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2010年6月29日 (火)

ポーランド一周の旅(5)最終回

Photo_2 いつも後で消せるからと、自分でもバカみたいと思いながら撮ってしまう写真、今回は10日間で1314枚、いささかうんざりしました。

<9日目>ザコパネ→チェンストホーバ→ワルシャワ

[オゴロジェニェツ城]
カタカナでこのように書きますが、ポーランド語って実に発音の難しい国です。ドライバーさんに発音していただきましたが、全然聞き取れませんでした。
14世紀の要塞は今は廃墟

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[ヤスナ・グラ僧院] 於チェンストホーバ 1382年建立。
年間400万人の巡礼者と観光客が訪れる。2大聖母のもう1つ「ブラック・マドンナ」が信仰の中心。頬に盗賊に付けられた傷が2本ある。
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↓このシスターにご案内いただきました

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<10日目>ワルシャワ見学
最終日は首都ワルシャワ見学です。ショパンの生家とワルシャワ旧市街徒歩観光 夕方ショパンピアノコンサートへ

ワルシャワ郊外のショパンの生家に向かいました。途中新しいマンションも出来ている中に、共産党時代の四角い住居もたくさん残っています。
          ↓新しいマンション        ↓旧共産党時代の住宅
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1810年3月1日、ショパンはここで生まれ、今年は生誕200年祭で賑わっている。ここは現在博物館となっているが、ワルシャワにも今年3月にオープンしたばかりのハイテクが使われている博物館がある。
貴族の屋敷だったので、庭園の美しい所でした。

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[ワルシャワ旧市街] 世界遺産
↓ワルシャワ蜂起記念碑 どの像からも市民の苦しみが伝わってくる

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↓バルバカンという重厚な15世紀の砦も見事に復元された ↓キュリー夫人の生家 

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  ↓広場     ↓ワルシャワのシンボル人魚姫にスズメが休んでいた

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 ↓旧王宮 クラコフからここにダ・ヴィンチの「貂を抱く貴婦人」が来ているのである(クラクフの美術館は修理中)

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↓大統領府 大統領は4月にカチン森記念行事に出席するべく機中の人になったが到着前に事故で亡くなった。大統領府前にはロウソクとお花が飾ってある。

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↓慰霊に訪れた人々の様子、葬儀の様子がパネルに。大統領の双子の兄の姿も痛々しい。

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↓所々のベンチの上のボタンを押すとショパンのピアノ曲が流れてくるのである

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↓市内で1番大きいワジェンキ公園のショパン像 ↓公園のポフトロンジュフカ宮殿でマチエイ・ポリシェウスキ教授のショパンピアノコンサートを45分間、素晴らしい演奏を楽しみました。

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外国では1番美味しかったポーランド料理の数々。私の苦手な外国の主菜ですが、この国のは工夫が凝らされていて感動です。キノコが多かったです。
↓ポークロール(中にキノコが詰まっている)↓ミートボール ライス添え

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          ↓マスのグリル       ↓ロールキャベツ

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      ↓キノコのコロッケ          ↓グーヤシュ

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       ↓シシケバブ        ↓パンの器に入ったキノコスープ

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   ↓キノコとチーズの肉巻きカツ         ↓魚料理

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デザートが西欧では珍しく甘みを抑えていて、変化に富んでいて(旅行社の設定ですが)いつも完食でした。日本では1日に2度もケーキ類なんて食べられませんから。もう1つ、殆どサラダと実だくさんのスープがついていたことがポーランド料理のグレードの高さを実感させられました。
もう半月も経ってしまいました。自分だけが悦に入っているような紀行記録ですが、読んでいただき感謝します。

いよいよ高山の花を見る登山の季節到来で、今年は韓国の山も登ることになりました。登山を始めて3年目、でも体力は衰える一方です。目的が花なので、その花をまた見て頂けたら嬉しいです。

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ポーランド一周の旅(4)

Photo_32 南の方に来たら気温が38度という日もあって、肌が焦げました。

<7日目> ヴェリチカ岩塩坑ライコニク祭

[ヴェリチカ岩塩坑]
世界遺産で、坑道が300kmもあり、そこに2000以上の部屋がある。うち20は危険な作業をする坑夫たちが作業前に祈る礼拝堂になっている。危険な点では炭鉱と同じであるが、引火という点はではどうなのであろうか。気温は13度位で寒い。

↓礼拝堂

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↓礼拝堂のシャンデリアも塩の結晶で出来ている  ↓祭壇がたくさんある

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          ↓トロッコの線路             ↓採掘坑の像もたくさんある
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[ライコニク祭]
6/10クラコフの街で13世紀のタタール人侵攻を語り継ぐ祭りで、モンゴル風衣装で馬の張りぼてのライコニクが練り歩くのが、獅子舞にそっくりだった。

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          ↓夜9時               ↓夜10時

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<8日目>クラコフ→ザコパネ見学→民家見学→ホホウ村

ポーランドに来て初めて見えた山々(タトラ山地)の麓のザコバネは、海抜800~1000m(でも夜も暑い)に位置しスキーも出来る山岳リゾート。後ろの山はもうスロヴァキアである。

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                                   ↓あちこちに丘陵も広がっている

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                           ↓モネの積み藁と違ったこの地方の積み藁

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                 ↓毛皮屋さんには牛や羊など他種類の皮がぶら下がっている

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[ザコバネ]
周りの家がポーランドの他の地域と違ってザコバネ・スタイルと呼ばれる素朴な木造建築である。

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↓軽井沢のように賑わっているザコパネの街 ↓婚約したこの人がこの姿で仲間のラグビー部員に祝ってもらっている

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↓聖マリア教会には法王ヨハネ・パウロ2世暗殺事件のステンドグラスがあった

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[郊外の芸術家の民家訪問]
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この地には芸術家が多いそうである。
ボクバネさん(宗教画)とバーバラさん(ガラス絵)ご夫婦のハイランド造りの家で、いちごなどご馳走になって作品と家の中を見せていただきました。ベランダからはスロバキアの山が見える。

                       ご主人の作品

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                       奥さんの作品

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[ホホウ村]
年に2回家を石鹸で洗うというホホウ村は殆どが農家だそうだ。

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                家の中のアトリエにお邪魔しました

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2010年6月25日 (金)

ポーランド一周の旅(3)

Photo 私もおばあさんですが、同行の方に86歳のおばあさんがいました。何と一人参加です。一人で参加することは実に大変なのですが。1回だけ昼寝しちゃって遅刻はしましたが、後は昼から豪快にビールを飲み、話題も豊富で面白く、長距離以外は全部踏破し、全然バテませんでした。このことは参加者に勇気を与えていました。この年齢なら既に世を去っているか、寝たきりか、認知症で迷惑をかけているかが多いでしょう。家にいるときもウィークデイは銀座など毎日のように出歩いて映画を観たりしているとか、活動的ですが、とても真似できません。

<5日目>ヴロツワフ見学→アウシュビッツ見学→クラコフ

ヴロツワフはシレジア地方の中心地。ポーランドで4番目に大きな都市といっても人口は63万人だそうだ。
世界大戦時に街の4分の3が破壊されたが見事に復興を果たした。

↓世界遺産の「百年記念会館」が郊外にあるが、何でこんなコンクリート製の東京ドームみたいな建物が世界遺産と思ってしまう建物。
100年前にこんな大きな円形ドームの鉄筋コンクリート建造物を、設計した本人もいつ倒れるかと言っていたというがすでに100年ももったのだから、今では珍しいということで世界遺産入りしたようなのです。
ナポレオン戦争におけるライプツィヒの戦い(1813年)の勝利から100年を記念して1911~1013年に造られた当時としては最大級で座席6000人、立って11000人収容。

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↓街はこんな風景

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               ↓花屋さん            ↓トラムの側面も賑やか

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↓市内30ヶ所にこんな小人像のある街だ

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午後は世界遺産のアウシュヴィッツ強制収容所
1940年6月~1945年1月27日まで使用されていた。最初はポーランド人政治犯だったが、収容内容がユダヤ人、ジプシー(ロマ)、ソ連軍捕虜に変わり、ユダヤ人絶滅センターとなる。
死亡したのはユダヤ人150万人、ポーランド人14万人、ジプシー2万人、ソ連人1~2万人(推定)とされる。
各地の収容所から奇跡的に生還した人で、アンネの父が印象的だが、『夜と霧』を著したフランクルが収容所内で如何に生き残るか、その強靭な心が私には何度読んでも感動ものだ。
残酷無慈悲な行為、凄惨な現場を目の当たりにしました。
なぜこの場所であったか?ここはヨーロッパの中央に位置し、鉄道の要衝でもあったからだ。

[アウシュヴィッツ強制収容所]
↓28棟の赤レンガの囚人棟が並ぶ バラックを想像していたががっしりしたレンガ棟であった。

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●ナチスが収容者から没収した品々が何室にもわたって展示されている。トランク、メガネ、靴(今と変わらぬ素晴らしいデザインのが多い)、義足(こんなに沢山の人が義足だったとは!150万人という数を実感)、洗面用具など山のように展示されている。可愛い子供服や靴などの遺品を見ると涙が出てしまった。
●亡くなった人々の写真の数々
●死体から切り取った髪の毛の山。この毛で織った布やマットレスを見たが、髪の毛で出来ているとは思えない。
●窓のない牢に40人がスシ詰めにされた窒息室、90×90cmのスペースに40人が入れられた立ち牢・・見ていても恐ろしい場所。
●ガス室と焼却炉:ガス室の上部からチクロンBが投げ込まれガス死させられた死体とこれを焼く焼却炉を見た。1日350人が焼かれた。↓

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●死の壁:死を宣告された人々はここで銃殺された↓Photo_16

●集団絞首刑場:脱走兵を助けたということで12人のポーランド人が処刑された↓

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[ビルケナウ強制収容所] 
アウシュヴィッツ強制収容所から2km離れた所に広大な敷地を占めている。300棟以上があり最大10万人が収容されていた。1日6000人が殺され、百数十万人の命が奪われたという。
               ↓「死の門」へと続く鉄道引き込み線

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                 ↓これをくぐるとバラックが見えてきた

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↓トイレはここ1ヶ所。1日2回しか使用を許されず、一斉に短時間で使用させられ、これ以外に行きたくなったら処罰されたという、この世で最も非人道的な話である。

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          ↓蚕棚のような木造ベッドで重なり合うようにして眠った。

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             ↓周囲は監視塔とバラ線で囲まれている。

Photo_23ここの地名はポーランド語で「オシフィエンチム」というけれども、無残さ故にあえてドイツ語の「アウシュヴィッツ」という名で残したのだそうだ。

<6日目>クラコフの街南部小ポーランド見学
ポーランド第2の都市で、600年近くポーランド王国の首都だった。第2次世界大戦でも、ドイツの司令部が置かれたため破壊を免れた。
世界遺産のクラコフ歴史地区には13~14世紀の建造物が残る。

コペルニクスや故法王パウロ2世も学んだという、中欧で2番目に古いヤギュウォ大学↓

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↓真ん中に建物が立つ中世から残っているものとしてヨーロッパ最大の広場

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↓聖マリヤ教会、230段の階段を上ったら360度の景観が素晴らしかった。

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               ↓歴代ポーランド王の居城のバベル城

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         ↓映画『シンドラーのリスト』の撮影が行われたユダヤ人街

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近郊のカルヴァリア修道院 年間100万人の巡礼が訪れる世界遺産の修道院。
この日6/9(水)は子供たち(9歳くらいまで)の初聖体の日で着飾って、キリストの肉であるパンを受けるミサがこの辺りの教会で一斉に行われていた。小さい時からキリスト教について勉強して、お祈りを覚え、行事に参加してしっかりと信者になっていくのである。そのヨーロッパも最近宗教離れが進み、日曜日も若者が教会に足を運ばなくなってきてそうだ。

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[南部小ポーランドの木造聖堂群] クラコフの南東部の山岳地帯の小ポーランド地方の6つの町村にある15世紀に建てられた木造教会が残っていて世界遺産に登録された。実に小さな素朴な教会です。
↓デンノブの大天使ミコワイ教会 内部は絵葉書から。

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            ↓リプニツァ・プロヴァナのの聖レオナルド教会
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2010年6月21日 (月)

ポーランド一周の旅(2)

Photo_15 今回は人数多く、25人で旅行の猛者が数人いました。100ヶ国以上も旅行している人やかなりあちこち行っている人に具合が悪くなったことはないか聞いてみたら、インドでもアフリカでも元気だったけれども、二人ともただ1回だけ中央アジア(~スタンの国々)でお腹を壊したそうで、かなり水が悪くて火を通したものさえだめのようです。

<3日目> グダニスク→トルンへ トルン見学

ポーランドの国名は野原・畑・平原などを表す言葉(pola)からきている。あいも変わらずこのような景色が続きます。

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到着したトルンはコペルニクスが生誕した街で、第2次ポーランド分割時、プロイセンの下に置かれたためドイツ風で世界遺産の街でもある。
↓ここも建物はレンガが多くドイツ騎士団城趾は雑草に覆われるばかりです。

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↓この日の昼食です。[サラダ][野菜スープ][チキンとチーズグリル][ポテトパンケーキとフルーツ] とても美味しかった。

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↓日本の舗道にも最近いろいろ埋め込まれるようになったが、ここでは各都市の市章などが一直線に埋め込まれていた。

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                  ↓街角 

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           ↓あるお宅の2階には花に囲まれた犬が通りを見物

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              ↓コペルニクスの像は地球儀を抱えている

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↓コペルニクスの生家は博物館になっている。裕福だったそうでかなり広い。

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                ↓傾いた建物があった。右の建物が正常

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                      ↓観光自転車

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      ↓ポーランドの電柱はコンクリート製だが、梯子のような形をしている。
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<4日目> トルン→ヴロツワフ 午後郊外の世界遺産の2つの平和教会へ。どちらもヨーロッパ最大級の木造教会です。
途中イノヴロツワフからヴロツワフまでは時間の節約で列車に乗りました。ヨーロッパに多い6人用コンパートメントです。見知らぬ人と一緒だととても口を開けて寝られない。

            ↓乗車ホームと到着ホーム

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ヴロツワフの西60kmのシレジア(現在のポーランド南西部、チェコ北東部、ドイツ東部)では16世紀から地元の9割がプロテスタントで、30年戦争でカトリックのハプスブルグに支配されるが、プロテスタント教会建造が許された。しかし厳しい条件があり、釘や石を使わず耐久性のない木材、藁、粘土しか使用してはいけない、伝統的な様式はいけない(塔や鐘も×)、1年以内に造らなければならない、というもの。

ヤヴォルの平和教会 1655年に完成した。中には6000人もの人が入れるという。3つの側廊をもちつバジリカ風の造り。1階から4階(日本の2階から5階)の側廊には聖書の場面や城や紋章が描かれている。釘を1本も使わないのは日本にもある。

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                    ↓内部前方の高祭壇

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                  ↓内部後方のパイプオルガン

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                      ↓説教壇

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                         ↓天井

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    ↓画像上方は権力者席           ↓洗礼盤

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↓もう一つのシヴィドニツァの平和教会は現在も95%がオリジナル。 7500人収容でき、天井や壁の絵が素晴らしかった。

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2010年6月18日 (金)

ポーランド一周の旅(1)

Photo_4 半日遅れで無事帰ってきました。
ポーランドは5月から私たちが着いた6/3までずっと雨で洪水で7mも冠水したそうです。しかし6/4から6/13まで観光の10日間は殆ど雨が降りませんでした。
ところが帰国時、ワルシャワ空港で爆弾撤去のため建物の外に避難させられ、冷たい雨の中で震えました。その後飛び立ったものの、エンジントラブルでまたワルシャワに引き返したりして、夜中やっとヘルシンキに到着後、急遽香港トランジットで成田に到着出来ました。またスーツケースが行方不明になり、やっと3日後の今日の夜中に着く予定です。イスタンブールへ行ってしまったそうです。

ポーランドは日本の5分の4の広さに3800万人住み、南部のスロバキアの国境付近にしかない丘陵と山地が国土の3%で、残り97%が平野です。その4割が農地という農業国です。生産性が低いと言われていますが、国自体は貧しそうに見えませんでした。
ロシアとドイツに挟まれて共和国になるまで苦難の道を辿った国です。またショパン、キュリー夫人、コペルニクス、『クオ・ヴァデス』の作者シェンケビッチを生んだ国でもあります。
行けども行けども360度地平線が見えるような景色で、北部は菜の花が満開です。
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<見学1日目> ワルシャワ→グダニスクへ

首都ワルシャワを出発して途中エルブロング運河のクルーズです。
運河と運河の間5ヶ所が陸になっていて、滑車の動力で船を台車に乗せて陸揚げ状態で進む珍しいクルーズです。
↓ 台車が運河に入っていくところ ↓向こうから来た船が台車に乗り陸揚げしたところ

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↓陸を走る船を見物した後、乗船して運河沿いの景色を楽しむ。子どもが手を振ってくれたり、犬も尻尾を振って。

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↓到着したグダニスクのホテルはバルト海のそばで、元連帯議長・元大統領ワレサ氏が電気技師として働いていた造船所は手前の半島の向こう側にあるらしい。

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この国は北緯49~55度ですからサハリン(樺太)北部からカムチャツカ半島くらいに位置し、冬が長く寒い。今は日本の4月から5月末までの花が一斉に咲いている。
↓のマロニエの他、アカシア、菩提樹、ライラック、ハマナス、コデマリ、シャクナゲ、シモツケそしてヒナゲシ、菜の花からアヤメまで同時に見られる。平地だけど白樺の木が多い。

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<2日目> グダニスク 

レンガ造りの建物が多い。大戦で破壊されたのに、元の姿に再建されたのがすごいことです。
↓14世紀のハンザ同盟都市の姿に再建。オランダの風景にそっくりです。

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↓オリーバ大聖堂では、世界1美しい音色のパイプオルガンコンサートを聴きました。パイプの数7876本で人の声、動物の声まで表現でき110の音色を持ち、仕掛けもある。

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        ↓大聖堂の横のポーランド王の宮殿と庭園

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↓ローマ・カトリック90%の国でポーランドの2大聖母がある。バルト海沿岸は琥珀の産地で、シフィエンティ・ブリギティ教会の「琥珀のマリア」はその1つ。

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↓グダニスク郊外のマルボルク城。ドイツ騎士団によって建てられた世界最大級のレンガ造りの要塞。世界遺産。

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あと4回に分けて記しますので適当に読み流してください。

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