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2012年5月14日 (月)

江戸・東京地名の話

ローカルな話ですが、
母校同総会の講演『江戸・東京の地名の話』を聞きに行ってきました。
2012_05120001 同総会の会場に入る前、何十年ぶりに構内に入らせてもらったら、正面突きあたりに校歌の歌碑がありました。
数日前に<日本・心の歌>で正憲皇太后の「金剛石」を聞いた時の歌詞に少し似ています。「金剛石も みがかずば 玉の光は 添わざらん・・・」。それも道理、校歌も皇太后から下賜されたものだったとのことでした。
玉も鏡も磨かなければ何もならない。学問の道も同じだ。ということで
学生時代もこの校歌の自覚なしに過ごし今日を迎えてしまったことを、今更反省しても遅かったです。もう少しまともな人になっていたでしょうにと。

「江戸・東京地名」の話では興味深い話を聞くことが出来ました。
江戸(エド)の江は水や川の事、戸は処。「水とか川のある所」「川の水が海に入る所」の意であった。
家康が武蔵国豊島郡江戸庄に入り江戸となり、明治新政府が江戸府とし、すぐ西の京(京都)に対し東京府とする。明治22年に東京市とし、昭和18年東京都に改変した。区も15から35、昭和22年に23区となった。
先生作成の1600年頃の地図を頂いたが当時の地名に特徴があるし、今も残っている。
下町は島が住むのに都合がよかったそうで、湯島、向島、三河島、牛島という名前が残る。
山の手は高台のことで、高い所より谷や窪地に水があるので住むのによかったので、谷(や)澤がつく地名が多い。
日比谷、市ヶ谷、四ツ谷、千駄ヶ谷、渋谷、富ヶ谷、幡ヶ谷、阿佐が谷、世田ヶ谷、祖師ヶ谷
奥澤、深澤、駒澤、北澤、荻窪

中央線に「御茶ノ水駅」があるが、「お茶の水駅」とばかり思っていた。
「オチャノミズ」はJR御茶ノ水駅辺りの場所の事であるが、地図にも「オチャノミズ」という行政上の町名がないから不思議である。
明暦(1655~1657年)の地図に今の御茶ノ水駅の濠端に2つの池が描かれ「御ちゃノ水」と注記してある。将軍秀忠に献上された高林寺の湧水の可能性が高いという。これが起源のようであるが町名はない。
「オチャノミズ」は交通機関の用語だけでなく、信号機や郵便局やビルや店の名称に使われている。
御茶ノ水、お茶の水、御茶の水、おちゃのみず、おちやのみず、Ochanomizu、都庁で配っている中国語版地図では御茶之水となっているそうだ。
帰りに見てみると郵便局では二通り書いてあったし、橋の名前として右側には「おちゃのみずはし」、左側には「お茶の水橋」と書いてあるのが面白い。
日本の地名は2億もあるという。そのせいでもないでしょうが、日本の町は世界で1番わかりにくいと言われている。

                  クサノオウの草原(飯能にて)
Photo
                   スイバとハルジオンの草原
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                    ハルジオンの開きかけ
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                    シオデの花の咲き始め
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                       ウシハコベ
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                   ニホンカワトンボでしょうか
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コメント

有名女子大は皇族が校歌を作るのですね。
地方の国立大は校歌もないことに気づきました。
どう思い出してもありません。
高校はあったのに・・・

東京の宿泊はお茶の水の東京ガーデンパレスで
いつもそこで下車するのに私も「お茶の水」と
思っていました。駅の表示も見ていなかった
のですね。
「ノ」だったとは・・・
言われてみると、谷とか澤とかつく地名が多いですね。
父が地名に関心を持ち、分厚い地名辞典が
あるのに開いたことすらありません。

よい講演会がありましたね。

クサノオウは韓国で初めて見ました。
分からなくてネットで聞いて長年の疑問が
とけた植物です。とてもきれいですね。

投稿: matsubara | 2012年5月15日 (火) 09:32

★matsubaraさま

高校の校歌は勇ましく、また応援歌や壮行歌などたくさん歌いましたよ。
でもこの校歌は歌えません。You Tubeで聞いても何も思い出せません。
matsubaraさまのところは校歌がなかったのですね。そんなこともあるのだと初めて聞きました。
御茶ノ水駅の駅名を書けと言われたら書けませんでした。明暦時代のは漢字、カタカナ、平仮名を全部使って記しているのですね。
恥ずかしいことにカタカナが出来たのは奈良時代頃と知ってびっくりしている私です。
地名が2億もあるという国柄、お父様の地名辞典もさぞや厚いことでしょう。
東京ガーデンパレスではクラス会をやったことがあります。

投稿: tona | 2012年5月15日 (火) 09:55

こんにちは。
「金剛石も みがかずば 玉の光は 添わざらん」 わ、懐かしいです!
母が紙に書いて貼っていましたよ。私達子供への教訓にしたかったみたい。
母の意に反して全然学びが足りなかった私ですが。
歌ってくれたこともありましたっけ。このあと「人も学びて後にこそ まことの」
なんとかナントカと続くのではなかったでしょうか。

地名の講演をお聞きになられましたか。徳川家康が江戸に入った頃から
比べると、現在は大きく姿を変えているのですが、その変遷の中でも続いてきた
地名が過去へと誘ってくれるのが面白いですね。
去年の震災の後、古地図を求める人が増えたと聞いたことがあります。
かって谷や窪地だった所などを埋め立てた土地は液状化しやすいという
ことがあってのことだそうです。
私が住んでいるところも、旧地名とは随分違う印象の地名に変わっていますが、
こうした安全に関してに限らず、昔ながらの地名は残していくべき価値が
あるのではないかと思っています。

飯能ののっぱら、いいですね。お花畑になっていますね。
ハルジオンの開きかけ、私も先日撮ったところです。
クサノオウのこんな群生は初めて見ます。

投稿: ポージィ | 2012年5月15日 (火) 15:41

★ポージィさま、こんにちは。

まあ!お母様が「金剛石」の歌を教訓として貼ってくださっておられたのですか。
驚きました。私はこの間聞くまで全然知らなかったです。このあと、
「人も学びて 後にこそ、
まことの徳は 現るれ。
時計のはりの 絶間なく
めぐるがごとく、時のまも、
光陰(ひかげ)惜みて 励みなば、いかなる業か ならざらん。」
と1番が続くのですね。

水が今みたいにひねれば出る時代と違って、水を求めて人が低地に住んだ時代の名残もまた初めて知りました。
今ではそうした土地や、埋め立てた土地が意外な液状化に悩むなんて、江戸時代人が聞いたら驚きますね。
もうこれ以上地名を変えて欲しくないですね。都内でもまだたくさん残っているので、行政の方々には心して欲しいです。

かつて水田だった所がこのように雑草の花畑になってしまっているような感じです。
植物の世界もどんどん強いものの勝ちですね。
私はハルジオンの咲きかけは全く初めてで色が違うことを知りました。

投稿: tona | 2012年5月15日 (火) 16:13

お早うございます。
母校校化の歌詞「金剛石も磨かずば玉の光は・・・」ずしりとくる言葉でまさにtona様のブログのテーマですね。
毎日新しいことを学び発見出来たら、の精神そのものです。
何よりも素晴らしい環境で学ぶということの意義、有難さを感じますね。
私もこうしてブログで交流させてもらい、色々と教えて頂くことができ幸せです。

投稿: macchanny | 2012年5月16日 (水) 09:42

分かりにくさにはわけがあると思います。
人々が言い習わして来た地名をわかりやすくなんの意味もない地名に統合しないでほしいと思うのですが。既に手遅れですね。
旧地名を尋ねて歩きたいなあ。

投稿: 佐平次 | 2012年5月16日 (水) 10:13

★macchannyさま

校歌は五七五七七の短いものですが、歌詞だけで曲は全然覚えていませんでした。
同窓生はみんなこの歌を肝に銘じて活躍しています。
磨いてもあまりさえなくても、何か1つは持っているものですよね。それを磨いてこなかった反省ですが、これからは良く死んでいくための人生です。
私もブログを通して皆さまからたくさんのことを学ばせて頂いています。最高に良い時代に生まれ合わせたと感謝です。

投稿: tona | 2012年5月16日 (水) 14:37

★佐平次さま

日本の地名の難しさもなかなかいいものですね!
日本橋界隈や新宿区は今も素敵な町名が残っています。昔の東京市の部分ですね。
周辺郡部になると地形に関するもの(代田、高井戸、西ヶ原、忍ヶ岡、天沼等)や動物(烏山、鷺宮、練馬、羽澤等)、植物(井草、麻布、紅葉山、桐ヶ谷等)そして面白い坂(本も売っています)などがあって地名を見ているだけでも楽しくなります。歩いてみたいものですね。

投稿: tona | 2012年5月16日 (水) 14:59

みがかずば玉もかがみもなにかせん
学びの道もかくありけれ

 歴史の古い学校の校歌は重みがありますね。
何十年ぶりかの同窓会、いかがでしたか。
私の卒業した旧制中学も、明治33年の創立ですが、校歌も、確かに今の時代にはそぐわないような言葉がたくさんあります。

 新制高校になったとき、変わりましたけど、昔の言葉も沢山織り込まれています。
卒業生にとっては、同窓会で歌う校歌は、
何よりも懐かしい時代を思い出させるものです。

 東京の地名も歴史を探ると、それぞれに意味があるのですね。

 tonsさんの時代はもう新制大学でしたでしょう。大塚でしょう。

 私の長姉はおそらく前身の東京高師の時代だったでしょう。
鹿児島の女学校を卒業し、一人で親戚の家に寄宿し、通学していたと言っていました。
 そして東京で職につき、結婚し、ちょっとした病気で退職前に亡くなってしまいました。
子供がいませんしたから、一番下の私を可愛がってくれていました。
私のとっては、親よりも頼りになる姉でした。九州から出張の度に泊まっていました。
今でも私の前には、その姉の写真があります。

飯能あたりはまだまだ沢山の自然が残っていますね。
秩父に向かう旧道は野武士峠。昔々の時代劇に出てくるような杉林があります。

投稿: 夢閑人 | 2012年5月16日 (水) 19:50

★夢閑人さま

お書き頂いたように、和歌に節を付けた校歌でとても短いです。
言葉づかいが古いですね。
言っている内容を今になって知るようでは、私は誠に情けない卒業生と言えます。
同窓生はやはり年を召された方の方が多いです。皆さんしゃきしゃきされています。
演題からして、地理学科の方が世話をされていました。
夢閑人さんの旧制中学が明治33年創立とはかなり歴史ある学校ですね。
私は新制12回生です。茗荷谷で下車していました。
昭和7年には御茶ノ水から大塚に移転しています。
お姉さまは大先輩ですね。寮ではなく親戚に寄宿されていらっしゃったのですね。よく勉強されたでしょう。
退職前に亡くなられたそうで残念ですね。その時は寂しかったことでしょう。

野武士峠は知りませんでした。時代劇のような景色に出会いたいです。
この日は飯能の岩淵で下車し、散策しました。
有り難うございました。

投稿: tona | 2012年5月16日 (水) 20:40

おお!これは母校の校歌だったのですか。
我が家でも母が教えてくれましたよ?
当時人口に膾炙していたのでしょうか。
母は神戸の女子大ですが・・・。

父は時代的に「ああ玉杯に花うけて?」でしょうか。11年生だと・・?
歌う姿など見たこともない静かな人でした。
  酒煙草博打など一切無縁の紳士だったことが誇りです。

地名の話題に惹かれました。
蛍田というのが神奈川にありはしませんか?
先日の業平橋廃止も残念なことでした。

投稿: pinot | 2012年5月19日 (土) 22:38

★pinotさま

こちらにもありがとうございます。
日本の歌の方は「金剛石」ですが、校歌は「玉、鏡」に変わっていますが、内容は同じで和歌になっています。他にもいくつか和歌だけの短い校歌があるようです。

蛍田は小田急線の小田原の手前の駅名にあるのですね。あのあたりは各駅停車に乗らないので、知りませんでした。
今も田んぼに蛍がたくさん出るのでしょうか。いい名前の地名です。
業平橋廃止は殆どの人が残念に思っているようです。

投稿: tona | 2012年5月20日 (日) 09:17

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