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2012年6月28日 (木)

対馬・壱岐・五島(福江島)めぐり(3)福江島

長崎港を後にし、ジェットフォイルで1時間25分、90km離れた5つの主な島からなる五島列島の最も南西の島・福江島に着いた。人口約4万人で11番目の島。、
美しい海の色とビーチ、点在する教会、山海の幸、椿が象徴的と言えるでしょうか。また亜熱帯性の気候だそうでソテツやヤシ、シュロなどが生えている。

1つの地域が全員同じ宗教という面白い福江島だ。夕方到着して見学したのが堂崎天主堂
1873年(明治6年)に260年にわたる禁教弾圧が終わり、フレノ神父、マルタン神父が潜伏キリシタンの発見と指導に努め、島の各地に木造天主堂を建築、孤児・貧児収容所、独身女性の施設などを設けた。1888年ペルー神父が初めて洋風建造物として完成したのが堂崎天主堂だ。
パンフレットによれば、この天主堂は、長く厳しい弾圧を耐えぬいた五島キリシタン受難と勝利のシンボルであり、外国宣教師の愛と情熱、島における福祉事業と修道院の創立、さらに島民と西洋文化交流の歴史を語る重要な記念碑である。
島のカトリック信者は島によって異なるが8~25%とのことだ。
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           ↓聖ヨハネ五島                 ↓マリアさま
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                                  ナツズイセンに似ているが花びらが違う
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Photo_6ここにしかない玉之浦椿(パンフレットより)縁が白くて美しい椿だ。
福江島は椿が439万本あり、伊豆大島をも凌ぐという。
日本三大うどんの1つの(あと2つは稲庭うどん、水沢うどん又は讃岐うどん)五島うどんはこのツバキ油を使っているのでのどごしがなめらかだった。

椿製品を作っている椿茶屋は海水から手作りの塩を作っている
この茶屋で五島牛と海鮮の囲炉裏炭火焼を頂いた。壱岐牛と同じく五島牛のやわらかく何と美味しいことか。

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早朝、城址と武家屋敷通りを散歩した。
石田城(福江城)跡の中には県立五島高校が入っている。女生徒はひざ下10cmのスカート!国立大学をめざす生徒も多いそうだ。
島のある中学校は3年連続、全国ロボットコンクールで優勝しているとのことで、なかなか教育熱心な島だ。

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武家屋敷が残っている通りで、塀の上の小石が重ねてあるのは、襲われた時に石をすぐ投げられるようにということだそうで「こぼれ石」と呼ばれる。

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島の西部の玉之浦は深く入り組んでいて、暴風時には中国、台湾、韓国の船が避難する。

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              大瀬崎断崖 高さ100~150mの断崖が15kmにわたって連なる

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大瀬崎灯台は「日本の灯台50選」に選定され、日本の西端を航行する船舶の安全を見守っている。
この地にはロシアのバルチック艦隊発見「敵艦隊見ユ」を受信した旧海軍の望楼が設置されている。

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断崖のそばの井持浦教会にはフランスを模したルルドの洞窟があって日本最初の霊泉地。
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高浜ビーチ 日本一美しいと言われる。日本の渚100選・快水浴場100選(快い水浴場)。~100選っていろいろあるものだ。

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福江島は遣隋使・遣唐使の日本における最後の寄港地だった。遣唐使ふるさと館には関連する展示がある。
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2012年6月24日 (日)

対馬・壱岐・五島(福江島)めぐり(2)壱岐・長崎

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午前中に対馬見学して昼食に対馬の名物「ろくべえ」を食べ、壱岐島へジェットフォイルで渡る。
ろくべえとはさつまいもを原料とする珍しい、黒くて太くてちょっと短い麺です。さつまいものでんぷんを腐敗法で発酵させた「せん」に湯を注ぎ、戻して玉にして、麺押しだし器で押しだしたもの。弾力のあるプリプリした食感でとても美味しいうどんです。

壱岐は対馬と福岡のほぼ中間にあり、対馬の5分の1の面積。「魏志倭人伝」に、邪馬台国の支配下にあった一支国(いきこく)が存在したと記されている。
神社が多い島で神社本庁の登録されているだけでも150社もある(しかし一つも案内されなかった)。また遺跡や古墳が多く280もあるという。
春先に吹く南からの風を春一番と呼ぶが、壱岐市の漁師達が呼んでいたこの言葉が気象用語となったそうだ。

         1番最初に見学したのが島のシンボルとされている砲台跡

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次に見たのが猿岩 目の鼻も口も見える本当に猿そっくり。顔の正面側に廻るとただの特徴のない岩だった。
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焼酎工場見学では飲み放題だったのですが、度数が大きいので杯一杯がやっと。紫蘇と柚子のリキュールで口直しでした。
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               左京鼻にて だんだん雨が強くなってきた

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                    島は今アザミの花盛り
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はらほげ地蔵 はらほげとはお腹に穴があいているという意味で、六地蔵が満潮時に海に浸かっている。、鯨の関係者が鯨が良く捕れるようにとか、遭難した海女の冥福を祈るため、あるいは疫病が流行しないように祈るために造ったと言う説があるそうだ。
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原の辻遺跡 弥生時代前期から古墳時代初期にかけての大規模環濠集落を中心とする遺跡で復元されて、国の特別史跡に指定されている。
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夜には壱岐牛(とても美味しかった)を頂き、翌日博多へ出航する前、ウニ割り体験をした。特殊な道具でウニを割り、ウニを取り出し塩水で洗って食べた。殻の中には5切れ入っていることを知った。
壱岐の特産品の代表が麦焼酎、アスパラガス、ウニ、アワビ、イカ、マグロ、しいたけで真珠の養殖もしている。対馬と違って農業も盛んで水田があり、ハウス栽培もしている。
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3日目は壱岐から博多へジェットフォイル、更に長崎港までバスで移動。五島への船が出るまで1時間半もあったのでタクシーで長崎見物をした。
丁度50年前に長崎を旅行したけれどもすっかり忘れていた。残念ながら時間の関係でグラバー邸や大浦天主堂は見ることが出来なかった。

眼鏡橋 大水害(昭和57年だった)で半壊したことを記憶しているが、氾濫が起こらないように、両岸の地下に暗渠式のバイパス水路を設けることで解決したそうだ。琉球王国を除くと日本初の石造りアーチで重要文化財に指定された。
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崇福寺 1629年長崎に在留していた福州人たちが故郷の福州の僧・超然を迎えて造った寺。明末から清初期の南支様式で日本では唯一のもの。
  ↓三門(重要文化財)  ↓大釜(天和の飢饉のときに炊き出しをした釜)
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    ↓第一峰門(国宝)      ↓大雄宝殿(国宝)崇福寺の本堂
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丸山遊郭の「花月」は今は史跡料亭となっているが、幕末時には坂本竜馬などの志士たちの社交の場であった。シーボルトにまつわる歴史も残る。タクシー内からであまりよく撮れなかった。
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                オランダ坂 長崎は坂の多い町だ
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最後に出島をぐるっと外側だけ回ったが、あまりに小さいのに驚く。そしてまわりは埋め立てられてビルが建って絵にあるような当時の面影がない。

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2012年6月22日 (金)

対馬・壱岐・五島(福江島)めぐり(1)対馬

五島はともかく、壱岐・対馬が長崎県に属するとも知らず、また対馬は韓国へは約50㎞、九州本土には135㎞と韓国にかくも近いことも知らずに出かけました。
心配した台風には遭遇せず、2日目18日の対馬、壱岐が雨、3,4日目は晴れて無事帰ることが出来幸いでした。

17日福岡空港を経由して対馬空港に到着したのは午後4時半で、東京より日の暮れるのが45分も遅いので1箇所見学です。

和多都美神社 鳥居が5つ一直線に並んでそのうち2つは海中にある。満潮時には半分(2m)水に浸かるという。厳島神社のよう。
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命を祭る海宮で、古くから竜宮伝説が残されている。
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対馬は佐渡島、奄美大島に次ぐ3番目に大きな島だが、9割が山、耕地面積も宅地も1%であるため、漁業以外に産業もなく、若者も少なく、貧しくて生活が大変なのだそうだ。飛行場は山を削って滑走路を造り、国道はその下のトンネルを通っている。
若者がいないため、この日の面白いガイドさんも50代で最年少とのこと。人口は約34,000人。真珠、マグロ、アナゴの養殖が盛んで真珠は志摩に次ぐ。アナゴも全国的には長崎県が上位で、対馬産が9割を占めている。

1番大きな町の厳原には武家屋敷跡があって古びた石垣が続いている。
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上見坂展望台からの霊峰「白嶽」、神秘的な姿が古くから信仰の対象になっている。
そして山の向こうにリアス式海岸や浅茅湾が眼下に広がっているが雨もよいで霞んでいる

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2度にわたる蒙古襲来で対馬・壱岐は酸鼻を極める惨状を呈したと言われる、島西側の小茂田古戦場跡
1274年、900隻の軍船に分乗した元・高麗の大軍が侵攻した際には、守護代宗助国ら80数名は勇敢に応戦して全員戦死した。浜には記念碑が立ち、小茂田浜神社には偉霊がまつられている。
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椎根の石屋根 対馬でしか見られない珍しい建築物。島内で採掘される板状の鉄平石で屋根を葺いた、高床式の倉庫で50ほど残る。水田が見られたのはここだけ。

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お船江跡 対馬藩の御用船を係留した船だまりで、1663年の造成とされる。お船江を持つ藩は多いが、これほど見事に原型を留める例はまれで、近代史上貴重な遺構。
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万松院 対馬藩主宗家10万石の墓所。
百雁木と呼ばれる石段が続く
石段を登りきった所が墓所で花崗岩石塔群は日本3大墓地(毛利、加賀前田とともに)の1つ。
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歴史的には、神功皇后の三韓征伐、白村江の戦い後は日本国防の最前線となった。蒙古襲来、倭寇の暗躍、朝鮮王朝との戦争・交易、秀吉の朝鮮出兵、李氏朝鮮の外交窓口、日露戦争の海戦など、国防交易の最前線の島であり続けた。
観光で島を訪れ、風光明美な景色や美味しい魚介に舌鼓を打っている陰での、島の人たちの今もなお続く不便な厳しい生活を改めて知ったことでした。



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2012年6月15日 (金)

「浮世絵猫百景」「アンリ・ル・シダネル展」

Photo 2「浮世絵猫百景」が”国芳一門、ネコづくし。浮世絵243点に総勢2321匹!”ということで太田美術館で2期に分けて開かれている。
猫好きにはたまらない美術展でしょう。古今東西、犬と猫は最も身近な動物であるが、江戸時代の人々も特に猫はペットとして可愛がっていたのですね。今日では動画で様々な可愛い猫を楽しめますが。

絵を前にしてまず猫は何処だ?と見つけることになる。それは飼い主の胸や膝や足下に。着物の柄の中に。擬人化された猫たちはことのほか楽しい。そして恐ろしい化け猫も登場。猫人形も陳列されている。
こうした江戸時代の展示物には、いつも挿絵紹介で本が展示されるが、その崩し文字の難しいこと!庶民がこんな難しい字を読んでいたとは。西欧で読めない人のために聖書の内容を絵で表すということをふと思い出してしまった。

Photo_15 Photo_16  「アンリ・ル・シダネル」は損保ジャパン東郷青児美術館で開催されている。
最後の印象派とも称されるこの画家のことは知りませんでした。印象派の影響を受けているけれども、独自の画風を築いた人で、心象風景を思わせる独自の世界を築いた人。
まず明るく透明感がある。しかし画の多くに人影がないけど、存在を感じさせる。月明かりの淡い光の中の絵も多い。妙に感動して帰ってきました。

不思議なことに植えた覚えのない一重咲きのクチナシの花が一輪咲きました。実がなるか楽しみ。最近八重咲きのクチナシは虫にやられてダメになってしまったので嬉しい。
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17日から4日間、壱岐・対馬・五島列島へ行ってまいります。梅雨の時期を選んだのはミステイク、おまけに台風まで四国に来るようですが、国内なので何とかなるでしょう。

 

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2012年6月12日 (火)

『幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷』

Photo松浦武四郎は幕末から明治にかけて全国各地(九州から択捉島、樺太まで)を探検し、「北海道」の名付け親としても有名。
晩年は神田に住み、わずか1畳の書斎を、全国各地から取り寄せた古材を使って8年かけて造った。

この本には北海道の地図は「ケバ描法」で、緑色のケバで山の高さを示し、アイヌ語の地名をこまかく書き込んだものが掲載されている。
その他、自筆の文と絵の旅行メモ「野帳」、「蝦夷土産 道中双六」が差し挟まれている。
各地の動物の絵、趣味の篆刻、知人たちに絵や文章を書いてもらった渋団扇のコレクション(シーボルト、勝海舟、モース、市川團十郎などの名前がある)、古物収集品、そして一畳敷の写真がたっぷりと載っている。
150cmの小柄でありながら、北から南まで殆ど交通事情の違う時代に鉄の足と称された健脚に恵まれての旅は、その地の生活の中まで入っていったもので、言葉や博物学的な関心も強く、絵が挿入された日誌は大変興味深い。
晩年は一畳の書斎で過ごし、ある時はそこで寝ていたという、好奇心が強く面白い人で大変魅力的な人物です。

鴨長明の方丈の庵は3m四方。下賀茂神社内の河合神社の神官の子として生まれた鴨長明の庵が神社内にありました。長明はこの狭い空間で生活したわけですが、武四郎はこの一畳の書斎で日がな一日過ごし、時には人を招き入れ、夏には蚊帳を吊って、寝起きしたという。床の間と15cmの畳寄せにより、狭さを感じさせない。
昔から面白い、風流な人がいたものです。

新宿遊歩道公園 新宿歌舞伎町の裏手に200mくらいあるでしょうか、こんな緑道がありました。樹木が続いているだけで、そばの喧騒が嘘のように静かです。恐るべき緑の威力です。
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2012年6月 9日 (土)

ボストン美術館展と北斎展

今年も梅雨に入って、アジサイやドクダミが雨空にきれいに咲いています。
雨で嬉しそうなのが、ナメクジ、カタツムリです。
カタツムリをまだ見ていませんが、コンクリートの上を這いずり回っていますが、理由があったのですね。
背中に背負った大きな殻の成長に必要な石灰質を吸収するために、コンクリートを食べているのだそうだ。全然知りませんでした。

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会期も終わりが近づいた美術展のはしごをしてきました。
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『ボストン美術館 日本美術の至宝』展 於:東京国立博物館平成館 20分の入場制限があって激混み状態で疲労困憊で途中座り込む。体力がなくなったあー。
明治維新の混乱期を経て廃仏毀釈の後、西洋文化崇拝により打ち捨てられた日本美術を評価、紹介した人がアーネスト・フェノロサ。協力した人が岡倉天心。
そして当時二束三文で放り出されていた美術品をたくさん買って、アメリカに持ち帰りボストン美術館に寄贈したウイリアム・スタージス・ビゲローのコレクションの国宝級の品々も里帰りしたわけで、彼らのお陰でもしかして失われてしまった美術品が今日見られた。日本美術の恩人と言われる。

奈良時代の曼陀羅や平安時代の菩薩像、そして快慶の弥勒菩薩立象が逸品です。
そして今回の秀逸作品絵巻物2作品のうち「吉備の大臣入唐絵巻」はとても滑稽な絵巻でした。
中世水墨画、初期狩野派、長谷川等伯「竜虎図屏風」、尾形光琳「松島図屏風」
そして曽我蕭白の作品が何と11も紹介されている。中でもちらしにある「雲龍図」の凄い迫力に暫く離れられなかったのです。誠に有難い展覧会でした。

Photo_9 Photo_10次に向かったのが大好きな『ホノルル美術館所蔵・北斎展』於:三井記念美術館
今年は北斎の生誕250周年記念だそうで、前期、後期両方を見ることが出来ました。
ホノルル美術館は約1万点もの浮世絵を収蔵しているそうだ。
驚いたことにその半数以上はミュージカル「南太平洋」の作者ジェームス・A・ミッチェナー氏の寄贈で今回のもそうである。
デビューから亡くなるまでの70年に及ぶ画業(役者絵、肉筆美人画、読本挿絵、版画、漫画)と揃物の名品(富嶽三十六景、諸国名橋奇覧、諸国瀧廻り、琉球八景、詩哥写真鏡、百人一首うばがゑとき)を全部見ることが出来たのです。
湧き出るイマジネーションの泉は尽きるところを知らないと説明されていますが、行ったこともないところも素晴らしいタッチで描いてしまうし、あらゆる事物、姿態を漫画にしてしまうので大好きです。
中でも好きなのが「富嶽三十六景と裏富士シリーズ10枚」で<凱風快晴>と作りかけの樽の中の富士山<尾州不二見原>が気に入っています。というのは日本史の入試で「富嶽三十八景」と間違えて以来なのです。

6月7日に生まれ、1日たって1.3cmになった今年初めてのゴーヤの赤ちゃん
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2012年6月 6日 (水)

秘境の日本人妻

近くの空き地いっぱいにオオキンケイギクが咲いている。北アメリカ原産の帰化植物で、特定外来生物となってから植栽が禁止され、我が家でも捨てて久しい。

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チガヤも同じ空き地に穂を出し始めて賑やかである。こちらは清少納言の『枕草子』に「茅花もおかし」と書いて愛でている。古来いろいろな病気に薬として使われて大切にされてきたようだ。

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                  園芸種の花、初めてです。
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TV番組「世界の秘境に嫁いだ日本人妻」をどんな秘境に住んでしまったのかと興味深々で観ました。

・マサイ族と結婚
・ソロモン諸島の現地人と結婚して、3人目の子供がお腹にいながら日本食レストランを経営。ご主人は双子の面倒をみながらコーヒー園の仕事。
・ブータンの王族とも親しい名家に嫁いだ人
・南米チリ人と結婚し、荒野を開拓する、沢田夫妻のようなガッツのある元海外協力隊員だった女性
が紹介されたが、一番驚いたのがマサイ族の男性と結婚し、マサイ族の村に住んでいる松岡さん。
タンザニア大学で知り合った、知性的で優しくて包容力のあるマサイ族のご主人とタンザニアのサファリ旅行会社を設立して、仕事をしながら子ども育て、マサイの人々と交際し風俗、しきたりに融け込んで生活している。ただ家だけは泥の家でなく、5LDKの立派な家を建てて電気も引いてもらっている。
風俗習慣や考え方、育った環境の違いなどで、毎日生活を共にすれば、意見の食い違い、子どもの育て方の違いが多くなって喧嘩し、離婚になりかねない。
しかしこの日本女性たちは賢く利口で、心身ともに柔軟性があり、タフだ。
また自分の国へ迎え入れた男性もなかなか素晴らしい人たちではありませんか。どのカップルも命尽きるまで仲良く頑張って欲しい。

                     5/16のホオノキ
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2012年6月 3日 (日)

隅田川クルーズ~スカイツリー・ソラマチ

隅田川の桜を見た時に、今度はたくさんの橋をくぐって東京湾に出るクルーズをと思っていたのが、スカイツリー開業で賑わう頃となって実現しました。
浅草からまだ行ったことのないお台場まで直行にしようと乗った船が「ヒミコ」です。

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                 ↑ははっきりしないのでHPから
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漫画やアニメ界の巨匠・松本霊士がデザインした宇宙船のような「ヒミコ」の船内は同氏の「銀河鉄道999」のキャラクター・星野鉄郎、メーテル、車掌を船内放送に起用しています。
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わぁー、素敵と思う間もなく出発したのですが、お台場まで14の橋を楽しみに見ようという目論見が崩れてがっかりでした。というのも天井で覆われ、前方には運転席があって橋が振り返りざま、一部しか見られなかったからです。
船内から撮った画像は白っぽく、又青っぽくてきれいではなくてがっかりです。

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                築地市場は川に隣接していたのでした
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お台場海浜公園の自由の女神像 平成10年「日本におけるフランス年」を記念してフランスから1年間やってきたものが、好評につきレプリカで常設されています。
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再び浅草に戻り、浅草から1駅のスカイツリー駅で降りた。以前200mに満たない高さの時に撮影した橋から見上げてみる。
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                  真下に行って見上げる
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開店したソラマチはたくさんの店や水族館やプラネタリウムで、当然ながらもの凄い人出でした。何でも揃う人気スポットです。その一角にツリーの一番下の部分が見学できるコーナーが設置されていた。
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          スカイツリーへの循環バス「すみだ百景 すみまるくん」
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バスからスカイツリーが見えるように天井はガラス張り。お天気だと暑いけれど。
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午後7時半ごろのライトアップ。この日は紫色でした。青と交互だそうだ。
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