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2011年12月30日 (金)

池上彰氏の講義

「池上彰の現代史講義~歴史を知ればニュースがわかる」全14回、三が日に再放送あり
「池上彰のやさしい経済学」既に9回まで放映。共に大学生に講義したのを収録したもの。

現代史が面白い。殆ど深い内容を知らなかったと言ってよい。
原発事故の歴史、ベルリンの壁崩壊、スターリンとソ連崩壊、毛沢東と蒋介石、北朝鮮、アラブ諸国とイスラム、べトナム戦争、カンボジアの悲劇、キューバ危機、毛沢東、天安門事件、石油が武器、ビンラディン。
毛沢東ってかなり悪いことをしたのです。カストロも印象的でした。
池上氏にはかつて「週刊こどもニュース」でたくさん教えてもらったのですが、凄いもの知りでこの講義でたくさん学ぶことが出来て大収穫でした。

          戴いたマンゴ紅茶とベルンのミルフィーユでティータイム

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昔お菓子は何でも作ったものですが、とても出来なかったのがミルフィーユで、友人と作って太い筋になってしまって大失敗したのがバウムクーヘンだったことを思い出しながら、今年も終わろうとしています。
今年は心に刺さるようなことがいろいろあった年であり、ぼーと過ごしてはいられない気持ちにさせられました。

今年1年、たくさんのアドバイスや温かいお心を頂戴し、大変お世話になりました。
来年もまたよろしくお願いいたします。
ではよいお年をお迎えください。tona

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2011年12月28日 (水)

高野秀行著『イスラム飲酒紀行』と「ロートレック展」

著者は辺境作家だそうです。
お酒が飲めないイスラム国家に行って、えげつないあるいは意地汚いと言ってよいほどの行動力で、売ってないお酒を求めて駆けずり回るという、大酒飲みでない人種としては理解しがたい行動を記しています。
ある時はホームレス状態になりながら、ある時はとんでもない奥地まで悲惨ともいえる手段でお酒を求めて入りこんでいく。飲める国で安穏として飲んでいたらいいのに、何をそこまで同行の人をも迷惑を顧みず自分の都合で動き回るのか、実に変わった酒飲みです。

読み進むうちにわかったことは、本当にお酒が好きで、酒を生きる糧にしていること、もう1つはワイワイ酒好きとお酒を飲む雰囲気を凄く愛しているということです。
まあ、普通の人に理解しがたい情熱の塊ですね。飲んで夜毎に濃密な幸せな時間を持つために、あえて禁酒の地に足を運び、様々な手を使って、命の危険まで冒して酒にありつくという、男性にしかあり得ない話でしょう。
体にいいからちょっと飲むのでなく、美味しくて楽しく飲めるのも羨ましく、何か人生で損をした気分にさせられた本でありました。

Photo_2 しかし、この著書には関係ないですが、お酒にはアルコール中毒という悲劇も共存します。本人のみならず家族、社会にまで悲劇を及ぼすアル中や薬物中毒は根絶することはないようです。
先日観に行った「ロートレック展」でのロートレックもアルコールで命を落としたのでした。ユトリロもアル中でした。
映画では『酒とバラの日々』『失われた週末』『熱いトタン屋根の猫』など思い出されます。

体にハンディを持ったロートレックは映画『赤い風車』でも実に悲しい場面の連続でした。
ダンスホールや酒場で夜の娼婦や踊り子を描き、「ムーラン・ルージュ」などのリトグラフによるポスターを描いてポスターを芸術の域まで高めたのです。
三菱一号館美術館は多くのロートレック作品を所蔵し、フランスのロートレック美術館と姉妹館でもあります。今回の展覧会にはたくさんの有名なポスターが展示され見応えがあります。

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2011年12月25日 (日)

『三浦半島記』と三浦アルプス縦走

この縦走に際しては、司馬遼太郎の『街道をゆく』の中の『三浦半島記』を読んでおくとよいということでした。
源頼朝が鎌倉幕府を前後に半島に出没する人々、地理的にも黒船にも関係してくることなどが書かれている。
読み進むほどに、あまり好きでなかった頼朝や北条一族がますます嫌いになってしまいました。
ただ面白かったのが「段葛」の用途です。
鎌倉鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで一直線に1.8㎞の若宮大路がのびている。この大路の中軸に石塁を積み上げて、その路上が歩行できるようになった部分が現在は八幡宮側に500m残っている。この石塁を段葛というが、桜並木で足下は突き固められた土である。これがあるため広い若宮大路の道幅はその分だけ狭くなっている。
頼朝は何故このような、日本にも他にないような構造物を造ったのか?
むかし、源頼義が京の石清水八幡宮から鎌倉由比郷に造営した八幡宮に神を勧請したが、由比郷から鶴岡に神が移るための道が段葛。
若宮大路は低いので、雨後ぬかるんで沼地のようになり、人が歩くのに難渋し、また神様の通り道にふさわしくないというのが理由である。

さて、昨日行った三浦アルプスは半島の東、横須賀の手前の田浦から半島西の逗子まで続いている、100~200mの低い山並みです。
地図で見ると三浦半島の付け根の東京湾と相模湾までの直線距離は7kmにも満たないようですが、三浦アルプスは激しいアップダウンがいくつも続き曲がりくねって、10kmはあったようです。
温暖な三浦半島の植物を観察しながら海を眺める楽しいトレッキングでしたが、帽子を忘れたためにかなり日焼けしてメガネザル化してしまいました。

        ↓横須賀線田浦駅から田浦梅園に登ると水仙が咲いていた

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               ↓田浦梅林の梅が一輪だけ咲いていた

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   ↓梅林から東京湾の眺め。スカイツリー、房総半島などがかすんで見えた。

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    ↓トベラの実がはじけていて、以前花瓶に活けてあるのを見て以来です。

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↓乳頭山(211m)頂上から再び東京湾方面を見る。横横道路が真下に見え、この辺りの山から下りて坂本竜馬が黒船見物をした。
また竜馬の奥さんのおりょうさんや三浦按針の墓がこの横須賀にある。

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社長であるリーダーに、今日はシダ2種類(十文字シダ、両面シダ)を覚えましょうと言われましたが、さて何時まで覚えていられるか?
              ↓十文字シダ(なるほど十文字になっている)

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               ↓両面シダ(葉の裏も表と全く同じ状態)

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            ↓箱根シダ(外国人が箱根で発見、ハート形の葉)

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                 ↓孔雀シダ(孔雀をおもわせる)

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↓鉄塔の下で上を見上げながら昼食。久里浜の発電所からこれら鉄塔を通じて東京へ電力が送られているそうで有難い。

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                   ↓ マテバシイのトンネル

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↓誰かが持ち込んだ台湾リスが繁殖して餌のなくなった冬に木をかじって傷つけ弱らせるそうだ

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↓タツナミソウ              ↓タチツボスミレ

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↓逗子側の仙元山(118m)から相模湾の望む。江の島とヨットが間近に見えた。

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↓正面には箱根の双子山から金時山まできれいに見えた。金時山のすぐ右側の富士山だけ雲が被っていた。相模湾を挟んで伊豆半島から大山・丹沢までのスケールの大きな景色を歴史上の人々も眺めて感動したのでしょう。

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2011年12月21日 (水)

谷川俊太郎 の『ことばあそびうた』を歌う

岐阜のmatubara家で御馳走になった温泉卵が美味しかったので、家でも食べたいと思ったのですが、温度をこの状態に保てないので家では美味しいのが作れないでいました。
通常の半熟卵とは逆に、温泉卵は卵黄よりも卵白が柔らかい状態なのが特徴。卵黄の凝固温度(約70℃)で卵白の凝固温度(約80℃)なので、、65~68℃程度の湯に30分程度浸けておくことで、この状態になるわけなのですが・・・。
そこで買ったのが「温玉ごっこ」です。三重構造になっているそうで、卵を2個乗せてぐらぐら沸きたった湯を線まで張ると30分後に出来ました。

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゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。゜。°。°。°。°。°。°。°。゜

数々の詩で私たちを魅了する谷川俊太郎は詩人である他に、翻訳家でもあり絵本作家、脚本家である。
『マザーグースのうた』はとても楽しい絵本だ。
彼の『ことばあそびうた』の詩に三善晃が曲を付けた、こどものための合唱曲集「風のとおりみち」が本年度のコーラスの歌です。
その歌詞と曲が楽しいので月2回の練習が結構楽しみです。三善晃はこの曲集で作詞もしています。

[うとてとこ]

1.鵜と鵜と鵜と鵜 鵜が四羽
  うとうとうとうとうと うとうと居眠りだ うとうとうとうとうと

2.手と手と手と手 手が四本
  てとてとてとてとてと てとてとラッパ吹く てとてとてとてとてと

3.子と子と子と子 子が四人
  ことことことことこと ことこと戸を叩く ことことことことこと

[かっぱ]

  河童 かっぱらった 
  河童喇叭かっぱらった 取ってちってた
  河童菜っ葉買った 
  河童菜っ葉いっぱ買った 買って来って食った 食ぅら

[なんのき]

1.何の木 何の木 何の木 何の木 この木
  この木は桧 悋気に疝気 気で病む兄貴

2.その木は何の木 その木は水木
  短気は損気 明日は天気

3.何のき あのき
  あのきは狸 狸化けそこなって 青息吐息
  何のき 何のき

谷川修太郎の詩人としての偉業には目を瞠るものがあります。日本語をとても大切にしている。多くの国に翻訳されているのも誇らしい。
父親が谷川徹三(哲学者)、奥さんが岸田衿子、大久保知子(この人との長男・賢作は音楽家)、佐野洋子の3人。

散歩していたら数m先に道路が見えているのにこの標識で仕方なく引き返しました。イイギリもまだ実がたくさん残っています。

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              林でドウダンツツジにだけ日が当たって

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2011年12月17日 (土)

『大事なことは みーんな おじらあ猫に教わった』きーこ作

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1991年に『大事なことは みーんな猫に教わった』スージー・ベッカー著 谷川俊太郎訳が出版されました。(家に見当たらなかったので図書館から借りてきました)
訳者谷川俊太郎が「まえがき」で次のようなことを書いています。
・・私たちが猫から学ぶのは自分勝手に生きる方法です。自分勝手に生きて許されるにはどうすればいいのか。猫はそれを教えてくれます。簡単です。ただ純粋に無目的に自分勝手にしていればいいのです。権力や富や名誉や愛や正義を追求してはいけません。考えたり反省したりするのも禁物・・

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我が家にもどうやらこんな猫がいるということで、すぐに娘(ペンネームが「きーこ」でいろんな所にマンガを描くのも趣味のひとつです)が作ったのが『大事なことは みーんな おじらあ猫に教わった』
おじらあ猫というのが夫であります。
全部で26頁ですが19頁分を見てやってくださいまし。

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おじらあ猫が車を洗うとすぐ雨が降ることが何故か多かったです。甘いお菓子大好き人間です。お金に関してはかなりザルです。当時は井の頭公園のそばに住んでいたので、散歩の時鴨が身近でした。タバコは退職と同時にやめました。

裏表紙で著者は本に登場した猫のビンキーにアドバイスを求めたそうですが、きーこはおじらあ猫でなく、「文子」にアドバイスを求めたとありますが、飼っていた文鳥のことです。

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2011年12月15日 (木)

ピーテル・ブリューゲル(子)の模作

↓寒くなってモッコウバラにやって来たメジロ.。夫婦で窓ガラスに数回ぶつかりながらも休んでいった。

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↓枇杷の花がやっと近くで覗くことが出来ました。結構可愛い花です。いつも茶色ばかり目立ってきれいでないという印象だったので。

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先日八王子にある東京富士美術館の「西洋絵画コレクション展」に行った時にピーテル・ブリューゲル(子)の『農民の結婚式』を見て、富士美術館にあったのだとびっくりしたのです。でもウィーン美術史美術館で見た覚えが。『雪中の狩人』(模作)もここにありました。
ウィーンでは『農民の婚礼』というタイトルでピ-テル・ビリューゲル(父)の作品だったのです。説明によればこの美術館のは子の方の模作で、良くみるとオリジナルは家の中なのに、これは背景を見ると外でした。人々や小道具に気を取られ、全然気が付きませんでした。
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ピーテル・ブリューゲル(父)ーー長男ピーテル・ブリューゲル(子)
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              ーー二男ヤン・ブリューゲル(父)ーーヤン・ブリューゲル(子)
この系図でやっと関係がわかりました。ピーテル(父)があの最も有名な12枚の絵を描いた人で[農民の画家ブリューゲル]と呼ばれる。
ピーテル(子)は父の模作を多く描いた人で、また地獄の絵を描いたので[地獄のブリューゲル]、二男のヤンは花の絵が多いので[花のブリューゲル]と呼ばれる。
                
             ↓あのラ・トゥール「煙草を吸う男」もありました

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             ↓カナレット「ヴェネツィア  サンマルコ広場」

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                   ↓プーシェ「田園の奏楽」

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                ↓ルブラン「ユスーボフ公爵夫人」

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その他にベリーニ、ティントレット、クラーナハ、ルーベンス、ヴァン・ダイク、ロイスダール、ヴァトー、フラゴナールなど

 アングル       ドラクロア        ターナー      コロー

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    シスレー      モネ          マネ       ルノワール

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その他にピサロ、カイユボット、モリゾ、ボナール、ヴィヤール、ゴッホ、ユトリロ、モディリアーニ、キリコなどなど大物ぞろいでびっくりの収集です。 
富士美術館は創価学会のものだそうです。凄いです。著作権が切れた画家の作品は写して良いということでパシャパシャ撮らせてもらいました。
                        

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2011年12月12日 (月)

青山潤著『うなドン』南の楽園にょろリ旅

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娘が買って来てくれた、ハローキティのこんがり焼き(人形焼き)です。餡とカスタードの2種。軽く2つはいけます。
キティーちゃんは1950年生まれのスヌ―ピーより4半世紀遅れて日本に誕生。(我が娘はスヌーピー狂でした)
そのグッズはタバコと一部を除くお酒以外何でもありの人気ぶりで、見たことないですが、銀行の通帳やエバー航空の機体、フランスユーロ硬貨、そして稀勢の里の化粧回しまであるとか。
こちらは新宿駅前に停まっていたキティちゃんのはとバスです。今年のバージョン2号車でなかなかに華やかです。

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Photo_6  青山潤著『うなドン』南の楽園にょろリ旅

この方は『アフリカにょろリ旅』で2007年に講談社エッセイ賞を受賞していて、南半球にウナギを求めて貧乏な東大の研究者の旅を紹介している。
過酷なともいえるこんなウナギを探しに、何故旅に出るのでしょうか。その情熱は異常ともいえるほどで、飢えたり、びしょ濡れになったり、事故ったりしながら、ここまでめり込むのはいかにも男性でしかいないなあと、呆れながら感心した。

その神髄は、世界中のウナギのすべて(18種)を集め、その進化の道筋を解明することだそうだ。学問ってそういうものです。
自ら「うなぎバカ」と称するこの人たちが、何処に産卵するかわからなかった日本ウナギの産卵場を南方で突き止めたのである。
こんな学者たちもいるのですね。
一風変わった学者としていつも思い出すのが、お腹に研究のためだけでなく体にいいのでサナダムシを飼っている藤田紘一郎氏です。
体に悪い中性脂肪など食べてくれるしアトピー、や花粉症などアレルギー性の病気にもいいし、そして癌にも効果があるそうな。
つまり寄生虫であるサナダムシは、人間から栄養を横取りする代わりに自分の住処である人間の内臓の状態を整え管理するのだそうです。気持ちの悪い話ですみませんでした。

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2011年12月 9日 (金)

金崋山・岐阜城と明治村

もう1週間以上も前になってしまいますが、京都3日目の午後岐阜に参りました。
ここにお住まいのブログ友matsubaraさまがご招待下さって、泊まらせて下さり、岐阜城と長屋門と明治村を案内して下さいました。感謝感激、ありがとうございました。

●金崋山・岐阜城
夫が朝鮮から引き揚げてきた時、夫の母の実家が金崋山の麓、松下町にありそこに暫くいたそうです。麓の岐阜公園が遊び場で、濠のような水場で泳いだり、名和昆虫博物館(大正8年開館だそうです)に入り浸ったりしていたそうで、私も夫の祖母の葬儀に40年以上も前に1度だけ行ったことのある懐かしい所でした。
金崋山を仰ぎ見て頂上の城から街を眺めたいと思ったものです。遂に実現しました。

↓麓の岐阜公園 京都の劣らず紅葉が真っ盛りでした。

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演説に来て、ここで襲われたという「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を残した板垣退助の銅像を横に見て、ロープウェーで山頂駅まで行きました。
                                          ↓岐阜城(日本100名城)

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岐阜城と言えば『国盗物語』の斎藤道山や信長しか去来しないのですが、実は鎌倉時代から長い歴史があったことを看板や天守閣内部の資料館で知りました。
明治時代に再建されたのに昭和18年に焼失、昭和31年に再建、平成9年に大改修でピカピカの美しい城となっていました。

↓眼下には長良川が迂回して流れ、市内を一望でき、長良川の北に岐阜市で1番高い山「百々ヶ峰(どどがみね)」418mが望めました。

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翌日、旅の4日目
●長屋門
今年になって重要伝統的建築物群について講義で「長屋門」のことを聞いて、実際に1度見たいと思っていたところ、思いがけずmatsubara家のを拝見できました。
寺院の山門のような大きな建物で、中には200年お勤めされた庄屋の古文書、鬼瓦、人形、掛け軸、古漆器、古陶磁器や農機具の数々を拝見させていただけました。
広いお庭と大きな家、茶室、そしてこの長屋門と維持管理はさぞや大変でしょう。それを難なくこなされ、大活躍されていらっしゃるのに脱帽です。

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●明治村 愛知県犬山
明治は遠くなりにけり・・・来年は明治が終わって100年です(大正元年生まれの父が生きていたら100歳です)
その明治の建造物が60以上もあります。岐阜県には大正村や昭和村もあるとか。
小さい頃、明治生まれの建物を随分見ていたわけですが、東京近辺でも今は農家など保存されてる家のみになってきました。
こうして明治村では、遠き昔を懐古し、不便でありながら今にない美しさや温かさを感じ取ることができます。それにしても移築は大変だったでしょうに。

                          ↓帝国ホテルと内部(石の積み重ねが印象的)

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                             ↓京都にあった聖ザビエル天主堂の内部

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↓宇治山田郵便局 手前の黒いポストは明治5年頃のもの。今もここで郵便事務が行われています。

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                              ↓六郷川鉄橋(東京蒲田、神奈川川崎間)

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↓西園寺公望邸 京都出身ゆえ、竹が好きで天井まで竹を使用。10年に渡る留学で進歩的な考え方であったのかバリアフリーなど工夫された設計に驚く。当時政界人の暗殺が多く、暴漢の襲撃に対する備えがあちこちにある。静岡の清水の海に似せて、日本で1番大きい溜池である、入鹿池を見下ろしている。

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                                        ↓西郷従道邸(東京)

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                                   ↓京都にあった聖ヨハネ教会堂

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2011年12月 6日 (火)

晩秋の京都(2)

国賓として来日されたブータン国王様にはその優しさ・容姿・品格・日本に対する気持ち、そしてご自分の言葉で仰られたことなど、たくさん今までにない感動を戴きました。
その国王夫妻がお茶を愉しまれたのが仙洞御所のお茶室でした。ここを後にして、、、

<2日目の午後>
相国寺:京都五山の第二位の臨済宗相国寺派大本山禅寺。開基は足利義満で開山(初代住職)が夢想疎石。
五山文学の中心地だそうで、雪舟もここの出身とか。あの金閣寺、銀閣寺が相国寺の山外塔頭なのだそうだ。法堂の天井画:蟠龍図(狩野光信)が見事でした。
この寺で初めて寺の浴室(宣明)を見ました。蒸気浴しながら、ひしゃくで湯を取り、身体に注ぐというかけ湯式の入浴法で、面白いです。

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相国寺塔頭の:瑞春院「雁の寺」 作家水上勉『雁の寺』で有名で水上勉が小僧として修業したがあまりの厳しさに出奔してしまった寺。枯山水の庭の紅葉がきれい。

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廬山寺:紫式部邸宅址で源氏物語の執筆地。御所の東側の寺町通りにある。

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↓紫式部と大貳三位(式部の娘)の歌碑
紫式部はユネスコにより「世界の偉人」のひとりに選定されていると、また三位は母親に匹敵する才媛で極めて聡明で人徳があったと書かれています。

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新島襄旧邸:キリスト教の布教者で今の同志社大学の創立者。同志社大学はレンガ色の美しい建物で、京都大学同様いい環境で、学生が羨ましい。もう学生にならないのだから羨ましがる必要もないが。

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   ↓寺町通り辺りの家の門や玄関には何やらぶら下がっているものがある

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↓長刀鉾でした。(正しくは、長刀鉾で供された粽だそうです。gakiさんありがとうございました)出てきた人に伺うと祇園祭のときの長刀鉾で供される粽で、これを飾っておくと疫病が通り過ぎるという、昔からの風習のようです。平安京が高温多湿で疫病がはやったのにちなむ祇園祭の意義を初めて知りました。

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<3日目午前>

Photo_9修学院離宮:宮内庁管理の京都の5つのうちの最後の見学です。(左地図を参照)
比叡山の麓に背後の御茶屋山を借景にして、後水尾上皇よって造営された。仙洞御所が、政権を得た徳川幕府が宮廷抑圧の代償として、後水尾上皇のために造営されたのと反対です。
上・中・下の3つの離宮(御茶屋)からなり、3つの離宮を連絡するのは松並木、その両側には付属農地が広がって約55万㎡ある。田畑は近所の農家に委託しているとのこと。上下の標高差は40m。大小の滝や小川もある。

                   ↓西側の表総門から入る

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                      ↓下離宮の御幸門

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             ↓下離宮の寿月観と庭

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↓下離宮から右の(南の)中離宮へ向かう時に見える御茶屋山と松並木と農地

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                    ↓中離宮の門をくぐると

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                    ↓中離宮客殿の間

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                      ↓上離宮浴龍池

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↓上離宮隣雲亭の一二三(ひふみ)石。 軒下のたたきには石を一つ、二つ、三つと埋め込んである。

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                    ↓さらに降りて行くと

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                      ↓浴龍池に着く

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                       ↓段々畑 

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曼殊院門跡:江戸時代初期の代表的書院建築で桂離宮の影響を強く受けているという。
                 ↓遠州好みの枯山水庭園

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詩仙堂:家康の元家臣で漢詩の大家、作庭師の石川丈山が晩年を過ごした隠居跡で、現在曹洞宗大本山永平寺の末寺である。

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いろいろな庭園を観賞したものの、ごちゃごちゃになって、以前見た竜安寺の庭だけ鮮明に残っているだけです。
妙心寺でいただいた精進料理と丸太町の京料理が久しぶりでとても美味しかったです。
↓精進料理理の最後の湯桶(ゆとう)にお焦げのおにぎりが入っていて雑煮のような味のさ湯は初めてでした。

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2011年12月 3日 (土)

晩秋の京都(1)

友人たちのお陰で予約した仙洞御所と修学院離宮見学の許可が下りました。
東京あたりは今年は紅葉があまりきれいでないですが、京都では今年もまた素晴らしい紅葉に出会えました。

<1日目の午後>
今年は、法然上人800回忌、その弟子の親鸞聖人750回忌で「法然と親鸞・ゆかりの名宝」展も4日までとなりました。
●1日目の午後、最初に向かったのが、法然が開基(ここに亡くなるまで住んでいた)の知恩院(浄土宗総本山)へ。ここにはドラマの「江」の娘・千姫の墓もあるそうです。

                                        ↓日本で1番大きい山門

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●すぐ隣の青蓮院は天台宗の京都にある5つの門跡の一つ。ここで親鸞が9歳のときに、『愚管抄』を著した慈円のもとに得度(僧侶となるための出家)した。

↓青蓮院のクスの大木 700年以上もたっている京都市の天然記念物で、5本もあります。

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                                                      ↓お庭

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                                                   ↓室内から

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                      ↓一文字手水鉢 巨大な一文字の自然石の手水鉢

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↓皇族や貴族が住職を務める特定の寺院である門跡の塀には白い横筋が入っている
 この筋は「定規筋」とgakiさんに教えていただきました。ありがとうございました。                                                        ↓竹林

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                                          ↓高台寺への途中

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高台寺(臨済宗建仁寺派) 秀吉夫人ねねが夫の菩提を弔うために開創した寺。秀吉とねねの木像が安置されている。

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↓高台寺のマニ車 筒の中に般若心経の写教が入っており、右に回すと身体、言葉、思考を清め、災いを取り除くと書いてありました。いくつか回してみました。

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<2日目の午前>
●宿泊した妙心寺(臨済宗妙心寺派) 禅宗として子院塔頭が40もあり全国随一で一区画を占めているので人々が通り抜けている。勅使門から北門にかけて7つの伽藍が一直線に甍を並べている日本最大の禅寺。

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                                        ↓塔頭の1つ退蔵院の庭 

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               ↓見たことのない実が生っていました(orangepekoさんとポージィさんにロウヤガキと教えていただきました。ありがとうございました)

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仙洞御所・大宮御所 京都御苑の南東の一角にある御所
仙洞御所は皇位を退かれた天皇の御所で、その北に東福門院(秀忠・江の娘で千姫の妹、後水尾上皇の皇后)女院御所も建てられたそうだが、今はすべて焼失して、2つの茶室と庭園が残っている。
大宮御所は皇太后の御所で御常御殿のみ残る。

                ↓大宮御所御車寄       ↓御常御殿

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↓仙洞御所の庭 ガイドさんによるとこの日の紅葉が一番美しいとのこと。八ツ橋には藤棚がかかっていて咲く頃は見事でしょう。

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