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2007年2月27日 (火)

鳥が教えてくれた空

Genkan いよいよ春がやってくる。2月の晴れた日はことのほか明るい光が溢れているように思う。写真で見ても空が青い。暖かくなって春本番になると、霞がかかったような日が多くなり寒さで澄んだこの空にはかなわない。

『鳥が教えてくれた空』 三宮麻由子著

ヘレンケラーの話は遥か彼方となってもう深い内容は覚えていない。
手足のない典子さんの話は先日書いた。
三宮さんは4歳で完全失明した方で、私は全盲の方の生活や思いを初めて知った。
著者は大学院博士前期課程まで勉強し、現在外資系通信社で報道翻訳者として勤めている。
海外旅行などもたくさんされていて驚いてしまった。
私たち晴眼者(というのだそうだ)と違って耳、鼻、手触り物凄く発達している。

聴くことから英語が堪能になって高校時代アメリカに1年留学し、現在の仕事についている。譜面はテープを聞けば暗記できて、ピアノの腕はかなりのものでたくさんの楽器を演奏なさる。
探鳥会でも100種以上の鳥の声を[聞きなし]でなくて聞き分けられるそうだ。この鳥の声で初めて夜明けを味わい、未知の空を知ったそうだ。鳥から俳句も始めた。
この自然への感動に魅せられてから、植物に触りながらたくさんの名前を覚えてやろうと、生け花を習い、園芸へと趣味を広げていったそうだ。鈴のコレクションも耳で楽しみ、落語鑑賞の趣味もそうだ。

書道は嫌いだけれども墨に興味を持って集めたのはそのにおいに魅せられたからである。
陶芸に打ち込んでいるのは手触り。料理もかなりされる。お菓子を焼く苦労、挑戦する姿には頭が下がる。
1966年生まれの著者はまだまだ若い。これからどんなことに挑戦していくのであろうか。

老眼になるまで視力は1.2~1.5だった。老眼になっても眼鏡のおかげで自然の織り成す美しい色、花、鳥、美味しい食べ物、本、芸術鑑賞など数え切れないものを起きている間中目にして感動している。ありがたく、本当に不自由な方には申し訳ないくらいです。

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2007年2月24日 (土)

蘇鉄

Huzisann_4 今朝は久しぶりに冬らしく、化粧した富士山も綺麗に見えました。

Sotetu

♪赤いソテツの実の熟れる頃 かなも年頃かなも年頃 大島育ち♪(年配しか知らない曲です)にあるソテツの実。
5年前の2,002年に出かけた奄美大島(ソテツの特産地)で1つのソテツの種をもらいました。
早速植えた今日の姿です。40cmの高さになりました。
1年以上過ぎても発芽しませんでした。今は7枚の羽状複葉が出ました。多数の線状の小葉を数えてみると大きいので36×2枚もありました。この鋭いとげみたいな厚い葉は乾燥して強風の地に適しているそうです。

ソテツ(蘇鉄)は幹が鋼のようにに強いから。又は鉄を与えると良く育つそうで茎に釘を打ち込むこともあって鉄樹の名もある。
銀杏と同じく雌雄別株で化石植物。花を見ると雄花が松ぼっくりに似、雌花はイソギンチャクみたいです。

Bunntann 我が庭であんなに大きくなったらどうしよう!樹高8mにもなるとは。
心配することはなかった。幹が1mになるのに40年かかるそうで、1年に2~4cmしか伸びないらしい。今はまだ4cmくらい。
50cmになる頃前に私もこの世をおさらばしているので残念ながらあの巨木は見られない。南の島に行ってまた良く見てくるつもりです。

右の写真は文旦です。種を蒔いて9年くらいで2mは越えましたが、全然実のなる気配なしです。

萎れそうなセツブンソウと元気な福寿草です(殿ヶ谷戸庭園)Setubunnsou Hukuzyusou

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2007年2月21日 (水)

ライターを飲んだ人

         二分咲きの河津桜

Kawaduzakura

昔から変人奇人には枚挙に遑がない。
その一人、妹尾河童さん、俯瞰図の覗き絵が人気で楽しんだものだ。
『少年H』とその批評を読んで以来ご無沙汰していたが、久しぶりに1992年で古いが『河童の手のうち幕の内』で変わった人なんだと知った。
肇と言う実名を河童に改名して、子ども達が揶揄の的になり困ったらしい。
してあげて「ありがとう」、してもらって「どういたしまして」と子どもに教え込んで実験したり、お菓子が足りなくても親子じゃんけんで決めるとか子どもの教育にもかなりユニークでヘンな親ぶりなのである。

一番驚いたのが「5秒だけ考えて」の項。バーで「ライターが呑めるかな」「ライターが喉に通るわけがない、絶対不可能」という仲間の言葉に、河童さん「絶対不可能なんて言い切っていいのかなあ?」と思った瞬間にライターを水割りで飲んでしまった。さあ、あとが大変。数時間後に1時間かけて吐き出したのだが。
今まで怒ったことない奥さんが初めて激怒し「ナニをやってもいいが、やる前に5秒だけ考えて」と仰ったとか。
(この奥さん風間茂子さんは『まま子 実の子 河童ン家』の著書があり、実にスケールの大きなモノに動じない大人物である。何しろ河童さんと一緒になったくらいだから)

もう1つ仰天したのが、デパートで催された「河童が覗いたトイレまんだら」展に、便器にズボンを下ろして坐っている河童さんの蝋人形を展示したことである。写真を見て目が点になった。

いやはや今までに、どんなにまわりに笑いをもたらし、家族は迷惑をこうむったか計り知れない河童さんである。

俯瞰図の書き方が巻末にあったので、自分の家の中を書いてみた。実際には1間半の出窓と半間の押入れがあるのだが難しくて書けなかった。

Hukannzu2

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2007年2月18日 (日)

医療費のお知らせ

Meziro

↑メジロ    ↓紅白の花が1本の木に咲く[思いのまま]

Omoinomama

市から「医療費のお知らせ」が届いた。
その趣旨は:国民健康保険で診療を受けた場合、医療機関等へ支払われる医療費は、我々が負担する保険税と補助金等によってまかなわれている。この貴重な保険税等を有効に使うためにも、1人ひとりが自分の健康管理に充分つとめ保険診療の受け方について理解するように。参考までH17.11月からH18.10月までの医療費の額を知らせる:ということだった。

私にかかった医療費総額は83,830円(凄い多額!殆ど歯と目)
自分で払ったのは3割で25,149円、保険から58,681円
私の分として(家族の2分の1とした)払った保険税は92,000円だから92,000ー58,681で33,319円残りオーバーしなかった。少しほっとした。
こんな風に単純に計算して、保険税をどんなに使ったかを知り、無駄に医者にかからないように反省させ、健康管理につとめていくように促すお知らせと受け止めた。

とりあえず今は、転んでも易々と骨折しないように娘が買ってきてくれたCa食品を食べ、骨形成にかかせないv.c摂取、遠赤外線照射、日光浴をしていきたいと思う。

Ca2 Ca3 Ca4 Ca5_1 Ca1 Ca6 Buntann

茅ヶ崎の実家でで収穫した文旦

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2007年2月15日 (木)

Shall We ダンス?

暖冬で足の太さほど大根に驚いたが、今日は初めてこんなに大きなキャベツ:直径26cm、重さ3.5kgにお目にかかる。150円で安い。

Kyabetu_2 Karannkoe_2

「アンナとシャム王」1964年:レックス・ハリソンとアイリーン・ダン
「王様と私」1956年:ユル・ブリンナーとデボラ・カー
この映画の中で踊られた[シャル・ウィ・ダンス]からの

リチャード・ギアとジェニファー・ロペスの「Shall We ダンス?」をやっと観た。
周防正行監督:役所広司と草刈民代の「シャル・ウィ・ダンス?」のハリウッド版。
家庭や仕事に恵まれ幸せに暮らしている中年の男性、しかしそんな中に何か空虚感を抱き始めた。とある日車内から見上げた社交ダンス教室の窓に佇む美しい女性を見て、ダンス教室に足を踏み入れる。

リチャード・ギアがとてもとても素敵。
ダンスをして輝いていく主人公はどんどん若返っていくようである。人間本来の姿を取り戻しているかのよう。
先進国で1番の残業大国日本では、仕事一筋の会社員のうち10人に1人が夜10時過ぎまで残業しているそうだ。
このような人々にこんな生き生きした姿は現状では望めない。本当に気の毒だ。

社交ダンスを始めた私と同年齢の知人がいる。姑と40年以上同居で鬱になるくらい塞ぎこんでいたのが、ダンスで姿勢も健康状態もよくなり、5つくらい若返って元気溌剌。
ロシア旅行でご一緒した70過ぎの女性も週4日、土、日は朝から夜遅くまで踊り放しでご主人は留守番とか。小さい体でとても元気だった。

そしてもう一人、萩原葉子さんである。
萩原朔太郎の子として、複雑な家庭に育ち、不幸な結婚生活に追い討ちをかけて実家の始末が老いるまで続いていく。
『蕁麻の家』『閉ざされた庭』『輪廻の暦』の3部作に私小説として書かれていて、あまりの不幸に涙が出た。
そんな萩原さんが老後にダンスを始めた。ドキュメントで観たのだがバレリーナのように凄いダンスだった。いかにも凝り性の人らしい。お相手は若いプロのダンサーしか務まらないというもの。かたやびっくりするようなオブジェを作りながらの晩年は、不幸な年月をカバーしてこれこそ光り輝いていた。『ダンスで越えた私の人生』という著書もある。

相手あっての社交ダンスは、相手なしで踊るフラダンスや私のやっている太極拳とは違って、相手を意識して練習もすごく厳しいかもしれない。
すぐ近所にダンスのあの煌びやかなドレスを縫う人がいて、ダンスもなさる様子。この人も超がつく元気。やってみたらいいとわかってもその1歩が踏み出せない。

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2007年2月12日 (月)

ターシャと大伴坂上郎女

Tasyanohon_1 一昨年のターシャの映像「喜びは作り出すもの」に続いて昨年暮れに「ターシャからの贈り物」が放映されました。
この映像の91歳のターシャからもいろいろいい言葉をいただきました。

[心豊かに生きること]
[他のことなど気にしないで自分なりに楽しむこと]
[自然に寄り添って暮らし、自分の手で喜びを紡ぎ出す]
[好奇心、感謝の心、想像力]
[今この瞬間を大切に]
[人生は短い、やりたいことをやって楽しめ]
[大切なのは試練の先に待つ大きな喜びを見失わないこと]
[平凡な毎日を自分の手で魔法の時間に変える]

一昨日出た『恋をするターシャ』
大好きな詩人や作家の言葉を絵筆によって表現した本です。
実際家とロマンチスト、2つの顔を持つターシャのロマンチストの心の世界を見せた、著者69歳のときに出版したものです。

ターシャが選んだ中に大伴坂上郎女の歌がありました。
  
  緑の山に 雲がうっすらたなびくように
  思い出しの笑みなど 浮かべたりなさらないで
  人々は気づきますよ わたしたちの恋に

この歌を探してみたら
  青山を横切る雲のいちしろく 吾と笑まして人にしらゆな 巻4の688

意味は:青い山を横切る雲が白くはっきりしているように、私と微笑みを交わして人に知られないようにね。

アメリカに万葉集の英訳があって、ターシャが中でこの歌を気に入ってこの本に挙げたのです。
英訳のがないのが残念ですが、元の歌の英訳がまた日本語に訳されるとこんな風になるのが面白かった。

昨日の天声人語に『チベット語になった「坊ちゃん」』中村吉広の話が載っていました。
『坊ちゃん』の中の「親譲りの無鉄砲で」「赤ふんどし」「茶代」「猫の額程な町内」「漢学教師」などの翻訳に苦労した話です。果たしてどんなチベット語に翻訳されたのでしょう。
  

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2007年2月 9日 (金)

繰り返しの詩歌

芭蕉 :松島や ああ松島や 松島や 

明恵上人:あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや                           あかあかや月   

山村慕鳥 :風景(聖三稜玻璃)
      
       純銀もざいく
    いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな
    いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな
    いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな
    いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな
    いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな
    いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな
    いちめんのなのはな  いちめんのなのはな  いちめんのなのはな
    かすかなるむぎぶえ  ひばりのおしゃべり    やめるはひるのつき
    いちめんのなのはな。 いちめんのなのはな。 いちめんのなのはな。

作者? さようなら さようなら さようなら さようなら さようなら
      さようなら さようなら さようなら
    おれ達はそれを見た 百人の女工が降り 千人の女工が乗りつづけて行くのを 

今までで印象深かった、同じ語句がいくつも重なり合っている歌と詩を4つ書き並べました。

松島の句は小学生の頃、これなら自分でもできるやと真似して土地の名を入れて遊んだ句です。
いちめんのなのはな この間から神奈川県の二ノ宮の吾妻公園の満開の菜の花が新聞やテレビで紹介されていて、誰だってこの句が思い浮かんだに違いありません。。

これらの詩歌はただそれだけの言葉なのに、それだからこそ、読んだ者をしてそこから自分の思いや想像を広げてくれます。一人その中に浸って遊ぶ。それは人によって全然違うでしょう。
これらの詩歌に言葉を置き換えてみると、真似、2番煎じでいいものではない。
まだまだこのような詩歌があるかもしれません。

ポージィさんがドウダンツツジの赤い可愛い芽を紹介されていました。
私も隣の家のを観察していたとき、我が家の黒っぽい芽を見つけたのが、この紫陽花の芽です。

Azisainome Azisainome2

近くのお宅で咲いていた梅の花
Ume

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2007年2月 6日 (火)

西行

Saigyou 白洲正子の『西行』『明恵上人』を読んだところへ、NHKBSで「白洲正子が愛した日本人:美の旅人、西行と明恵」をやっていた。

白洲正子は韋駄天お正(風の如くに疾走する印度の神様)の渾名があるが、あらゆる教養と鋭い審美眼を備えた知識人であり、日本人の美と心を再発見した人であると同時に、その型破りな行動でも有名である。
阿川佐和子『オドオドの頃を過ぎても』によれば、初めは怖いとか遠慮するとかしないで飛び込んでしまう。そのためいじめられて3時間以上泣き通したり、胃潰瘍になって3度も吐血したり、暫く文章を書けなくなるほど傷ついたりしている。
つまらない骨董でもつまらないことを教えてくれる、どんなつまらない人でも必ずいいところはある。いい人間に会えたらいいところを盗む、盗みの名人であるという言葉を残している。

Bara_1 さて、西行である。
ねがはくは花のしたにて春死なむ そのきさらぎの望月の頃       
その歌のとおりに亡くなったという驚きの人である。

西行法師というと妻子を捨てて出家し、全国へ仏教の修行の旅で一生を終えた人と思っていた。
ところがこの本で実はイメージと全然違う人とわかった。
出家し吉野にこもったのは待賢門院への思慕から開放されるためであった。孤独を愛しても人恋しい思いに耐えかねている。そして桜への異常な愛、その歌も多い。
ひとり居の寂しさを愛した。彼はまた一生数寄の人であった。育ちのよさも影響している。何でも興味を持ち、何でも自分の眼で見なければ承知しなかったことが彼の一生を貫いているようだ。
また能の「江口」や歌舞伎の「時雨西行」の人でもある。江口の里の和歌に巧みな遊女との歌のやり取りが素晴らしい。
西行は決して熱心に仏教の修行に励んだ人ではなかったのである。宮廷人や数寄者や武士との交友になくなるまで励んだ。
中世にこのような人が出たということはいろいろな意味で日本の方向を決めたかもしれない、重要な人と位置づけて良いのかもしれないと。

「三夕の歌」
西行法師
心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ

寂蓮法師
寂しさはその色としもなかりけり 槇立つ山の秋の夕暮れ

藤原定家朝臣
見わたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ

どれもいいけれども、私個人は西行のが好きである。この本に選ばれた西行の歌は本当にうまいと思う。すっかりファンになった。
いつか吉野の西行庵や大磯の鴫立庵に行ってみたい。

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2007年2月 3日 (土)

マンホールの蓋

Ehoumaki Mame_1 今日は初めてですが、お昼に北北西の方角に向き恵方巻にかぶりつきました。夜は豆まきです。

俯いて歩いているとマンホールの蓋が目につきました。駅までの1kmに5種類も。他の市区町村にも数種類あるのでしょうか。
そのデザインを見ているとあのエッシャーの「平面と立体の正則分割」みたいではありませんか。
同じような大きさにみえるように中心から外側へ模様が連続して見事に嵌っています。
この蓋にもデザイナーがいるのかな。鋳物工場で作ったのかな。いくら掛かったのかな。重そう。

そういえば赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊らの「路上観察学会」がありました。赤瀬川さんの本を読んだおぼえがあります。
サイトに当たってみましたら何と林丈二が『マンホールの蓋』という本を書いています。きっといろんな疑問が解決するのでしょうか。手に入ったら早速読んでみようと思います。

Mannhoru1 Mannhoru2

Mannhoru3_1 Mannhoru4

Mannhoru5 Mannhor6

  仕切弁、空気弁、制水弁、多角点、基準点、雨水、汚水など道路は蓋で溢れています。

Sikiriben Kuukiben Seisuiben Takakuten Kizyunten Amamizu Osui Posuto

Keki

私がデザインしたのはただ1つ、ケーキのデコレーションです。

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