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2012年5月31日 (木)

奥山貴宏著『ガン漂流』3部作とガンについて

またまた、佐平次さんから紹介された本で、ある種の感銘を受けました。3冊とも一気読みでした。佐平次さん、有り難うございました。

『31歳ガン漂流』『32歳ガン漂流 エヴォリューション』『33歳ガン漂流 ラスト・イグジット』
著者は2003年1月に肺ガンの宣告を受け、2005年4月に33歳で亡くなった。
男の中の男、この人。
30歳も違うし、男性だし、もう全然住んでいる世界が違う。横文字の世界の人だ。PCなどの機械類、読む本、観る映画、聴く音楽、趣味など180度くらい違った世界の、私からは宇宙人的存在の人。
書いていることが大変なのだけど痛快。愚痴っぽくなく、同情を買うような所が皆無である。お金の使い方もスマートというかどうなっているのだろう。自身が所帯を持っていないからだろうか。生活に美意識があってどんなにみじめな健康状態になっても崩さない。千葉敦子に通じるところが多い。
「朝目覚めて虫になっていないだけ感謝すべきだろう」これは苦しい体験の中での究極の表現で涙が出てしまった。若かったので病気の進行は早く、ガンの攻撃は大である。
最後には半年かからずに小説を書きあげた。家での凄まじい闘病生活の合間に皆に内諸で。それは死語4日後に発売された。
どんなに苦しくても息が止まるまで1字でも書きまくるぞという、書くことへの執念が凄い。
だから内容の濃い闘病生活が送れたのか。こうしたもの持ってない人は読書やテレビを観るだけ、これだけでは生きる意欲はだんだん失われ、でも死にたくないとも思い、廃人のようになっていくだけ。

それにしてもガンの治療は1980~90年代と様変わりした。あの頃の友人たちなどの抗がん剤による苦しみは相当のものだった。
現在は質の違った苦しみになっている。しかし抗がん剤と放射線治療は一時的に腫瘍を小さくするものの、その副作用は計り知れなく大きく、人によっては治療は実験ですらあるのだ。
今、[ガンには治療を何もしないで、最期だけホスピスが苦しまない]という内容の類の本※が出ていて共感している。でもこの著者は自分の生き方に反しているので、ホスピスにはかなり否定的。
又、ガンはどうやら最初から治るものとそうでないものの2種類でそのどっちかだと説く医者の本も出ている。奇跡的にガンから生還したという人は所詮治るガンだったというのである。
さはありながら、身内や友人のケースは千差万別、人それぞれではっきりこうあるべきと言えない。自分としてそうした事態に際して方向性を掴んでおけばいいと、この本を読んで改めてガンに対して覚悟を決めるよすがとなった。実際にはもう目も当てられないくらい右往左往するのだろう。
ガンの医療費は高い。検査1つが5万円もするのがあるらしい。そんな検査を数種類、何度も何度もである。入院治療も莫大なお金がかかる。まあ、そんな心配してもしょうがないので、その時はその時です。
※『大往生したけりゃ医療とかかわるな』=死ぬのは「がん」に限る。ただし、治療せずに

                  富山土産 富山といえば白エビとホタルイカが名物です。
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2012年5月28日 (月)

伊豆の踊子』と天城山

2012_05270002  『伊豆の踊子』を久しぶりに読み返してみました。 どんな事情かわからない旧制高校生が、伊豆へ独り旅に出た。そこで旅芸人達に出会い、14歳の踊子に密かに心惹かれ、一緒に天城峠を越え下田に下りた。
旅芸人たちは差別され、悩みや苦しさを抱えつつも 明るく快活に生きている。接するうちに自分の心がほぐされ癒されていく。一行と別れ船の中で青年はぼろぼろと涙を流し、人からの好意も自然に受け入れられるようになる。
他に天城に関係するものに、松本清張の小説、石川さゆりの歌の『天城越え』もありましたし、天城山心中もありました。

主人公や旅芸人が風雨の中を歩いて越えた天城峠の雰囲気を味わいたく、天城山の万三郎岳(1406m)と万二郎岳(1299m)に登ってきました。
天城山は百名山のひとつだが、天城山という山はなく、伊豆半島の最高峰・万三郎岳(1406m)を中心にした天城連山の総称である。東西15km、南北40kmあるという。

                                    伊豆へ向かうバスからの富士山
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                                   最初はブナやヒメシャラの林が続く
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そして頂上までアセビ(ツツジ科)だらけ。アセビというのは、花のあとに赤い新葉が出て花が咲いているようできれいだ。
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それと同じように多いのがコウモリソウ(キク科コウモリソウ属)。葉が蝙蝠が羽を広げているような形。8月頃面白い花が咲くというがまだ見たことがない。

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       やがてアマギシャクナゲが咲いているのがぽつぽつと見えてくる
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            4枚の葉が輪生するすツクバネソウも咲いていた
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万三郎岳も万二郎岳も頂上には展望がない。というのも森林限界を超えてないからである。
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                   頂上
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      天城山は屋久島ほどでないにしても、じめじめして苔だらけであった
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重い荷物を持って下駄などで装備が十分でないのに、長い山道を行くのは旅芸人ならでも大変だったでしょう。今は道路が貫通しあっという間に峠を越えて下田に到着です。




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2012年5月25日 (金)

大野更紗著『困ってる人』

Photo 難病といえば、筋委縮性側索硬化症で瞬きだけが意思表示で、文字を打っている方が映し出されたことがあります。
この本は恐ろしい難病に向き合っている若い女性の話である。
400もあると言われる難病の中で、国指定難病には130種類あって、大野さんのは90番の「皮膚筋炎」と番号のない「筋膜炎脂肪織炎症候群」との併発のようだ。
大野さんは難民を支援し研究していた大学院生の時、2008年に、突然わけのわからない重病にかかって難病の病名が特定されるまで医療難民になってしまった。
なんでも免疫システムが勝手に暴走し、全身に炎症を起こす、自己免疫疾患だそうだ。
現在もステロイドをはじめ30錠の内服薬、何十種類の薬によって安静状態で最低限の行動を維持しているという。そして薬の及ぼす深刻な副作用ともたたかっている。
かくして心身、居住、生活、経済的問題、家族、存在にかかわるすべてが、困難に変わり、毎日、毎瞬間、言語に絶する生存のたたかいである。
私は大腸がんの検診が恐ろしくて、しつこく言われて以来健診に、ここ2年行ってないという臆病者である。
ところが大野さんの病名特定までの1年間の検査は壮絶だ。そして大変な入院治療。そんなとき将来への絶望で重度の抑うつ状態から精神的錯乱状態に。
いろいろあって9ヶ月後家出、つまり退院して病院のそばに居を構えた。
大野さんのブログによれば、難病者の立場から医療の在り方などについて発言し、車いすで様々なトークに出演しているようだ。
それにしても難病の原因は何なんでしょう?

「ほぼ前例のない難病」という悲劇を笑いと勇気に変換した傑作エッセイ!
悲惨な状態をユーモアたっぷりに書いていて苦笑さえさせられ、こんな人が世の中にはいるのだと驚嘆しました。この間は沢田夫妻にも驚いたのですが。。。

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                    ヒオウギガイ(桧扇貝)

隠岐の島で、船が出航するのを待つ間、この貝に絵を描きました(あまりにへたなので人に見せられない)
昔、公卿や殿上人が用いた優美な桧扇に似ているので付いた名で、世界中で最も色彩豊かな二枚貝。
貝殻の色に、赤、橙、黄、茶、紫がありました。

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2012年5月21日 (月)

軍艦のような荒船山

昨日からの天気予報であきらめていた金環日食を、今朝7時半を回ってから見ることが出来て感激です。手に入らないメガネを思いがけずお隣の奥様にお借りしてでした。
次の時は命がないので本当に良かった!小学校入学時?だったか下敷きのようなもので見て以来です。あのときはもっと暗くなったような気がしましたが実際はどうだったのでしょう。木に蛇がぶら下がっていたのが印象的でした。

                    荒船山(チラシより)
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昨年、ごつごつした妙義山に登りましたが、同じ妙義荒船佐久国定公園の名峰で特異な恰好の気になっていた山・荒船山(1423m)に登ってきました。
高崎や前橋方面から見ると山頂が平らで荒海に浮かぶ軍艦のように見えることから荒船山と名前が付いたそうで、急行を停車させようとした荒船清十郎と関係あるのかと思っていたのは間違いでした。
この山は「クレヨンしんちゃん」の作者・臼井儀人が2009年9月に落ちて亡くなったことでも知られる。

                   バスから見えた荒船山
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荒船山というのは↓のような構造になっている。平らな部分「艫岩(ともいわ)」が1.5km も続いていてその先に経塚山(1423m)があり、合わせて荒船山という。山の1番下は火山噴出物で次の層が湖の地層でその上に荒船岩石が乗っているというのが垂直方向の構造だ。
Photo_3大岩壁・艫岩は高さ200mもあって下を覗くと垂直だからかなり怖い。臼井氏は覗きこんで夢中になって写真を撮っていて、誤って滑落したらしい。
                       艫岩から
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                        覗きこむと
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                   さらに高い岸壁が横にある

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艫岩の上は岩が剥き出しに見え、岩の上を1.5km歩くのかと思っていたが、実際はこんな樹林帯である。まだ芽生えたばかりの木々の緑が目に優しく続く。チラシの写真をよく見るとうっすらと木が見えるではありませんか。長い年月の間に土が堆積して木がはえたのであろうか。
つくづく地球の活動に感じ入った次第です。
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                       経塚山頂上
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この山には驚くほどのフモトスミレが群生していた。
                      エンレイソウ
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                         リンドウ
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                        ネコノメソウ
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        ミヤマキケマンが着生ランのように古木から垂れ下がっていた
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              麓近くの荒船不動尊 無事の登山を感謝した
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                 振り返って見えた経塚山(左)
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お土産に買った「焼きネギ味噌」が絶品。試食した数々のコンニャクも忘れられない味でした。
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2012年5月18日 (金)

欄間

桂離宮や修学院離宮を見学してから、いろいろな建物を見学するときに、床の間や欄間や襖絵を見るのが楽しみになりました。
出窓だけはたくさんある、建て売り住宅の我が家は床の間も欄間も縁がありませんので、憧れるわけです。
この欄間ですが、
日本家屋の天井と鴨居の間にあり、採光や通風、装飾を考えて作られたものだが、植物の本にラン(蘭)に関係があるとありました。
蘭の香りが隣の部屋にも届くようにということから名付けられたとも言われる。字は違うけれど。
今まで蘭は無臭か中にはいやな臭いのも出会っていますが、調べたらよい香りの蘭もあるのでした。
フウラン、カンラン、ナゴラン、中国シュンランだそうです。欄間を通して香ってくる蘭に会いたい!

寺院の欄間の彫刻に登山で出会いました。
欄間は格子や障子、透かし彫りの板がありますが、装飾板自体を欄間と呼ぶこともあり、凝ったものは寺院や高級木造住宅に欠くことが出来ないものであり、生産地は仏具の生産地に多いそうだ。
行った山は、青梅にある御岳山の線路を挟んで反対側の高水三山(高水山・岩茸石山・惣岳山)で800mに満たない山です。

        その高水山頂手前の常福院の欄間彫刻が豪華で驚きました
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                  今、山は新緑が素晴らしい
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              岩茸石山頂は眺望がよく新緑がまばゆい
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  樹林帯にはたくさんのミミガタテンナンショウが耳をたれて出迎えてくれた
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2012年5月14日 (月)

江戸・東京地名の話

ローカルな話ですが、
母校同総会の講演『江戸・東京の地名の話』を聞きに行ってきました。
2012_05120001 同総会の会場に入る前、何十年ぶりに構内に入らせてもらったら、正面突きあたりに校歌の歌碑がありました。
数日前に<日本・心の歌>で正憲皇太后の「金剛石」を聞いた時の歌詞に少し似ています。「金剛石も みがかずば 玉の光は 添わざらん・・・」。それも道理、校歌も皇太后から下賜されたものだったとのことでした。
玉も鏡も磨かなければ何もならない。学問の道も同じだ。ということで
学生時代もこの校歌の自覚なしに過ごし今日を迎えてしまったことを、今更反省しても遅かったです。もう少しまともな人になっていたでしょうにと。

「江戸・東京地名」の話では興味深い話を聞くことが出来ました。
江戸(エド)の江は水や川の事、戸は処。「水とか川のある所」「川の水が海に入る所」の意であった。
家康が武蔵国豊島郡江戸庄に入り江戸となり、明治新政府が江戸府とし、すぐ西の京(京都)に対し東京府とする。明治22年に東京市とし、昭和18年東京都に改変した。区も15から35、昭和22年に23区となった。
先生作成の1600年頃の地図を頂いたが当時の地名に特徴があるし、今も残っている。
下町は島が住むのに都合がよかったそうで、湯島、向島、三河島、牛島という名前が残る。
山の手は高台のことで、高い所より谷や窪地に水があるので住むのによかったので、谷(や)澤がつく地名が多い。
日比谷、市ヶ谷、四ツ谷、千駄ヶ谷、渋谷、富ヶ谷、幡ヶ谷、阿佐が谷、世田ヶ谷、祖師ヶ谷
奥澤、深澤、駒澤、北澤、荻窪

中央線に「御茶ノ水駅」があるが、「お茶の水駅」とばかり思っていた。
「オチャノミズ」はJR御茶ノ水駅辺りの場所の事であるが、地図にも「オチャノミズ」という行政上の町名がないから不思議である。
明暦(1655~1657年)の地図に今の御茶ノ水駅の濠端に2つの池が描かれ「御ちゃノ水」と注記してある。将軍秀忠に献上された高林寺の湧水の可能性が高いという。これが起源のようであるが町名はない。
「オチャノミズ」は交通機関の用語だけでなく、信号機や郵便局やビルや店の名称に使われている。
御茶ノ水、お茶の水、御茶の水、おちゃのみず、おちやのみず、Ochanomizu、都庁で配っている中国語版地図では御茶之水となっているそうだ。
帰りに見てみると郵便局では二通り書いてあったし、橋の名前として右側には「おちゃのみずはし」、左側には「お茶の水橋」と書いてあるのが面白い。
日本の地名は2億もあるという。そのせいでもないでしょうが、日本の町は世界で1番わかりにくいと言われている。

                  クサノオウの草原(飯能にて)
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                   スイバとハルジオンの草原
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                    ハルジオンの開きかけ
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                    シオデの花の咲き始め
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                       ウシハコベ
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                   ニホンカワトンボでしょうか
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2012年5月11日 (金)

ジャケツイバラ

連日のように、にわかにかき曇って雷雨、突風そして竜巻を心配する今年です。
そんな翌日は春なのに富士山が見えます。
そうかと思えば、活断層があちこちあると報道され、地震を恐れ、太陽が弱まっていると聞けば氷河期が来るのかと恐れ(実際には小規模の氷河期らしい)、昨年からずっと不安をあおられる日常です。
今年はモッコウバラも異変ありです。花がパラパラと落下せず、そのまま茶色に枯れていき、とても見苦しいのです。

お寺(万葉植物園)のジャケツイバラがGWの頃花を咲かせます。今年は少し遅れ気味で今です。
ジャケツイバラ(蛇結茨 ジャケツイバラ科) ぶら下がっている赤いのが蕊で花弁は5枚ある。1枚が小さくて赤い筋が入っていた。大きな蜂がたくさん群がっていた。
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                  葉がニセアカシアに似ている
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                     棘が大きい!
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       下から覗く人が刺さらないように棘の先を切ってくださっていた
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ナニワイバラ(浪速茨 バラ科) 同じ時期に咲くこちらのイバラもよくよく見ると棘だらけだ。
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エビネ(ラン科)これぞ日本原産。根がエビに似ているそうだが検索して見るとなるほどだ。
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           ハッカクレン(八角蓮 メギ科) 今年もまた咲きだした
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ヘラオモダカ(オモダカ科) 葉がへら型。咲いて間もなくは蕊が緑色、開くと黄色になる。まだ緑色だった。花期は7~8月というがもう咲いていた。あまりに早くて間違いないだろうか。
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仲間のオモダカは葉が矢じり型。沢瀉(オモダカ)は日本十大家紋のひとつだとか。
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ハコネシダ(ホウライシダ科) 寺の万葉の案内にはハコネシダが「にこぐさ・うらぼし科」として万葉集に載っていることが記されている。万葉集には「にこぐさ」の歌は四首載っている。ホウライシダ科とウラボシ科の違いがあるが、かつては殆どのシダがウラボシ科だったそうで、この立て札もかつてので表しているのか。
        蘆垣の 中の似児草(にこぐさ) にこよかに
              我れと咲まして、人に知らゆな
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          葉の先端の丸くみえるものはソーラス(胞子嚢)だそうだPhoto_14
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エニシダ(金雀枝 マメ科エニシダ属) 似ている花にムレスズメやキングサリやセンダイハギなどがある。
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         ホオベニエニシダ エニシダの園芸種で花びらの脇が赤い
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2012年5月 8日 (火)

古庄弘枝著『沢田マンション物語』ー2人で作った夢の城

Photo_6 『ミドリさんとカラクリ屋敷』を読んだ時に佐平次さんから薦められ、面白くてあっという間に読んだ本。

帯に「設計から土木工事まで、100年マンションを独力で造った夫婦の驚愕。痛快ドキュメント。型破り夫婦の夢の城とは」とある。
裏の帯には
・JR高知駅から車で10分、沢田マンション5階建85室
・ワンルームから7LDKまでタイプ多数。全室間取りが別
・礼金、更新料なし。家賃は入居時のまま据え置き
・住人による室内改造可
・5階まで上がれるスロープあり。屋上は野菜畑と水田
「人間として生まれた以上、どれだけのことができるのか試してみたい」と、誰の助けも借りず、二人だけで建てたマンション。

私には巨大としか言いようのないマンションを二人だけで建てただけでもびっくりなのに、建てるまでの二人の人生には並々ならぬものがある。
夫の沢田嘉農さんの人生もさることながら、妻の裕江さんの生い立ちから13歳で結婚した後の人生は驚きの連続。20歳で1人で1戸建てを建ててしまった。
チェーン・ソーで1人で樹木を切り出し、井戸の穴掘りで10mも掘り下げるなんて女性が!と驚く。
家事を一切しない夫のくつろぐ夜も夜半まで家事育児をする。造反して家出したのは1度だけ。気の短い夫はすぐ物を投げつけたという。
数度のお産でも翌日から働いたそうで、その結果2度も死の淵から帰還した。
2,003年に嘉農さんは亡くなったが、そのあとも3人の娘さん夫婦とマンションを増改築し、忙しくも楽しい、工夫に満ちた人生を送っている。
とても読んでいて楽しい本でした。佐平次さん、有り難うございました。

ツリガネスイセン(釣鐘水仙 ユリ科シラー属)の蕾が奇妙だ。我が家のは葉が細くて全部寝てしまっている。おまけに強風で倒れ気味。
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2株のヒメフウロが1,5mに広がって猫の通り道を塞ぎ、律儀にも猫たちが回り道しているのがおかしかった。
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2012年5月 5日 (土)

伊勢・南紀めぐり(3)

熊野川沿いの山々には山藤が咲き始め、芽吹いた新緑の木々の中に黄色い花を咲かせた木が多い。スダジイの雄花なのでしょうか?関東だったらコナラの独特の緑が際立つところなのですが。

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↓ 熊野川は美しい色だ。山の所々に台風で木が倒され流されてしまったあとが見られる。
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白浜

バスは熊野道・中辺路に平行した道を白浜へ向かって大きな田辺湾に出た。沖縄のように美しい海の色がなかなかの感動もの。

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↓ 化石漣痕が連なっている。漣の痕跡で波の化石。ここ白浜の化石漣痕は国の天然記念物になっている。
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円月島 島の中央に月の形をした穴(海蝕洞)がある。まだ夕日が沈むのに間があり、逆光で島が真っ黒。
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行幸芝(みゆきしば)の碑  宿泊したホテルの敷地隣りにある。飛鳥時代の斉明天皇が湯治のために滞在された行宮跡。斉明天皇が甥の有馬皇子が白浜のこの温泉で病が癒えた話に心ひかれ、中大兄皇子と2ヶ月滞在した。
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          三段壁 千畳敷の海岸にそそり立つ高さ50mの断崖
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↓36m下がった地下の三段壁洞窟は熊野水軍の舟隠し場であった。平家方だった弁慶のお父さんが弁慶の頼みで、神意を占ったら源氏にと出たので、源氏に味方したら勝利したという。
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        ↓潮吹き岩 下方に穴があいているため海水が吹き上がる
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                        ↓模型
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                         ↓アロエ
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                       ↓分からない花
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高野山真言宗総本山・金剛峯寺 世界遺産
山奥深く海抜900m の大盆地に到着しました。嵯峨天皇より賜ったこの地に弘法大師が816年に開創した。117の寺と20万基以上の墓が並んで、にぎやかな町の様相で驚く。
豊臣秀吉が建てたそうで、襖が立派で、豊臣秀次自刃の間が痛々しくうつる。
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                ↓蟠龍庭は日本最大の石庭だそうだ。
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                      ↓大きなかまど
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                  ↓桜が丁度見ごろだった
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                 ↓精進料理のナスが絶品だった
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図らずもこの地の世界遺産を大体見ることが出来ました。原始の森を背後に聖域は神聖で、海側は奇岩や白砂や島が多く、あくまで明るく輝く和歌山でした。
新大阪に出たので、関空への橋や淡路島、PL教団の白い塔、通天閣や道頓堀、梅田駅界隈などバスから見ることが出来、いつかここでたこ焼きなども食べてみたいと思いました。



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2012年5月 3日 (木)

伊勢・南紀めぐり(2)

名古屋を出てからこの日(25日)はずっと黄砂で辺り一面霞んでいたのには驚きました。黄砂の降る地域はたまったものではないですね。中国のいろいろな地域は映像では黄砂だけでなく汚染された空気でもっと凄く、全然改善さないようで、かの地の民は我慢強いというか。
さて、旅は潮岬や熊野三山を巡ることになり和歌山県に入りました。まだ足を踏み入れたことがない和歌山県でしたので、感慨深いものがありました。国内で行ってないのはあと宮城県だけになりました。
三山には熊野という名前が冠せられているのに、熊野市は三重県で、三山は和歌山県にあります。
宿泊が串本で和歌山県の南端へ。

●串本の橋杭岩
串本から大島を眺める海岸に、大島に向かって大小40余の奇岩が連なっている橋杭岩(弘法大師の未完成品という伝説がある) 右に少し見えるのが大島。明治時代にトルコのエルトゥールル号の遭難事件で島民が必死の救援活動を行った。

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     大島の本土から向かって右側は本土と橋で結ばれた。奥が潮岬方面。
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        ↓鯛島(鯛の形をした島。目に当たる部分に穴があいている
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潮岬 本州最南端
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                       ↓潮岬灯台
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↓トベラの花がたくさん咲いていて、ジャスミンのようなよい香りが漂っていた。
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                      ↓タツナミソウ
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熊野三山> 世界遺産。御祭神は三山共に共通する「熊野十二所権現」と呼ばれる十二柱の神で、主祭神は三山で異なる。十二柱の神にはそれぞれの本地仏が祭られているそうだ。たとえば天照大神は十一面観音。
平安時代に宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の「熊野御幸(みゆき)」が百余度に及び、その後老若男女大勢の人々が、現世浄土を求めて、競って参詣し「蟻の熊野詣」と呼ばれた。
京都より大坂に出て海岸沿いを通り、田辺より山中の道に入り、本宮に至る行程が「中辺路(なかへち)」と呼ばれ、熊野古道のメインルートの参詣道となつていた。後鳥羽院、藤原定家、和泉式部などが歌を残している。

那智の大滝・熊野那智大社・那智山青岸渡寺  串本から少し北上した那智勝浦にある。
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↓昨年の台風で無残にも滝壺から川へと木がなぎ倒され、1年経ってもまだこんな状態だ。今年も1昨日来の大雨でひどいことになっているようだ。熊野一体の山々のあちらこちらと台風の爪後の土砂災害で荒れ果てていた。
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↓那智山青岸渡寺 インド僧・裸形上人が那智の浜辺に流れ着いて大滝の滝壺から観音像を見つけ出し、庵を結んで安置したのがはじまり。西国第一番札所で織田信長の焼き打ちあい、豊臣秀吉により再建された。
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                ↓青岸渡寺の三重塔と那智の大滝
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    ↓熊野那智大社 主神はイザナミノミコト。青岸渡寺と隣り合っている。
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 ↓八咫烏 三本脚のこのカラスが神武天皇を熊野から大和へと導いたとされる
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熊野速玉大社
熊野川が三重県と和歌山県の県境で和歌山県側すぐの所、新宮市に熊野速玉大社はあります。主神は速玉大神(イザナギノミコト)と夫須美大神(イザナミノミコト)。
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↓ 国の天然記念物「梛の木」 平重盛(清盛の長男)のお手植えと伝わる古木。熊野詣の際持ち帰ったとされる神木。
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熊野本宮大社 熊野速玉神社の所から熊野川沿いに上っていく
熊野三山の中心で全国の3,000社以上の熊野神社の総本宮。主神はスサノオノミコト。
お参りする順番があって、まず真中のスサノオノミコト、次が左手の二殿のイザナギミコト、イザナミノミコト、3番目が右手の天照大神と決まっている。
写真撮影禁止だが、朱塗りでなくて桧皮葺の落ち着いた社殿で、千年の長きに渡って人々が祈ってきた、荘厳な雰囲気に包まれる。隠岐の島の神社と同じく実に印象的であった。
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                       ↓熊野古道
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                         (つづく)







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