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2012年5月 3日 (木)

伊勢・南紀めぐり(2)

名古屋を出てからこの日(25日)はずっと黄砂で辺り一面霞んでいたのには驚きました。黄砂の降る地域はたまったものではないですね。中国のいろいろな地域は映像では黄砂だけでなく汚染された空気でもっと凄く、全然改善さないようで、かの地の民は我慢強いというか。
さて、旅は潮岬や熊野三山を巡ることになり和歌山県に入りました。まだ足を踏み入れたことがない和歌山県でしたので、感慨深いものがありました。国内で行ってないのはあと宮城県だけになりました。
三山には熊野という名前が冠せられているのに、熊野市は三重県で、三山は和歌山県にあります。
宿泊が串本で和歌山県の南端へ。

●串本の橋杭岩
串本から大島を眺める海岸に、大島に向かって大小40余の奇岩が連なっている橋杭岩(弘法大師の未完成品という伝説がある) 右に少し見えるのが大島。明治時代にトルコのエルトゥールル号の遭難事件で島民が必死の救援活動を行った。

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     大島の本土から向かって右側は本土と橋で結ばれた。奥が潮岬方面。
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        ↓鯛島(鯛の形をした島。目に当たる部分に穴があいている
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潮岬 本州最南端
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                       ↓潮岬灯台
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↓トベラの花がたくさん咲いていて、ジャスミンのようなよい香りが漂っていた。
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                      ↓タツナミソウ
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熊野三山> 世界遺産。御祭神は三山共に共通する「熊野十二所権現」と呼ばれる十二柱の神で、主祭神は三山で異なる。十二柱の神にはそれぞれの本地仏が祭られているそうだ。たとえば天照大神は十一面観音。
平安時代に宇多法皇に始まる歴代法皇・上皇・女院の「熊野御幸(みゆき)」が百余度に及び、その後老若男女大勢の人々が、現世浄土を求めて、競って参詣し「蟻の熊野詣」と呼ばれた。
京都より大坂に出て海岸沿いを通り、田辺より山中の道に入り、本宮に至る行程が「中辺路(なかへち)」と呼ばれ、熊野古道のメインルートの参詣道となつていた。後鳥羽院、藤原定家、和泉式部などが歌を残している。

那智の大滝・熊野那智大社・那智山青岸渡寺  串本から少し北上した那智勝浦にある。
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↓昨年の台風で無残にも滝壺から川へと木がなぎ倒され、1年経ってもまだこんな状態だ。今年も1昨日来の大雨でひどいことになっているようだ。熊野一体の山々のあちらこちらと台風の爪後の土砂災害で荒れ果てていた。
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↓那智山青岸渡寺 インド僧・裸形上人が那智の浜辺に流れ着いて大滝の滝壺から観音像を見つけ出し、庵を結んで安置したのがはじまり。西国第一番札所で織田信長の焼き打ちあい、豊臣秀吉により再建された。
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                ↓青岸渡寺の三重塔と那智の大滝
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    ↓熊野那智大社 主神はイザナミノミコト。青岸渡寺と隣り合っている。
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 ↓八咫烏 三本脚のこのカラスが神武天皇を熊野から大和へと導いたとされる
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熊野速玉大社
熊野川が三重県と和歌山県の県境で和歌山県側すぐの所、新宮市に熊野速玉大社はあります。主神は速玉大神(イザナギノミコト)と夫須美大神(イザナミノミコト)。
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↓ 国の天然記念物「梛の木」 平重盛(清盛の長男)のお手植えと伝わる古木。熊野詣の際持ち帰ったとされる神木。
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熊野本宮大社 熊野速玉神社の所から熊野川沿いに上っていく
熊野三山の中心で全国の3,000社以上の熊野神社の総本宮。主神はスサノオノミコト。
お参りする順番があって、まず真中のスサノオノミコト、次が左手の二殿のイザナギミコト、イザナミノミコト、3番目が右手の天照大神と決まっている。
写真撮影禁止だが、朱塗りでなくて桧皮葺の落ち着いた社殿で、千年の長きに渡って人々が祈ってきた、荘厳な雰囲気に包まれる。隠岐の島の神社と同じく実に印象的であった。
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                       ↓熊野古道
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                         (つづく)







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コメント

いや~懐かしいです。それにしても写真が綺麗ですね。迫ってくるものがあります。
本州最南端の串本、那智大社、熊野大社、滝、青岸渡寺等懐かしく訪問した気持になりました。
よく調べられていますね。
熊野古道初め全体が世界遺産なのですね。
しかし広大な場所で自然そのものです。
それにこの辺は魚がおいしいですよ。海はどこまでも青くてきれいです。
白浜には日本一といわれる「とれとれ市場」もあります。


投稿: macchanny | 2012年5月 3日 (木) 19:42

★macchannyさま

macchannyさまからは近い所ばかりですね。
私の方も新幹線のお陰とバスで回れることでこんなに近くなりました。

何故、伊勢参りや「蟻の熊野詣」と言われるほど人々が何故お参りしたのか、その謎が少しでも解けたらと思って少しばかり調べてみました。
人々の信仰心は熊野の場合はまず日本のトップの御幸からだったのです。
キリスト教でもキリストだけでなくマリア様そして聖人たちへの信仰があるように、日本でも万の神への信仰があったのですね。
そして原始林の中のその環境はまさしく信仰心をそそります。御神体がたくさんあるような熊野です。
白浜の「とれとれ市場」大きいのでしょうか。海岸を少し歩いたのですが、違う所にあるのですね。
お刺身など美味しかったです。

投稿: tona | 2012年5月 3日 (木) 21:47

あと宮城県だけですか。
私の場合は、最後に残ったのは
岩手県と佐賀県でした。
ようやく数年前に全県周りました。

串本に行きましたのは、40年前でした。
その時はトルコの遭難船のことは知りません
でしたので、そこに寄ることはありませんでした。

熊野三山には行きましたが、怠けて熊野古道
は歩いていませんので、また行きたいと
思いながら余計遠くなってしまいました。

いつもながらの詳しい記事に当時を振り返って
います。

投稿: matsubara | 2012年5月 4日 (金) 08:20

★matsubaraさま

宮城県ですが、日帰りではあまり見られないし、一緒に行ってくれる人がいないので(国内のツアーは1人は食事の時寂しすぎます)、もしかしてずっと行かれないかもしれません。matsubaraさまはもうすでに全県踏破達成でいいですね。

トルコの遭難船のことは数年前に三鷹で展覧会をやった時にじっくり見る機会があり、改めて山田寅次郎や日露戦争勝利と相まってのトルコの友好関係を知りました。あの西欧世界の嫌われ者のオスマントルコと数奇な関係になったのも意外なことからですね。

熊野古道5つと大峯奥駆道があるそうで、厳しい道もあるそうです。往時の人は大変な想いで詣でたのですね。

投稿: tona | 2012年5月 4日 (金) 08:41

 伊勢・南紀旅行記、楽しく拝見しました。
 那智の滝、tonaさんが撮られた遠景ですと絵のような美しさですが、近くではこのような状態とは驚きました。自然のこととはいえ、心配ですね。
 巨樹の写真には息を飲みました。このあたりには多いんでしょうね。

 伊勢神宮、以前行った時は、遷宮後だったので、ピッカピカ。その時は、日本を代表する古社にしては趣が無いな、などと思いましたが、そのおかげで古代の建築様式がほぼ原形のまま保存されているわけですね。
 雅楽もそうですが、日本のように古代のものがそのまま伝えられているというのはほとんど例が無いようで、ほんとうに誇らしいことです。

投稿: Nora | 2012年5月10日 (木) 13:30

★Noraさま

去年の台風は十津川村あたりのダム貯水池のあの被害だけしか頭にありませんでした。熊野一体の山肌は荒れていて、那智の滝辺りはことにひどいようでした。1年経ってもまだ何も復旧してない状態のように見えますが、倒れた大木を除くだけでも大変だったのではないかと想像しました。

今回2度目にして遷宮の意味がわかりまして、それが古来の様式をそのまま伝えることに意味があったと知り、すべてに途絶えて欲しくない気持ちでいっぱいになりました。
しかし日本のいろいろな伝統技能は後継者不足で危うくなっているのが多いようですね。
滅びゆく生物を救うことと同じで絶えて欲しくないです。
神社の中に備える鏡など調度品のすべてに至るまで全部同じものを新しく作るそうで驚きました。

投稿: tona | 2012年5月10日 (木) 15:24

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