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2011年11月26日 (土)

アルプスの画家・セガンティーニ展 -光と山ー

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Photo_2 Photo_3ハプスブルグ領(現在のイタリア北部)生まれのイタリア人画家であるけれど、ミラノからスイス国境北部コモ湖畔へ、そしてスイスのアルプスへと移住してアルプスの山々を描いた画家。
その風景画はこれまでにない画法:色彩分割という方法で描かれる。チラシ表紙「アルプスの真昼」がまさにその画法で、色を重ねたり塗り合わせるのでなく、細い線を平行に並べたような感じで、至近距離では縞や筋に見えるが、距離を置くと混じり合って溶け込むように見える。不思議!
空気の薄い高山の明瞭な輪郭を(印象派の画法では描くことが出来ない)、この画法で描くことに成功し、山の強い紫外線を明るく見事にキャンバスに載せた。
この「アルプスの真昼」は2点あって、1991年に描かれたのが娘が真っすぐに立っている、スイスのセガンティーニ美術館のもの。もう一点が1992年の娘が白樺に寄りかかっている大原美術館のものです。後者をこの春、大原美術館で見てその光の中に輝く娘と景色にものすごく感動した作品です。

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初期の作品は暗くはっきりわからないほど。それがアルプスへ移住後はこの延長上の暗い作品とともに、明るいアルプスの山や牛や羊や人々が描かれる。
短い41年の生涯には、肖像画やいろいろな印象的な絵が今回の展覧会に網羅されていて、50点余の小規模な展示であるけれども、十分見ごたえがあります。ちらし裏面の左側上「生の天使」下「虚栄」のような不思議な絵もあってセガンティーニの悲しい生い立ちが迫ってくる絵です。

「アルプス」の真昼とともに大好きな「湖上を渡るアヴェマリア」や「アルプス3部作 生―自然ー死」は門外不出でしょうか、来なかったのが残念です。サン・モリッツのセガンティーニ美術館前には散歩で2回も行っているのですが。

昨年秋に剪定したコエビソウがもじゃもじゃに大きくなったので、花を切って花瓶に挿したのですが、きれいに花瓶に落ち着いてくれませんでした。

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来週は京都の修学院離宮や仙洞御所に行ってきます。

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2011年11月23日 (水)

トッポギ

食欲の秋です。夏瘦せしてしまった体重が少し増えました。前から血液サラサラに良いと言われる赤ワインを毎晩飲むことにしたのもこの秋です。
韓国には3回行きましたが、トッポギの料理を見かけませんでした。
日本では、何でも「冬のソナタ」の中で名前が出てきてから有名になったそうです。
トッポギ(トッポッキ)は棒状の韓国の餅(トック)をコチュジャンや砂糖を使って甘辛く炒めたもの。トックはもちもちしているがうるち米が主原料の餅です。形が棒状でユニーク。
娘がトッポギを買ってきてくれ、レシピ(トッポギの肉みそかけ)もついでに持って来てくれたので作りました。何故か吉田類のタレ付きで砂糖を使わないで出来ました。美味しかったです。訂正:吉田類ではなくて、吉田潤喜(在日コリアン2世で、渡米し、ヨシダソースで成功した事業家)でした。
餅の食べ方が日本と全然違って炒めたり、炒めた物を載せたりで面白い食べ方です。
レシピを調べてみるとさらにいろいろな食べ方がいっぱい見つかりました。

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娘が山梨県で、味噌付きのほうとうを買ってきてくれました。
味噌も美味しいのでしょうね。以前は自分でほうとうを打ち、鍋を作りましたが、かぼちゃが違和感ありの鍋でした。
ところが今回は味噌がよいのか、またかぼちゃの他に里芋、豚肉、きのこ、白菜、豆腐、ねぎなどを入れたのですが、かぼちゃが実にほうとう鍋を美味しくしていて感激の鍋でした。今日のお昼は御飯を入れたおじやにして体が温められました。

果物の酸っぱいのが苦手なのにおかずの酢の物やお寿司大好き人間です。
大好きな柿にこれまた好きな赤蕪漬け、スモークサーモン、大根塩漬けを酢の物にした一品。

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2011年11月20日 (日)

「ヴェネツィア展」於江戸東京博物館

Photo Photo_2ヴェネチアの歴史を読み、また最近訪れることが出来ましたので、このタイムリーな展覧会は158の作品で新たに得るものがたくさんありました。
模型や説明でラグーンにどのように杭を打ち、その上に板を貼り、さらにいろいろな過程を経て築いた土台の上に家が建てられた様子がわかりました。今まで自分で想像していたよりかなり手の込んだ土地造りです。
1000年以上も水の中に浸かっている木の杭は、日本の古代の木簡のように腐らないのですね。
こんな小さな都市がナポレオンにやられるまで、1000年以上も栄華を誇ったことに驚きますが、今でもそれがドゥカーレ宮殿の中に見られ、またここに展示された絵の中にその豪華さが見られました。
絵画の中に見るサン・マルコ広場や運河、貴族の館など中世から全然変わっていないのも、他の欧州の佇まいと同様です。
ヴェネツィアと日本との関係は、ヴェネツィア出身のマルコ・ポーロが『東方見聞録』日本を紹介したことと、日本語学科がヨーロッパで初めてヴェネツィア大学に出来たことだそうです。

第1章「黄金期」では海運国にふさわしい日時計や天体観測リングなど道具の数々、立派な銀貨など紹介される。
2章「華麗なる貴族」では絵画の中で、あるいは実際に使用された物の展示で豊かさがわかります。木靴も履いていたのです。
第3章「美の殿堂」ではベッリーニ、カルパッチョ、カノーヴァ、カナレット、ティントレットなどの絵が並んでいます。

           昼食は両国なので「ちゃんこ鍋」です。美味しかった!

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以前にもUPした我が家のエンジェルス・トランペットは3色(ピンク、黄色、白)ありますが、年に数回咲くうち、3種類が同時に咲くのは1回だけです。他は数日ずれたり、全然咲かない(ピンクが多い)のもあったりです。
10月下旬から3週間以上咲き続け、先週白が最後まで咲いていて今年も終わりです。夏は2,3日で枯れてしまいます。
ピンク(1番奥で花数が10位と少なかった)は一頃50もの花を付けたのに弱くなりました。3種全部匂いが違って1番上品な白の香りが好きです。

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2011年11月17日 (木)

低くなった山・武甲山

とある家の庭、垣根にそって数本の細身の木が数本植えられ、菊が一株植えられているだけ。
雑草が庭一面にはびこっています。ある日、草が突然茶色になり、萎れ倒れそして土だけに。そしてまた草が伸び同じことが繰り返されます。草引きも出来ない病弱の人が住んでいると思いきや、私より若い方の住まいでした。除草剤を蒔いていたのですね。せっかく庭があるのに何と言うことと、住人の育った背景など想像したのですが、これはお節介なことでした。

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埼玉県、秩父市と横瀬町にある、かつての名峰・武甲山は日本200名山の1つで1336mありました。
山の北半分を2億年前の石灰岩が占めています。その石灰岩を削り取って今では低くなって、地図上で最高地点が1304m、三角点1295mの2つの表示があります。32mも低くなてしまったのです。

↓霧で見えなかったので、秩父市と横瀬町の広報の写真を使わせていただきました。(山の北側)

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                  ↓溝のように削られた山肌

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以前長瀞に行った時にこの山を見て異様な山肌にびっくりしたものです。北九州に隣接する香春岳はもっと凄かったけれど。
武甲山の石灰岩は、秩父セメントが合併や分社化をして、今秩父太平洋セメントとして麓で営業しているその原料でもあります。
環境破壊とか美観を損ねるとか言われていますが、自分の住んでいる、あるいは利用している建物や道路に使われ、利用しないわけにもいかず大声を出して反対なんて言えません。

              ↓登りはじめると不動の滝が見えてきました

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               ↓滝を過ぎると広大な杉の樹林帯になる

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            ↓この山は1丁目から始まって52丁目が頂上です

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                  ↓御嶽神社が頂上にあります

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↓同じく頂上の金網越しに北側方面を覗くと目の前は切り取られたあとの石灰岩があります。金網中央越しの建物がセメント会社のようです。

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                    ↓ダンプも見えました

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              ↓下りはカラマツの紅葉(黄葉)が美しい

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          ↓大持山、子持山を背景に山も紅葉を始めていました

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↓ヤマカガシ?が突然鎌首を振って現れびっくり仰天です。ぶれちゃいました。大嫌いな蛇であります。

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2011年11月14日 (月)

職人の技(再び新宿御苑「菊花壇展」)

6年ぶりに皇室ゆかりの伝統を受け継ぐという菊花壇展を、丁度見ごろだった9日に再び行ってみました。
以前と全く同じでしたが、名前などはすっかり忘れていました。
この菊が渡来したのは奈良平安時代だそうで、江戸時代まで発展をとげ、明治元年皇室の紋章に定められました。
新宿御苑で栽培されるようになったのは明治37年だそうです。

全部で7種の花壇がありますが、職人の技の凄さを感じるのが大作り花壇です。
この「白孔雀」と命名されたのは一株から673輪花を付け、円錐状に整然と並んでいます。もう1つ白いのは590輪、黄色は584輪です。どうやって仕立てるのかその技を見たいです。大変なのでしょうね!

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江戸菊花壇(篠作り)
江戸時代に江戸で発達した古典菊。花が咲いてから花びらが様々に変化し、「花の変化」を観賞する。

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       ↓開いてない株             ↓開いた株   

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伊勢菊、嵯峨菊、丁子菊花壇

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         ↓伊勢菊(箒作り)伊勢地方。縮れた花びらが垂れ下がる

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↓嵯峨菊(箒作り)京都嵯峨地方。細長い花びらが真っすぐに立ち上がって咲く。

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↓丁子菊(一六作り)花の中心が盛り上がって咲くので、アネモネ咲きとも呼ばれる。一六というのはどうやら中心に高く1本、2本ずつ計6本が手前に低くなっているようです。 

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一文字菊 管物菊花壇(手綱植え)

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↓一文字菊 花びらの数が16枚前後の一重咲き大輪菊で御紋章菊とも呼ばれる。
                    ↓管物菊 筒状に伸びた花びらが放射状に咲く。

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肥後菊花壇 (秀島流技法)
肥後(熊本)地方の一重咲きの古典菊

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最後に良く見かけるもの
↓懸崖作り花壇 1本の小菊から仕立てている 建て物も職人の作ったもので竹の継ぎ目が見えないそうだ。

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               ↓大菊花壇(手綱植え)39品種311株

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                       ↓芝生の上

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                   ↓十月桜満開でした

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↓子福桜(カラミサクラとコヒガンから生まれた栽培種)丸い花びらのふちに切れ込みがある八重咲き。

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↓イタリア(レスピーギのローマの松という曲がある)の松は全部このような形にしている
                    ↓新宿御苑の松に仕立てが似たのがありました
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2011年11月11日 (金)

イタリア・ルネサンス芸術と古都を巡る(3)オルチャ渓谷、モンタルチーノ、サン・ジミニャーノ、シエナ、アッシジ、ローマ

Photo_210月終わりというのに、イタリアは紫外線が強く、サングラスをかけている人も多い。
朝のうちは霧がかかるも、やがて澄む空には、飛行機雲が湧いては消えを繰り返し、秋の空の美しさをここでも満喫しました。

旅は美しい景色のトスカーナ地方を巡り、オルチャ渓谷へ。
日本の渓谷を想像するとがっかりの世界遺産ですが、長い窪地が見下ろせました。

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↓ブドウ畑は黄葉し、虫を感知するために植えられているバラの花が咲いていました。

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           ↓トスカーナは糸杉が多く、なだらかな丘が続きます。

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       ↓バス越しでは撮れなかった同じ景色の絵葉書を見つけました。

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         ↓「つぐみ祭」が行われたモンタルチーノの街(絵葉書から)

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狩りの成功を祈って行われる祭りでツグミの焼き鳥やワインが楽しめる(屋台は出ていなかった)
↓14世紀の衣装を着た人たちの行列。小さな街でも当時実にいろいろな服装があったことに感心しました。この行列の終点には囲まれた広場があって、普通の人は入れなくて、そこで弓を引く大会が行われているのがバスから見られました。

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この翌日3都市を回ってローマへ。どこの街も高台にあってかなりの坂を登って行きます。

サン・ジミニャーノ> ローマとフランスを結ぶ街道上にあり商業、貿易が発展した。
中世のマンハッタンとも言われ、軍事防衛上有利な塔が競って72本も建てられ、現在は14本が保存されてる。

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シエナ> かつてフィレンツェと権力抗争に明け暮れた、金融・商業で発展した街

↓カンポ広場 イタリア屈指の美しさと称えられる広場。貝殻、あるいは扇のような形で8本の線で9つに分かれ、中央に向かって緩やかなスロープがつけられている。

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↓ドゥオモ 白と黒の大理石が縞模様を作っている。ファサードが実に美しい。鐘楼の6層の窓が上にいくに従って広くなっている。

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アッシジ> 聖フランチェスコゆかりの清貧の街。地元で切り出されるピンクの大理石で造られた建物で街全体がピンク色です。

           ↓バスからの見えたスバシオ山中腹のアッシジの街

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↓サン・フランチャスコ聖堂 富裕な家の生まれなのに神の啓示を受けて「清貧」「純潔」「従順」の3つの戒律を説くフランチェスコ修道会を創設した。
聖堂の中には壁一面にジョットの描いたフレスコ画がある。『小鳥に説教する聖フランチェスコ』では小鳥が熱心に聞いている姿が感動的です。

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↓サンタ・キアーラ教会 聖キアーラはアッシジ名門貴族として生まれたが両親の反対を押し切って聖フランチェスコの最初の女弟子となった人。
白とピンク色の縞模様の外壁は聖キアーラにふさわしい。教会内には身にまとった聖衣や十字架、、自身が刺繍したワンピースなどがある。遺体も安置されている。

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ローマ> 

古代ローマ時代未曾有の大帝国と帝国内に数々の建造物、円形競技場や水道橋を築き、その遺跡が数多く残っている首都ローマ。
コロッセオ 6万人を収容できるこの建造物のあまりの大きさに驚くばかりです。442年の地震で崩れ、中世は石切り場として切り崩され、床部分がなくなって地下の施設が良く見えます。100日間で9000の野獣が虐殺され、剣闘士と猛獣、囚人同士の闘いが繰り広げられたという遺物。

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フォロ・ロマーノ ローマ帝国の政治、商業の中心地。カエサルの殺された元老院や凱旋門、神殿やバシリカなどの跡が10ほど残っている。

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パンテオン ローマ初代皇帝アウグストゥスの武将、アグリッパによって紀元前25年に創建され、火事に遭って120年ハドリアヌス帝によって再建された、ローマに現存する古代建築の中で最も完全な形で残っているもの。セメントなしでアーチを造ったローマ人が同じく床と高さ43.3mというローマ最大のクーポラを誇る巨大なドームを造ったことに驚く遺産です。

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ルネサンス芸術としては
↓北部にあるボルゲーゼ美術館に行きました。2009年に開催されたボルゲーゼ美術館展で見た懐かしい絵もあります。
シエナのボルゲーゼ家の夏の別荘でナポレオンがルーブル美術館にかなり持ち去ってしまったという。それというのも当時の当主の妻がナポレオンの妹ポーリーヌだったからだと言われる。
カラバッジョが数点あって『ゴリアテの首を持つダヴィデ』『病めるバッカス』が凄い。ティツィアーノやラファエロなどの有名な絵がたくさんある。
バロックの巨匠ベルニーニの彫像『アポロンとダフネ』の前からは去り難かったです。

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後はヴァチカン美術館です。世界最大級の文化財を誇る歴代ローマ法王のコレクションが展示されている。
システィーナ礼拝堂のミケランジェロの大作『天井画』『最後の審判』、ラファエロの間の『アテネの学堂』があまりにも有名。
                   ↓地図のギャラリー

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サン・ピエトロ大聖堂 迫害で殉死した聖ピエトロの墓の上に建てられた。1506年に今の建物がラファエロ、ミケランジェロらの技が結集され造りはじめられた。

                   ↓ミケランジェロのピエタ

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ルネサンスもあまりに奥が深くて勉強不足も甚だしく、また消化不良気味です。引き続きチンタラと学んでいきたいです。
2回に分けるべきところ、1回にまとめ大変長くなりまして、見るのも嫌になったと思います。
最後までお付き合いくださってありがとうございました。

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2011年11月 8日 (火)

イタリア・ルネサンス芸術と古都を巡る(2)パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ、ピサ

Photo_2 今回も元気な人に出会いました。
昭和8年生まれの男性。ヨーロッパは今年の春が初めての南イタリアと、今回のイタリアで2回目。過去44回はアフリカや中南米、アジア、中近東や太平洋の島々など秘境で大変な所ばかり、そしてこの年(78歳?)でやっと楽なヨーロッパというわけです。
旅行中は殆どを腕まくりしたワイシャツ1枚で、真冬でも靴下を履かないそうですが草履という出で立ち、夕ご飯には着物姿で現れます。病気をしたことがないようです。
驚いたのが列車での移動の時、置きどころのない数人の20kg近くもあるスーツケースを上の荷物棚へ上げおろしをして下さったことです。
年に200本の映画を観に行くそうで、旅行中も我々が寝ている時間にテレビで映画を観ていたとか。俳優の名前や内容がすらすら出てきて、ど忘れが全然ないのも驚き。この後行ったローマの「システィーナ礼拝堂」が映画「イングリッシュ・ペイシェント」に出てくるとか。覚えてない。

パドヴァ> ガリレオ・ガリレイが教鞭をとり、コペルニクスやダンテが学んだ街。

↓スクロヴェーニ礼拝堂
ここでジョットの最高傑作の1つ「聖母マリアとキリストの生涯」の壁画を見ました。
ジョット(1267-1337)はイタリア絵画の創始者チマブーエの弟子で、ゴシック絵画最大の巨匠で、後のルネサンス期の画家たちに多大な影響を与えた画家。
星を散りばめたような天井とフレスコ画38枚は15分の鑑賞時間では足りなくて、出るときは後ろ髪(あまりないけれども)を惹かれるようでした。

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ラヴェンナ> 
5世紀初めの西ローマ帝国、6世紀にかけての東ゴート王国の首都で、その後ビザンチン帝国の支配下に、さらに異民族やヴェネチアの支配下に置かれた街。 
ビザンチン芸術、モザイク画で抜きん出ているとNHK特集で以前放映されていました。
小さなガラス、石、タイルなどを貼り合わせて作るモザイクは最初は装飾品や床だったのが、4世紀末ごろからキリスト教のモザイク装飾に変わり、東ローマ帝国の時代に、首都コンスタンティノポリスやここラヴェンナ、そしてシチリア島、ヴェネチアで花開いた。ラヴェンナは「モザイクの首都」とも呼ばれたそうだ。
ダンテが『神曲』で「色彩のシンフォニー」と褒めちぎったラヴェンナ。気の遠くなるような作業に思いを馳せてしまう芸術の1つです。

↓サンタポリナーレ・イン・クラッセ教会 6世紀半ば建立で、祭壇の上のモザイクが圧巻で、色遣いが素晴らしい。

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↓サン・ヴィターレ教会(6世紀)外観はくすんでいるが、内部はまばゆばかりのモザイクの饗宴。
なかでもビザンチン芸術の精華とされ有名なのが、皇帝ユスティニアヌスが宮廷人を従えた図と同じく配下を従えた皇妃テオドラを描いた一対のモザイク画だ。
テオドラは貧しい踊り子から皇后までのし上がり、夫の助言者として国政に関与し、ものすごく肝っ玉のすわった人としても有名で逸話が残されています。

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↓ガッラ・プラチーディアの霊廟
ホノリウス帝の異母妹のガッラ・プラチーディアが建てた。5世紀半ば完成したラヴェンナ最古のもの。

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フィレンツェ
メディチ家の支配下でルネサンスが開花されたトスカーナ地方の花の都。花がいっぱいではなく、花の女神の意味です。フィレンツェ共和国がメディチが敗れ去った後滅び、再びメディチが16世紀中期から18世紀前半までトスカーナ大公国を統治。その後芸術の中心がローマに取って変わられたというわけです。
まさにルネサンス芸術の宝庫で午前中に予約で入ったのがサン・マルコ美術館にウフィツィ美術館、ヴァザーリの回廊です。

サン・マルコ美術館 14世紀創建のドミニコ派修道院。修道僧フラ・アンジェリコの『受胎告知』が有名。各僧房は弟子たちのフレスコ画や板絵で彩られる。

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ウフィツィ美術館 ルネサンス絵画の美の宝庫
チマブエ、ジョット、フラ・アンジェリコ、フィリッポ・リッピ、フランチェスカ、
ボティチェリ『ヴィーナスの誕生』『春』、ダ・ヴィンチ『受胎告知』、ミケランジェロ『聖家族』、ラファエロ『ヒワの聖母』、ティツィアーノ『フローラ』『ウルビーノのヴィーナス』、カラヴァッジョ『バッカス』などを鑑賞

ヴァザーリの回廊 ウフィツィ美術館からヴェッキオ橋へつながり対岸のピッティ宮殿までつながっている長さ1㎞の回廊.。メディチ家の人々の秘密の回廊。コジモ1世がヴァザーリに命じて造らせた。肖像画コレクションが展示されている。
↓回廊の窓からヴェッキオ橋が見えました。建物上方の窓は回廊の窓。

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           ↓ヴェッキオ橋の上の回廊からアルノ川を眺める

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             ↓橋にある貴金属の店も回廊から見えました

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ドゥオモの正式名称「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」は白、ピンク、深緑の大理石を幾何学的に組み合わせた外壁が美しい。イタリアは代理石が古来たくさん採掘されるので外壁や床など装飾の美しい教会や像が多い。
          ↓サン・ジョヴァンニ洗礼堂とドゥオモとジョットの鐘楼

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↓洗礼堂・ギベルティの東門の門扉、ミケランジェロが「天国の門」と絶賛したという。本来は金色なのに10円玉色になってしまった。

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ピッティ宮殿内のパラティーナ美術館ではたくさんの名画があった中でラファエロの『椅子の聖母』を見ることができました。『大公の聖母』は貸し出し中で残念。
そういえば、オランダのマウリッツハイス美術館のフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』は来年6月末から再来年1月まで日本に来るために、美術館に行っても貸し出し中の札がぶら下がっているのですね。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会 ドミニコ派の聖堂で白と緑の幾何学模様が美しいフィレンツェ・ゴシックの代表建築。
マザッチョ『三位一体』ギルランダイオ『マリアと聖ヨハネ』など名画をたくさん鑑賞できました。

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追記:今塩野七生著『三つの都の物語』を読んでいたら、主人公がフィレンツェ郊外の聖ミケーレ修道院に泊まっときの話が書いてありました。修道僧に水にたらした良い香りを問うたら、「サンタ・マリア・ノヴェッラの僧院で昔からつくっているイリス(あやめ)の花からとる香料です。イリスの花は長い間フィレンツェ共和国の紋章になっていましたが、今(フィレンツェ大公国)ではイリスに代わって、六つの球のメディチ家の紋章ほうが眼につきますが」と。実はこの教会を見た後、この教会が経営するファーマシィ(薬局)に行ったのですが、今も続いていて薬の他、香水、化粧品などさまざまなものを作って売っていたのです。重層な構えの行く部屋も続くお店の中は人で溢れていたのに驚き、皆は何を買っているのか不思議な面持ちでした。今もこの香水を売っているのでしょうか。

                     ↓お店の中

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ピサ
フィレンツェを流れるアルノ川の河口に位置する古代ローマの軍港で中世にはヴェネチア、ジェノヴァ、アマルフィと肩を並べる海運都市であった。斜塔は1993年に5.4mの傾きだったのが現在は4.1mに修正された。
↓ドゥオモと斜塔と洗礼堂 緑とベージュの大理石が美しい。

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2011年11月 5日 (土)

イタリア・ルネサンス芸術と古都を巡る(1)ミラノ、ヴェネツィア

Photo_2 債務危機でIMFの監視下に置かれることになった大国イタリアですが、どこもかしこも世界からの観光客でごった返していて、危機に至るには、驚くようなギリシャのような何か問題があるのでしょう。偉大なるローマ帝国を築いた子孫たち、偉大なる哲人を生んだギリシャ共々これからの行く末も気になるところです。
前回行った5都市を含め、今回はTVなどでもお馴染みの10都市とつぐみ祭見学とオルチャ―渓谷を回りました。
イタリアは日本の8割の広さで人口は日本の半分、97%がカトリックで、総本山で長い歴史に関与したヴァチカン市国もローマに隣接しています。

主目的がイタリア・ルネサンスの芸術を堪能することで、教会や美術館見学がかなりの部分を占めました。
塩野七生著『ルネサンスとは何であったのか』が参考になりました。

KLMオランダ航空でアムステルダム・スキポール空港へ飛びここで乗り継ぎ、ミラノへ。
             ↓機内食はホテルオークラのすき焼きの和食でとても美味しかった

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                                       ↓シベリアの山は雪で真白

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                         ↓バルト海あたりはずっと筋雲が続いていました

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ミラノ> ローマに次ぐ第2の都市で、ヴィスコンティ家、スフォルツァ家没落後スペイン、フランスの支配を受け、その後ナポレオンの支配下で毛織物や皮革の産業が発展し、現在ファッションとビジネスの中心地となった。

↓ドゥオーモ イタリア最大のゴシック建築で14世紀のミラノ公ヴィスコンティ家(映画監督ルキノ・ヴィスコンティはこの家出身の伯爵)が建て始め、完成は500年後という。
以前屋上に登ったら135本の尖塔と2245もあるという彫像には圧倒されました。

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↓ヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア ガラスと鉄で造られた天井が美しい200mのアーケード。

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                                     ↓レオナルド・ダ・ヴィンチの像

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↓サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 旧ドメニコ派修道院の教会で食堂にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」がある。15分の鑑賞の間、部屋の外で私たちのガイドさんがイヤホンを通じて見方を丁寧に説明してくださって大変わかりやすかった。

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↓スフォルツェスコ城 ヴィスコンティ家が建てた居城をこの後の支配者スフォルツァ家が城塞に改築した。

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                                     ↓ミラノにも凱旋門がありました

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                                           ↓ミラノ駅のゴミ入れ

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ヴェネチア> 異民族から逃れてラグーナに杭を打ち込んで住む場所を造り、独特の統治で造船、海運、交易で1000年の栄華を誇った、ルネサンスの花形のこの都市は、世界の中でも歴史的に最も魅了される所です。

↓列車でミラノから2時間35分、定時にヴェネチアに到着。ホームにはオリエント急行が停まっていました。

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↓サンマルコ広場は昼にかけて潮が満ちて、左側の店には長靴を履かないと入れなく、広場は台の上を歩いて渡ります。サンマルコ寺院が水に映っています。今ヴェネツィアはどんどん地盤が沈下していてこれから先どうなるのでしょう。

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↓寺院の隣のドゥカーレ宮殿(ヴェネツィアの元首が使用した) 内部はヴェネツィア派の絵が飾られ美しい。

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↓宮殿の先は海で向こう側のサン・ジョルジョ・マッジョーレ島の教会の塔が印象的

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                          ↓広場の鐘楼と頂上からの眺め

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           ↓ゴンドラセレナーデでのアコーデオン弾きと歌手

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自由時間にアカデミア美術館でルネサンス・ヴェネチア派:べッリーニ親子、カルパッチョ、ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼの美しい色彩の絵を駆け足で見ることができました。

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今日、娘からアフリカからの絵葉書が10月24日消印で届いたと連絡がありました。
7月26日か27日頃の投函でした。アフリカからだと届かないことがあるらしいけれども3ヶ月以上かかって届いたのです。でも呆れてしまったのは同じ市に住んでいる娘に私の住所で出したことです。郵便番号だけ正しかったのが幸いしたのですが、届けてくれた郵便局は凄い。

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