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2011年5月31日 (火)

ドーミエとグランヴィル展 ~戯画と挿絵の黄金時代~

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アイリスあるいはハナショウブの花弁の黄色い部分がこんなに盛り上がっているに初めて気が付きました。アヤメにはなかったです。

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Photo_8 Photo_9 ルイ16世とマリー・アントワネットが18世紀末に処刑され、ナポレオンも失脚後ルイ18世→ルイ・フィリップ→第2共和制→皇帝ナポレオン3世→1958年の第5共和制まで革命の連続で、疲れて国がよくぞダウンしなかったと感心するばかりです。

ドーミエとグランヴィルはそのルイ・フィリップ王の治世(1830~1848)の王とその閣僚を題材にユーモアと痛烈な批判をともなう風刺画を日刊の風刺新聞や週刊誌などに発表した。
ルイ・フィリップは太っていて、大きな飛び出たお腹が強調され、ある人は極端に痩せていたり、鼻がとがっていたり、しゃくれていたりで人物の特徴をうまく誇張して捉えて可笑しい。ただ風刺の的となる歴史的背景や内容がわからないので、滑稽なタッチから想像しているのですが。市民から絶大なる人気を博したのも頷ける。実に細かく確かなデッサン力は驚くばかりです。

さすがに1835年には言論弾圧法で中断される。その後
ドーミエは都市の社会風俗、したたかに生きる中産階級や労働者、平凡な庶民の姿を描いた。彼の彫刻も人物の特徴を捉えて面白い。

グランヴィルは、風刺画の時も用いていた動物や植物を擬人化して挿絵を描き(後のピーター・ラビットやム―ミンなどを思い起こす)、更に鉱物や器物など無機質なものまで擬人化してしまうのです。
例えば「釣り好きの頭の中」とか「人間から野獣への変身」などよくまあこんなにいろいろなことを考えたものと、おかしく、また楽しい作品群でした。菅さんの頭の中などを思わず想像してしまいました。

殆どリトグラフですが、木口木版もありました。
三鷹市美術ギャラリーはかなりたくさんの作品を集めたものです。( 5/29で終わってしまいました)

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2011年5月28日 (土)

ハンガリー一周(4) ―完―

Photoハンガリーでは姓名が日本と同じ順序で、リストもフランツ・リストでなくてリスト・フランツと書いてありました。なんか親しみを感じます。

日本の北海道のような5月のハンガリーは、マロニエ、ライラック、ニセアカシア、コデマリが真っ盛りでした。ライラックは各家に1本あるのではないかと思うくらい多かったです。
マロニエ(トチノキ)は赤と白があって、食べられるのは赤で、白の実は食べられないとのこと。日本ではトチ餅やクッキーとして食べたことがあるけどあく抜きがとても大変だそうで、縄文人たちから伝わったのを感心して見つめた記憶があります。ハンガリーではマロニエクリームに多く使われるとか。

                      ↓マロニエPhoto_2
                      ↓ライラック

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                       ↓コデマリ

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                 ↓こんな木と日本でも見かける花

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                ↓この国にもコウノトリが多かった

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             ↓ハンガリーの最高峰ケーケシュ山1014m 

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[7日目] ドナウベントとブダペストのペスト側(晴れ、24℃)

ドナウベント ウィーンから流れてきたドナウ川はスロバキアとハンガリーの国境を東に流れ、ブダペストの北で直角に曲がって南へハンガリーを2分するように流れ、クロアチアとセルビアの間を流れて行くのである。直角に曲がる辺りがドナウベントと呼ばれる。

<エステルゴム> スズキの工場もある町
↓エステルゴム大聖堂はハンガリー1大きな教会。ハンガリーにおけるローマ・カトリックの総本山。初代国王イシュトヴァンもここで生まれた。

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↓祭壇の油絵「聖母マリアの被昇天」は教会にあるものの中で世界最大級という。

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< ヴィシューグラード>
この町はドナウが90°曲がるところにある。13世紀のに造られた要塞跡があって、標高315mの1番上から遥か山の向こうと、左の曲がって来る川と右の曲がって行く川が見え、紫外線と風の強さが印象的でした。

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<センテンドレ>
オスマントルコの支配から逃れてきたセルビア人が定住した町で、現在はアーティストのメッカで美術館だらけ。ハンガリーで1番人気の陶芸家、コヴァーチ・マルギット美術館を見学。
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             ↓ハンガリーには電信柱が日本同様あります

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<世界遺産:ブダペスト・・ペスト側>ドナウの真珠といわれるブダペスト、再訪ですが14年前と少しも変わってない。
TVでもよく放映される所の絵ハガキ写真となってしまった。

◎英雄広場
 天使ガブリエルを頂く35m(津波がこんな高さだったとは恐ろしい)の建国千年記念碑の台座には、ハンガリー人の祖先のマジャール7部族の長たちの騎馬像がある。
記念碑の左右の列柱の間には国王や将軍た芸術家など14人の英雄像が並んでいる。

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◎国会議事堂
 1902年に17年かけて完成した、全長268m、幅118m、総面積1万8000㎡で691の部屋を持った、折衷主義建築である。

                        ↓川側
                  

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                        ↓反対側

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                  ↓アプローチ とても煌びやか

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↓王冠 初代イシュトヴァーン戴冠の1000年から最後の王カール4世が1948年退位するまでの約950年にわたって受け継がれてきた王冠。十字架が曲がっているのは箱から出すとき曲がったとか。

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           ↓議会室 100年前から机上にクーラーがついていた

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↓議会室の外の廊下には番号が付いてる葉巻置きがある。これがいっぱいだと面白い議会が繰り広げられている証拠だったそうだ。

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◎ドナウ川ディナークルーズ
              ↓日が沈んで9時前になっても空が青い

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↓くさり橋と王宮 くさり橋はブダとペストを初めて結んだ橋で1849年に造られた

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                      ↓国会議事堂

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                    ↓マーチャーシュ教会

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[8日目] ブダペストのブダ側と自由時間 (晴れたり曇ったり、23℃)

<ブダ側>
↓王宮全体と庭 トルコにやられたり火事で全焼したりで世界大戦で再び打撃を受けて、修復されたのが1950年代という。

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↓マーチャーシュ教会 壮麗なゴシック様式の教会でブダペスト最大の見どころ。フランツ・ヨーゼフとエリザベートの戴冠式がここで行われ、この時リストが「戴冠ミサ曲」を作曲し指揮した。

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           ↓漁夫の砦と対岸の景色 昔ここに魚市場があった。

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                   ↓対岸のペスト側の景色

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<自由時間>

国立美術館でたくさんの絵画を見た、美術館の前  → 市民公園 → 地下鉄に乗って(駅構内はタイル張りできれい) → 中央市場(3時で閉まる)

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動くビール酒場の11人 → ショーウインドー → TV局が古い建物に → 道路に

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お陰様でお天気に恵まれ思い出深い旅となりました。
旅行者に親切な国民性で、長く苦難を強いられた祖先の歴史を大切に、今後も平和を維持しつつ発展していくであろうハンガリーを見ることができて、また1つ学べたことが収穫でした。
帰国して2週間もたってしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2011年5月24日 (火)

ハンガリー一周(3)

Photo_2 現在小澤征爾と並ぶ指揮者、「炎のコバケン」こと小林研一郎はハンガリーでは大人気という。
1987年から現ハンガリー国立フィルハーモニ-管弦楽団の常任指揮者を、その後1997年まで音楽総監督兼任で活躍し、現在は桂冠指揮者である(楽団が任ずる名誉称号)。ハンガリー文化勲章や星付中十字勲章(民間人最高位)を受けている。
こういう話を旅先で聞くと嬉しくなります。

[5日目] ケチケメートからホルトパージ国立公園を経てワイン産地トカイからリラフレドへ (晴れ、25℃)

いよいよハンガリーの360°の大平原(プスタ)へ。昨日は珍しく4つ続いたトンネルをくぐったのですが、ポーランド同様山脈が少ないので国内にトンネルが殆どないという。そのトンネルも低い丘を掘っていた。

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<世界遺産:ホルトワージ国立公園 ー 動物と馬術ショウ>
二頭立ての馬車に乗ってプスタ(何もないの意味)の動物を見て回る。

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↓水牛 8世紀からこの地にいる。ミルクからモッツァレラチーズを作る。肉も食べる。

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↓豚 マンガリータという種類。100kg中70%が脂肪だがコレステロールが殆どないという。赤ん坊が縞模様でウリボウのよう。

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↓灰色の牛 昔14万頭いたが保護している。欧州の牛と違って病気がうつらない。

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                                ↓羊 ラッカという角がねじれた羊

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馬術ショウ
マジャール人(ハンガリー人)の先祖は遊牧騎馬民族といわれている。とても精悍な感じのする人々であった。
草原で敵に見つからないように馬を座らせたり、寝かせたり、銃声がしても驚かないように訓練した。現在は必要ないけれども、遺産としてこの馬術を後世に残そうとする姿があった。
↓衣装も独特でスカートのようなものをはいている。

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                                                    ↓座らせる

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                                                     ↓寝かせる

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                   ↓5頭の馬を立ち乗りで操る姿が圧巻!スピードも速い。

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                   ↓4頭の灰色の牛による牛車

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↓ここでの昼食は ハンガリー名物料理で辛いパブリカも使用した「グャーシュスープ」
と「ピクルス」他にローストチキンとチーズパイで文句なしの美味しさ。

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                     ↓面白いオブジェ

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         ↓トカイへ向かう途中の「9つのアーチを持つ石橋(1823年築)」

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<世界遺産:トカイ・ワインセラー>
              ↓トカイ山の麓は葡萄作りに適している。

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↓13~14世紀のワインセラーで4種のトカイのワインと2種の貴腐ワイン(トカイ・アスー)を試飲しました。世界3大貴腐ワインは他にドイツのラインガウとフランスのボルドーがあるが17世紀半ばに世界で初めて世に貴腐ワインを出したのがトカイ。
貴腐ワインといえば甘ったるくて飲めない印象だが、試飲で美味しいと感じたから不思議だ。

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<リラフレドの城館ホテル>
箱根のような所にやってきました。緑のトンネル、重なる山、池あり滝あり、トロッコ電車の駅まであって平原からは想像がつかないハンガリーです。
今までの5泊は小鳥の声で目覚めるほどで、私の体験したヨーロッパでは小鳥の声が世界1美しいと感じました。ちょっとした樹があれば上の方で鳴いている。ここ城館も小鳥の天国であちこちから聞こえて、名前がわからないのがもどかしいほどでした。

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                      ↓クロウタドリ

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[6日目] リラフレドからマグテレク鍾乳洞、ホローケー村、ブダペストへ (晴れ、22℃)

<世界遺産:アグテレクの鍾乳洞>
712ある洞窟のうち全長25kmのパラドラ洞窟を見学。スロバキアに跨っている。ここも他の洞窟同様、天井からの鍾乳石と床の石筍で、いろいろ変化に富んでいるが写真でははっきり撮れないのが残念。
素晴らしかったのが、コンサートホールで椅子も並んでいる(天井から水が垂れていて拭かないと座れない)。驚いたことにガイドがオーディオで音を鳴らしてくれた。素晴らしい音響効果は人工のホールの比ではない。音楽に合わせてライトが様々な岩を照らす演出に感動した。

                       コンサートホール

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<世界遺産:ホローケー村>
この村に住む人はモンゴル人から逃れてカスピ海沿岸地方から移住したトルコ系クマン人の末裔のバローツ人だ。
木造建築の技術に長けていて「バローツ様式」と呼ばれる家。泥とわらと混ぜて作った壁の上に石灰を塗って白くしている。1909年の大火後、現在の125軒が忠実に再建された。
レストランでピロシカおばあちゃん(79歳)が村の昔話や伝統的な衣装をツアーの人に着せたり、結婚式の前夜からの流れを紹介してくれた。

               ↓ピロシカさんとガイドのラズロさん

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                        ↓村の家々

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                       ↓教会の中

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                      ↓飛行機雲と月

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2011年5月21日 (土)

ハンガリー一周(2)

Photo_4  ハンガリーは驚いたことに、ロシア圏を除くヨーロッパでルーマニア、ブルガリアに次ぐ寿命が低い国で、世界196カ国中で82位。平均寿命が73.3歳(男69.2歳、女77.4歳)。トップの日本より男女とも10歳低い。
どうしてなのでしょう?医療制度は確かによくありません。
公立の医者には保険はあっても、かなりの袖の下を渡さないと次回にはもう診てもらえない。個人の医者は診察がいいけれども保険がきかないので、例えば1回歯医者に行くと1万円もかかる。これでは貧しい人は医者にかかれないようです。

このような国内情報を教えてくださったのが、ハンガリー人の日本語でのガイドのラズロさんです。今まで出会ったガイドさんの中でも1番の人です。上手な日本語、博学、物腰丁寧で熱心で、穏やかな、亡くなった児玉清さんのような37歳の紳士でした。ベジタリアンで、そのせいか185cm、55kgととても痩せています。
彼は6ヶ国語出来るのですが、イタリア語・英語を除いて独学です。
お姉さんも英語やロシア語や日本語の通訳やガイドをしているのですが、やはり独学で日本語を勉強した人で、そのお姉さんに日本語を学んで、4年間で通訳やガイドになったという。4年前には桜の季節に日本に1ヶ月滞在して本州の広島から日光まで旅行しています。日本で1番好きな景色は富士山だそうです。こんな難しい日本語を、歴史から諺までよく勉強したものと姉弟にただただ驚嘆しました。皆で彼のお姉さんに会いたかったと話したものです。
帰る頃にやっとハンガリー語で「おはよう」や「ありがとう」を言えるようになったけれど、日本の土を踏んだら忘れてしまった私とはもう比べようのない話です。
ブダペストの空港で私たちが出国する最後まで遠くから手を振り続けてくれた姿は一生忘れないでしょう。

[3日目] ヘヴィーズからバラトン湖、そしてペーチへ(晴れ・19℃)

<バラトン湖>
中央ヨーロッパ1大きな湖で琵琶湖と同じくらい。平均水深が2~3m、最深部が14mしかない。
何とも不思議な色のバラトン湖ですが、流れ出る川はなく、運河があってドナウに通じる。
コイ、カマス、ナマズ(食事で揚げたのをいただいた)がいる。葦が生え、昔は屋根の材料とされた。所々の民家にまだありました。

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<ペーチ>
南ハンガリーの古都、ジョルナイ焼きで有名なペーチへ来ました。
途中、前後に車を従えた女性が一人、麻薬禁止運動のためにマラソンをしていて、これを追い越すためにかなり渋滞しました。見ている沿道の人は一人もないし、果たしてどんな効果を狙っているのでしょうか。

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↓ジョルナイ焼きは屋根の瓦にも使われて美しい色だ。これは郵便局。

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            ↓ジョルナイ噴水は玉虫色に焼かれている

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ペーチはオスマントルコに占領された時代に受けたイスラム文化の影響が色濃く残っている。
↓現在このモスクは教会として使われてる。メッカの方向に向いているため広場の正面と入り口がずれているのが写真でもわかる。

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↓この大聖堂の中もアラブ風の模様で、トルコの影響を受けたのがわかる

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              ↓若いカップルが嵌めていった南京錠

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                       ↓観光トレイン

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                     ↓懐かしい消火栓?

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         ↓市場         ↓ピクルス系漬け物が美味しい

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ハンガリーの偉大な音楽家には、リスト、バルトーク、コダーイがいる。
次に泊まるケチケメートはコダーイが生まれたところであるが、コダーイはドレミファソラシドを作った人なんですね!
↓宿泊したパラティヌスホテルには1923年バルトークが演奏した部屋がある。

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                    ↓街角のリストの像

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↓またペーチは2世紀からローマ人が住み、その当時の墓が100以上あり、その上が礼拝堂で、世界遺産となっている。

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[4日目] ペーチからモハーチ、カロチャを経てケチケメートへ(晴れ・22℃)

<モハーチ戦闘記念の丘>
クロアチアまで5kmの最南端の町モハーチで、1526年、天下分け目の戦いが行われた。ハンガリー軍3万、トルコ軍9万。開始から1時間半でハンガリーが大敗、全滅。
これを機に亡くなった王に後継ぎがいなかったので、ハプスブルグ家とトルコに占領され、国土は3分割される。
この負けたことを記念して戦闘記念の丘が造られた。1つ1つ表情も形も異なっている細いトーテムポールは、斜めになっているのや、互いにもたれ掛かっているものもある。敗戦をこんな形で残す国も珍しい。

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<カロチャ 民芸の家>
カロチャはパプリカと刺繍で有名。ガイドさんのおばあさんの世代まではこんな家に住んだそうだ。
茅葺で奥行きが一部屋分で横に細長い。軒下にはパプリカが干してある。室内は質素でありながら、あらゆるものに刺繍されていて華やかな雰囲気です。

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                        ↓台所

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<ケチケメート>
面白い地名(山羊の意味)でこれだけはすぐ覚えました。
↓コダーイの記念碑 → ケチケメートは教会だらけ → 市庁舎 → 美しい屋根

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2011年5月18日 (水)

ハンガリー一周(1)

Photo_20 16日に帰って参りました。
ハンガリーは日本の4分の1(九州と四国)の面積に1000万人が暮らし、8つの世界遺産がある。
ウラル山脈のあたりのアジア系マジャール人がここに移動し、紀元1000年にハンガリー王国が樹立された。モンゴル軍の襲撃で壊滅的な打撃を受けたり、150年間もオスマントルコ軍に占領されたり、その後ハプスブルグの支配下に入り、オーストリア・ハンガリー二重帝国となり、2つの世界大戦後、今度は1989年までソ連の影響下に入るという運命をたどった国である。
ルービック・キューブの発明やボールペンを発明したのもハンガリー人である。ノーベル賞は13人で、人口に対する比率は世界1である。
原発は1基のみで半分の電力を賄い、残りは9つの火力発電所とオーストリアから買っているそうだ。(5月31日の新聞に4基と出ていました)

国土の70%は農地でそのうちの半分は畑で、今の時期は菜の花と麦の畑が美しい。土地が肥えているので作物の収穫が多く、反面牧場は20%にとどまっている。

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旅の始めはオーストリアとの国境の町ショプロンでウィーンからバスで1時間半、朝晩の気温は4℃と日本の真冬のような寒さに震えました。
ここから時計と反対回りで8日間かけて8つの世界遺産を見ながら周遊しました。

[1日目] ショプロンからジョールへ(快晴)

<ショプロンにて>
↓(左)ドイツ製クラバント(プラスチックの車)があった (右)壁にメアリー・ポピンズ

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       ↓半袖姿で薪を家の中に運ぶ(朝晩寒いのでまだ使うのか?)

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             ↓日本の火の見櫓に相当する「火の見の塔」

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↓ユダヤ教のシナゴーグの殆どは通りから入った所に建設された。理由は中世からユダヤ人が嫌われていたとのこと。

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<国境のヨーロッパピクニック記念碑>
1989年、東ドイツの人々に国境を開け、ベルリン崩壊につながった場所
↓開かれた国境のドアのモニュメント → オーストリアとの国境 → 日本が送った東屋風の建物 → 記念碑と軍の監視台

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<世界遺産フェルテー湖>
ユーラシア大陸最西端の塩湖でオーストリアとの国境に跨っている。遠くてよく見えないのが残念。

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<エステルハージ宮殿>
宮廷音楽家としてハイドンが仕えた、エステルハージ家の夏の宮殿(ハプスブルグに忠誠を誓うことで栄華を極めた)

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            ↓ハイドンが演奏した部屋 椅子が並べられていた

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<世界遺産パンノンハルマ修道院>
この国最古のキリスト教会であり、ベネディクト会修道院で996年創建。

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          ↓30万冊の蔵書のある古文書館は美しく圧倒された

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<ジョールにて>
                ↓明るいのに街灯が灯っていた

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↓欧州は噴水がいっぱい。この噴水は複雑な踊りをして面白く飽きなかった。

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[2日目] ジョールからへヴィーズへ(曇りのち雨)

<ヘレンド>
ハンガリーを代表する磁器ブランドのヘレンドの工場で成形、透かし彫り、絵付けなどを見学。ヴィクトリア女王の目に止まり一躍有名になった。

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        ↓昼食はヘレンドの食器を使っての食事でちょっと緊張した。

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<ヘヴィーズの温泉湖>
             ↓途中に死火山が見えた。かなり低い。

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世界で2番目に大きな温泉湖だそうで、底から湯が噴き出て、今は30℃くらい。水深は36mでかなり深い。同行の人たちは外は寒くて室内で楽しんでいた。

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                 ↓睡蓮がそこここに咲いていた

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2011年5月 3日 (火)

お鷹の道へ花散歩

武蔵国分寺一帯は尾張徳川家の鷹場だったので、鷹狩に使用する鷹の餌を捕獲したり、鷹の訓練が行われました。
今お鷹の道として整備されています。10年前くらいまで蛍が見られたのに、この頃はだめになって残念です。

↓近所の家で「八重のハナミズキ」がもう終わりかけているが、撮らせてもらいました。

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                      ↓きれいなモミジ

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                ↓お鷹の道

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               国分寺では 毎年同じ花に夢中です

                        ↓イカリソウ

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                     ↓シロタツナミソウ

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                       ↓ホタルカズラ

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                      ↓ヤマブキソウ

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↓木(?)の小さな花 ツリバナ(ニシキギ科)でした。ポージィさんありがとうございました。 

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                      ↓ユキモチソウ

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                      ↓八角蓮の蕾

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          ↓お鷹の道湧水園の長屋門と園内

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↓中には野川の最源流の1つがある。この辺りは国分寺崖線で「ハケ」と呼ばれ、水が湧き出ている。

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帰り道にはアジュガ、ハナビシソウ、美しいタンポポと種が目に飛び込んできた。

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           ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

このご時世に何ということと顔をしかめられそうなんですが、6日から16日までハンガリー一周の旅に出ます。
放射能問題で日本人が行くといやな顔をされるという話もあって、山友達で先月行った人に聞いたらそんなことはなかったと聞いてひと安心です。かなり嫌われることを覚悟してはいましたが。
帰りましたらまたよろしくお願いいたします。

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2011年5月 1日 (日)

三つ峠と御坂峠

昨日行った三つ峠は、そもそも太宰治が『富嶽百景』に「富士には、月見草がよく似合う」と書いたところかと思っていました。
ところが違っていました。太宰は御坂峠頂上の天下茶屋に昭和13年初秋に滞在していて、3日に1度麓の河口湖畔の村に郵便物を取りに行く。とある日帰りのバスで車掌が富士を愛でると車内で皆どよめくが、一人背を向けている老婆がいた。
太宰は自分もあんな富士のような俗な山、見たくもないと共鳴の素振りを見せてあげたく、老婆にすり寄っていった。その時老婆が「おや、月見草」と言って路傍の一箇所を指差した。
以下文中
「さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあぎやかに消えず残った。三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。」

太宰治は茶屋の娘さんに「きれいな富士は好きじゃない」「まるで風呂屋のペンキ画だ」と言ったそうだが、果たしてバスの中のこと以来だったのか、最初から好きでなかったのか?天の邪鬼だったのか?富士山が好きでない人もいるとは。

昨日はバスが通ったであろう道から富士山を眺めたが、途中から三つ峠へと曲がったので、天下茶屋を見ることは出来ませんでした。また太宰が眺めたであろう月見草もまだ芽も出ていませんが、花が咲くころに来たかった。

御坂峠と間違えた三つ峠は、太宰の嫌いな富士山を一番美しく見る事が出来る山として知られる。開運山(1786m)、木無山、御巣鷹山(日航機事故とは違う)の三つのピークからなるために付けられた山。
高尾山級の易しい山で、たくさんのハイカーに出会いました。

                           ↓高速から見えた三つ峠山 中央より左の山

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                                          ↓三つ峠からの富士山

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太宰が見た初秋の富士山には初冠雪があったかどうか、あまり雪がない富士山だったでしょう。

                                ↓山頂付近はアンテナなどがいっぱい

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