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2009年11月29日 (日)

ヤマコウバシの紅葉

近くの公園にヤマコウバシがあり、紅葉がきれいでした。
ヤマコウバシ(山香ばし・クスノキ科クロモジ属)・・枝を折るとほんっかな匂いがあるのでこう呼ばれる。
雌雄異株で日本には雌株しかないそうで、また晩秋に枯れた葉は散らず、枝についたまま越冬するので冬の山では目立つそうです。
黒っぽい実が付くようですが、見当たりませんでした。春に黄緑色の小さな花が咲くそうで、来年の手帳に書いておきました。忘れませんように。

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↓ピラカンサの垣

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↓オオカナメモチに実がびっしり

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↓公園と池

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アン・K・ベネデュース著『ターシャからの手紙』

深い友情と信頼で結ばれていた著者にターシャが送った29通の手紙が紹介される。
この手紙から今までのターシャの著書から伺えなかった一面や体験があって、暫し故人を偲んでしまう1冊です。
内容はあまり書いてはいけないが、私と同じ年齢の頃には動物と南仏プロヴァンスに半年も滞在していたなんて、思いもしなかったことです。
アンに贈った手作り品にもあっと驚いたり、お招き上手のターシャに感心したり、生きる喜びに溢れていて、読んで元気が出てきます。

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2009年11月25日 (水)

世界遺産「姫路城」と飛鳥・白鳳時代の奈良の旅(4)明日香村

飛鳥・白鳳時代の歴史の舞台・明日香村を、時代の天皇や権力者、文化人などを知って、5時間くらいかけて1周しました。

飛鳥時代400年(仁徳天皇)~645年(皇極天皇)・・大化改新(蘇我氏滅ぶ)
白鳳時代645年(孝徳天皇)~710年(元明天皇)・・平城京遷都

飛鳥時代531年から白鳳時代の天皇
29欽明(用明、推古の父) 30敏達(欽明の子、31用明(欽明の子、聖徳太子の父) 32崇俊(欽明の子) 33推古(欽明の子、日本初女帝)
34舒明 35皇極 36孝徳(皇極の弟) 37斉明(皇極重祚) 38天智(舒明と皇極の子)
39弘文(天智の子) 40天武(天智の弟) 41持統(天智の子・草壁皇子の母) 42文武(草壁・元明の子、持統の孫) 43元明(天智の子、文武の母)

この時代、天皇家の皇子や皇女、額田大、柿本人麻呂など多くの万葉歌人、蘇我馬子・蝦夷・入鹿や物部の一族などたくさんの人々が、この明日香の地に生きたのです。
万葉の昔を偲んでの遺跡めぐりです。

「甘樫丘」より大和三山を望む。 標高148mのこの丘には飛鳥の権力者蘇我蝦夷・入鹿親子が豪壮な大邸宅を構えていたという。
↓耳成山

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↓畝傍山

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↓香具山

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↓「水落遺跡」日本初の水時計の遺跡。660(斉明6)年、中大兄皇子が作ったという。

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↓「飛鳥寺」蘇我氏の発願による日本で最初の本格的仏教寺院。

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↓飛鳥大仏が安置される。鞍作止利による日本最古の仏像。鼻が高くエキゾチックなお顔で、修学旅行のときも印象に残った大仏です。

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↓「蘇我入鹿の首塚」飛鳥寺の前にある。建立は南北朝の頃だが、大化の改新で中大兄皇子にはねられた入鹿の首は、その場で落ちず、飛鳥寺まで飛んだと謂われる。

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↓「酒船石遺跡」斉明天皇の「両槻宮ふたつきのみや」ではないかと推定され、祭祀を行う空間であったらしい。

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↓「伝・飛鳥板蓋宮跡」皇極(斉明)天皇が蘇我蝦夷に建設させた宮で、ここで蘇我入鹿が暗殺された。

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「岡寺」草壁皇子と義淵が一緒に住んでいた地で、義淵僧正創建の寺。日本最大、最古の塑像観音像が安置される。
↓仁王門                   ↓本堂

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↓義淵僧正廟所                ↓三重宝塔

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↓「石舞台古墳」蘇我馬子の墓といわれる。30数個の石で出来、天井部分の巨石は重さ77t。

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「橘寺」聖徳太子創建の七ヶ寺の1つで、太子誕生の地。創建当時は四天王式伽藍配置であった。
11代垂仁天皇の時、勅命を受けて中国雲南省に、不老長寿の薬を求めて行った田道間守(たじまもり)が一緒に持ち帰った橘(ミカンの原種)が、この地に芽を出したので橘と呼ばれた。
↓橘寺全景

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↓橘に実が生っていた          ↓二面石の善面(飛鳥時代のもの)

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↓太子の馬                  ↓往生院

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↓「亀石」所領地の境を示す道標という。

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↓「天武・持統天皇陵」被葬者が特定されてる数少ない古墳で合葬陵。ぐるっと回ってみると円墳だった。 

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↓「鬼の俎板」雪隠と道路隔ててある古墳の石室  ↓「鬼の雪隠」

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↓「欽明天皇陵」30~33代天皇の父     ↓「猿石」吉備姫王(きびつひめのみこ)墓にある4体の猿石。当時大陸から伝わった「伎楽」の面や踊りを表したものではないかという。 

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世界遺産「姫路城」と飛鳥・白鳳時代の奈良の旅(3)法隆寺

姫路城と同時に世界遺産に登録された法隆寺(斑鳩寺)は、飛鳥時代607年に推古天皇、聖徳太子によって造られた、世界最古の木造建築として知られる。
しかし670年に全焼してしまったのに、「釈迦三尊像(現在金堂)」と「救世観音像(現在夢殿)」と「玉虫厨子(現在大宝蔵院)」は、2年前の668年にすぐ近くに聖徳太子を慕って建てられた、金堂に移されてたために焼失を免れたそうで、現在も見られるわけです。

法隆寺には国宝が38、そのうち仏像が17体、建物18、玉虫厨子など3あって、殆ど見られる寺です。
配置は金堂や五重塔を中心とする「西院伽藍」と夢殿を中心とする「東院伽藍」とその中間に宝物庫の「大宝蔵院」に分かれています。

↓国宝南大門を潜ると「国宝・中門」と仁王様が見えてきます。

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↓敷地の西北の小高い丘の隅にある八角円堂の「国宝・西円堂」↓ここからの五重塔の眺めがいい

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↓この横にある梵鐘は、正岡子規が「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」と読んだ梵鐘で、折りしも誰かが鳴らした鐘の音はゴーンと重々しく境内に響き渡りました。
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[西院伽藍]
↓国宝・五重塔 飛鳥時代、日本最古の五重塔といわれる。東西南北の塔本塑像も国宝で素晴らしい。32.5m

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↓国宝・金堂 中にいずれも国宝の釈迦三尊坐像、四天王像、薬師如来坐像が安置されている。

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↓国宝・廻廊 エンタシスの柱が美しい。
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↓[大宝蔵院] この中に宝がいっぱい。

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[東院伽藍]
↓国宝・夢殿 この中に聖徳太子等身の秘仏、救世観音像が安置されてる。

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↓国宝・東院鐘楼 袴腰形式の建物
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創建以後の法隆寺の仏像には聖徳太子に似せて造った仏像が多い。聖徳太子の威徳が後の人々に深く刻まれたからでしょう。
太子憲法17条
 人が自分と違ったことをしても怒らないようにせよ
 人は皆凡夫である
 和をもって尊しとなし
 人といさかいをせぬようにせよ
今も私たちを見守っています。

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2009年11月20日 (金)

世界遺産「姫路城」と飛鳥・白鳳時代の奈良の旅(2)當麻寺

「當麻寺」奈良県のやや北側の大阪と境を接する二上山の麓にある寺院。真言宗、浄土宗併立

推古20年(612)に聖徳太子の弟、麻呂子親王によって創建され、孫が「當麻氏」と称したことから寺号です。
日本最古の梵鐘や天平時代の東西両三重塔や中将姫ゆかりの蓮糸大曼荼羅で知られます。

↓仁王門と仁王様

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↓日本最古白鳳時代の国宝の梵鐘です

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奈良時代になると伽藍に二基の塔を配するようになるが、それが二基とも創建当時から現存しているのはここだけ。
↓東塔                      ↓西塔

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↓本堂(曼荼羅堂:国宝) この中に国宝の當麻曼荼羅がある

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當麻寺に塔頭が11もあります。実は塔頭の意味を今回初めて知ったのです。
寺院の敷地内にある、高僧が引退後に住した子院のことで、東大寺には18院、大徳寺には20院余りというふうに大きなお寺にはたくさん存在します。

[塔頭奥院] 浄土宗総本山知恩院の「奥の院」として建立された寺院。阿弥陀仏石像がある浄土庭園が素晴らしい。
↓左・阿弥陀堂 右・本堂

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↓奥院より両塔を望む

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↓楼門内側 ↓カタツムリがあちこちにいます。近所に見かけないので嬉しい。

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↓浄土庭園と桜

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[塔頭中之坊] 高野山真言宗別格本山、山内の筆頭寺院。役行者が道場として開いた。
↓本堂(中将姫剃髪堂)

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↓大和三大名園の香藕園(こうぐうえん)は大和屈指の名園

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奈良の友人が、中之坊貫主が書かれた「お腹いっぱい 幸せいっぱい」の一文を送ってくださった。
ご住職は幼くして両親を亡くし、父親の実家に居候となるも食べ物を与えられずひもじい日々を過ごしました。
10歳のときにこのお寺に連れてこられ、厳しい奉公でも、人並みに食事を頂けて、それだけで幸せで、奉公も何も苦労でなかったそうです。
そして師匠の跡を継ぎ住職になられたそうです。このお寺は格式の高いお寺である反面、檀家様もなく収入が不安定な寺だそうです。しかし、「この本尊様を拝んでいれば、必要なものはどこからか与えて下さる」というのが亡き師匠の教えとか。
食べられて当たり前で感謝を忘れ、自分で必死に餌を求める動物たちのことなんかも頭によぎり、自分を見つめるお寺でありました。
ご住職さんの姿は見えなかったけれども、こんな方がお寺を守っているのだと思いながら庭を鑑賞しました。

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1118 きんぴらかりんとう きんぴらの色(写真の色が悪いです)をしていて、最初齧ると、ぴりりと辛くきんぴらごぼうの味がし、そのあとかりんとう本来の味となる。面白いお菓子が次々登場します。

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2009年11月17日 (火)

世界遺産「姫路城」と飛鳥・白鳳時代の奈良の旅(1)

13日から15日にかけて友人と4人でまわって来ました。
今日午前に、奈良の當麻寺から置き忘れたリュックが届いたところです。
昨年イタリアでバスに置き忘れたのに出てきた同じリュックです。
お寺でさて、お茶でも飲もうとリュックを下ろそうとしたら背中から消えていたので、探し回ったのに、なかったので、すっかり諦めていたのが奇跡的に戻ってきました。
2度あることは3度あるといいますが、もう懲り懲りです。本当に同い年の友人の中でも1番の呆けまくりで情けないです。

「姫路城」
日本で初めて世界遺産になったこの城は、江戸時代初期に造営され、戦争、原爆に遭うこともなく奇跡的に生き残った城です。
姫路駅を降り立つと、北にまっすぐに伸びた広い道路の突き当たりに、白鷺城とも呼ばれるその美しい姿を見せてくれます。

↓銀杏並木の向こうはお城です       ↓お堀の柳と桜の紅葉が美しい

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↓堀で囲まれ、立派な石垣の上に城が見えました

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↓「い~ぬ」までの「門」や5つの水門をはじめ、籠城に備えるための腰曲輪など、敵に攻め込まれたときの工夫があちこちに見られる。

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↓雨の予報だったのに晴れてきました 

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↓十月桜も満開

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↓いよいよ大天守閣へ  

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↓天守閣から瀬戸内海と島が見えた

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↓腹切丸                 ↓播州皿屋敷・お菊井戸

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「好古園」
姫路城の西側にある好古園は、平成4年に姫路城西屋敷跡に作られた池泉回遊式庭園で、丁度紅葉の見ごろです。
この西屋敷というのが、吉宗の時代の榊原政岑が新吉原から高尾太夫を落籍し、住まわせた所なのだそうです。
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2009年11月11日 (水)

AEDとSOS

Photo 近所の家にある常緑のヤマボウシの実。我が家のヤマボウシはそろそろ葉が落ちようとしていますが、これは椿のように堅い葉で落葉しません。花も実もまったく同じなのに。

Photo_2 Photo_3 駅でAEDを見つけました。
心肺停止状態の人を助けるとのこと。自動的に電源が入って音声に従ってやれば出来るらしい。
しかし、何事も慌ててしまうたちなので果たしてそんな場に遭遇したらできるでしょうか。あやしいものです。

電車の各車両にはSOSボタンが付いていると聞きました。私が主に利用する中央線と山手線、そして東横線にもありました。
急病人が出た場合に近くの人が押せば、どうなるのであろうか。次の駅で止まったときに車掌さんなどが駆けつけてくるのであろうか。今まで1度も出遭ったことがないのでわからないが、落ち着いた、頼もしい人が必ずいるからおまかせしてしまうかもしれません。

熱海の梅林の横を通って登っていくと玄岳(799m)があります。なだらかな山で、頂上付近まで車でいけますが、最後の登りは結構急勾配です。頂上からは東の熱海の初島、南の天城、西の沼津方面、北に富士山まで一望できました。
↓リンドウがあちこちに

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↓氷ヶ池  昔、氷を切り出していたらしい

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↓富士山 南側はまだあまり冠雪していない

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↓玄岳全景                      ↓この山にはマユミが多い

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↓熱海海岸はサーフィンを楽しむ若者がいっぱい

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2009年11月 9日 (月)

秋の文学散歩(4)明治神宮外苑や青山墓地近辺

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JR信濃町駅の南に広がる神宮外苑には、まず聖徳(せいとく)記念絵画館があります。
東西112mある絵画館の中には、大正頃の一流画家によって描かれた80枚の壁画があります。
明治天皇、昭憲皇太后のご事績が描かれ、幕末・明治の歴史がわかります。

この記念館と有名な神宮のいちょう並木は1直線で結ばれ、青山通りに突き当たります。
↓青山通りから、いちょう並木越しに絵画館を望む

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↓いちょう並木はまだ青い        ↓不況知らずのレストラン(午後2時近く)
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「枢密院憲法会議」の舞台となった憲法記念館。ここで明治憲法が起草され、発布された。
↓ここから明治天皇がお入りになられた。

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今では「明治記念館」と名称を加えて、結婚式場となっている。
私が生涯で最初にして最後のお仲人を務めたところで、緊張したことが思い出されました。
↓庭                      ↓室内

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明治神宮外苑とは、青山連兵場跡地に、明治天皇の皇后を記念して全国国民から寄付金と献木、勤労奉仕によって造成され、建物、競技場、球場、ラグビー場などが造成されたところ。
↓シロマツ(マツ科)中国に分布し、日本では珍しい木。木肌がカリンかと間違える、面白い模様です。

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↓ひとつばたご(ナンジャモンジャノキ) 都内に十数箇所あるうちの一本。
幕末からあって明治天皇もそばで見たこの木は昭和8年に枯れて、2代目。

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青山霊園には有名人の墓がたくさんあって、1日では全部見て回れない。
↓志賀直哉の墓 志賀直哉一族の墓が一緒。志賀直哉は生前から骨壷を買って、それに砂糖を入れて舐めていた。亡くなって墓に埋められてから、骨壷が盗まれ、後に骨だけが返ってきて、生前から眺めて暮らした骨壷はまだ行方不明だそうだ。
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↓斉藤茂吉の墓も簡素なもの。ドイツに留学した茂吉はロンドンの漱石同様にちょっとおかしくなって、公園での恋人の接吻をどのくらい長いか計って、1時間だったなどと日記に書いているそうな。

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↓大久保利通の墓は鳥居があって、広大な敷地にある。
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↓浜口雄幸の墓         ↓忠犬ハチ公の碑(ご主人様の墓の隣に)

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最後はお馴染みの乃木神社内の「旧乃木邸」です。
↓夫人とともに明治天皇に殉死した乃木希典の屋敷は木造で質素。

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↓馬小屋は煉瓦建てで豪華。

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↓乃木大将と辻占売少年像

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↓乃木神社
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2009年11月 5日 (木)

滝と紅葉の「西沢渓谷」

山梨県の北に位置する西沢渓谷は、今まで見た渓谷の中で最も深い深い渓谷です。
滝三昧で、滝から離れると登山並みにどんどん登り、遥か下を望めば、切り立った深さに高所恐怖症の人は目を背けています。
今が紅葉真っ只中、赤や黄色の模様が美しく山を彩っています。
ゆっくり休みながら歩くと1周5時間のちょっとハードなハイキングでした。

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↓竜神の滝

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↓三重の滝

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↓七つ釜五段の滝

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↓大久保の滝                  ↓貞泉の滝

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↓母胎淵                       ↓人面洞

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2009年11月 2日 (月)

「文化」の日

明日の文化の日を前にして、広辞苑で「文化」cultureを引いてみると

[人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。
衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容と含む。

文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する。]

とすると最高位まで上り詰めた文明の中に身を置いている私たちです。
西洋的発想における文化に日々身を委ねているのに、あの勤めていた頃は労働に明け暮れて文化に浸っている暇がないと思っていました。
でも、全部文化なのです。どこに目を付けるか、人によって違うのがまた面白い。
しかし文化、文明の発達と幸福度は比例しない。不真面目な生き方や努力しないで招く不幸もあるけれども、生まれ付いて不幸を背負っている人もたくさんいます。

衣食住はじめ技術・学問・芸術までは頑張っていても、道徳・宗教・政治面ではこの頃の日本では腐敗し下降線を辿っているとしか思えません。

「幸福学」の第1人者として「ルート・ビーンホベン」さんが新聞の「ひと」欄に紹介されていた。
[幸福の条件は、まず富、民主主義、良い政府。日本はこの3条件を満たすが、人生における選択肢が狭い]
集団主義が強い日本では、常に他人の目を意識するため、点数が下がると分析する。ここ30年間、殆どの国が点数を上げる中、日本の点数は変わらないままなのだそうだ。なんと60位だ。
外国人は常には他人の目を意識しないのね。そういえば、人のことを気にする自分がいます。気にしないようになるのは今更難しいです。

国立新美術館『THE ハプスブルク』展

Photo 「ベラスケスもデューラーもルーベンスも、我が家の宮廷画家でした」といったハプスブルク。
「戦争は他の国にまかせ、我が家は結婚によって領土を広げていく」が家訓だったハプスブルク。
スイス片田舎の領主だったのが神聖ローマ帝国の皇帝になって13世紀から20世紀初頭まで600年以上の長きにわたり、ヨーロッパに君臨した名門王家。
宮廷画家に描かせた肖像画の数々。領地内の名画や美術品の収集にとどまらず、多くの優れた画家、音楽家などの庇護したハプスブルクは、今ウィーンとブダペストに何百万点というコレクションを擁しています。
本や映像でお馴染みのたくさんの絵画にじかにお目にかかれ、見ごたえのある美術展でした。

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