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2010年2月26日 (金)

コッホ・北里神社

新聞に紹介されたので、港区白金の北里研究所、守衛室の裏にあるコッホ・北里神社を見てきました。
新聞に寄れば、細菌学の父ロベルト・コッホのもとに集まった弟子の中で北里柴三郎が1番優秀で忠実な弟子であった。
コッホ夫妻が来日時には付きっきりでもてなすなど生涯にわたって礼を尽くし、師亡き後も自らが所長を務める伝染病研究所に師の遺髪をまつる祠を建てて恩を偲んだ。又、北里の死後門下生が隣に北里祠を建てた。1945年の東京大空襲で北里祠は焼失するがコッホ祠は無事で、これを機に師弟が合祀され、コッホ・北里神社になって現在の地に祀られた。
コッホが来日時に植えた杉と月桂樹が移植されたものが焼けたが、根から新しい幹が芽生えて育っていました。

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↓コッホ先生手植月桂樹記念碑
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伝染病研究所が東大の下部組織に組み込まれたりして、辞職し、私立・北里研究所を設立した際には、コッホ祠も一緒に遷座したり、森鷗外との理不尽な確執など北里柴三郎も大変だったが、今こうして、立派な研究所や病院の片隅に合祀されて子弟たちに見守られてきたのです。

            神社内に大きな芭蕉(バショウ科)もありました

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芭蕉の幹にあたる部分を仮茎といい、その先端から本当の茎が伸びてきてそこに花をつける。これは開いてないようで、花は夏に咲くらしい。茎の形が面白い!
茎の根元の方を見ると何やらバナナの小さいのみたいのが見えます。

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バナナは「実芭蕉」という名で芭蕉とよく似るが、バナナの苞は紫色に対して、芭蕉の苞は緑色から黄色、芭蕉の実は大きくならず黒い種ばかりで食べられない。
松尾芭蕉は深川の自宅にあった芭蕉から自分の名前を付けたそうだ。芭蕉布の原料、また漢方薬として使われた。

                  近くの有栖川宮記念公園

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    ↓有栖川宮騎馬像          ↓新聞配達の少年像  

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2010年2月23日 (火)

古いオルガン

何て古いオルガン!
60年前の田舎の小学校の教室にあったオルガンが長年風雨にさらされて戻ってきたようなオルガン。。。
粗大ゴミだと通り過ぎ、戻ってみて、よくよく見るとこれまた風雨にさらされたメニューが載っていました。カレーなどと読めます。メニュー立てに使っている。
はて、この階段を上っていくとお店なのね。お店の中どんななのだろう?インテリアがすべてこんなのだろうか?ちょっと覗いてみたいけれども勇気無し。面白いけれど、関係ないのに、お料理が埃っぽく感じられてしまうから。
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読書量が年々減って、その分増えたのが映画です。
昨年はWOWOWで録画したのを89本、映画館に出向いて鑑賞したのはたった5本でした。
本当は話題になったのなどはその時に観るのが一番です。テレビ鑑賞となるとどうしても、一,二年遅れでどれが話題になったのさえ忘れがち。改めて観た題名を見ても内容をすっかり忘れて思い出せません。何か暇つぶしに観ているみたいです。

今年出かけていって観たのが『カールじいさんの空飛ぶ家』
3Dでは観なかったのですが、なんとなく立体感があって、おじいさんの鼻が尖って見えます。アニメなのに、人物や景色、建物など立体的なのは気のせいか。アニメの進歩。
奥さんに先立たれ、落ち込んでいたのが、奥さんと行くのが夢だった南米ギニアへ家ごと飛んで行って、夢を果たす。帰国して妻とのあの悲しい別れをすっかり断って、生き生きと新たに挑戦しようとするところが1番の感動です。生きる気力もない人が何かで生きる力を得たら、素晴らしい最後の人生へ踏み出せる。カールじいさんの躍動感がしみじみ伝わってきました。

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ぽかぽか陽気に誘われて散歩に出てみるとサンシュユが咲き始めていました。

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                枝垂れ梅は満開

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                 初めてムクドリを撮ってみる

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2010年2月20日 (土)

やる気

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娘たちが買ってきてくれた餃子の町・宇都宮の「餃子パイ」です。
浜松の「うなぎパイ」が有名だが、これはうなぎパウダー(ウナギの骨で取った出し汁を粉末にしたもの)をパイ生地に練りこんで焼いたものだが、餃子パイは形が餃子そのもの。中味は白餡にマロングラッセ入りなのでウナギパイとは違った美味しさです。

新宿を歩いていたときに[やる気茶屋]の広告を見かけました。
どこにあるかわからなかったので、ネットで調べたら宇都宮にある日本海庄やの系列のようです。新宿にもあるのか?
やる気と銘打っているなら、きっと店内はやる気に満ちた店なのでしょうか。

この「やる気」で思い出しました。
眼のことで久しぶりに公立の病院へ通っています。建てかえられている途中ですが、大部分出来上がっていて、当然ながら清潔感に溢れています。
で驚いたのが早朝の院内です。8時過ぎに入っていくと10人くらいのスタッフが親切に案内してくれ、初診の手続きも一緒にやってくれます。
8時半前には広い事務関係のカーテンが開き、そこに何十人もの制服のスタッフが全員こちらに向かって立っていて、代表の挨拶の言葉とともにお辞儀をしたのです。とてもやる気を感じました。
外来の看護師さんたちもきびきびして親切、果たして病棟の方の看護師さんは疲れてなくて(そんことはないか)、元気いっぱいに看てくださるのだろうか。
待っている人の評判も上々のようです。やる気のある人に会うとこちらにも元気がもらえます。
暗くなっていたトイレに入ると、ドイツのように電気が点く仕掛け。オペ室に入るのは下のほうを足で押すと開く仕掛けで扉が清潔、妙に感心して帰ってきました。

調剤薬局ですが、病院や集合診療所の前や近所に必ずありますが、近い方は凄く混んでいますが、離れた方は気の毒なくらい、人が入っていません。ためしにすいている遠い方に入ってみたら、必ず記入させられる書類の最後に「ジェネリックを希望しますか」とあります。勿論大きな○をつけました。こんな体験が2度あったのでいつも遠い方を選ぶことにしています。

         今日は快晴で、似つかわしくない18日(一昨日)の画像です。

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2010年2月17日 (水)

文旦と米粉ケーキ

結婚してからいつの日か、果物の生る樹を植えられるほどのちょっとした庭を持つのが夢でした。
現実は小さな小さな庭で、植栽が数本あったので、柿、柚子、文旦をかろうじて植えられるほどのものでした。
ところが、柿は4本とも失敗、柚子は実が生らなくて伐採、文旦も同様にして切ってしまい、果物の収穫はあえなく夢と消えてしまいました。
湘南の暖かい茅ヶ崎の実家では、今回も70個以上の文旦が生って、柚子と一緒に送られてきました。葡萄も柿もよくできてました。
暖かいだけでなく世話もいいようです。写真撮り忘れのマーマレードも美味しく出来ました。                     文旦と柚子

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↓米粉ケーキの素で作ったフルーツケーキ ↓左が米粉で右が小麦粉 白い米粉の色を比較するつもりの写真が同じ色に

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お団子やかるかん饅頭の口ざわりを想像して、小麦粉と違った感触のケーキの味わいかと思いきや、小麦粉のと変わらない美味しさです。これは意外。
減反政策のころから紆余曲折があって、お米をもっと食べようという運動も起こった。
米粉のうどんも開発されたと聞いたけれど、まだ食べていない。ヴェトナムのフォーみたいなのかと想像しただけ。
しかしケーキがこんなに美味しいのなら、きっとコストの問題もあるでしょうが、小麦粉の高騰問題が生じたときにいいのではないか。

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2010年2月14日 (日)

音羽御殿・鳩山会館

1/19に行きました。駐車場に次から次へと大型バスが到着して沢山の見学者が行列です。
箱根の別荘への道のような私道を上りきるとイギリス風建物のバルコニーの張り出した玄関が見えてきました。

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大正13(1924)年に完成し、平成7(1995)年に先代の偉業を紹介する記念館として修復された。
入館料500円、冬で休日でもないのに大混雑。修復維持のお金より多い収入かと推測し、鳩山家の収入になるのかとつまらないことを考えたほどです。

それはともかく、バラの咲く季節はどんなにか素晴らしい庭園でしょう!

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  今日ブログ友に教えていただいたところでは
12日の東京ドームで行われた「世界のらん展日本大賞2010」開会式で鳩山首相が挨拶で、この邸宅がバラ園で有名だったことにちなみ「祖父は棘を愛したが、私は棘のないランの方を好む。今日の予算委員会で散々乱打をいただいたが、こちらの空気の方が好きだ。是非長居したい」と挨拶したそうだ。
政権交代のときの笑顔がすっかり消えて、「政治と金」問題で苦渋の日々の首相も、11日の誕生日のパーティーとこの開会式で一時の安らぎを感じたのことでしょう。

初代和夫、祖父一郎と父威一郎と続いてきた、政治家として教育家としてリードしてきた鳩山家の理念、歴史が資料などでよくわかる。

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鳩をモチーフにした階段部分のステンドグラス、軒先にも鳩、そして池にも鳩の像がある。

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バルコニーから見上げると鹿が、建物正面屋根にフクロウの置物が4つ鎮座している。

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アダムスタイルといわれる応接室や舞踏室などで自由党結成や政治の下準備などが行われてきた。

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首相の顔をテレビで観るたびにこの邸宅を思い出しています。

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2010年2月11日 (木)

『宝島』のスティーヴンスンと『山月記』の中島敦

高校の教科書にあった覚えのある『山月記』の作者の中島敦が、『宝島』を書いたスティーヴンスンの日記を元にして『光と風と夢』を書き芥川賞候補にまでなった。
原文は120年前、スティーヴンスンがサモアで書いたものである。

スティーヴンスンは『ジーキル博士とハイド氏』も書いた小説家で弁護士でもあった人だ。
スコットランド生まれで、フランスやアメリカで生活したが、体が弱かったので後に南太平洋のサモアに行き、ここで44歳という若さで亡くなって、遺体が山頂に埋められ、家は博物館になっている。
『宝島』はまだ何も冒険してない頃想像で書かれた。島では「物語る人」という尊称を与えられて村長になり、その最期は村人たちの熱い涙と賛美歌と花に包まれたそうだ。

中島敦もスティーヴンスン同様、肺を病んでいたが、その冒険的生き方、文学的考え方に共鳴して日記を訳して『光と風と夢』を書いたというのである。パラオに転属になり、帰国後風邪を引き、肺結核で33歳で亡くなった。

スティーヴンスンの人生はその作品と同じくらいに面白いそうで、彼に関する書物は200冊以上もあるというのである。以上を小冊子「楽しいわが家」で、よしだみどり氏から知りました。
この二人の意外なつながりが興味深い記事でしたが、スティーヴンスンがサモアで一生を終えたとは!、思いがけないことでした。

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風土果 桃林堂の「五智果」ー蓮根、蕗、洋ナシ、レモンの皮、イチジク
本社は大阪八尾にあり、上野の芸大のそばに上野店がある。1/23に日経新聞で取り上げられた。
果物の他、人参、牛蒡、椎茸、蓮根、蕗などの野菜の砂糖漬けでザボン漬けのような味。とても上品な味。Photo

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2010年2月 8日 (月)

アリドオシ(一両)

都立庭園(殿ヶ谷戸庭園)に実が生っていました。
1本の木が大きく広がって何やらトゲがたくさん見えます。

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一両(アリドオシ蟻通し:アカネ科)
蟻通しの名の由来は、葉の付け根から出ている鋭いトゲが蟻をも刺し通すだそうです。

「千両、万両、有り通し」という言葉があります。千両も万両も1年中ありますの意。

我が家でも千両、万両の沢山の実が鳥たちの餌になりました。上の言葉にない十両(ヤブコウジ)と百両(カラタチバナ)ですが、家では十両は今まで生っていたのが、今季は実が生らず、百両は1度も生りません。百両は何故か実が付きにくいのだそうで、サイトでも花が見られないという報告が多いです。
↓実の生らない十両と百両 (十両は葉が紅葉している)

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Photo_9  今年も札幌雪まつりが始まっています。STVよみうり広場に高さ17mの「北の動物園」の大雪像がお目見えしています。素晴らしい。
ホキョクグマやユキヒョウ、ペンギン、オオカミ、コノハズク、ゴリラ、チンパンジーなどの姿が見えます。

先日『旭山動物園物語 ペンギンが空を飛ぶ』を鑑賞し、涙を流したのですが、小菅園長や飼育の方々の奮闘も知らず、2年前にただただペンギンのお散歩だけに夢中になった私です。
エキノコックス症流行を始め諸々の事情で、一時廃園の手前まで行ったのを、今では日本最北の動物園として、全国でも1,2位の入場者を誇る人気の動物園にした経緯は人知れぬ苦労の連続でした。
園長は仲間内の口論喧嘩や市役人との軋轢など、ありとあらゆる困難を、その大きな度量ある態度で次々と解決していく。またその仲間も、存続の署名活動したり、次々とアイディアを出し、形態展示でなく行動展示にするなど工夫を凝らしたのが現在の旭山動物園だ。
動物園とは、野生動物を狭い檻に閉じ込めて自由を奪っているのでなく、環境に耐えられなく絶滅の危機に瀕している動物を保護していく任務もあるのだということを教えられました。次回行く機会があったらいろいろな角度から見てきたいと思います。

お騒がせしました眼も4日に無事手術が終わり、今週と来週の抜糸がすめば、外出も出来るようになります。傷が消えるのがいつのことかわかりませんが、サングラスで凌ぎます。
皆様、ありがとうございました。

 

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2010年2月 2日 (火)

寒牡丹

                     今朝の雪景色

Photo_2老化って意外な形で現れるものです。
私の場合、ずっと目の具合が悪くて、痛いし、涙は出るしで、5年以上も治療していても、どんどん悪くなるので思い切って医者を変えてみました。
結果は痛くて度々結膜炎を起こすのが逆さ睫、涙目は目の下の結膜が、老化でたるんでいるからでした。
逆さ睫の原因が、やはり老化のため下まぶたが内反してしまったことで、そのため睫が目に当たるわけです。
明後日、右目の下まぶたを切開し筋肉を引き締めて縫合するのと、両目の結膜がたるんでいるのを縫合して固定する手術をすることになりました。
目玉がなくなった夢を見たのですが、現実は日帰り手術です。足元が覚束ないのと、もしかして痛いらしいですが、先生を信頼しましょう。
手術をしても完全に100%良くはならないそうですが、それも仕方ないことです。極端に目に出てしまった、わが老化に手当てをしていただけるのは本当に有難いことです。

先日、寒牡丹と冬牡丹の違いを知って、寒牡丹も咲いているという上野東照宮のぼたん苑に行って、たった1輪しか咲いてない寒牡丹を見てきました。寒さにめげずに、しかし縮みあがって咲いていました。可哀そうな感じです。

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こちらは冬牡丹、40種600本の中の一部です

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            ↓森鷗外住居跡地が鷗外温泉になっていました。

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↓元都電の停留場(池之端)に都電の展示の児童遊園がありました。Photo_13

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