« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »

2006年4月30日 (日)

横田早紀江さんと川田悦子さん

母は強し。泣いてばかりいないで行動の人。

横田早紀江さん、米下院外交委員会の公聴会で証言、ブッシュ大統領に面会した。
公聴会で切々と拉致問題解決への米国の協力を訴えるその姿は堂々としていて、とっても感迫るものがありました。

川田悦子さん、夫との離縁の憂き目にあいながら、子どもの龍平さんと共に薬害エイズと闘い裁判を和解に漕ぎつけ、国会議員としても活躍した。

もしお子さんがこんな目に遭わなければ、お2人ともどこかで普通の人生を送っていたのです。このような激しくも辛い運命が母の強さを発揮して過酷な人生を力強く歩ませることになったとは。
誠に母の強さを垣間見る2編です。

Popi1_2 Hana2_2

昨日、入場料タダにつられて近くの国営昭和記念公園へ。
ポピーまつりが開催されていて今年は姫キンギョソウと共に植えられた満開のポピーを見ることができました。
チューリップもまだ咲いていました。ここはオランダのキューヘンホフ公園の園芸技師が設計担当しているので本家を彷彿とさせます。
ムスカリはもう終わりですが、白いムスカリは今が満開でした。

Hana4_2 Hana5 Hana6 Hana7 Hana8 Hana9 Hana10 

| | コメント (16) | トラックバック (1)

2006年4月28日 (金)

山野草・ルイヨウボタンなど

高尾に咲いていました。
「ルイヨウボタン(類葉牡丹)」  そろそろ牡丹が満開を過ぎましたが、葉が牡丹に似ているのでこの名がついた。花は緑黄色でそんなに目立ちません。

Ruiyoubotann_1

「センボンヤリ(千本槍)」春の花ですが、秋にも何本もの閉鎖花が褐色の冠毛のある実を結ぶ。この様子を槍(大名行列の)に例えたのが名前の由来だそうです。

2sennbonnyari

「ムサシアブミ(武蔵鐙)」葉の裏が白で仏炎苞に白い筋が隆起している。仏炎苞を鐙に例えたのが名の由来も咲いていました。
似ているマムシ草は5月頃咲き、茎の模様がマムシに似ているそうだ。
同じく似ている浦島草は長い紐状の付属物があって、浦島太郎の釣り糸に見立てたのが名前の由来だそうだ。
Musasiabumi

近所の寺に葉がイカリソウに似ているが花は似ていない「バイカイカリソウ」左と「ホタルカズラ」右が今満開です。以上「植物園へようこそ!」で教えていただきました。

Baiakaikarisou_1 Hotarukazura

暇になったら犬でも飼いたいと言っていたのですが、昼間でも夜でも、こうひょこひょこ出歩いていてはワンちゃんが可哀想なので当分やめることにしました。
その飼い犬の2匹に1匹が7歳を超える「お年寄り」という人間の19.5%という割合を上回る超高齢化が近づいているらしい。
全国で犬が1245万匹、猫が1163万匹いるという。
その健康を気遣って、ペットフード市場も値段が高くてもヘルシー志向のものが出回り、歯周病を予防するために歯の汚れを取り除く超小型犬用の歯磨きガムを売り出した。
ペットが病気(癌を含む)やケガをしたとき、治療費の5割を支払う「ペット保険」も普及している。また、アクアフィットネスで体重減量とストレス解消につとめる、1回50分コース、6800円でマッサージも含めて運動に励む犬も増加しているそうだ。
このことを参考にし、ペットの老後、ペットロス症候群を考慮していつか犬あるいは、懲りずに文鳥を飼うかもしれない。今はメダカで我慢です。

| | コメント (10) | トラックバック (1)

2006年4月26日 (水)

L・M・モンゴメリ

Karannkoe2 『赤毛のアン』で有名なL・M・モンゴメリには意外な一面があることを、梨木香歩著『春になったら苺を摘みに』で知りました。
日本人に大変人気のある作家だけれど、人種的な偏見があったのです。

作品の登場人物が殆ど英国系カナダ人で、ごくたまに出てくるフランス人は皆雇い人できちんとしたキャラクターを与えられていないばかりか、大抵が愚図かのろまというように描写されているというのである。

モンゴメリは15,6歳頃島を出て父の住むサスカチュワンに1年滞在し、地元のハイスクールに通っていた。当時同じクラスになったネイティブ・カナディアンに対して彼女自身の日記の中で、彼らの名前を4名ほど挙げ「大嫌い。彼らは『ニッチ』(インディアンとの混血児)、切り株の柵くらい醜い」とか「インディアンは嘘つきの親玉」と辛辣に書いているそうだ。
ネイティブ・カナディアンが[つり上がった目の、何を考えているかわからない]モンゴロイドの日本人そっくりで、その日本人の王子をソデにした話も他の作品に書いている。

まさかモンゴメリも自分の愛読者が日本に爆発的に増えるとは思いもしなかったでしょうし、誠に皮肉なことである。
今から1世紀以上も前の時代の人が皆こうだったとは思えないから、モンゴメリ個人の気質に因るのでしょうか。

そんなことは知らず、昔本や映画やアニメで『赤毛のアン』シリーズを楽しんだ。
あの、美しいプリンス・エドワード島には日本からの観光客が大挙押し寄せ、そこで結婚式まで挙げるカップルもいるそうで、何かおかしくなってしまいました。

写真の桜は兵庫県の「夙川舞桜」です。
讃岐の団塊オヤジさんに教えていただいた桜で平成11年に発見されたもの。
私の西宮の友人に問い合わせたら自宅の隣の公園にあったことがわかって写真を転送してもらいました。
よく見ると半八重で薄いピンクっぽい白のきれいな桜です。
Maizakura1 Maizakura2

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2006年4月24日 (月)

寄席

Suehirotei2 Yose1

娘夫婦に誘われて、新宿「末広亭」へ行ってきました。
寄席は全く初めてで、当然末広亭も初めてです。満席でした。
四月下席昼の部全部と夜の部3人目まで、12時から6時近くまで次々と21も見続けました。
この時間の長さと演目の多さにもかかわらず値段は2700円で安い。熱心な人は夜9時まで見ます。

寄席って落語だけかと思っていましたが、漫談や漫才、奇術、物まね、紙切り、太神楽曲芸もあるのでした。
私が知っていた人は、お父さんの江戸家猫八さんそっくりの物まねの子猫さんと、橘家円蔵(元、月の家円鏡)さんのみ。
林家二楽さんの紙切りのあまりのうまさにため息が、仙三郎社中の曲芸は、はらはらどきどきものでした。

落語は皆が笑っているのに、数回意味がわからなくてキョトンとしてしまったのが情けなかったけれども、6時間もよく笑ったものです。咄家も盛んに言っていましたが笑うことはとても体にいいそうです。人から笑いの提供を受けて心もぽかぽか状態になりました。夜もいつもと違って寝つきがよかったし。
また機会をみて足を運びたい!

同じ4/22の朝日新聞のbeに「志ん生とりん」という記事に志ん生の弟子の古今亭円菊が写っている末広亭の楽屋が写っていました。楽屋の様子がよくわかります。この記事の話もなかなかのものがありました。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2006年4月21日 (金)

速記

Arennzi 4/19「天声人語」から
作家の宮部みゆきさんは、昔速記者をしていたそうである。法律事務所に勤めていたことは知っていましたが、このことは知りませんでした。
いわば自分を消すこの仕事を、ある対談で歴史の影に生きるわれら、みたいな「忍びの世界」になぞらえている。

国会では1880年の第1回帝国議会以来、100年以上速記が続いてきたが、05年度には新規養成をやめたそうだ。というのも議会や裁判所などで広く使われてきた速記だが、コンピューターによる音声自動認識などにとって代わられようとしているからである。

私の亡父は国会の速記者をしていました。議会の会期中はすごく忙しいようでした。徹夜国会もあったりして。小学校のとき寮に住んでいましたから、一方で速記の神様と言われて優秀だったようですが、一方で大酒のみ・飲兵衛と言うのが聞こえてきました。
後半は養成所の先生もしていたようでした。そんな技を持っていたので、日曜・休日は殆ど内職でテープを回していました。
私も少し教えてもらったのですが、難しくて挫折しました。
父が存命でしたら「時代の流れだからしょうがないね」の一言でしょう。

Tyurippu 兼子次生「速記と情報社会」中公新書 巻末には間違えやすい言葉どうしの例が載っていて、「預かって・扱って」「指名される・示される」「一日に千人・一日二千人」「いいことない・いうことない」 など、確かに聞いたときどちらにもとれて前後から判断するしかなく、難しいものであります。
「瞬時に記すためには、それこそ忍びのような鍛錬が要るのだろう。そんな技術が消えゆくのは、ややさびしい気もする」と天声人語子は結んでいます。

速記だけに限らず、機械化によって、職人の技が必要なくなる例が後を絶たない。先日、そろばんを手で作る最後の人を紹介していました。

| | コメント (14) | トラックバック (0)

2006年4月19日 (水)

勿忘草いっぱいの庭

一茶が『夕月や流れ残りのきりぎりす』という句を残した千葉県の流山

ここに友人が暮らしていて、クラスメート3人にお庭を見せてくださるということで出かけました。

思わず感嘆の声をあげてしまいました。庭一面勿忘草です。勿忘草は毎年たくさんほっておいても出てくるそうです。勿忘草の辺りだけを写真に収めました。そんなに手をかけないそうですが見事の一言。まだ奥にも寄せ植えコンテナが数え切れないほどです。センスのある人は違うなあと皆で感心しっ放しでした。
部屋には彼女がアレンジしたのがあちこちに飾られていて、花園の中に暮らしているみたい。ミニカトレアも1輪だけ誇らしげにアピールしていました。

Hana2_1 Hana3_1 Hana4_1 Minikatorea

 

Hana1_1 Arennzi_1

Dezato1 Dezato2

野田市に出てイタリア料理を食べたのですが、デザートが面白い。重箱の蓋を開けるとドライアイスが入っていて何も見えません。手で払うと4種類のデザートが見えてくる仕掛けで楽しみました。

最後千葉県立柏の葉公園を散策。今日の収穫は池に珍しい「ヨシガモ」
『こぼれ種』の本で読んで見てみたかった「柳絮」、「ハナイバナ」と「キュウリグザ」
そして「ハナノキ」の翼花を見ることができたことでした。

Yosigamo Ryuuzyo Hanaibana Kiyuuriguza Hananokiyukuka2 Hananokonoyokuka_1

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2006年4月17日 (月)

多摩の寒葵

Kannaoi1

ご近所の盆栽を全国に出向いて教えに行くという方に「寒葵」を見せていただきました。
根元の地面に柿のへたのような茶色っぽい花が咲いていました。これが花?全然目立ちません。
冬も葉が枯れないのでこの名前が付いたそうですが、普通の「寒葵」は秋から冬にかけて開花する。今4月頃に開花するのは「多摩の寒葵」だそうです。

葵といえば、徳川家の家紋、水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか」ではないか。
調べてみたら、こちらは「双葉葵」の葉でした。ハート形で葉が2枚近くにつくところから双葉の名になったとか。徳川家の家紋として葉が3枚使われた。
徳川の将軍の霊廟である上野東照宮には「葵のご紋」のついた灯籠が立ち並んでいましたね。

Medaka Anakarisu メダカが生きていました。氷が張っていたのでどうしているかと心配していましたが、3月頃から底のほうで泳ぎまわっていたので、ほっとしました。暖かくなってきたのでやっと餌を食べるようになりました。
60匹くらいいるみたい。あちこちから「下さい」とお呼びがかかっているので、増やすために枯れてしまった藻・アナカリス(オオカナダモ)を買ってきました。
さ、今年もまた頑張って増やしてみましょう。


モミジの花がこんなに綺麗に咲くのを見るのは初めてです。
柏は枯葉をずっと落とさないと聞いていましたが、なるほど、次の新芽が出ているのにまだこんなに残っていました。
そういえば、彼岸花の葉はくたびれているもののまだ枯れていませんでした。
Momizi Kasiwa

| | コメント (22) | トラックバック (0)

2006年4月15日 (土)

シェファーズ・パイ

『イギリス的「優雅な貧乏暮らし」の楽しみ』吉谷桂子 吉谷博光著 集英社be文庫

著者夫婦が1990~1998年まで貯金が尽きるまで渡英して暮らした記録である。
イギリスの美しい庭、窓、インテリア、朝食、アフタヌーンティー、ハーブ、アンティーク、きちんと装うなど、お金を使わない楽しみが美しいカラー写真で紹介されている。
日本人とは全然考え方が違うとはいうものの、古いものを大事にし、美しい花に囲まれたお金をかけないゆったりした生活が、日頃のストレス多い心を和ませ、まことに羨ましい限りの世界なのです。

Syehulazupai1 Syehulazupai2イギリスといえばスコーン、サンドイッチ、クリスマスプディング、キドニーパイ、ジャム類、ローストビーフ、フィッシュ&チップス、フルーツケーキなどが思い浮かぶがこの本に載っていた「シェファーズ・パイ」に挑戦してみる。
これは英国のお袋の味なのだそうだけれども、何と言うことはない、パイ皮にあたる部分がひき肉の煮込みで上にマッシュポテトを載せチーズを散らしてオーブンで焼いたものでした。下のひき肉にたいしてマッシュポテトを倍にしたら、崩れてひき肉が染み出てきて見栄えがたいそう悪い。最初はきちんとやるべきでした。

今日 我が家で咲いた花

暮れに紅葉していたヒメフウロが可愛い花を2輪つけました。何だかセンテッドゼラニウム(ローズゼラニウム)に似ています。Hmehuuro1 下の紅葉は去年の葉です。

Himehuuro2_1

「タキイ」の通販で買ったフロックスの薄紫は増え、ピンクは消えてしまいました。

Hurokkusu1 Hurokkusu2

ペラルゴニウムとシンビジウムは濃いピンクの方だけ咲きました。

Perarugoniumu_1 Sinnbiziumu 

近くにはヒメリンゴとムベが満開近し。

Himerinngo Mube

| | コメント (23) | トラックバック (0)

2006年4月13日 (木)

高遠のコヒガンザクラ

古くから伊那谷の要所であった高遠城は明治8年に高遠城址公園となり、その頃から植えられ始めた「タカトオコヒガンザクラ」1500本がある。
その花形はやや小ぶりで赤みを帯び、県の天然記念物の指定を受け、平成2年には日本さくらの会の「桜名所100選」に選ばれている。

とまあ、長年コヒガンザクラを見るのを夢見てきたので今年がチャンスと、予約をして出かけたのですが・・・・・
何と城址公園の中の1500本の桜は1輪も咲いていませんでした。(涙)
ソメイヨシノが早くに開花したのを受けて17日の予定を12日に繰り上げたのですが、このところの寒さであと1週間は無理ということでした。
咲いてない木の下に何千人が右往左往していて、全く拍子抜けの図です。どこかのおじさんが叫んでいました。『来年は絶対見るぞ!』と。

Sakura1_1 Sakura2_1 Sakura3_1 駐車場のそばに若木があってこれは少し咲いていたのでじっくり覗いてきました。若木は老木より咲くのが早いのだそうです。

Kikuzakiitige_1  Momo3  

しかし城址公園内に「キクザキイチゲ」が咲いていましたし、
一宮の桃が車窓から見えましたし

天竜舟下りができたましたから由としなくては。舟下りは波はかなりあるものの両側にあまり岸壁が迫っていなくて、鵞流峡はちょっと期待はずれでしたが。

昼ごはんの蕎麦御膳と五平餅は素朴で美味しゅうございました。

Tennryuugawa1_1 Hune_1 Sobagozenn_1 Goheimoti_1

| | コメント (19) | トラックバック (0)

2006年4月10日 (月)

こんにゃくの中の日本史

Besuto1 Besuto2 『こんにゃくの中の日本史』武内孝夫著(講談社現代新書)

こんにゃくはあくまでも食卓の脇役で、そのものは無味である。なくても困らないし、あっても決してメインにはならない。
そんなこんにゃくを作者は次のように表現する。

[おでんや煮物の材料の1つとして、あるいはすき焼きのしらたきとしてその存在を主張することなく分をわきまえ、それぞれの料理の味付けにうまく染まって、ぶるぶると身を震わせている。
それ自体うまくもなければ栄養もないのに、1,000年以上も食べ続けられた、どこかユーモラスで田舎料理に似合う素朴さ。
人はこんにゃくと聞くと嘲笑の表情を浮かべるが、昔から相場変動の激しいこんにゃくは、ときには農家や問屋を破産に追い込んだ恐ろしい一面を併せ持つ。]

今ではその食物繊維マンナンが便通を整え、肥満を予防し、発ガン物質を抑えると言うことでもてはやされるようになった。こんにゃくゼリーが子どもの喉にひっかかって問題を起こしたが。

そのこんにゃくが日本の歴史の中で活躍していたのである。

◎桜田門外の変の資金源がこんにゃくだった!
 井伊大老を襲撃した水戸浪士をバックアップしたのはこんにゃく豪農だったわけである。
 今でこそこんにゃく産地は群馬県の下仁田や赤城だが、当時は水戸だったからである。

◎太平洋戦争のときアメリカが恐れた「風船爆弾」の気球の原料がこんにゃくと和紙だった。   
 風船爆弾とは水素を詰めた気球に15キロの爆弾と数個の焼夷弾を吊り下げ、これを太平洋上の偏西風に乗せてアメリカ本土攻撃を行ったものである。
 9000発のうち推定1000発がアメリカ大陸に到着し、各地に山火事を起こしたそうだ。全くアメリカまでの長旅に耐えた気球の原料がこんにゃくだったとは、60年以上経った今日とても本当のことに思えない。

まだまだ、松尾芭蕉に愛されたとか昭和天皇に一目おかれたとか、日本史の中ではなかなかの活躍ぶりを示すこんにゃく、食べ物でありながら人から「うまい」と褒められることもなく「まずい」と叱られることもないこんにゃくは、歴史の中に奥深く存在し続けたのでした。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2006年4月 8日 (土)

フイリゲンジスミレと蔦

近所にユキノシタの葉に似ている[フイリゲンジスミレ]が咲いていました。外国種だそうです。

Huirigennzisumire_1

Tuta_1 先週所用で初めて池袋の立教大学に行きました。

♪蔦のからまるチャペルで 祈りを捧げた日 夢多かりしあの頃の  思い出をたどれば 懐かしい友の顔が    1人1人浮かぶ・・・・・・♪ 
 
青山学院のことを歌っていると思っていた、ペギー葉山の「学生時代」を彷彿とさせる赤レンガの建物に蔦が。時計台のあるモリス館で130年前のと思われる太い蔦の根元を見ました。巨木にびっくりです。やがて葉の新芽が大きくなってたった1本で壁面一面を覆うのですね。
キャンパスには他にも赤レンガの建物があり、桜も多く、スズカケの並木道もあり、清潔でしっとり落ち着いた佇まいに外国に居るような感じを覚えました。

01 Imokinntuba  帰り池袋のデパ地下で買った浅草満願堂の[芋きんつば]が思いのほか美味しかったんです。
皮に企業秘密があるらしく、小麦粉主体のどろどろしたのを塗っては焼きを繰り返して仕上げているのを見ました。

Musukari Hananira_1 Hana Hanazuou_1   

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2006年4月 6日 (木)

「藤田嗣治展」と「プラド美術館展」

東京国立近代美術館から眺めた雨の皇居Kinndaibizyutukannkaramitakoukyo

Huzitatuguharutenn_2 

生誕120年『藤田嗣治展』於東京国立近代美術館 代表作約100点が展示されている。

何でも初日の入りがピカソ展を抜いたとかの大盛況。
そのつむじ曲がり故に日本と相容れなかった画家は生涯の活躍の大半をパリで過ごし、帰化し最後はフランスの地に小さな教会まで建ててしまった。

丸めがね、おかっぱ頭、イヤリングをつけ派手な衣装の特徴的なルックスと奇抜な行動の人はモノトーンの絵で、今も芸術の都に名を残す、世界で最も有名な日本人画家であった。
最初はモジリアーニ風でその後ピカソのように次々と画風を変えていったが、あのつるつるの乳白色の絵は素晴らしい。猫好きだったらしくいつも猫が傍にいる忘れられない絵。

彼はすごく器用で自分で縫った帽子や道具入れも展示されていて、ミシン目がまっすぐでデザインも面白く感心してしまう。

Tanntannmenn

昼食はパレスサイドビル地下の「赤坂飯店」、殆どの人が坦々麺を食べている。
隣の大柄なアメリカ?女性が、このすごく辛い汁を全部飲み干したのにびっくり。何たる胃袋。こんな国の人には適わないなあ。

Puradobizyutukanntenn_1 Ueno_1  

午後は上野の都美術館で『プラド美術館展』を鑑賞。
ティツィアーノ、エル・グレコ、ルーベンス、ベラスケス、ムリーリョ、ゴヤなど81点が来ている。
エル・グレコの「十字架を抱くキリスト」  ムリーリョの「エル・エスコリアルの無原罪の御宿り」 ベラスケス「フェリペ4世」を見ることが出来てよかった。

上野の桜ももう最後。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

2006年4月 4日 (火)

多摩森林科学園

今日は高尾山の近くの多摩森林科学園へ桜を見に行きました。

ここは森林の動植物の生態に関する研究施設で、8haの桜保存林には250種1700本あり、3月から4月下旬まで観桜できます。
20種類の咲いているのを撮ってみましたが、遠かったり、光ったりで殆ど満足いくものが撮れませんでした。
染井吉野と枝垂れだけがきれいに目立ち、他は自己主張せず目立たないように咲いているのでした。

約3分の1の種類がが咲いたところで、残りの3分の2はこれから下旬にかけて咲くようです。

順に 八重紅枝垂れ・紅枝垂れ・白滝枝垂れ・枝垂れ染井吉野

    陽光・修善寺寒桜・薄墨桜・江戸彼岸  です。

Yaebenisidare Benisidare Siratakisidare Sidaresomeiyosino_1

Youkou Syuzennzikannzakura Usuzumizakura Edohigann 

| | コメント (13) | トラックバック (0)

2006年4月 2日 (日)

オキナグサとニリンソウ

現在の国分寺と言うお寺の中は市指定の「万葉植物園」となっています。植物名と万葉集から植物に関係ある和歌が札に書かれています。

オキナグサ(ねつこぐさ)が今丁度俯いて咲いていました。万葉の時代にあったなんて。
種を作るころに翁の髪のようになるのでその頃また見に来なくては。

もう1つ寺内にニリンソウもひっそりと咲いていました。

Okinagusa_2 Nirinnsou_2

髪の毛で思い出しました。
あの元気で物怖じしない娘さんは今頃どこでどうしているでしょう。
ある空港でトランジットで暇をもてあましていたとき隣に日本人の父親と子ども3人の家族がいました。
長女(12,3歳位)は父親に言われ、喫茶店で堂々と英語でやりとりして、4人の飲み物などを買ってきました。子どもに積極性を持たせ、語学の実地練習をさせているのに感心した覚えがあります。ちなみに私は全部娘に頼っておりました、情けない人です。
その娘さんが殊更印象的だったのは、物怖じしない、生き生きした態度と、もう1つは髪の毛です。アフリカ系の人のように髪の毛全部を何十本の細かい三つ編みにしていたことです。あんなややこしい手間のかかることを何故していたのか疑問に思いましたが、当時の私はまさか聞けないでそのまま。
その後、勤務先であの髪型の所以などを聞いてみましたが、よく分からないまま今日に到ってしまいました。どなたか教えていただけないでしょうか。

Syaga_1 Sakura_1 Yukiyanagi_2 Konodekasiwa_1 シャガとコノテカシワと桜

| | コメント (18) | トラックバック (1)

« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »