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2009年1月27日 (火)

山本淳子著『源氏物語の時代』

先週の金曜日に買ってきた『数独 初級編』にちょっとはまってしまいました。初級なのに時間がかかること、何も手に付かず困ったものです。中級や上級にはとてもいかれそうにありません。

Photo この年賀状はご一緒している太極拳の友人のご親戚の方が作ったものです。(クリックすると大きくなります)
全部自宅で咲かせた花を押し花にして貼っています。バスケットは枯れ葉です。Photo_2 1枚の葉書になるまでの作業を想像すると、最初は種まきから始めて、摘み取って、押し花にし、レイアウトして貼るという手間がかかっていることが伺えて見入ってしまいます。

右は知人が枯れ葉や花などで景色を描いたものですが、これも同じような感想を持ちました。

山本淳子著『源氏物語の時代』(一条天皇と后たちのものがたり)

千年前の平安朝
藤原兼家(道綱の母の夫でもある)の長男道隆の系譜と末っ子道長の系譜の権力争い、皇位継承の熾烈な争いと世界が書かれている。

先に道隆の娘の定子が一条の后に、道長も娘の彰子を一条の后にした。
しかし定子の兄弟が失策をおかして、定子は不幸のどん底に突き落とされたが一条はどこまでもこの定子を愛した。出家してしまった定子に子供3人生ませて最後のお産で定子は亡くなる。
その後の后彰子にも男子が2人生まれ、定子の男子は天皇になれず、彰子の男子二人が天皇に。一条は苦悩のうちに亡くなる。
道長は3人の天皇に自分の娘を后として入内させ、外戚として権力をふるい
「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしと思えば」
と歌ったのでした。

后・定子に仕えたのが清少納言
后・彰子に仕えたのが紫式部だった。
清少納言は漢文の好きだった定子に気に入られて、定子がどんな境遇に陥ってもずっと付き添っていたようである。
紫式部は清少納言よりずっと漢籍、和歌など教養が高かったので、漢文を知らない彰子に陰ながらずっと講義を続けた。

この二人がともに引きこもって(休職)いた時があったのだ。
清少納言は女房勤めが大好きだったのに、同僚たちのいじめにあったのが原因だったようである。
一方紫式部は勤め始めた時、すでに源氏物語の作者として名が知られていたので、同僚たちから避けられ、無視されてかなり長い間引きこもってしまった。あるきっかけから出仕するようになり彰子から絶大な信頼を得るようになったわけである。

源氏物語と一条朝の世界にいざなってくれる1冊です。

神田小川町の喫茶店ではカウンターに座ると、目の前に300種位あるコーヒーカップの中から自分の好きなのに入れてもらえます。
店名が「古瀬戸」と言うだけあって、花瓶など素晴らしい瀬戸物がたくさん飾ってあって、渋く大人の雰囲気で、お客さんもそのような方たちがくつろいでいました。

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1/30~2/10  までニュージーランドに出かけますので2月半ばまでお休みいたします。

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2009年1月24日 (土)

鹿野山

1月は千葉県・鹿野山(かのうざん)のハイキングでした。厳冬期はいつも暖かい房総です。
車でマザー牧場に着くと、そこに鹿野山があります。春日峰352m、熊野峰370m、白鳥峰379mからなっています。
マザー牧場は入場料1000円だそうで、花も今はないので、入らず、すぐ山に向いました。といっても高低差がないので山登りではなくもの足りません。

↓マザー牧場             ↓甘酸っぱいフユイチゴを食べました
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春日峰を通過して熊野峰の神野寺(じんやじ)へ。
聖徳太子ゆかりの古刹。左甚五郎の白蛇や、宝物殿には運慶作の仁王面がある(撮影禁止)。

↓客殿表門                ↓本殿

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↓天狗の面に大きな高下駄・ここでは健脚と長寿を祈る
↓2m以上ありそうな大草鞋が客殿表門に  

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↓サルノコシカケ 丁度猿が腰をかける椅子のように見えたことから付いた名前のキノコ        
↓鹿野山の杉林

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終点の白鳥峰のあたりに、九十九谷(くじゅうくたに)展望台がある。300mの房総丘陵の谷と尾根がいく重にも重なり、雲海が谷を埋め尽くすことが多く、日本画を眺めているような景色で、大町桂月が絶景と言って愛した風景だそうだ。曇っていて視界が悪かったです。
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2009年1月20日 (火)

小さいお子さんやお孫さんに

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俵万智著『かーかん、はあい! 子どもと本と私』

これから子どもを育てる人、孫と一緒に暮らしている人の必読本かもしれません。
時間は戻らないけれど、こんなお母さんだったら、娘はもっと素敵な幼児期が過ごせたんではないかと、今更何を言っても遅いけれど、こう思わせる本です。
こどもの成長に合わせて絵本を紹介しています。

子どもが示した興味に適応した本が素早く出される。
子どもは本から意外なものを読み取っていることの発見。
本から子どもの眠っている能力を引き出す。そしてその心に種も蒔く。
親を観察する子どもを新たに発見。
1冊1冊が子どもの栄養になっていく。知識が広がっていく。
子どもは本によっても心が成長していく。活躍する大人になってからの原点でもあり、小さい頃、この部分が欠けることが恐ろしくもあるような気がしてきます。

『サラダ記念日』で感動した著者ですが、子どもに恵まれて慈しむ句をこの本でも載せています。

Photo_2 ←車のフロントガラスに光が反射して見にくいですが、運転席と助手席にシャツが座席カバーとして着せてありました。面白い趣味です。人と思ったら首がなかった。

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2009年1月17日 (土)

トイレ博物館

トイレについてで大変尾籠な話ですみません。

立川にあるTOTOの「トイレ博物館」に行ってみました。
トイレに関しては、ローマ時代のポンペイ遺跡の水洗トイレとか、ヴェルサイユ宮殿にはトイレがなかったとか、その頃パリでは2階以上の人は汚物を窓から道路に投げ捨てたなどを知って驚いたものでした。
平安時代の貴族はおまるを使っていたそうで、それが展示されているとのことで興味津々でした。

まず社員が旅行先で買ってきたトイレットペーパーです。黒いのがポルトガル製。
日本のはTOTO製でいろいろな川柳が書いてある。「トイレ借り 居間とのギャップ びっくりし」

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世界のおもしろトイレマーク 何処の国だか男女の下着で表わしているのがおかしい。
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武田信玄が戦略を練った「御閑所」は京間の6畳の部屋(ミニチュア)で香炉に沈香をたきしめ、風呂の残し湯を流した一種の水洗トイレだった。
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↓㊧弥生時代の川屋 河川の流水に渡した便所川屋と呼ばれ厠の元になった。川下の人は非衛生極まりなかった
↓㊨平安時代の「樋箱」 お姫様が着物の裾をT字型の棒にかけた

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↓㊧水戸光圀の「のし」の形をした便器。中に杉の葉を敷き詰め、その香りでにおいを消した。放尿音は吸い込まれ、まわりに飛び散らないよう特長を有していた
↓㊨明治時代の非水洗和風大便器(有田焼)
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→国技館の力士用はさすが大きい 

↓お土産に戴いたトイレットペーパーには「大気汚染」「地球温暖化」「ごみ問題」「森林破壊」「水質汚染」について詳しい説明が繰り返し印刷されていました。

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「トイレの歴史」についてのパネルです。興味ありましたらクリックしてみてください。

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階段の壁には川柳が貼ってありました。
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2009年1月14日 (水)

十善戒

高尾山薬王院への道に「十善戒」の書かれた看板が立っています。
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1.不殺生 ・・・・・・   あらゆる生命を尊重しよう
2.不偸盗(ふちゅうとう)他人のものを尊重しよう
3. 不邪婬(ふじゃいん) お互いを尊敬しあおう
4.不妄語 ・・・・・・    正直に話そう
5.不綺語 ・・・・・・    よく考えて話をしよう
6.不悪口 ・・・・・・      優しいことばを使おう
7.不両舌 ・・・・・・      思いやりのあることばを話そう
8.不慳貪(ふけんどん) 惜しみなく施しをしよう
9.不瞋恚(ふしんに)  にこやかに暮らそう
10.不邪見 ・・・・・・     正しく判断しよう

薬王院・真言宗智山派の教えです。
特に7.不両舌や8.不慳貪などが欠けているtonaです。

見習い隠居さんには次の3つの「見る」を教えていただきました。
 長い目で見る
 本質的に見る
 いろんな角度から多面的に見る

年頭の決意をしなくなって久しいのですが、今年に入ってから名言に出会ったので、折りに触れて反復したい気持ちです。

太極拳の新年会では一人ひとりの挨拶で、今年のホラを吹くように言われました。
でもホラらしきものを吹いた人はトップバッターだけ。何でも恋人をたくさん作りたいとか。
四国巡礼や坂東巡礼に出て歩いている人が2人、鳥を昨年は60種類も撮った人、年頭に毛筆で目標を何枚も書く人、シャンソンや民謡やカラオケでの勉強する人、80過ぎてもピアノおさらい会に出て演奏する人、水墨画や油絵などの個展を開く人、300名山踏破した人、俳句や和歌が上手な人と35人のメンバーは大活躍なのに、何も特技のないtonaでした。

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2009年1月12日 (月)

桃源郷のブータン

「世界不思議発見」でブータンをやっていたのですが、今時、びっくり仰天の国です。
4代に渡る王様の統治が素晴らしい。
独自の文化を守ろうとする政治は、例えば国民に民族衣装着用強制する。
前国王が提唱した国民総生産に変わる国民総幸福量という概念を打ち出したことが凄い。

豊富な水で発電した電気をインドに売って、教育費と医療費をタダにしたのだ。
学校では小さな子ども達も自国語の他に英語ペラペラ。勿論テレビもあるし、家族全員携帯を持っている。
国民はインタビューで、皆幸せと答えている。国王が通るとき6時間も前から道路に並んで待つという熱狂振りで、国王を深く敬愛しているのです。
思わず、わが国の首相を思い浮かべてため息が出たのでした。

見渡せば、ヒマラヤの山々が目の前に迫り、容易に周囲からこの国へは入れない。九州と同じくらいの面積にたった66万人しかいない。稲の収穫も機械化されていず、食べるものも自給自足のような生活に携帯がそぐわないけれども、国民の幸福を目指したこの王国こそ、現代の桃源郷といえるかもしれません。

昨日はメジロ、ジョウビタキが庭に、
今朝、がやってきました。そろそろ梅便りが聞かれる頃です。

娘が「岩手銀座プラザ」で買ってきてくれた南部煎餅とじゃじゃ麺で、とても美味しい郷土の味です。

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毎年1月2日の我が家の新年会はめちゃめくちゃ料理です。

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2009年1月 8日 (木)

小学生のときの思い出す食べ物

今朝は飛行機雲日和
西北の地平線(とは言わないですが)から始まった飛行機雲が丸い空の3分の2まで伸びていたのが、20分くらいの間に東の地平線までたどり着いてしまって、西から東まで全部空を覆ってしまった長いものでした。
とてもカメラに収められない壮大な雲でした。南の空にも細長い雲が行く筋も。横田基地が近いのでずいぶんたくさん飛んでいるようです。

        西北                  その続き
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   その続き、どんどん東に流れて          東の空

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小学校昼ごはんの思い出は
給食のまずいまずい、変なにおいの脱脂粉乳。進駐軍からの頂き物だったとか。我が人生最悪の飲み物でした。残すと叱られるので無理して飲んだ辛い思い出が時々頭によぎります。当時ビニール袋もなかったので捨てられなかったし。
それに比して昭和50年代に3ヵ月ばかり機会に恵まれて味わった中学校の給食の美味しかったこと!毎日中学校にお邪魔して食べたいくらいです。

給食のない土曜日の昼ごはんは葉唐辛子の佃煮とご飯だけの粗末な食事でしたが、2週間に一度の餡子をはさんだコッペパン。パン屋さんに行って10円出すとコッペパンを半分に割って餡子を塗ってくれたのの美味しかったこと。とても楽しみでした。忘れられません。
そこでコッペパンがなくて、上に切り込みを入れたドッグパンに餡をはさんで食べてみました。あの感激からは程遠かった味でした。

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夕飯の思い出は特に思い浮かぶのが、七輪に炭をおこして焼いたサンマです。
今も手早く出来るかあやしいけれども、薪を小さく割って、紙と薪を使って炭火をおこすのが上手になりました。
もう1つの思い出が小学校4年のとき1学期間行った箱根高原学園の寮生活で出たカレーです。魚介のだしで作ったカレーでしたが、あの味をどのように再現しようとしても出来ない、もう幻の味です。

餡があまったので昨日作った「柚子の香餅」です。↑
薄力粉50g、砂糖10g、水130ml、柚子の皮摩り下ろし・小さじ1で10枚の皮を焼き、餡をはさむだけの簡単な餅。小麦粉で作るのにもちもちしています。

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2009年1月 5日 (月)

高尾山から江ノ島が

今日は午後になってすこし雲が出てきましたが、暮からお正月休みの快晴の空の澄んできれいだったこと!
中国の要人が東京の空を見て感激した話も載っていました。
お鷹の道を外国人と日本人家族が一緒に散歩していたのですが、上手な日本語を話す男性が「今日の日本の空も真っ青できれいですね。オランダの冬は殆どどんよりしていて、時々シャーと雨がね。気分も晴れないですよ。日本はいいね」と。すると「日本も日本海側は雪や雨であまりお天気にならないですよ」と日本人が答えていました。

3日に高尾山に登った時に南東方向に相模湾が見えるではありませんか。
そこに江ノ島があって灯台も見えています。驚いてしまいました。まさか東京都のはずれの600mの山から見えるとは!
地図で測ってみると約41km、同じく見えていた新宿のビル群もほぼ41kmで同じだったのです。

江ノ島から右に目を移すと茅ヶ崎の烏帽子岩らしきものも見えます。

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富士山は秋よりさらに雪がたくさん積もっています

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2009年1月 2日 (金)

オオバンを見ました

Photo明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

初詣はいつもの井の頭公園内の弁財天です。
今年は不況のためか、30mくらいの長い行列に並びました。

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池には鴨があまり見当たらず、往年の頃よりずっと少なくて10分の1もいないように思われます。
何故なのでしょう。オナガガモがキンクロハジロにとって変わられたは最近です。そして餌やり禁止が昨年あたりから徹底したのが影響したのでしょうか。

池の隅(澱む所)のあちこちにこんな竹製のイカダが置いてあります。この中に水を浄化する炭素繊維性の浄化材が取り付けてあるそうです。
この繊維に固着した微生物が水中の汚濁物を分解して浄化すると同時に、この微生物が魚や貝の餌になることから藻場が作られると立て札に書いてありました。
一頃悪臭を放っていた池も餌やり禁止と浄化によってきれいになっていくのでしょう。

       竹製イカダ                  雪吊り

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            木の根もとの岩から湧き水も流れて

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オオバン(大鷭・ツル目クイナ科)が1羽いました!全身が黒いのに額の白い部分がとても目立ちます。この池で見るのは初めてです。「こんにちは」と言っているうちにヨシの方へ消えてしまいました。
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Photo_9 →キンクロハジロ(ガンカモ目・ガンカモ科)

↓こちらは「アカハジロ」でしょうか?キンクロハジロなどの群に混ざって行動をともにすることが多いそうだ。
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サンシュユ(ミズキ科)の実がまだ食べられずにびっしり生っていました。まもなく黄色の花をつけようとしているのに。赤い実は漢方薬に用いられるそうだ。

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