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2009年6月 3日 (水)

斉藤孝著『なぜ日本人は学ばなくなったのか』

苗を頂いた「アサリナ」(ゴマノハグサ科)が今年もたくさん花を咲かせています。古代紫に近い美しい色です。
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  斉藤孝著『なぜ日本人は学ばなくなったのか』  日本の教育力を取り戻す!
 
かつて「勤勉」と言われた日本人が、今は「バカ」とでも表現するしかない事態の「学び嫌い日本人」になってしまった。
バカとは「学ぼうとせずに、ひたすら受身の快楽にふけるあり方」を言う。
何故こんなことになってしまったのか?
それは「リスペクト」(敬意・尊重)という心の習慣を失ったからという。
「開き直り社会」「バカ肯定社会」への変質
垂直志向から水平志向の世の中へ、又インターネットの普及でネット上の格差が生まれ、便利さと怖さの両面のツール乗る。
「モンスター・ペアレント」「モンスター・ペイシェント」の出現。これは子どもにも多大な悪影響あり。
「内面」のない人間出現。
幼稚化する中高生、「知」と出会わずに卒業していく大学生。
読書量の減少が向学心の衰退を招いている。

「ゆとり教育」こそ元凶だ。(大いに頷いてしまいました)大学全入時代なので受験競争はゆとり教育が必要なほど過酷でない。
「偏差値教育」は悪くない。世界に比べてがくんと学ぶ力が日本の子どもにはなくなった。 教科書と授業のレベルをあげよ。
「アメリカ化」も学びを奪った。教養に対して「ノー」を表明する国・アメリカ。つまり学び重視から遊び重視。今は教養の欠落を嘆く人すらいなくなった。
薄い人間関係を志向する若者たちが増える。早期退職する若者たちの悪循環。

こんなことなどが問題点として提起され、あとがきに、これからの若い人にまったく失望してない、そのメッセージが盛り込まれています。

「学ぶ心の伝統」という財産を受け継ぐには「学ぶ先人」へのあこがれを連鎖させなくてはならない。自分の利益だけを目標とした学習ではなく、学ぶことを楽しみ、読書し、教養を積むこと。

これを読んで、私は学ぶ意欲が一応あった若い頃を思い出し、貧しかったけれども良い時代に生まれ合わせたと幸せに感じました。
しかし学校で学んでいないからと勉強を怠り続けてきて、仕事がない今は「ひたすら受身の快楽にふける」そのものではないかと胸を突かれたのでした。 

タイサンボク(モクレン科)    よその家の枇杷がもうすぐ食べられそうです

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コメント

おはようございます。
>バカとは「学ぼうとせずに、ひたすら受身の快楽にふけるあり方」を言う…
人に使う言葉ではなく行為に使われる言葉という意味では納得かな…(・・?)
「馬鹿になれ…」「馬鹿するな…」使い方により大きく意味が変わりますが…
使い方を間違って欲しくない言葉ですね…
「学者馬鹿」はどちらとも取れる表現で(*^m^*)「平成の大莫迦門」騒動を思い出します~♪
無の境地でひたすら学ぶことに没頭するの意味を作者は意図したようですが…

>「ゆとり教育」こそ元凶だ…
この「ゆとり」も同じく官僚が使い方を間違えたと私には思えます…
受験のためだけの詰め込み教育が「学ぶ楽しさ」を知らない人間を創り出す…
学校は「勉強嫌い!」の子どもたちを創り出す場であってはならない!…
何故?どうして?の疑問にじっくりと付き合ってやらない大人の責任は大きいですね…

基礎は楽しみながらゆっくりと…基礎さえ出来れば、後は自学自習で拡がってゆく…
「卒業してからが本当の勉強!」…父の言葉を実感しながら年を重ねました~♪

本当に「学びたい者」に対しての全入学は賛成なのですが…
学ばなくても「卒業資格」を与える安易さが批判されなければならないのでしょう…

今は学びたくても学校に行けない子ども(親の経済状態)が多くなっているそうです…
政府はこういうところに配慮した予算の使い道を考えて欲しいです…

tonaさんは大丈夫ですよ!~♪
「毎日1つでも新しいことを学び、発見できたら幸せ」の好奇心と向上心を持続させて
おられますから~♪(^-^)V(生意気で申し訳ありませんm(_ _)m)

投稿: orangepeko | 2009年6月 4日 (木) 07:59

★orangepekoさま、おはようございます。

「バカ」に関しては著者も、orangepekoさんがおっしゃるような意味で十分考慮して使っています。
同じく「ゆとり教育」に関してもきちんと書いておられます。単に授業数を増やしてもあまり実質的な効果は生まないと。心身の基礎(身体と日本語の基礎)を幼児期につくるとか、子どもの能力を見つけ引きのばしていくこと、おっしゃるように子供の疑問に付き合う、これらは学校だけでなく家庭のおいてもなされなくてはならないことです。
orangepekoさんのお父様がおっしゃった言葉はお子さんにも伝えられたことでしょう。

大学全入学の傾向も、学ばなかった学生に卒業を厳しくする外国のような制度があれば、大学生の勉強が本当の意味で真剣になされるでしょうか。
学びたくても行かれない子供たちは本当に気の毒ですね。才能をあえなくつぶしているようなものです。
私は時間の使い方がへたというより、意志薄弱に引っ張られての生活を自覚しています。
ねばりがなく、叩かれれば動じる弱さは一部の若者そのものですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年6月 4日 (木) 08:53

義務教育までの学歴でも、文章を読む国語力さえあれば
新聞や本から実に様々な知識を得られるし、考え方も広く深まるのに、
TVを見ていると、こんなことも知らないの?という若者が
登場してきてびっくりします。TVが面白おかしくそういう
若者ばかりをピックアップしているから、余計にそう感じるのかも
しれないと思っていましたが、実際に大変なことになっているのですね。

暗記重視の詰め込み型学習が長く続いて、なぜだろう?
どうしてこうなっているんだろう、調べてみよう、という
能動型の学び方を知らずに育ってしまったからでしょうか。
暗記が大の苦手だった私も、おかげで勉強が面白くなくて
という思いをしてきましたから、そういう子が他にもいて不思議は
ないだろうと思います。
小さなときに、どうしてかな?の疑問、答えを探していく方法、
そして答えを見つけたときの喜び、といった学び方を
体験させてあげられたら、その後も能動的な部分が残っていく
のではないかしら、とも思います。
おっと… 
この本の内容ともtonaさんが仰りたかったこととも、
ちょっと離れてしまったかもしれませんね。

アサリナの紫がきれいですね。そしてタイサンボクの白が清楚です。
背の高いタイサンボクの花、よくご覧になれましたね!

投稿: ポージィ | 2009年6月 4日 (木) 11:32

★ポージィさま

首相も漢字が読めなくて驚きましたが、確かに大学生でもかなりひどいので、テレビを観ていてびっくりしてしまいますね。
どうしてこうなってしまったのでしょう。
おっしゃるように、目指す学校に入るための勉強だけでして、とにかく受かるためにその時だけの学びは、考える、応用する、創作するといった過程が全然なくて、学問はおろか、基礎さえできてないことになってしまったのですね。
勉強の面白さを知ってほしいですね。
学校だけでなく、家庭における親の役割も重要です。無責任ではなくしっかりした親になってほしい。
なかなか教育の問題は難しいです。だんだん学力も世界の中で後退していく日本をなんとかしなくては。著者の主張に共感しました。

タイサンボクは1番下にあったお花が背伸びして目の高さにあったものです。
この白い色に惹きつけられてしまいます。
アサリナの紫、きれいでしょう。毎年楽しみなお花です。
ありがとうございました。


投稿: tona | 2009年6月 4日 (木) 19:38

世界史を学ばなくても高校を卒業できると聞いてなんだかおかしなことになっていると思いました。
ホントに失望しなくてもいいのでしょうか。
私は悲観的です。

投稿: saheizi-inokori | 2009年6月 5日 (金) 10:43

★saheizi-inokoriさま

おお、そうでした。度重なる教育課程の改変で基礎学力がそがれ、世界史の問題もありますね。
著者はきっとこのままほっておいては心配ですが、打つ手を考え実行していけば、光は見えると言っているのでしょう。大学では読書面で力を入れておられるようです。でも一人が叫んでもだめなのであって、しかも実際に良い方向に変わっていく様子が見られません。
机上の空論に終わらず、必死に改革していかないと日本沈没の憂き目に遭いそうです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年6月 5日 (金) 16:00

『なぜ日本人は学ばなくなったのか』  日本の教育力を取り戻すための若者への大きなメッセージであるのだと、tonaさんの、ご紹介を読んで、確かに思いました。

現在の若者や、世の中、若者だけでなくある世代からの人たちを見たり交わったりしてして、作者の指摘に納得することばかりですし、思い当たるさまざまなことがあります。

今、それに気づくことの大切さとそれを覆すことへの模索の時期だと、痛感しながら、拝見しました。
アサリナの花の紫とても綺麗ですね。
タイサンボクの花、昨年河内長野の農業ファームで見たのは今頃だったのだろうなぁと思い出しています。
ありがとうございました。

投稿: anikobe | 2009年6月 5日 (金) 23:16

アサリナ、朝顔かと思いましたが違うんですね。
とっても濃い色で、グリーンカーテンになりそうです。

『なぜ日本人は学ばなくなったのか』
私は学生時代は、あまり勉強はしない派でした。
つまらないというか、面白味を感じなかったからです。
ところが社会人になって、仕事に必要な資格を取る事になった時に一生懸命に勉強しました。
なぜ、一生懸命に勉強をするようになったかと言えば、興味が湧いたんです。
興味が湧くと勉強って面白いものだと思えました。
どうして学生時代に、もっと興味を持って勉強しなかったのか
もししていれば、違った人生もあったのかな~なんて思っちゃいました。^^;

投稿: pochiko | 2009年6月 5日 (金) 23:37

★anikobeさま

たくさんの著書を次々とものにする著者ですが、この本に関してはいろいろな問題提起を巧みな文章と広い思考、古今の本を取り上げて、しています。
文章の先生でもあるので、思っていることをこんふうに幅広く書くのかとその点も感心しました。
日本の教育の問題もどんどん大変な流れに落ちて、さらに悪いほうの深みにはまっているように思います。
急がなくてはという気持ちにさせられます。

アサリナはあまり見かけませんね。紫の色がなんとも言えません。そしてタイサンボク、大きな花を近くでは見られない高い所に誇らしげに咲かせていますね。河内長野を思い出されて、一つの花に思い出ができるのは素晴らしいことです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年6月 6日 (土) 06:49

★pochikoさま

アサリナは朝顔をずっとせまくしたような形ですね。蔓でどんどん上に延びていきますが、1mくらいでストップです。そのころには花も終わりです。

私も学生時代、勉強はしましたが、情熱の点ではいまいちでした。
おっしゃるように本当の勉強は学校を出てから興味が湧いたものに向かってできますね。
ですから学生時代から興味がでて勉強される人は出発が早いわけです。そんな方のほうがたくさんいるのでしょうか。そうは思えない現状ですね。
いかに子供から興味を引き出すか、大人は真剣に子供に対処していかなくてはです。
お孫さんも楽しみですね。いろいろな可能性を秘めていますもの。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年6月 6日 (土) 06:56

「快活に生きる子供たち」いろいろ考えさせられること多いです。シンガポール一家のお話、世の中、やはりこんな素晴らしい家族もあるのだな、とあらためて思いしらされた感じです。
ケータイについては、考えさせられること多いです。ケータイを学校へ持ち込むのを禁止するとか、そんな動きもあるようですが、ここまで普及してしまったら、もう後戻りは出来ないでしょう。これからはどのように付きあって行けばいいのやら・・・。

「なぜ日本人は学ばなくなったのか?」
何故、何故?
tonaさんが紹介されている本、読んでみたいと思います。身近なところでは、同じ私の孫たちでも、親に言われるまでもなく、懸命に勉強している子。その一方で、親からやいのやいの言われてもさっぱり勉強しない子もあり、どこで、どう違って来たのか、不思議に思うことがあります。

投稿: 茂彦 | 2009年6月 7日 (日) 09:51

戦後の子供たちは、確かに学力、体力共に下がっている。
周りを取り巻く環境がそうさしているのかもしれない。
動かなくても遊ぶものはいっぱいあるし、考えなくても器械が
ある程度答えを出してくれる。

プロセスより答えがスピーディに出ることを好しとする傾向がある。
すべてがそうではないが、あくせく学ばなくても、どこかの大学という名の学校に入れる。
要するに、あまり苦労しなくても、ある人間は先ずは一つの階段を登れる。
そして、中途半端な人間が、安楽な気持ちで世の中に吐き出されていった。
社会の中に放り出されたその人間は、集団、秩序の中の人間関係より、
自己中心的な考えで生きようとする。
人間関係は希薄になり、意思の弱さから、その中から逃げようとする。
そう言う人間は、何処に逃げても同じ徹を踏むだろう。
今は能力重視主義の時代。大いにもまれて、いかに生きるか考えるのもいいことだと思う。
アメリカ式に全員入学、卒業を厳しくするのはいいかもしれない。

戦前は年功序列、終身雇用が普通の時代だった。
それでも学歴はやはり出世のバロメーターになった。
いい大学に入れるため、親は一生懸命になる。子供の気持ちも考えずに。
知識重視の詰め込み教育の受験戦争が始まる。
その結果、いじめ、登校拒否や落ちこぼれ、ゆとりのなさなど目立つようになり、
戦後何度か教育方針改革が行われ、「ゆとり教育」なるものが出来た。

戦前生まれの我々の田舎では、塾などない時代、自分なりに考えて勉強はした積り。
昔は同じ答えでも、そのプロセスを大事にされた。
基本を如何に応用して展開し、答えを導くかが重要視されたような気がする。

勉強を押し付けるのではなく(昔の詰め込み教育)させる環境を作る。
たとえば、面白おかしく教えていく。(塾の名物先生みたいに)
勉強は楽しいと思わせること。これがほんとのゆとり教育かも?
今また、学力の低下を挽回するため、課外授業とか、夏休みを少なくして
時間を増やすなどと議論されてるけど、今の子供に何処までやる気があるのか疑問。

くどくどと纏まりのないことを言ってきたけど、親より子供にやる気を起こさせる
方が先と思うが・・・むずかしい?

投稿: 夢閑人 | 2009年6月 7日 (日) 17:32

★茂彦さま、こんばんは。

出かけていて、お返事遅くなり失礼しました。
前のも読んでいただきありがとうございました。
こうしたシンガポール人一家を見るにつけ、私たちの頃の家庭を見るようで、懐かしい感じです。あの頃も良い点がたくさんありました。その方が良かったかもしれませんね。
携帯も特に学生にとっては大問題化しています。こんな便利なものに大きな落とし穴があったわけですね。解決方法はなかなか見つかりそうもありませんね。

茂彦さんのお孫さんでもそんなに違うものなのですね。
本当は勉強してほしいですが、苦手なら、隠れた才能をのばして進んでほしいと思いますね。心配なこともおありでしょうが、楽しみでしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年6月 8日 (月) 22:14

★夢閑人さま、こんばんは。

どうも遅くなりましてすみませんでした。
夢閑人さんからいろいろ教えていただきました。
やはり先輩の考え方、意見は私には貴重です。
考えなくても器械が答を出してくれるには、はっとしました。本当にそうなんですね。
昔考えたのに、今の私がそうなってそれに頼っているのでますますボケちゃうのも仕方ないかもと反省です。ましてや頭を使わなくてはならない年代には困ったことですね。
大学全入で、入ればトコロテン式にろくに勉強しないで社会に出、その荒波に耐えられない若者が続出、実に大変な世の中になりました。
やはり大学でアメリカ式に鍛えなくては。
学問の道だけでなく、人間的にもその心を鍛えなければならないです。そういう私が偉そうなことを言えるほどの強い人間ではないのですが。
年功序列、終身雇用は今の混沌とした社会情勢の中では素晴らしい制度でしたね。決してアメリカ式が日本にあっているとは、言えなくなってきたように思います。
転職に失敗して、職なく路頭にさまよった人が続出ですから。

そうそう、塾の名物先生が現れたのはいつでしったけ。私たちの頃は先生にかなりユニークで、しかも優秀な方がおられましたよ。
ちょっとした事にも刺激を受けて一所懸命勉強しましたね。
あのやる気はいかにして培われたのか、もう遠い昔のことになりました。貧しさもかえって良かったのかもしれません。
昔のやり方を復活させるのもいいのかとも思いますし、自分自身がかなり怠けもの化しているので、こうした教育の難しいことを考える能力もなく、この著者の書いておられることに頷くだけなのです。
他人になかなか意見も言えないし、本当に難しいです。
またいろいろ教えてくださいね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2009年6月 8日 (月) 22:35

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