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2009年10月28日 (水)

ツリフネソウの種で遊ぶ

Photo_7 METARU LOUPE 10Xで見る植物は万華鏡で楽しむのに似ています。観察会では花弁や蕊、茎の毛、葉脈などいろいろ見て楽しみました。
神様は植物にも肉眼で見えないようなところまで、こんなに美しく神秘的に創られたのかと、いつも感動の連続です。
心が晴れないときなど、その辺りの花をルーペで覗けば、いっぺんに上機嫌になれるでしょう。

今月の観察会ではまずツリフネソウの膨らんだ種に触って種を飛ばすこと。ちょっと触れただけで種の袋がくるっと捩れて丸まって落ちたりして、中の種が遠くの方へ飛んでいくのです。こんなことなのに何て面白いのでしょう。童心に帰ったひと時でした。
前回ではカヤツリグサで蚊帳を作りました。懐かしい遊びです。
↓ツリフネソウ(ツリフネソウ科ツリフネソウ属)の種は緑。花がぶら下がっている姿が、花器の釣舟に似ているので付いた名前。

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イヌホオズキのイヌは「犬」でなく否(いな)。ホオズキに草姿が似ていながら実の形状がまったく異なることからである。
↓イヌホオズキ(ナス科)          ↓アメリカイヌホオズキ(ナス科)
 花色は白                    花色は淡紫色
 花柄が出る場所が少しずつずれる      花柄が同じところからいくつも出る

↓ヤクシソウ(キク科オニタビラコ属)苦いので薬になると思われて、薬師草の名前になったのに、薬効が殆どないということだ。

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↓シンミズヒキ(新水引・タデ科ミズヒキ属)ミズヒキと同じく上から見ると紅く、下から覗くと白く見える。
 葉の表面にミズヒキのような黒班がなく緑色。ミズヒキに比べて花が少し大きく間隔を密につける。

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↓ヤブタバコ(キク科ガンクビソウ属)藪に生え、茎につく花は煙管の雁首に似る。しわのある葉は「タバコ」の葉に似るから

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秋はいろいろな色の実が多い。
↓スズメウリ(ウリ科スズメウリ属)    ↓ヒヨドリジョウゴ(ナス科ナス属)

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↓ウメモドキ(モチノキ科)
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↓バッタ

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2009年10月27日 (火)

「コウヤボウキ」と「~ハグマ」

今、東京西部の青梅丘陵の山の中には「コウヤボウキ」と「ハグマ類」が点々と咲いています。いつもいろんな方のところで見ている「ハグマ」にやっと出会えました。
青梅丘陵は、青梅線の真ん中の青梅駅より奥多摩駅に向かって5つ目、軍畑(いくさばた)まで右手に続く標高400~500mの丘陵です。
戦国時代、この地には豪族三田氏がいて、辛垣(からかい)城を築いたが、八王子の北条氏照に攻められ落城し、三田一族は滅亡したという歴史があります。
登山しながら遅れまいとあわてて撮って全部ピンボケでした。

↓コウヤボウキ(高野箒・キク科コウヤボウキ属) 高野山では弘法大師が、果樹とともに竹を植えることを禁止したため、竹箒の変わりにコウヤボウキを束ねて箒にした。なるほど茎は細くてしなって、堅そうです。

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ハグマ(白熊)とはネパールやチベットの高地に棲息しているヤクという牛に似た動物の毛のことという。ヤクの尾の長い毛が僧侶の払子、槍や兜の飾りに用いられたそうだ。
花びらは細くて長い。風車状に回転したりらせん状に曲がったりしている。

↓キッコウハグマ(亀甲白熊・キク科モミジハグマ属)葉の形が亀の甲羅に似る。

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↓カシワバハグマ(柏葉白熊・キク科コウヤボウキ属)葉がアカメガシワの葉に似る。

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↓モミジハグマ(紅葉白熊・キク科モミジハグマ属)葉が紅葉に似る。花が開いてないか、終わっている?
↓オクモミジハグマ(奥紅葉白熊。キク科モミジハグマ属)モミジハグマより北に分布するので奥と付けた。これも開花してなかった。

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Photo_4 →モミジガサ(紅葉笠・キク科コウモリソウ属)葉がモミジハグマにそっくり。丈が50~90cmあってかなり高い。

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↑センブリ(リンドウ科センブリ属)この葉の煎じ液は、「千回振り出し」ても苦味が消えないので付いた名前。胃腸薬。
↑ツルリンドウ(リンドウ科ツルリンドウ属)の実。9月に花を見たが、もう赤い実ができていた。

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2009年10月23日 (金)

映画『私の中のあなた』

のほほんと暮らしている私にとって、少々ショッキングな悲しい映画でした。
姉ケイトが白血病とわかったとき、両親がその生命を救うために、遺伝子操作によってドナーにぴったりの妹アナを生んだ。
アナは幼い頃からケイトの治療のために何度も過酷な手術を受けてきた。姉の世話もまめまめしくするアナである。ところが11歳のとき突然、腎臓を提供するという姉へのドナーを拒否して、両親に訴訟を起こしたのです。
母サラはケイトのためにアナを生み、ケイトを救うためには何でもする人、動揺しながらも激怒し、裁判で対決しようとする。
アナのこの決断には思いがけない理由があったのです。聞いたところでは、原作の結末は映画と違っていてもっと悲しい。
サラはケイトを助けるためなら、アナがどんなに苦しくても平気。アナの命には別状ないと考えてであろうか。
アナは致命的な病気を持ってないのだから、姉のドナーなしでは生きていかれない体を大事に思う母心か。
この映画で1番上手い!と思ったのはケイトの演技である。白血病で死にゆく心の葛藤と家族への愛を苦しい中に見事に演じきって、その顔が神々しいくらい素晴らしいのである。
私が癌になっときにこんな顔が出来るであろうか?勿論出来ないことはわかりきっている。本当に心打つ映画でした。

シロヨメナ(キク科・シオン属)は今が見頃です

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Photo_3 今日のティータイムは
イギリス土産のショートブレッドとレモンジンジャーのハーブティーで

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2009年10月20日 (火)

渡辺怜子著『レオナルド・ダ・ヴィンチの食卓』から

天才レオナルド・ダ・ヴィンチがどんな食卓を囲んでいたのか、心躍らせてページをめくったが、弟子に買いにやらせた食品がいくつか出ていたにとどまり、ちょっとがっかりです。これもレオナルドの手記の内容によるものです。
ところが手記によれば、

彼が52~3歳頃、116冊以上の本を所有していました。レオナルドの読書量は300人の著者と400冊の書物にのぼるという。
印刷技術があまり発達していなかったし、紙も貴重な時代にこれだけの本を所持することはかなり読書家であったようです。
その蔵書リストの中の古書が日本の大学その他に、現在20冊もあるという。なかなか興味深いことです。

①『サレルノ学派の養生訓』
②『佳き生活と健康』
をレオナルドが読んでいました。

①『サレルノ学派の養生訓』は
 <もし病気にかからず、健康でいたいなら、
  悩み、心配事を抱え込まないこと 
  怒りに身をまかせて激怒してはいけない
  適度に飲み食べること
  昼食後は立ち上がって散歩をすること
  午後の睡眠は避けること
  排尿を我慢しないこと
  肛門を無理に閉めるな>
とこんな調子で始まっています。
<あなたに医者がいないならば、医者はこの三つである。
 頭を爽快にしている
 休息
 正しい食生活>
そして食べ物についても多く言及しています。

②『佳き生活と健康』
 運動、睡眠、食品、料理など現在でも同じと思われることがたくさん書いてあります。

500年前も今と同じような健康法が編み出され、本になっていることにも驚きます。あまり進歩していないというか。
貧しい人は読めなかったし、恩恵にも与らなかったでしょう。しかし医学が発達していなかった当時としては長生きの、67歳まで生きたレオナルドはもしかしてこの養生訓や健康法を実践したのではなかろうか。
医学がこんなにも発達した今、山本病院の院長のような医者にだまされないように、そしてごまんとある健康法も適切に選択して元気に生きたいものです。
さはさりながら、計ることが出来ないのが人間の体、病を受け入れ、治療し、そして負けておさらば。苦しみ、葛藤するも、殆どの人が通る道ゆえ、受け入れ静かに逝きたいものです。
読書感想が変になってしまうのもtonaの常、お許しください。

(この本から)中世の饗宴の絵画に、床に犬が何匹もいる絵があるらしい。
見たことがあるような気がするのですが、具体的には思い出せません。ご存知の方がおられたら教えてほしいです。
饗宴の場の床に何故犬がいるのか?
これは日本の大名家や、西洋の王家などで見られるお毒見役と同じで、犬がその役目を果たしていたそうなのです。

Photo_2  大阪名物「たこべえ三兄弟」
さすがたこ焼きが有名な大阪らしいたこ焼き味のせんべい、食べ始めると止まらない。
秘伝ソース味、マヨネーズ味、だししょうゆ味

ユーフォルビア・ダイヤモンド・フロスト(トウダイグサ科 ユーフォルビア属)
最近見かけるメキシコ原産の新しいタイプのユーフォルビア。
花は1年中咲いていて、寒さに弱いので冬は室内に入れる。

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2009年10月16日 (金)

秋の文学散歩(3)三鷹界隈

[国木田独歩]

中央線武蔵境駅で降りて、北側数百メートル歩くと玉川上水に着く。
そこに国木田独歩の文学碑や橋があり、少し入ったところに独歩が「武蔵野」に描いた雑木林があるが、100年以上も前の雑木林が残っているのはこの一角のみである。

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↑この残された林は独歩が恋人佐々城信子とデイトした場所である。信子とはいろいろあってやっと結婚するが、半年後には離婚の憂き目に会う。
信子の従姉妹(母親同士が姉妹)の相馬黒光(こっこう)の手記『国木田独歩と信子』によれば、独歩は理想主義的、独善的、男尊女卑的な人物だという。

相馬黒光とは夫の愛蔵と共に新宿中村屋を起こした実業家、社会事業家。木村屋がアンパンなら、彼女はクリームパンを発明し、中華饅頭、月餅、インド式カリーなど考案する一方、絵画、文学サロンをつくった人として有名である。

↓独歩詩碑が三鷹駅駅北口にある。
  山林に自由存す
  われこの句を吟じて血のわくを覚ゆ
  嗚呼山林に自由存す
  いかなればわれ山林をみすてし

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[太宰治]

太宰は昭和23年6月13日、三鷹駅と吉祥寺駅の間の玉川上水で、美容師の山崎富栄と入水自殺、19日に下流の井の頭公園近くで発見された。
今は柵がある上水も、往時はなく、水は2m以上もの深さで勢いよく流れていたそうである。

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この近辺には太宰ゆかり場所が多い。
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6月19日の桜桃忌はお墓のある禅林寺で行われる。太宰治がここに眠る因縁となったのは森鴎外の墓があったからである。
『花吹雪』に、三鷹下連雀の家の近くにある柔道の道場を覗き見して、若い頑強な肉体を、生まれて初めて胸の焼け焦げるほどうらやましく思った。うなだれてすぐ近くの禅林寺に行ってみる。森鴎外の墓がある。なぜ鴎外の墓があるのかわからないが、ともかく鴎外の文章にふさわしい清潔な墓地で、自分の汚い骨でもこんな墓地の片隅に埋められたら救われるような気持ちがする。しかし自分にはそんな資格はありそうにもない。墓地の選り好みなんて出来る身分ではないのだ。
というようなことを書いていたのだ。
道端には太宰治の出身地、青森県の金木町産の「玉鹿石」まで飾ってある。
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[山本有三]

山本有三は、同じく上水沿いの下連雀に昭和11年4月に家を建てた。スコットランドの邸宅風建築で今は「山本有三少年文庫」となっている。

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エントランスには『路傍の石』の「石」が置いてあった。とても大きな路傍の石である。

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庭は有三記念公園となっている。
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 [野口 雨情]

井の頭公園内に野口有情碑がある。大正13年からこの町に住んだからである。
  <広い東京の 気晴らしどころ ここは公園 井之頭ヨ>・・・で始まる全六節のうちの五節
  <鳴いてさわいで 日の暮れ頃は 葦に行々子 はなりやせぬ>が碑に書かれている。
↓雨情碑から見る井の頭池  

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池中に清泉湧出する所が7箇所あったので「七井の池」と呼ばれていた。三代将軍家光がこの水を愛し、城に引くようにと、弁財天のそばの辛夷の樹に「井頭」と彫ったことから「井の頭池」と呼ばれるようになった。
今この辛夷はすぐ上のお寺に移されたそうである。 

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2009年10月12日 (月)

秋の野ー柚香菊(ユウガギク)

野菊の季節です。
キク科ヨメナ属の「ユウガギク」と「カントウヨメナ」、シオン属の「ノコンギク」など全然区別できず、野菊ですませると、先生に叱られそうです。 
秋の野に一面のユウガギクが咲いていました。柚子の香りがする菊を意味しますが、柚子の香りは感じられません。
頭花は直径2.5cmでヨメナより少し小さい。ユウガ菊の舌状花は白に近く、ヨメナは淡青紫色で微妙に違う。

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↓ハグロソウ(キツネノマゴ科)内側の赤褐色の斑紋を「お歯黒」に例えた                  
↓ミゾソバ(ウシノヒタイ:タデ科) 花がママコノシリヌグイやアキノウナギツカミに似ていて間違える。

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↓キツネノマゴ(キツネノマゴ科)狐の尾は長いが、この穂状の花の長さが短めで狐の孫くらいの長さかなと付けられた名。
                 ↓ゲンノショウコ(フウロソウ科)下痢止めの薬効あり。 

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↓コヒルガオとは違う?  ポージィさんにベニバナマメアサガオと教えていただきました。               

                  ↓マメ科のヤブツルアズキ 花がねじれている

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↓ステゴビル(捨子蒜:ユリ科)食用にならないので、人が捨てて省みない蒜(ネギ、ニンニクなどの総称)の意。

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↓ツマグロヒョウモン(タテハチョウ科)、ヒメタテアカハに似ている。
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トケイソウ(トケイソウ科)の長い花期が終わって実が生っていました。大きさ、色が銀杏のようです。
落ちていたのを拾って、割ってみると中には何も入っていないミカンの袋のようなのがあるだけでした。

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2009年10月 8日 (木)

ドイツの歩行者用信号


娘がドイツで夫に買ってきてくれたTシャツには、前身頃に青の信号、後ろ身頃に赤信号がプリントされていて、愛用しています。
ところ変わればで、とても優しく可愛い歩行者用信号です。

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先日、実際に行った夫が信号機を見てきたのですが、旧東ドイツ圏にあるのだそうです。
最近はベルリン西側にも少し増えてきたそうで、どんな人がデザインしたのか知りたくもあります。

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ホテルの部屋のドアに下げるのも、このデザインで、don't disturbは赤を出しておけばいいのですね。

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スパティフィラムが5年ぶりに2つほど咲きました。
水芭蕉そっくりの花。白い仏炎包から花がかなりそれてしまっています。
買ってあった観葉植物の本によれば、光が不足したり、リン酸の多い液肥を施さないと咲かないとありました。来年から頑張ってみないと。

右はハナオクラ(トトロアオイ)の種です。これが黒ずんでくると出来上がり。今年もオクラ同様ぬるぬるした花をたくさん食べました。

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Photo_7アサリナの花です。美しい紫色で6月頃からずっとまだ咲いています。こぼれ種でまた来年も咲いてくれます。
見るたびに種を送って頂いた方を思い出す花の1つです。

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2009年10月 4日 (日)

「黄金の都 シカン」展

Photoシカン神の黄金のマスク(tona画)

国立科学博物館で開催されている展覧会です。
「月の神殿」を意味する「シカン」は750年から1375年までで、日本では平安・鎌倉時代にかぶさる。ペルー・インカはもっともっと古い時代だと今まで錯覚していました。
シカンというもう1つのインカ帝国がインカ帝国滅亡から遡ること500年前に存在していた。
ロロ神殿の発掘で支配者等の遺体とともに、1.2トンもの黄金製品が発見されたのである。シカンの支配者階級は黄金で埋め尽くされていたようである。
ツタンカーメン王のように、あるいはトロイアのアガメムノンの黄金のマスク、そしてブルガリアのトラキア王の黄金のマスクのように、ここのミイラもシカン神の黄金のマスクを被って、しかも遺体はすべて座位で葬られていた。

Photo_2 熟練した金工職人がいて、このマスクのような高度な金細工がたくさん出土したほか、交易によって真珠、琥珀、エメラルド、トルコ石、そして大型貝のウミギクガイやイモガイなどもふんだんに使ったものも多い。
織物の文様も独特だ。土器も、この地に生える脂肪を多く含んだ木が高熱を出すのを利用して黒い焼き物に仕上げている。
文字を持たなかったようである。まだ発掘の途中のようで全部解明されてわけではないので、これからにまだ期待したいシカンである。

振り返って平安時代、日本は朝鮮や中国のお陰でか文字を持ち、女性も小説を書いていた王朝文化。衣食住の面から見ても、今に残る往時の生活様式がかなり高度であった事を確認できる。しかし、ポンペイなどからわかるギリシャ・ローマ時代はさらに1000年以上も溯るのだし、四大文明もおぼろげながら、あんな時代にと日本と比較して驚くのである。
この展覧会で、何故我々は歴史を学ぶのか?と問題提示していた。それは1つには、自分がいかにして現在ここにあるのかを、しっかり確認するために歴史を振り返る、こと。

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2009年10月 1日 (木)

『きょうは死ぬのにもってこいの日』

某金融機関発行の冊子に本の内容が紹介されていました。
1冊はナンシー・ウッド著『今日は死ぬのにもってこいの日』(村尾清一氏が紹介)
アメリカ原住民プエプロ族の古老が残した詩が心に響く。死に際に恐らくは未練を残してばかりでしょうに、こんな心境で最期が迎えられたらと思います。
 
 きょうは死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
 すべての声が、私の中で合唱している。
 すべての美が、私の目の中で休もうとしている。
 あらゆる悪い考えは、私から立ち去っていった。
 きょうは死ぬのにもってこいの日だ。
 私の土地は、私を静かに取り巻いている。
 私の畑は、もう耕されることはない。
 私の家は、笑い声に満ちている。
 子供たちは家に帰ってきた。
 そう、きょうは死ぬのにもってこいの日だ。

プエプロ族は米南西部ニューメキシコ、アリゾナ両州に住み、トウモロコシの栽培、羊の牧畜のほか陶器、織物の伝統で知られる。白人文明の脅威に激しく怒りもせず、深く悲しみもせず、平然と生き残った民族。現在総人口の0.2%以下に追い込まれた原住民の一民族。

勝海舟は息を引き取る前、妹に「コレデオシマイ」といった。
幸田露伴は娘文に「じゃあ、オレ、もう死んじゃうよ」といったことも紹介されている。

もう1冊は蓮池薫著『半島へ、ふたたび』(福沢亜夫氏が紹介) 

著者が「青春時代の24年間を北朝鮮に奪われた僕にとって、それを取り戻す手段は、没頭できる仕事であって、ぜいたくに遊び呆けることでは決してない」と、翻訳に仕事を重く意義付けているのだそうだ。
24年間の空白を乗り越え、どのようにもの書きとして自立したかがその内容で、普通の人と違った奇異な人生を歩んだ蓮池さんの人生を見つめる目は厳しい。

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ここ10日の間に半分は落ち、残りが最後の花を咲かせています。黄色のエンジェルス・トランペットは、今年5回目で70位の花がつきました。夜は香りでむせかえるようです。

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