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2010年12月30日 (木)

高森明勅著『歴代天皇事典』

初代・神武天皇から今上天皇まで125代にわたる天皇の生涯と事績を紹介していて面白い。

元首の地位が世襲(血筋によって代々受け継がれる)される場合を君主と呼ぶ。天皇陛下は日本の君主である。

驚いたことに日本は世界最古の、世界最大の君主国なのだ。
以下巻末解説によれば、実在が確かな最初の天皇は第10代崇神天皇からと言われるが、6世紀初頭に即位された第26代継体天皇から現在の天皇陛下までは連綿として血筋がつながっている。
千数百年におよぶ君主の血統。日本の皇室は現存する世界の王室の中で最古の君主の家柄になる。伝統あるヨーロッパの王室でも、イギリスやデンマークなど、どんなに遡っても日本の平安時代後期だそうだ。

世界最大というのはどういうことか。現在世界には29の君主国があって、ヨーロッパに10ヶ国、アフリカに3ヶ国、アラブに7ヶ国、オセアニア2ヶ国だ。
その人口について、百万以下が9ヶ国、一千万以下が9ヶ国加わり、五千万以下が8ヶ国追加され、6千万前後が2ヶ国(タイ王国とイギリス)。日本はタイとイギリスを足したより多く世界最大規模の君主国ということになる。

日本皇室は求心力や統合力、それに持続力と安定性においても、世界の中で群を抜いて優れているのである。
皇室の長い歴史の中で、「暴君」という存在が25代の武烈天皇以外に殆ど見当たらないというのである。武家による政権が長期にわたっても天皇の地位はついに否定されることがなかった。

色々な天皇がおられたが、本を書かれた天皇、多芸多才、詩歌・管絃・武芸に堪能、学問に秀でた方、野外活動がお好きだった方、権謀述数に長け野望に燃えた天皇など様々である。
「後」の付いた天皇「後三条(強い政治力・高潔な人柄・深い学識)」「後白河(日本国第一の大天狗)」「後鳥羽(多芸多才)」「後醍醐(強烈な意志力と抜群の行動力)」「後水尾(対幕府関係・学問芸術)」の活躍が目立つ。
個人的には推古天皇から聖武天皇あたりの時代がロマンを掻き立てられ好きです。
女帝は推古天皇(33代)から後桜町天皇(117代)まで8人10代。明治以降は皇室典範の制定で内親王の即位が認められなくなったことは残念だ。
歴代では、10代、20代で崩御された天皇も少なくなく、外戚や幕府の傀儡的な天皇もとても痛ましい。

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春過ぎてから12月の初めまで咲いていた近所のダールベルグ・デージー(キク科)
生命力が強く、きれいな花だけれど、ここにしか見たことがありません。

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早かった1年もあと1日になりました。今年も1年間ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。来るべき年も刺激と友情をよろしく願い致します。tona

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2010年12月26日 (日)

南米3:リマからナスカへ

Photo_3 ペルーは日本の4.3倍の面積で人口が2615万人。宗教はローマカトリックで言語がスペイン語。
人種はインディヘナ(先住民)が47%、メスティソ(先住民とスペインの混血)40%、ヨーロッパ系12%、その他1%で、白人が大半のアルゼンチンとは大いに異なる。
接したごく少数の人々に感じたことは、とても穏やかでおとなしい。お願いしたりすると気持よくさっさとしてくださる。ペルー人が好きという日本人も多いとのこと。

南米はどこも米ドルを用意すればよいが、ペルーはドル札が汚れていると通用しないとのこと。
空港やホテルでさえ、トイレでペーパーが流せない。それは下水管が細く、しかもし尿の行き着く先が太平洋だからだそうです。

今回行った地域はシエラ(アンデス山岳地域)とコスタ(海岸砂漠地域)に分けられる。
リマからナスカはコスタで年間雨量が1mmしかないところもあってナスカまでその異様な海岸砂漠を見ることになります。

[リマ]
フランシスコ・ピサロは1532年にインカ皇帝を絞首刑にし、インカ首都クスコを占領後、1535年に首都をクスコからリマに移し、イベリア様式にのっとってアルマス広場を中心に町を築きました。
↓そのピサロも1541年には殺され、このアルマス広場に面するカテドラルに遺体のミイラが安置されている

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↓ペルー政庁、大統領が勤務する(かつてフジモリ氏も。現在囚われの身。今娘さんが大統領候補)

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↓かつて日本大使館人質事件があった所で、今は大使館は別の場所に移転した。

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       ↓ここにもジャカランタが。桐の花にちょっと似ている。

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            ↓リマの海岸は断崖絶壁がずっと続いている

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          ↓絶壁の上の「恋人たちの公園」には初夏の花々咲いている

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              ↓食事 アボガドが結構たくさん出た

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   ↓南瓜の粉で作ったドーナツ       ↓肉を焼いていた

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     ↓ペルーの焼きそば 決して日本から入ってきたものではないそうだ

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            ↓川エビスープやクレープも美味しかった

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[リマからナスカへ]
海岸砂漠地域ですから雨がほとんど降りません。そのため家の屋根はいらないのであるから、日射しを避けるだけで、殆ど立派な屋根とは言えず筵みたいのがかけてあるだけの家もあった。
リマには周りに小山が点在しますが雨が降らないために木が生えていないのです。その代わりに四角い家が斜面にたくさん建っていて異様な光景です。

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                    ↓リマ郊外のタクシーPhoto_23

         ↓やがて砂ではなく土の砂漠が現れる(土漠というのか?)

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↓砂漠の中にこんなバラックがたくさん建っている所が数カ所現れる。開拓村と言われ、これは実は不法占拠の家で、水は給水車に頼り、電気はなし。やがてたくさん集まって電気などを引いてもらえるようになる由。不毛の、木1本ない砂漠に水に不自由しながら住んでいる人がいることに驚き、想像を絶する生活に、にわかに信じがたい光景であった。

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↓インカの遺跡(パチャカマ)にはヒメコンドルがいた。コンドルは見かけないそうだ。

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↓時々緑のオアシスが現れるがアンデスの伏流水が地下から湧き出るという。
 現れたこのオアシスは周りがピンクの砂の砂漠の山に囲まれている。何でも11あったオアシスが全部枯れて、ここでは1つだけになり、ここも人が多く住むようになってあと10年持つかどうかだそうだ。

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↓アカシアツリーと教えられた火焔木に似た木が真っ赤に燃えていた

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                       ↓砂漠の夕焼け

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[ナスカ地上絵]
Photo_2  いよいよ14人乗りのセスナ機に乗って、空から地上絵を見ます。くじ運悪く窓際でなく真ん中席だったので、地上絵はばっちり見えましたが写真は撮れませんでした。全部で10くらい確認できたでしょうか。以前科学博物館でヴァーチャルCG体験した時の方が高度が低くてスリルがあったように思えます。
ナスカ地帯は、白い土壌の上に黒い石の混じった土壌が覆っているが、この黒い石をどけて幅20cm~1m、深さ20~30cmの白い部分を出すと空から筋となって見える。黒い石は鉄分を多く含んでいて重いので露出した白い部分に飛ばないのだそうだ。又、霧で石が地面にしっかりくっつくらしい。
1939年に発見されたもので、紀元前200年から紀元後800年に造られたそうですが、何のために描いたかは諸説あってまだはっきりしていない。

                         ↓ハチドリ

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                      ↓コンドルの半分

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                ↓友人からいただいた宇宙人

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                   ↓その他に見えた景色

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                       アンデス山

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↓ナスカのホテル           ↓町には日射しを避けて休む場所がある

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               以上ご覧いただきありがとうございました。 

                         ーー完ーー

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2010年12月23日 (木)

南米2:クスコからマチュピチュへ

Photo_19  アルゼンチンからペルーの首都に戻り、そこからクスコへは飛行機で1時間15分。

[クスコ]
クスコは昔のインカ帝国の首都であった所で標高3399mで富士山より低い。

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アルプスを登るのは下からゆっくりと高度をあげるから高山病にはならないけれど、0m地帯からいきなり飛行機で上がるのでどんな人でも無理すると高山病にかかると散々言われました。場合によっては生命に危険があるとのこと。ここだけでなく3800mのチチカカ湖に行くツアーでは亡くなった人もいるとか。つくづくそのツアーに行かなくて良かったと思ったことでした。
高山病にならない対策として
○水をたくさん飲む(1日2リットルくらい。とても飲めません)
○深呼吸を心がける。気持ちゆったり、行動ゆっくり。
○お酒は控える
○腹八分目を心がける
以上を守っていましたので、幸い高山病にはなりませんでしたが、思考能力はかなり低下し、ドル札何十枚を何度数えても、いくらあったのか忘れてしまうという事態には我ながら驚きました。
物事をてきぱきと裁けないことにもこれが自分かと信じられない思いでした。

16世紀にスペイン人に滅ぼされたインカは山奥へと追いやられたのであるが、スペイン人は神殿の黄金をすべて自国へ持ち去り、神殿上部を破壊してインカの土台の上に教会を建てていったのでした。

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インカの石組みは剃刀の刃1枚通さない精密さを持っているそうで、石組みは大阪城など城壁を思い起こさせる。
         ↓12角の石                               ↓町の様子

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↓30円ぐらい払うとモデルになってくれたおばあさん(75歳)とリャマ。ラクダのような顔したリャマは、おとなしくおばあさんに寄り添っていてとても可愛い。実はこの可愛いリャマの肉を食べてしまったのですが、意外に癖がなくて美味しかったのです。
高価なセーターになるアルパカはラクダのようにきつい性格だそうだが、見かけることが出来なかった。というか区別が出来ませんでした。

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                            ↓遺跡タンポマチャイ(インカ時代の沐浴場跡)

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↓遺跡サクサイマン(インカの要塞跡)巨石を三層に積み上げ、石は360トンもあるのがある。

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                      ↓子どもが陣取りのように、ケンケンパーと遊んでいた

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                    ↓女性は荷を背負い、スカートを何枚もはいているそうだ

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                            ↓各家の屋根にはお守りが飾ってある

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                                         ↓少し前に雹が降った

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↓我町でも駅に時々やってくるが、フォルクローレディナーショーで演奏を楽しんだ

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[マチュピチュ]
クスコから列車で約2時間
                              ↓車窓から雪のアンデスの山を望む

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その後バスに乗ること30分で標高2400mのマチュピチュに到着です。(平地に降りたように呼吸が楽になりました。少々走っても支障ありません)
TVで一体何回見たでしょう、この景色!

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ここを何故空中都市というか?麓とは400mの標高差があって、断崖と尖った山々に囲まれ、下方の密林に覆われたジャングル(マチュピチュがジャングルの中とは知りませんでした)からその姿を確認出来ないので空中都市というそうです。
総面積5k㎡でその3分の2が山の斜面を利用した段々畑です。

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遺跡の周囲は高さ5m、厚さ1.8mの城壁で固められ、最も古い部分は2000年前に建造されたそうで、農地管理人住居跡とか太陽神殿や王女の宮殿跡とか水汲み場などいろいろありました。
近づくとこんな様子でした。(クリックすると大きくなります)

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2010年12月20日 (月)

南米1:イグアスの滝とブエノスアイレス

Photo_2  朝起きてから4回飛行機に乗って(成田→サンフランシスコ→リマ→ブエノスアイレス→イグアス)、イグアスのホテルのベッドに横たわるまで計算したら約50時間、時差12時間の日本の反対側は大変遠かったです。
ある日は3時起き、ある日はホテル到着が夜中1時半過ぎ、又ある日は風強く飛行機が着陸できずに1時間以上も飛行場上空を旋回したあと、別の国際空港に緊急着陸。そして帰路も半日観光後450kmもバスに揺られ、その日ホテルには泊まらず真夜中の飛行機に乗って、同じく50時間経って家のベッドに寝ることが出来、南米行きはかなり過酷で、もう2度と行く元気はありません。次の大台に乗る前に行っておこうと友人と一大決心したのは正解でした。
しかし、何れも世界遺産で、南米の3大絶景と言われる、「イグアスの滝」「マチュピチュ」「ナスカの地上絵」を観ることが出来ました。

[イグアスの滝]
「イグアスの滝」は世界3大瀑布の1つでその中でも世界最大級のもの。イグアス川の下流のブラジルとアルゼンチンに跨っていて、最大落差80m、約4kmの間に大小300の滝が段をなして連なります。この時期は雨期なので水量も多くて見映えするそうです。
この日12月9日は前日まで降っていた大雨で、年に1,2回しか見られないという水量の多さで、お天気も次第に快晴になってラッキーだったとのこと、ついていました。

↓イグアス川は茶色く濁っていて前日の大雨のせいかと思ったらそれだけでなく酸化鉄からなるラテライト(紅土)が混ざりこんでいるのだそうだ。

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↓中でもアルゼンチン側にある「悪魔の喉笛」は最大級で上から覗いたのですが水煙で烟っていて良く見えませんでした。この写真もひどいもの。

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            ↓午後ブラジル側から見た「悪魔の喉笛」

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↓次はアルゼンチン側の他の滝をトロッコ電車に乗って見に行く

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            ↓沿道にはハナグマ(鼻熊:クアチ)を見かけた
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お昼を挟んで午後はブラジルに入国して見学する
            ↓ブラジル側から見えるアルゼンチン側の滝

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       ↓ブラジル側の滝(アルゼンチン側の悪魔の喉笛の隣にあった)

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                  ↓ここの蝶は人にもとまる

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↓最後にボートで滝壺近くに行き、水しぶきを浴びたが、丁度虹が輝いた。写真では撮れなかったが二重の虹が水の中まで入り込んで素晴らしかった。

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川を挟んだ三国国境地点:手前がアルゼンチンで川を挟んで右手向こう側がブラジル、同じく川を挟んで左手向こう側がパラグアイ
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[ブエノスアイレス]
アルゼンチンは国土面積世界8位、人口3703万人、白人(スペイン、イタリア系)97%、メスティーソとインディヘナ他が3%で、白人の国とは知りませんでした。
自給率93%、資源は石油、石炭、天然ガス、鉛、錫、亜鉛、銅、ウランと豊かなのだが、神奈川県よりやや小さい経済規模とのこと。
↓初夏の首都ブエノスアイレスはこんな風景。1枚目は世界三大劇場の1つコロン劇場。4枚目、ジャカランタの花も咲いていた。6枚目の遠くのオベリスクは世界一幅の広い通りの中心にある。

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↓メトロポリタン大聖堂の中。この国はローマカトリックが約93%。

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↓アルゼンチンの食事。野菜も豊富で美味しかった。

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2010年12月 4日 (土)

京都3:[京都御所] [桂離宮]

友人たちの尽力で修学院離宮や仙洞御所は外れましたが、「桂離宮」だけ当たりました。
[京都御所]
鎌倉時代から明治2年までの皇居。何度も火災に遭って天明期に松平定信によって紫宸殿など平安の古制に復元された。
神殿造り、書院造り、数奇屋風など歴史上代表的な建築様式を調和させ凝縮しているものとなっている。
夏は暑く、底冷えのする京都での皇族の、こうした建築様式の家での生活は決して安楽なものではなかったでしょう。
                      ↓御所の前

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                   ↓センダンの大木と実

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[桂離宮]
江戸時代初期の庭園と建築、八条宮家の別荘。
京都の離宮や神社仏閣などの垣根にはいろいろあってとても興味深いものがあります。
↓桂垣の1つ「笹垣」、離宮の東側一帯に自生する竹薮の竹をそのまま利用して高さを揃えて編まれている

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↓もう1つ「穂垣」、一定間隔に立てた太竹に細い竹枝を積み上げたもの。

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                        ↓正門の内側

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↓桂川の水が引かれた池を中心にいくつかの茶屋・築山・州浜・橋・石灯籠など配置された回遊式庭園は日本庭園の傑作と言われる。
中に入って来られたお客に、この美しい庭を一瞬見せて、1つ1つの場所から次の場所を見せない設計、いろいろな箇所に遊び心がいっぱいの実に楽しい庭園でもあるのです。
サービス精神旺盛の良きガイドさんの説明でもう1度来てみたいと思った1時間でした。

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            ↓生八ツ橋もいろいろなのが売られていました

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7日から17日までマチュピチュに行って参ります。

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京都2:[鞍馬寺] [貴船神社] [瑠璃光院] [下鴨神社]

[鞍馬・貴船]
『枕草子』に「近くて遠きもの」と書かれた鞍馬・貴船は京都市街地の北のはずれにあって、大原と同じような距離です。牛若丸の伝説が残るので是非行ってみたかった所です。
叡山電鉄に乗ると途中美しい紅葉のトンネルがって、電車前部でカメラマンが撮影していました。

      ↓鞍馬天狗             ↓鞍馬寺仁王門

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↓鞍馬寺・本殿金堂 奈良時代に鑑真の高弟が毘沙門天を祀ったのが始まり(標高410m)

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↓「冬柏亭」 東京から移築した与謝野晶子の書斎、戦後天台宗から鞍馬弘教を起こした信楽香雲が与謝野門下の歌人だった縁で。

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↓僧正ヶ谷不動堂 謡曲では、ここで鞍馬天狗と牛若丸が出会った。寺域全体が原生林で覆われている。

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↓義経公息次ぎの水  ↓義経堂 義経公の御魂がこの山におわして助けておられるという

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木の根道を下ると[貴船神社]に到着。鴨川の上流にあたり、水の神様を祀り、治水関係者や農業、醸造業など水に関わる人々から信仰を集めている。

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↓水占斉庭(みずうらゆにわ)の御神水に浸すと、水占いみくじに運勢が浮き出る。見せてもらいました。
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[瑠璃光院] 叡山鉄道の支線の終点、八瀬(やせ)比叡山口にあるお寺。

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↓瑠璃の庭 ある気象条件がととのうと、深々とした苔が一瞬瑠璃の光を放ち、仏典にいう瑠璃光浄土が現れるという。

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             ↓臥龍の庭 三条実美公も茶室の前の庭

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八瀬の釜風呂 日本式蒸し釜風呂の原型。壬申の乱で背中に矢傷を負われた大海人皇子(天武天皇)がここで傷を癒されたという。
↓その内部です

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[下鴨神社]
↓宏い境内の片隅に女性守護の「河合神社」がありますが、この中に鴨長明の「方丈」がありました。覗いて見ると思ったとおり大変質素な部屋で、『方丈記』の内容を彷彿とさせます。

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↓赤い太鼓橋の輪橋の手前の梅が、光琳が描いた「紅白梅図屏風」の梅といわれる

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↓下鴨神社のここがみたらし団子の発祥地で神社近くのお店でコーヒーと一緒にいただいた、色が濃い5つのみたらし団子

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↓連理の賢木は途中で繋がっているのです

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2010年12月 1日 (水)

京都1:[銀閣寺] [北野天満宮] [仁和寺] の紅葉

11/27~29と1年前から決めていた、錦秋の京都に行ってきました。

[銀閣寺(慈照寺)]
紅葉が見頃で入場が10分から40分待ちの行列が出来ていました。

↓「銀閣寺垣」と呼ばれる垣根。1番下が石垣、その上が木の垣根、空間があってその上に又木の垣根。反対側は人の列で写真に収めることが出来なかったが、空間部分が竹垣で。変わった垣根で他に見たことがない。

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                                                ↓行列と紅葉

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↓錦鏡池の向こうの銀閣(観音殿)「京の三閣」金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)の1つ。

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                                            ↓京都市内を眺める

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↓外国人らしき人の住む門 火鉢や簾、紅葉まであしらって素敵です

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[北野天満宮・もみじ苑]

境内西側にあるもみじ苑には、1591年豊臣秀吉が洛中洛外の境界として、また水防のために築いた土塁「御土居」の一部が残っている。
↓250本の紅葉のうち樹齢350~400年のものが数本あって幹がかなり太い。丁度夕日に照り映えて。

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                      ↓ハゼの紅葉

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↓昔紙漉き場であった紙屋川、もう落ち葉の絨毯が敷かれている

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↓天満宮本殿の後ろ側の宮の屋根が銀杏で金色に染まっていました

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[仁和寺]
                 宿泊した仁和寺も丁度見頃でした

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