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2006年10月27日 (金)

ギリシャの旅(5)アテネ

1inu 2parutenonn 3oarutenonn ギリシャの人口約1000万人のうち300万人はアテネに住んでいる。島の数は約3300で76%はエーゲ海に集中している。総面積は日本の約3分の1。
アテネに着くと久しぶりに人が溢れ、車は渋滞している。Stanesbyさんにギリシャ人の眉を見てくるようアドバイスを受けたので、入国してから眉ばかりが気になり、ついつい眉に目が行ってしまう。仰せの通り立派な方がたくさんいました。それに猫も多いが、犬も多く、アテネでは人が通るところに犬がデント寝てしまっているのに何度で出会ったことか。
4agamemunon 5poseidon さて、アテネといえばその象徴のアクロポリスのパルテノンの神殿は、ゼウスの頭から産まれたアテナを祀っている。ドーリア式の巨大なれ列中の数は46本、10mの高さで下部の直径は2mもあり、加工大理石を重ねて建てられている。神殿が建てられた当時は、全体が神話や古代歴史の場面をテーマにした彫刻像や浮き彫り(レリーフ)で飾られていた。今は1部しか残っていなくて、アクロポリス博物館や大英博物館に保存されている。神殿にあるのは模作である。今まで「柱が残っているだけの遺跡じゃない」なんて思っていたのが、人類が生んだ最も美しい建造物に圧倒されてしまった。国立考古学博物館ではかの有名な「アガメムノンの黄金のマスク」をはじめ、「アルカイックスマイルの女性」「ポセイドン像」「ボクシングの少年」などお宝をたくさん拝見する。6deonisosugekizyou 7onngakudou 8zeusunosinndenn 9hehuaisutosunosinndenn

自由時間にはディオニソス劇場や音楽堂、ハドリアヌスの図書館や門、ゼウスやヘファイトスの神殿、古代アグラやローマンアグラ、オリンピックスタジアム、教会、商店街、衛兵の交代などを見、地下鉄にも乗ってみた。こうして歩いてみると古代ローマが随所に入り込んでいることがわかった。

10kodaiagura 11romannagora 12sunionmisaki 13eiheinokoutai 14orinpiksutaziamu

15tikatetu OPで夕陽で有名な、ポセイドン神殿があるスニオン岬に行った。残年ながら太陽は雲の中、眼下のエイジアンブルーの海に別れを告げた。

Syoku1doruma Syoku2saganaki Syoku3taramosarada Syoku4musaka Syoku5sarada Syoku6gyokaisupu Syoku7karamaria Syoku8sakanakaraage

ギリシャ料理、順番に「ドルマ」「サガナキ」「タラモサラタ」「ムサカ」「サラダ」「魚介スープ」「カラマリア」「サカナカラアゲ」

ギリシャ料理は塩味が足りないものの、海の幸や香り高い野菜を、オリーブ油やハーブでシンプルに料理し、ワインとも合って美味しかったといえる。デザートは甘いケーキでなく、新鮮なフルーツであったのが他の国と違う。

今回の旅では殆ど神話と遺跡と博物館に終始した感があって、哲学者や民主政治などの見聞に到らなかった。

最後に最強の旅行者と達人について。
同行24人の中に70歳を越えている1人参加の男性、年に10回も海外旅行を元気にするそうで、その体力と金力に脱帽。
初老の女性2人組。いつでもどこでもころっと熟睡、よく食べ、よく飲み、超元気で、話題が面白くて食事の度に一緒に食べてと引っ張りだこ。荷物を軽くする方法などいろいろ教えてもらった。「よく、悩んでもしょうがないことを心配する人がいるけど、そんな馬鹿げたことはないわよね」なんて私のことを言われているようで何か居心地が悪かった。帰ったら6日後には南アフリカに行くとか、その後はニューヨークが待っているとか、開いた口がふさがらない思いであった。(完)

長々とお読みいただいたことを感謝いたします。
明後日10月29日(日)から31日(火)まで3日間、1年前から約束していた友人と、ちょびママさんや讃岐の団塊オヤジさんが住んでおられる四国へ行ってきます。

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ギリシャの旅(4)メテオラとデルフィ

Meteora1 Meteora2 Meteora3 そんなわけでテッサロニキは世界遺産のアギオスディミトリオス教会以外は車窓見学となり、すぐメテオラへと向かった。
ギリシャ本土中央部テッサリア平原に高さ20m~400mの奇岩群が出現する。この岩の塔の上に写真でお馴染みの修道院が建っている。遂に見る事ができた。うーん、凄いの一言。どうやって建てたのだろう。気が遠くなる。最盛期の15~16世紀には24もあったが、現在は5つ残すのみとなった。100年前までは階段や梯子もなく、下界から人間や生活物資を運ぶ手段は滑車に吊るした網袋だけだった。「メテオラ」とは「空中に吊り上げられた」と言う意味だという。今は道路が出来てすぐ近くまで車で行ける。

Meteora5 Meteora4  「メガロメテオロン修道院」と「ルサノウ女子修道院」を見学した。前者では教会内のイコン・フレスコ画、骸骨の礼拝堂、食堂を見て回る。女子修道院では修道女を2人見かけたがレース編みのような手仕事をしていた。何より驚いたのが、修道院のある山全体にミニシクラメンが咲き誇っていたことである。野生のものでしょう。遠望したアギア・トリニダ修道院は映画「007/ユア・アイズ・オンリー」の舞台となったところだそうだ。すっかり忘れているのでもう一度見てみたい。この日、麓のカランバカに宿泊する。
Meteora6_1 Meteora7 Meteora8 Meteora9

シクラメンがよく写らなかった。

次の日はデルフィへ
左手遥かに遠く神々が今も住んでいるいるというオリンポスの山を見ながら南下すると、同じく神々の住むパルナッソスの山が見えてくる。この辺りはギリシャ本土の中でも最も美しいと言われる景色が展開する。糸杉とオリーブの樹が渓谷を見下ろしながら続く。コリント湾が見えると、もうデルフィで、対岸はペロポネソス半島である。

Deruhi1 Deruhi2 Deruhi3 Deruhi4

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世界の中心「世界のへそ」と考えられていたこのデルフィ遺跡は、かつてアポロンの神託が行われ、有名なオイディプス王伝説がある。この神託をもとに個人はもとより、国家の指導者は国の大事を決定していた。
映像で何度も見ていたデルフィは、雨に濡れてしっとりと神々しい雰囲気である。アポロン神殿は柱だけだが、古代劇場、競技場、体育訓練場が今も残っている。すぐ隣の博物館では発掘された品々を見る。「青銅の御者の像」BC478が有名である。夜、アテネに到着した。(つづく)

Deruhi6 Deruhi7 Deruhi8 スフィンクス

青銅の御者の像

世界のへそ

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2006年10月24日 (火)

ギリシャの旅(3)エーゲ海の島③クレタ島

Meikyuu1 Meikyuu2 Meikyuu3 Meikyuu4 Meikyuu5 Meikyuu6 Meikyuu7 Meikyuu8_1 クレタ島はギリシャの南端にあって兵庫県と同じ面積である。4000年も前のクレタ(ミノア)文明の島はヨーロッパ文明の発祥の地である。
午前中はクノッソス宮殿跡の見学であった。
ギリシャ神話にはクレタ島のミノス王が、一度入ったら二度と出ることのできない迷宮(ラビリンス)を建てて、怪獣ミノタウロスを閉じ込めていたと書かれている。それが20世紀初頭、イギリスの考古学者アーサー・エヴァンスの発掘によって実在していたことがわかったのがこのクノッソスの宮殿跡である。部屋の数は1000以上もあって4階建ての部分もある。赤い木の柱、色彩豊かな数々の壁画、水洗トイレもあるくらい給水・排水設備が整っていた。

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午後はクレタ島の行政の中心地イラクリオンにある考古学博物館でクレタ文明の出土品を見学した。
特記すべきことは、アテネの考古学博物館はギリシャ全土の遺跡からの出土品を集めているが、唯一クレタ文明の出土品のみ展示されていないで、この博物館に収められていることだ。
ついつい、素晴らしい品々に、奈良時代の国分寺跡からの出土品と比較してしまった。イラクリオンの町にはコブシに似た花やネムノキの葉に似た木が見られた。聖マルコ大会堂の中にも入ってみた。

Kuretahana1 Kuretahana2 Kuretakyoukai1 Kuretakyoukai2

夕食時突然雷と雨が。年に10日しか雨が降らないというギリシャでこの翌日から2日間も雨に降られた。凄いことだ。さすが雨女。
この夜、第二のトラブル発生。クレタ島北方、本土のテッサロニキへ飛ぶ予定が、テッサロニキ空港の天気が悪く深夜11:40分に欠航が決定。危うく空港内で夜を明かすのを免れ、アエガン航空のはからいでホテル宿泊となり、3時間くらい横になって、翌早朝5時半に空港へ。無事テッサロニキに到着したのが朝の9時頃であった。(つづく)

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2006年10月22日 (日)

ヤマメとサクラマス

今朝のNHK「自然百景」は最後がいつも悲しいマスの話でした。
北海道の天塩川の支流のサンル川にはヤマメが棲息しています。澄んだ川には栄養が少ないのでその生存競争に勝ったヤマメのオスだけがヤマメとして川に残り、メスと負けたオスは海に出て、大きなサクラマスになって数年後にこの川に、餌も食べずに必死に堰を越えて産卵のために戻ってきます。
ここまでは普通のサケ・マスと同じですが、このサクラマスの産卵のとき、メスのそばに、川に残っていたサクラマスに比べてずっと小さなヤマメのオスが参加して自分の子孫を残そうとしています。ヤマメがサクラマスになるということと合わせて、神秘的とも言える生物の営みに驚いたり、感心したりでした。 Huzisann_3

1昨日山中湖めがけての途中、北口本宮冨士浅間神社と安産祭りで有名な山中諏訪神社に寄りました。浅間神社は吉田口登山道の起点で、辺りの赤松の幹の赤さが目だっていました。

9月に諏訪神社で催された山中安産祭りに、夜、全国から集まった妊婦などで一杯になった境内の様子がニュースで報じられていました。

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生まれて初めて泊まったペンションは富士山のロケーションが良くて、曇っていたのに見えたのはラッキーでした。今の季節に見えるのは珍しいそうです。ペンションにはピアノや楽器が備えられ、演奏する場が設けられています。
コーラスの練習は楽しくも、私にとっては厳しい試練でした。20年も歌っている人の中で、新米の私は聴きなれない曲だからとアルトを命ぜられました。大体楽譜もスラスラ読めなのに入会したのが図々しいのですが、隅で外れた声が聞こえないように蚊の泣くような声で歌いました。
昨日はとてもいい天気だったのに不思議と富士山がまるで見えませんでした。写真は一昨日撮ったものです。

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2006年10月18日 (水)

1年になりました

Dagakki 写真は左からウッドロック、木魚、スライドホイッスルです。
今月から2つ目のコーラスに入り、暫く打楽器担当です。
打楽器といえばドリス・デイが[ケセラセラ]を歌っていたヒッチコックの映画「知りすぎていた男」のクライマックスのシンフォニーのシンバルを鳴らすのが印象的です。オーケストラの打楽器奏者は出番が少なく、他の楽器より易しいと思っていましたが。ところが実際にやってみるととても難しいことがわかりました。
「証城寺の狸囃子」の木魚はまあまあですが、「兎のダンス」のウッドブロックには閉口しました。気がつくと電車の中でも食事中も寝ていても、手拍子を打っています。この金・土曜日はコーラスの合宿があります。緊張します。

Sarubiaadorennsisu 昨年の今日、10月18日は、初回たった2行のブログを始めた日です。
長かったような早かったような1年でした。娘に勧められ手伝ってもらって開いたブログです。お陰で読んでくださる方ができ、優しい言葉、愉快な言葉、励ましをいただきました。又、色々サイトをご紹介くださったり、皆様のブログでそれはそれはたくさんの知らないことを教えていただきました。本当に感謝しております。
うまく考えもまとまらず、書くのもへたで、1年経ってみるとネタ切れで、息切れがして、沈没状態ですが、手伝ってくれた娘にも申し訳ないので、此処暫くはボチボチと綴りたいと思います。こんなですがどうぞ又宜しくお願いいたします。

セイタカアワダチソウみたいなサルビア・アドレンシスが咲き始めました。ものすごい水食いです。私より高いです。

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2006年10月16日 (月)

ギリシャの旅(2)エーゲ海の島②サントリーニ島

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ミコノス島から途中パロス島に寄り、ナクソス島を見ながら、やがて300mの断崖絶壁とその上に雪のように輝く白い家や水色の屋根が見えるサントリーニ島に到着した。ジグザグの急坂をバスで登り詰め、頂上から眺めた景色は素晴らしい。夕陽を眺めたが雲がかかって残念。

Sanntorini7 Sanntorini6コテージ風のしゃれたホテルには可愛い花が咲いている。しかしその向こうは夏枯れの草原である。雨も降らず、夏の気温があまりに高く日差しが強いため、夏に草が枯れるのだそうだ。 Sanntorini5yuuhi

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翌日は古代遺跡と考古学博物館の見学で午前が過ぎた。幻のアトランティス大陸だったとも言われるこの島は、紀元前1500年頃の史上最大の火山噴火によってクレタ(ミノア)文明が、ポンペイのように一瞬にして消え、三日月形の島になった。
午後はケーブルで海まで降り、580段の階段をロバに乗って登るという体験をした。私のロバは途中で息切れして5頭に抜かされてしまった。ロバちゃん、300mの高さまで本当にご苦労様と思わず背中を撫でたのだった。たった17分だったけれども、尾骶骨の両側に胼胝が出来て未だに痛く、仰向けに寝られない。
夜空路アテネ乗り継ぎでクレタ島に飛んだ。今、丁度関口知宏のギリシャ鉄道の旅を放映している。もうすぐサントリーニ島が出てくる。(つづく)

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ギリシャの旅(1)エーゲ海の島①ミコノス島

エーゲ海の島と遺跡と考古学博物館を巡ったギリシャの感想を記してみます。

Tizu ギリシャ神話の神々の生誕の地、古代遺跡の国ギリシャは遠かった。家を出てから24時間後の夜中1時(日本の朝7時)にアテネのホテルに到着。そこでいきなりトラブルに見舞われた。バスルームのドアが開かなくなり、中に夫の洗面道具を残したまま(旅の終わり頃戻る)別の部屋に移動する。
このトイレ・バスルームは8泊中、満足に使えたのが最後のアテネ連泊のみで6泊は、湯が出ない、シャワーも使えない、排水が床から溢れてベッドルームへ、たらいのような浴槽だったりと大変な思いをしたのだが、不思議と腹も立たず今日はどうかと変化を楽しんだのだった。
3時間寝て船に乗るため5時半に出発。まずはミコノス島へと向かった。

Mikonosu1 Mikonosu2 Mikonosu3 Mikonosu4

コバルト色に輝くエーゲ海は波静か。気温はかなり高く暑く、どの島も日差しが強くまぶしい。何でも気温が高いほど海が青くなるそうで7,8月頃はさらにその色が美しいらしい。穏やかな波も冬は波高く、エーゲ海クルーズがゲーゲ海クルーズになるそうだ。
猫の多いミコノス島の家は真っ白。年に2回塗るそうだ。シンボルは粉引き風車やペリカン。北風が強く風車が使われてきた。狭い路地にはブーゲンビリアが咲き乱れている。大きな声では言えないがホモセクシュアルのカップルが多いそうである。(つづく)

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2006年10月 1日 (日)

元気ちゃん

Moriheiya Moroheiyatane 江戸時代、水野南北(1760~1834)という天才人相占師がいたという話が新聞記事に載っていました。
若い頃牢獄の中でたくさんの罪人の顔を見ているうちに、人相占師になることを思いつき徹底研究した。いろんな人の顔を見るためまず3年間、床屋で髪結いの弟子を。次に人の体つきを見たくなり、銭湯の三助を3年間して人の裸を観察した。さらに人の骨も見たくなって火葬場に3年勤め、骨になった人の親類縁者も丸ごと観察して勉強になったというのです。その人相学が著書『南北相法』にあらわされているそうです。たとえば、[タレ目男はカカア天下]とか。本当かしら。

この話で思い出したのが「元気ちゃん」。
勤めていたときの助手さんで、夜は大学に通っていました。兎に角いつもやる気満々、元気なのでこう呼んでいました。
大学生活最初の2年は短大でアルバイトするも、家政学が専門なので和風・洋風・中華のお店でばっちり覚え、家族が寝静まる夜中にいそいそとお菓子作りにいそしむ。卒業後夜学に切り替え、昼は職場でノウハウを猛勉強、学校では浴衣製作なら2反用意して人が1枚のところを2枚縫って習得。こんな調子で晴れてM市の私立高校の先生になりました。
そんな彼女ですから、たくさんあった寒天とか、ハイビスカス茶とかデーツなどもう捨ててしまいたくなるのも全部無駄なく調理してくれました。今日2,3時間空いているなと思ったら即、お菓子を焼くのです。今結婚して忙しいけれども、夏休みには資格をどんどんとっているようで、これからの彼女の人生を見つめていくが楽しみです。

写真:ほったらかしのモロヘイヤにオクラのような実がついていました。

4日から13日までギリシャに出かけますので3週間ほどお休みします。無事帰りましたらまた宜しくお願いします。

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