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2009年3月28日 (土)

富士塚

Photo_15  『ご近所 富士山の「謎」』(富士塚御利益散策ガイド) 

著者は11年前より富士塚めぐりを開始し、独自に調査・研究を続けている人です。
富士塚は富士山を信仰する人々が造った山で、東京23区に50個、関東全域では富士山を望める土地に集中して300も存在するそうです。

本によれば、富士山は古来より、憧れと畏敬、そして招福の願いをもって眺められ、人は富士山の霊力をどうにかして得たいと考えた。でも富士山登山は普通の人にはできない。そこで一般庶民が造ってしまったのが富士塚です。富士講とも関連するものが多い。
徳川家康は江戸の町をつくった時、富士山のパワーを引き込む目的で、富士山と江戸城を結ぶ線を軸にして通りをつくり、町を形成していったという。
Photo_18 2か所に行ってみました。

<渋谷区千駄ヶ谷富士> 鳩森八幡神社にあり、都内で現存するもので最も古い。

↓地面を掘った土で富士山を造り、掘った穴は池にした富士塚の1つで、池は枯れていました。

Photo_17

 富士塚には4つのアイテムがある。
 ①頂上に奥宮がある
 ②中腹(5合目)の右側には小御嶽神社。祠または石碑で。
 ③7合5勺に左側に烏帽子岩をつける。烏帽子岩の文字の石碑、又は烏帽子の形をした岩。もう1つは食行身禄の像。
 ④山裾、右側に胎内として洞窟をつくる。
 

↓頂上の奥宮              ↓食行身禄像(洞窟内) ③に相当

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②にあたる小御嶽

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<文京区音羽富士> ↓護国寺にある。富士塚の多くは神社にあるが、ここは珍しくお寺の中にあります。

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↓夥しい石碑群 ↓富士塚は山の表面を富士山から運んだ溶岩(ボク石)で覆う
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  ↓山裾の胎内(木花咲耶姫) ④に相当          ↓奥宮
 富士山の祭神は「浅間大神」と「木花咲耶姫」
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コメント

富士塚というものについて、なーんにも知らなかった私。
勉強になりました。
江戸の町をつくる時、富士山のパワーを引き込むことを
考えたという話は何かの折に知ってなるほどと思いましたが、
その江戸=東京や関東一帯にはそんなにも富士塚が多くあるのですね。
以下に富士山が畏敬されていたかが伺えますし、
富士山の姿を見ると自然と心打たれる自分の姿とも
重なるものがあります。
それにしても、富士塚とは本当に土を盛って作った山だったとは!

投稿: ポージィ | 2009年3月28日 (土) 16:26

★ポージィさま

私もつい最近まで知らなかったです。
江戸時代には富士山信仰が高まって、富士講が盛んだったとは読んだことがありましたが、富士塚は昔品川あたりのを映し出していたことがあったなあという程度でした。
ネットでこのことを知ったら、偶然この本が売られていたので、少し知ることができました。
富士塚に設置されたものは本物の富士山に全部あるそうです。今は富士山の土や石を運んでくるのは禁じられているようですが、殆どの富士塚の石は富士山から運んだものだそうです。
富士山の姿を鑑賞するだけでなく、手を合わせたくなりますね。
こちらにもコメントをありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月28日 (土) 16:53

この目で冨士山を見たことの無い
私は、富士山の知識もありません
でした。
富士山の謎を詳細に教えていただき
ました。
お写真ともども、ありがとうござい
ました。

投稿: 老春 | 2009年3月29日 (日) 06:41

★老春さま、おはようございます。

富士山のミニチュアは本物の富士山と同じに造られていて、神社だけでなく、5合目ならお中道もぐるりとあって、簡単に本ものと同じ体験ができるようになっていますから、ご利益も同じですね。
まだ3つしか見ていませんが、これからもついでに少しずつみていきたいと思っています。というのも、実際の富士山にはもう登ることができそうもありませんから。
こちらにもコメントをありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月29日 (日) 09:09

富士塚が東京始め、関東一円にそんなに沢山あるとは、これまた驚きです。
庶民が以下に富士山を信仰の対象とし、招福を願っていたかが分かります。
簡単に登れないことから、ミニ富士山を作り、信仰したわけですね。
日本人が日本人らしい文化を創った遺産ですね。

投稿: 夢閑人 | 2009年3月30日 (月) 15:28

★夢閑人さま

富士塚って随分たくさんあるものですね。
今は富士講は廃れたようですが、江戸時代は富士山信仰とともに盛んだったようです。
私は本物には登れそうもありませんので、ミニ富士山にあちこち何度も登ってみようと思い立ちました。
↑の食行身禄(じきぎょうみろく)は17世紀後半の人で、富士山登山45回、中道めぐり3回も修行しているそうです。62歳で7合5勺の烏帽子岩で31日断食して亡くなったそうです。
これも日本の文化の1つなのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月30日 (月) 20:17

tonaさん、こんにちは(^-^)
「富士塚」…以前にも幾つか紹介していただいたのではなかったでしょうか(・・?)
「富士信仰」は関東では特に強いのでしょうね…
遠く離れた場所でも「富士見町」なんて地名を見かけるのですが…
江戸時代は高い建物がなかったから…見える日があったのかしらね(・・?)
そんなことないと思うのですが…(・・?)…(^^;

巨木・巨石も昔はすべて信仰の対象で…霊が宿るとか…(・・?)
それなりに守り育てる環境があったのでしょうね…

雑草と称して抜き取られるお花たちが多くて・゚・(ノД`)・゚・意識改革が必要ですね…
お花たちが多くなり…嬉しい悲鳴をあげています(*^m^*)

投稿: orangepeko | 2009年3月31日 (火) 10:46

富士信仰まではいきませんが、
富士へのあこがれはありますね。
富士塚のことはまったく知りませんでした。
どこかで出会えればいいと思っています。

投稿: YUKI-arch | 2009年3月31日 (火) 12:43

★orangepekoさま、こんにちは。

埼玉県の狭山の富士塚を見たときでしたかしら。
千駄ヶ谷富士の目の前の公民館でコーラスに参加していますので、歌う前に拝んだりしています。
東京や埼玉県に富士見ヶ丘とか富士見町とか富士見台などの地名がたくさんあります。みな昔は見えていたのでしょうね。

巨木、巨石も確かに信仰の対象になっていたのでしょう。神社の巨木はどこもご神木として崇められていますね。巨石は地中海の島にも信仰対象として、大昔に築かれたのがありました。

花が寂しい時期が終わって、また机上に花の本を並べて昨年の復習を始めます。
またよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月31日 (火) 15:50

★YUKI-archさま

お帰りなさい。
私もあこがれからでしょうか、冬は毎日窓を開けて富士山が見えるか確かめています。

この本に神奈川県の富士塚が2つ紹介されているんですが、横浜都筑区の池辺富士が、古墳が盛り上がったようで他と全然雰囲気が違うようです。著者はバベルの塔のようと言っています。一見の価値ありですね。
もう1つは横浜神奈川区の最勝寺でこれも珍しくお寺の中です。写真で都内町中のとは様子が違って見えます。いつか行けたらと思います。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月31日 (火) 16:00

こんにちは(^-^)
補足です(^^;
>遠く離れた場所でも「富士見町」なんて地名を見かけるのですが…
「広島市中区富士見町」…と地名を入れなければ解りませんね(^^;

由来を調べました(^^;富士山とは関係ないようです…
最初から調べて書けば良かったですね(>_<)…ごめんなさい…

投稿: orangepeko | 2009年3月31日 (火) 16:37

★orangepekoさん、こんばんは。

広島市中区に富士見町があることに驚きました。
でもさすがに関係ないのですね。
こんなこともわかって面白いですね。
どうもありがとうござました。

名古屋市中区にも富士見町がありますが、こちらはかつて見えたそうです。ところが現在は空気が悪く、霞んで見えなくなったのと、建物が建って見えなくなったと書いてありました。

投稿: tona | 2009年3月31日 (火) 20:21

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