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2011年1月14日 (金)

子規の妹・正岡律さんのその後

「坂の上の雲」で菅野美穂さん演ずる律さんが子規を必死に看護する姿や、秋山兄弟との淡い交流など共感を呼びました。
司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』にはその後の律さんが垣間見えます。

ドラマで最後に演じられていたのが子規亡きあと専門学校に通った事ですが、その後律さんはその学校で事務職につき、さらに先生になりました。研究熱心で京都に勉強に行ったり、手芸研究会も主催していたとか。
子規の看病以前に2度離婚した後独身を通し、母八重さんの弟の3男の忠三郎さんを養子にした。忠三郎さんに高校大学の学資を送り続けました。忠三郎さんは義母から逃げて、東京を離れ高校は仙台へ、大学は東京を通り越して京都大学、勤めは大阪にと生涯一緒に住むことはなかった。

あんなに看病してもらったのに、子規は律さんを『墨汁一滴』『病床六尺』『仰臥漫録』などに、強情冷淡、理屈っぽい、気が利かないと書いているのです。
律さんはきつく、気丈だったし、自分にも人にも厳しかったし、男みたいな人だった。後に病的に人を疑うようになり、潔癖症がますます嵩じたようです。
養子夫婦には一切負担をかけなかったのはあっぱれ律さんです。

『ひとびとの跫音』は著者司馬遼太郎と交友のあった、無名の市井人として生きた、それでいて何とも清々しい養子の忠三郎とその友人のタカジ(西山隆二・ぬやまひろし)を中心にして、子規ゆかりの人々の境涯を描いてそちらが記述の大半を占めています。

関係ないですがペルーの小鳥です。
                     砂漠のオアシスで

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                       マチュピチュで

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コメント

その本も読んだはずなのになあ、みんな忘れています。
律のことは何かで読んでブログにも書いたような気がするけれど確かではないのです。

投稿: 佐平次 | 2011年1月14日 (金) 09:11

ドラマ「坂の上の雲」見てます。今年の年末第3部放送ですね。
律さんには私も関心を持ちました。子規の死後洋裁学校に通い、
やがて先生もして、最初のキャリアウーマンのような方と、そこまでしか
知りませんでしたから、興味深く拝見しました。
そんな生涯を送られたんですねぇ。
子規が強情冷淡などと書き残していたことは、ドラマの中にも出てきましたね。
潔癖症でもあったのですか。律という名前そのもののような面もあった
ということでしょうか。

ペルーの小鳥たち、可愛いですね。
私たちが昔の方たちが見たのと同じように今もメジロなど楽しんでいるように、
昔のペルーの方たちもまた、これらの小鳥を愛でていたのだろうかと
ふと思いました。

投稿: ポージィ | 2011年1月14日 (金) 10:01

墨汁一滴、病床六尺、仰臥漫録
など読みましたのに律さんのことに注目していないため、
すっかり忘れています。
もう少し遅い時代に生まれられたらよかったのに・・・
と惜しまれますね。

でも子規は、俳句にはたくさん律さんのことを
作品化していますのにね。

正岡家の誇りを失わず生きたのですね。

投稿: matsubara | 2011年1月14日 (金) 14:55

★佐平次さま、ありがとうございます。

勿論、佐平次さんは読まれたのですね。
もし思い出してくださったらTBをお願いします。

投稿: tona | 2011年1月14日 (金) 15:46

★ポージィさま、ありがとうございます。

ポージィさんもご覧になっていらっしゃったのですね。
今年で終わるという今までにない試みのドラマです。
律さんがキャリアウーマンになったのも、子規が律さんに新聞を朗読してもらうにも、当時女子であるため高等小学校しか出してもらえなかったので読めない漢字も多く、女子にも教育が必要と本人にも、本でも言っていたことが影響したそうです。

人を疑うようになったのは当時いた女中さんが盗んだためだそうです。潔癖症はもともときれい好きが病的なまでになって孫の洗濯桶などまで自分と全部別々にするほどだったそうです。
律さんは子規に言われても平気で受けながしていたとか。

ペルーの下の鳥、雀のようです。

投稿: tona | 2011年1月14日 (金) 15:56

★matsubaraさま、ありがとうございます。

律さんが今の時代に生まれたら、例えば上野千鶴子さんのような、独立独歩の素晴らしい女性として生きていったと思ったりしました。

俳句にも律さんのこと残していましたか。
すっかり忘れてしまって、もう1度読みなおします。
子規亡き後も、部屋をずっと保存していたそうです。
とてもつましい生活をされても大阪に行った時、孫のものをたくさん買ったり、好んでお芝居を観にいったそうです。

投稿: tona | 2011年1月14日 (金) 16:06

調べてみたら「阿木津英 妹・律の視点から」(子規保存会)というパンフレットでした。
書いたのはサンケイビジネスアイという新聞の書評エッセイの連載でした。
データを今のパソコンで読みこめない(やり方がわからない)ので印刷媒体で持っています。

投稿: 佐平次 | 2011年1月15日 (土) 10:00

★佐平次さま

どうも調べていただいてありがとうございました。
阿木津英さんは歌人なのですね。
『妹・律の視点からー子規との葛藤が意味するものー』だそうで冊子は絶版のようですね。
お手数おかけしました。

投稿: tona | 2011年1月15日 (土) 15:55

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