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2011年2月28日 (月)

江戸時代の人材派遣

江戸時代の人材派遣
『大名行列を解剖する』根岸茂夫著 

童謡「鞠と殿さま」の2番の歌詞に

 表の行列 なんじゃいな
 紀州の殿さま お国入り
 金紋先箱 供ぞろい
 お駕籠のそばには ひげやっこ
 毛槍をふりふり やっこらさのやっこらさ

とある。
そもそも大名行列がなぜあんなに長いかというのは、
本来の武家の行列は戦場に赴く姿を基本にしたから、大大名として家来を多く持ち、所領に相当する軍事力を有していることを証明することから生じた。
その行列の60~75%が、人宿・今で言う人材派遣会社から派遣された者や、日雇い、月雇いのアルバイトだったのだ。
彼らは行列の装飾(金紋先箱、槍、傘、長刀、馬)を持たせられて歩いた。彼らは烏合の衆でもあってかなり乱暴者、狼藉を働くかぶきものとして問題を起こしていたようだ。
1862年に参勤交代の制度が廃止されたとき、彼らは失職者になった。そして明治維新で武士階級が崩壊し、多くの武士が巷に彷徨い、あるいは殿さま商売という言葉も生まれた。少々時代に合わないながらも皆懸命に生きてきたのだ。
失業者も多い、あるいは就職もままならない現代と重なるのです。

2月半ば、オオイヌノフグリに霜が降りても、見えにくですが、蕾が花開こうとしていた。

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  温室のビニールの内側のアメリカフウロが紅葉しているのが外から見えた。

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運が悪かったとしか言えないクライストチャーチ大地震に巻き込まれ、生死もわからない方たちとそのご家族に心が痛みます。CTVビル倒壊の最終的責任はビルの所有者となったようです。もし東京で同程度の地震が起こったらと思うと恐ろしいことです。

大聖堂も崩れてしまって人々の祈りの場が再び修復されるのは何時の日になるでしょう。中の黒いキリストのステンドグラスや変わった天井などは残っているのでしょうか。

                      2年前の中の様子です

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2011年2月25日 (金)

静岡いちご

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昨日休暇を取っていちご狩りに出かけた、娘たちのお土産です。
ここ10年娘夫婦は毎年いちご狩りに、この季節行っていますが、今年は静岡です。
写真撮ったら、まあ何ということか、いちごだけ逆さま、もう開けて食べ始めたので修正写真は撮れません。

この静岡いちごの名前はMiss Strawberry 「章姫」あきひめです。
久能山の石垣いちごを中学生の頃行って食べましたが、少々酸っぱかった覚えがあります。

章姫は昭和60年に[久能早生]と[女峰]から生まれ、平成4年に登録された。
一粒一粒が大きくて測ったら6cm(私の小指の長さ)、とても濃厚な味で甘かった。

「石垣いちご 手作りいちごジャム」がまたとても美味しい。
「田丸屋のわさび詰め合わせ」はご飯がすすむ。
「桜えびかるせん」桜えびのサクサク煎餅、本場の桜えびの味で美味しいだろうなあ。
「静岡あべ川もち」「ありあけ横浜ハーバー マロンケーキ」のお菓子たちも明日以降の楽しみです。

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中国人は姿勢良く腰を使って歩く姿が美しく、日本人は背を丸め膝で歩くので格好が悪い
というようなことがどこかに書いてありました。
なるほど腰を使えば、姿勢も良くなり、歩く速度が早くなり1台前の電車にも間に合ってしまう。
でも内臓のどこかが悪くなったらこれも不可能になり、背や腰を曲げて歩きそうです。

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2011年2月22日 (火)

成田山

初詣の人の多さで有名な成田山新勝寺に、今頃になってお詣りしてきました。真言宗智山派。家内安全、商売繁盛、交通安全、厄難消除。
参道は川越と同じように電線がないので空が開かれた感じです。
両側のお店も看板が昔風で、米屋の羊羹とか店先で鰻をさばく鰻屋や、駄菓子屋や鉄砲漬け屋などが並んで昔懐かしい感じです。

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         ↓総門                ↓仁王門(重文)

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          ↓本堂(御本尊は不動明王。弘法大師が敬刻して開眼)

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                      ↓三重塔(重文)

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                      ↓釈迦堂(重文)

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           ↓額堂 信徒から奉納された額や絵馬を掲げる建物

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↓成田屋・七代目市川團十郎像 丁度、平和の大塔で「成田屋・江戸人と不動明王展」が開催されていて、裁判でも話題を呼んでいる11代目市川海老蔵の結婚の写真と二人の結婚の誓いは飾ってありました。試練を乗り越えて欲しい。

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              ↓菅原道真が祭神の天満宮には紅白梅が

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↓広い境内には成田山公園があって池が3つもある日本庭園となっている。木がたくさん植えられていて花の季節はきれいなことでしょう。この日は梅と水琴窟の音色を楽しみました。
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2011年2月19日 (土)

咸臨丸航海時の勝海舟

『咸臨丸、大海を行く』橋本進著
幕末に日本が初めてアメリカに航海した咸臨丸、その航海の真相を書いた本。
乗っていた主な人に勝海舟(艦長)、福沢諭吉(木村摂津守の従者)、木村摂津守(軍艦奉行)、中浜万次郎(ジョン・万 通訳)、キャプテン・ブルック(アメリカの艦長)

歴史や子母沢寛の『親子鷹』『おとこ鷹』で楽しんだ勝海舟である。幕末の混乱期に稀代の外交手腕と慧眼を備えた政治家、実務家として活躍し、江戸開城交渉の当事者としても有名である。
又、龍馬や西郷からも高く評価された海舟でもある。
その海舟がこの航海中にまったく偶像落つというような面を見せるのである。

海舟の船に弱いことはつとに有名な話である。航海中殆ど自室に閉じこもったままで甲板にも出なかったから、艦長として指揮はおろか、帆走技術や運行技術の向上は他の士官にさえ及ばなくなった。
勝は船酔いだけでなく、船室で拗ねていたようである。年の若い木村奉行の2千石に対し、勝は二百俵扶持ということで不平不満を抱いたらしい。家柄にもこだわり木村奉行や士官らを小馬鹿にしたような、見下したような言動が垣間見えたそうである。勝のイジメ、いやがらせに嫌な思いをみなしたのである。つまりリーダーの勝がトラブルメーカーだったのである。
文倉平次郎曰「勝は細心で剛毅をてらい、名誉心に焦がれ、反対者を畏服又は懐柔する手腕を有し、筆に口に自己を宣伝する癖がある。だから自分より7歳も若い若年で而もある文官である木村摂津守が提督として尊敬されているのが不満であったのかもしれない。・・・木村摂津守が幸い温厚な人格者であったから論争も表面化されずに済んだ」
このように相手が優れていると見ると懐柔策で臨むが、逆に劣っていると見ると相手(攘夷論者が多かった)の外国事情に疎いという弱点を一喝することで自分を優位に立たせ、以後、相手に対する主導権を握って屈服させる、つまり恫喝という手段を使う術に長けていたのである。
福沢諭吉の『痩せ我慢の記』で勝のことを論じているが、福沢も、勝の咸臨丸での一連の行状から、その人間像について同じような見方をしていた。

当初、咸臨丸は日本人だけで運行できるからアメリカ人の力を借りる必要がないと言っていた。
ところが日本人では3人以外は全員酔って役にたたなかった。所詮、帆船を操れる技術がなかったようである。
乗組員の船内マナーの悪さや船内規律のルーズさ、運行技術の拙劣さに辟易したブルックは勝艦長にその教育についてたびたび進言したが受け入れられることはなかった。
そこでブルックはシーマンシップ教育をしたのである。かくして同乗をこばんだアメリカ人に助けられて、サンフランシスコ入港と相成ったわけである。

昨日(2/18)朝日新聞の「ひと」欄でNHKアナウンサーから海上自衛官に転じた「山下吏良」さんのことが紹介されていた。
臨床心理士となって海自隊員の相談に応じ、ダメージケアをしている。
昨年は秘密情報漏洩や情報隠蔽、漁船衝突事故などが相次いだ海自。
長い航海では気分転換が難しく、艦内でこじれた人間関係はたえるしかなく、それを厳しい規律や環境が増幅するというのである。山下さんが採用された年も自殺者が23人とか。今同僚とこなす相談が年3500件だそうだ。試行錯誤の日々を本に著した。

正しく咸臨丸内がそうではないか。サンフランシスコへの長い航海では、艦長があんな状態だったから、一人ひとり大変だったのだ。
ブルックにとっても[初めての遠洋航海による乗組員の情緒不安] は最もやっかいな問題であり、シーマンシップ教育で乗り切ったわけである。
ブルックは勝達のいろいろな問題を、日記には書いたが、本国にはすべて報告することがなかったのである。

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娘から夫へのヴァレンタインチョコをちゃっかり私も半分もらった。いろいろの味を楽しんだ。

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オレンジクイン・サラダ白菜 近所の農家直売所で初めて売っていた白菜。あまりオレンジ色には見えないけれども、確かに白い部分がオレンジ色がかっている。サラダにするとしゃきしゃきと甘みさえ感じて美味しい。農家の方達、新しい品種の野菜に次々チャレンジしている。追記:煮ると葉でない部分がオレンジ色になりました。

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2011年2月16日 (水)

下曽我の梅林

小田原市の下曽我の梅の花を見てきました。
国府津から御殿場線で一駅の下曽我です。
梅は500年前から植えられていたそうで、小田原北条氏の時代、軍用に供するため梅干作りが奨励され、江戸時代には箱根山越えの旅人の弁当腐敗防止用として重用されたそうなのです。
霊峰富士や箱根の山々を背景に、梅林には白加賀など3種の白い梅が3万5千本も植えられています。

                    ↓梅越しに富士山を

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↓展望台から 富士山の右側には丹沢山系が、左側には箱根連山が。富士山の左側の三角がぴょこっと出ているのが金時山。

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↓ズームで。12時半頃からどんどん雲がかかって2時半頃にはまったく見えなくなりました。

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↓箱根連山 右から明神、明星、神山、駒ケ岳、そして二子山、(小学校4年の1学期に新宿区立の箱根小涌園の山荘にいたので、これらに登りました)。
その左に大観山、秀吉一夜城の石垣山、真鶴半島、伊豆半島が続き熱海の初島も見えました。

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↓相模湾には写真には撮れませんでしたが、利島、新島、大島が意外と近くに見えました。

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                 ↓こんな梅林がたくさんあります

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                ↓梅の古木、500年経っている?

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              ↓残念ながら藤牡丹枝垂れはまだでした

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               ↓フトモモ科のギョリュウバイ(御柳梅)

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              ↓裸のケヤキにはヤドリギが良く見えます

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曽我の里といえば曽我十郎・五郎の仇討で有名な兄弟が育った所です。
伊東で兄弟の父が、領地争いがもとで、工藤祐経の郎党によって殺されました。夫を失った満江御前は蘇我の豪族曽我太郎祐信と再婚しました。
源頼朝が富士山西麓で狩りをしたとき、夜中に兄弟が仇・工藤祐経を討ち取って本懐を遂げたのですが、十郎は討死、五郎は捕らえられて処刑されてしまったのです。

↓瑞雲寺:曽我兄弟が父の仇を討つために願文を納めて「十人力」を授けられたという「力不動尊」が安置されてる寺。

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         ↓城前寺境内の供養塔。左の2基が兄弟、右の2基が父母

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            ↓供養塔のそばにある「曽我兄弟発願之像」

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↓兄弟の母・満江御前の墓(何故か夫の墓が見当たらない)が法蓮寺にある。曽我兄弟の墓は箱根や富士宮など全国14ヶ所にあるそうで、「仇討」だけでなく「祟り」の象徴だったのであちこちに造ったらしい。

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石幢型六地蔵をご覧になったことがありますか。3ヶ所で見かけました。
普通六地蔵は六体が並んでいるのに、これは笠付き六角柱(石幢という)の各面に地蔵の立像を浮き彫りにしたものです。

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2011年2月13日 (日)

ニーチェの言葉「自分を尊敬せよ」

実存主義のドイツの哲学者ニーチェは鋭い洞察力で警句と断章を残した。
白鳥春彦編訳 『ニーチェの言葉』には232も集められている。難しい哲学でなくて優しく心にピンピン来る。

ニーチェは「自分を尊敬せよ」と言いました。・・・果たして自分のどこを尊敬したらいいのかと最初の1ページから悩んでしまいました。
001:始めの一歩は自分への尊敬から
自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。・・・最初に自分を尊敬することから始めよう。まだ何もしてない自分を、まだ実績のない自分を、人間として尊敬するんだ。
自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。
そういうふうに生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。
それは自分の可能性を大きく開拓し、それをなしとげるにふさわしい力を与えることになる。自分の人生をまっとうさせるために、まずは自分を尊敬しよう。

002:自分の評判を気にするな
・・・なぜなら、人間というのは間違った評価をされるのがふつうのことだからだ。自分が思うように、自分が望むように評価してくれることなんかほとんどない。・・・腹を立てないためには、自分の評判や評価などを気にしてはいけない・・・

003:友人を作る方法
・・・共に喜ぶこと。嫉妬とうぬぼれは、友人をなくすから注意。

119:体験だけでは足りない
体験は重要で、成長することができる。・・・体験しても、あとで考察しなかったら体験から何も学べていないし、何も身につかないということだ。

145:待たせるのは不道徳
・・・待っている間にその人は、あれこれとよからぬ想像をめぐらせ、心配し、次には不快になり、だんだんと憤慨してくるものだ。つまり、人を待たせるのは、何も使わずにその人を人間的に悪くさせてしまう不道徳極まりない方法なのだ。

183:読むべき書物
・・・読む前と後で世界がまったく違って見えるような本。
わたしたちをこの世の彼方へと連れ去ってくれる本。
・・・新しい知識と勇気を与えてくれる本。
愛や美について新しい認識、新しい眼を与えてくれる本。

こうした警句が載る本は過去に沢山読んでも、心にずっと残るということはなくその時限りです。
印象に残ったのを2度3度と見たくなる楽しい警句集です。

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Photo_2  珍しい名前の管弦楽団です。「毘沙門天管弦楽団」は初代指揮者の故上杉隆治氏が上杉家の直系の子孫に寄るものだそうです。
毘沙門天は仏教で四天王の一尊・多聞天で、日本では七福神の一尊とされています。戦国武将の上杉謙信は自らを毘沙門天の生まれ変わりとし、旗印に「毘」を掲げていたのはドラマ直江兼続の「天地人」で知るところでした。
シベリウス「カレリア」組曲
チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調「運命」
三曲とも誠に力強い演奏で素晴らしい。それにしても管楽器が大活躍の曲です。

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2011年2月10日 (木)

宗教と道徳

オープンカレッジのもう1つの講座が「慈悲の道徳」です。
鎌倉仏教が出た鎌倉時代には、傑出した僧 [法然・親鸞・道元・日蓮・一遍] などがあらわれました。
彼らの教えはかなり異なり、あるいは対立していましたが、同時に共通した要素がありました。
それは迷える大衆を救済しようとする旺盛な慈悲の精神だったというわけです。

まず法然からですが、その前に「道徳的・倫理的生き方」と「宗教的生き方」の比較から始まりました。
前者は「人間はいかに生きるべきか。善とは何か、悪とは何か」
後者は「人間とは何か。人間はなぜ存在するのか」を問う。

ベンサムやジョン・スチュワート・ミルのイギリス倫理学
聖書「イサクの献供」や倉田百三「布施太子の入山」
六波羅蜜、仏の三身から浄土宗の概念までなどなど、2時間休まず難解な仏教用語もたくさん出てきて、居眠りする暇なく、頭フル回転でした。
すっかり学生気分ですが、果たしてどの位理解できて頭に入るのか、かなり復習しなくてはなりません。60数人の中高年が猛勉強といった風情でした。頑張ろうtona。

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娘がブログで買ったと書いていたので、すぐ買いに走った「食べる具材の入ったラー油」です。
具材はフライドガーリックで納豆・冷奴・ラーメン・餃子・ごはん・うどんなどに合う。
そうしたら昨日の新聞に「食べるラー油」のブームが昨年全国で巻き起こったと出ていました。
ご当地ラー油にえび、しじみ、いくらの入った「海鮮ラー油」とか「じゃこラー油」「ほたるいかラー油」、カツオの「漁師のラー油」、海苔の入った「海のラー油」などが紹介されていました。食欲が出そうですね。

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2011年2月 7日 (月)

『日本奥地紀行』イザベラ・バード著

Photo 著者(1831~1904)は1878年(明治11年)に半年かけて東京から北海道まで馬で旅行した。
英国生まれでブロンテ姉妹よりは一昔遅れて誕生。ブロンテ姉妹は若くして結核などの病気で次々と亡くなるが、イザベラもブロンテ姉妹と同様牧師の娘であり、体が病弱であった。
医者から航海をすすめられ、40歳過ぎてから本格的に長期旅行を始め、アメリカ、オーストラリア、ハワイ、マレー半島、日本、朝鮮など旅行し、生涯の大半が旅であった。

彼女の他の国の旅行記は読んでないが、明治時代初期の田舎の旅行は、読んでみると困難な辛酸極める旅行であることがわかる。
物凄い悪路で、しかもこの年5月から夏までずっと雨ばかり、しょっちゅう馬から投げ出され、ビニールもない時代だから毎日のように全身ずぶ濡れ。
宿は不潔なところが多く、蚤、虱、蚊に責められ、あまりにもお粗末な食事、障子の穴からの覗き、何故か当時の人は宿で酒に酔ったり博打や歌などで夜中中騒いで寝られなほどだという。

江戸、明治の表街道の描写や武士、富んだ商人の生活の情報が多くて、悲惨といえる地方の奥地の生活が覗けてびっくりしたり驚いたりの連続。
働けなくなったり病気なったりした老人は皆自殺をしたようである。

一方著者は英国とは違った日本の美しい景色にあちこちでめぐり合い見入っている。描写が心憎いほどに素晴らしい。
またこの人こそ好奇心の塊で、願って仏式の葬式に参列させてもらったり、結婚式にも和服姿で出たり、神社仏閣を探索したりでその観察力、行動力は凄いものがある。日本人よりよく知っているといった風である。

北海道におけるアイヌの観察は研究論文級である。
アイヌで面白かったのが義経崇拝(法律の大家として)である。
彼らは基本的には最も原始的形態の自然崇拝である。唯一丘の上の神社に義経を祀っている。
蝦夷に逃れた義経がアイヌ人とともに長年暮らし死んだ。義経は彼らの祖先に文字や数字とともに文明の諸学芸を教え、正しい法律を与えたというのである。
ところが後にアイヌを征服した日本人が学芸を記した本を皆持ち去り、学芸が滅びてしまったとイサベラに言ったという。

イサベラは↑の自身を描いた絵のように、たくさんの挿絵を描き当時を偲ばせるのであるが、実に上手なので本書に一層興を添えているのである。

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今年初めから次々とテーブルヤシに花芽が出た。やがて黄色い玉の花になる(以前UPしたのに、分類整理が悪くて探せない自分に呆れています)

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                   次第に色が濃くなります

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2011年2月 4日 (金)

航空公園のオオタカ

冬の所沢にある日本の航空発祥の地「航空公園」です。東京ドーム11個分の広さです。

常緑の楠や樫の木は深い緑をたたえている中、ユリノキ、ユーカリ、イチョウは丸裸でながら、もう春の準備をしています。
枯葉に嘴を入れて虫を探す小鳥たち、今年はシロハラとシメを双眼鏡でばっちり見ることが叶いました。
シロハラはツグミの仲間で、大きさが全く同じながら、胸の黒斑がなく灰色っぽく見えます。小鳥の写真は難しくて撮れません。

               池にはカモたちが元気に泳いでいます。

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   すると池の小島に何やら襲われたと思しき鳥の羽が散乱していました。

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そこから石垣の上に目をやると、鳥の後ろ姿が。花と鳥の我が師匠の友人がオオタカと教えてくださいました。

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オオタカといえば森や里山で大空を悠々飛んで餌を狙っている姿です。
このオオタカは狩りのしやすい池のカモを捉えて、今食事を終えて休んでいるようです。周囲にも羽などが散らばっているのが見えます。
苦労しないで餌にありつける池に常駐?しているのでしょうか。要領がいいのか、堕落したオオタカでしょうか?

            梅とロウバイの一角に来るといい香りに包まれました。

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2011年2月 1日 (火)

桜庭一樹の『赤朽葉家の伝説』と『桜庭一樹読書日記』

小豆が350gも残っていたので全部お汁粉にして、今日で3日間お汁粉三昧、満足して今ブログに向かいました。登ることで解禁になった餡は本当に美味しいの一言に尽きる。

昨年11月に新聞の読書欄で<これぞ小説のアクロバット>と紹介された『赤朽葉家の伝説』
著者出身の鳥取の名家の三代に渡る女性の生きざまを綴った作品で、作者が筋金入りの読書マニアだから出来たと書かれている。

図書館から借りてきたその時、BSハイビジョンの「週刊ブックレビュー」に桜庭一樹出演とあったので即観たのでした。
女三代とあったので女性かなとは思ったものの、一樹という名前が湯川秀樹博士の兄弟や村上春樹みたいでもしかして男性とも思っていました。でも知人に美樹さんがいるから女性の名前としてもおかしくないとTVを観たら女性でした。
そのお顔が、知人の顔と、この間の南米旅行の添乗員さん(同行の方が宇宙人と呼んだ、とても面白い人)を足して2で割ったような感じで、美しい女性でした。

途轍もない読書家として知られるということで、小説も読まないうちに『桜庭一樹読書日記』も借りてきて読んだのですが、本当に驚いた!
推理小説をはじめとして、かなりのジャンルの本をものすごいスピードで読みまくる。一体何時仕事をしているのか?
2006年2月は17冊、3月は28冊かな。1~2日で1冊。これは凄い!
自分を「俺」って書いている箇所がたくさんあって、[あれっ、男性なのか?TVではれっきとした女性だったと思ったけれど、もしかして?]と驚いたけれども、とても面白いユーモアに溢れた人だったのですね。

その『赤朽葉家の伝説』ですが、祖母が私とほぼ同年代、娘が私の娘と同年代で1953年からの戦後史も同時に描かれ、私の今までの周囲の社会現象が刻々と甦って懐かしい小説となっています。語り手の孫娘は普通の人だが、祖母は千里眼を持っているということでSFに弱い私には、実に不思議な人と映り、この祖母の娘はとんでもないドラマチックな人でした。
あ~あ、全然感想文にならなかった。

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 今年もやっと来てくれた私の「ツグ」ちゃん。氷水をたっぷり飲んでいった。

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韓国で買ってきた黒米。(古代米に黒米と赤米があります)。白米に少々の塩と黒米を少し混ぜて炊くとお赤飯みたいに炊きあがり、しかもモチモチしてとても美味しくなる。
黒米はタンパク質、カルシウム、マグネシウム(脳の活性化)、ビタミンB、アントシアニン(活性酸素の抑制)が含まれ、長く食べると効果がある。別にずっと食べませんが、兎に角美味しいです。

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