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2011年2月19日 (土)

咸臨丸航海時の勝海舟

『咸臨丸、大海を行く』橋本進著
幕末に日本が初めてアメリカに航海した咸臨丸、その航海の真相を書いた本。
乗っていた主な人に勝海舟(艦長)、福沢諭吉(木村摂津守の従者)、木村摂津守(軍艦奉行)、中浜万次郎(ジョン・万 通訳)、キャプテン・ブルック(アメリカの艦長)

歴史や子母沢寛の『親子鷹』『おとこ鷹』で楽しんだ勝海舟である。幕末の混乱期に稀代の外交手腕と慧眼を備えた政治家、実務家として活躍し、江戸開城交渉の当事者としても有名である。
又、龍馬や西郷からも高く評価された海舟でもある。
その海舟がこの航海中にまったく偶像落つというような面を見せるのである。

海舟の船に弱いことはつとに有名な話である。航海中殆ど自室に閉じこもったままで甲板にも出なかったから、艦長として指揮はおろか、帆走技術や運行技術の向上は他の士官にさえ及ばなくなった。
勝は船酔いだけでなく、船室で拗ねていたようである。年の若い木村奉行の2千石に対し、勝は二百俵扶持ということで不平不満を抱いたらしい。家柄にもこだわり木村奉行や士官らを小馬鹿にしたような、見下したような言動が垣間見えたそうである。勝のイジメ、いやがらせに嫌な思いをみなしたのである。つまりリーダーの勝がトラブルメーカーだったのである。
文倉平次郎曰「勝は細心で剛毅をてらい、名誉心に焦がれ、反対者を畏服又は懐柔する手腕を有し、筆に口に自己を宣伝する癖がある。だから自分より7歳も若い若年で而もある文官である木村摂津守が提督として尊敬されているのが不満であったのかもしれない。・・・木村摂津守が幸い温厚な人格者であったから論争も表面化されずに済んだ」
このように相手が優れていると見ると懐柔策で臨むが、逆に劣っていると見ると相手(攘夷論者が多かった)の外国事情に疎いという弱点を一喝することで自分を優位に立たせ、以後、相手に対する主導権を握って屈服させる、つまり恫喝という手段を使う術に長けていたのである。
福沢諭吉の『痩せ我慢の記』で勝のことを論じているが、福沢も、勝の咸臨丸での一連の行状から、その人間像について同じような見方をしていた。

当初、咸臨丸は日本人だけで運行できるからアメリカ人の力を借りる必要がないと言っていた。
ところが日本人では3人以外は全員酔って役にたたなかった。所詮、帆船を操れる技術がなかったようである。
乗組員の船内マナーの悪さや船内規律のルーズさ、運行技術の拙劣さに辟易したブルックは勝艦長にその教育についてたびたび進言したが受け入れられることはなかった。
そこでブルックはシーマンシップ教育をしたのである。かくして同乗をこばんだアメリカ人に助けられて、サンフランシスコ入港と相成ったわけである。

昨日(2/18)朝日新聞の「ひと」欄でNHKアナウンサーから海上自衛官に転じた「山下吏良」さんのことが紹介されていた。
臨床心理士となって海自隊員の相談に応じ、ダメージケアをしている。
昨年は秘密情報漏洩や情報隠蔽、漁船衝突事故などが相次いだ海自。
長い航海では気分転換が難しく、艦内でこじれた人間関係はたえるしかなく、それを厳しい規律や環境が増幅するというのである。山下さんが採用された年も自殺者が23人とか。今同僚とこなす相談が年3500件だそうだ。試行錯誤の日々を本に著した。

正しく咸臨丸内がそうではないか。サンフランシスコへの長い航海では、艦長があんな状態だったから、一人ひとり大変だったのだ。
ブルックにとっても[初めての遠洋航海による乗組員の情緒不安] は最もやっかいな問題であり、シーマンシップ教育で乗り切ったわけである。
ブルックは勝達のいろいろな問題を、日記には書いたが、本国にはすべて報告することがなかったのである。

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娘から夫へのヴァレンタインチョコをちゃっかり私も半分もらった。いろいろの味を楽しんだ。

Photo

オレンジクイン・サラダ白菜 近所の農家直売所で初めて売っていた白菜。あまりオレンジ色には見えないけれども、確かに白い部分がオレンジ色がかっている。サラダにするとしゃきしゃきと甘みさえ感じて美味しい。農家の方達、新しい品種の野菜に次々チャレンジしている。追記:煮ると葉でない部分がオレンジ色になりました。

Photo_2

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コメント

ご無沙汰していました。
午後ギリシャから無事帰国しました。
この旅の同行者にマチュピチュに行かれた人とかこれから予定している人があるのに驚きました。

勝海舟には少し失望しました。
龍馬暗殺の犯人が海舟の知り合いということで、これを彼に命令したのではないかという噂も真実味を帯びてきました。

投稿: matsubara | 2011年2月19日 (土) 21:13

★matsubaraさま

お帰りなさい。ご無事で何よりです。
お疲れのところをコメントありがとうございました。
マチュピチュは凄い人気なのですね。遠いけれどもペルーは異次元のような国ですから。

竜馬暗殺の犯人が海舟の知り合いとは!!
暗殺命令の主犯という噂、全然知りませんでした。
同船したたくさんの人の日記やブルック氏の日記を元にしているので確かなようです。
私も本当に驚いてしまいました。

投稿: tona | 2011年2月20日 (日) 08:44

舟の中でいっしょに目的地まで行く航海は日本の企業の縮図かもしれないなあ。
勝みたいなのは多いですよ^^。
内部での問題解決が出来なくて外圧を利用することもよくあります。

投稿: 佐平次 | 2011年2月20日 (日) 09:08

tona様
色々と勉強されていますね。
歴史の話は良く解りませんが内容的には非常に良く解る感じがします。その様子は伝わってくるようです。
青年の船の経験ですが、船ではとにかく船酔いで大変でした。これはみんな同じですが船酔いに強いものとそうでないものがいます。

それで中には船室にじっとしている者もいます。とにかく次の寄港地に着くまでは逃げることができないわけですから。
しかし、それも人によっても違いますが1~2週間続きます。

船という限られた世界では我が出てきます。色んな配慮が必要です。

日本丸船長に食事がいつも素晴らしいですねと話したところ「船では良い食事を出すことが大事です。それが不満解消につながる」とのことでした。人間の欲望の原点は食べることですね。
それと、皆をまとめるリーダーの存在ですね。チリの事故の事例が特に雄弁に語っていると思います。

それにしてもよく咸臨丸でアメリカまで渡ったものですね。
遣唐使、遣隋使の話もありますが命がけだったのですね。
macchanny

投稿: macchanny | 2011年2月20日 (日) 10:32

おやおや、勝海舟の人柄の実像はそんな風だったのですか。
複数の人が同じように見ていたということは信憑性がありますね。
英雄視されている人でも、別の一面はおいおい…とがっかりさせられるような
顔を持っていたりもし、結局何もかもすべてが100点満天の人など
いないのかもしれませんねぇ。でお、良いようにとるならば、勝海舟はひどい船酔いという状況に置かれ、
その耐え難さゆえに悪い面がたくさん出てしまったということも
あるかもしれませんね。悪い面を人に見せてしまうと、それを
取り繕いたい気持ちも働きますし。
しかり、同乗のお仲間たちにとってはリーダーがそれでは、さぞかし
やりづらかったことでしょう。

投稿: ポージィ | 2011年2月20日 (日) 17:00

★佐平次さま

長い航海は、企業でずっとやっていくのに例えられるんですね!なるほど一生を勤めきるのはいろいろな人がいて大変なわけです。
咸臨丸の人間模様では、それぞれに言いたいことを言って書いてだけでは済まなかった。特にトップにはなかなか言えないこともありますし。
勝海舟みたいな人はどこにでもいるのですね。
問題解決も外圧利用とは!私なんか経験してないので、きっとパニックをおこして自分がトラブルメーカーになりそうです。

投稿: tona | 2011年2月20日 (日) 18:52

★macchannyさま

青年の船のことをお聞きしたいと思っていました。ありがとうございます。
日本の国が初めてアメリカに派遣した航海は初めて尽くしで、経験者はブルックとその部下、中浜万次郎だけでした。
帆船で太平洋を初めて行くのは大変なことだらけです。
船酔いは苦しくて何も出来ないですね。
1,2週間くらいすると人によっては慣れてくるのですね。
おっしゃるように海の上ではまったく逃げ出せないし、苦しい中で、自分たちで船を動かさなければならないしで船内は混沌とする一方だったでしょう。
しっかりしたリーダーの存在が重要なわけですね。咸臨丸ではブルックのお陰があったからこそアメリカまで行けました。アメリカ人が同船してなかったら引き返すか、遭難していたでしょう。
食べることが重要、というお話は勉強になりました。

投稿: tona | 2011年2月20日 (日) 19:11

★ポージィさま

100点満点の偉人はいませんよね。
とても難しいことです。
勝海舟の場合は、特別な閉ざされた船の中で、閉鎖社会の武士階級の鬱屈が自身のひどい船酔いと共に一気に噴き出て、リーダーであっただけに、本人も不本意なことの連続だったでしょう。
しかしこの時点では大人の国、アメリカのブルック氏が冷静に見ていたその日記ではまるで駄々っ子、こどもの国日本のイメージです。

クックちゃんと同じチワワの奈良県の「桃」ちゃんが警察犬の試験に合格したそうですね。どんな活躍をするか愉しみです。
クックちゃんそっくりでびっくりしました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2011年2月20日 (日) 19:27

IT講習中は余裕がなく、ついついご無沙汰してしまいました。
というわけで、やっとブログ拝見。
航空公園のオオタカ
日本奥地紀行
宗教と道徳ニーチエの言葉「自分を尊敬せよ」
下曽我の梅林
威臨丸航海時の勝海舟など
まとめて拝見しました。
毎度感じることですが、tonaさんのブログは内容が濃いので、
いろいろ勉強になります。
航空公園のオオタカ、「自分を尊敬せよ」など
特に面白かったですね。
航空公園の近くに住みながら、知らないことが多いのに、
自分でもびっくりです。
勝海舟の話。イメージと大分違うようで、
これが真実とすれば「落ちた偶像」ですね。

投稿: 茂彦 | 2011年2月22日 (火) 19:28

★茂彦さま

ご覧いただきありがとうございました。
お忙しかったのですね。ほっとされたことでしょう。
せっかくご親切に書いていただいたのに、やはりやり方が分かりません。JTrimはあるのですが。
本当に申し訳けありません。

航空公園をこの間一周しました。ロウバイ満開でとても良い香りでした。
所沢市の中心なのですね。市役所、音楽ホール、その他税務署など公共施設がぐるっと囲んでいます。

なかなか自分を尊敬できないでいます。
茂彦さんはいっぱい、おありですね。
偉人には必ず裏の面があるということでしょうか。

投稿: tona | 2011年2月22日 (火) 20:14

咸臨丸の役目はアメリカ軍艦ポウハタン号で渡米する遣米使節の「随行艦」で、サンフランシスコまで行って、ハワイ経由で帰国。
本当の使節はサンフランシスコ~パナマ~ワシントンへ行き、アメリカで日本ブームを起こすほどの大歓迎を受けて批准書交換を終え、帰りはニューヨーク~大西洋~ロアンダ(アンゴラ)~バタビア~香港~日本と世界一周をして帰国しました。
でも明治以後の歴史では、メインの遣米使節の話を隠して、お供で行っただけの咸臨丸を「日本人初の太平洋横断」「日本人だけで航海した」という二つの虚構を表に出して、国威発揚に利用しました。しかも「道徳」の教科書で。
「太刀持ち、露払いを表に出して横綱を隠した」図式です。勝海舟のハッタり「外国人の手はちっとも借りないで」「軍艦として日本人初の太平洋横断」がこれに利用されました。
「軍艦として」がいずれ外して使われる、と読んでいたとすれば、勝海舟はかなりの確信犯です。(^-^)

投稿: 黙魚 | 2011年3月 8日 (火) 07:14

★黙魚さま

コメントありがとうございました。

この本では「外国人の手を借りないで」というのが真っ赤な嘘であることがわかりました。
そうだったのですか!咸臨丸は随行艦」でしかあり得なかったわけですね。
世界一周の本当の方のことはどこにも書いてなく、全然知らなかったことで、実は驚いています。どんな方がそちらを廻ったのかも知りません。
お教えいただきありがとうございました。
ちなみに最近知りましたが、海舟を江藤淳が書いていたのですね。

投稿: tona | 2011年3月 8日 (火) 08:39

勝海舟についてはいろいろな意見もありましょうが、私はやはり超一流の人物と考えています。かの西郷が一目もニ目も置くのは、やはりただ者ではない証拠。それに、あの騒乱のさなか無血開城で結果を出している。当時の政治情勢は現実は現代とはまるきり違う。現代のような平和な時代からは現実は正しく捉えにくい。幕末を現代に置き換えれば、状況はむしろ、地震直後の福島のような大騒乱もの。そこにさらに敵が攻めてきて、暗殺が横行するといった状況。現代の閣僚の大多数は殺されている。そんな状況の中で正しいことを貫き抜き通した海舟はちょっとやそっとの人物じゃありませんよ。批判することはたやすいですが、実際そんなことできますか?だから海舟は福沢には「どうせわからねえよ」といったのではないですか。やはり時代的現実の中で考えないと実態は見えてこない。確かに口の悪さは一流だが、現代に多くいる、まわりばかり見て「穏やかで賢く、品のよい連中より」は、毒を吐いても、やることをやり通す人間の方がはるかに信頼できると私は思う。ある小説家が行っていたが「毒のない小説は一文の足しにもならない」と。木村は相当はただ穏やかで凡俗な上司だったのではないですか。おそらく海舟は船中でじっとこらえて腹を固めてただ黙していたのではないでしょうか。幕府のTopは旧弊で頼りにならぬから、体制を変えるしかないと。そしてその通りにやりましたから大したものだというのです。現代の遠い現実からちょいと過去の書物を参照したくらいでは「岡目八目」で海舟の心底などは分からないのではないではないでしょうか。

投稿: いのさん | 2011年5月 2日 (月) 22:57

★いのさんさま

「親子鷹」や「男鷹」や「西郷隆盛」などの書物を読んだときに海舟についてこの人がいなかったら、日本はどうなっていたか、世界から遅れて、もしかしたら植民地になっていたのかもと思ったりしました。
いのさんがおっしゃる通りの立派な勝海舟です。
この本での船中で勝海舟は上に抜粋した通りで、ブルック氏やいろいろな人の日記に艦長としての役割をこなしていなかったことがわかりました。洋上における体験を沿岸ではしていた海舟ですが、航海においては任務を果たせなかったことは事実のようです。
いのさんがおっしゃった、「毒を吐いても、やることをやり通す人間のほうがはるかに信頼できる」は心に響きました。
こういう人がいない今の政治は頼りなく情けなく、誰か、私利にばかり走るのでなく日本のためを思う人が出ないかと待ち望んでいたりします。
人間って両面性があるわけですから、そのどちらを評価するかは、あるいはその両方を評価して、自分なりに理解し、その人を尊敬したりは人によって違うわけですね。
含蓄あるコメントをいただきありがとうございました。

投稿: tona | 2011年5月 3日 (火) 08:23

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