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2012年1月11日 (水)

西洋美術史講座:ティツィアーノ

大本山妙心寺御用達「阿じろ」の精進料理を妙心寺でいただいた時の箸袋に書いてあった[食事五観文]

一つには、功の多少を計り、彼の来処を量る。(この食物が食膳に運ばれるまでには、幾多の人々の労力と神仏の加護によることを思って感謝いたします)

二つには、己が徳の全欠をはかって供に応ず。(わたくし共の徳行の足らざるに、この食物を頂くことを過分に思います)

三つには、心を防ぎ、過貪等を離るるを宗とす。(この食物にむかって貪る心、厭う心を起こしません)

四つには、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり(この食物は、天地の生命を宿す良薬と心得て頂きます)

五つには、道業を成せんが為に、将にこの食をうくべし(この食物は道業を成ぜんが為に頂くことを誓います)

食事に際してただ美味しい、美味しいと言って頂くだけでなく、いつも食品にかかわった多くの人に感謝して頂くことを忘れないようにしたいと思います。

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Photo

1月から参加した西洋美術史講座は長寿講座らしく、40人中新たに参加したのは私と他3人のみです。ずっと勉強している熱心な人たちに交じっていると私もやる気が出てきます。
ベネツィア派の大巨匠ティツィアーノは1576年に88歳で亡くなるという当時ではミケランジェロと同じく珍しく長命で、また他の国に跨る多くのパトロンのいた稀有な画家です。

1つ興味深いことを教えてもらいました。

宗教画や神話は話を知っていないと難しい。
描く画家も自分の想像のみではなく、テクスト(文学における研究対象の文章)から絵を描いている。
もう1つ「エクフラシス」から絵を描く方法もあって、ティツィアーノの『ヴィーナスの神殿奉献』がそうです。
どういうことか?
AD100年頃のこと、ナポリ郊外の別荘にたくさんの名画があって、その1枚1枚を言葉で記述した・・これがエクフラシス。エクフラシスとは言葉で物の記述をすることであるが、やがて絵画をも言葉で伝えるという意になった。
この中の1枚『ヴィーナスの神殿奉献』もエクフラシスとして書かれていて、その書かれている説明どおりにティツイアーノが描いたものです。
ティツィアーノは依頼主からこのエクフラシスを提示されて描き、紀元100年頃の幻の絵画を掘り起こしたことになるのです。そうはいっても別荘の絵とは相違があったでしょう。

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コメント

空腹や食欲にまかせてガツガツ貪り食うべからず。
食するときは謙虚に多くの人々に感謝していただき、
また他の命をいただくからには、必ず神仏の教えを
学び悟りを得るために精進します。
というようなことになるのでしょうか。とてもこれを完全にするのは
無理そうですが、せめて「いただきます」の挨拶のときだけでも
しっかり感謝の気持ちを込めたいものです。でも時々忘れちゃうなぁ…反省。

「エクフラシス」というもの、初めて知りました。
情景をすべて言葉で書き表すというのは難しそうですね。
その言葉から全てを再現する絵は、描き手の個性で結構大きく変わって
きそうですね。比べられたらそれも面白そうです。

投稿: ポージィ | 2012年1月12日 (木) 11:03

★ポージィさま

早速にコメントいただきありがとうございます。
5観文をまとめていただき、全くその通りでありがたいです。
私は感謝の心を何故かずっと忘れていました。はっとしました。夏場にミョウガとニラとシソをそして僅かのソラマメしか収穫しないのですから、感謝しなかったら罰が当たりそうです。

古代、文字を知っている人(書記)が、あるいは作家がそんなことまでしていたのですね。
架空の聖書の世界、神話の世界は個人の想像だけでは描ききれなかったのでしょうか。受胎告知や聖母被昇天とかキリスト磔刑とか聖母子像などいろいろな人が描いていますから、聖書関係は少しわかっても、上(ヴィーナスの神殿奉献)にあるような神話の世界に至ってはまるでわかりません。何でも娘さんがヴィーナスのいる神殿に貢物を持っていくと恋が成就するということだそうですが、おびただしいキューピットの役割はなんぞやと疑問が次々湧いてきたりします。その答えは彼らがニンフ達の子どもであらゆるこの世の生き物の支配者だからで多くいるのは人間が多くを愛するから・・・ということだそうなのです。絵解きにこうやって暇を潰している私などは恵まれているのでしょう。
比較する材料があったら面白いでしょうね!

投稿: tona | 2012年1月12日 (木) 16:40

「阿じろ」の精進料理は、何度も京都冬の旅で
頂きましたのに、箸袋は捨ててしまい残念
でした。
いいこと書いてあるなあ・・・ぐらいではいけませんね。
よく読まないと・・・

ティツィアーノも何度も見ていますのに
表面的なものしか捉えていなかったです。
放送大学でも講義を聞きましたのに
忘却の彼方になってしまいました。

投稿: matsubara | 2012年1月13日 (金) 08:38

★matsubaraさま

おはようございます。ありがとうございます。
まあ、「阿じろ」の精進料理を何度も召し上がられたのですね。
ハッとするようなことが書いてある箸袋、珍しくちゃんと持ち帰りました。こんなときこそ昔に帰れますね。

この早稲田大学の講座はイタリアに行く前に申し込んであったのですが、実際にヴェネツィアやフィレンツェやローマで作品を気にして見ておいて良かったと思いました。
しかしただ表面的しか見ていないわけで、絵の内容を知ると面白いものですね。
放送大学で聴講ずみですから、ご覧になればすぐ蘇ることでしょう。

投稿: tona | 2012年1月13日 (金) 08:48

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