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2011年2月10日 (木)

宗教と道徳

オープンカレッジのもう1つの講座が「慈悲の道徳」です。
鎌倉仏教が出た鎌倉時代には、傑出した僧 [法然・親鸞・道元・日蓮・一遍] などがあらわれました。
彼らの教えはかなり異なり、あるいは対立していましたが、同時に共通した要素がありました。
それは迷える大衆を救済しようとする旺盛な慈悲の精神だったというわけです。

まず法然からですが、その前に「道徳的・倫理的生き方」と「宗教的生き方」の比較から始まりました。
前者は「人間はいかに生きるべきか。善とは何か、悪とは何か」
後者は「人間とは何か。人間はなぜ存在するのか」を問う。

ベンサムやジョン・スチュワート・ミルのイギリス倫理学
聖書「イサクの献供」や倉田百三「布施太子の入山」
六波羅蜜、仏の三身から浄土宗の概念までなどなど、2時間休まず難解な仏教用語もたくさん出てきて、居眠りする暇なく、頭フル回転でした。
すっかり学生気分ですが、果たしてどの位理解できて頭に入るのか、かなり復習しなくてはなりません。60数人の中高年が猛勉強といった風情でした。頑張ろうtona。

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娘がブログで買ったと書いていたので、すぐ買いに走った「食べる具材の入ったラー油」です。
具材はフライドガーリックで納豆・冷奴・ラーメン・餃子・ごはん・うどんなどに合う。
そうしたら昨日の新聞に「食べるラー油」のブームが昨年全国で巻き起こったと出ていました。
ご当地ラー油にえび、しじみ、いくらの入った「海鮮ラー油」とか「じゃこラー油」「ほたるいかラー油」、カツオの「漁師のラー油」、海苔の入った「海のラー油」などが紹介されていました。食欲が出そうですね。

Photo Photo_2

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コメント

tona様
宗教と道徳、慈悲の心・・良いですね。心のすき間を埋めてくれます。

先般義兄の葬儀に出席してきましたが、お坊さんの話が何とも有難く感じました。

お経を唱えながら自分を励ますこともいつものことです。人間は弱いものでいつもグラグラしてしまいます。

人間はいかに生きるべきかという所に行きつきます。またそれの答えを仏教とのかかわりの中で探して行くという事でしょうか。

説法を聞いていてハッとする事があります。心が癒される時でもあります。

いくら葛藤があってもそれは些細なことでしょう。人に死のある如く、すべてに常駐のものはない。煩悩にとらわれずに執着を捨てよ、と。

それよりも人と生まれたことに感謝しなさいという事でしょうか。

tonaさん頑張っておられて尊敬します。
macchanny

投稿: macchanny | 2011年2月11日 (金) 07:52

★macchannyさま、おはようございます。

この頃俗なるお坊さんの話を耳にするに連れ、尊敬の念を失いつつあります。
でも立派な方もおられるわけで、仏法を極めたプロの方ですからありがたいお話だったでしょうね。

退職するまでは仕事のことでかなり比重が占められ、生きる目的を見失っていました。
それを人生の先輩の生きざまの中に見つけることも多いですが、仏教の教えの中にも見つけ出せるでしょうか、これからの講義をちゃんと聞いて答えを導き出せたらいいのですが。
>煩悩にとらわれずに執着を捨てよ
>人と生まれたことに感謝しなさいという
なかなか含蓄のあるお言葉です。
特に前者は捨てきれないで困りますね。
すべて心のあり方かとも思うのです。
いろいろありがとうございました。

投稿: tona | 2011年2月11日 (金) 08:44

浄土真宗系のお寺で親鸞の法話を聞きに通ったり、友人に誘われ牧師さんからバイブルの話を聞いたり、ベンサムとかミルは大学で習いましたね。
とにかく奥が深いので行き着くところがないという感じです。
たとえば八識とは何ぞやと辞書を引くとその説明の言葉を調べるのにまた引かねばならないという具合でした。
仏教哲学まで遡る必要がありますね。
今はご無沙汰です。
どちらかと言えばキリスト系がなじみやすいです。
世界史と直結していますし・・・

私のブログを調べて見ましたら2007.8.2にテープルヤシをupしていました。

明日から少し出かけます。

投稿: matsubara | 2011年2月11日 (金) 09:03

★matsubaraさま、おはようございます。

まさしく仏教哲学に遡ります。
基礎が全くない私ですので(学生時代に宗教という科目も取りましたが、難しくて単位をとれたのが奇跡でした)、まずは基礎の基礎の勉強といったところです。
ベンサムやミルにはとても行き着けません。

欧州を旅するとキリスト教の知識なしでは理解できませんね。聖書から始まって絵画、教会の建築様式までその知識が役に立つわけで。確かに入り込みやすい宗教です。
まだ牧師さんのお話を聞いたことがありませんが、「大草原の小さな家」を観ると日曜日ごとに牧師さん(神父さん?)の話を聴いています。
上智大のアルフォンソ・デーケンス氏の「死への準備教育」は分かりやすかったです。

テーブルヤシを拝見しました。雌雄異株とちゃんと書いてありました。ありがとうございました。
お気をつけて行ってらっしゃい。

投稿: tona | 2011年2月11日 (金) 09:40

「世界の創造に遅れてきた」という自覚があるのが宗教性だと内田樹が書いてます。
神をはっきり意識して「誰に感謝すればいいかを分かっている」断言できる人は宗教性がないんだそうです。
食べるラー油、義理の息子は上手に作りますよ。

投稿: 佐平次 | 2011年2月11日 (金) 10:15

★佐平次さま

内田樹の思想は難しいですね。
宗教性がないというのをこのように解釈するのですか。やっぱりわからないです。
私がこの講座を受けてもかなり難解で半分理解出来ればなあというのが実感です。

お婿さんはラー油作りにも長けていらっしゃるのですね。「食べるラー油」もいろいろ簡単に作られるのでしょう。凄い方ですね。

投稿: tona | 2011年2月11日 (金) 10:30

うわぁ、tonaさん、こんな難しいことを学ばれてるんですね~
居眠りする間もないくらい。。。これもすごい!
私の頭と耳は難しい事となると途端に拒絶反応を起こし瞼が閉じるという仕様になってます(笑)

食べるラー油、うちの夫が好きで、旅のたびにご当地ラー油を買って食べ比べしてます。
残念ながら私はこの食べるラー油がどうも口に合わないのですよ。

投稿: ちょびママ | 2011年2月11日 (金) 16:24

★ちょびママさま、こんにちは。

ハハハッ、難しことに拒絶反応して瞼が閉じる・・・皆そうですよ。
せっかく月謝払っているし、だけでなく周囲の雰囲気に呑まれました。

ちょびパパさんはご当地ものをかなり比較されていますね。お好きなのですね。
我が家も「食べるラー油」は夫が大好きで、うどんにまでかけて食べています。
私は少し遠慮気味です。辛いのがそれほど得意でもないのです。でもこの頃エバラの「白菜キムチ漬け」と「からし明太子」は大好きになりました。胃がとても調子良くなったからです。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2011年2月11日 (金) 16:53

難解な言葉がたくさん登場したら、私だったら夢の世界に逃避して
しまいそうですが、tonaさんはしっかり勉強していらしたんですね。

道徳と宗教 とても難しそうなテーマです。
人間が人としてよりよく生きるために、昔から長年にわたって
追求されてきたテーマなのでしょうね。
宗教に関して「迷える大衆を救済」ということばがよく出てきますが、
昔の人たちはそんなにもはちゃめちゃだったのでしょうか…
いやいや、現代人も相変わらず迷える子羊たちなのでしょうね。

食べるラー油は昨年から大流行ですね。わが家では夫が唐辛子の辛さが
苦手なので手を出していませんが、いろいろなものに合いそうだなと
想像しています(^^)

投稿: ポージィ | 2011年2月11日 (金) 22:14

★ポージィさま、おはようございます。

宗教と道徳には哲学も入ってくるのです。
哲学と物理は大変苦手です。
ですから当然今回の課題も苦手意識に苛まれます。
では何故学ぶ事になったのかですが、昔と違って人生経験も豊富になったので、少しは人生の根本を理解できるようになったのではないかということでした。しかしそうは問屋が卸ろしません。
鎌倉仏教はまさしくポージィさんがおっしゃる「迷える大衆を救済」の精神です。あのころ念仏を唱えれば浄土に行かれるということを説いていたのですが、大衆は飢え苦しんでいて、それがマッチしたのでしょう。時代と共に変わる宗教です。現在の宗教はまた少し変わったとも思われますが、仏の教えは変りなく説かれ続けているのですね。

食べるラー油はラー油より辛さ控えめですが、私も辛さが苦手な方ですので味見程度でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2011年2月12日 (土) 09:12

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