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2012年4月 4日 (水)

隠岐の島4島めぐり(2)知夫里島、中ノ島

  島前の3島は高速船で20分くらいで行ける距離です。

知夫里島> 1番小さな島で人口628人。

↓至る所に黒牛が草を食んでいた。以前は小さいうちに神戸へ行き、神戸牛として食べられていたが、現在は大人になるまでここで飼育されるという。
ドライバーさんが遠くから牛の番号を言い当てるのは全部ドライバーさんの牛だからだった。
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↓赤ハゲ山(標高325m)360度の大パノラマで島前、島後、大山(まだ雪が被っている)や島根半島まで見渡せた。
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↓赤壁(国の名勝、天然記念物に指定されてる) 玄武岩や凝灰岩のもつ赤、黄、黒、白などの文様を持つ大岸壁で、特に赤の色が際立っている。延長約1km、高さ50~200m。夏に行くと観光船から鑑賞できる。
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                  ↓ヤマエンゴサク(ケシ科)か

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                     ↓タチツボスミレか
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↓河井の地蔵さんの水 島根の名水百選でとても美味しかった。1度も枯れたことがないそうだ。
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中ノ島>  人口2315人でどの島も減っている

                    ↓ホテルの部屋から

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↓後鳥羽上皇行在所跡
後鳥羽上皇は朝権回復をはかった承久の乱で北条義時に敗れ、隠岐のこの島に流された。亡くなるまで19年間遂に許されなかった。
後鳥羽院資料館に寄ってわかったこと。上皇は多芸多才の人でとくに和歌をよくし『新古今集』を撰し、蹴鞠・琵琶・琴・笛にも秀でた。
島で作られた和歌がたくさん披露されていた。
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↓後鳥羽上皇御火葬塚
当時火葬はなかったそうだが、都に帰りたい上皇の意を汲んで、里人が集まって火葬した所。遺骨は京都大原の大原陵に納められている。
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↓隠岐神社 後鳥羽上皇700年祭を記念し、上皇を祭神として昭和14年に造営された。
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                  ↓金光寺山(標高164m)から
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↓山の頂上にある小野篁の史跡の権現 
平安初期の学者・漢詩人・歌人であった小野篁は、遣唐副使に任ぜられたが、大使の藤原常嗣と争い乗船を拒否したため、838年に隠岐に流された。
その時この山頂の六社権現に放免の日を祈願して参籠したと伝えられる。配流生活1年余りで許され、京に帰った。
配流中の歌”わたの原やそ島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟”はあまりにも有名である。
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                       ↓シュンラン
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              ↓島のいたるところに椿が咲いていた
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              ↓明屋海岸 赤褐色の断崖や奇岩が聳える

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島後には後醍醐天皇行在所跡がある。元弘の変(1331年)で流されが、1年足らずで脱出に成功し挙兵、北条氏を倒し建武新政を実現させた。
配流された者は他に文覚上人始め江戸時代にまで約3000人に及んだというが、その生活は不明で多くは伝説の域をでないという。
そして残念ながら行かれなかったのが、島後のかぶら杉、乳房杉、トカゲ石と美しい海岸の浄土ヶ浦海岸、白島海岸です。
良い季節に行かれることをお奨めします。

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コメント

今の島の生活は如何でしょうかね。島の人達の話を聞いてみたい気がします。

歴史上の人達が流刑されたということ、その数が3000人に及んだという話など悲しすぎますね。
後島羽上皇のように、その多くがここで亡くなられたのでしょうか。

後鳥羽院資料館を覗いてみたいですね。多芸多才だったんですね。
強くて能力があり過ぎたんでしょうかね。
やらなければやられる世界だったんですね。
日本の縮図ですね。

写真で見る島の自然環境の厳しさが一層その想いを強くさせます。

tona様はこの島を訪ねられて貴重な経験をされましたね。
野生の椿の花があちこちに咲いているということも象徴的な感じがしますね。

色々と勉強になり有難うございました。

投稿: macchanny | 2012年4月 4日 (水) 19:44

こんばんは。

一昨日から昨夜の嵐は、隠岐の島にとってはどうだったのでしょうか。
同じく日本海の佐渡島では被害が出ていましたね。

近年の天皇に対して流刑などとてもありえないことですが、かって政治に
深く関わっていた時代は、結構生々しいことが多々ありましたね。
非常な権力争いが悲劇もたくさん生んできたのでしょう。
都から遠くに流された人々は、皆さんとても都を恋しく思われ…
それだけに辛さも増したでしょうね。隠岐の島に流された後鳥羽上皇もしかり。
でも、里人には慕われていたのかもしれませんね。
そのころの歴史はほとんど知識がありませんが、興味がわいてきました。
 
赤ハゲ山(すごい名前ですね 笑)からの眺めは絶景ですね。
そういうところに立つと、感動のあまり泣けてきそうです。
赤壁というのもなかなか見られないものですね。

厳しい自然の中、人々だけでなく植物たちも逞しく一生懸命
生きてきた(いる)のだなと強く感じました。

投稿: ポージィ | 2012年4月 4日 (水) 20:24

★macchannyさま

穏やかな島の人々は明るく感じました。こうしたツアーの旅行ですとじっくり話す機会がありませんね。
時代劇などでは遠流の人が恩赦で帰ってくるのが映し出されますが、ここ遠流の地の一つ隠岐の島も途中で帰ることが出来た人も多かったのだと思われます。

朝廷から北条に権力を取って変わられたことを嘆き、上皇は兵を挙げた勇ましい方だったのですが、後醍醐天皇のように新政まで漕ぎつけられたのと違って敗れて流されたままで、和歌にもたくさん詠ったのでsね。
資料館には遺影や和歌をはじめ刀剣や蹴鞠の道具、茶碗、銀鍋などの遺品が展示されていました。
佐渡島や伊豆大島でも椿が印象的でした。何故か島には椿という感じです。
こちらこそありがとうございました。

投稿: tona | 2012年4月 4日 (水) 21:24

★ポージィさま

隠岐の島もきっと波が荒くて高速船は運航されなかったでしょうね。
佐渡島はもの凄い被害が映し出されていましたね。恐ろしい映像です。昨年来本当に自然の猛威に恐ろしいものを感じます。

最も重い流罪の人が流された地は6か所あるそうで、隠岐は伊豆(八丈島でしょうか)と並んで本土から遠くて悲惨さがにじみ出ている所です。天皇さえ容赦しなかったのも権力争いの結果だったのですね。
さぞかし都が恋しかったでしょう。特に、脱出も叶わず最後まで許されなかった後鳥羽上皇の場合は悲しみを歌に変えていったようです。
後醍醐天皇はあまりにも有名ですが、後鳥羽上皇や小野篁の遠流こと、人となりを知りませんで、こういったことを知っただけでも私には良かったです。

赤ハゲ山、、名前が凄くて笑ってしまいました。忘れられない山です。頂上の地面がそんなに赤かったわけではなさそうなのですが。
これほど赤い岩層は東京近辺には見られませんね。石の種類がとんと分からないのが残念でした。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2012年4月 4日 (水) 21:49

こんばんわtonaさん。
ご無沙汰しています~~遊びに来ました。

なんだかいろいろあり過ぎて、パソコンを開くのも面倒になっていましたが、随分と落ち着いてきたのかな・・なんて、自分のことながら思うこの頃です。
 
tonaさんは、随分と素敵な旅行をされたんですねぇ。
写真を見ながら、私もどこかへ行きたくなりました。
近場はイロイロ行きますが、たまには遠くもいいですね。飛行機・・乗りたいなぁ。

また来ます!
お元気そうで安心しました。

投稿: 久美子 | 2012年4月 4日 (水) 22:08

★久美子さま、おはようございます。

わぁー、久美子さん、この1年も本当に大変でしたね。
お母様が特養に入られても、そこであんな風に介護の問題があるとは驚いています。
私と7歳しか違わないのですね。私もいつ倒れるかわからない年になりました。
ご自身のたくさんのご病気にも負けずによく頑張っていらっしゃいます。
時々近くの散策の景色を堪能されていてほっとします。
少しでもチャンスが出来た時に遠くへいらしてください。気分転換は体にいいでしょう。
とはいえ、そんなに簡単に事は運ばないですよね。いつかきっといいことがあるようにいつもお祈りしています。
大変な時に、お忙しいのにどうもありがとうございました。又ね。
くれぐれもお大事に。

投稿: tona | 2012年4月 5日 (木) 08:34

後鳥羽上皇のことは知られていますが
小野篁も配流されていたことはここで
初めて教えて頂きました。
知人にも隠岐へ旅した人がいますが
何の目的かしら、と思っていました。
ここで意味のあることが分かりました。
その知人は昨年末亡くなられてしまい、
このことが話せなくて残念です。

佐渡も行ったことがありませんので
そのうちにと思いながらなかなか
果たせません。
その行動力に敬服します。
ちゃんと調べて出かけられたのですね。

投稿: matsubara | 2012年4月 5日 (木) 08:37

★matsubaraさま

小野篁の有名な歌がここで詠まれたとは、私も初めて知りました。
これも船が出ないで観光場所がここに変わったお蔭なのです。
平安の昔まで偲ぶことが出来てこれはこれで良かったです。
ついでに小野篁が背が高く美男子で、ここの村でも、後に移った島後の村でも里の乙女とのロマンスがあったとか、京に帰ってももてたとかの話も知りました。

佐渡島は花が美しい島ですよ。5月がいいようです。トキも飼育センターで見ました。

投稿: tona | 2012年4月 5日 (木) 09:06

”わたの原やそ島かけてこぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟”の歌は
子どもの頃遊んだ百人一首の中でも好きな歌でした。
子どもにも分かりやすい、シンプルな歌ですものね。

しかし、そんな遠くの孤島に流されてさぞ惨めな日々であったろうと思っていたのに

>小野篁が背が高く美男子で、ここの村でも、後に移った島後の村でも里の乙女とのロマンスがあったとか

とは驚きましたw

投稿: zooey | 2012年4月 5日 (木) 23:17

★zooeyさま

やはり百人一首をされていたのですね。
次々と忘れる百人一首ですが、この歌を再びインプットしました。漢詩などもあるので読みたいですが、探すのも大変そうです。
この歌の背景が思いがけない所でしたので私も驚きました。

小野篁は遣唐使小野妹子の子孫で、三蹟の小野道風は孫、小野小町も孫という(関係ないという話もあり)でなかなか優秀な一家なのですね。

投稿: tona | 2012年4月 6日 (金) 07:46

tonaさんのブログを拝見していると、
隠岐の島も見どころが多いですね。
赤壁。河井の地蔵さんの水=島根の名水百選ですか。
私の故郷の大山町、御来屋の海岸に
「後醍醐天皇の御腰掛石」があります。
そして忠臣と言われた「名和長年」を祀った
名和神社。
そんなことを思い出すにつけても、やはり
隠岐の島は一度は是非行かねばと思っています。
いろいろ情報をいただき有難うございます。

投稿: 茂彦 | 2012年4月 7日 (土) 18:55

★茂彦さま、こんばんは。

名和神社、聞いたことがありますが、なるほど茂彦さんの故郷あたりだったのですね。
後醍醐天皇もそこを通られたということで、そちらの方も合わせて見られたら最高です。
流人の島というイメージしか湧かなかった隠岐の島は実は杉が出雲大社に献上されたというか、横暴に取り立てられたので多いのです。
そして岩を中心とした絶景が各島にあって、想像もしませんでした。
行って本当に良かったです。
是非いらしてくださいね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2012年4月 7日 (土) 20:31

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