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2010年3月29日 (月)

ピンクの雪柳と猫柳

野川沿いにピンクの雪柳を見つけました。
写真で撮るとピンクが白っぽくなりますが、野にあると淡いピンクが優しく目に入ってきます。
見たことがないので調べてたら、園芸種だそうで、誰が土手に植えたのでしょう。
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猫柳 猫の尻尾に似ていることから命名された猫柳が、この頃気に入っています

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           22日に登った「南天山」は枯れ枯れの風景でした

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奥秩父にあって、埼玉・群馬の県界尾根の南面にあるこの山は風采のあがらぬヤブ山と言われる。
1483mで木の芽はまだ何も出てないし、地面には草さえも殆ど芽生えていませんでした。
                ↓ツララを見たの何年ぶりでしょう

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                    ↓浅間山だそうですPhoto_9

       ↓かなり下ったところにハシリドコロが1株、花芽を付けていました

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2010年3月27日 (土)

ソラマメの花

田舎の畑で見ていたソラマメの花がやっと我が家にも咲きました。
最初は発芽しても枯らしてしまい、2度目の挑戦で1週間前から咲き出しました。
最初咲き出したのは同じところから3つずつ出てたのが、だんだんと4つ、5つと重なり合っています。
蝶型の花で紫の濃淡の美しい花です。シベがさっぱり見えなくて、果たして実がなるのか?どんな風にしてなるのか楽しみです。

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最初のニラは太めです。秋の最後になるとやせ細ります。
最後に収穫したニラを3,4cm位に切ってそのまま冷凍したら冬中の味噌汁の青味として重宝しました。
生野菜の冷凍はなかなか出来ないのに、このニラだけは香りもそのままで繊維も損傷しない。友人に教えてもらって感謝。知らなかったのは私だけでしょうね。

菜の花は秋に蒔いて蕾頃をやはり味噌汁の青味としていただきます。うっかり花をたくさん咲かせてしまいました。
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タチツボスミレが満開です。

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↓ニオイタチツボスミレのようです。花はタチツボスミレにそっくりですが葉がちょっと違います。でも匂いません。
いろいろなスミレを買ってみたものの、残ったのはこの2種類だけです。

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さし芽してついて3年目に60cmくらいになった雲南黄梅がやっと花芽をたくさんつけ、咲き出しました。

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2010年3月23日 (火)

ヒサカキの匂い・臭い

我が家にもジンチョウゲが咲くこの頃、歩いているとどこからか漂ってくる匂い、人によっては臭い。
ニオイの主は「ヒサカキ」(ツバキ科)です。神棚に供える榊に似て小さいから姫榊という。
20年以上前に住んでいた北九州で教えられた名前とニオイ、人によっては、これが臭ってくると耐え難い季節という。ある人はノスタルジックな匂いという。
かく言う私は好きなんです。今年は何故か匂いが強いように感じられます。匂ってくると北九州の素敵な友人と自然が思い起こされるからです。
玄界灘の美味しい魚(イカナゴや下関のフグ)、山が迫り坂の多い街、蛍の飛ぶ田んぼ、知的な人々と出会いで、もし親戚がいたら永住したいほどでした。

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Photo_5 先日の岡本民家園に隣り合って、静嘉堂文庫美術館があります。
岩崎弥之助・小弥太父子が収集した国宝7点を含む6500点の東洋古美術品収蔵の美術館です。
この岩崎弥之助が、「竜馬伝」の語り手で凄まじい人物として登場している岩崎弥太郎の弟です。
どん底の貧しさから這い上がった兄弟。三菱財閥を築いた彼らがその巨万の富で収集した美術品には驚かされます。テレビで香川照之演ずる弥太郎の家の汚さ、貧しさ、ことにこのドラマではいやな性格の人物として描かれているのも印象的で、とてもこの美術館に関係するとは思えません。

今回展示された国宝の「曜変天目」を見ました。中国の宋の時代に造られた曜変天目茶碗は世界に3つしかないそうで、全部日本の国宝で、大阪、京都そしてこの美術館に存在します。
天目とは黒い釉がかかった焼き物で、ここのは「稲葉天目」という。曜変とは内部の漆黒の釉面に斑紋が一面に現われその周りが瑠璃色に美しい光彩を放っているもので、言うに言われない美しいものでした。

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2010年3月20日 (土)

再び民家について、世田谷区の民家園

都内ではさすがに見られない民家も、世田谷区では2箇所に民家を公開しています。向井潤吉さんの絵を思い出しながら見学しました。

1つは岡本公園民家園の旧長崎家住宅です。江戸時代後期の建物で百姓代を勤めていた家で32.2坪です。
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囲炉裏、かまど、そして農機具や道具の数々が当時のまま残されています。
かまどにくべられた薪の煙が家中に燻って、大黒柱や天井まで真っ黒です。
釜で沸かされたお湯で囲炉裏端でお茶を頂きました。その美味しかったこと!ただ家に帰ってきても、服や持ち物がいまだに煙りくさい。当時住んでいた人は燻製のようになっていたことを実感しました。
台所仕事は座ってやったのですね。
同じ頃の江戸の庶民の台所は高田郁著『八朔の雪』によれば、立ってしたようですが、台がとても低く腰を痛めたようです。
何れにしても身長に合わせた調理台で快適に調理できる、こんな当たり前なことが有難いことなのです。
      ↓ござ編み機              ↓台所

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                  ↓かまど

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       ↓囲炉裏              ↓神棚 仏間
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もう1つは次大夫堀公園民家園です。
こちらは江戸時代後期から明治にかけての農村風景を再現しています。
次大夫堀とは、稲毛・川崎領の代官小泉次大夫が指揮して掘った農業・生活用水で多摩川の水を取り入れ、世田谷、六郷を流れていました。
                       ↓名主家

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                  ↓土間も広く蚕棚も見られる 

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↓立派な障子             ↓同じく座っての台所水場

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                       ↓蔵まで茅葺

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                  ↓半農半商住宅 店造り形式

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       ↓普通の農家           ↓鍛冶展示小屋

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↓壁の断面がわかるように展示されていて、11回塗られている厚さに驚きました

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↓半農半商家屋に売っていた、子どもの頃以来のラムネが美味しかった

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2010年3月17日 (水)

小倉山・雪の中のザゼンソウ

塩山のお雛様を見る前に、今年初めての山・小倉山(954m)に登りました。大菩薩峠の近くです。

まだ雪が残っていて、初めてアイゼンなるものを付けました。新体験はいつでも嬉しいものです。
途中、木道の両脇にたくさんのザゼンソウが咲いていました。まだ雪の中のものもあって、岩穴で僧侶が座禅を組んでいます。
岩穴に当たるのは、仏炎苞で暗紫褐色だが、ピンク色や緑色っぽいのもあります。これが白だとミズバショウです。
この花もこんにゃくの花同様に悪臭があるそうだ。

        ↓小倉山               ↓小倉山山頂から 

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一気に春は進んでコブシ、ユキヤナギ、ヒュウガミズキが満開のところもあります。これは先週11日(木)のお鷹の道と公園の花です。
↓ヒメリュウキンカ(キンポウゲ科) 湿地帯のリュウキンカとは属が違う。姫がつくのに殆ど花の大きさが同じ。

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        ↓ネコヤナギ             ↓アセビ

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                 ↓お鷹の道

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↓湧き水からの小川の中には名前を教えていただいた、セキショウ(石菖・サトイモ科)に花が咲いていました。

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2010年3月14日 (日)

向井潤吉展と民家の雛飾り

Photo_2Photo_4かやぶき屋根の民家を、その家を取り囲む風土風景を主としながら、戦後40年間描き続けた向井潤吉の展覧会が日本橋高島屋で行われています。
以前、世田谷の向井潤吉アトリエ館や世田谷美術館で鑑賞したけれども、今回は130点も紹介されているのでたっぷり民家を味わうことができました。

郷愁を誘われる美しい里山の風景の中に、今はすっかり姿を消したかやぶき屋根の家が、懐かしい佇まいを見せている絵は大好きです。
行動美術協会の行動展は北九州に居た頃から見ていますが、行動展の中でただ一人、民家を描いている向井潤吉さんの絵は際立っていました。
今にも崩れそうな民家、凄く大きな民家、作り方も実に様々あったことが伺えます。
その中での生活は、夏は涼しいけれども、冬の寒さは厳しかったのであろうと、日々の労働は厳しく、不便な生活を強いられていたのではと想像するが、四季を彩る周りの美しい景色は都会人が味わえないものです。

昨日山梨県に行ったのですが、民家があるかと見回しましたが、もう今は1軒もありませんでした。
ただ塩山駅前の「高野家住宅・甘草屋敷」の馬屋がかやぶき屋根で、保存されていました。
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高野家は「甘草屋敷」とも呼ばれ、八代将軍吉宗の頃、幕府の命により薬用植物の甘草を栽培し、納めていた。
屋敷は江戸時代末から明治初頭の屋敷構えで重要文化財となっている。
たくさんの種類のお雛様があって、今「ひな祭りと桃の花まつり」展が開かれていました。
たくさんの説明のなかで覚えていたのが、「三人官女の中に眉が引いてないのやお歯黒がいて、この官女は既婚です」というものでした。
ここも次々とツアーのバスが到着して、賑わっていましたが、ツアー客を連れた添乗員が以前スイスに行ったときの添乗員でびっくりでした。

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塩山は樋口一葉が夢見たふるさとだそうで、一葉の両親の出身地とのこと。二人は結婚を許されなかったので、江戸本郷に出府したのだそうで、ここで一葉が生まれた。塩山市内の慈雲寺に「一葉女史文学碑」がある。
Photo_13日本で初めて女性の肖像画を用いた「新五千円」紙幣。平成16年に日本銀行発券局より、市制50周年の塩山市へ「番号5番」の紙幣が特別に配布されたそうで飾ってありました。

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2010年3月11日 (木)

石川英輔著『泉光院江戸旅日記』

日記の書き手、泉光院は、1800年前後に生きた、山伏であり、お寺の住職でもあり、同時に日向の佐土原領主に仕える武士である。
著者石川氏がこの日記を解説しながら紹介している。

57歳の時、34歳のお供を一人連れて、渡し舟以外は乗り物にも乗らず、6年2ヶ月かけて鹿児島から秋田本庄まで歩き、距離は2万キロ。
足を踏み入れなかったのは青森・岩手と四国の香川・徳島・高知の5県のみ。
旅の目的は日本9峰と西国33か所など百か所をめぐり、あわせて全国の山伏の状況を視察することである。
地位の高い山伏ながら、殆どを托鉢の乞食修行の旅行で、おもらいの少ない街道すじでなく、農山村地帯の裏道の村落ばかりの旅である。
歴史で習ったり、読んだりした江戸時代の農村の暗い辛いイメージだが、1日も欠かさず書かれたこの日記からは全然違った農村が見えてくる。実に興味深い。

泉光院さんは超人的に頑健で、驚くべき健脚である。また知的水準がずば抜けて高い。
6年間に具合が悪くなったのは頭痛で寝込んだ1日だけである。1日に65kmも歩いても元気。山伏の修行で鍛えていたから足腰が抜群に強い。例えば京都伏見から比叡山に登り、そこから鞍馬へそして伏見に1日で帰ってくる。若いお供は疲れて時々病気になっていた。

武士として居合術、弓術に長じ、儒教・古典の知識・文章力・俳句・和歌・漢文・梵字の読み書きが出来、生け花・茶道など文武両道に通じていた。
山伏として紀州大峰山で峰入修行36度、奥駈修行13度して、加持祈祷は本業で占いも頼まれればした。

これらの特技をすべて生かして農村の人々に教え、語らって糧を得、宿を提供してもらい、食事の供応にあずかるのだが、原則は乞食であり、自分で炊事をしての旅である。
解説された日記はこれだけ読んでいたら読み通せない人も多いと思われるが、私は何しろ泉光院さんの異常なまでの知識欲と好奇心に惹かれて、今までにない面白い日記として生涯忘れられない本となった。

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私の好きな籠の鳥は文鳥、野鳥ではツグミです。
ツグミは私の中では孤高の鳥としてイメージする鳥です。
いつも一人でじっと何か考えている姿は寂しげでもあるが、哲学する鳥です。
この日も10分以上もじっとこの姿勢で、まだ動かないツグミと別れました。

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2010年3月 8日 (月)

川中美幸さんは面白い!

紅白歌合戦に22回出演した演歌歌手の川中美幸さんの歌謡ショーに行ってきました。

Photo_2 川中美幸さん、いやー!実に面白い人であります。最初から最後まで笑い通し。アドリブまで冴え渡っていて、頭のよさまで伺えます。
54歳ですが若々しく美しく、昔と全然変わらない。
「ふたり酒」「二輪草」「郡上夢うた」「艶冶な気分」「瀬戸の恋歌」「豊後水道」などなど20曲以上聴いたでしょうか。
美空ひばり以降、最も音程のブレない[歌のうまい歌手]だそうだ。本当に生で聴くと豊かな声量や歌の技巧にただただ凄いの連発だ。
彼女の語りの中に、お母さんが渋谷で84歳なのに夕方5時から夜中まで、屋台でお好み焼き屋だったかやっているそうだ。
もう辞めたらといっても聞かないのだそうだ。この親にしてこの子あり。
美幸さん自身も強い人だ。平成12年にTVディレクターの夫が麻薬不法所持で逮捕された直後の紅白歌合戦で「なにわの女」を熱唱して、夫婦の絆がいかに大事であるかを世間に知らしめたと書いてあります。ノリピー夫妻とは大違い。

今日の庭で

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2010年3月 4日 (木)

ニコライ堂と山本琢磨

Photo 「竜馬伝」でお茶の水にあるニコライ堂が出てきたので通り道で寄ってみました。
青いドームが印象的な美しい外観の教会で、中はイコンがいっぱいの厳かな空間が広がり、質素ではあるが、ヨーロッパの教会に迷い込んだような錯覚を覚えました。

今週の竜馬伝で、坂本竜馬の従兄弟の山本琢磨が、拾った金時計を売った事から訴追され切腹を命ぜられるが、竜馬の助けで脱出。
新潟で前島密に函館に行くことを勧められ、函館で剣道の技などが認められ、宮司の沢辺家の婿養子になった。その後ニコライとの出会いで、日本ハリストス正教会の初の正教徒にして初の司祭になり、東京ニコライ堂の建設にかかわったというのである。

ニコライ堂は「東京復活大聖堂」が正式名、ギリシャやロシアを経て伝えられた「日本正教会」で、1884年(明治17年)から7年かけて大主教ニコライによって建てられ、関東大震災で倒壊後は、あの鳩山邸を設計した岡田信一郎が復興させた。
ロシア人の聖ニコライ(1970年に聖人に列聖される)は日露戦争時にも日本に留まり、日本の国のために祈り、75歳で永眠、谷中墓地に埋葬されたそうです。

テレビで観たあの情けない山本琢磨の大変身に驚いたが、竜馬が助けなかったら切腹させられていたとは。

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2010年3月 1日 (月)

お坊さんの気絶・トルコ料理

Photo_2  この本は2000年春にトルコを旅行したとき買った料理本で、日本語訳です。

1度も作ってみないまま、ずっと忘れていました。夫がトルコに行くのでトルコ料理が食べたいというので、娘夫婦がトルコ料理屋でご馳走してくれたので、思い出しました。
旅行で友人になった一人(現在のコーラスと麻雀の師)が、私が作ってお持ちするのを待っていたようですが、材料が揃わないとか日本で食べると口に合いそうもないとか言ってご馳走もせず、そのまま本箱に入れたまま10年が経ちました。何のために買ったんだか?

世界三大料理の1つにも入るというトルコ料理ですが、イスラムの国ゆえ原則、肉が羊か牛、オリーブを多用し、チーズ、ヨーグルトも材料となる。
肉料理のケバブ、肉団子料理キョフテを中心に種類の多い前菜、トマトやピーマンの中に詰め物をして煮込んだドルマも有名で、広大な領土に君臨したオスマントルコの伝統を引き継いでいる。
改めて内容を見てみると、面白い名前の料理があります。
[お坊さんの気絶]ナスの中にトマトとタマネギを炒めたのを詰めてオリーブ油と水で煮たもの。
・・・名前の由来はお坊さんも気を失うほど美味しいからとか、お坊さんが気絶するほどオリーブ油をたくさん使うからとか・・・
他に[庭師のケバブ]
    [レディのおへそ] [大臣さまの指] [美女のくちびる]なんていうデザートまであります。

              行ったお店はその名も「スルタン」です。

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                       水パイプがありました

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お坊さんの気絶らしきものはありませんでしたが、トルコのビールにワインと一緒に、いただいたトルコ料理は大変美味でした。

          ↓ナスのサラダ・ヒヨコマメのトマト煮込み・鶏肉フライ

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                   ↓レンズマメのコロッケ

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                      ↓シシケバブー

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                      ↓野菜マントゥ

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                ↓魚介と野菜のチーズグラタン

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↓トルコアイス(マンゴ&ミルク)かき回して食べるのは中に水あめが入っているから。

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トルコ風の飾りの中に何故か鎧兜が飾ってありました

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