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2007年9月30日 (日)

『病気にならない生き方』

今まで食生活は教科書あるいは食生活指針にあるように栄養の知識をもとに、できるだけ多くの(1日30品目を目標)の食品を食べるように気をつけて、しかも食品添加物、農薬、遺伝子組み換えに注意し、生活習慣病を考慮に入れて、めまぐるしい情報を整理しながら行ってきました。

◎そうしたなかの常識に、動物性脂肪のバターより植物性の油で作ったマーガリンの方がコレステロールもないから良いというのがある。
ところがこの本でびっくり
マーガリンほど体に悪い油はないーもし家にマーガリンがあったら、すぐに捨てなさい、・・である。
 理由:マーガリンは植物油に水素を添加して固体にしたもの。植物油には製造過程でトランス脂肪酸ができる。これは悪玉コレステロールを増やし、善玉コレステロールを減らすほか、癌、高血圧、心臓疾患の原因になるというのである。ならば、植物油も悪いことになる。事実揚げたものは好ましくないと言っておられる。

◎青菜や小魚にもカルシウムが含まれるが、体内で最も利用率が高いのは牛乳と乳製品だから、身長の伸びる成長期は1日500mℓの牛乳を飲むようにしましょう、と教えている。
この本では牛乳ほど消化の悪い食物はない。飲みすぎると骨粗鬆症になる・・というのである。 
 理由:牛乳を飲むと血中カルシウム濃度は急激に上昇する。すると体は血中のカルシウム濃度をなんとか通常値に戻そうとして、血中余剰カルシウムを腎臓から尿に排泄してしまうのだそうだ。<牛乳を飲む習慣のない時代の日本には骨粗鬆症はなかった>

◎ヨーグルトに入っているビフィズス菌は便通に良いと習ってきた。
この本ではヨーグルト神話には疑問を感じる。
 理由:もともと腸には乳酸菌がある。この菌以外の良い菌(ヨーグルト菌)も腸のセキュリティシステムに引っかかって殺菌されてしまうというのである。30万人胃腸を見てきた著者によると、ヨーグルトを常食にしている人の腸相が決してよいものではないそうである。

良く噛むとか腹八分目とか、運動をしすぎないとか、薬は漢方薬といえどもあまり飲まない方がいいとかはいいが、
肉、卵などは食べない方がいい。コーヒー・ココアだけでなく緑茶など茶もよくないそうなのである。
水分は3食の1時間前に500mℓの良い水を飲む。果物は食前にだそうである。とても実行できないし、しようとも思わない。

医者を始め、情報がいろいろ多すぎて振り回されてしまうが、、基本を踏襲しつつ、流されないで自分で選択していかねばならない。
自分の体にききながら、気をつけながら食生活も楽しんで、病気になったときは、「だからあの時、新谷方式をそのまま守ればよかったのよ」とは決して言わないで、病気を受け入れて、苦しみもこらえていけばいいと思うのです。

Karin

            よその花梨 まだ青い

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2007年9月27日 (木)

里山

1onokubogozenyama

里山(集落、人里に接した山)に登ってきた。その名は梁川(山梨県)の標高523mの斧窪御前山。

御前山とつく山は全国に20近くあるようだ。中央本線沿線にもある。高尾や相模湖を過ぎ、山梨県に入ると上野原駅に上野原御前山、次の四方津駅は四方津御前山、次の梁川駅には梁川御前山と斧窪御前山、その先の大月にも御前山がある。

駅のそばの集落を抜けるとすぐこの山で、里山に接する集落の庭はどこも花でいっぱいである。
お墓や仏壇に先祖代々、供えられてきた花なのであろう。今は、百日草、千日紅、鶏頭、羽毛鶏頭、鳳仙花、白粉花などで、秋深くなると菊に変わっていく。
空気が澄んでいるせいか、緑に囲まれた花々の色の鮮やかなこと。以前信州の佐久、小諸や小布施を巡っていたときに、このことに気がついた。田舎を歩くと里山の風景は似ているところが多い。

2niwanohana 5niwanohana2

3umoukeitou 4keitou

里山はクヌギ、コナラ、シイといった広葉樹によって森林が形成され、この時期これらの木の団栗が一杯落ちていた。
昔は、里山は薪や炭、堆肥の供給源であったが、石油エネルギーへの転換や開発により、利用目的もなくなり、失われ、荒れ果て、貴重な生物も失われた。
しかし、景観の見直しや、自然との触れあいを求める場所として、最近里山を見直す運動が進んでいるようである。
先日海ガメが戻ってくる海岸を作っている人を追っていたが、失われた自然を取り戻す人々の血の滲むような努力に頭が下がる。

Turubo Mi

      ツルボでしょうか          実の色も鮮やかでした

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2007年9月24日 (月)

フェルメール「牛乳を注ぐ女」

Gyuunyuuwososoguonna [フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展]が、あさってから国立新美術館で開催されるに先立って、市で小林頼子氏の講演がもたれた。

「牛乳を注ぐ女」はフェルメールの比較的初期(26歳頃)の作品である。
16世紀末にオランダがスペインから独立したとき、宗教への反感もつのり、プロテスタントになった。カトリックは宗教画や装飾が中心であったが、プロテスタントは装飾を拒否する宗教であったため、オランダの画家達は教会というパトロンを失った。
そこでオランダでは物語画(宗教・神話・古い歴史)から、美術の中で低く位置づけられていた風俗画(日常の中からテーマをとってくる)が主流となったわけである。

「牛乳を注ぐ女」を見に行く人は、次の点をよく鑑賞するように言われた。

①色づかい:種類が多くない。3原色(赤・青・黄)と補色(赤と緑、青と黄色)でまとまっている。
②明暗の操作:窓から遠い方が明るく、近いほうが暗い。女性の背を暗く、胸を明るく描くことによって人物が前に出てくる効果があり、女性が際立つ。
③形が単純。
④モチーフの数の少なさと丁寧な彩色。
⑤巧みな透視法の利用:窓枠の線を延ばすと消失点がミルクポットを掴む手の上方になり、目を注ぐミルクへ向ける。

壁の釘の痕や、右下の足温器が描かれる前に描かれていた大きな籠の痕も是非眺めてくるようにとのこと。
この絵に奇妙な不自然な1箇所がある。それは右手とミルクポットとスカートで囲まれた部分である。絵の具が剥落したのではないかという先生の考えであった。

小林頼子氏は目白大学教授で『フェルメール論』や『フェルメールの世界』の著書がある。
他に『フェルメール全点踏破の旅』の著者、朽木ゆり子との共著『謎解きフェルメール』があって面白そうである。
フェルメールは43歳で亡くなるまでの約20年間に60数点を制作しているが現存しているのは32点あるいは37点と言われている。
全作品を並べてみても、レンブラントの「夜警」1枚分にしかならないそうなのである。
私はフェルメールが大好きで、全踏破なんてさらさら思わないけれども、今まで見た9枚の絵は忘れられないです。

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2007年9月20日 (木)

ガリバー旅行記

アイルランド・ダブリンの聖パトリック教会で司祭長を務め、床にお墓があったジョナサン・スウィフトのガリバーの話です。
中野好夫訳の『ガリヴァ旅行記』と阿刀田高著の『あなたの知らないガリバー旅行記』を早速読んでいます。

ガリバーが日本の観音崎に上陸したというのはほんのちょっと書いてあるだけだった。
第1篇が小人国、第2篇が大人国、第4篇が馬の国、日本は第3篇に出てくるのである。
巨人の国から帰ったガリバーはすぐまた航海に出て、空飛ぶ島ラピュータとその下に位置するバルニバービ国を歴訪したガリバーは、早くイギリスに帰りたいため、バルニバービに近いラグナグ島へ行き、そこから日本に渡り、ヨーロッパへ帰る船を掴まえようと考えた。
ラグラナ島から船がなかなか出ないで退屈だったので、魔法使いの島(グラブダブドリップ)に遊んだ。やっと船が1709年5月6日出たので半月で日本のザモスキ(観音崎)に到着、オランダ人を装って、エドで将軍に拝謁後、1ヶ月かかって6月9日長崎に着いた。オランダの船でアムステルダムに1710年4月10日に着き、4月16日にイギリスに到着したのであった。
故国へ帰るための中継点であった日本だけが実在で、あとの6国は全部架空の国である。
視点や風刺などは阿刀田高の本やorangepekoさんが教えてくださったサイトに載っていて面白かった。
またガリバー上陸300年記念の観音崎フェスタが2009年11月3,4日にあるということをポージィさんに教えていただきました。お2人に感謝します。
『ガリバー旅行記』は大人の今読んでも面白いです。

Zinzyakukki_3 全然関係ないのにお父さんが船乗りということで、『長靴下のピッピ』を思い出して、そこからピッピが焼いていた「ジンジャークッキー」を食べてみたくなって、今焼いたところです。
この頃巷に美味しいお菓子が溢れ、クッキーなんてという気分でしたが、焼いてみると、加賀の柴舟を思わせる味で、結構大人の味、西洋人はなぜクッキーの中にショウガを入れたのかと思いつついただきました。

Nira 収穫したニラ2束分は、25年前種から育てたニラのこぼれ種からのもの。最初ですから何となく柔らかい。ニラは伸びるとすぐ切り、そのとき咲いた花まで切ってしまうので、種を作るのは無理でした。ところが切り残したのが昨年あったらしく、出てくれました。ニラの寿命は10年くらいと聞いていたのに、25年も持っているのですが、更新できたので嬉しいです。

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2007年9月17日 (月)

八海山と清津峡

圧迫骨折以来、6ヶ月に1度、骨密度の測定に整形外科に出向くことに。
今回の結果は、歩いているし、体操しているし、Caを含む食品を摂っているし、同年齢比較がバッチリ97→100と上がっているのではないかと期待して行ったのに、何と92に下がってしまいました。ガックリです。
骨減少症だそうです。どうやら吸収が悪いようで、更に努力することといったら、もっとCa食品を食べることと体を動かすことを追加するしかありません。

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              背後の山が八海山

そこで、運動の一環として山を歩く会に入会、今回は平らに歩いただけにとどまりました。
行き先は新潟県の八海山(1778m)。スキー場で有名な湯沢と尾瀬を底辺とした三角形の頂点辺りにある。日本一険しい山だそうで鎖の数が200余本もあるそうである。ロープウエイの終点から見ても頂上は遥かかなたでスケールの大きな山です。今回は終点あたりのそぞろ歩きだけです。
↓本当は佐渡島が見える筈だが、霞んでいて残念ながら見えませんでした。ロープウエイの下は一面ススキが広がっている。

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1合目にある八海神社に家内安全を祈願した。参道杉並木は新潟県の指定文化財天然記念物です。

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    神社の脇の赤い滝              参道杉並木

↓ 魚沼にはコシヒカリの稲穂が輝き、魚沼スカイラインはどこもススキばかりですっかり秋の風情です。

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次に向かったのが湯沢のすぐ近くの日本三大峡谷の1つ「清津峡」です。三大峡谷の後2つは「黒部峡谷」と三重県の「大杉峡谷」。
渓谷・・・景色の美しい谷
峡谷・・・幅が狭くて深い谷が長く続いているもの

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清津峡は750mの「清津峡渓谷トンネル」に入って、4つの見晴所から眺めるのが特徴で、もう1つは柱状節理が見られることである。これは岩体冷却の際、体積収縮によって冷却面に垂直に六角柱状の節理が生じたもの。

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                シュウメイギクやオミナエシ

最後にまわったのが、峡谷から近い、新潟県指定天然記念物「角間のねじり杉」である。弘法大師が村人に仏の力を教えるために杉をねじったという伝説がある。

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         横から出た子どもの杉までよくねじれていること

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2007年9月14日 (金)

石神井公園 ムコ多糖症

夏の帽子を2回も洗いましたが、日が照ればまだまだ使います。
中央線も新型車両が増え、山手線のように、見上げれば英会話レッスンやコマーシャルやいろいろ映像が流れます。
中央線ミニ知識として帽子の綺麗に洗うコツは?と問題が出ていました。
答えはシャンプーを使って洗うというものでした。帽子の内側は頭の毛の汚れが付いているので、毛を洗うシャンプーでよく落ちるということで、試してみよう。

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昨日はサワギキョウが咲いているということで練馬区の石神井公園に行ったのですが残念ながら、今年はもう終わってしまっていました。
池は緑の藻が一面にびっしりで透明度ゼロ、三宝寺池は台風の後で折れた枝が浮かび荒れ果てている。沼沢植物が生える一帯には泥沼に嵌って、ボランティアの人が草取りなどに専念していました。

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      イヌホウズキ             ラクウショウの気根

かたやベンチのあたりを掃除しているおばあさんが1人、こんなにたくさんの落ち葉を大変です。
この方は現在90歳で、60歳の娘さんを癌で亡くして、あまりの悲しみで一時呆然としていたが、体を動かしていないと悲しみから逃れられないので、こうして毎日掃除をしているのだそうだ。いくつかのベンチには縞模様の敷物をベンチに合わせて細工してきれいにしてある。洋服は全部自分で縫っていて、この日も赤系の素敵なワンピースに身を包んでいた。手でそれこそ何でも作って、昨日は小さなハンガーをビーズで被い、洗濯ばさみを3つぶら下げたもの(台所でタワシなどをぶら下げるものらしい)を私たち一行に2つプレゼントしてくださった。想像するに素敵な手芸品をこうして、友人になった人に配っているに違いない。それも皆娘さんの供養として。子どもに先立たれた悲しみは想像しただけでも耐えられない。

こんなとき、anikobeさんとねむウサギさんのブログでムコ多糖症という難病のことを知りました。
投薬がなかなか認知されず、大人にならないうちに命を亡くすという。あとで薬害という問題が出ることに慎重を期しているということもあるのでしょうが、研究された薬で早く救われるように祈りたい。

以下お2人のブログからです。

【ムコ多糖症】

この病気は、人間の中でも小さい子達に見られる病気です。
しかし、この「ムコ多糖症」という病気は、あまり世間では知られていない(日本では300人位発病) つまり社会的認知度が低いために今、厚生省やその他製薬会社が様々な理由をつけて、最も安全な投薬治療するための許可を出してくれません。
ムコ多糖症は、日々悪化する病気で、 発症すると殆どの人が10~15歳で亡くなります。


8月7日 「SCHOOL OF LOCK」 というラジオ番組で湘南乃風の若旦那が語ってから、私達に出来る事を考えました。
それで思いついたのがこのバトンという方法です。


この病気を多くの社会人に知ってもらって、
早く薬が認可されるよう努力することだと思います。


みなさん、ご協力お願いしますm(._.)m  


今私に出来ることは、「ムコ多糖症」という難病について知ることから始まりました。
次に、一人でも多くの人に知ってもらうための、バトンを回すことでした。
これならできると思いながら、萩の花に添えて「ムコ多糖症」のことを知っていただきたくバトンを回させて頂きます。

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2007年9月11日 (火)

アイルランド4 ダブリン(文学・ダンス・ギネス)

首都ダブリンは活気あふれる町である。

◎文学としてはイエーツ等4人のノーベル文学賞受賞作家を輩出している。他に風刺作家バーナード・ショウや『ドリアン・グレイの肖像』のオスカー・ワイルド、読んだけれども全然意味が解らなかった『ユリシーズ』のジェイムス・ジョイスがいる。
ゲール語でなく英語で書かれたアイルランドの文学として最初に登場するのが、ジョナサン・スウィフト(1667~1745)による『ガリヴァー旅行記』(1726)である。ダブリン生まれながら、イギリスに渡っていたとき、三浦按針の日記?がイギリスで翻訳された本に影響されて、『ガリバー旅行記』に日本の横須賀・観音崎にガリバーが上陸したと出てくるとのこと。子どもの本で読んだときは出てなかったような気がするので、もう一度大人の翻訳本で読んでみたい。ガリバー上陸記念祭が観音崎でアイルランドから人を招いて行われるような話である。何時かを聞き損ってしまった。
ダブリンの聖パトリック大聖堂にイギリスから帰国してこの教会の司祭長を長いこと勤めたスウィフトと彼の永遠の恋人ステラの墓がある。またデスマスクや思い出の品々もある。

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    床にスウィフトとステラの墓碑          聖歌隊席

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    スウィフトのデスマスク            大聖堂内部  

◎街中で

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↑英国エリザベス1世創設の最高学府:トリニティー・カレッジ。 「ケルズの書」や最古のハープ、20万冊の古い蔵書が収められた図書館が素晴らしい。 

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      ↑カレッジの鳥           ↑花屋さんにはボロ菊が

   ↓何処にも観光馬車がいる        ↓緑のポスト

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↑イギリス支配のシンボル・ダブリン城    ↑この銀行には窓が1つもない

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↑ダブリン最古の教会 クライストチャーチ大聖堂は大きい(1172年)

◎ダンス
アイリッシュダンスは両腕を胴体につけたまま、足のステップで全てを表現するダンス。16世紀にイングランドの支配が始まると、その後400年間、アイルランドの伝統的文化が一切禁止され、そこから生まれたダンスである。アイルランド音楽の旋律が家の中で歌い継がれ、そのリズムが暖炉の火が燃える前で足を踏み鳴らすことによって、親から子へ伝えられたもので、支配に対する辛抱の所産であった。
残念ながら、これを観るオプションが成立せず、代わりにリバーダンスを鑑賞した。これは現代的なアイリッシュダンスやタップダンス、フラメンコ、バレエが組み合わせられたもので、手を少し動かすがステップが見ものであった。映画『タイタニック』のレオナルド・ディカプリオが踊っていたタップダンスを思い起こす。

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◎ギネス
アイルランドといえばギネス。ギネス工場見学をした。ダブリンの町の中にあり敷地は26ヘクタールもある。現在の生産量は2億2720万ℓである。1769年から輸出が始まった。
7階の展望台のバーでダブリンの町を一望しながらギネスを飲んだ。6階から下はギネスの歴史や広告、製造過程が紹介されているが、英語でわからなくパスしてしまった。府中のサントリービール工場のようにタダでなく、かなりの入場料を取るらしい。

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         ギネス工場                 展望台

↓輸出150カ国の名前  展望台からの工場と町の眺め

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アイルランドはトルコと同じく日本に友好的な国だそうである。
というのも、第二次世界大戦で宿敵の英国と日本が戦ったからだそうだ。それほどに理不尽に支配された恨みが大きかったのである。逆に英国では日本人は時に今でも蔑まれることがある。中国や韓国の対日感情などに思い至ってしまった。

とりとめのない、散漫な紀行文になってしまいました。読んでいただき感謝いたします。

                         -完ー

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2007年9月 8日 (土)

アイルランド3 中西部の街点描

Tizu1 Yurokoukaアイルランドの国の紋章はアイリッシュ・ハープで、この国の硬貨にはすべてアイリッシュ・ハープが描かれている。
また、日本同様、「車は左、人は右」だが、交差点がロータリー式で殆ど信号がなかった。日本にはとても導入できない方式である。

食事では、ジャガイモがとても美味しい国である。スープは殆どがポテトポタージュ。マッシュポテト、オーブン焼ポテト、フライドポテトとジャガイモの出ない食事はない。
ブラックプディングというのがあるが、牛あるいは豚の血に穀物を混ぜて腸詰にして茹でたもので、ホワイトプディングは血の代わりに豚の臓物である。
料理全般に関して言えばイギリスと同様、味がない、単調なもので塩をやたら振りかけなければならない。
国中に牛や羊がいっぱいなのに、なぜか朝食にもなく、スーパーにも殆どアイルランド製のチーズが見当たらなかったのが不思議であった。

◎ゴルウエイ
中世に発展した都市国家であったが、クロムウェルの攻撃により破壊された、西部の中心都市で、大学都市であり、フェスティバル開催都市でもある。

聖ニコラス教会はステンドグラスの美しい、質素な祭壇の教会で、コロンブスが船出する前に旅の安全を祈願した教会でもある。外壁の上に方には沖縄のシーサーみたいな彫刻が見られる。

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Goruuei5erebeta Goruuei6daiseidou

  エレベーター内の釦がかわいい         大聖堂

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   フクシアが中木化している            住宅街

◎リムリック近郊
①アデアの村:昔(1976年)「アイルランドで最もかわいい村コンテスト」で優勝したという村。萱葺き屋根の家がとても目を惹く。

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           公園             どこも今アジサイが満開

②ボンラッティ城:中世晩餐会に出席した。1425年に建てられた3階建ての城の、映画に出てきそうな薄暗い大広間で、アメリカ人観光客と合わせて150人位の晩餐会である。中世の衣装を身に着けた男女9人が歌や演奏で歓迎してくれ、女性陣が給仕をしてくれた。何しろ中世であるから、料理がでんと山盛りで、フォークもスプーンもなく、ナイフで突き刺したり、手づかみいただく。雰囲気は満点でも食欲が湧かなかったのが残念であった。外に出ると夜なのにまだ明るくバグパイプの演奏で送り出してもらった。

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Kozyou3 Kozyou4

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◎キルケニー
アイルランドの中で最も中世的雰囲気を残している町である。12世紀に建てられた、領主バトラー家の居城、キルケニー城を見学した。

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Kirukeni1 Kirukeni2

Kirukeni3 Kirukeni4

  街を流れる川は何処も絵のよう             街角

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2007年9月 6日 (木)

『女性の品格』

『女性の品格』坂東眞理子著

発行されて11ヶ月もベストセラーが続いている。
ハウツー的でありながら、中味が濃く、品格のある文章でつづられている。
異論もあるようであるが、私としては全くその通りで実行しなければならない部分がたくさんある。

書いてあるところによると
人間個人の品格の重要な要素は・・・正義感、責任感、倫理観、勇気、誠実、友情、そして忍耐力、持続力、節制心があり、判断力、決断力に富み、優しく思いやりがあるという美徳。
自分の利益だけを追求しない、弱い人をいたわり助ける、強い人におもねらない、自分の受けた親切に恩返しをするという行動規範も教育や学習、指導や矯正、信仰などを通じて次代に伝えられていかねばならない。

品格のある男性はこれらの重要な要素を持つとともに、優しく思いやりにあふれている。女性と共通するところの多い品格のある男性を生み育てるのは、品格のある女性なのです。

内容は品格のある
「マナー」「言葉と話し方」「装い」「暮らし」「人間関係」「行動」「生き方」に分けて66項目で詳しく語られる。
読む前に漠然と気遣いや奥ゆかしさなどが品格かと思っていたが、それだけのものではありません。
品格のある人が増えることでなんだか日本が美しくなるような気がする。品格のある人の前で緊張しなくなったとき、自分にも少し品格が備わったときというべきか。これからも品格ある人を目指して努力していかねばならない。

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                殿ヶ谷戸庭園

「レンゲショウマ」と名前が似ている「キレンゲショウマ」に出会った。毎度お馴染みの「殿ヶ谷戸庭園」である。

レンゲショウマは「キンポウゲ科」であるがキレンゲショウマは「アジサイ科」、広義で「ユキノシタ科」であるから全然関係ない。1種で1つの属を構成する特異な植物とある。花びらが4~5cmもあり、かざぐるまのように重なっているのが面白い。

Kirenngesyouma

               キレンゲショウマ

1kirenngesyoumanotubomi 2turiganeninnzinn

    キレンゲショウマの蕾            ツリガネニンジン

      ↓オトコエシ                ↓オミナエシ

3otokoesi 4ominaesi

5sannzasinomi 6kinmizuhiki

       サンザシの実            キンミズヒキ

 庭園も秋の様相を呈してきた。   

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2007年9月 3日 (月)

アイルランド2 アラン諸島・バレン高原・モハーの断崖

Tizu1 アイルランドで最も有名なアラン諸島にはアラン島という名の島はなく、3つの島からなっている。
中で1番大きな島「イニシュモア島」に行く。
石灰岩の地が広がり独特の風景が広がる。大地には土がなく、そこで人々は海草を干して土にしてだんだんジャガイモを植えていったとか。高い木は殆ど見当たらない。冬は荒涼として過酷な自然と闘いながら淋しい生活をしているに違いない。女性は世界的に有名なアランセーターを編み出した。暖炉の前でせっせと編んでいたのでしょう。お店に山とセーターが売られていた。私は昨年アラン模様のセーターを1枚編んだが、模様の「トレリス」は石の風景を写したもので、様々なデザインには幸運や不滅などの意味があるということを知らなかった。
又この島には、先史時代や初期キリスト教時代の遺跡が多い。1番の見どころ「ドン・エンガス」は2000年前の砦で、砦の先の90mの断崖が迫力である。あちこちに珍しい花もいっぱい咲いていた。

  ↓海から近づいていった島
Aransyotou

Aran1hune_2  Aran2toride

    ↑ こんな船に乗った            ↑ ドン・エンガスの砦

       ↓ドン・エンガスの断崖   ↓教会前のマリア像                            Aran3danngai Aran4kyoukaimaria

        ↓かわいい花も荒地に一杯咲いている

Aran5hana1 Aran6hana2

Aran7hana3 Aran8hana4

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                 ↑牛や猫も可愛い

アラン諸島の対岸にバレン高原とモハーの断崖がある。

バレン高原も島と同様石灰岩の丘陵で標高200m、最高でも500mしかないらしい。
そういえば、どこにも高い山がない国であった。
バレンはゲール語で「石の多い場所」と言う意味で、風景が北九州の平尾台や山口の秋吉台に似ている。
「巨人のテーブル」と呼ばれるドルメン(自然の石を立てた大きな墓石)があったが太古の民族のものと言われる。

  ↓巨人のテーブル

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Baren1 Baren2

       ↑石だらけ                ↑エリカの群生

  ↓こんな可憐な花も石の間に咲いて

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モハーの断崖とは大西洋に海面から200mの高さの断崖絶壁が8kmにわたって突き出したもので、広く知られた観光地である。
遥か向こうにアメリカ大陸があるのです。

Mohanodangai

Mohanodangai1 Mohanodangai2

Mohanodangai3 Mohanodangai4

アイルランドの1日には四季があるといわれ、また晴れ、曇り、雨とめまぐるしく天候が変わる。
幸いにして島だけ霧雨でモハーの断崖は1年でも珍しい快晴に恵まれ、他も雨に合わなかった。
水が不足することはなく、水道代はタダなのだそうである。ただし水質が悪く季節によっては汚染されているそうで、歯磨きもペットボトルを持ちながらする。

Yousei_2アイルランドは妖精の国でもある。道端に「妖精に注意」という標識まで立っているそうだ。
この妖精の人形がたくさん売られている。私はこれをクイズに当たってゲットしたのである。ダブリンを出発してぐるっと回ってダブリンの手前まで来たとき、バスのドライバーさんが「何km走ったでしょう」という問題を出して、私は適当に1000kmと答えたのが当たって、この人形をプレゼントされたのである。今まで年賀状のお年玉さえも、切手以外に当たったことがないという籤運ゼロ人生に、ぽっと火が灯った一瞬であった。

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2007年9月 1日 (土)

アイルランド1 ケルト十字

ケルトの国、アイルランドへ行ってきました。朝晩は10℃前後、昼は18℃前後で猛暑の日本より15℃以上も低くとても涼しかったです。

この国はオーストリアと同じく、北海道とほぼ同じ面積で、人口は400万人である。首都ダブリンに約3割の115万人住んでいる。街や観光地以外の牧草地などで見かけた人がたった一人であった。
歴史を読むと、ケルト人にヴァイキングやノルマン人が同化し、英王ヘンリー8世以来英国の支配を受けたりしたが、1949年にやっとアイルランド共和国が誕生した。
EUに入ってから1990年代に「ケルティック タイガー」と呼ばれるバブル的経済成長で、現在EUではドイツに継ぐ高給取りの国になって、ポーランドなどからの移民が急増している。
1845年からの大飢饉によって、餓死も100万人を越え、この時アメリカなどへ移住した。現在アメリカに4000万人、オーストラリア、ニュージーランドなど合わせて全世界にアイルランド系が国の400万人に対して7000万人もいるそうだ。ケネディ家が有名である。

現在カトリックが94%を占めている。有名なケルト十字は、普通の十字架に円形(古来の太陽信仰と本来のキリスト教にない輪廻の思想を表わす)を組み合わせたもの。特にアイルランドでは「ハイクロス」と呼ばれる高さ2~2.5mの石造のケルト十字がたくさん残っている。ハイクロスにはケルト独特の渦巻き文様や聖書の物語が彫刻されている。

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これらの画像はクロンマクノイズなどのケルト十字架ハイクロスです

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もう1つのアイルランドのキリスト教の特徴が修道院の発展で150を越えていたが、殆ど廃墟となってあちこちで見られる。

左は島の廃墟の教会

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ロック・オブ・キャッシェルの礼拝堂や大聖堂の廃墟

特筆すべきが、1000年以上の昔、修道院の修道士たちの学術活動が盛んだったことで、ヨーロッパ世界でトップクラス。その遺産がダブリンのトリニティー・カレッジ図書館に残る『ケルズの書』で、素晴らしく豪華な装飾本であった。

兎に角、アイルランドの西半分は石、石、石、日本の木の文化に対する石の世界なのであった。

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