2018年11月19日 (月)

モロッコ周遊(2)

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マラケシュ 2日目10/28(日)マラケシュ泊~3日目10/29(月)マラケシュ観光の続きから宿泊地ワルザザートへ

カサブランカからマラケシュへ向かう。バスの中から。マラケシュと言えば映画『知りすぎていた男』のドリス・デイの「ケセラセラ」を思い出す。

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クトゥビアの塔は1190年に完成したそうで、高さ77mでシンボルタワー。
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ジャル・エル・フナ広場で大道芸人(蛇使いも見た)や屋台で賑わう様子を見る。テレビで何回も見た所。
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メディナ(旧市街へ)のスーク(市場)へ
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                            今晩のメインディッシュ「ミックスケバブ」
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                                     食事を終えてからの広場
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◎ 翌日、午前中マラケシュ観光の続き。
カサブランカ、ラバトに続きモロッコ3番目の都市。標高450m。11世紀、ベルベル人初の王朝・ムラービト王朝、それに続くムワッヒド王朝の王都であって、交易、商工業、学問の中心として繁栄する。その後フェズに遷都、衰退するも15世紀サアード王朝の王都となり再び繁栄する。
                      コウノトリ
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サアード朝の霊廟  スルタン13名他200名がメッカの方向に顔を向けて埋葬され、異教徒は別方向へ向けて埋葬された。
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スークの路地を通りバヒア宮殿へ
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バヒア宮殿 1894~1900年に建設された宮殿。バヒアは美しい、永輝などを意味する言葉であるとともに最愛の妻の名前(第3夫人)である。4人の正妻で最愛の妻に最も美しい部屋が与えられた。後宮(23名の女性が生涯を過ごした)やプライベート庭園やモスク、プライベートの応接室などがあった。
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           瘤のある葉のみかんは食べられないそうだ
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モロッコにはアフリカ大陸の三分の一を占めるサハラ砂漠に隣接し、砂漠はほぼアメリカ合衆国と同じ面積だそうだ。しかしモロッコには西側より、アンチ・アトラス、オート・アトラス(4000m級)、モアイアン・アトラスと地中海近くにリフ山脈がある。そのため地中海と山脈に囲まれた地域は砂漠気候と異なる。日本よりずっと寒かった。

いよいよワルザザートへ向けて出発。ところがかなり行ったところで、橋が決壊、片側交通で行くのは午後遅くならないと無理と言うことで、マラケシュに戻り遅い昼食を摂って、再びワルザザードへ。途中のロケ地には寄る時間がなく明日早く行くことになったが、無事夜8時半頃宿泊地に到着。良かったよかった。
バスの右側には冠雪した山脈が見えてきて、時々映画『シェーン』のような風景が垣間見えた。

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           果物として食糧になるサボテンの産地のようだ
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アルガン油 モロッコのベルベル人の間では、クスクスなどに用いる食用油、スキンケアなどに用いる薬用、化粧用の油として利用されてきた。20世紀後半、ビタミンEの含有量や不飽和脂肪酸量が評価され、化粧品用の基油または油を直接利用されるようになった。 今は大変な手作業でなく機械化されたそうだ。娘に買ってみた。
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ティシュカ峠(2260m)
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トイレチップが1DH(デェルハム)ということで、50円くらいする他の国より安いなあと思っていったのですが・・・
昼は勿論、夜もアルコールを出すレストランは少なく、ツアー値段が安いので上記の事情も鑑みて物価が安いと思い込んで行ったら、大きな間違い。外国人値段(つまり現地の人は買い物もしていないし、喫茶店にもいないから)なのでしょう。紅茶1杯が安い所で240円、普通は480円もするので途中の大きいホテルで両替をすることになった。
何か飲まないとトイレに入れないところもあった。トイレはたまにトルコ式があった。
チップ係のおばさんも含めて人々は優しかった。西欧と違うかもしれない。

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2018年11月16日 (金)

モロッコ周遊(1)

インフルエンザが治ったらすぐ次の普通の風邪に移行し、階段転倒はお陰様でどこにも骨折はなくてすみました。ところが打撲傷が痛くて痛み止めとテープでしのいでおります。今朝,平熱を体温計で見て小躍りしております。(なお整形では骨粗鬆症の治療を即始められてしまいました。打撲や痛み止めの事は何も問診なく、他の医者でいただいたのでした。他にモロッコ下痢?というのもなかなか治りませんでした)帰国してからもう2週間になろうとしています。(あ~あ、ひどい目にあった。特に過酷な国は2度と行くな、海外にはもう行かない方がよろしいという警告か!)

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10/27(土)~11/4(日)の9日間、『青の街シャウエンとモロッコ周遊』というツアーに参加しました。男性4名、女性16名で半分以上は若い人。この点がエジプトの時と同じ。いつもは殆ど高齢者ばかりですから。モロッコは現在、雨期でずいぶん雨い合いました。

モロッコは王国で、アフリカでは他にスワジランド、レソトを数えるのみです。面積は日本の約1.2倍で人口は3365万人(日本の約1/4)。
民族はベルベル人30%、アラビア人65%、。言語はアラビア語(公用語)、ベルベル語(公用語)、フランス語。宗教:イスラム教スンニ派。

<1日目><2日目>
エティハド航空にて成田17:55発で時差5時間のアブダビに0:45に到着
アブダビ発2:35発でモロッコ・カサブランカに時差9時間の7:30着 
成田から富士山が見えた(初めて)
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<2日目10/28(日)カサブランカからマラケシュへ

●カサブランカ ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画を思い起こすだけの都市ですが、ここは周辺と合わせると人口50万人にもなるモロッコ最大の都市で経済の中心。(映画の舞台になった所は最終日に)。歴史もいろいろあるけれど、複雑ですべて省略。

ここでは「ハッサン2世モスク」を見学。

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1987~93年、前国王ハッサン2世が建てた。大西洋の上に建てられている。塔の高さは200m。外からは大きく見えないけれども、内部の大きなこと!、2万人の男性と5000人の女性が礼拝可能なのだ。サウジアラビア以外では最大のモスク。地下に沐浴場やハマム(トルコふろ)がある。シャンデリアを除き、建築材料はモロッコ製。
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アラベスク模様が素晴らしい。既に見たアルハンブラ宮殿のもの、そしてもう行かれないインドのタージーマハルに思いを馳せながらですが、全部細かく観察する時間がないほどであった。
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                    地下沐浴場
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再び外に出ると、カサブランカのビル群が見え、このタイルの下は海なのだ。
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西欧のカトリック、プロテスタント、国教会、修道院などの宗教画や石像や木造をたくさん眺めてきて、先日は東方国教会のイコンをたくさん眺め、そして今回偶像廃止のモスクの内面をとっくりと拝見させていただく。趣が全く違っていてどれがどうとは一概に決められない。

モロッコ最初の昼食のメイン。(魚のスープ、スズキの揚げ物と温野菜、フルーツサラダ)。味がなくて塩を振かけてもまだまだ味がない。血圧高めの人にはよろしいかと。私は低くなりすぎないように醤油かけたり、せんべい食べたり。
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2018年11月 7日 (水)

モロッコから帰って

ちょっと変わったイスラムの王国・モロッコから元気で帰りました。
とろがその夜軽く咳が出、翌日微熱が出て、昨日9度6分に上がって医者に行ったらA型のインフルエンザでした。
そのあとが悪かったです。ふらついて家の2階から13段転げ落ちて、痛かったこと。しばらく起き上がれませんでした。
整形外科にもこの熱とインフルエンザでは行かれませんので骨折してないことを祈るばかり。

というわけで愚痴を書いてこの項終わります。

1週間静養で外出できませんで、その後に書きますモロッコ紀行をよろしくお願いいたします。

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2018年10月25日 (木)

東海道五十三次歩き30 関~坂下宿~土山(後編)

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◆鈴鹿峠~土山宿入口

近江の国に入ると土山、ここはお茶が名物。お茶畑が広がっている。峠を越えたので今度は急な山道を下るのかと思うとそうではなく、坂といっても緩やかでほとんど意識できない。

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・万人講常夜燈の前でおにぎりなどで昼食にする。今まで初めて、途中に食堂が1軒もないのである。この常夜燈は江戸時代に、金比羅参りの講中が道中の安全を祈願して建立したもの。高さ4.55mでとても大きい。
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                                        滋賀県甲賀市に入る
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                                                 あざみ
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・旧土山町のマンホール  町の木・杉、鳥・キジ、花・お茶の花。
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・半分埋まっている鳥居とは珍しい。原因は何?
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・石灯籠が並ぶ熊野神社。還暦と言う字が多いので還暦記念に立てるのかもしれない。亀山宿と関宿の間に56も石灯籠が並んでいる布気皇舘太神社もありましたっけ。
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・十楽寺は工事中であったが入ることが出来た。ここの阿弥陀如来坐像は甲賀三大仏の一つで、日本最大級だそうだ。平安時代後期の像造という。
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・戦国時代の山中城址
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・今まで違った感じの飛び出し坊や。滋賀県は発祥地だ。
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・山中一里塚(109里目)公園には馬子と馬の像もあった
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・火頭古(ひずこ)神社の覆屋の中の本殿は国登録有形文化財
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・猪鼻村には入口と出口に石の標識があり、小さな宿のようだ。土山宿から坂下宿間の立て場(休息所)もあり、草餅や強飯が名物だった。道路もカバ色に舗装されていてきいれいだ。
今は緩やかな坂になっているが往時は険しい猪鼻峠があったそうで、立て場が必要だったのとのことだ。
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・屋号札を掛けている家が多い

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・中屋旅籠跡には明治天皇聖蹟碑が立つ
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・村を出て蟹ヶ坂集落に差し掛かると榎島神社があって、樹齢400年の椎の木がある。根元近くだけでも大迫力。
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・蟹坂古戦場跡 山中氏は伊勢から攻め込んだ北畠氏の軍勢を敗走させた戦場跡。この辺りには旅人を食べる巨大が蟹がいて、ある僧に説経され改心し、甲羅が8つに割れ往生した。村人は割れた甲羅を模した飴を作り厄除けにした。土山の名物だ。
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●土山宿(49番目の宿)

復元された海道橋 田村川にかかるこの橋が出来るまでは50m下流で溺れ死んだ旅人が後を絶たず1775年に出来て、2005年に復元された。

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・広重「土山・春之雨」はこの橋を大名行列が渡っている   
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・橋を渡ると青銅の鳥居のある田村神社がある。
812年創建。祭神は坂上田村麻呂、倭姫命、嵯峨天皇の三神。2月の厄除け大祭は石橋から自分の年の数の豆を落とす。
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                        本殿
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今日はここまでで、道の駅「あいの土山」で例によってお土産を買ってもらう。名物・「土山茶」と「かにが坂飴」。
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帰路ですが、あいの土山初のバス4:50に乗り30分ほどで貴生川駅に到着。
・駅にはかわいい甲賀忍者の絵が
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5時33分の草津線(京都直通)に乗り、6時半すぎに京都着。7:05の新幹線ー9:33東京着。帰宅は11時過ぎ。とまあ、日帰りできわたわけです。
今回からは京都から帰り次回から京都まで行って今日の所に戻る。日がますます短くなる。
本日のお弁当は京寿司で押しずしや笹ずしなども入っていてとても美味しい!
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何時も東海道歩きを読んでいただきありがとうございます。明後日27日から11月4日までモロッコに出掛けることになってしまいました。暫くお休みいたします。

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2018年10月22日 (月)

東海道五十三次歩き30 関~坂下宿~土山(前編)

10/4(木)小雨 一番日帰りが難しい所に来ました。新幹線(7:10発)ー名古屋(8:47着)、関西本線の名古屋(9:06発)-亀山(10:06着)、亀山(10:14発)ー関(10:20着)
線路は続いているのに、亀山でJR東海からJR西日本に変わるために乗り換えたら、一両編成の加茂行きはラッピング電車でした(お茶の宣伝か?)。 この日は36112歩。
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◆関宿~坂下宿
関駅から関宿の西の追分まで歩きここが今日の出発点となる。

・旧関町の違うバージョンマンホール 町の花・シャクナゲ、鳥・キジ、獣・鹿、木・杉が描かれる。

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・金の家紋の川北家。関宿の川北本陣と同じ家紋。
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・筆捨山が見えてきた。広重の「阪之下 筆捨嶺」はここで少しデフォルメされた筆捨山だ。説明板によると、狩野元信がこの山を描きはじめたものの、翌日描き残した分を続けようとしたところ、雲や霞がたちこめ、山の姿があまりに変ってしまったため、書き足すことができずあきらめて筆を投げ捨てたので付いた名前と言う。
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・107里目の一里塚跡
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・鈴鹿川は台風が通過したため水量が多いようだ
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                  野菊、アメジストセージ
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・東海道五十三次の標柱が日本橋から三条大橋まで並んでいて、そこに鈴鹿馬子唄会館があった。
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中に入ると、馬子唄が流れ、足の太い馬や坂下宿が展示がされていた。♪坂は照る照る 鈴鹿はくもる あいの土山雨が降る♪ 唄の通りにはならずずっと雨だった。
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・馬子唄会館の向かいは鈴鹿峠自然の家。 昭和13年に建てられた坂下尋常高等小学校の校舎で、国登録有形文化財に指定されている。
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・鈴鹿馬子唄発祥之地碑
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●坂下宿(48番目の宿)関宿から6.5㎞ 日本橋から約422㎞ 宿の長さ約650m 本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒。
この河原谷橋を渡って坂下宿に入った。
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・大竹屋本陣跡。往時は鈴鹿峠は難所だったので峠越えの旅人で賑わったが、関西本線の開通により駅から離れ、今は茶畑の中に3つの本陣跡と1つの脇本陣跡の標石が立つだけ。
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・法安寺の庫裡の玄関が坂下宿唯一の本陣遺構である
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・金蔵院跡。今は石垣が残るのみ。江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられ、上洛途中の家康や家光が休息したそうだ。
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・その脇に地蔵堂があり、身代地蔵尊が祀られているが、2体あるうち、右側のお地蔵様は板を突き抜けていて珍しい。
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◆坂下宿~鈴鹿峠
・2体の老人男性石像が立っているが、誰が何の目的で立てたかわからないそうだ。
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・鈴鹿峠の入り口には片山神社社標がある。鈴鹿明神、鈴鹿権現とも呼ばれる。1999年に焼失。
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台風の後のこんな道を登って行くと片山神社の登り口があった
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・鈴鹿流薙刀術発祥之地碑のところで道は折れ、いよいよ急な登り坂になった。
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・4基の常夜燈が石垣の手前に並ぶ
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・芭蕉の句碑「ほっしんの初にこゆる鈴鹿山」
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・山道には倒木が道を少し塞いでいた。台風が凄かったようだ。
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・鈴鹿峠に到着。約30分であった。
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・鈴鹿山の鏡岩 鈴鹿峠の頂上にある巨岩で三重県指定の天然記念物。硅岩が断層によってこすられ露出面に艶がでたもの。この峠に住む山賊が岩を磨き、そこに映った旅人を襲ったという伝説から、「鬼の姿見」とも言われている。
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        岩の頂上によじ登ってみる。石が少し艶があるように見える。
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             頂上からは眼下の国道などが良く見えた
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・向こうの森の切れ目が県境
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境界石には右滋賀県・近江の国 左三重県・伊勢の国と書かれている。とうとう滋賀県に入りました。箱根に比べるとすぐ登り切り拍子抜けの鈴鹿峠だった。昔はなんでも盗賊が多く出て難所とされたとも言われているそうだ。
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2018年10月18日 (木)

秋をそこここで満喫

●河村城跡・洒水の滝
御殿場の山北駅で降り、標識に従ってハイキングです。

             山北駅では明日走らせるSLを点検整備中

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      山北町マンホールは富士山と丹沢湖に架かる永歳橋をデザイン
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                    河村城址案内碑
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                    城址への道
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   畝掘が見えてきた(敵の侵入を困難にしようと堀底を畝で区切ったもの)
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河村城址碑 河村城は平安末期河村氏によって築城されるが、足利尊氏に負けた。その後いろいろ支配者が変わったが、戦国時代に後北条の支配となり、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、この城は落城し廃城となった。
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   きのこ 久しぶりに見るきのこ。薄い色。裏返して見るのを忘れてしまった。
アシナガイタチタケとSきのこ博士さまに教えていただきました。ありがとうございます。

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城址公園から見える中央の山は、東名高速や新松田駅から見える、河津桜で有名な松田山ハーブガーデンの頂上。
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                     小田原方面
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洒水の滝へ向かうと田圃は見事にひこばえが生えた穭田(ひつじだ)になり、稲架(はさ)が並んでいた。
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         花 ホトトギスやミゾソバ、コスモスなど秋の花が満開
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              道祖神 ダムを造るので移転された
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                    最勝寺 水子地蔵
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  洒水の滝 台風以来と言うことで水量がかなりあるのに幅の細い滝であった
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●小布施
・浄光寺へ、小布施駅よりシャトルバスで岩松院の近くのこの寺に向かう。
浄光寺薬師堂は重要文化財で、室町時代初めの1408年に建てられたもので、こんな場所に残っていたのが貴重だ。中が暗くて、建築の細かい所や薬師如来と眷属を見られなかったのが残念。
山門の仁王さまもかなり古いことを感じさせる
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              薬師堂は苔むして静かな佇まい
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          岩松寺への道はリンゴやコスモスですっかり秋の風情
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                   トリトマと岩松院
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・岩松院1472年荻野氏の開基で、先日見た北斎最晩年89歳の21畳分ある「八方睨み鳳凰図」を再び見て、福島正則の菩提寺で、霊廟を拝見。
「一茶と蛙合戦の池」と小林一茶の句碑を見る。蛙はヒキガエルだそうで少ない雌をたくさん雄が奪い合う様子を、病弱な我が子に託して詠んだと言われる。
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町へシャトルバスで戻って、栗の小径を通り北斎館へ。栗の木を敷いた小径が素敵。栗の木も植えられていた。電車の沿線に栗の木がたくさん見られた。
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小布施堂正門 高井鴻山の祖父が1750年に立てた門で、江戸末期には勤王志士、文人墨客、そして北斎もこの門をくぐり、通算4年間も名作を描き続けた。
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北斎館では、再び北斎86歳の作品、二基の祭り屋台の「龍・鳳凰図」と「男浪・女浪」の怒涛図を見て再び感動する。
他に企画展示で「富嶽三十六景」と「富嶽百景」を、肉筆展示室二部屋で肉筆画・美人画、花鳥画、風景画をたくさん見た。

竹風堂は行列で断念し、喜の呼庵で栗おこわを食べ、栗のお菓子のお土産をいろいろ買って善光寺へ向かう。
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●善光寺 55年ぶりで何も覚えいなかった。年間600万人も参拝するという善光寺は無宗派という事にも驚きですが、貫主のセクハラ問題にも揺れている。

                  仁王門から山門を見る
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山門の楼上にかかる「善光寺」の額は字の中に5羽の鳩がいるから「鳩字の額」と呼ばれている。重要文化財。
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本堂は国宝。裳階を廻らせた二重屋根は檜皮葺として日本一の規模を誇っている。江戸時代中期の建築で、壮大な伽藍は東日本最大だそうだ。
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500円払うとお戒壇めぐりが出来るのです。こんな真っ暗な世界、もしかして生まれて初めて。御利益は何じゃ。極楽の錠前を探り当てました。秘仏の御本尊と結縁だそうです。
そこから出ると、法要があったので、絶対秘仏(日本最古の仏像とか)の御本尊を安置する宮殿を一瞬拝することが出来た。

      経蔵 重要文化財。一切経が納められ、輪蔵を回すことができる。
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善光寺参道は趣があって素敵だ。ツルウメモドキや漆喰の建物、昔の建物などを見ながらとうとう長野駅まで歩いてしまった。
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2018年10月15日 (月)

東海道五十三次歩き29 井田川~亀山宿~関宿(3)

この日は関宿の終わりまで最後は早足で西の追分まで行き、関駅までバスで戻ったのです。この1週間後関駅から西の追分までの手段が歩くしかなかったので、早足で駅から百五銀行まで、そこから再び西の追分へ歩いたのでしたが、ちょっと抜かしたところがあったので写真を撮り今回それを入れました。

●関宿(47番目の宿)亀山宿から5.9㎞ 日本橋から約415.1㎞ 宿の長さ約1.8㎞ 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠42軒の続き。

                ゴミ箱まで街並みに合わせている
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・百五銀行の先も今までの倍位街並みが続く。手前左の家を仔細に眺めてみると、1階には出格子があり、庇の下から出格子にかけて幕下(風雨から店先を守る)があり、出格子の下には「ばったり」という上げ下げが出来る棚があって、今は下げられ、人が座ったり、商品が並べられるようになっている。2階を見上げると虫籠窓(漆喰で塗籠た竪格子窓)がある。
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・端光寺には、家康が食べたと伝わる権現柿がある。当時の和尚が幼少の頃、家康と親交があった。ちょうど柿がなっていた。
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・関のマンホール。亀山市になる前の旧関町のイメージキャラクター「アスレ」だそうだ。肩にとまっているのはキジ、笠につけているのはシャクナゲ。関街並み資料館に飾ってあったマンホールは色がついているのでよくわかる。
たまたま読んでいた山本昌仁著『近江商人の哲学』に載っていた写真の昔の近江商人に、このアスレが似ていませんか?
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         彼岸花も丁度きれいに咲いていたが、萩も満開であった。
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・関まちなみ資料館に寄る。関町の伝統的な町屋を公開した資料館。
                   箱階段や薬箪笥
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               1階の部屋の中は思ったより明るい
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                2階の虫籠窓の内側の様子
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                    関宿のジオラマ
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            明治時代の自転車。なかなかに乗りにくそう。
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川北本陣跡、隣の問屋場跡、斜め向かいの伊藤本陣跡を通る。

・2階の手摺と格子の意匠が実に細かい
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・旅籠玉屋歴史資料館へ。関宿を代表する大旅籠。江戸時代に建築された貴重な旅籠建築で、当時使われていた道具類や、庶民の旅に関係する歴史資料などが展示されている。今まで数回このような展示を見てきたが、いつも不便な旅をしていた江戸の昔に引き寄せられる。
まず奥の土蔵(広重の浮世絵展示)を見学後、宿の中を見る。
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                   帳場(今のフロント)
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               布団の薄いこと、枕がとても使えない。
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                 貴人が泊まる離れ座敷と坪庭
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・隣りの旅人宿石垣屋は、築120年で肥料商だったが、宿泊施設で、寝袋持参だと2500円と書いてあった。
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・少し戻って百六里庭(鳥瞰亭)から関宿の家並を見る
                        東側
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                     西側(鈴鹿峠側)
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・高札場
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・福蔵寺 信長の三男信孝が信長の冥福を祈るため建立しようとしたが、秀吉に自害させられ、家臣が首を持ち帰り、菩提寺とした寺。
                      信孝の供養塔
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           敵討ちで有名な関の小万の碑。お墓も境内にある。
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・会津屋 昔は山田屋という旅籠で、仇討ちの小万が育った家。仇討ち本懐後も38歳で亡くなるまで奉公した。現在はおそば屋さんか。
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・地蔵院 見られないけれど、日本最古の地蔵菩薩(通称・関のお地蔵さん)。741年に行基が流行していた天然痘から人々を救うため安置したと伝えられる。本堂・愛染堂・鐘楼は国の重要文化財。
                       本堂  
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                    おびんずる様
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                      一休坐像
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・漆喰彫刻(鶴と亀)や細工瓦が見られた
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・観音院 戦国末期に焼失、江戸時代にこの地に再興。観音山に西国三十三カ所の霊場を開いたという。
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・西の追分
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          本日のお土産は志ら玉と関の戸
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                    夕ご飯のお弁当661_450x300
ビールはしゃちほこの上に信長、秀吉、家康がのっていてなかなかに面白いデザインで笑う。662_300x450
西の追分(バス)→関駅(関西本線)→名古屋(のぞみ)→東京(8:53着)家には10時過ぎに到着。電車に乗ってる時間が長くなってきました。

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2018年10月11日 (木)

東海道五十三次歩き29 井田川~亀山宿~関宿(2)

前回、関西本線に1970年代初めまでD51が走っていたと教えていただき、びっくりしました。そういえば大井川鉄道では新金谷駅からはまだ年間72日間もトーマス号が走っています。
亀山城跡にあった蒸気機関車は昭和19年製造で昭和45年3月廃車と書いてありました。約131万㎞走り、亀山機関区も走ったようです。今夕のテレビでやっていましたが、現在では維持費がかかって殆ど走らせているところはない。しかも撮り鉄が多く乗ってくれないとのことです。

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●亀山宿の続き
・城跡から東海道に戻り、西町問屋場跡を通り過ぎたら、弥次さん喜多さんを久しぶりに見る。

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・その先の旧舘屋住宅(枡屋)は幕末から大正にかけて呉服商を営んでいて、蔵も大きくて立派だ。主屋のこの建物は明治6年築。
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・飯沼慾斎生家跡(植物学の基礎を拓くなど、近代科学草創期の代表的な自然科学者)・・初めて知った名前です。
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・青木門跡(家康が繁茂する青木を見て感激、おお青木と言ったことに由来する地の名前と門)
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・道の反対側に入って所に加藤家屋敷跡がある。とても立派な土蔵と長屋門だ。
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・西の丸外堀跡の先が京口門跡である。京口板橋からきれいな流れの竜川を覗く。
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・今は櫓も見えず、急坂ではないが、広重の亀山宿はここからの眺めを描いている。全く面影はない。
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◆亀山宿から関宿

・黒い漆喰の森家住宅は国の有形文化財。貴重な町屋的な表構えを見せる。アンティークも扱っているカフェーを営業しているが、お休みだった。
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・慈恩寺の青面金剛と三猿が素晴らしい
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                     十一面観音
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・野村一里塚(105里目)はとても立派で樹齢400年だそうだ。残っているのは北側のみだが、珍しい椋で脇往還を含めた東海道ではここと佐屋街道の神守一里塚だけに現存する。
ちょうど彼岸花が咲いていてきれいです。
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・内田権四郎(1642~1731年)宅跡。半世紀にわたって亀山藩の大庄屋を務め、古い記録を集め『久々五集』を編纂した。どんなことが書いてあるのでしょう?
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・善性寺には何と槇の木で出来た「H」型の山門がある。
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ハイビスカス・ローゼルの花はオクラに似ていた。蕾かと思ったら萼らしい。そっくりでよくわからない。
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・数えたら56も石灯籠が並んでいる布気皇舘太神社
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・桜の並木が続く大岡寺畷
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・左手に鈴鹿川が流れる
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              野生の鹿が川を渡っているのを発見!
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                  田園風景と鈴鹿山脈
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●関宿(47番目の宿)亀山宿から5.9㎞ 日本橋から約415.1㎞ 宿の長さ約1.8㎞ 本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠42軒。
古代三関の一つ「鈴鹿関」が置かれたところ。後の2つは不破関(美濃)、愛発関(敦賀)→逢坂関(大津)。

・関宿
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・鳥居が見えてきたが、ここが関宿の東追分で入口である。鳥居をくぐって左に曲がると伊勢別街道である。
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一里塚跡(106里目)を見て宿の通りへ

・関宿の街並みは歴史的町並みが残り、昭和59年に重要伝統的建造物保存地区に選定された。電線は地中に埋め込まれ素敵な街並みだ。東西追分の間は1.8kmあり「関宿かるた」が至る所に下がっているのである。
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・山車庫 関の山の語源になった関の山車が入っている。人混みをかきわけて山車が巡行する様子から、精一杯という意味の関の山という言葉ができたという。
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・百五銀行も昔の家のまま営業している
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・延命寺山門 旧川北本陣の門を移転したもの。
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寺と銀行の前の道を歩き、東海道を越えた突き当りが関西本線の関駅だ。まだまだある宿をこの後電車が来る時間まで楽しんだ。(続く)

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2018年10月 8日 (月)

東海道五十三次歩き29 井田川~亀山宿~関宿(1)

9/27(木)今回は古い家並みがあちこち残る雰囲気の良い亀山宿と、東海道で2つ目の重要伝統的建造物群保存地区の関宿を歩くので大変楽しみにしていました。
4:40起床でのぞみ6:30に乗り、名古屋で関西本線に乗り換え前回の井田川駅に9:50頃到着。出かける時から道中ずっと降っていた雨が駅に着いたら止んでいた。遠くなって歩数も34057歩でかなり楽になった。

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◆井田川~亀山宿

・駅前の日本武尊をまた見て、旧井田川小学校跡の二宮金次郎像を見る。家の方には殆どないが、この街道筋では廃校をいくつか見てきた。宿の中でも廃屋があり、電車が通ったことにより、駅から遠ざかる宿ほど過疎化が進んでいる。そして沿道のバスは一日に数本。各家は駐車場を2つも3つも持っている車社会だ。
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・亀山のマンホール。亀山城多門櫓と市の花の花しょうぶが描かれている。
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・歩道橋のタイルには亀にローソクがのっている。亀山はローソクで有名なのだそうだ。知らなかった。全国シェアの5割以上で全国第1位だし、ローソク燃焼比較実験で世界1の評価を得たローソクとのこと。
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・椋川
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・瓢箪「ぶら下がるだけが仕事の大瓢箪」と書かれ、数えきれないほどぶら下がっていた。
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・谷口法悦題目塔 谷口法悦は京の日蓮宗の篤信者で、一族とともに17世紀終わり頃、各地の街道筋や追分などに題目塔を造ったという。篤信者の凄さを知る。
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・和田道標 三重県内で東海道最古の道標(1690年)。亀山城下から亀山領若松港へいたる重要な分岐点だったそうだ。
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・シャングリさん 通行人による疫病から子ども守るために祀ったという小さな祠だ。現代は外国からも疫病が入りますが医学が発展してありがたいものです。
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・石上寺の一つ一つ囲まれている石仏
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・和田一里塚(104里目)復元されたもの
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●亀山宿(46番目の宿) 庄野宿から7.9km 日本橋から約410㎞ 宿の長さ約2.3km  本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠21軒。
この宿は石川氏6万石の城下町。幕府直轄だったため、これを嫌う大名たちが泊まりを避けたため宿場町としての規模が小さく、発展しなかった。しかし歩いてみると亀山城跡の趣のある宿であり、道が曲がりくねって枡形になっている。

・露心庵跡 説明板のみだが、この辺りが亀山宿の入り口になる。江戸口門跡はさらに900m先にあり、京口門跡も西側にある。江戸口門は城主が築造し、外側に堀を巡らし、土塁に囲まれた枡形の曲輪があり、門には櫓や番所が置かれていた。
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・亀山宿も屋号札があちこちにかかっていて楽しい
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昼食は亀山名物・みそ焼きうどん(サラダ付)。牛肉入りで美味しかった。
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・店を出ると飛び出し坊やがこの辺りにもあった
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・福泉寺山門 1795年建造、江戸時代後期の地方有力寺院の建築様式。正面軒唐破風付入母屋造、本瓦葺、一軒一戸の楼門。立派です。
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樋口本陣跡、高札場跡、大手門跡などを通り過ぎる。

          道はずっとベージュ色のカラー塗装でわかりやすい
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・左手に遍照寺が。東海道からお詣りすると鐘楼門をくぐった後、坂を下りることになる。位の高い人は坂を下りることを嫌ったそうで、「頭で鐘撞く遍照寺」と言われた。そう言われてみると表門をくぐって下るのは珍しいかもしれない。他にあったかしら。
門からの眺めは素晴らしい。門をくぐって下から門を見る。
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                    千手観音石像
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         弘法堂の中には弘法大師様が21体も。これまた珍しい。
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・だいくや跡
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・少し先の道を右へ曲がって亀山城跡へ向かう。現在残るは多門櫓と石垣、土塁、塀の一部が残っている。
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・亀山神社 城跡の横には立派な亀山神社があった
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・城址の楠門跡に何故かSLが展示されていた。C58359とあった。
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2018年10月 3日 (水)

老化と古くなってきた陋屋と

家は22年、その3.5倍の私。
私は老化だけならいいのに、それ以前から続いている落とす癖にもう呆れかえって「落とさない」念仏を「転ばない」念仏と同時に唱える毎日。
実は以前海外でリュックを忘れて戻った話は書きましたが、その他にジャケットや、気に入っていたブラースなどはおっていた衣類を置き忘れています。その他こまごまいろいろ。
今回はなんと財布を落としてきました。幸い、お金とカードは全部他にしまっていたので、財布そのものとパスポート写真やコピーしたものだけで済んだのですが。
今度は何を無くすのかまで考えてしまう情けなさ。パスポートだけは無くしたくないものです。

家はどんどん朽ちてきています。何しろ建売ですからね。
屋根と壁はもう2度も塗り替えました。1回に90万円近くかかりました。
そして先日、今年の雪(1月22日)で雨樋が壊れ、半年もじゃじゃ漏れの音を聞いてきましたが、新しく替えました。約58万円(これは火災保険がききましたのでラッキー)。
外に設置してあるガス(名前が出てこない)、台所のガス台、トイレ2ヵ所全とっかえ、水道あちこち、畳、網戸。障子がはずれなくなって張替が出来ずそのうち専門家にお願いする予定。クーラー5か所のうち3ヶ所取り替え。電気製品もこの22年に洗濯機、冷蔵庫、テレビやビデオ数台に電話機や子機買い替え。
壁は汚れ、はがれ、一部レースのカーテンは破れ、、、まあきりがないです。
10回くらいの引っ越しで、家具は鏡台だけであとは全部壊れ全とっかえしました。それも大分くたびれてくすんでいます。

そしてあまりに巷にあふれている高齢化の問題、その後期高齢者になる1年前に私は医療機関にあちこちお世話になり、医療にお金をたくさん使うようになりました。
健康保険料も家族で年間かなり払っていますが、若い人たちが支払っている分に侵入するようになりすまない気持ちです。本当によくぞ、後期高齢者とは言ったものよ。
元気な人もたくさんいるのに、私としては元気で働いて、そして遊んできたはずなのに、突然あちこちガタが一度に降りかかってきました。こんなことで3年過ごしているうちに、死の準備をするようになりました。何時命が尽きるかはわからないけれども、あがいてもしょうがないのだからと自然に任せるという気持ち。でもやはり頑張らないとどんどん衰えるのも確か。
今は歩けなくなったら一番困ると、頑張って歩いています。数年でしたが登山をしたことがつながって、頑張れば歩けるんですね。
呆けちゃんの方はならないことを祈るのみ。

そしてブログ、このお蔭は計り知れないものがあります。どんなにか嬉しいことがあったでしょう。お世話になった方々にお礼申し上げます。今月18日で13年たちます。15年間つまりオリンピックの年まで出来るといいけれど。またよろしくお願いいたします。(普通はその日に何年と書くのに、早めに言ってしまって。なぜなら殆ど忘れて、gakiさんには時々教えていただいたりして、逆さまです。今年も忘れそうなので・・・と冒頭の落し物、忘れもの多しの私に戻りました)

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