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2012年4月30日 (月)

伊勢・南紀めぐり(1)

名古屋から伊勢、熊野、串本、白浜、高野山とまわって新大阪に出ました。連休前でどこもすきすきで人影がまばらな所もあったくらいです。

名古屋駅の2棟のJRセントラルタワーズ 53階(245m)と51階のツインタワーは駅ビルとしては世界1でギネスブックに登録されているそうだ。
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伊勢神宮参拝は47年ぶりで、覚えていたのは五十鈴川だけでした。
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神宮境内は伊勢市の面積の1/3を占めるという。
来年が20年に1度の式年遷宮でもう造営が進められています。持統天皇の御代の1300年前から始まり来年で62回目。式年遷宮は社殿だけでなく、御装束神宝なども全部一新する。
以前どうして20年に1度建て替えてもったいないことをするのかと疑問に思っていたのが解明しました。
①木造なので傷みが激しい。
②宮大工の技能を連綿と伝える(この位の間隔でないと技能が伝え継がれない)
③神さまの住まいがいつも清々しい
四重の垣で囲まれた御正殿は拝見が出来ない。外宮で開館したばかりの「せんぐう館」内での模型によれば、唯一神明造りで派手な装飾も木組もなく、簡素を極めた社殿。

内宮(皇大神宮)皇室のご祖神の天照大神が御祭神
                                              ↓大鳥居と宇治橋 

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                                         ↓階段を上った所でお参り
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下宮(豊受大神宮)神々に奉る食物を司っておられる豊受大御神をお祭りしてる
↓19年たった外宮の屋根もかなり傷んでいる
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↓せんぐう館とまがたま池 「神宮」「式年遷宮」「神道」などが分かりやすく展示されている
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                                  ↓遷宮儀式の一つ(パンフレットより)Photo_8↓おかげ横丁とおはらい町
おかげ横丁は江戸時代のお蔭参りの頃の風情をあの「赤福」が再現した横丁で、神宮横のおはらい町にある。おはらい町の赤福本店でいただいた赤福餅とお茶が美味しかった。
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花の窟(はなのいわや)神社:世界遺産 日本書紀に「日本最古の神社」と記されている古来の聖地で社殿はなく、45mの石巌壁が御神体である。
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神々の母であるイザナミノミコトがカグツチノミコトを産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵。カグツチノミコトは父親のイザナギノミコトに殺され、母親とともにここに祀られている。
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年2回、神々に舞を奉納し、日本一長いともいわれている約170メートルの大綱を岩窟上45メートル程の高さの御神体から境内南隅の松の御神木にわたす「御綱掛け神事」が行われる。その綱に花を括りつけることから神社の名前が付いた。
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というわけで、伊勢神宮と花の巖神社にお参りして神々しくも厳かな気分に浸れました。

瀞八丁(どろはっちょう)和歌山県新宮市から奈良県吉野郡十津川村にまたがる峡谷。峡谷の両岸に高さ50mにおよぶ断崖、巨石、奇岩、洞窟が1km以上続いていて、国の特別名勝、および天然記念物に指定されている。
この日だけは残念ながら雨で船の窓が曇ってよく見えなかった。

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↓葉が米粒のようなコメツツジやこの北山村原産のじゃばら蜜柑(花粉症によい)のジャムなどが売られていた
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2012年4月24日 (火)

買わなくてよかった!

この頃ちょっとした坂でも、荷物が重い時は平らでも、自転車を漕ぐのが苦しくなってきました。
近所の方が急坂を電動アシスト自転車でぐいぐい上っていくのを羨ましく眺めていて、10万円前後するけれど買いたいと思うようになってきました。
ところがテレビで電動アシスト自転車は特に高齢者には危険と報道していました。
私のように、ケンケン乗りしか出来ない人は、ケンケンで 力が入っていきなり暴走するそうで、高齢者にはとても危険だそうだ。
またまた怪我をする所でした。買わなくてよかった。

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神奈川県で1番北にある山「生藤山」990mに21日(土)に行ってきました。あいにくの曇りで霧がかかるという天気。山もやっと花が咲きだして見ながらの登山が楽しい。

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              ↓一面のペンペングサには恐れ入りました
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               ↓エイザンスミレがたくさん咲いていた
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↓里山は桜が満開だったけれども桜で有名なこの山はまだかなり蕾が固かったが、キブシが咲いていて、里より随分遅れている。
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              ↓羽子板遊びの羽根のクロモジ、新芽と花
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   ↓三国山960mは東京都、神奈川県、山梨県の県境でこの名が付いた。
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                 ↓下山途中に又桜が見られた
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                   ↓ヒトリシズカ(センリョウ科)
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                     ↓カキドオシ(シソ科)
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                    ↓キランソウ(シソ科)
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                        ↓スミレ
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                ↓カジイチゴ(バラ科キイチゴ属)か
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                  ↓シロヤブケマン(ケシ科)

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                   ↓ミヤマキケマン(ケシ科)
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明日から伊勢、南紀伊を見てきます。

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2012年4月22日 (日)

鈴木遥著『ミドリさんとカラクリ屋敷』

湘南平塚の地に屋根に電信柱が突き出たおかしな家が、当時高校生であった著者の目に飛び込んできたことから生まれた、2010年開高健ノンフィクション賞次点作品。著者はその後、街並みの勉強から建築学へと進んでいる。

これは建築好きのミドリさん(今年100歳)とその亡き夫が設計し建てた家で、会社の独身寮の管理人の仕事をしながら半年間東京から夫婦で通って、自分で選んだ大工に自分でこだわった建材を使って、日がな一日監督した。
青い屋根瓦に黄色い扇模様の棟飾り、すべて模様の違う木製の戸袋や松竹梅の装飾を施した窓の鉄柵、家の中も様々な建具細工が施される。天井も部屋ごとにデザインが異なり、どの風呂場(アパートなどを含め6所帯が住む)にも富士山の壁画にフランス産装飾タイルが施される。トイレには天橋立の壁画といった具合に内装もこだわりがいろいろある。
そしてカラクリが数か所あって、それはいざという時の逃げ道であったり、また人に見つからない隠れ部屋であったりでそこまで考え抜いた家なのだ。電信柱も家の要でメリハリとしてつけたようだ。
こうした考えられないような家を建てたその背景はすべて新潟から北海道江別に開拓団として入植し、成功した2家族に起因していて、その物語が小説よりも面白い。
そしてさらに面白いのがミドリさんとその人生だ。何でも小さい頃から家を建てるのを見るのが好きで、建築現場に一日中座り込んで眺めて過ごしたとか。小学校を卒業しただけで建築の専門教育は一切受けていないのに、見聞だけで恐るべき建築の知識を身につけた。
結婚して札幌のリンゴ農家から、池田勇人の薦めで64倍の倍率を潜り抜け、東京の管理人になって、3人の子育てをしながら、調理師の免許を取って調理を担当した。その後の人生もやる気のあるいろいろなエピソードで綴られ興味尽きない。
写真(97,8歳頃)を見ただけでももうすぐ100歳にならんとするとはとても思えない若さ。元気過ぎて年に似合わずいろいろなことをするから骨折を繰り返すが、普通の人はここから寝たきりになり認知症になるのだが、全然めげないでまた骨折という具合。
サバサバした性格で喧嘩をも辞さないしズバズバもの言う、それでいてユーモアのあるエネルギッシュなミドリさん、
同じく今年100歳になる元灘高校の国語教師「第三の青春で死んでいる暇がない」と仰る橋本武さんに負けないであと20年頑張ってください。

コストコで買った食品を娘たちがおすそ分けしてくれました。毎回違った食品があって、行ったことのないコストコって面白そうです。
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かなり前に「波のりジョニー」の豆腐を美味しくいただいたが、今度は「枝豆ジョニー」が売られていました。ほんのりと甘みのある枝豆の味があります。大豆の親子を楽しんでいるみたい。
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2012年4月19日 (木)

『ほつれ髪の女』レオナルド・ダ・ヴィンチ

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2 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美の理想展」於 bunkamura ザ・ミュージアム

ダ・ヴィンチの創造した「美の理想」の真髄に迫るものとして、ダ・ヴィンチ、弟子との共作、弟子、レオナルド派と呼ばれる画家の作品80点が展示された。
十数点しか現存しない作品の中で今回は『ほつれ髪の女』と3番目の個人蔵の『岩窟の聖母』を見ることができました。
『ほつれ髪の女』の女性の顔は『聖アンナと聖母子』のアンナに似ている。俯いたもの静かな、落ち着いている、神々しいまでの女性は数々の美しい女性の肖像画とは違った美しさでとても魅力的です。
俯いて目を合わさない様子は、これも決して目を向けてないターシャ・テューダーにも似ている。パルマ国立美術館所蔵。
笑えたのが、モナリザの模写です。ずらっと並んだモナリザ、そっくりと思いきや全然似てないのがあるのです。
ダ・ヴィンチのヴィンチ(vinci)とは紫色がかったユーラシア柳で、意味は「結わえる・結び目」だそうです。ダ・ヴィンチは自分の姓を「柳の枝の飾り文様」にして『モナ・リザ』『白貂を抱く貴婦人』の衣服の模様に使っています。『モナリザ』では分かりませんが『白貂を抱く貴婦人』では模様が見えました。

こちらは[ほつれ髪の花] です!ちょっとだけほつれたシキミ。

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                  かなりほつれたトキワマンサク

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              ↓ニリンソウを咲かせている家がありました
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                     ↓グミの花が満開
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                   ↓もう豪華にシャクナゲも
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               ↓モミジの花も新しい葉と競っている

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   ↓まだ名前の分からない我が家のスミレ(野路スミレに似ているが色が薄い)
     「アリアケスミレ」とorangepekoさんに教えていただきました。

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           ↓今年は12本も花を付けたブルビネ・フルテスケンス
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                  蕊に毛が生えているなんて!
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2012年4月16日 (月)

柴田トヨ著『百歳』

Photo 柴田トヨ著『百歳』
第一集『くじけないで』は2010年のベスト2位で150万部のベストセラーに輝いた。
息子とのやりとり、息子への思いが胸を打つ。
100歳の今もなお、全然ボケないで詩を作り続けているが、1世紀を生き抜いた、頑健な意志の強い人のイメージでなく、心折れても辛くても悲しくても、静かに跳ね返して周りの人まで温かく包みこんで、多くの人に力を与えてくれるという何とも魅力的なおばあさん。

東野東吾著『プラチナデータ』
2008年には『ガリレオの苦悩』『流星の絆』『聖女の救済』でベストセラーの1~3位まで独占した東野圭吾の最新作。
新しいNDAの問題。不思議な、変わったキャラクターが登場すると私は引き込まれる。犯人はちょっとあっけなかったけれど、面白かった。

池口恵観著『空海「折れない心」をつくる言葉』
池口氏の口を借りて空海から響いてくる言葉で印象的だった2点
一つ:「もうダメ」でなく「まだダメ」と思うこと。・・・・・心の状態が全然違ってくるから不思議な言葉。
二つ:「失敗は忘れる」・・・・今、あるいはすぐ前までのことをすぐ忘れてしまうのに、当然ながらいやなことは何時までも忘れられない。しかもこの頃過去の失敗の数々を何故か思い出さない日はない。
過去の失敗は終わってしまったけれど、その過去も、そして今毎日のようにする失敗も反省はするけどすぐ忘れること。自分の頭から追い出すこと。これは妙薬だ。失敗は忘れ、新たに挑む。

「くじけない」とか「折れない」と言った言葉は唱えるとこれだけで暫し魔法にかかる。

ヤモリ(ニホンヤモリのようだ)が硝子戸の敷居の中を走っていた。どうやら戸袋の中に住んでいるようだ。ボケボケながらも模様が確認できる。
遣唐船に乗って中国からやってきたとか。網戸や壁に引っ付けるのは足の裏の50万本もの毛のお陰という。害虫を食べ家を守ってくれるというので無碍に追い出せない。

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2012年4月13日 (金)

狭山丘陵の春の妖精

数年前のこの時期に行った狭山丘陵の同じコースには、今年もまたスミレ、カントウミヤマカタバミなどの紫や白の世界が煌めいていました。
毎年頭に入ったはずのいろいろなスミレの名前も、次の早春には全部、ただスミレという名前になってしまっています。
今年も1から出直し、先生に教えていただきました。

↓最初に出会ったコスミレ
花が小さいわけでなく、草丈が低いところからその名が付いたようだ。
葉がこのように長三角形で、花がびっしりつくことが特徴。

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             ↓マルバスミレ 丸みのある葉と白い花が特徴
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    ↓タチツボスミレ 最も馴染みの深いスミレで、やや空色を帯びた淡紫色
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↓オトメタチツボスミレ 東京都奥多摩産の個体だそうで、純白色で距の部分に色が残っている。
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↓フモトスミレ 比較的小さな白い花の下側の唇弁に濃い紫色の筋があって、他のスミレの仲間と少し違う。
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           ↓タカオスミレ 葉の表面が赤褐色なのですぐわかる
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↓アオイスミレ スミレの仲間ででは1番早く咲くが今年は寒かったためこの時期満開であった。
葉がフタバアオイに似て丸く、花は白色に近い淡紫色で形が縮れた感じでこれも特徴がある。

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↓カントウミヤマカタバミ(oxalis var.kantoensis) 高山の途中にあるミヤマカタバミの変種。日が陰ると閉じてしまう。
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↓セントウソウ(セリ科セントウソウ属)この時期たくさん見かけ、花が小さい。

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               ↓ヤブタビラコ(キク科ヤブタビラコ属)

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                     ↓シュンラン

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↓ヒメカンスゲ(カヤツリグサ科)茶摘唄に「茜たすきに菅の笠」のスゲ(菅)は笠や菅細工に使われたが現在はもう使われない。
冬でも常緑でカンスゲより小さいのでヒメカンスゲの名が付いた。先端の花が雄花で、茎の途中のが雌花だそうだ。

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2012年4月10日 (火)

國井修著『国家救急医』

Photo 昨年3月11日の震災にアフリカから飛んで帰った筆者は特異な支援をして再びソマリア支援に旅立って行った。
破綻国家や災害国家の医師として20年以上、世界100カ国以上を駆け巡っている。
関わった私たちの記憶にも残る主な国は、カンボジア難民、バングラデシュ、スマトラ沖地震、インドネシアの煙、アフガニスタン、パレスチナ、イラク、ペルー日本大使館公邸人質事件、ザンビア、モザンビーク、ガボンのエボラ熱、エチオピア、ルワンダ、シエラレオネ、ナイジェリア、コンゴ、ミャンマー、そして現在世界最悪の破綻国家ソマリアで奮闘している。

著者が何故医師になったか、その理由を読むと感動を覚える。
そして「私はIQが低かった」という告白にも驚く。知能テストでクラスの平均以下だったのだそうだ。「才能がないなら努力するしかない」と人生早いうちに自覚した。
好奇心や負けん気は人一倍旺盛だったそうだ。
”人は夢を見続けると、しかも、それが使命感にまで達すると、その人の本来の能力や精神力以上のものが湧き起こってくる”と著者は言う。

自治医科大学は医療に恵まれないへき地等における医療の確保向上及び地域住民の福祉の増進を図る目的で、全国の都道府県が共同して栃木県に設立した大学なので、学費は出世払いでよい、あるいは9年間僻地で勤務すると学費返済全額免除だ。
その自治医科大学に入学した著者は、僻地勤務をして海外医療のばねにしたようだ。
学生時代はインドでマザー・テレサに教えを乞い、1年休学してインドに留学して伝統医学を学ぶ。ハーバード大学では公衆衛生学修士を、東大で医学博士をと、もの凄い勉強家である。

アフリカに見るような破綻国家の人々を救うことは、焼け石に水で絶望的で意味があるのかと常々思っていたが、やることによってほのかな希望が見えたという報告がなされている国もあって、国井氏の果たしている大きな仕事に畏敬の念を覚えた。

その難民支援に国連難民高等弁務官としてかつて奔走していた緒方貞子氏の講演『激動の世界における日本の転換点』を聞く機会がありました。
氏はその後2003年より独立行政法人国際協力機構(JICA)理事長を務め、この3月で退職された。3月の最後の仕事はエジプト出張だった。
緒方氏の若者へのエールとして、両親の離れて欲しくないという想いは強いでしょうが、、
”若いうちは世界を知って、勉強して、人のために大きくいろいろな分野で働いていくことだ”と強調された。このことこそ、國井修氏が本の中で述べていたことでもありました。

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2012年4月 7日 (土)

隅田川でお花見

花冷えの日でしたが、友人の案内で、♪春のうららの隅田川♪で江戸時代などに想いを馳せながらお花見をしてきました。午前中はまだ歩けたけれど、だんだん混み合って、水上バスは大行列。
隅田川には白髭橋から最後の橋の勝鬨橋まで18掛かっていて、今日は2番目の桜橋から言問橋、東武鉄道橋梁、吾妻橋、駒形橋の5橋を見たり渡ったりできました。
↓浅草駅を出てすぐ隅田川の台東区側に到着。完成したスカイツリーが顔を見せる。川上へ向かう。

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                 ↓まだ満開ではない木もある
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                       ↓満開の木も

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                 ↓言問橋あたりからスカイツリー
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        ↓唯一、人だけが通るX橋の桜橋から緑色の言問橋が見える
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Photo_8 言問団子を初めてというか、やっと買ってみた。値段はとても高いけれども美味しかった。
在原業平が隅田川に来たとき、白い水鳥のカモメを見、渡守にその名を問うて都鳥と聞くや、ひとしお都恋しくて旅愁をそそられ

”名にしおはばいざ言問はん都鳥 我が思う人はありやなしやと” 
有名な和歌を詠んだ古事に感じ、江戸時代に言問亭が、散策する文人墨客の求めに応じて手製の団子と渋茶を呈したのが由来という。

        ↓桜橋を渡って墨田区側へ。花見の宴席は人を待つばかり。

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          ↓対岸に浅草寺裏の平成中村座の舞台裏が見える
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           ↓墨田公園にも桜が咲いて、花見客が鑑賞していた。
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         ↓本所に住んだ勝海舟の銅像が墨田区役所のそばにある

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  ↓吾妻橋からのアサヒビールの○○○ビルとスカイツリーと墨田区役所
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↓吾妻橋を渡ってふりだしの駅へ、ここから仲見世を通って浅草寺へ。昼近くになって激混みになってきた。
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        ↓浅草奥山風景なる場所が造られている。その中の火の見櫓
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                 ↓けんちんうどんが美味しかった
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↓あげまんぢゅうは友人に買っていただき、たこ焼きも買ってきた。
金龍山のあげまんぢゅうは昭和33年からの販売で小麦粉の皮で餡を包んで揚げた饅頭
たこ焼きは築地「銀だこ」のもの。
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駒形どじょうを何時か食べたい。どじょう屋さんが、野田首相就任以来、イメージなどの問題で勢いがないとのこと。
花より団子の花見でした。
かなりたくさんの西欧人が来ていました。


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2012年4月 4日 (水)

隠岐の島4島めぐり(2)知夫里島、中ノ島

  島前の3島は高速船で20分くらいで行ける距離です。

知夫里島> 1番小さな島で人口628人。

↓至る所に黒牛が草を食んでいた。以前は小さいうちに神戸へ行き、神戸牛として食べられていたが、現在は大人になるまでここで飼育されるという。
ドライバーさんが遠くから牛の番号を言い当てるのは全部ドライバーさんの牛だからだった。
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↓赤ハゲ山(標高325m)360度の大パノラマで島前、島後、大山(まだ雪が被っている)や島根半島まで見渡せた。
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↓赤壁(国の名勝、天然記念物に指定されてる) 玄武岩や凝灰岩のもつ赤、黄、黒、白などの文様を持つ大岸壁で、特に赤の色が際立っている。延長約1km、高さ50~200m。夏に行くと観光船から鑑賞できる。
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                  ↓ヤマエンゴサク(ケシ科)か

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                     ↓タチツボスミレか
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↓河井の地蔵さんの水 島根の名水百選でとても美味しかった。1度も枯れたことがないそうだ。
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中ノ島>  人口2315人でどの島も減っている

                    ↓ホテルの部屋から

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↓後鳥羽上皇行在所跡
後鳥羽上皇は朝権回復をはかった承久の乱で北条義時に敗れ、隠岐のこの島に流された。亡くなるまで19年間遂に許されなかった。
後鳥羽院資料館に寄ってわかったこと。上皇は多芸多才の人でとくに和歌をよくし『新古今集』を撰し、蹴鞠・琵琶・琴・笛にも秀でた。
島で作られた和歌がたくさん披露されていた。
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↓後鳥羽上皇御火葬塚
当時火葬はなかったそうだが、都に帰りたい上皇の意を汲んで、里人が集まって火葬した所。遺骨は京都大原の大原陵に納められている。
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↓隠岐神社 後鳥羽上皇700年祭を記念し、上皇を祭神として昭和14年に造営された。
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                  ↓金光寺山(標高164m)から
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↓山の頂上にある小野篁の史跡の権現 
平安初期の学者・漢詩人・歌人であった小野篁は、遣唐副使に任ぜられたが、大使の藤原常嗣と争い乗船を拒否したため、838年に隠岐に流された。
その時この山頂の六社権現に放免の日を祈願して参籠したと伝えられる。配流生活1年余りで許され、京に帰った。
配流中の歌”わたの原やそ島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟”はあまりにも有名である。
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                       ↓シュンラン
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              ↓島のいたるところに椿が咲いていた
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              ↓明屋海岸 赤褐色の断崖や奇岩が聳える

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島後には後醍醐天皇行在所跡がある。元弘の変(1331年)で流されが、1年足らずで脱出に成功し挙兵、北条氏を倒し建武新政を実現させた。
配流された者は他に文覚上人始め江戸時代にまで約3000人に及んだというが、その生活は不明で多くは伝説の域をでないという。
そして残念ながら行かれなかったのが、島後のかぶら杉、乳房杉、トカゲ石と美しい海岸の浄土ヶ浦海岸、白島海岸です。
良い季節に行かれることをお奨めします。

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2012年4月 1日 (日)

隠岐の島4島めぐり(1)島後、西ノ島

Photo 隠岐の島4島に2泊3日で行ってきました。羽田11:30発で伊丹空港を経て隠岐空港の14:30到着しました。

隠岐の島とは島根半島の北東40~80kmの日本海上に浮かぶ隠岐郡島と、遥か沖合の竹島を合わせた総称だそうだ。
隠岐郡島は西ノ島・中ノ島・知夫里島の島前と、島後の計4つの島と周辺の180余の無人の小島からなる。人口は2万3千人で面積は琵琶湖の半分。

隠岐は大山隠岐国立公園に入り、豪壮な海食崖や巨岩怪石の雄大な自然景観に加え、後鳥羽上皇、後醍醐天皇、小野篁はじめ多くの流人たちの史跡が残されています。
ただ冬の島は寒くて厳しいようです。
人々は半漁半農そして畜産の生活を送り、島によっては傾斜地の隅々まで水田や農地が見られました。
海で獲れた魚は対岸の水木しげるの出身地の境港にそのまま持っていくとか。
新鮮な鯛,平目,平政,さざえ,白いか,緋扇貝等の刺身、鰤,鰯,鯖の焼き物、岩牡蠣、亀の手の汁ものと島特産の牛肉が出て、とても家では味わえない贅沢な食事でした。

島後> 

島前3島の北東に位置し1番大きな島ですが、1日目の一部と3日目の観光が出来ませんでした。まず1日目は船が波が高くて出ないということで、せっかく晴れたのに、有名な高さ20mの巨岩のローソク島の上に沈みゆく夕日がローソクのように灯るという絶景が見られませんでした。
2日目は島前の観光で、3日目再び島後の観光でしたが、強風で朝の高速船が欠航になって中ノ島から渡れなくなり、昼過ぎのフェリーの運航でやっと島後に戻り、帰りの飛行機に間に合ったというハプニングが生じてだめになりました。隠岐の島観光は夏の方が海が穏やかで良いようです。

↓隠岐杉は風で枝が下にしなった所から這いあがって大きな幹になっていくという、逞しい杉。島にはたくさんの杉があって、出雲大社からも要求され、時にはその要求が横暴であったとか。

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↓日本の滝百選、日本名水百選の「壇鏡の滝」は40mの二条の滝。これは雌滝。

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               ↓雄滝 下の方に人が小さく見える

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              ↓雄滝は飛沫を裏から見られる珍しい滝だ

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                   ↓雄滝の横の壇鏡神社

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↓水若酢神社 隠岐造り(大社造り、春日造り、神明造りで出来ている)で何とも神々しく、彫刻が美しい隠岐の島の神社

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           ↓玉若酢命神社 しめ縄が出雲大社のように立派
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          ↓境内の八百杉 根もと周囲20m、高さ30mの巨木杉。
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島前の<西ノ島> 海岸線が入り組んだ島。基幹産業は漁業。

↓島々は教職員や町村職員の移動の時期で今年は70人もいるそうで、フェリーが寄港するごとにテープで別れを惜しんでいるこんな風景が見られた。「校長先生、お元気で、さようなら」と生徒が声を張り上げていた。島独特の風習だそうだ。
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                   ↓赤尾展望所からの眺め
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           ↓魔天崖 アイルランドのモハーの断崖に似ている
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                       ↓国賀浜

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                       ↓通天橋

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             ↓連続テレビ小説「だんだん」の石橋診療所
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