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2009年1月 8日 (木)

小学生のときの思い出す食べ物

今朝は飛行機雲日和
西北の地平線(とは言わないですが)から始まった飛行機雲が丸い空の3分の2まで伸びていたのが、20分くらいの間に東の地平線までたどり着いてしまって、西から東まで全部空を覆ってしまった長いものでした。
とてもカメラに収められない壮大な雲でした。南の空にも細長い雲が行く筋も。横田基地が近いのでずいぶんたくさん飛んでいるようです。

        西北                  その続き
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   その続き、どんどん東に流れて          東の空

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小学校昼ごはんの思い出は
給食のまずいまずい、変なにおいの脱脂粉乳。進駐軍からの頂き物だったとか。我が人生最悪の飲み物でした。残すと叱られるので無理して飲んだ辛い思い出が時々頭によぎります。当時ビニール袋もなかったので捨てられなかったし。
それに比して昭和50年代に3ヵ月ばかり機会に恵まれて味わった中学校の給食の美味しかったこと!毎日中学校にお邪魔して食べたいくらいです。

給食のない土曜日の昼ごはんは葉唐辛子の佃煮とご飯だけの粗末な食事でしたが、2週間に一度の餡子をはさんだコッペパン。パン屋さんに行って10円出すとコッペパンを半分に割って餡子を塗ってくれたのの美味しかったこと。とても楽しみでした。忘れられません。
そこでコッペパンがなくて、上に切り込みを入れたドッグパンに餡をはさんで食べてみました。あの感激からは程遠かった味でした。

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夕飯の思い出は特に思い浮かぶのが、七輪に炭をおこして焼いたサンマです。
今も手早く出来るかあやしいけれども、薪を小さく割って、紙と薪を使って炭火をおこすのが上手になりました。
もう1つの思い出が小学校4年のとき1学期間行った箱根高原学園の寮生活で出たカレーです。魚介のだしで作ったカレーでしたが、あの味をどのように再現しようとしても出来ない、もう幻の味です。

餡があまったので昨日作った「柚子の香餅」です。↑
薄力粉50g、砂糖10g、水130ml、柚子の皮摩り下ろし・小さじ1で10枚の皮を焼き、餡をはさむだけの簡単な餅。小麦粉で作るのにもちもちしています。

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コメント

食べ物は、
思い出そのもの、
その時代を生き生きと写し出します。

僕の場合は、
コロッケパン、カレーパンなどでしょうか。

小六のとき、
友達の家で
ツナのサンドウィッチをいただいたのを
今でも忘れられません。

ハムやソーセージは、
中学になってからです・・・。

投稿: YUKI-arch | 2009年1月 8日 (木) 15:24

記憶力いいですね。
確かな食料の記憶はありません。
終戦後食料事情極めて悪く、母が
着物持参。米との物々交換して支
えてくれたことだけは、良く覚え
ています。
戦争に負けた痛手だけは大きいも
のがありました。

投稿: 老春 | 2009年1月 8日 (木) 15:56

見事な飛行機雲ですね。あんなにくっきり見れるのは、やはり晴天ならばこそですか。

tonaさんも食べ物にまつわる思い出がいろいろあるようですね。戦中から戦後、日本人の食生活もずいぶん変わりました。亡くなった母が、テレビは「ご馳走を食べてみせる番組ばかりだ」と嘆いて?いたのを思い出します。

投稿: 茂彦 | 2009年1月 8日 (木) 19:09

脱脂粉乳は、新任当時の味の思い出です。
小学校時代は1番食料のない時代でした。
サツマイモの代用食が主食のときもありました。
老春さんと同じように、母の着物が私たち姉弟を育ててくれたようなものでした。

そして飛行機雲は、B29の恐ろしいイメージが、なかなか頭から抜けませんでした。
あんなに綺麗な雲ですのにね。

投稿: anikobe | 2009年1月 8日 (木) 19:09

★YUKI-archさま

戦後の終わり近くまでが小学生でしたので、まだ餡はさみパンでしたが、YUKI-archさんはコロッケパンやカレーパンなのですね。
ツナサンドイッチパンなんてもうハイカラです。
ずっと魚肉ソーセージでした。いつからハムソーセージを味わったか覚えがありません。
それぞれの食べ物の思い出を伺って楽しいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月 8日 (木) 19:41

★老春さま

私も疎開先で母が自分の着物を随分たくさん農家で食物と交換していました。
その頃の食べ物で覚えているのが、イナゴと手作りのサツマイモ飴です。
あの頃の親の苦労を思いますと、今の私は親として全然苦労をしていません。
とてもラッキーな時代に生まれ合わせたことを感謝しています。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月 8日 (木) 19:48

★茂彦さま

今朝、多分茂彦さんの方の空にもあったと思います。
空全部を覆うなんて驚いてしまいました。
上空がかなり冷えていたのでしょうか。

茂彦さんもいろいろお里の食べ物の思い出があるでしょうね。
あの頃のことを考えますと、今の食生活の激変、食べ物の頂点を極めた感じですね。
お母様が嘆かれたように、今は確かに食べる番組が多くてNHKでさえも多すぎる感じがします。ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月 8日 (木) 19:57

★anikobeさま

初めて先生になられたときが脱脂粉乳だったとは。先生も生徒も一緒に味わった思い出なのですね。
食べ盛りになる小学校時に食べ物がないことは、随分辛いことですね。
そこを色々苦労して食べ物を調達してくださったお母様とその着物の思い出は胸がふさがるような感じです。

B29の話は聞いているだけで、私の記憶にはないのです。怖かったでしょうね。
飛行機雲を能天気に眺めている私と違って、トラウマになっていらっしゃる方の存在を知った思いです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月 8日 (木) 20:06

脱脂粉乳だのスキムミルクだの(同じだったっけ)は当然ですがあの頃美味しいと思ったものも今の感覚ではなかなか評価できないかもしれませんね。
野菜は間違いなくもっとうまかったと思いますが。

投稿: saheizi-inokori | 2009年1月 9日 (金) 09:01

tonaさん、こんにちは。
ぼちぼちといった感じになりますが、またコメントを残させてくださいね。
今年も宜しくお願いします。

豊かになるほどありがたみが薄くなり、感動がなくなりますよね。
便利になるのは良いけれど、口に入るまでの工程を楽しめず、早く早くとか、ワクワクと言った感覚を味わえない。
その味わえない時点で美味しさは半減してるような気がします。

飛行機雲や虹を見ると何だか得したような気持ちになる私です。

投稿: ちょびママ | 2009年1月 9日 (金) 10:49


うわ、すごく長い飛行機雲だったのですね。
そんなに長いのはいまだお目にかかったことがありません。
できやすい、残りやすい飛行機雲日和というのがあるのでしょうね、本当に。

tonaさん、小学校の頃の食べ物について、よく覚えていらっしゃて
感心しました。私も給食で感動したり好きだったものはありますが、
何年生のときだったかもうすっかり忘れています。

脱脂粉乳は私も飲んだことがあるのですよ~
味わったほとんど最後辺りの世代かも…
そんなに不味くて不味くてということはありませんでしたから、
だいぶ改良もされていたのでしょうね。
小学校の低学年?頃、ときおり主食にクラッカーがザラザラと
出たのは本当に苦手でした。中学生になるまで完食できなかった私にとって、
乾ききったお菓子としか思えないクラッカーは、何でこれがご飯?と
いう疑問ばかりの食べ物でしたよ~
反対に、ご飯(炊き込み)が導入されたときは美味しく嬉しかったです。

ドッグパンに餡を挟んだもの、昔味わわれた感動とは遠かったですか?
そんなものかもしれませんね。味は今のものの方が格段に良くなって
いても、感動の大きさというのは比べられなかったりします。
お手製の柚子の香餅、おいしそうですね!文を拝見していて
口の中にじわっとあふれてくるものがありました(^^)

投稿: ポージィ | 2009年1月 9日 (金) 11:41

★saheizi-inokoriさま

そうですね。コッペアンパンなんかがそうです。食材は変わっていないのに、美味しいものを戴きすぎて感動がなかったのだと思います。
あの頃の野菜、特にきゅうりやトマトが凄く美味しかったですね。
ご飯も今のコシヒカリより美味しく感じました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月 9日 (金) 16:48

★ちょびママさま

お疲れ様でした。ちょびちゃんも元気でしょうか。
こちらこそ今年もよろしくお願いいたします。

本当にそうですね。
収穫の喜びは勿論、加工食品は全く作る過程も知らず、味わっていることになりますね。
精々、ちゃんとした材料で台所で作ること、この喜びだけが残されてはいますが、味の期待はそれほどでもなく、空ききったお腹に待ち遠しかった頃とは比較にならないかもしれません。
便利になって、感動を失っていくのは淋しいことです。でもまだ今の生活も捨てたものではありませんから、原点に返ってありがたくいただきたいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月 9日 (金) 16:58

★ポージィさま

やや北よりですが空全部に雲が渡っていました。こんなのは初めてで感心してしまいました。

あらまあ、ポージィさんのときも脱脂粉乳が出たのですか。少しは飲めるものでよかったですね。あんなに飢えていた時代にまずかったのですから、凄い飲み物でした。
クラッカーが主食の日があったのですか。品質の悪い小麦粉だけのものだったのでしょうね。炊き込みご飯は美味しそうですね。
ドッグ餡はさみパンは、パンも餡も変わらないか、今のほうが美味しいのでしょうが、あまりにもっと美味しいものをいっぱい食べているので、あのときの感動がもう蘇らないのですね。
無農薬の柚子をたくさん戴いたので、この柚子の香餅に使ったのですが、名前通り柚子の香りが広がって上品な感じの和菓子でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月 9日 (金) 17:11

脱脂粉乳,このために私は長い間牛乳が飲めませんでした。
アメリカザリガニが子供のおやつでした。水田に農薬が使われるようになって,ザリガニを食べるの禁止になったのは小学校4年だったかな。

投稿: gaki | 2009年1月 9日 (金) 17:53

★gagiさま

そうだったのですか!
私も牛乳はどちらかといえば、飲みたくないです。今は不足するカルシウムを補うということで、カルシウム強化牛乳を半強制的に飲んでいますが、気休めです。
そういえば、男の子がザリガニを小川で捕まえていましたね。食べた記憶はありません。
農薬使用で禁止になったということを初めて知りました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月 9日 (金) 19:41

懐かしいですね~ 小学校時代の給食。
アルミの食器に脱脂粉乳、コッペパンに四角いマーガリン。
焼きソバとか…今のように米飯給食なんてなかったですよね。
たまぁ~~にラーメンとかありましたが
ソフト麺でスープに入れたって美味しくとも何ともなかったです。
でも やっぱり給食は、今にして思えば美味しかったような記憶が…。
思い出すのは担任の先生が、みんなが脱脂粉乳を残すもんで
こうやってパンに浸して食べると美味いぞ~って食べてました。

柚子の香餅、美味しそうですね。
私にも出来そうなので作って見たいと思います^^

投稿: pochiko | 2009年1月 9日 (金) 22:34

tonaさん、おはようございます(^-^)
給食の思い出…余り残っていないです(^^;
「アルミ」の食器が味気なくて(>_<)脱脂粉乳も残していたのかなぁ…(・・?)
早い時期に牛乳に変わったような??記憶は曖昧です(^^;

「クジラの琥珀揚げ」は残っていますね~♪割と好きだった(*^m^*)
嫌いな味は残らない(・・?)…良い性格でしょ(^O^)…(^^;

今娘に時間がある時、食事作りを手伝って貰いながらお料理を教えています~♪
味を伝える以前の問題で(^O^)切り方からの指導です(^^;
小さい頃から手伝わせていたのですけどね(^^;身についていない(;-_-) =3
まぁ、やる気を起こしてくれていますので~♪今がチャンス!なのかなぁ…と(^O^)
そろそろ独立の時期なのでしょう~♪(^-^)V
任せられる頃には出て行ったりしてねΣ(゚∀゚*)…それも良いです!(^O^)

投稿: orangepeko | 2009年1月10日 (土) 07:41

★pochikoさま

そうそう、アルミの食器でしたね。アルミは剥げたり、ぼこぼこだったりでした。
今は米飯給食、炊き込み飯やいなり寿司など美味しそうですね。
焼きそばやラーメンなどもあったのですか。美味しくなかったそうで...
pochikoさんの担任の先生、脱脂粉乳をパンに浸して食べることを教えてくださったのですね。お腹に入れば同じことですが、兎に角あのミルクには苦労しましたね。

柚子の香餅は、種をテフロンのフライパンで大匙1杯入れてなるべく焦がさないように、しかも楕円形に広げて、両面を焼いてください。本当は白餡の方がよりよいです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月10日 (土) 08:51

★orangepekoさま、おはようございます。

まあ、本当に羨ましいわ。
嫌いな味を記憶からばっさり取り去れる技をお持ちで、どれだけ人生得をされているでしょう。
同じく嫌なこと、お付き合いや車内などの失礼な人、辛かったことなどどんどん忘れて、ひたすら前向きにいけたらいいですね。
今年の目標にしたいです。

クジラ、懐かしいです。あの頃よく食べました。あの味覚えています。
先日渋谷にある「クジラ屋」で食べてみました。

お嬢さんへのお料理特訓、これは母が子に伝えるものの中で、これから先、最も感謝されることですよ。代々の味が伝わるとともに、独立後のお嬢さんがより頼もしくなられる要因ですから。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年1月10日 (土) 09:07

小学生の頃の思い出の食べ物ってなんだろう。
給食なんてない時代だし、弁当持参の時代。
弁当ご飯の真ん中には、いつも梅干が鎮座まします日の丸弁当だった。
アルミの弁当箱は、梅干の塩分で蓋の真ん中ありがが少し腐蝕してきてた。
今も好きだが、鳥が好きで、お袋は良く鳥料理のおかずを入れてくれてた。

パンなんてあまり食べた記憶はない。
黒砂糖の入った蒸しパンなるものをお袋が良く作ってくれてた。

カラカラに干したウルメイワシの干物を焼き、蒸かしカライモ(サツマイモ)といしょに食べると、これまた適当な塩分があっておいしかった。おやつ代わりだった。
カライモで作った芋飴もおいしかった。
何時までも心に残るもう一つのお袋の味かな。

投稿: 夢閑人(ricky) | 2009年1月12日 (月) 13:38

★夢閑人(richiy)さま

こちらにもありがとうございました。
夢閑人さんの頃は私と少し違って、給食がなかったのですね。
私も最初弁当でしたが日の丸弁当や沢庵弁当を良く覚えています。
アルミのお弁当箱の腐食も懐かしい思い出です。
あちらは黒砂糖があったのですね。
蒸しパンも食べましたよ。あの重曹の味が美味しかったです。
今も時々食べたくなるもので、レシピはしっかりとってあります。

サツマイモをお米の代わりによく食べました。飽きるほどに。いまはそのサツマイモも1本の値段の高いこと!毎日は食べられません。
サツマイモ飴は母が作ってくれたおやつでしたが、どうやって作ったのでしょう。
あの頃の食べ物というと、母親を思い出すのは、ない時代に一所懸命工夫して作ってくれたことと重なるのでしょう。

投稿: tona | 2009年1月12日 (月) 17:01

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