咲いていても殆ど目立たないピンクのバラである。
民族衣装をまとって歌と踊りで豊作を祝う「バラ祭り」が6月第1週の週末を中心に、今年は8日(日)のに開催された。
早朝摘まれたバラのレイで迎えてもらい、バラに花摘みを体験した。素晴らしい香りでホテルの浴槽に浮かべると浴室全体が香りで満たされて、最高の贅沢を味わった。
もう1つのイベントは、町の中心で行われた、地元の子どもや空手や演劇団や高校生や近隣諸国の舞踊団など様々なパレードの見学である。バラ栽培の日焼けした農民の深い皺が印象的だった。
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↓香水になるバラ               音楽とレイで迎えられる

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2008年6月26日 (木)

東京サマーランド「あじさい園」

昨日は曇りでアジサイ鑑賞日和で「アナベル」が有名なサマーランドの「あじさい園」に行って来ました。
東京の西、あきるの市にあって、JR五日市線秋川からバスです。

アジサイは西洋アジサイ、アジサイ、ガクアジサイ、山アジサイなどある中に、蕾が玉のタマアジサイ、装飾花を持たないコアジサイがあります。
またアジサイの名を持たないガクウツギやノリウツギも今年お目にかかったものです。
全然別種のスイカズラ科のムシカリやヤブデマリも山で見ることが出来ましたが、ごちゃごちゃになって名前を教えてと言われても、もうはっきりしません。

今年はアジサイがことのほかきれいに感じられます。
ここ「あじさい園」には60品種15000株が植えられ、丁度8割が満開でした。

山の頂上付近には「アナベルの雪山」があり3000株が目に迫ってきました。圧巻です。
アナベルは北米産アジサイの仲間でアルボレスケンスの野生種の中から発見されたテマリ花です。

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以下鎌倉の長谷寺でも見たものが多いのに、忘れて、初めてのような、また別の種類を見ているようなのが情けない。
                    ↓シチダンカ

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↓キララ

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↓蝶のたわむれ

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↓小町

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↓ミュージカル

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↓ハイエス・スターライト

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↓クロヒメ

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↓ウェディングブーケ

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↓ウズアジサイ

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↓ベニガク

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2008年6月23日 (月)

ナイチンゲール伝

Hukusia 「ナイチンゲール伝」
   リットン・ストレイチー著

[イメージとかけ離れていたナイチンゲール、後半生ベッドの上から指令を出した人]

ナイチンゲールはロンドンの邸宅だけでなく、カントリーハウスを幾つも持ち、大陸に何度も旅行するような非常に裕福な家庭に生まれた。
裕福な幸せな結婚をして人生を送るはずの身分でありながら、芸術や文学に向けたいという誘惑にも抵抗し、若い男性への情熱をも足元に踏みにじり、家族の反対をも退けて、看護の仕事へ突き進んだ。
クリミア戦争が始まって、34歳のときにトルコ・イスタンブールの対岸のスクタリ(ウシュクダラ)の病院に、彼女個人の財産をたくさん持って、備品を買い込んで到着した。
そこはクリミア半島から運ばれてきた傷病兵が呻吟する換気装置がまったくない、悪臭も筆舌に尽くせぬ、この世の地獄の病院であった。国家に深く根ざした病弊である管理体制も崩壊した、災禍との戦いであり、医者達との戦いであり、そうした看護の仕事以外の管理に心を砕き、次第に病院の秩序を築き上げた人だった。
戦争が終わって帰ったきたときは、健康を損ない、何ともう死にかけていた。にもかかわらず、医者の長期間完全休養という助言を無視して、家族が泣いて頼んでも聞かず、何時死ぬか分からない状態なのに仕事をしたのだ。
その仕事とは陸軍軍医局の組織全体を何とかし、軍医局の仕官を教育し、病院運営の規則を改めねばというものだった。
絶望的な健康状態の中、勉強し、著述し、親しい人に全部指示してこき使い、90歳で亡くなるまで仕事をしたのであった。
この類稀な並外れた隔絶がナイチンゲールの生命力の源泉だったとは、誠に特異な人である。最後の方は病も収まったものの、小部屋のソファーに横たわって世界を支配する生命力溢れた人だったのである。
瀕死の兵隊のベッドを優しさの輝きで神聖なものにした「ランプの貴婦人」「クリミアの天使」「白衣の天使」としてのイメージの伝説のナイチンゲールは実は違っていたのだった。

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2008年6月19日 (木)

ルーマニア(3)-完ー

Tizu ルーマニアの北西トランシルヴァニアには、オスマン朝のとの戦いで、オスマン軍の兵に対して串刺しの刑を好んだというワラキア公ヴラド3世がいた。この人が吸血鬼ドラキュラのモデルとなった。
↓ブラン城はドラキュラの居城のモデルとなった中世の城砦である。実際には串刺し公(ドラキュラのモデル)の祖父のヴラド1世の居城であった。

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↓シギショアラという町に串刺し公の生家が今も残っている。画像は生家のすぐそばの時計塔で頂上から美しい中世の街並みが望めた。

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↓ハンガリー人の多く住むトゥルグ・ムレシュの町には市庁舎や文化宮殿など美しい建物がある。

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同じくトランシルヴァニアのブラショフはルーマニア第2の美しい古都である。
↓聖ニコラエ教会   ↓町で1番細い路地
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そしてシナイアにはルーマニアで最も壮麗な城と称えられる↓ペレシュ城がある。1875年にカロル1世がルーマニア王室の夏の離宮として8年かけて建てた宮殿で、外観だけでなく内部も美術品や宝飾品など豪華である。

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両国ともに農村は機械化していないで、人々は鍬などで畑を耕している。移動や収穫は馬車でいかにもゆっくりと時間が流れている。
国土全体は緑豊かで、街路樹の菩提樹、マロニエ、ライラックが満開で、菩提樹の香りが素晴らしかった。
ルーマニアの民家の屋根が実に複雑で様々な形で、屋根デザイン建築家がいたのであろうか。世界で1番ではないだろうか。バスからだったので1つも撮れなかったのが残念だ。

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ルーマニア(2)

ルーマニアの路傍にはヒナゲシを始めとして小さな小さな花(カメラでは撮れません)がいろいろ咲いていた。
最初がボダイジュ、11枚目キングサリ、12枚目はライラックの群生

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ルーマニアの食事は美味しかった。ブルガリアは更に美味しく、焼き鳥は炭火で焼いていて、日本と同じ美味しさ。
両国とも、野菜が少ない西欧諸国の中では抜きん出て、生野菜も多く、トマトやキュウリも朝から食べ放題です。
キャベツの千切りが出てきたのも初めてです。
野菜の付け合せとして出されるのが、黄色いママリガでトウモロコシの粉を蒸したものである。
スープはどこも美味しく出されると嬉しくなる。デザートはクレープが多かった。

                  スープ                  サラダ                

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       ナスのペースト          ママリガとマッシュルーム

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      ロールキャベツ              ローストポーク

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        クレープ               フルーツタルト 

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2008年6月16日 (月)

ルーマニア(1)

Tizu ブルガリアのバラ祭りに合わせて、ルーマニア・ブルガリアへ行ってきました。
ルーマニアの最後の日に突然カメラが壊れて、友人がカメラを持っていなかったので、よけいがっくりし、しょぼんとしてしまいました。ブルガリアは頭の中にしっかりと焼付けなければなりませんでした。
とりあえずルーマニアだけ、よかったらご覧下さい。

ルーマニアは「ローマニア・ROMANIA」と書かれ、中東欧で唯一のラテン民族の血を引いている。というのも、ローマ支配以前のダキア人とローマ人の混血が進んで形成されたからである。
中世になると南のワラキア、北西のトランシルヴァニア、北東のモルドヴァの3つに分かれ、異民族やオスマン帝国の支配を受けたり、南はオーストリア・ハンガリー2重帝国のハンガリ-に属したりして、ルーマニア王国になるも第2次世界大戦後はルーマニア人民共和国が成立した。
しかしソビエト連邦の意向で共産党が権力を握り、1865年チャウシェスクが独裁を進め、国民の犠牲の下、国民の館の建設や汚職が行われた。1989年遂に革命が起こりチャウシェスク夫妻も処刑され、民主化達成、2007年加盟国27のEU加盟を果たした。

面積は日本の本州とほぼ同じで、人口は2230万人、主な宗教はルーマニア正教、公用語はルーマニア語である。まだ平均給料が月300ユーロとかで生活は苦しいようです。

首都ブカレストは南部ワラキアにあり、残念ながら共産党の手により、古い教会や歴史的建造物は破壊されてしまっている。シャウシェスクの造った「国民の館」は国民のためのものでなく彼の私欲を満たすための館であった。日本円で1500億円を投じたそうで、アメリカ国防総省ペンタゴンに継ぐ、世界で2番目の大きさという。
内部はいたるところ純金の装飾が施され、クリスタルやシルク、樫の木がふんだんに使われ、大柱は国中から集めた数種の色の大理石であり、その蔭に国民は飢餓を強いられていたという。ちなみに両国とも主な教会や城などでは入場料の他に、カメラ・ビデオ券を買わねばならず、国民の館は1500円であった。

↓国民の館(大きくて私のカメラに全体が入らない)と内部

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↓階段も金ぴか              ↓大理石の大柱

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↓クレツレスク教会(ルーマニア正教)    ↓水上レストラン

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北東モルドヴァ(地図のクンプルング・モルドベネスク)には世界遺産の5つの修道院がある。これはモルドヴァ公国が黄金期を迎えた16世紀のもので、中だけ出なく↓のように外壁にも全面に聖書の場面や、オスマン朝との戦闘場面のフレスコ画が描かれている。それは文字が読めなく、修道院にも入れない人々のためだったとのこと。最後の審判場面では地獄に落ちるのがオスマントルコ人だったのがおかしかった。

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↓街路樹や目に付く木には虫除けが白く塗られている

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↓は修道院へ行く途中のピカズ渓谷である。どこか日本に似ていた。

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お土産さんはどこも建物でなく小屋掛けである。

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↓モネの「積み藁」を思い起こさせる「積み草」がいたるところに点在する。

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↓農村には馬やロバに牽かれた荷馬車が草などを運んでいるのを目にする。日本が豊か過ぎるのでしょうか。

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↓墓地 墓石に造花が飾られている  ↓陶器工場

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↓民族舞踊のディナーショー(琴のような楽器も演奏される)
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2008年5月29日 (木)

薬師寺展

527東京国立博物館の「薬師寺展」が激混みということなのに、27日(火)に9:30めがけて行ったところ15分待ちで入場。
見終わって11:30頃外に出て、びっくり、行列が延々と続き70分待ちの立て札が。
上野の駅に歩いて行くも、まだまだ人々が薬師寺展に向っています。もう90分待ちになっているかもしれません。朝向う途中、小学生の一団に「おおー、じじばばばかり!」と大きな声で言われてしまったのですが、8割は確かにそうでした。
国宝「日光・月光菩薩立像」 しっかりとお顔と、上半身と頭を互いに傾けた様子、腰のひねりを見てきました。
薬師寺の金堂で見るのと違って、光背がはずされ、横から後ろに回って後ろの姿が見られることです。
素晴らしいとしか言えないお顔、薄い衣、装身具、髪と均整の取れた全体にうっとりです。

国宝「吉祥天像」は色が退色し、思ったよりかなり小さな絵でした。
幸福や富の女神とのこと、ふくよかなお顔の太い眉、細い目、つぐんだ赤い口がとても印象的で、この奈良時代の美しい女神を人々は信仰したのでした。
麻の布に描かれた日本で最も古いものだとのこと、貴重なものです。

Photo 「モーリス・ド・ヴラマンク展」損保ジャパン東郷青児美術館
とても心に残る絵です。
81点の殆どが景色を描いたもので、心に残るというのが空です。全部暗く垂れ込めた空、1枚として晴れた空がないのです。
ヴラマンク(1876~1958)はヴァイオリン奏者や競輪選手として身を立てながら独学で絵を学び、大柄で発言も大胆不敵という、画家として面白い前身です。
フォービズム(野獣派)の中心人物として、ゴッホやセザンヌの影響を受けたのに、同じくこの影響を受けたピカソのキュビスムに流れず、重厚な色彩と力強い独自の画風。私はとても好きになりました。

浅間高原のカラマツ
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浅間高原・しゃくなげ園にはアズマ・ハクサン・キバナ・ヤクシマ・ホソバという種類があるようですが、1分咲き状態でわかりません。

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タラノキがあちこちに、タラの芽           浅間山(2568m)

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㊧嬬恋村の有名なキャベツ畑が何処までも続いている
㊨鎌原観音堂 天明3年(1783)の浅間山大噴火によって麓の75の村全体が押し流されて溶岩の下敷きになった。ところが嬬恋村の鎌原は観音堂にお参りしていた人と遠くに出ていた人93人だけが助かったということで、厄除け観音として厚く信仰されてる。かたまった溶岩が「鬼押し出し」で30年ぶりでした。

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6/1~6/12まで出かけますので更新は6月半ばになります。また宜しくお願いします。

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2008年5月26日 (月)

ホオズキ

今日は、「フェニックス」が火星に到着したニュースや、江東区のマンションの女性行方不明の犯人が見つかり、それが1件おいて隣の男で、事件のとき30分も、そ知らぬ顔して報道陣の質問に答えていた、などというニュースに驚いております。

同じく今朝の朝日新聞「声」欄に、[与謝野晶子]ならぬ[予算野無き子]氏が「君死にたまふことなかれ」の替え歌「高齢者を歌う」で高齢者医療の現状を憂えて歌っています。
・・・
戦火をくぐりさまよいて
原爆空襲生き抜いて
日本をつくりし君なれば
たとえお上が死ねよとて
老人医療をつくるとも
君死にたもうことなかれ
・・・
こんな具合に<君死にたもうことなかれ>に以下3、4番と歌っているのが、上手い、上手い。高齢者医療の現状が余す所なく歌われていて、こ気味良いのです。

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↑ホオズキ・酸漿(ナス科)の花が咲いています。じっくり見たのは初めてです。
子どもの頃、熟したのを採っきて、よく揉んで爪楊枝で中味を出したが、成功率はかなり低かったのを覚えています。
穴を舌先にあて、上あごで押しつけて鳴らしたように覚えていますが、果たして今できるでしょうか。すぐ破れてよい音を連発するのは難しかったなあ。

それに比して、海ホオズキは神楽坂のお祭りの度に買ってもらったとき、実によく鳴って楽しかったです。
海ホオズキは巻貝の種類の卵を保護するためにつくる卵の袋だそうです。「ナギナタ」のようなのと「グンバイ」のようなのがあって、ナギナタのが簡単でした。
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家の前の畑の耕作者が代わって、畑の作り方も少し変わりました。マルチを作るところが見学できました。前者は手で張っていたのに、今度は機械でバックしながらやっています。歩くのは人間ですから、微妙に曲がっています。私がやったらもっとみみずがのたくったみたいになるのでしょう。1度やってみたい!

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