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2006年2月22日 (水)

携帯で死者をパチリ

no-supo-ru 葬儀で、故人と最後のお別れをするとき、突然カメラ付き携帯で最期のお顔をパチリと撮ったそうです。
それも1人2人でなく5,6人は居るとの事。親族はびっくりしても、注意ができない。
多くの人は ・人を悼む気持ちが荒廃しているのではないか
        ・亡くなった時は死に顔なんか絶対に撮られたくないと考える
撮影の可否まで遺言を取る事も検討しなくてはならないようです。

肯定派は次のように言っています。
葬儀に対する考え方も時代とともに変化してきた。臓器移植が一般化し遺体が神聖不可侵なものとの考え方が薄くなってきた。だから故人の顔を棺の前で撮る事も時代の流れと受け止めるべきだ。

考えもしなかったことが起こっていますが、私は撮りたくないし、死に顔を撮って欲しくないです。

ka-pasu 新聞の上野千鶴子さんの記事に「PPK運動」というのが載っていました。
死ぬ直前までピンピン生きて、コロリと逝こうという運動です。調べてないので詳しい内容はわかりませんが、ピンピン生きるには、コロリと死ぬには、心構えや方法があるのでしょう。
しかしそのように死ぬ人を殆ど知りませんし、気持ちはあっても実際には難しいことです。偉いお坊さんの中には座ってなくなった方もいるし、弁慶の立ち往生なんてすさまじいのもあります。PPKで死ねたら幸せです。

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コメント

妻の母が亡くなったとき写真を撮りました
家族が撮ることはいいと思いますが参列者が撮ることには抵抗があります お話のように時代の流れに沿うならば従うことになるかも知れませんね
PPKの意味は理解できました

投稿: T.O | 2006年2月22日 (水) 20:06

私なら家族以外に顔を見られるのも嫌です。
まして写真なんか真っ平です。

でも写真を撮った人って、それをどうするのかしら。何時までも持っているなんて考えられません。

特別の関係でもない限り。

やはり元気な顔を記憶の中に残しておきたいもの。

投稿: ねむウサギ | 2006年2月22日 (水) 20:42

ケータイのカメラで死顔を撮影ですか?
ショックです。一寸考えられないです。
私はまだ現実には見たこと無いのですが、
本当に驚きました。(善悪は別として)
とても出来ません。PPKという言い方
初めて聞きました。私が以前聞いた言い方
ではGNPというのがありました。
G・・・元気で
N・・・長生き
P・・・ぽっくり
でも、現在はGNPという言葉は聞かなく
なりました。いずれにしても、最後の
ぽっくりは非常に難しいと思います。

投稿: 茂彦 | 2006年2月22日 (水) 21:11

●コメントありがとうございました

★T.Oさま

身内が撮るなら分かります。きれいな死に顔を残しておきたいという気持ちですね。
参列者としては絶対撮りたくないです。

これからどのように変わって行くのでしょう。

投稿: tona | 2006年2月22日 (水) 21:19

★ねむウサギさま

そうなんです。写真を撮った人はどうするのでしょうか。
ただ面白くて撮るなんて考えられませんものね。
そうですよ。自分の頭の中に記憶として残しておくべきですね。

投稿: tona | 2006年2月22日 (水) 21:23

★茂彦さま

私もびっくりしてしまいました。
携帯がこんなことに使われ出したことを。
本当かしらと半信半疑でしたがどうやら本当の話のようです。

GNP面白いですね。国内総生産と一瞬思いました。
こちらの言葉の方がぴったりきます。
GNPでいかれたらどんなにいいでしょうね。

投稿: tona | 2006年2月22日 (水) 21:29

タイトルに思わずドキっとしてしまいました。
私は否定派ですね。
確かに悪い事ではないと言われればその通りかもしれませんが、携帯で写真を撮るってそういう安易な気持?遺族と死者に対して不謹慎のような気がします。
ソッとしておいてあげたら良いのに。。。
信じられない思いでいます。

投稿: pochiko | 2006年2月23日 (木) 01:16

臓器移植と死に顔パチリを一緒くたにしないで欲しいですよね。
死に顔パチリなんてされたら絶対化けて出てやります(笑)
もし、家族以外の者が携帯で撮るの見たら私は拒否します。
最近、いろんな感覚が麻痺されてきてると思いませんか?
時代の流れなんて言葉で流して欲しくないです。
どんな時代になっても嫌な事は嫌って言う口は持ってたいです。

ピンピンコロリは皆の理想とするとこでしょうね。
が、こればっかりは自分の思い通りにはままならないもので。。。
だから私はピンピン生きて、機嫌よく逝きたいです。
う~ん、これも難しいかな?(笑)

投稿: ちょびママ | 2006年2月23日 (木) 01:25

★pochikoさま

そうですよね。
このように悪いことではないけれども、常識として、道義的に反しているのではないかと思われることがあるんですね。

これからそんなにこのようなことが盛んになっていくようには思えませんけれども、わかりませんね。


★ちょびママさま

化けて出るのはいいですね。そうしましょうよ。
そう、あちこちで感覚的におかしいのではないかと思われることが続出です。電車の中の化粧なんて何度も見ましたが、変です。
どうしてこうなっちゃったのかと論じているとまた時間がかかってしまいますが。

時々ピンピンコロリと呪文を唱えて自己暗示にかけます。


投稿: tona | 2006年2月23日 (木) 08:20

単なる参列者が、棺の中で眠っている方を撮るのですか?
びっくりしました…
参列者が棺の中を覗き込むといったら、最後に棺をお花でいっぱいに
してあげるときくらいですよね。
そんなときに携帯出して写真撮るのでしょうか?理解不可能な感覚です。
参列できなかった方にお見せするなら、遺影で十分でしょうに。
他に目的があるとしたらそれは何なのか…ちょっと怖くなります。

私は、葬儀の写真を撮ることにすら少し抵抗ありますし、
悲しんでいる自分にカメラを向けられるのも嫌です。

しかし…こうして考えると、古代のミイラ発見など、掘り出して
世界中の人の目にさらすというのも、大変な冒涜と思えてきます。

投稿: ポージィ | 2006年2月23日 (木) 10:18

年齢はどのくらいの方なのか知りませんが、いずれにしても常識では考えられないような行動です。撮って後どうするんしょう?
知人であればむしろ元気なときの写真を見て、故人を偲びながらご冥福をお祈りしたほうがいいと思います。
ご遺族はどう思われたでしょう。

便利になりすぎた世の中、理性はどこへ行ったのでしょうか。

ぽっくり死にたい。確かにそのほうがいいかもしれないが、そう簡単に思った通りにはいかないのが現世。

投稿: 夢閑人 | 2006年2月23日 (木) 11:07

★ポージィさま

遺影とお棺の中のお顔とでは随分違いますものね。全く驚いてしまいますね。
そうです。撮る目的は何なのでしょう。

大きな葬儀場ではビデオが回っていますがこんなことさえ何だか気恥ずかしいものです。

ミイラ発掘確かにそれを博物館でずっと曝していますね。自分が曝されたらと思うとぞっとしますね。本当に冒涜ですね。


★夢閑人さま

20~30代の人が多いそうです。
常識がどこへ行ってしまったのでしょう。
ご遺族はやはりいい気持ちがしなかったでしょうね。
ただただ驚きあきれるばかりです。
撮った写真をどのように使うかを撮った人に聞きたいですね。そんな場面にこれから遭遇したら確かめたいです。

ポックリいきたいけれども千人に1人もいないような気がします。知っている方では2人しか知りませんです。

投稿: tona | 2006年2月23日 (木) 14:56

「湯灌」すら…
>カメラ付き携帯で最期のお顔をパチリ…
私もテレビでそういうことをする人がいる、というのをみてビックリ。
3年前に姉が死んだとき、初めて「湯灌」なるものを目の当たりにしましたが、親族では初めてだったので、いささかショックでした。
いくら女性の方とはいえ、やせ細った姉の遺体(ガンだったので枯れ木のよう)にさわってほしくない、という気持ちがわきました。
事故とかで血だらけならともかく、病気で死んだ遺体を「清める」とは、はっきり言って「ヘンな風習」という気がします。
そのへんのところは、私のブログに…↓
http://blog.goo.ne.jp/himekou43-e/e/f77c2be4faedd1dda04f476b1ce45bcc

まして写真なぞ、それもケータイで、なんて信じられません。
いくら時代が変わった、とかいっても本人の了解をとらず写真をとるのはご法度のはず。

ちなみに「ポックリ」についてはこんなページが…↓
http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/Rumor/pokkuri.htm
中に「北向きのお地蔵さん」信仰のくだりがあり、そういえば私が子どもの頃、祖父が北向きのお地蔵さんのお守をしていて、朝倒れてその日の夜死にましたから、あながち「迷信」と言い切れないかも…

投稿: 讃岐の団塊オヤジ | 2006年2月23日 (木) 21:24

そろそろ自分のことを考えるようになりました。しんどいですね。

投稿: saheizi-inokori | 2006年2月23日 (木) 23:30

★讃岐の団塊オヤジさま

「不浄」とか「清める」をなにげなく、当然のことのように受け取っていました。
しかし、コメントをいただいてそうだったのかとまた考えさせられました。
いろいろな慣習というものは必ず意味があり、意に適っていることが多いけれども、もしかしてそうでない場合もあるんですね。

ポックリのサイトご紹介ありがとうございました。再度ゆっくり見てみます。


★saheizi-inokoriさま

コメントありがとうございました。
やはり、考えるお年となりましたか。

いつも拝見していて、特に本のコーナーが
読み応えがあって楽しませていただいております。

投稿: tona | 2006年2月24日 (金) 08:22

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