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2012年2月27日 (月)

吉村昭著『落日の宴 勘定奉行川路年聖謨』

幕末、中国などのように諸外国の植民地になりかねない時に、外交官として第一線に立ち、ロシア使節プチャーチンとの間で日露和親条約を締結した人を描いた。
開国を迫るロシア使節に一歩もひるむこともなく、駆け引きも巧妙に、その誠実さと聡明さで激動の幕末日本を救った。
これ以後の開国以降の欧米列国との至難な外交交渉、国内の目まぐるしい幕末の混乱を経て日本を明治維新に漕ぎつけることが出来たのも、川路ら外交官の尽力に負うところが大きいのである。
巻末解説で山内昌之氏は外交官の資質を問うている。以下ハロルド・ニコルソンの挙げた外交官の資質である。
誠実、道義的な正確さ、平静や平常心を保つ能力、
よい機嫌をおだやかに保ちながら、時には相手を怒らせたり平常心を失わせ、その油断や間隙につけ込む。
忍耐、謙虚、祖国や政府に対する忠誠。
これらをすべて兼ね備えていた川路は、軍事・経済・外交とロシアに劣っていた日本に、全面屈服でもなく、完全勝利でもなく、ぎりぎりのところで開国の条件づくりをした。
理をとおした見事な弁説、毅然とした一歩も引かぬ態度、誠実さがロシアを動かした。
又川路は開国によって日本から富が流出する危険を察知していた。外国からの借款導入を考えずに健全財政で幕末の危機乗り越えた。

現在の政治は内政外交とも複雑になりそれとともに混迷を深め、政治不信に国民が陥っている。
大変さはある意味では、どちらが上とも下ともつけられ面もある。
しかし、いいや(殆どの人の中でも鳩山氏に特に感じる)という無責任さ、自分の資産増大にのみ邁進する(小沢氏?)。全然約束したことを実行しない与党。ただ反対するだけで、国を良くしていこうとうという気の全くない野党。言い出したら気分が悪くなるこの頃です。
少しでも、1人でも川路聖謨のような方がいないのでしょうか。

安政の当時、ロシア船が下田にいたときも大地震があって、九州あたりから関東までかなりの被害があったようです。そしてまたそんなに時を経ないで大地震に、それに伴う江戸の火事で災害が凄かった。伊豆半島でも自分たちが家を失っているような悲惨な状態でも、船が沈没してしまったロシア人に救いの手を差し伸べています。幕府も尽力してロシアの艦長など、感謝の念を祖国に報告すると述べていました。
兎に角、日本史では地震が見えてきませんが、古来日本は地震にずっと悩まされてきているのです。

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ウィリアム・モリス(英国)のデザインしたエプロンを貰ったので使い始めました。
近代デザインの創始者であり、アート・アンド・クラフツ運動を起こした19世紀のイギリスで最も傑出した芸術家。日本の柳宗悦が起こした民芸運動にもあい通ずるものがある。
草花や樹木をモチーフとしたファブリックスや壁紙がことに有名で、色合いや花を見ていると気持ちが明るく楽しくなるエプロンです。今まで様々なデザインに親しんできた私たちであるが、古に帰ることも多くなり、歴史の中で何回も繰り返されるのではないか。

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2012年2月23日 (木)

荒崎海岸と京急のアルファベット駅名

お天気が良かった19日(日)に三浦半島先端に近い荒崎海岸(神奈川の景勝50選、横須賀風物百選)を散策しました。
品川駅から京浜急行で終点の三崎口駅まで乗った途中の駅に「YRP野比」がありました。
<何々、覚えにくいアルファベットが入っていて。どうい意味でこんなの付けたの>ということで調べたら、YRPは「横須賀リサーチパーク」の略でした。
つまり公的な研究開発機関や大学のサテライト研究室および国内外のリーディング企業等が. 集積する都市近郊型のリサーチパークです。
神奈川県横須賀市光の丘に建設された、電波情報通信技術に特化した研究開発拠点であり、62社もの企業等が進出し、一大研究開発拠点となっている。
最寄りの野比駅名が改称されたわけです。アルファベットが付く駅名は日本の旅客駅では4番目だそうだ。
後他には「JR難波」のようにJRが付くのが7つと「JA広島病院前」がありました。

荒崎海岸ハイキングコースはかなり前に行った時と違って橋が架けられたり満潮時用に鎖が架けられたりして整備がゆきとどいていました。

                                         ↓出発点は鄙びた漁港

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                                      ↓三浦一族の城跡からの眺め

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↓洗濯板のような地形が広がる。数千年前に堆積した黒い凝灰岩と白くて軟らかい砂岩・泥岩が層になったもの。

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↓洞窟もたくさんあって、横穴古墳群からは人骨や副葬品が多数出土した。

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                                                 ↓沖にはヨット

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                                                ↓カヌーも海に

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↓カヌー(カヤック)は川だけかと思い込んでいたら海にも操っている人がいました。この方に聞いたところ海のカヌーは川のより大分長くて5mもあるそうです。

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                                          ↓もう桜が咲き始めた

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                                     ↓オキザリスの群生が華やかだ

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2012年2月20日 (月)

高校時代・仮装行列の思い出

このところテレビで秋田・男鹿半島の「なまはげ」を立て続けに数回観て、突然高校時代の両極端の仮装行列を思い出しました。
秋の運動会の最後は全校クラス対抗仮装行列大会があって、数週間前から日の暮れるまで準備に追われました。
1年生の時は出場したのかどうかさえ記憶の中にありませんが、2年生のときが「なまはげ」でした。写真に残ってないのでうろ覚えですが、藁を何処からか調達してケラミノを作り、鬼の面をして、作った出刃包丁を掲げてのし歩いたのですが・・・
これが非常に汚くて最下位だったような。1学年が8組で24クラスあったのか、それとも1年はなかったのか忘れてしまったのですが、その中で最下位とは大したものです。

クラス替えのない3年生ではハワイアン・ミュージックに合わせて「フラダンス」です。
50名中女子が7名しかいないので、女子がアロハシャツに白のトレーパン姿でギターを抱え唄いそして踊る男性役。
残り43名の男性はフラダンス衣装(ロングヘアーに、ブラジャー、ひらひらのスカート、レイを懸けて)でフラダンスを踊ったのでした。
曲は「ワイカプ」です。これがうけて優勝でした。モノクロの写真でどんな色彩であったか忘れてしまいましたが、青春の思い出のハイライトだったかもしれません。我が人生における最初で最後の仮装でした。
ついでに誕生から結婚までたった2冊しかないアルバムのセピア色の写真を見て、若く溌剌として、嬉しそうだったと懐かしく思い出したことでした。

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本とドラマになった『最高の人生の終わり方~エンディングプランナー~』逝ってらっしゃいませ この「逝ってらっしゃいませ」には笑ってしまいました。またあの世から戻れるような感じのフレーズだと。

今の時期もうさすがに万両の実などまで食べ尽くされましたが、この垣根のピラカンサはまだこんなに実がついています。凄くまずいのかしら。

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    日蔭のツルニチニチソウ          迎春花

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2012年2月17日 (金)

安部龍太郎著『葉隠物語』

不思議な雲写真集」の雲が素晴らしい。人や動物に似てるのだけでなく、自然のいたずらというか、どうしてこんなのが出来るのか不思議の雲です。10分かかりますので、それだけ時間がありましたらどうぞ楽しんでください。

安部龍太郎著『葉隠物語』

『葉隠』は「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」であまりにも有名であるが、決して死を美化した内容ではない。『葉隠』とその解釈を以前読んだ時は内容がさっぱりわからなかった。
この本がどのようないきさつで誰が何時語り、本として息を噴出したのか、その藩祖、初代、二代の活躍とそれに懸命に仕えた人々を描き、『葉隠』の背景がよくわかる。

武士道は厳しい。実に過酷と言える。藩祖直茂も初代勝茂も戦国の豊臣、家康の狭間で苦悩の連続。家臣たちも主君の馬前で命を惜しまず潔く討死するのが武士道だ。
それにしても、娘の病のために藩のお金を2両使いこんで返せなかった、そのことに対する沙汰が即切腹である。切腹の介錯が非常に難しいことも知った。それに殉死が凄い。
二代光茂から武断な家風、殉死を嫌い、藩の財政を傾けてまでも命を懸けて和歌を極め、古今伝授の秘伝を受け、武家から文化人として立つ。それは武勇をもって知られた鍋島家が、天下太平の世において万民の尊敬を受けるためには、日本文化の精華といわれる古今伝授を受けておく必要があると考えたのである。
このことに骨身惜しまず協力したのが、本の作者山本常朝である。
あの難しい『葉隠』が意外な内容で、あの時代がよくわかる本です。

今度は伊豆韮崎に苺狩りに行った娘のお土産。

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   ↑卵プリン、苺ジャム、黒米、ぶどうジュース、チーズ入りひとくちかまぼこ

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          ↑葉桜羊羹、天城輪道(バウムクーヘン)、横浜カレー

↓横浜カレーはサービスエリアで買ったそうでシュウマイが3個入っていました。
黒米は1割入れても真っ黒です。中国・漢の時代に発見され、以来歴代の皇帝が食したされる貴重な米だそうで、薬膳の一品として味わったとされてる。
中華料理でも見たことがないし、薬膳の本を見てもありませんでした。

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2012年2月14日 (火)

山を駆け上がり下る人たち

12日(日)に山梨県大月市にある山梨百名山の1つ「扇山」1138mに登ってきました。

                                    ↓ 登ってすぐに見えてきた富士山

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                                                ↓ 雲が切れて

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                               ↓ 頂上で、手前に山が幾重にも重なって

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                    ↓少し下ったところで

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             ↓頂上で出会った驚きの外国人と生徒さん

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男性がアメリカ人で日本語が堪能な方(50代)。真中の女性はドイツ人(50代)。もう一人写真に入らなかったオーストラリア人の女性(40代)。左の男性は彼らの生徒さんの日本人。
彼らは日本中の山を登ったそうで、富士山の辺りを指して「あの辺の山も全部登ったよ」と言っていました。
その登り方が凄い。いつも駈けて登り、下るのだそうです。事実写真を撮ったあとすぐに駆け下りて行きました。これなら1日に3つも4つも登れる。
我々が2時間半かかるところを1時間しかからない。そのパワーにもうただただ感嘆するばかり!西欧人は分厚い肉を我々の4,5倍ぺロリだから体力も違うのだろうなあ。
ただ心配なのは駆け下りると膝を痛めないものだろうか?とても立派な足をしていたけど。

何時も一緒する友人は、私と同じように高齢になってからの登山開始なのですが、ずっと悩まされていた花粉症がぴたりと治ったそうで、もうひとつ全然風邪を引かなくなったとのこと。人によって様々な効用が登山にはあるようです。

Photo_7 駆け登るで思い出したのが、前にも書きました石川直樹さんです。あの高山病で苦しめられるキリマンジェロを駆け登ったのだそうです。
冒険家だと思っていた石川さんは写真家を本業としているのでした。先日表参道で行われた山の写真展「Halluci Mountain」に行ってきました。
ヒマラヤなどTVで観ていた山の表情とは大分違う迫力ある写真でした。
彼は土門拳賞など数々の写真賞を受賞しているのですね。
2,001年に当時として世界最年少記録を塗り替え、23歳で七大陸最高峰登頂を達成した。
これだけでなく、ユーコン川単独カヌー下りなど川下り、北極から南極まで地球半周を自転車で踏破し、ミクロネシアではスターナビゲーションの航海術を学び、巨大気球で太平洋横断を試み、エベレストの登頂に中国側とネパール側から2回成功する。
そして写真集の軌跡、世界の島々、洞窟、アフリカ、中東、北極圏と陸海空と全方位的な活動をしている。(以上『ユリイカ石川直樹』より)
従来の冒険家にはあまり例をみない、こんな素晴らしい若者が日本にもいて、これからの活躍も楽しみです。

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2012年2月11日 (土)

二宮の吾妻山・菜の花と徳富蘇峰記念館

東海道線二宮駅の目の前にある標高136.2mの吾妻山山頂は菜の花がちょうど満開です。富士山の方に向かって咲いているのですが、昨日は富士山だけが見えませんでした。
公園はきれいに手入れがされ、散歩道には水仙がいたるところに植えられ、桜、ツツジ、紫陽花、コスモスの頃も、360°の展望とともに楽しめる。暖かくて真っ黄色な菜の花の春を味わってきました。

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                   ↓頂上展望台の手前

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                    ↓北方の大山・丹沢

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                ↓金時山の右に富士山があるはず

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                  ↓西の箱根、伊豆半島方面

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        ↓南側の二宮の海が、珍しくも美しい水浅葱色をたたえている

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                  ↓すぐ上の空にはトンビが

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↓ファラオ・ハウンドとイタリアングレイハウンドもお花見に。ファラオハウンドはエジプトのファラオ(王)の称号をもつ古代アフリカン・ハウンドの子孫で5000年前のエジプトの王の墓の中にファラオ・ハウンドと似た体形の犬が描かれている。しかしDNA鑑定によりマルタの国犬となったこの犬は過去数百年の歴史しかないと出たそうで、古代エジプトを思い描いた愛犬家をがっかりさせたそうである。それにしてもイヌビス神に似ているなあ。目は琥珀色である。

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          吾妻山の東12分のところに「徳富蘇峰記念館」がある。

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ここに住んでもいなかった蘇峰の記念館が何故こんな場所に?それは蘇峰に子どもが大勢いたので分けると資料が散逸してしまうため、ここに屋敷があった秘書の塩崎彦市に遺品を託したからである。
美術品・揮毫・原稿・著書・蔵書・遺品の他に約4万7千通の書簡が収蔵されているが、特別展として書簡の中から東北出身の方々の書簡が展示されている。原敬、土井晩翠、新渡戸稲造、蘇峰から漢詩の添削を受けた後藤新平などたくさん展示されている。

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蘇峰の書 棟方志功の絵手紙  江藤新平 星一(星薬科大学創始者)の手紙 

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徳富蘇峰といえば、弟の蘆花が有名ですが、民友社を設立し、『国民の友』創刊して時事問題だけでなく、樋口一葉など大勢の文学作品掲載に力を入れた。『国民新聞』を発刊し、平民主義を掲げ藩閥政治を批判するなど活躍後、政治家、そして政界断絶後『近世日本国民史』を著わすなどして、95歳で逝く。

蘇峰の父一敬は横井小楠の高弟。蘇峰の妻久子の姉は学校創立者、妹は横井小楠の妻、末の妹・楫子は女子学院の初代院長、蘇峰の姉湯浅初子も禁酒・廃娼運動家だったという。
博学な学芸員にいろいろなことを教えていただき楽しく拝館出来る、神奈川県で17番目の博物館です。

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2012年2月 7日 (火)

女人禁制

『雨天炎天』(ギリシャ・トルコ辺境紀行)村上春樹著よりこの世界に、未だ女性が入れない広い地域があることを知る。
それはギリシャ・アトス半島です。
付け根になるテッサロニキの南東方向に3本の刃先を持った備中鍬のような3つの半島があって、その一番東側の半島である。
ここはギリシャ正教の聖地で、ギリシャ国内にありながら完全な自治を政府から認められている。東ローマの皇帝も、その後のトルコ支配下でも、そしてギリシャでもアトスの宗教的共同体としての体制は微塵も揺るがなかった。現在20の修道院が存在し、2千人の僧が厳しい修行を積んでいる。
創設されたビザンティン時代と変わらずに、自給自足の、1日の始まりは夜中の12時という、神に近づかんがための生活を続けているのである。世俗的な欲望をすべて断って。
だからここには女性が入山することを禁じている。海岸から500m以内に入ることも禁じられている。猫を除く家畜のメスの持ち込みも禁止だそうである。
外国人の異教徒はギリシャ外務省から特別ビザを発行してもらい、しかも原則として3泊4日である。

かつて日本でも富士山、高野山、比叡山、出羽三山などが女人禁制とされていたが、現在は大峰山を除いて殆ど解禁された。
他に有名なものに、大相撲とか「カーネーション」の舞台の岸和田のだんじりに乗ることとか歌舞伎などが禁制である。

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茅ヶ崎の実家から2度に渡って70個の柚子が届きました。文旦はいつも50個くらい出来るのに台風の影響で3個だけでした。
娘の所でもこの種子から10年近くたったら今年5個出来ました。我が家ではせっかく大きくなったのに、途中で短気を起して抜いてしまったのが残念です。
70個の柚子は一部差し上げた他は、和風料理や白菜漬け、マーマレード、柚子味噌、柚子ポン酢で殆どなくなりました。

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2012年2月 4日 (土)

マリモ

Photo 先日、国立公園特集で冬の阿寒湖をテレビで観ていたときに、ふと阿寒湖のマリモを思い出しました。
あの直径30cmにもなるというマリモの中はどうなっているのか?空洞なのか、藻がびっしり入っているのか?土みたいのが詰まっているのかという疑問が浮かびました。切断して見てみたいほどだ。
調べてみると(Wikipediaによる)、マリモは糸状体なのだが、大きな球状の集合体を形成するのは、日本では阿寒湖と青森県の小川原湖だけだそうだ。
この糸状体が丸く固まってできたマリモの中は当然全部マリモというわけ。1個が何千、何万体も絡まってボールのような集合体を作っている。何故ボール状になるかは不思議だが、放射状に並ぶからだとのことです。
でも太陽が届かない中心部は糸状体が枯れて空洞になっているため、大きさを支えきれずに壊れてしまう。だがその後は小さいマリモとなり、再び成長を続けていく。
マリモは地球の北、つまり北ヨーロッパ、ロシア、北アメリカに存在するそうで、耐冷性があって凍った湖の中で生きていることが出来る。
触れるとチクチクするというのが、イメージと違います。天然記念物なので触ることも切断も出来ないのが残念なマリモです。

頂いた珍しい2品です。
色鉛筆が並んでいるように並んだチョコレート(patisserie Sadaharu AOKI paris)

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[しらすのり] 静岡県<用宗>海岸でとれた「しらす」をたたみ鰯にし、海苔と重ねて焼き上げ味付けしたもの。(株式会社 朝くら)
これが美味しいのなんの、煎餅みたいにバリバリ何枚も頂ける。ビールでも日本酒でもおつまみとして最高かも。
何よりカルシウムが難なく摂れそうですが、、
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2012年2月 1日 (水)

宇宙メダカ  歌川国芳展

1/12 『歌川国芳展』前期に、1週間後の1/18に後期を見ることが出来ました。

             ↓メトロ六本木駅地上出口はドームになっている

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↓駅を出ると目の前に六本木ヒルズのメイン、森タワーが聳える。最上階の森アーツセンターの美術館がお目当て。

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↓タワーの東側には毛利庭園があります。 毛利家の名残りの回遊式日本庭園。
この池の中に「宇宙メダカ」がいるそうですが、今は冬で残念ながら姿は見えませんでした。
このメダカは1994年、スペースシャトル「コロンビア」内で向井千秋さんらが行った実験において、脊椎動物として初めて宇宙で生殖行動・産卵・孵化した日本古来種の緋メダカの子孫だそうです。2003年に宇宙飛行士毛利衛さん、里親、メダカ研究員によっておよそ1万匹の宇宙メダカが放流されたと書いてありました。

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↓庭園のお向かいにはテレビ朝日があって、ビル内にテレビ朝日マスコットキャラの”ゴーちゃん”が見えます。

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以前にも国芳の作品は太田美術館で観たのですが、今回前期・後期で421点の作品が展示されました。

奇想天外なアイデアの、猫で人の顔をつくったり、着物の髑髏模様が猫で出来ていたり、猫や金魚や蛙を擬人化したりでとても楽しめる。団扇絵では表の絵と裏の影絵では全然違ったものになって驚く。
構成が10章から成り立っていて、武者絵・説話・役者絵・美人画・子ども絵・風景画・摺物と動物画・戯画・風俗と娯楽と情報・肉筆画と板木と版本他
なんて!題材といい、ジャンルが多岐にわたっているのことでしょう。
デザインも現代のデザイナーが高く評価しているとか。

風景画「東都三つ股の図」には墨田川の風景の中に東京スカイツリーに酷似した建造物が聳えている。まるで未来を予見しているようなこの建物は一体何なのか?謎を呼んで面白い。
又、「東都御厩川岸之図」の番傘に書かれた千八百六十一番が国芳の亡くなった年と同じだそうだ。
圧倒的に多い「武者絵」も凄い。
こうした江戸時代の様々なジャンルの絵は世界に誇れるとつくづく感じた国芳展です。

見終わって食べた、梅蘭焼きそばです。
外がかたく固まっていて(卵が使ってあるのか)、中がどろっとしていて、オムライスようになっていて、とても美味しい。

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