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2011年1月29日 (土)

暑がりの寒がり

暑がりは寒がりと言いますが、私もその一人で、夏と冬にはぶつぶつとうるさいので、近くにいる人は大変迷惑のはずです。
で、どちらが辛いかは天秤にかけたら夏に傾くかもしれません。暑さのため体力、気力がなくなるのが恐ろしい。36℃を超えると冷房の中でだらしなく倒れています。
知人に母娘して暑くなればなるほど元気になって食欲増進し、冬は全く元気がなくなるという。團伊玖磨も夏を嬉しがっていましたっけ。

TVで「世界で1番暑い国、ジブチ」をレポーター氏が体験していました。
前年の「世界で1番寒い国、ロシアの町」で体験したのが-53℃、今回のジブチでは54℃でその差101℃を体験した結果、寒い方がまだましだったそうです。
ジブチの人は冷房もなく、45℃でもラマダーンの時は日中食べ物だけでなく、飲み物も飲まず、でも熱中症にならない。ラクダでキャラバン組んで、50℃の砂漠を午前と夜進むその忍耐強さ。留守番の女性達が水場で泥水を、巻いているストールで濾して、30kgの水を30分掛けて毎日背中に担いで運ぶ。男が塩湖で集めた塩を、キャラバンの交易で小麦粉と交換して、焼いたパンと家畜のミルクが食料です。
こんな生活でも、神が与えてくれた大地に感謝で幸せであると言うのですから、アラーの神は偉大でこの人々も神さまかと思ってしまいます。
暑さの中での1ヶ月ものラマダーンで耐えたあとの幸せ感は筆舌に尽くし難く、忍耐強さが養えるとか。アルカイダとかいろいろイスラムの人々のあの強さが妙に納得できた話でした。

昨年の収穫の中から種を作って、今年も少ないながらそら豆が伸びてきました。
連日の氷が張る寒さの中で朝になると萎れてる日があります。昨年は最初は死んでしまったのかと慌てました。
午後になると次第に起き上がって元気になります。濡れ縁上で霜を避けています。

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古い話ですが、暮に新宿交響楽団(アマチュア)の定期演奏会に行ってきました。
100人近くからなる大編成の楽団です。今回は
バッハ:シャコンヌ『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番』よりと
マーラー:交響曲第1番ニ長調『巨人』「花の章」付きでした。
『巨人』はご存知のように打楽器がものすごいので、特に最後の方は釘付けです。
10代の学生から70代までの幅広い年代で、自主自立的な運営を行っているそうで、年2回の定期演奏の他、早稲田大隈講堂でも開催したこともあるそうです。
立派な力強い演奏を、申し訳ないことに無料で聴かせていただいています。CDでは味わえない生演奏に酔いしれました。
ここ2年は相棒の娘が忙しくて、歌劇も音楽会も行かなくなっていましたが、無料あるいは1000円くらいの演奏会に一人で行って楽しんでいます。

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2011年1月26日 (水)

ドングリの発芽

高尾山から続く山、景信山(727.1m)へ餅つき見学・体験に行ってきました。
山での植物の「シモバシラ」の霜柱を見たかったのですが、残念ながらあまりに雨が降らず、巷も山も水分不足で霜柱も出来ないので、シモバシラも無理でした。

親子で登山を楽しむ方達とその餅つきをお手伝いされる方達とご一緒でした。
3歳くらいから小学校までの子供たち(殆ど男子)は氷の張った側溝に入って滑ったり、いろいろな発見をしながら登り、そのエネルギーを登山で発散していました。

↓お母さんの一人がドングリの発芽を発見しました。ドングリの殻がまだはずれていない。下から持ち上げている。小さな生命誕生に感激です。

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              ↓タチツボスミレかな。もう咲いています。

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                ↓頂上に到着したら富士山が見えた

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↓富士山から下に目を移すと1週間前の相模湖がさらに高い位置から見えた

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餅つきが始まった。子供の頃見ただけで1度も搗いたことがなかったので見学だけでなく、搗かせていただた。
杵は重く、搗くと餅にくっついて離れず、後で写真をいただいたら、へっぴり腰の格好の悪い姿が写っていました。貴重な体験でした。
↓思ったより小さく感じた臼を水でぬらす  ↓蒸かしたてのもち米2升をあける

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↓ここが肝心の杵でこねる作業 ↓いよいよ搗く。子供たちも行列して順番に搗く

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↓搗きたてを餡、きな粉、大根おろしでいただいた中に、茶屋で用意してくださった柚子葱醤油で食べたのが絶品でした。1番手前。
ゆず皮と葱みじん切りに醤油と酒で調味した物、今我が家には50個以上のもらった柚子があるので作ってみよう。餅は湯を入れて電子レンジでやわらくしてみます。餅つき機がないので。
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参加した子の中に2歳で高尾山に登ってしまったという子がいました。小さい頃から親と一緒に登山して、忍耐力を養い、木や花や動物に接し、自然を学び、友人も出来たら、家の中でゲームしているよりどんなにかいいでしょうか。面倒にも思わず一緒に登って教育している母親に拍手を送ってしまいます。

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2011年1月23日 (日)

『間宮林蔵』 吉村昭著

saheizi(佐平次)さんがもう3ヶ月も前にご紹介下さった 『間宮林蔵』を今頃になってやっと読みました。
私としては1番寒いこの季節に読んでいても、あの樺太の寒さは想像もつきません。
今のように着るものも履物も装備もしっかりしたのがなく、力のつく食べ物もなく、交通手段も犬ぞりもなく、6人で漕がなければならない船で沿岸沿いを行くのですが、これこそ想像を絶する探検です。
どう考えても無理な、アイヌ人でさえ首を振る奥地の探検を異常とも言える情熱で、押し切ってやり遂げてしまったことです。とうとう西洋人にも見つけることが出来なかった間宮海峡を発見したのでした。
さすがに手を凍傷で一部失い、半年以上も寝たきりになってしまったのも無理ないことでしょう。
何がこの人をこんなに駆り立てたのかはお読みいただくとして、探検家として世界の10指に数えられるでしょう。南米が大変だなんていうのも恥ずかしい気分でした。

林蔵と同じ時代に生きて関係あった人が、伊能忠敬、シーボルト、水野忠邦(老中)、川路聖謨、徳川斉昭(水戸藩主)、藤田東湖、渡辺崋山と日本史に出てくる錚々たるメンバーなのも初めて知って驚きました。
また、後半生は幕府の隠密として活躍したことも知りませんでした。
もう1つ驚いたことがあります。
農民であった林蔵が後に武士になったのも、好奇心に富み、利発だったので、村上島之允が雇ったことが発端だったのです。
その師の村上が凄い健脚で日に30里(118km)ずつ10日も20日も歩いて少しも疲れを見せなかったそうです。20kmで小休止するのも立ったままだったとか。後に林蔵も見習って健脚になって探検や隠密の仕事ができたわけです。
現代人は1日40kmが限度でしょうか。マラソン選手なら2時間ちょっとで走り切るのですが。

きれいな石畳:南米ペルーのリマ、日本人経営のお店の前の石畳。細かく手が込んでいてこんな美しい石畳は初めてです。
でも石畳は歩きにくいです。

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2011年1月20日 (木)

日本人だから日本の食べ物は世界一

寿司が好きだからというわけでなないですが、寿司は食べ物の傑作です。今では世界の人が楽しんでいます。
鰻もバタ-や塩で食べる欧州より、やはり醤油風味がご飯に合って、斎藤茂吉の気分です。
ラーメンは中華料理と思われているが、中国に行っても麺や味は異なっていて、日本人が作り上げた大傑作です。私が外国から帰ると最初に食べたいのが、寿司やラーメンです。
天ぷらは南蛮料理として長崎に400年前に入ってきたが、唐揚げのような物で、天ぷらが出来上がったのも日本独特とのこと。梅干やらっきょうなどありとあらゆる食品が天ぷらにされる中、アイスクリームまで天ぷらにしてしまった日本です。そして蕎麦やうどん、お好み焼きやもんじゃ焼きやたこ焼きも傑作です。

世界からの輸入も合わせて食品の種類や調味料の種類がこの上なく多く、季節を問わず出回り、食べたいものを何時でもどこでも食べられる国は珍しい。
イタリア料理も中国料理も本場より日本人に合わせて作った日本のお店の方が数段に美味しい。韓国料理も本場に引けを取らない。
お菓子がまた日本は世界最高だと思います。洋菓子もミルクの問題で劣るかもしれないけれど、種類の多さ、どんどん出来る小規模の製菓会社の製品の美味しさはもう覚えきらないほどです。
和菓子も茶道の発展とともに数知れぬ豊かさを誇っています。ご当地ものも競ってこれまた覚えきれないほど。餡がなかったら、私の人生は少し味気なくなっていたかもしれません。
新鮮な水産物は地方の海辺の宿泊施設などで味わえれば言う事なし。
欧州では食事がゆったりしていて出てくるのも遅く、2時間はかかります。
中国や日本では注文するととても早く出てきて、せっかちな民族向きと言えるのでしょうか。パスタやうどんは注文後に茹でるから少し時間を取るのは致し方無いでしょう。

若い頃は洋風料理を結構作っていました。
年令と共にすっかり醤油を多用する和食派に変身してしまいました。京都など出かけた先でも日本料理です。
暮に「うかい亭」の系列店の和風の「とうふ屋うかい」に行ってきました。

東京・芝 「とうふ屋うかい」は東京タワーの道路を隔てた隣にあります。
元旦に行った井の頭公園の紅葉もまだ真っ赤だったのですが、昨年クリスマス頃の「とうふ屋うかい」の庭の紅葉もまだまだ散らず美しい色を見せて、こんなに遅かったのはなぜでしょう。

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荘重な室内も美しい建物は、素晴らしい日本庭園と美しい庭木に囲まれ、背後に東京タワーが聳えています。

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とうふ屋といっても豆腐は、メニューの中には2つ目の[あげ田楽]と6つ目の[翁とうふ]だけで、美しい盛りつけに本物のだしで料理された日本料理は美味しく、ボリュームもたっぷりで、この日は夜ご飯はパスでした。

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2011年1月17日 (月)

相模湖の嵐山とサルノコシカケ

今朝の冷え込みはかなり厳しく、あまり気温も上がらない中、湯で融かしたものの、半分しか氷が融けてないバードバスでシジュウカラが今日も水浴びをしていました。10回はやります。この子は真冬の水浴が大好きのようです。バードバスの保護色のようで見えにくいですが。

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以前見ていただいた パーシーカラーが2鉢に増え、11月下旬から晴れると花を開いて咲き続けています。

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珍しく曇っていた15日に相模湖の嵐山に本年初の足馴らしとして、歩いてきました。登るというほどではない405.9mの山です。

↓中央線相模湖駅構内から見える嵐山
「嵐山」とは相模湖東岸に迫るなだらかな山容と山肌を彩る美しい落葉紅葉樹林が織り成す景観が、京都の嵐山に似ていることから呼ばれているのだそうですが、この季節は想像もできなく、秋にまた眺めたい山。

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↓この相模湖大橋を渡った左から水上神社参道を登るが、ここは東海自然歩道で丹沢山塊まで続いています。

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       ↓山頂からの相模湖、途中から曲がっていて全部見えません。

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↓山頂の産霊宮水上神社(むすびのみやみなかみじんじゃ)は昭和30年鎮座だそうです。神奈川・東京1000万人の飲料水にもなる(かつて私も飲ませていただいていました)湖水の浄化と平安を祈ってお祭りしている。

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   ↓京都嵯峨野とは比べられないけれどもかなり広い竹林がありました。

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                  ↓サルノコシカケ(白と黒)
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サルノコシカケ(猿の腰掛)は木材腐朽菌で、立ち木または枯れ木に生えるが、この菌によって木が木材腐朽病を起こして枯死する。
年々成長し、木質なので触るととても固かった。サルノコシカケノの1種カワラタケは制癌作用を持つ。

一方、ここでは見られませんでしたが、サルオガセ(猿麻がせ)は針葉樹などに付着して懸垂する糸状の地衣類で、とろろ昆布にそっくりです。猿の腰掛同様に薬用(利尿剤としてなど)があるが、猿の腰掛と違うのは木を枯らすことなく、空気中の水分を吸収して光合成を行うという、仙人のように霞を食べて生きている植物です、偉いなあ!

猿が付く名前の植物に、サルトリイバラ(猿捕り茨)、サルナシ(猿梨)、サルコイアシ(猿恋葦)、サルマメ(猿豆)、サルメンバナ(猿面花)などがあります。
そしてサルスベリ(猿滑り)は、またの名が「夏椿」「沙羅の木」でこちらの名で親しんでいます。
百日紅(サルスベリ)とは字が違いますが、幹がつるつるしているところが両者似ているそうです。なるほど。

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2011年1月14日 (金)

子規の妹・正岡律さんのその後

「坂の上の雲」で菅野美穂さん演ずる律さんが子規を必死に看護する姿や、秋山兄弟との淡い交流など共感を呼びました。
司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』にはその後の律さんが垣間見えます。

ドラマで最後に演じられていたのが子規亡きあと専門学校に通った事ですが、その後律さんはその学校で事務職につき、さらに先生になりました。研究熱心で京都に勉強に行ったり、手芸研究会も主催していたとか。
子規の看病以前に2度離婚した後独身を通し、母八重さんの弟の3男の忠三郎さんを養子にした。忠三郎さんに高校大学の学資を送り続けました。忠三郎さんは義母から逃げて、東京を離れ高校は仙台へ、大学は東京を通り越して京都大学、勤めは大阪にと生涯一緒に住むことはなかった。

あんなに看病してもらったのに、子規は律さんを『墨汁一滴』『病床六尺』『仰臥漫録』などに、強情冷淡、理屈っぽい、気が利かないと書いているのです。
律さんはきつく、気丈だったし、自分にも人にも厳しかったし、男みたいな人だった。後に病的に人を疑うようになり、潔癖症がますます嵩じたようです。
養子夫婦には一切負担をかけなかったのはあっぱれ律さんです。

『ひとびとの跫音』は著者司馬遼太郎と交友のあった、無名の市井人として生きた、それでいて何とも清々しい養子の忠三郎とその友人のタカジ(西山隆二・ぬやまひろし)を中心にして、子規ゆかりの人々の境涯を描いてそちらが記述の大半を占めています。

関係ないですがペルーの小鳥です。
                     砂漠のオアシスで

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                       マチュピチュで

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2011年1月11日 (火)

静岡おでん(しぞーかおでん)

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お正月に娘たちが東名高速で浜松に行って買ってきてくれたお土産です。なんで浜松かというと浜松餃子を食べるために1泊したらしい。豚ひき肉とキャベツとニラが中身だが、茹でもやしが付いているのが特徴とのこと。何故か?わからないが面白いご当地餃子。
海老名サービスエリアの中のグリコショップの「アーモンドチョコクリーム」と「キャラメルクリーム」。下りのサービスエリアしかないらしい。
浜松のうなぎパイ工場で「うなぎパイ詰めあわせ」(ナッツ入りなんていうのもあります)。
三方原パーキングエリアで「味噌まん」。
遠州豊田パーキングエリアで「静岡おでん」。娘たちは日本坂パーキングエリアで「しぞーかおでん」を食べたそうですがこれと同じみたいです。

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静岡おでんは、昔横丁のおでん屋が不要になった牛すじを1本串にさし、煮込みにしたのが始まりということで
条件は ① 串に刺してあること
     ② 黒はんぺんが入っていること
     ③ ダシ汁が黒いこと(色は黒いがしょっぱくない)
     ④ ダシ粉をかけること
ユニークな条件で思わず笑ってしまいました。
我が家のおでんとは味が全然違っていて、これもまた美味しいが、おでんというのは寒い外で食べるのも美味しいらしい。でも外では1度も食べたことがありません。
余った汁は水や醤油を加えて永久に煮こむよう書いてありました。
そういえば新橋のおでん屋さんも何十年もずっと汁を捨てないで煮こんでいると昔聞いたことがありましたっけ。
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Photo_2 これからはまりそうなジョン(チヂミ)

お正月にニラ、白菜キムチに竹輪を挟んだジョンに作ったタレをかけて食べたのが美味しくて、今年の昼ごはんの友に1つ追加です。
これはハムを入れたのもので、白菜キムチは必ず入れ、その他は何でも挟んでよさそうです。

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2011年1月 8日 (土)

早稲田大学のオープンカレッジへ

ミーちゃんの縁側」のミーちゃんが昨年の1月9日に亡くなっていたのでした。
何時日記を再開されるかと気にしていましたが。残念なことです。
高齢になってからパソコンを始め、旅行が大好き、外に出かけることをこよなく愛した一方、家の中や庭をこまめに手入れし、朝日夕日を愛でていたミーちゃんの姿が浮かんできます。ご冥福をお祈りします。

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入学試験も期末テストもない気楽な大学のオープンカレッジの講座に通い始めました。
教室は大隈講堂の隣の建物。

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講座名は「歴史的町並み景観の魅力ー幕末・明治の町並みを中心にー」というものです。
あまりにタイトルが長くて、人に聞かれても答えられず、町並みがどうとか、江戸時代とか言ってましたが、幕末・明治なのでした。1回目を受けてやっと頭に入った頼りない受講生です。
町並み保存には制度があり、重要伝統的建造物群保存地区は全国に78市町村88地区あるそうです。
それも城下町や宿場町だけでなく、漆工町、茶屋町、養蚕町、港町、養蚕集落、在郷町、醸造町、鉱山町などなどいろいろあるのですね。
保存の制度の意義や目的、国がどう関わってくるかなど学んだわけですが、ビデオで「うだつが上がる」の「うだつ」がよくわかったのが収穫だったかな。

すぐ近くに、スペインのマドリッドにあるガウディのカサ・バトリョのような建物がありました。かなり目立っていました。

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実に25年ぶりの聴講生、30人定員のところ43名、私が1番最後のキャンセル待ちで滑り込めたものです。小中高大生と違っておしゃべりすることもなく、居眠りする人もなく大変熱心で、先生も授業するのに苦労しないで、先生側にたてばその点羨ましいなあというのが感想です。

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2011年1月 5日 (水)

鑑真和上

日本の高僧を差し置いて、私は鑑真和上が好きです。
当時日本では僧侶になると納税の義務が免除されるということで、にわか僧侶が溢れ風紀が乱れたそうです。その対策のために受戒師を招くべく、唐へ2人の僧侶が派遣されました。
当時唐は出国を禁じていたこともあり、また玄宗皇帝が鑑真和上の人徳を惜しんだこともあって、密出国という形で6回目、11年目に(嵐にあったり、密告にあったりで)やっと日本に辿り着いたというわけです。
やがて哀しいかな、鑑真和上の思惑と朝廷の本心が対立して東大寺を追われしまう。人々の尽力あって唐招提寺を開き、貧民の救済にあたりました。
その一生は頭下がるばかりです。祖国中国にいたら安穏な人生であったでしょうが、帰化僧として我が日本のために精神的に尽くしてくださったことに感謝です。
TV番組「45日間奈良時代一周」で、鑑真が実は来日当初はまだ目が見えていたという説が紹介されていて、「あゝ良かった」が実感です。
また味噌と薬草の知識を伝えてくださったのですね。
その最期は西に向かって座禅したまま息を引き取ったということ!計り知れない意志の力、仏と一体になったことでしょうか。我が最期も思い浮かべて、また我が最期に鑑真和上の姿がよぎればと思ったことでした。
井上靖『天平の甍』永井路子『氷論』など読み返して、作家の視点を見直したいものです。  

    ↓今年も家族で新年会 最後にカニ鍋で多国籍料理になってしまいました

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4年食事記録日記 : 昨晩何を食べたか、思い出して書くために記録を始めて3年目。ひび割れてきた頭では、何とこの頃思い出せなくなって、その日のうちに書かないとだめになりました。忘れて空白の日も多く、また昨年と同じ献立で苦笑することもあります。

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             だんだん形が悪くなってしまったシャコバサボテン

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2011年1月 2日 (日)

謹賀新年

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今年もどうぞろしくお願いいたします。

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元旦『天声人語』に[便利と快適は幸せと同義ではあるまい。「きゅうくつな幸せ」を新春の空に思ってみる]とありました。
昨年も騒がせた様々な事件の背景を思うと、かなり当てはまる世情です。
大勢で暮らすことは鬱陶しく、煩わしく、、と跳ねつけてきた結果は、人との交流が希薄になり多くの孤独を生み、精神的にも追い詰められ悲惨な事態を招いています。
しかし、「ゲゲゲの女房」さんもプロダクションを設立して大勢で暮らすようになったときに、昔の家族だけで生活していた時代が1番良かったと言っています。やっぱり本音で暮らしたい今です。
なかなか解決の道はないけれど、家族の交流を常に持ちたい。天声人語子の「便利と快適」という言葉、これのみを追い求めることは慎みたいということでしょう。

携帯、ゲーム機などこれがないといじめさえ受ける現在の子育ては、私たちの頃の子育てと違って格段に難しいです。良い知恵を出し合って健全な子育てがなされるように応援するばかりです。

        井の頭公園の池の小さな水鳥です(新顔?)バンの幼鳥だそうです。

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