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2011年2月16日 (水)

下曽我の梅林

小田原市の下曽我の梅の花を見てきました。
国府津から御殿場線で一駅の下曽我です。
梅は500年前から植えられていたそうで、小田原北条氏の時代、軍用に供するため梅干作りが奨励され、江戸時代には箱根山越えの旅人の弁当腐敗防止用として重用されたそうなのです。
霊峰富士や箱根の山々を背景に、梅林には白加賀など3種の白い梅が3万5千本も植えられています。

                    ↓梅越しに富士山を

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↓展望台から 富士山の右側には丹沢山系が、左側には箱根連山が。富士山の左側の三角がぴょこっと出ているのが金時山。

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↓ズームで。12時半頃からどんどん雲がかかって2時半頃にはまったく見えなくなりました。

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↓箱根連山 右から明神、明星、神山、駒ケ岳、そして二子山、(小学校4年の1学期に新宿区立の箱根小涌園の山荘にいたので、これらに登りました)。
その左に大観山、秀吉一夜城の石垣山、真鶴半島、伊豆半島が続き熱海の初島も見えました。

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↓相模湾には写真には撮れませんでしたが、利島、新島、大島が意外と近くに見えました。

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                 ↓こんな梅林がたくさんあります

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                ↓梅の古木、500年経っている?

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              ↓残念ながら藤牡丹枝垂れはまだでした

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               ↓フトモモ科のギョリュウバイ(御柳梅)

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              ↓裸のケヤキにはヤドリギが良く見えます

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曽我の里といえば曽我十郎・五郎の仇討で有名な兄弟が育った所です。
伊東で兄弟の父が、領地争いがもとで、工藤祐経の郎党によって殺されました。夫を失った満江御前は蘇我の豪族曽我太郎祐信と再婚しました。
源頼朝が富士山西麓で狩りをしたとき、夜中に兄弟が仇・工藤祐経を討ち取って本懐を遂げたのですが、十郎は討死、五郎は捕らえられて処刑されてしまったのです。

↓瑞雲寺:曽我兄弟が父の仇を討つために願文を納めて「十人力」を授けられたという「力不動尊」が安置されてる寺。

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         ↓城前寺境内の供養塔。左の2基が兄弟、右の2基が父母

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            ↓供養塔のそばにある「曽我兄弟発願之像」

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↓兄弟の母・満江御前の墓(何故か夫の墓が見当たらない)が法蓮寺にある。曽我兄弟の墓は箱根や富士宮など全国14ヶ所にあるそうで、「仇討」だけでなく「祟り」の象徴だったのであちこちに造ったらしい。

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石幢型六地蔵をご覧になったことがありますか。3ヶ所で見かけました。
普通六地蔵は六体が並んでいるのに、これは笠付き六角柱(石幢という)の各面に地蔵の立像を浮き彫りにしたものです。

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コメント

tonaさん、今日わ!きれいな富士山、35,000本の梅林(梅の古木)蘇我兄弟の発願之像と凄いですね。見事に歴史を梅とともに発掘した感じの迫力に感動があります。

こちらにも和歌山県南部に沢山の梅林がありますがこれほどまではないと思います。
(梅酒チョーヤの梅はここで作っています)

写真がきれいで自然が生きているみたいですね。ちゃんと祀らないと祟りさえ起こりそうな感じがあります。
立体的で物語を見ているようです。
macchanny


投稿: macchanny | 2011年2月17日 (木) 09:21

綺麗な青空に梅と富士山、素敵な光景をごらんになっていらっしゃいましたね。
富士山が雲に隠れてしまう前に間に合われてよかったです。
そして梅も今回はたくさん咲いていたようですね。(以前どこか有名な
梅園へ行かれたとき、まだまだの状態でがっかりされただったような…)
御殿場駅から一駅とのこと、高い場所にあって見晴らしがよさそう。
35000本の梅ですか。しかも500年前からの歴史を持つ、すごいですね。
これだけの梅林に育った歴史的背景も初めて知ってなるほどと思いました。

曽我兄弟の仇討ち話すら知りませんでしたが、石像の兄弟は幼いですね。
仇討ちを成し遂げたときはいくつくらいになっていたのでしょう。
祟りの象徴ともされたとは、ちょっと複雑な気分です。戒めの意味だったのかも
しれませんけれど。

石幢型六地蔵というのも初めて見ました。これまで見たことがあるのは
6体が横一列に並んでいるものばかりです。
背中合わせに6方向を向いているのには何か由来がありそうですね。

投稿: ポージィ | 2011年2月17日 (木) 09:53

★macchannyさま、今日は。

ここは梅だけでなく、梅に関する歴史、曽我に関する歴史がありますので、たくさんのお寺と共に楽しめる地です。
それと何と言っても富士山や箱根、海と見晴らしに恵まれた土地です。
この見晴らしについては全然知りませんでした。

ここの梅干は何とも素朴な感じです。和歌山の南高梅は風格があり、時々買います。
そちらにも歴史があると思いますが調べていません。
祟りといえば、菅原道真の祟りが有名ですが、これも梅に関係がありました。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2011年2月17日 (木) 11:16

★ポージィさま

13日で、雪の後の快晴の日でした。
以前は越生でしたか。今回はバッチリ咲いていて梅まつりも催されていました。俗化されている部分で覗きませんでしたが。
静かに楽しめば良いと思うのですが、きっとこうしたことを楽しみに来る人も多いのでしょう。
ポージィさんお家からですともっと近いですよ。東海道線国府津駅から御殿場線で一駅です。車ですと西湘バイパスであっという間かしら。
梅にも2つの歴史的意味があったことにびっくりでした。

曽我兄弟は元服してから仇討ちに出たようです。この像は大変幼く見えますね。昔は元服は20歳でなくてもっと早かったようですから、何歳かは書いてなかったですが、10代でやったのですね。
祟りはどうしてでしょう。鎌倉時代はまだ仇討は罪になって処刑されたそうです。

石幢型にお地蔵さんを彫ったという意味は書いてありませんでした。
コンパクトではありますね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2011年2月17日 (木) 11:27

菅原道真の詩

東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花
主なしとて春な忘れそ!

梅をこよなく愛した道真の気持ち表現していますね。
梅を植えるということは供養という意味にもなるのでしょうか・・。

そういえば線香の名前に好分木(こうぶんぼく~梅の別名)というものがありますね。

macchanny

投稿: macchanny | 2011年2月17日 (木) 14:23

梅越しに富士山とは何とまぁ贅沢な(笑)
このまま額縁に入れて飾りたいような美しい写真です。
お昼過ぎには見えなくなったとの事なので、富士山、しかと拝めてよかったですね。
老木のねじれた姿が見事です。
若いもんにはまだまだ負けんぞって感じで存在感たっぷりに立ち尽くし、花もつけてますね。
曽我兄弟のお話は知りませんでした。
祟りの象徴という事であちこち造られたとは、あの世で兄弟が苦笑いしてるでしょうね。

投稿: ちょびママ | 2011年2月17日 (木) 15:45

★macchannyさま

再度コメントいただきありがとうございました。
道真のあまりにも有名な詠ですね。
昨年北野天満宮に行きました。梅の木が今頃咲いているのでしょう。
太宰府天満宮にも昔行きました。梅ヶ枝餅をたくさんいただきましたっけ。

好文木のこと教えてくださってありがとうございます。
晋の武帝のまつわる故事からですね。
梅の別称とは知りませんでした。
お線香にもあるのですか。

投稿: tona | 2011年2月17日 (木) 18:45

★ちょびママさま

そう言っていただけて嬉しいです。
私も気に入ってしまいました。
山というのは午前中が勝負ということをココ2,3年の山登りで体験しました。
そのため、早朝3時頃から起きて出かけたことも多かったです。山はお昼頃になるとガスってきたり視界が悪くなってきます。

老木にはいつも感動をもらいます。
曽我兄弟の頃梅が植えられていたという記録はないようです。
仇討が正当化して罰せられなくなったのは江戸時代からでしょうか。
仇討もいろいろな内容があるでしょうからすること自体問題があった場合もあるでしょう。この兄弟の場合はあまりにもかわいそうで、祟りなんてことが考えられたのでしょうか。おっしゃるように、兄弟の苦笑が見えるような気がします。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2011年2月17日 (木) 18:55

梅の花と富士山の写真を見ると、すっかり春の景色ですね。
とってもステキな風景です。
絵に描いたような理想的な富士山ですね~
いつも磐梯山はカッコいいと思ってましたが
すみません…富士山には敵わないです!!

曽我兄弟は確か小学校の時ですか、読みましたよ。
父の仇を討った兄弟の話でしたが
「曽我兄弟発願之像」を見て、こんなに小さかったのかと改めて思いました。
本ではもう少し大きいと思ってましたが…。

投稿: pochiko | 2011年2月17日 (木) 23:49

★pochikoさま、おはようございます。

今年は雪がかなり下まで積もっている富士山です。
晴れたからこその富士山なのです。
人はないものねだりというか、磐梯山の勇姿を見られないので、冠雪した姿が憧れです。
pochikoさんにいつも見せていただけて私はラッキーです。

曽我兄弟が仇討ちした年齢は書いてありませんが、元服してからです。
元服はおおよそ数えで12~16歳だそうで、中世では5,6歳から20歳までと書いてありました。
ですからこの像のようでもおかしくないし、また祈願してから数年たっていたかもしれないし、わかりません。
母親の満江御前は若くして子供を失ってしまって、仇を討ってくれた喜びと同時に悲しかったでしょうね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2011年2月18日 (金) 08:49

 柱型の六地蔵様、わたしもたまたまこの前見たばかりですが、(名前のURLに写真あり)石幢型六地蔵というのですか。初めて知りました。
(わたしが見たものも、ちゃんと屋根がついてました。)
 それにしても3ヶ所とは、たくさん見つけましたね。このあたりがルーツなのでしょうか。

 ところで、TVで見たのですが、浅草寺には、六つの頭が六方を向いた六つの頭があって、体が一つの石のお地蔵様がいらっしゃるとのこと。
 石仏も奥が深いです。 

投稿: Nora | 2011年2月25日 (金) 14:48

★Noraさま

本当に同じですね。この項もちゃんと見ているはずなのに全然気が付きませんでした。

ここの石幢型六地蔵ですが鎌倉時代らしいので、寛永寺より古いかしら。
でもどこが発祥なのか見当がつきませんね。

浅草寺にはまた珍しいお地蔵様があるのですね。見に行くと見つかるものでしょうか。
ご覧になったら教えてくださいね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2011年2月25日 (金) 17:00

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