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2009年3月19日 (木)

関裕二著 『藤原氏の正体』

『藤原氏の正体』関裕二著

藤原氏の祖・中臣鎌足は『日本書紀』に突然登場するが、またぱったりと姿をくらまし、その出自がはっきりしないというのです。
結論から言えば、関裕二は鎌足は「百済王の豊璋」だというのです。これには驚きました。この本を読むとその証拠が書かれています。

その子の藤原不比等の大宝律令の製作・施行によって藤原千年の基礎が築かれたわけです。
不比等の娘二人は文武天皇、聖武天皇の后に、息子4人(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が四家を築き、それも滅ぼされた長屋王の祟りでことごとく亡くなる。長兄・武智麻呂の子の仲麻呂(恵美押勝)が藤原氏でもっとも暴虐で、多くを死に追いやったのです。
藤原時平に讒訴された菅原道真の祟りは都にさまざまな異変を起こしたことは、歴史上有名で私たちの知るところです。

2番目の房前の末裔の道長、その末裔の藤原北家が5つに別れ(近衛、九条、二条、一条、鷹司)、明治にいたるまで、代々摂政と関白を輩出する一族として、貴族社会の頂点に君臨してきたのです。
特に近衛家の閨閥は旧華族を中心に繰り広げられ、華麗なる一族を形成したのです。

特に有名なのが、昭和天皇の前で足を組んだという近衛文麿
文中より・・・戦時中、陸軍の暴走をおさえようと東条英機暗殺計画を練り、これを「大化の改新」になぞらえ、悦にいっていたという・・・
     
藤原氏の「権威・権力」は天皇に女を入れ、皇后とすることによって保たれ、天皇の血は藤原で塗りつぶされてきた。天皇に藤原の命令を言わせて政敵を倒してきた。藤原氏の意に背く天皇は強引に退位せられ、多くの皇族が殺害された。明治、大正、昭和天皇の皇后も藤原氏の女人ないし、血を引いているとのこと。

現在もその子孫の方もおられるわけで、祖先の勉強もされていると思います。私の友人にそんな方たちの学友がいます。
恐らくわが祖先は田畑にはいつくばっていた平民だと思われますが、こんな話を普通の人として読めることの幸せを噛みしめた本でした。

一株のカタクリが五株に増えました           よそのバイモユリ

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コメント

藤原氏の正体はもう忘れておりました。
お陰様で目を覚ますことが出来ました。
改めて吟味させていただきました。
ありがとうございました。

投稿: 老春 | 2009年3月20日 (金) 07:06

★老春さま、おはようございます。

中臣鎌足が滅亡した百済の王様だったという説にはびっくりしました。
しかし当時は多くの百済人が日本に来て仏教文化などを伝えたわけですから、大いにありうることですし、資料や状況証拠をたくさん並べているので頷いたりしています。
この頃の天皇家の殺し合いはすさまじいですね。
また興味深かったのが明治ころからの末裔の活躍です。西園寺家もそうなのだそうです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月20日 (金) 08:41

おはようございます。
混沌とした面白い時代ですね~♪
中臣鎌足=豊璋という説もあるようなのですが…どうなのでしょうね(・・?)
時代的には同じ頃であり…豊璋の最後も定かでなく…想像が膨らみますが…
私は「乙巳の変」の結果の「大化改新」は当時の渡来勢力と在来大和勢力の権力争い…
と受け止めています…だとしたら中臣鎌足=豊璋はどうなんだろう(・・?)…
新たな疑問が…(^^;困った…(*^m^*)
尤も渡来人の力なくして大和朝廷は有り得ないのですが…(^^;
(当初の大和朝廷はユダヤとの関連有りとかの説も(・・?))
果たしてどの辺りを純粋な日本人とするのか(・・?)
確証の得られない想像を含む諸説多々あり…面白いですね~♪

>この本を読むとその証拠が書かれています…
読んでみたくなりますね(^^;
白村江の戦い以後の豊璋もあやふやですものね(^^;

韓国との繋がりは深く…争いの因縁は続きますね(*^m^*)WBCどうなるでしょうね…
長い歴史をかけた闘いの一つなのでしょうか(^O^)

投稿: orangepeko | 2009年3月20日 (金) 10:12

藤原氏というと、武家中心社会になる前あたりまでしか
知りませんでしたが、その繁栄はその後もずっと続いていたのですね。
明治・大正・昭和天皇の皇后さまも藤原氏ゆかりの方だったとは。
これほどまでに長く繁栄を続けられる氏族というのも
珍しいのでしょうね。

歴史上の人物については、よく分からない面もあるがゆえ、
様々な伝説も生まれたりして、なかなか面白いですね。
 

投稿: ポージィ | 2009年3月20日 (金) 11:29

主人に、今聞いたら主人もこの本を含め関裕二の本を何冊も持ってるようです。

私も勉強したらいいのですが。

カタクリの花、お庭で咲いたのですか?
もう咲いてるのですね。

だんだん増えていくから楽しみですよね。

投稿: もみじママ | 2009年3月20日 (金) 15:08

★orangepekoさま、こんにちは。

>WBCどうなるでしょうね…
6:2で勝ちましたね。次はアメリカとですね。

韓国とはこんな時代から繋がりがあって、李氏朝鮮は秀吉のおちょっかい、日清戦争で独立化に貢献したのに、日韓併合と韓国人の恨みははかりしれません。
orangepekoさんは、古代にかなり詳しいですね。あの時代は本を読んでいますと本当に面白いです。日本書紀を読みこなせればもっと興味が湧きそうです。
是非この本をお読みくださって、豊璋説の成り立ち考察してくださいね。
ありがとうござました。

投稿: tona | 2009年3月20日 (金) 16:37

★ポージィさま

私も藤原氏=平安時代までと単純に考えていました。
天皇を間にはさんで、摂政関白、公家さんとして延々と繁栄を続けた一族なのでした。
鎌足が不比等を産み、不比等が律令制度と絡んで、1000年もの繁栄を築いたことに驚きました。
大和朝廷のあり方で、日本人は韓国人と同じ血が流れているといえます。
遠い祖先を思いますと不思議な感情にとらわれます。
伝説と言えば、1番笑ってしまったのが、義経=ジンギス汗です。読んでいて結構説得力はありましたが。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月20日 (金) 16:49

★もみじママさま

まあ!ご主人さまが関裕二の本を持っていらっしゃるそうで、びっくりです。
この本をはじめとして梅原猛とはまた違った古代を研究して発表していますね。
大学の先生などは反論するでしょう。

カタクリが庭一面などは夢で、その前に私の命は終わってしまいます。
まさかこんな貧相な庭に根付くとは思いもしませんでしたので、これは本当にうれしかったです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月20日 (金) 17:00

藤原氏の正体、「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることの・・・」道長の歌で理解している程度の浅学ですが、それが延々と現在に繋がっているのですよね。

我が町にある名刹、栄山寺の八角堂は、武智麻呂の没後、子の仲麻呂が父の菩提を弔うために建立したと伝えられていて、武智麻呂のお墓が、栄山寺の裏山にあります。

地元では、武智麻呂さんとして親しく呼んでいるその人が、悪政の祖とは、かなりショッキングです。

カタクリの自生地もそろそろ開花でしょうね。

投稿: anikobe | 2009年3月20日 (金) 19:29

★anikobeさま

私も藤原氏といえば藤原道長です。
その一族が明治そして、平成の今も延々と続いていたなんて思いもしませんでした。

まあ、anikobeさんが住んでいらっしゃる町に武智麻呂のお墓があるのですか!
栄山寺の八角堂が子の仲麻呂が父の菩提を弔うために建立したとは。
地元の方が親しく呼ぶというのはわかります。
吉良上野介の地元では決して悪人ではなく、親しまれているそうですものね。

カタクリは我が家でさえ咲いたので(かなり遅いのです)、きっとあちこち満開でしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月20日 (金) 21:07

どんどんさかのぼっていくと人類の先祖はたった7人の母に行きつくという本を読んだことがあります。現在の学問ではもう少し多いらしいけれど。
国同士の争いなとか戦争も必然なのではなくクレタ文明は6000年もの長きにわたって平和を謳歌した母系文明だったといいます。
もう一度しっかり考えなおすときが来ていると思います。

投稿: saheizi-inokori | 2009年3月21日 (土) 14:06

★saheizi-inokoriさま

先祖は少なくても、たった七人!
さかのぼれば、皆親戚ですね。
そんなことを考えると楽しくなります。

クレタを訪ねたとき、いい加減に勉強したので知りませんで、6000年の母系文明だったとは驚きました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年3月21日 (土) 20:32

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