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2009年10月 1日 (木)

『きょうは死ぬのにもってこいの日』

某金融機関発行の冊子に本の内容が紹介されていました。
1冊はナンシー・ウッド著『今日は死ぬのにもってこいの日』(村尾清一氏が紹介)
アメリカ原住民プエプロ族の古老が残した詩が心に響く。死に際に恐らくは未練を残してばかりでしょうに、こんな心境で最期が迎えられたらと思います。
 
 きょうは死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
 すべての声が、私の中で合唱している。
 すべての美が、私の目の中で休もうとしている。
 あらゆる悪い考えは、私から立ち去っていった。
 きょうは死ぬのにもってこいの日だ。
 私の土地は、私を静かに取り巻いている。
 私の畑は、もう耕されることはない。
 私の家は、笑い声に満ちている。
 子供たちは家に帰ってきた。
 そう、きょうは死ぬのにもってこいの日だ。

プエプロ族は米南西部ニューメキシコ、アリゾナ両州に住み、トウモロコシの栽培、羊の牧畜のほか陶器、織物の伝統で知られる。白人文明の脅威に激しく怒りもせず、深く悲しみもせず、平然と生き残った民族。現在総人口の0.2%以下に追い込まれた原住民の一民族。

勝海舟は息を引き取る前、妹に「コレデオシマイ」といった。
幸田露伴は娘文に「じゃあ、オレ、もう死んじゃうよ」といったことも紹介されている。

もう1冊は蓮池薫著『半島へ、ふたたび』(福沢亜夫氏が紹介) 

著者が「青春時代の24年間を北朝鮮に奪われた僕にとって、それを取り戻す手段は、没頭できる仕事であって、ぜいたくに遊び呆けることでは決してない」と、翻訳に仕事を重く意義付けているのだそうだ。
24年間の空白を乗り越え、どのようにもの書きとして自立したかがその内容で、普通の人と違った奇異な人生を歩んだ蓮池さんの人生を見つめる目は厳しい。

Photo Photo_2

ここ10日の間に半分は落ち、残りが最後の花を咲かせています。黄色のエンジェルス・トランペットは、今年5回目で70位の花がつきました。夜は香りでむせかえるようです。

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コメント

おはようございます。
久しぶりに朝から覗いたら…
『きょうは死ぬのにもってこいの日』というタイトルに…ビックリ!しました(^^;

どんな臨終を迎えたいか…いくら想像しても思い浮かびません(^^;
いつ終わるのかは…神のみぞ知る…自殺以外はどんな臨終でも受け入れるしかないです…
私は絶対に自殺は選ばない人なので(*^m^*)神様にお任せします…
ただ…最後の日まで…健やかではいたいです…(^^;

「エンゼルトランペット」見事!ですね~♪わが家はこれから山野草の競演になります♪

投稿: orangepeko | 2009年10月 2日 (金) 08:04

★orangepekoさま

おはようございます。
本のタイトルながら、びっくりタイトルでした。
病院で亡くなった親族を思い起こしますと、最期は意識がなくなったりで、その前は苦しんで、とても表題のような心境ではありません。
しかしながら、何となくもう死ぬのが近しとなった時、この詩が思い浮かんだらいいなと言う気持です。心の準備をし始めました。

この花、有毒とわかっていても捨てられません。株も大分太くなって、地植えには適いませんが、鉢植えでここまできました。
秋の山野草の競演とは!贅沢なお時間を過ごせますね。陰のお世話が大変ですが。
有難うございました。

投稿: tona | 2009年10月 2日 (金) 08:21

「今日は死ぬのに、、」一度読んだことがあります。
タオ思想にも禅の思想にも、、といってもどっちもよくわからないのですが、宇宙とともに生きているような考え方は雑事に心を悩ましている身には読むだけでほっとします。
でも、またつまらないことに没頭していくのですが^^。

投稿: 佐平次 | 2009年10月 2日 (金) 09:48

★佐平次さま

この本はアメリカでもベストセラーだとか。知らないのは私ばかりでした。
またタオ思想も知らなかったのです。調べてみたら、老子の道教の教えで、頭と言葉に支配され、欲望の奴隷となっている私たちはそこから解放されねばならないことを説いているとか。
確かに開放されたらほっとすることでしょう。しかしながら、また日常に埋没して同じサイクルに中に身を挺しているのですね。
教えてくださって有難うございました。

投稿: tona | 2009年10月 2日 (金) 14:14

本を読んでいないので分からないのですが、
私なりに、今を大切に生きていくことが、
「今日は死ぬのにもってこいの日」に繋がっているような気がします。

どんな死の時が訪れるかは、神のみぞ知ることでしょうし、そこに至るまでのさまざまな苦しみも、身近な人の死と向き合って過ごしてきました。

どうしても逃れられない死なのですから、
「今」を、「今日」を大切に生きることが、
「きょうは、死ぬのにもってこい日」と言えそうに思います。

投稿: anikobe | 2009年10月 2日 (金) 15:13

もし、苦しむことなく、静かにこんな心境で最期を迎えられたら
どんなにいいでしょう。
私がこれまで目の当たりにした死は、猫も人も犬も、苦しみの最中に
息を引き取るというものばかり。
私は死そのものよりそこに至る苦しみが恐ろしいです。
けれど、本当はanikobeさんが書いていらっしゃるように
「今日」を大切に生きることが、「きょうは、死ぬのにもってこいの日」
という、生き方の問題なのかもしれませんね。
 
エンジェルス・トランペット、今年はまた一段と見事です。
これが鉢植えなのですから驚きです。冬は室内に入れられるのですよね。
腰を傷めないようお気をつけくださいね。

投稿: ポージィ | 2009年10月 2日 (金) 17:35

ある哲学者は「これでよい」が臨終の言葉であったそうです。
私には出来ません,そのような最期の言葉ではなく,その言葉に至る生き方か。
いつもジタバタしているだけです。

エンジェルス・トランペット,私の場合は和名のキダチチョウセンアサガオで記憶しています。

投稿: gaki | 2009年10月 2日 (金) 18:16

★anikobeさま

死にいく人を見ていく中で、苦しむ様子が辛かったです。こちらも哀しく辛く、苦しい日々をともにしました。
自分がどんな最期かは本当に神のみぞ知るですね。きっと苦痛に耐え、あるいは意識を失うかもしれません。
そこで、anikobeさんがおっしゃるように今を、今日を大切に生きることに尽きますね。
ふと気がつけば、決して大切にして生きていません。
しかし残りが少なくなってきて、こんな風に生きたネイティブの生き方に感動を受けて良かったです。
毎日こんな風な日ではなくては。
有難うございました。

投稿: tona | 2009年10月 2日 (金) 20:04

★ポージィさま

アメリカ原住民の何と素晴らしい生きざま、死にざまでしょう。
実際には苦しくともこんな心境で死んでいきたいですね。
クックちゃんの長い苦しみを目の当たりになさって、死を深く考えられたのですね。
本当に、今、今日を大切に、1日1日を宝の時間と思って過ごしていきたいです。
こんなとき、怒りやイライラ感はないでしょう。
エンジェルス・トランペットは年数とお水と肥料ですね。
この頃夫が2階まで上げていますが、もう年ですから、いつまで楽しめるかわかりません。そう、腰がいつまで耐えられるかです。
有難うございました。

投稿: tona | 2009年10月 2日 (金) 20:12

★gakiさま ありがとうございます。

そう、理想と現実のなんたる違い。
このプエプロ族の古老の長い人生に思いを馳せても、こうした心境に至った人生はどんなか、なかなか想像すらできません。
せめて充実した余生を送っていきたいです。

キダチチョウセンアサガオとしても覚えましたが、頭の中がせまくなっていって(つまり隙間がたくさんできました)、1つだけどちらかで、失念していました。

投稿: tona | 2009年10月 2日 (金) 20:18

死を意識して生活すると自ずと生活ぶりが変わってくるものなのでしょうね。

時々思い出して今日を満足して過ごそうと思いますが、殆どの日は忘れています。

理論上、死が近づいている今、思い起こす頻度を増やさねば・・・・
凡人にはなかなかの難テーマですね~~

投稿: もみじ | 2009年10月 4日 (日) 08:46

★もみじさま

ずっと振り返ることはあまりなかったのですが、この頃は死の方へ意識が行っています。
平均寿命までまだあるというものの、これこそ、死がいつわが身に降りかかるかは神のみぞ知る世界ではありますが、思いがけなくやってくるかもしれんません。
最期がこんな心境になったらいいですね。
心がけなくてはと心を新たにした詩であります。
高齢者の1年は大きいです。もみじさんはまだまだです。

投稿: tona | 2009年10月 4日 (日) 16:31

いいお話を聞かせていただきました。
死を迎える日、凡人の私にはこんなにも冷静に、そして平然と死を迎えることは多分出来ないと思います。多分、未練がましく「生」にすがりつき、泣きわめくかもしれないなどと思っています。
私、ブログのサブタイトルに「人生一日」などと書いています。悟ったようなせりふですが、今日一日しか人生が残っていないとしたら、一体どのような一日を過ごすのでしょう。一日、一日を大切に生きたい、そう願って「人生一日」などとえらそうなことを言っていますが、このサブタイトルも変更しなくてはなどと考えています。

投稿: 茂彦 | 2009年10月 7日 (水) 20:28

★茂彦さま ありがとうございます。

台風がますます近付いて風がひどく植木鉢がいくつか倒れています。

「生」にしがみつく、まさしくその通りだと思います。
時々、余命1か月とかあと1日と言われたときにどのように行動するかと考えることがあります。
古老のような心境に至っていなかったら、ただただ無意味に泣き叫んでいるかもしれません。
不満だらけでなく、満足感を抱ける毎日を送らなければいけないですね。
茂彦さんのサブタイトルは変更されないで、目標とされて日々を大切に生きていただきたいです。

投稿: tona | 2009年10月 8日 (木) 08:34

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