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2010年6月25日 (金)

ポーランド一周の旅(3)

Photo 私もおばあさんですが、同行の方に86歳のおばあさんがいました。何と一人参加です。一人で参加することは実に大変なのですが。1回だけ昼寝しちゃって遅刻はしましたが、後は昼から豪快にビールを飲み、話題も豊富で面白く、長距離以外は全部踏破し、全然バテませんでした。このことは参加者に勇気を与えていました。この年齢なら既に世を去っているか、寝たきりか、認知症で迷惑をかけているかが多いでしょう。家にいるときもウィークデイは銀座など毎日のように出歩いて映画を観たりしているとか、活動的ですが、とても真似できません。

<5日目>ヴロツワフ見学→アウシュビッツ見学→クラコフ

ヴロツワフはシレジア地方の中心地。ポーランドで4番目に大きな都市といっても人口は63万人だそうだ。
世界大戦時に街の4分の3が破壊されたが見事に復興を果たした。

↓世界遺産の「百年記念会館」が郊外にあるが、何でこんなコンクリート製の東京ドームみたいな建物が世界遺産と思ってしまう建物。
100年前にこんな大きな円形ドームの鉄筋コンクリート建造物を、設計した本人もいつ倒れるかと言っていたというがすでに100年ももったのだから、今では珍しいということで世界遺産入りしたようなのです。
ナポレオン戦争におけるライプツィヒの戦い(1813年)の勝利から100年を記念して1911~1013年に造られた当時としては最大級で座席6000人、立って11000人収容。

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↓街はこんな風景

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               ↓花屋さん            ↓トラムの側面も賑やか

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↓市内30ヶ所にこんな小人像のある街だ

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午後は世界遺産のアウシュヴィッツ強制収容所
1940年6月~1945年1月27日まで使用されていた。最初はポーランド人政治犯だったが、収容内容がユダヤ人、ジプシー(ロマ)、ソ連軍捕虜に変わり、ユダヤ人絶滅センターとなる。
死亡したのはユダヤ人150万人、ポーランド人14万人、ジプシー2万人、ソ連人1~2万人(推定)とされる。
各地の収容所から奇跡的に生還した人で、アンネの父が印象的だが、『夜と霧』を著したフランクルが収容所内で如何に生き残るか、その強靭な心が私には何度読んでも感動ものだ。
残酷無慈悲な行為、凄惨な現場を目の当たりにしました。
なぜこの場所であったか?ここはヨーロッパの中央に位置し、鉄道の要衝でもあったからだ。

[アウシュヴィッツ強制収容所]
↓28棟の赤レンガの囚人棟が並ぶ バラックを想像していたががっしりしたレンガ棟であった。

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●ナチスが収容者から没収した品々が何室にもわたって展示されている。トランク、メガネ、靴(今と変わらぬ素晴らしいデザインのが多い)、義足(こんなに沢山の人が義足だったとは!150万人という数を実感)、洗面用具など山のように展示されている。可愛い子供服や靴などの遺品を見ると涙が出てしまった。
●亡くなった人々の写真の数々
●死体から切り取った髪の毛の山。この毛で織った布やマットレスを見たが、髪の毛で出来ているとは思えない。
●窓のない牢に40人がスシ詰めにされた窒息室、90×90cmのスペースに40人が入れられた立ち牢・・見ていても恐ろしい場所。
●ガス室と焼却炉:ガス室の上部からチクロンBが投げ込まれガス死させられた死体とこれを焼く焼却炉を見た。1日350人が焼かれた。↓

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●死の壁:死を宣告された人々はここで銃殺された↓Photo_16

●集団絞首刑場:脱走兵を助けたということで12人のポーランド人が処刑された↓

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[ビルケナウ強制収容所] 
アウシュヴィッツ強制収容所から2km離れた所に広大な敷地を占めている。300棟以上があり最大10万人が収容されていた。1日6000人が殺され、百数十万人の命が奪われたという。
               ↓「死の門」へと続く鉄道引き込み線

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                 ↓これをくぐるとバラックが見えてきた

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↓トイレはここ1ヶ所。1日2回しか使用を許されず、一斉に短時間で使用させられ、これ以外に行きたくなったら処罰されたという、この世で最も非人道的な話である。

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          ↓蚕棚のような木造ベッドで重なり合うようにして眠った。

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             ↓周囲は監視塔とバラ線で囲まれている。

Photo_23ここの地名はポーランド語で「オシフィエンチム」というけれども、無残さ故にあえてドイツ語の「アウシュヴィッツ」という名で残したのだそうだ。

<6日目>クラコフの街南部小ポーランド見学
ポーランド第2の都市で、600年近くポーランド王国の首都だった。第2次世界大戦でも、ドイツの司令部が置かれたため破壊を免れた。
世界遺産のクラコフ歴史地区には13~14世紀の建造物が残る。

コペルニクスや故法王パウロ2世も学んだという、中欧で2番目に古いヤギュウォ大学↓

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↓真ん中に建物が立つ中世から残っているものとしてヨーロッパ最大の広場

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↓聖マリヤ教会、230段の階段を上ったら360度の景観が素晴らしかった。

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               ↓歴代ポーランド王の居城のバベル城

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         ↓映画『シンドラーのリスト』の撮影が行われたユダヤ人街

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近郊のカルヴァリア修道院 年間100万人の巡礼が訪れる世界遺産の修道院。
この日6/9(水)は子供たち(9歳くらいまで)の初聖体の日で着飾って、キリストの肉であるパンを受けるミサがこの辺りの教会で一斉に行われていた。小さい時からキリスト教について勉強して、お祈りを覚え、行事に参加してしっかりと信者になっていくのである。そのヨーロッパも最近宗教離れが進み、日曜日も若者が教会に足を運ばなくなってきてそうだ。

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[南部小ポーランドの木造聖堂群] クラコフの南東部の山岳地帯の小ポーランド地方の6つの町村にある15世紀に建てられた木造教会が残っていて世界遺産に登録された。実に小さな素朴な教会です。
↓デンノブの大天使ミコワイ教会 内部は絵葉書から。

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            ↓リプニツァ・プロヴァナのの聖レオナルド教会
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コメント

木造ベッドの写真が口蹄疫で殺処分される牛の飼育場を連想させます。

投稿: 佐平次 | 2010年6月26日 (土) 11:44

★佐平次さま、ありがとうございます。

あら、本当にそう見えますね。
すし詰めだったらしく山小屋泊まりの体験を思い出しました。2日でもう音を上げた私ですが、収容者は大変だったでしょう。短期間で殺されたそうですので、生き残った人は長期間辛い体験だったでしょう。

投稿: tona | 2010年6月26日 (土) 11:59

現在では平和で牧歌的な街が広がっているポーランドですが、
ほんの何十年か前には、恐ろしい歴史が刻まれ信じられないほどの
多くの命が失われたのですね。人間以外にどの動物がこんなことするでしょう。
話を見聞きする度、新たな悲惨さが見えてきます。
どこまでも残虐になれる人間って恐ろしい生き物です。

私も鳥インフルエンザで口蹄疫で処分された家畜たち、そして殺処分される
犬猫のペットたちのことにも思いが向かいました。

投稿: ポージィ | 2010年6月26日 (土) 13:15

アウシュビッツ、行かれたのですね~~
私、見る勇気が出ないような・・・

きちんと自らの中で完結しておかなければいけないと思うにですが。

どの人も慈悲深い心と鬼のような心を内蔵していると思うと本当に怖いです。

86歳で一人で参加された方がおられたのですね。
勇気がもらえますね。
お手本にして頑張れたら嬉しいと思います。

投稿: もみじ | 2010年6月26日 (土) 16:03

★ポージィさま、ありがとうございます。

人間をまるで病気の家畜のように殺していったナチス。動物でさえ自分の餌を確保する以外殺しあいませんね。
ある民族を皆殺しにするという思想にはこれが人間かと身震いします。自分たち以外は虫けらのように思ったのでしょう。
サリン事件なども思い出してしまいました。
歴史を読んでいくと、古来残虐無慈悲な人がなんて多いことでしょう。
その中でもこのナチスの行為は際立っています。こんなことが2度と起きないように、負の世界遺産として登録されたのですね。

投稿: tona | 2010年6月26日 (土) 19:31

★もみじさま、ありがとうございます。

残酷な写真は『夜と霧』で一部見ていました。
今回のポーランドを選んだ最大の目的がアウシュビッツでした。
そのむごさを実感しました。
見学して同じ人間がなぜこんな酷いことをしたのか理解に苦しみます。
今またネオナチのことが問題になったりしていますが、同じ間違いは決して許されませんね。
ポーランド旅行といったらこの元気な方を思い出します。

投稿: tona | 2010年6月26日 (土) 19:46

おはようございます。
毎回拝見はしていたのですが…出かけることが多く…
落ち着いて書き込む時間がなく…遅くなりましたm(_ _)m
改めて無事にお帰りで何よりでしたヽ('-'*)~♪

メルヘンの国の様相から始まり…アウシュヴィッツを経て…王都・宮殿の街へ…
ちょっと気持ちの切り替えが…(>_<)

アウシュヴィッツでは鳥肌が立ちました…
同じ人間がこのように残酷なことができた…という事実は息苦しいです…
何でも経験はするものだと思っていますが…戦争の経験だけはしなくて幸いだと…

広島平和記念資料館でさえ吐き気がして二度と足を向けられませんが…
その比ではないですね…正視する勇気(?)はなさそうです…
でも「ポーランドを選んだ最大の目的がアウシュビッツ」というのは解る気がします…

木造の教会はステキですね~♪ …厳しい条件を乗り越えた宗教の力もすごい!
素朴な教会からは…本物の宗教を信じる心が伝わります…
どの宗教も教義の基本は同じなのに…流れが違うと…教えは仇になりますね…

投稿: orangepekoorangepeko | 2010年6月27日 (日) 08:52

★orangepekoさん、こんにちは。

お忙しいのにお心にかけていただき本当にありがとうございます。
最後に色々ありましたが、無事帰ることが出来まして、仏様に感謝しました。

悲惨な歴史を持つこの国の街はどこも見事に復興されて、同じような街角のように感じましたが、アウシュヴィッツのような負の遺産がしっかり残されていて、凄い場面を目撃してきました。
なんて多くの人が犠牲になったのでしょう。
ここの他にポーランド国内だけでも14位(うろ覚えです)収容所があったと聞きました。この大戦で収容所で殺された人が600万人もとかでここだけでもその半分近くになります。
いかにして大量殺人が行われたかがわかったのですが、これが人間のすることかと、人間って恐ろしい生き物と震えました。

木組みの木造教会、板葺きだけの木造教会はどちらも素敵でしたが、前者は宗教の底力を感じる教会内です。この印象はずっと忘れないと思います。
おっしゃるように1つの木から枝分かれして争うようになったことが、救いを求める宗教なのにどうしてと思わずにはいられません。
カトリックの国ですからまたマリアさまにたくさん会ってきました。終わりましたら1つでもメールでお送りしますね。

投稿: tona | 2010年6月27日 (日) 14:33

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