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2009年3月31日 (火)

『十六夜日記』の著者・阿佛尼 

近所にキブシを見つけました。かなり長い間咲き続けています。

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↓テッセンの1種アーマンディー  ↓園芸種の小さいテッセン 近くの家のです

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『十六夜日記』 阿佛尼著 玉井幸助校訂

ネットの友人が紹介してくださったのを読んでみました。
京から鎌倉へ下るに至った事情や、実際の旅を歌で綴り、到着してから京都の知人との贈答の和歌を綴った日記で、下った目的やそうさせた彼女の性格がとても興味深い。
道中の景色より、離れた都を偲んでいる歌が印象的で、とてもいい歌です。

阿佛尼は父が伝わっていない子供3人を生み、その後、俊成・定家・為家と続いた歌学の伝統ある家の、為家の後妻(同棲)になって2児為相、為守を生んだ人である。
その子供為相が冷泉家の祖となった人である。夫為家はすでに70歳くらいだった。
阿佛尼は為家の正妻の子、為氏と対抗して、老夫為家を操って自家の名声を挙げることに腐心した、と為氏の弟が伝えている。
為家が亡くなると、13歳と11歳を抱えて寡婦となった阿佛尼は歌の家を為相に伝えたいと焦慮した。
一方経済的なことから、播磨の国細川の荘は、為家が生前に我が子為相に与えると遺言したとして為氏の押領を朝廷に訴えた。しかし解決がつかず、鎌倉の裁きを受けようとして弘安2年(1279)に鎌倉に下った。しかし鎌倉においても解決はつかなくて、滞在中に没したと鎌倉英勝寺に阿佛卵塔と称する墓があるが、実際は京都に帰って亡くなった。

玉井幸助氏の解説によれば
彼女は頗る頭のよい学者的な人であり、自信の強い人であり、名誉心の強い人であり、見識ぶった人であった事が知られる。冷静な理知と強い感情と執拗な意地とを併せ備えたしっかりものであったように思われる。母として子女の教育を托するに足るしっかりした婦人であったと。

平安朝の女流歌人とは違った、強いとも言える鎌倉時代のこの女性の生き方が伝わってきて解説が面白い本でした。
それにしてもあんな昔、東海道を旅する費用、鎌倉に滞在する費用、正式結婚をしないで出来た5人の子供を育てる費用の捻出にはどのようなからくりがあったのでしょうか。現代から考えるとどうも想像も及びません。
クリントンやサッチャーのような強い女性は今なればこそ出現というのは偏った考えで、古今東西、政治に口を挟んだ女性も数知れず、室町・鎌倉にも日野富子や北条正子がいました。
阿佛尼のような女性がいても不思議ではなく、こんな形で私の前に現われたことがとても得した気分でした。

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2009年3月28日 (土)

富士塚

Photo_15  『ご近所 富士山の「謎」』(富士塚御利益散策ガイド) 

著者は11年前より富士塚めぐりを開始し、独自に調査・研究を続けている人です。
富士塚は富士山を信仰する人々が造った山で、東京23区に50個、関東全域では富士山を望める土地に集中して300も存在するそうです。

本によれば、富士山は古来より、憧れと畏敬、そして招福の願いをもって眺められ、人は富士山の霊力をどうにかして得たいと考えた。でも富士山登山は普通の人にはできない。そこで一般庶民が造ってしまったのが富士塚です。富士講とも関連するものが多い。
徳川家康は江戸の町をつくった時、富士山のパワーを引き込む目的で、富士山と江戸城を結ぶ線を軸にして通りをつくり、町を形成していったという。
Photo_18 2か所に行ってみました。

<渋谷区千駄ヶ谷富士> 鳩森八幡神社にあり、都内で現存するもので最も古い。

↓地面を掘った土で富士山を造り、掘った穴は池にした富士塚の1つで、池は枯れていました。

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 富士塚には4つのアイテムがある。
 ①頂上に奥宮がある
 ②中腹(5合目)の右側には小御嶽神社。祠または石碑で。
 ③7合5勺に左側に烏帽子岩をつける。烏帽子岩の文字の石碑、又は烏帽子の形をした岩。もう1つは食行身禄の像。
 ④山裾、右側に胎内として洞窟をつくる。
 

↓頂上の奥宮              ↓食行身禄像(洞窟内) ③に相当

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②にあたる小御嶽

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<文京区音羽富士> ↓護国寺にある。富士塚の多くは神社にあるが、ここは珍しくお寺の中にあります。

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↓夥しい石碑群 ↓富士塚は山の表面を富士山から運んだ溶岩(ボク石)で覆う
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  ↓山裾の胎内(木花咲耶姫) ④に相当          ↓奥宮
 富士山の祭神は「浅間大神」と「木花咲耶姫」
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2009年3月27日 (金)

巨樹探訪

↓日比谷公園の「首かけイチョウ」樹齢300年、高さ20m、幹周り6.44m 大きくて全体像が写せなかった。

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1903年、本多静六博士の設計によって開設された日比谷公園に巨樹探訪に出ている、「首かけイチョウ」があります。
もともとは現在の日比谷交差点脇にあったが、道路拡張で伐採されようとしていたのを本多博士が進言して移植したもの。当時不可能とされていた移植だが、博士が「首をかけても移植させる」といって実行したことからこう呼ばれているそうです。
命がけで移植されたイチョウ、助けられたイチョウ、いつまでも元気で!
↓日比谷公園の噴水        ↓昭和13年にローマから送られたルーパロマーナ

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ムクノキに向かう途中、源覚寺「こんにゃくえんま」に寄って目がよくなりますようにと祈りました。

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↓文京区・善光寺坂の「ムクノキ」樹齢300年、高さ20m、幹周り8m

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道路拡張のため何度も伐採されそうになったが、その度に関係者に次々と不幸が起こり、結局道幅を広げることで残されたそうで、道路の真ん中に立っています。
樹肌は穴があき、ぼこぼこで満身創痍という感じでとても痛々しい。これからも頑張って生きて欲しい。

↓坂の由来の善光寺        ↓すぐ近くに徳川家菩提寺の伝通院がある

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2009年3月22日 (日)

過剰広告

↓こんな可愛い立て看板ならいいけれど

Photo 天草下島の五和町には「屋外広告物禁止地域」の標識が立っていて、全然このあたりには広告物が見当たらないと椎名誠が『大漁旗ぶるぶる乱風編』に書いています。

●道路沿いのやたらと広告が並んでいる。
●建物を利用した看板広告
●野立ての看板広告(立て看板)
●旗指し物風の広告
●家の壁などに打ち付けてある小さな金物で作られた広告などなど。
欧米のいろんな国と比べると、無統制、無規制に近い状態類が乱立している。
それらの集積が町や田舎に風景をものすごく汚いものに見せている。

日本の街並みもそうです。全国各地の家並みがそれぞれの地域の特徴で統一されていたら・・・
電線が全部地中に潜っていたら・・・
どれもこれも絶望的だけれども、せめて広告だけは五和町のようになっていかないものでしょうか。
安倍元総理の美しい日本の国造りは殆ど実績がないまま沈没してしまいました。

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JR相模線の寒川駅の改札入った所の椅子8脚にはふかふかの座布団が置かれていました。
トイレには暖簾がかけられて、時々変えられています。駅長さんの心入れでしょうか。温かみを感じました。
この駅から墓所までは25分、ハボタンや菜の花畑はあるものの、とてもきれいとは言えない道筋です。東京より近い富士山の眺望も鉄塔が邪魔をしていました。

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茅ヶ崎の親戚にはこの頃タヌキが庭に出没して怖いそうです。お正月の大学駅伝のコースの海岸道路には、最近鹿が出るので、注意の看板が立っているそうです。

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2009年3月19日 (木)

関裕二著 『藤原氏の正体』

『藤原氏の正体』関裕二著

藤原氏の祖・中臣鎌足は『日本書紀』に突然登場するが、またぱったりと姿をくらまし、その出自がはっきりしないというのです。
結論から言えば、関裕二は鎌足は「百済王の豊璋」だというのです。これには驚きました。この本を読むとその証拠が書かれています。

その子の藤原不比等の大宝律令の製作・施行によって藤原千年の基礎が築かれたわけです。
不比等の娘二人は文武天皇、聖武天皇の后に、息子4人(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が四家を築き、それも滅ぼされた長屋王の祟りでことごとく亡くなる。長兄・武智麻呂の子の仲麻呂(恵美押勝)が藤原氏でもっとも暴虐で、多くを死に追いやったのです。
藤原時平に讒訴された菅原道真の祟りは都にさまざまな異変を起こしたことは、歴史上有名で私たちの知るところです。

2番目の房前の末裔の道長、その末裔の藤原北家が5つに別れ(近衛、九条、二条、一条、鷹司)、明治にいたるまで、代々摂政と関白を輩出する一族として、貴族社会の頂点に君臨してきたのです。
特に近衛家の閨閥は旧華族を中心に繰り広げられ、華麗なる一族を形成したのです。

特に有名なのが、昭和天皇の前で足を組んだという近衛文麿
文中より・・・戦時中、陸軍の暴走をおさえようと東条英機暗殺計画を練り、これを「大化の改新」になぞらえ、悦にいっていたという・・・
     
藤原氏の「権威・権力」は天皇に女を入れ、皇后とすることによって保たれ、天皇の血は藤原で塗りつぶされてきた。天皇に藤原の命令を言わせて政敵を倒してきた。藤原氏の意に背く天皇は強引に退位せられ、多くの皇族が殺害された。明治、大正、昭和天皇の皇后も藤原氏の女人ないし、血を引いているとのこと。

現在もその子孫の方もおられるわけで、祖先の勉強もされていると思います。私の友人にそんな方たちの学友がいます。
恐らくわが祖先は田畑にはいつくばっていた平民だと思われますが、こんな話を普通の人として読めることの幸せを噛みしめた本でした。

一株のカタクリが五株に増えました           よそのバイモユリ

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2009年3月16日 (月)

ローデシアン・リッジバック

Photo_2 昨日は上天気で、北高尾縦走で途中休憩しながら8時間半歩きました。隣の高尾山はきっと渋滞していたでしょうに、ここは人もまばらです。

八王子城跡のある城山から堂所山まで8kmなのに、32回も天辺を極める上り下りの忙しい山道でした。同行10名の最年少とはいえ、鍛え方が足らなくて、いささか足が疲れました。
八王子城跡は戦国時代末期に北条氏照によって築かれた山城。
少し登ると八王子神社があります。913年に華厳菩薩妙行が山頂で修行中に、牛頭天王と8人の王子が現れた因縁で祀られた神社。

神社で「ローデシアン・リッジバック」の親子に出会いました。
母親が30kgくらいなのに、息子は40kgでとても大きく成長しています。利巧そうで、毛並みもつやつや、凛々しい立ち姿に引き寄せられてしまいました。写真がうまく撮れてないため、小さく見えますが大型犬です。
原産国はアフリカ南部で、19世紀後半にライオン狩りの猟犬として活躍したそうです。
犬図鑑によれば、ローデシア(現ジンバブエ)に持ち込まれた犬で、背骨にそってリッジ(うね状の逆毛)があるためこの名前がついたとのこと。
勇気があり、忍耐強く、命令を忠実に成し遂げようとする義務感に優れた犬とあり、見ているとなるほどそのような感じです。
日本でも数が少ないようで、こんな山の中で見られるとは!毎日ここまで登ってきているそうで、お母さんもまだ若く元気です。
↓背中のリッジが見えます

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↓手前が息子                      ↓お母さん

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富士見台ではその名のとおり、富士山がばっちりでした。高尾山からとまったく同じです。

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2009年3月12日 (木)

青梅・吉野梅郷

東京の西の青梅市にある吉野梅郷は丁度満開を迎えつつあります。
昨日曇天だったのは残念でしたが、ごった返すような人ごみの中、鑑賞してきました。
吉野梅郷とはJR青梅線日向和田駅から二俣尾駅までの多摩川南側、東西4kmに広がる地域で、約2万5千本の梅がある地域です。個人の梅園もたくさんあり、各家にも梅が植えられ、並木も梅とまったくの梅尽くしの町です。
中でも市の「梅の公園」は120品種、1500本の梅が山の斜面を利用して植えられていて、向かいの山から見ても、下からも上から見ても素晴らしいです。
今年の「おすすめの梅の名所」として日経ランキングで、約90ヶ所の中から日本一を獲得したのです。
審査員のコメントは
雨天に煙る姿も風情があり、どんな天候でも楽しめる。彩り、量感、歩きやすさ、規模、写真写りの良さなど日本一にふさわしい梅の里。

[梅の公園]

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↓白花玄海つつじ                ↓パグも一緒に鑑賞

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[公園を出てみると]
↓店の横にまで梅が               ↓ピンクネコヤナギ

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↓岩の裂け目から梅ノ木が立ち上がっている岩割梅 

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[吉川英治記念館]に立ち寄りました。
大正から昭和37年まで活躍した作家の文学は、あらゆる世代、階層に愛されました。私も『新・平家物語』や『私本太平記』の愛読者でした。
家が没落して、小学校中退後、さまざまな職業を転々として一家を支えていった吉川英治は苦学して作家となりました。
花を愛し、この青梅の地を愛した作家はここに居を構え、梅などを愛でつつ精進したのでした。
俳句や川柳だけでなく、素晴らしい書画、特に絵がなかなかでした。
↓母屋                     ↓邸内の椎の巨木は樹齢500~600年

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↓庭にはカタクリの花がもう咲いている ↓流れの中にワサビの葉が若々しい
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路傍にはハナニラ、ショカッサイ、ツルニチニチソウなどがもう咲いています。青梅はかなり寒いのに日だまりだからでしょうか。
我が家ではまだまだ先のことです。日当たりの問題です。

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2009年3月 9日 (月)

群馬・上野村を訪ねて

昨日のハイキングは群馬県・上野村でした。関越自動車道を本庄児玉ICで降りてから西西南へ山また山を越えて行きます。
上野村ってどこかで聞いたことがあると思ったら、なんと日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹山のある村でした。
最近この山への登山が禁止になりました。財団法人によって「慰霊の園」が建てられています。手を合わせてきました。
↓この日最後に寄った慰霊の園の記念碑    展示館 ↓

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まず最初に行ったのが村の入り口にある蛇木(へびき)の滝です。落差15mの半人工滝で左が自然の岸壁上を流れる部分。

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次にスカイブリッジを渡って不二洞へ

スカイブリッジは高さ90m、長さ225mの吊り橋で空中散歩をしているようです。
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この辺りは今がロウバイ、マンサク、フクジュソウの花盛りです。

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見たことない鳥がいました。(ポージィさんにシロハラと教えていただきました)

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Photo_10不二洞は大福寿山穴とも呼ばれ、1200年前は猿が住んでいたそうで、800年前に洞窟の存在が確かめられました。
洞内の鍾乳石が仏様のように見えるところから仏教にちなんだ名称が20以上もあります。閻魔の金剛杖に3つ願うとかなえられるとかで①元気でいられますように②呆けませんように③コロリと死ねますように とお願いしました。 
空穴があって、40m上に穴が開いていて、外の木や草、苔までも見えました。

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Photo_12 東京電力の地下発電所を見学しました。
ここは御巣鷹山の麓から500mの地下に、大空洞を掘削して出来たもので4号機まで作る予定とか。もう1つ大空洞を作ってそこには2機設置予定。
現在真っ赤な1号機が平成17年から運転開始。
揚水発電といって、発電所を挟む上と下の2つのダム(調整池)を利用し、昼間の電気の需要の多いときは上のダムから水を落として発電し、需要の少ない夜間に発電機を逆回転させて下部のダムから水を上部のダムへ戻してまた使うという仕組みです。
長野県側・南相木川の最上流部に南相木ダムを、群馬県・神流川(かんながわ)の最上流部に上野ダムを建設し落差653mを利用して、単機出力47万kw、将来は最大出力282万kwの発電予定だそうです。
今、日本では原子力発電に約50%頼っているようです。

上野村はこの発電所が出来たおかげで、固定資産税などの税収が増えて、財政力指数、県平均0.74に比して2007年に1.27になって県内1になったそうです。

帰路、神流川湖(ダム湖)が延々と続いていました。水の色がきれいでした。

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2009年3月 5日 (木)

南極観測隊の食べ物

西村淳著『面白南極料理人』

巡視船勤務の海上保安官だった著者は、第30次観測隊(昭和基地)と第38次南極観測隊ドーム基地越冬隊の2度の経験をしています。
その第38次でシェフとして南極の昭和基地から1000km離れた、標高3800mのでの1年間を綴った本です。
南極は北極よりも寒い。3800mは空気も薄く苦しい。平均気温が-57℃、最低-76℃を体験しています。すべてすぐ凍ってしまう世界でどのように過ごして、どんな食べ物を食べているのか興味津々でした。
なるべくゴミを出さない。けれどもやっぱり氷の世界に探検隊はたくさんのゴミを残し続けているのですね。南極のゴミの問題が世界で騒がれたときに、「しらせ」で全部持ち帰っているのかと思ったのがそうではないようです。

このたび宇宙飛行士が二人選ばれたが、身体頑健、宇宙酔い試験だけでなく、狭い空間で仲間とずっと一緒に仕事をするに耐える精神力や統率力など厳しいテストで選ばれました。南極も厳しい自然条件と何もないところで1年間仲間と過ごすのは実に大変なものがあることがわかります。

さて、その食べ物ですが、これが驚きなのです。
私たちが日常食べている食品はおろか、豪華なお店に行ってしか食べないものまで、すべて冷凍(こんにゃくや生卵など1部を除く)にしたものを1年分計算しつくして持っていくのです。
隊員のお誕生パーティの度に、リクエストに答えて凄い料理が作られます。
例えばこんなです。

アミューズ:ムール貝のカクテル チリソース
前菜   :ガランティーヌ フォワグラのムース詰め
スープ  :すっぽんとトリュフのコンソメ
サラダ  :フレシュフォワグラとドーム製レタスのサラダ ソース・ド・アンチョビー
魚    :ラングスティーヌと帆立貝のパイ皮包み ソース・ド・アメリケーヌ
ソルベ  :ブルーキュラソーのシャーベット ダークベリー添え
肉    :鴨肉のロースト オレンジソース
デザート :冷凍いちごのそば粉のクレープ包み ソース・ド・アングレーズ  

いやいやたまげました。いちごやレタス、アンチョビー、帆立以外は我が家の台所に登場しません。 

中華やイタリアン、蟹尽くし料理、栗ご飯や桃饅頭の材料、串揚げ、はじかみ生姜、漬物、からすみ、もずく、あらゆる野菜、各種誕生ケーキ作りなどの冷凍材料をよく用意したものです。
料理熱源や水の確保など生活もいろいろ興味深い内容でした。南極も宇宙に劣らず大変ですが、料理に関しては宇宙食はまことにお気の毒です。

クロッカスがやっと開きました(黄色は近所)

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ヒメフウロとモミジバゼラニウムが冬の間に、外で紅葉

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2009年3月 2日 (月)

ジョウビタキ  三井寺展

ジョウビタキのオスがバードバスに姿を見せました。
水を飲むだけでなく、今年はこの寒いのに、2度ほど水浴びにやってきたのです。
家の中から気づかれないように撮影です。
浴びた後、木に移って羽繕いをしてすぐ飛んでいってしまいました。
きれいな鳥です。残念ながら鳴き声がわかりません。サイトで聞くとかわいい声ですが。

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Photo   今日は残り少なくなった「三井寺展」に行ってきました。結構混んでいました。
昨年三井寺に行ったときには勧学院障壁画しか見られませんでした。
寺院で秘仏が見られることを「ご開帳」、今回のように寺院からやってきたのを見られるのが「出開帳」ということで、こんなこともはじめて知ったtonaで、またまた顔から火が出ます。
三井寺の中興の祖、智証大師円珍のお母さんは弘法大師の姪だったというのには驚きました。
100年に6回目というのを始めとして普段拝観できない国宝や重要文化財など秘仏を約180件も見ることができました。円空さんの木彫りもありました。
すばらしい仏像がいっぱいです。
展覧会の背景や三井寺のこと、仏像の感想などをNoraさんがとてもわかりやすく書いていらっしゃいます。
私はその1、その2の感想の一部をメモして、見てきました。ただ行ってぼーと見ているのと違って、とても有意義でした。感謝します。

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