« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月29日 (水)

クロモジ酒

Photo

昨年クロモジ(和菓子などに使う高級楊枝の材料になる)の枝を頂戴して焼酎につけたクロモジ酒。
昨年6月に漬けたので秋には出来ていたのに、すっかり忘れて1年以上過ぎてしまいました。
すっかり琥珀色になって。
それが!素晴らしい香りで美味しいのです。この香り、味を口では説明出来ないのが残念です。
教えてくださったMさんに感謝です。毎年欲しいくらいですが、それは叶わぬことです。

Photo_2

27日(月)に日光中禅寺湖の戦場ヶ原側にある高山に登ったのですが、生憎の雨で山からは中禅寺湖も見えず、紅葉もまだ、咲いている花はゴマナだけ、ただ遠いところへ運動しに行ったようなものでした。まあ、こんなことは度々あるものです。気温は山頂は6℃、湖あたりは10℃ですが、歩いているとあまり寒さは感じませんでした。

                     ↓まわりは霞んで

Photo_3

                ↓下に降りてみると明るくなっていた

Photo_4

        ↓せめて竜頭の滝でもと・・・竜頭の滝が始まる前の流れ

Photo_5

         ↓竜頭の滝を下から眺める。210mも斜めに続いている。

Photo_6

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2010年9月26日 (日)

シャガール展とカポディモンテ美術館展

Photo 芸術の秋、今年は上野芸大美術館と国立西洋美術館へ。
年を重ねると、シャガール、ゴッホ、モネなど有名な画家の日本での展覧会も2度目のものが出てくる。年齢によって感じ方が違います。

シャガールはユダヤ人、亡命、愛妻の死などご多分にもれず劇的な一生を送っているが、モネと同じように長生き出来た画家です。
人間や馬が空を飛んでいたりする変わったモチーフや色が独特の、面白い画家の印象です。19世紀から20世紀にかけて実に多くの抽象画家が、中には私でも描けてしまいそうな(ていうわけはないですが)、あるいはワケの分からない絵を描いているが、ピカソにしてもシャガールにしても最初はまともな絵を描いていて、さすが上手なのですね。
歌劇「魔笛」の舞台美術シリーズ初公開、赤が印象的ないかにもシャガールらしく興味深く見られました。

Photo_2 かわって、かつてゲーテも訪れたという、ナポリの丘の上にある宮殿美術館が所蔵する「カポディモンテ美術館展」へ。
ティツィアーノ『マグダラのマリア』くらいしか有名なのがない地味なマイナーな美術展です。
ポスターにあるパルミジャニーノ『貴婦人の肖像(アンテア)』・・・なんて美しい貴婦人でしょう。モナリザよりずっとずっと。
黒貂の襟巻きを掛けている点においても、その美しさにおいても、ポーランドにあるレオナルド・ダヴィンチの『白貂を抱く貴婦人』と比較してしまいます。高級娼婦を描いたとも言われるらしいけれども、その気品のある顔はそんなことも否定してしまいます。
肖像画の他はギリシャ神話や聖書に基づいた宗教画が多い中、ユディットの首を切る2枚が凄い。ヴィーナス題材が群を抜いて多いし、聖アガタやマグダラのマリアなど聖人に関する絵も多かった。

Photo_3 丁度中丸明著『絵画で読む聖書』がとても参考になりました。ギリシャ神話も聖書もざっと2,3回読んだ程度ですぐ内容を忘れていました。
画題を見てすぐわかるのはとても楽しいことです。
ギリシャ神話の神々の行いもそうだが、聖書のキリストの祖先も道徳的、人格的にも尊敬できないシッチャカメッチャカな人が多く、なんだか呆れて読んでしまったこの本です。
むしろ後に現れる多くの聖人の中に神のような人がいます。宗教とはなんぞやと昔勉強したのも回答が得られぬままに、絵を見たり読んだりです。

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2010年9月23日 (木)

アケボノソウ(曙草)

群馬県沼田の辺りにある初秋の玉原(タンバラ)高原、その湿原を10日以上も前に尋ねました。友人二人に案内と運転をしていただきました。

Photo_12
お目当ては「アケボノソウ」です。まだ見たことなくて、友人にお願いしてあったのです。
それは湿原とは違う場所で目立たない姿で、ほんの数株ひっそりと咲いていました。
「曙」とは「夜明け」のことで、まだ星が瞬いている時間帯。5つの花びらの先端にある紫黒色の点々を夜明けの星に見立てて付けた名だそうだ。
この細かい点の中央よりに近い部分に緑色の班が2つ並んでいるが、これを地上の山に見立て、その上の空の星と見立てたとのことで、実に味わい深い花です。

 
               ↓アケボノソウ(リンドウ科センブリ属)

1

Photo

9月ころから野山を彩る夏の名残から初秋の花達、昨年と同じように撮って楽しみました。来年もきっと同じ所で見ても名前を忘れているに決まっています。

↓ウメバチソウ(ユキノシタ科ウメバチソウ属)家紋の梅鉢紋に似ているので付いた名前

Photo_2

↓ハンゴンソウ(反魂草:キク科キオン属)死線をさまよっていた者が、この薬で助かって、魂を戻らせた草なので付いた名

Photo_3

                  ↓キオン(キク科キオン属)

Photo_4

                 ↓ノコンギク(キク科シオン属)

Photo_5

↓ゴマナ(キク科シオン属)胡麻の葉と似ているので「胡麻」とつけ、食用になるので「菜」

Photo_6

           ↓サラシナショウマ(キンポウゲ科サラシナショウマ属)

Photo_7
                ↓トリカブト(キンポウゲ科トリカブト属)

Photo_8

       ↓タムラソウ(キク科タムラソウ属) アザミと間違えたりします

Photo_9

               ↓ムラサキナギナタダケ 初めてです

Photo_10

                ↓ウワミズザクラ(バラ科)の実

Photo_11

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2010年9月19日 (日)

ゴーヤバナナジュース

今年は買ってきたゴーヤの苗2本から今日まで52個出来ました。
まだあと10個くらいぶら下がっています。1本から30個平均。
この2本の真ん中に昨年の種から出た苗を植えたのですが、ひょろひょろで果たして実を結んでいるのかどうか?
売っている苗は接木処理がしてあるとかないとか、違うらしいと聞きました。
知人が凄い!毎日1時間世話をして1本から50個収穫。
その世話とは:①伸びた蔓を切って余分な栄養を取られないようにする。
            ②枯れた葉などを取る。
            ③肥料をたくさんあげる。
            ④この葉やモクレンなどいろいろな葉を細かく切って調理で出た野菜の皮と一緒に堆肥を作って、根元の土の一部とする。
④は兎も角、①と②を全然してなかった。来年は頑張ろう。

今年の自己流レシピは
 ゴーヤとナスの味噌・柚子胡椒炒め
 ゴーヤの卵とじ
 炒めゴーヤの醤油・マヨネーズかけ
 いろいろな野菜とゴーヤのかき揚げなどなど

新聞ので美味しかったのが
 ゴーヤとちくわの揚げ物

Photoでも生で食べても苦味を感じないのがゴーヤジュース。
ゴーヤとバナナと牛乳と蜂蜜そしてアロエで作る簡単ジュースは、バナナと蜂蜜で苦味が殆ど感じられません。色はとても悪いけれども。
このジュースのおかげで少し元気な夏を過ごせたかな?

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2010年9月16日 (木)

浅間のブルーベリー→浅間葡萄

地元の人に教えられ、嬉々として「ブルーベリー」と書きました。ところがこれは同じツツジ科の「クロマメノキ(黒豆の木)」で果実は「アサマブドウ(浅間葡萄)」と呼ばれます。Rさん有難うございました。

Photo 現在も噴煙を上げている浅間山(2568m)に登ってきました。百名山の1つです。江戸時代天明3年の大噴火で鬼押出しの景観が出来たほどのこの山は世界でも有数の活火山だそうだ。

浅間山の植物が生える限界のところでブルーベリー摘みをしたのです。初体験で興奮しました。150gほど摘んでできたのが小さな瓶の中のブルーべリージャムです。

           ↓林を抜けると背の低い木になったこんな山道を行く

Photo_2

                  ↓小浅間山が山道の右手に

Photo_3

                    ↓浅間山が見えてきた

Photo_4

↓この辺りには這うようにしてブルーベリーの木があり、今実が生り始めていた。実は最初は白でだんだんこの色になっていくのです。

Photo_5

↓中腹より浅間隠山を望む。4月11日に浅間隠山から見た浅間山はこちら

Photo_6

                   ↓遠くに妙義山と雲海が

Photo_7

             ↓頂上間近になったら噴煙が上がり始めた

Photo_8

                     ↓頂上の印の石

Photo_9

                     ↓浅間山火口

Photo_10

                 ↓泊まらせていただいた山荘

Photo_11

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2010年9月 9日 (木)

街角・食べ物など(チェコ6)

                ↓チェコ人の心の故郷のモルダウ川

Photo_21

↓車窓から 田舎は冬の暖房は薪らしく、どの家にももうストックが軒下などに積まれていた。山があまりないのにどこで調達するのか知りたかった。Photo_22 Photo_23

Photo_25 畑には麦(もう刈入れが終わったよう)、ホップ、じゃがいも、向日葵、さとう大根、とうもろこしが見られました。
チェコビールは有名で美味しい。モラヴィア地方の白ワインもなかなかです。
食事にはポーランド同様スープがかなり出て、栄養的にも良く、食欲の元で美味しく頂きました。
↑他の国で見かけないクネドリーキという蒸しパン(じゃがいもや小麦粉で出来ている)をソースにつけて食べるが、何か懐かしい味で、子供の頃のおやつを思い出します。

↓街角で

Photo_26 Photo_27

Photo_28 Photo_29

Photo_33  7日間で12の世界遺産のうち10を巡る、ゆったりとまわったチェコでした。
戦災に遭わなかったので古い建物も焼失以外はしっかり残っていて、古くはロマネスク、ゴシックから始まって近代のアールヌーボーまで首都プラハ市街地は荘重な建物で埋め尽くされています。1つ1つ見て歩いていると何ヶ月もかかるでしょう。ヴェネチアに次いで世界で2番目に観光客が多く来るというのもわかるような気がします。

また同行の一人参加の高齢者の話を付け加えて終わりにします。
その情熱、頑張りには頭が下がりました。私も高齢者なのに帰宅して暑さで目を回しているのが情けなく、青二才のようにも思えるほどでした。
大正10年生まれの89歳の女性。
骨粗鬆で体をほぼ直角に曲げて歩きます。153cmあった身長が137cmに縮んでしまったそうです。
以前胃がんで全摘出して胃がなく、おまけに歯槽膿漏で総入れ歯で下顎が溶けてなくなったそうで、36kgしか体重がないのです。きゅうりさえも噛めないのに、道中ちゃんと食べられるものだけ食べていました。
手と脚には骨折したため金属が入っているというのです。今回から杖を使うようになったそうです。ご主人が亡くなった75才から世界各国漫遊が始まり、アフリカまで行ったとか。
小さくなった体に合わせて、自分でジーパンとベストのお揃いや新しいパンツやシャツブラース、リバーシブルの帽子、ポケットを数箇所上手く配したデイバッグなどすべて自分で仕立てています。力がないから手荷物など軽くする工夫が随所にされていて感心しました。
息子さんの同居願いを断って一人暮らし、例えば鍋4つに食器も小さな戸棚に収まるように極端に減らし、平屋で何でもすぐ手が届く収納を心がけ、遺族年金だけでシンプルに暮らしているのだとか。
まだポーランドに行ってないから次はそこを目指すなんて言ってました。成田から焼津に向かって元気に帰って行きました。

以上またまた長くなってしまいましたが、見ていただきありがとうございました。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

温泉の湯を飲む・チェコの城(チェコ5)

飲泉所で飲む
Photo_34 カルロビバリという高級温泉保養地で飲泉所めぐりをして温泉の湯を飲みました。昔の宿敵ロシア人が保養に来てこれを飲むために1番のお客として大勢来るそうだ。

                  ↓レース模様装飾の温泉 

Photo_12   

↓ギリシャ神殿風温泉 草津と姉妹都市だそうですが、温泉の雰囲気の随分違うこと。

Photo_13

↓飲泉所 12箇所でコップに受けて30℃から72℃までの湯を飲みました。TVで人々が美味しそうに飲んでいるのを観ましたが、塩辛くてお世辞にも美味しいとは言えませんでしたが、50℃が1番飲みやすかった。6番目くらいからもう飲めない。体にとても良いというのですが。
Photo_14 Photo_15

チェコの城いろいろ
既にご紹介したリトミシュル城やチェスキー・クルムロフ城の他に
↓フルボカ城(国内で最も美しい白亜の城。伊万里焼などもあって贅を凝らした室内や調度などとても印象的だ)

Photo_16

↓シュピルベルク城(夕方のブルノのホテルから。中はすべて牢獄になっている)

Photo_17

南モラヴィア最南端の2つの城。居城と夏の離宮の2つの城が直線距離7kmで結ばれていて、その周りがすべて領地という、昔の名門公爵家の大尽ぶりに驚嘆する。
                      ↓レドニツェ城  

Photo_19 

                      ↓ヴァルチツェ城
Photo_20

| | コメント (2) | トラックバック (0)

スグラフィット装飾・赤い屋根(チェコ4)

スグラフィット装飾
Photo_4 チェコの建築で目を引くのがスグラフィット装飾です。
16世紀半ばにボヘミヤ全土に広がったイタリアからもたらされた装飾技術。
木炭などで黒く色付けした漆喰を塗リ、その上に石灰などで作られた白い塗料を塗る。乾いたら白い塗料を掻き削って装飾するというもの。
遠くから見ると凹凸があるように石が積み重ねてあるよう見えたり、一種のだまし絵のような効果もある。

↓リトミシュル城(スメタナの生家のお向かい) よく見ると1つ1つ絵が違っている。

Photo

Photo_2 Photo_3

             ↓チェスキー・クルムロフやテルチの模様

Photo_5

Photo_6

チェコは殆ど赤い屋根(くすんでないので実に鮮やかです)
             ↓チェスキー・クルムロフ(尖塔は城)とプラハ

Photo_7

Photo_8

              ↓テルチの世界遺産の家々の屋根も赤い

Photo_9

↓プラハにある通産省の建物のドームは広島の原爆ドームの設計者と同じチェコ人ヤン・レッツェルになる。そっくりです。
原爆ドームの竣工は1915年、広島県物産陳列館として建てられたそうで、設計料は4575円。当時の石工の日当が1円だった時代です。

Photo_10

↓オロモウツにあるメンデルが学んだ大学 後にメンデルはブルノにある修道院でエンドウ豆を栽培して、メンデルの法則を発見する。メンデルもチェコ人だったのでした。

Photo_11

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年9月 6日 (月)

井上ひさしの『ボローニャ紀行』より

イタリアの1つの都市ボローニャを通してイタリアを深く考察した書です。
街の中を歩いた物見遊山かと思いきや、様々の人々と語り合って、国や街の成り立ちを政治面、芸術面など様々な場面から現在のイタリアの深部まで掘り下げていたり、日本との比較も面白い本でした。
その中で「えっ」と思ったり「おお」と思った箇所がありました。
ボローニャの聖堂前庭石棺横の立て札に書いてあることだそうです。
134頁「我々法学生はここに自治団体としての学生組合を結成する。そして学生組合が招いた教師たちに、我々は次のことを要求する。
○学生の許可なしに講義を休んではならない。
○教師は始鈴とともに講義を始め、終鈴とともに教室から退出しなければならない。ただし難問を説明しないうちは、その退出を禁止する。
○講義を飛ばしてはならない。その学問について一から十まで丁寧に講義すべきである。
これらの要求が満たされないときは、我々は教師に対する報酬を支払わない」

学生は学校に行って休講を知ると喜ぶものであるが、月謝を払っているのだし、本当は喜ぶべきことではないのです。時間内にきちんとたくさん学んで、さらに勉強して社会の目標地点に着地しなければならないのです。就職氷河期を迎え学生は教師を逆手にとるくらいに邁進しなければならない時代で大変です。

次はイタリアとかなり違う日本の銀行の話。銀行関係者は世の中にたくさんいて、私が書いたわけでないけれども、迷惑に思われる人も多いかと思うのですが、税金が多く流れた点は否めないと思います。
196頁「預けるときはえびす顔だが、解約するときはエンマ顔で、しかも信じれないくらいたくさんの書類を書かせる日本の銀行。経営不振に陥るとすぐ税金を投下しろと政治家や官僚に圧力をかける日本の銀行。女子行員にもっともらしい制服を着せて慇懃に振舞わせながら、かげでは悪辣な高利貸たちに資金を提供している日本の銀行。わけのわからない外来語を並べて客を釣って日本語をめちゃめちゃにしている日本の銀行。1千万円の定期預金に八千円の利息しか付けない日本の銀行。1千万円で1473万円もの利益をあげながら姑息に居直る日銀総裁を頭にいただく日本の銀行」
イタリアでは例えば、ミラノのダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の20年間にわたる修復の費用のすべてを、ミラノ投資銀行財団が負担している。あるいはローマのコロッセオの19年間にわたる大規模な修復工事の費用はすべて、ローマ投資銀行が負担したというのです。

イタリアといえば、歴代首相の中に数名の普通と逸脱した怪人物がいます。またマフィアや汚職にまみれた恐ろしい社会で、裁判官、警察の長など次々と殺され、どうにもならない国とずっと思い描いていましたが、国はあてにならなくても、地方自治体でしっかり街つくりをし、特にボローニャ方式で世界の注目を浴びていることを知リ得た1冊です。随分遅れましたが、改めて井上ひさしさんのご冥福を祈ります。

              よその塀に垂れ下がっていたサボテンの花
Photo

Photo_2

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2010年9月 2日 (木)

人骨だらけの墓地教会と五角形の巡礼聖堂(チェコ3)

Photo_11   教会にもいろいろあるものです。ちょっと変わった2つの教会です。

墓地教会
骸骨が怖い人はご覧にならないでください。
クトナ・ホラにある墓地教会には驚いた。4万人もの骨が見渡すかぎり積み上げられている。巨大なシャンデリアや十字架、聖体顕示台、そしてシュヴァルツェンベルク家の紋章まで骨で出来ているのです。

                     ↓人骨の紋章

Photo_8

                      ↓シャンデリア

Photo_12

                      ↓天井など

Photo_13

Photo_14

Photo_15

Photo_16

何故こんなものが作られたのか?
13世紀後半にここの修道院長により、エルサレムの聖墓から持ち帰ったひとにぎりの土がここにまかれ、以来この教会は聖地と見られ、埋葬を望む者たちがボヘミアだけでなく中央ヨーロッパから集まった。フス戦争やペストによる何万人の犠牲者も眠る。
1511年半盲の僧侶によって骨が積み上げられて以来である。

ゼレナ・ホラの聖ネポムツキー巡礼聖堂
5角形の星形の聖堂を中心に回廊が囲んでいる。回廊には5つの門と5角形の小礼拝堂が交互に5角形になるように並んでいる。
                ↓航空写真で見てわかるでしょうか。

Photo_18

                    ↓聖堂は一部補修中  

Photo_19

                     ↓中から回廊を見る

Photo_20

                 ↓回廊の外にも墓地がある

Photo_21

何故こんな聖堂が造られたのか?
聖ネポムツキーの伝説によるのである。
ボヘミア王ヴァーツラフ4世が王妃の告解内容を知りたいと思い、司教代理ヤン・ネポムツキーを問いつめたが、いかなる拷問にも耐え口を割らなかった。そのため、袋詰めにされてプラハのカレル橋からヴルタヴァ川に投げ込まれてしまった。
彼の魂が天に昇ると5つの星が現れ、川の上空に浮かんだという。そこで聖堂も5つの星にちなんで随所に5を意識した設計になっている。

1719年に聖ヴィート大聖堂にあった彼の墓↓(金ピカの立派なお墓)を開けてみると、遺体は完全に白骨化していたが、舌だけは原型をとどめていた。

Photo_22

聖ネポムツキーの舌を象徴するモチーフが巡礼聖堂の天井の飾り↓などに使われていた。
Photo_23

         ↓30の聖像が並ぶカレル橋に聖ネポムツキーの像がある

Photo_24

| | コメント (13) | トラックバック (0)

男の料理(チェコ2)

Photo_2 ホラショヴィツェという小さな村でテレビで放映する「男の(男も)料理」を撮影していました。
中央の老婦人が赤いエプロンの男性たちに料理を教えています。[きのこスープ]です。同行の2人が振舞われていましたが、美味しいと絶賛していました。そうです。ポーランドやロシア同様、チェコも供されるスープがどれも美味しかったです。
テレビを観て、料理を作る男性がこの国でも増えるのでしょうか。興味あります。

Photo

この村には南ボヘミア風バロック様式の家が当時のままのスタイルでほぼ完全に保存されているとして、世界遺産に登録されている。

Photo_3

Photo_4

Photo_5

1840~80年の間に、古い木造家屋が次々と漆喰造りの家に建て替えられていった。
                                     ↓これは1853年に造られたとある

Photo_6

                               ↓門を挟んで左右に親と子の家が並ぶ
Photo_7

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »