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2012年10月29日 (月)

世界記憶遺産

2012_10250411_2 炭鉱に生きる(地の底の人生記録)』山本作兵衛著

2011年5月に、585点の絵画や6点の日記が「世界記憶遺産」(世界記録遺産とも)に日本から初めて登録された。
ウィキペディアによれば、2011年の時点で268点だそうだ。こんなユネスコ世界遺産があったこともこの時に初めて知った。
アジアでは韓国が9点、中国が7点とだんとつで、欧州ではドイツが12点、フランスが7点など。オランダには「アンネの日記」がある。

この本は山本氏の人生そのもので、記録はとくにひどい明治末から大正初期までのものだが、7歳の頃から坑内に入りはじめ以後50年余も働き続けたヤマの記録である。
絵が好きだったのにそれも叶わない人生だったが、炭鉱を辞めてから孫たちにヤマの姿を残しておこうと、58年ぶりに描いたもので、9年間に渡った。習ったわけでない画法は独特で、実に生き生きしている。
私たち殆どが知らないもう過去の、地底深く漆黒の坑内で、カンテラの明かりのもとに石炭を掘り出し、運び出すさま、そして付随する生活が克明に記録される。世界の多くの鉱山でも同様に悲惨な過酷な作業であったであろう記録を、世界記憶遺産として取り上げられたのは当然であろう。
過酷な労働に対して払われる報酬はこれまた酷いもので良くも皆耐えに耐え生きてきたものと驚くばかり。
刺青、博打をしなくては男ではない。あまりの賃金の低さと子沢山のため、妻も女坑夫になって地底で働いた。帰宅すれば亭主は上がり酒、女坑夫には家事が待っていた。あの沢田マンションの奥さんのよう。比較する時代と内容は違うけれども。
何処の頁を開いても、書かれていることが茨の上を歩いているような壮絶な内容で絶句してしまう。栄養も良くなかったでしょうし、苦役の連続だったのに92歳まで生きていたというのも凄い。こんな先人の苦労の上に、現在の私たちの生活が成り立っていることは否めない。

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2012年10月26日 (金)

スロヴァキア周遊(最終回)

0001_2ガイドさんのお話
この国はサッカーも盛んのようですが、アイスホッケーが強い。タトラ山などの山は夏は登山・ハイキング、冬はスキーで賑わう。
共働きが多い。出生率は1.8 で中欧では高い。
団地の家賃は3~4万円。新築一戸建ては村では500~600万円だがプラチスラバでは1000~2000万円で住宅難だそうだ。
医者・弁護士・IT関係は過剰なので西欧へ流れている。
東部は農業しか産業がなく、東西格差があるとのこと。

[見学6日目] タトラ山地からトレンチーンへ

<ヴルコリニェツ> 地図③に位置する単独世界遺産の小村。標高718m。
1000m級の山脈が連なるファトラ山地の懐に佇む伝統的な木造集落で、中世から守り続けられてきた入母屋造りの平屋建て家屋が45戸並ぶ。ヴルコはオオカミの意味で、かつて周辺の森に狼が頻繁にあらわれたことが由来。
ヒノキやマキなどの薄板を使った柿葺きの屋根と漆喰を塗って仕上げた木の壁が特徴。防腐用にカラフルに塗られている。所々に木彫りがある。のどかに暮らす人はわずか19人。

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<レシュティニ> 世界遺産地図⑤木造教会群の(c)の福音派教会。地域の有力者のメシュカル家によって建てられた。Photo_16
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<チチマニー>
独特の文様が描かれた外壁を持つ伝統的住宅が並ぶ小村。中世から晴れの日に着た民族衣装の刺繍の文様を壁にハンドペインティングした。当時の部屋がそのまま家具・家財と一緒に残り博物館として展示されている。
同じ文様なのに一軒一軒、微妙に違った配置で面白い。カタツムリみたいに渦巻いているのが基調のようだ。
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[見学7日目・・最終日] トレンチーンからプラチスラバへ

<トレンチーン>
中欧における古代ローマ最北到達地点だったという、かなり重要だった場所。西暦179年(五賢帝のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝の時)にローマ帝国がドイツの部族を破ったことを記した石碑がここトレンチーン城の麓で発見された。宿泊したホテルの中がその場所でした。
                                                     ヴァーフ川

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                                                   町の中Photo_30
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日本の河童に相当する民間信仰の銅像。水の中に生きている生物を守る。時々出てきて町を覗く。Photo_43

トレンチーン城 町を見下ろす丘の上に建っていて中欧最大規模の城。
ローマ人が駐屯して以来、見張りの塔になったり、中世では城主が次々と代わったりで内部に紋章や武器などが展示されている。Photo_35
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                                            塔の上からの眺めPhoto_44
                                      スロヴァキアのおばあさんたちPhoto_45

食事は西欧では最も美味しい国です。一所懸命作って下さったのを感謝していただきますが、何しろ量が多くて半分が適量で、残すのが申し訳ない。
前菜として出されるスープの種類が多くとても美味しい。スープでないときのサラダもドレッシングがなかなかでした。

                     スロヴァキアチーズPhoto_49
主菜も味がしっかり付いていて、他では食べられない付け合わせのライスが美味しくいただける。
                      七面鳥のグリル Photo_50
                   チキン・ポークシチュー風Photo_52
           デザートは驚いたことに日本と同じにあまり甘くないPhoto_53
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以上、緑が美しい静かなスロヴァキアは、資源が少なく工業も盛んではないけれども、そんな中で質素に堅実に生きている人々を頼もしくさえ思いました。
スイスに通じるものがあるかもしれません。
何だかいつものようにピントのはずれた写真でごまかしたような旅行記でしたが、見ていただいて有り難うございました。

                      ー完ー
                  

                             
                              

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2012年10月23日 (火)

スロヴァキア周遊(3)

0001_2 スロヴァキアに住んでいた、人口の2割のユダヤ人は、9割もナチスによってポーランドやチェコの強制収容所に送られ、その時点で殆どユダヤ人がこの国にはいなくなった。実に酷い話である。
従って各町に存在するシナゴーグは閉鎖され、博物館のような施設として使われている。
スラヴ系は美人が多く、7日間を通して寝食を共にしたガイドさんも元気で若く美しく、たくさん勉強されている人でした。
何処もテレビでは紹介されたことがない初めて町でありながら、他の国と似たりよったりの感で、写真を見ただけでは町の名前もわからない。

[見学4日目] コシツェからタトラ山地まで

<プレショフ> スロヴァキア第3の都市。イスタンブールからバルト海への交易路上に位置し、古くから栄えてきた町。
聖ミクラーシュ教会 手前の公園とともに両側が大きな道路で囲まれている

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   公園の中のヨハネ・パウロ2世とシシー(エリザベート)の像 
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ワイン博物館では南米、オーストラリアは勿論、日本や中国のまで展示されていました。試飲はスロヴァキアの赤、白、トカイの3種。緯度が高いのでドイツ系のブドウを植えていて、白が名産のようです。Photo_4

                   洗礼者ヨハネ教会の中Photo_5
<パルデヨフ> 地図④にあたる世界遺産の町。ポーランドとハンガリーを結ぶ交易の要衝として栄え、城壁や砦が良く残されている町として有名だそうだ。Photo_6 Photo_7
            広場はかなり広いけれど、人は殆ど見かけない。Photo_8
広場から見える教会(聖エギーディウス教会)の塔に登ると、前面に見えていた建物は、広場の真ん中に建つ旧市庁舎(1505年。スロヴァキアにおける最初のルネッサンス様式だとか)であった。
反対側、高層住宅がたくさん見えるPhoto_9
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<ヘルヴァルトフ> 
地図⑤の世界遺産の木造教会群の(b)の聖フランシスコ教会 内部見学ができた。
これら木造教会は16~18世紀のもので、ビザンチン文化とラテン文化が融合した建築で、しかもスラブ人の建築文化の特徴が見られるとのこと。Photo_11 Photo_34 Photo_13
                    古い壁画が残っていたPhoto_15
                夕暮れの中にタトラ山が見えてきたPhoto_16
[見学5日目] タトラ山地滞在 緯度が北緯49度くらいで北海道のさらに北の樺太南部あたり。朝夕は2~5℃。日中は14℃。

<ロムニツキー・シュティート峰> タトラ山地第3の高峰2634mをホテルから眺め、ロープウェイで登りました。気温は-2℃くらいで寒かったです。
ホテル敷地内から朝焼けのタトラの山。真中がロムニツキ・シュティート峰。

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               タトラ山地はすっかり紅葉していましたPhoto_19
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888mから2634mまで中間駅を挟んでロープウェイで一気に登った先には、タトラ山脈の山々、その山の向こう側は1昨年行ったポーランドで、国境近く、つまりこの山々の麓にいたのです。感慨深いものがありました。Photo_21
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<スピシュスキー城> 地図②に位置する世界遺産
スロヴァキアのこの地にはモンゴル人(タタール人)やトルコ人の襲来の脅威があった。それに備えての建造の始まりは13世紀前半だが、1780年の火事で焼け落ち巨大な廃墟となった。Photo_24
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           眼下にはスピシュカー・カピトゥラの町が広がっていますPhoto_30
<レヴォチャ> 歴史地区
1242年にモンゴル軍の侵略を受け、当時支配していたハンガリー王が防御線としての機能を併せ持つ城壁に囲まれたこの町を建設した。

        聖ヤコブ教会はこの国の最大級(全体は写しきれなかった)Photo_31
「恥の檻」 罪を犯した人や恥ずべき行為をした人をこの中に閉じ込め、さらし者にした。Photo_32
              ルネッサンス様式の美しいアーチの市庁舎Photo_33

                   続く・・次回で終わります

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2012年10月20日 (土)

スロヴァキア周遊(2)

目黒川の桜が7本咲いたとテレビの天気予報で言っていました。先日の台風で葉が全部落ちて春と勘違いして咲いたとか。近所の桜は葉が何も散っていませんでした。目黒区は随分風がひどかったのですね。

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0001 欧州危機に頑張っているとはいえ、地方の失業率は10~30%と高く、特に若者に職が殆どない。海外に出稼ぎに行かざるを得ない。首都の失業率は4~5%で住みやすいそうだ。
都市部では公用語はスロヴァイア語だが、英語とドイツ語を小学校から習得するので国を出てもかなり有利のようです。

プラチスラバから東に走っていく平野の向こうに山が見える景色です。そんなに高くはないですが山脈がいくつかあります。
所々に電線はありますが、他の欧州同様看板なども殆どなくきれいな景色です。
天然ガスのパイプラインが1ヶ所見えました。しかし家々の煙突からは夕方になると煙が上がっていて薪を使っている家も多そうです。軒下には薪が積んである家がありました。

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               トウモロコシの枯れたのが目立ちますPhoto_3
どの町も郊外にさしかかると、共産党に支配されていた時代の箱型のアパート群が現れ、やがて中心部に入ると美しい旧市街の町並みとなります。Photo_4
                 ホテルの玄関のハロウインの飾り付けPhoto_5
[見学2日目] 1日目に首都から移動した、バンスカ・ビストリツァからコシツェまで移動

<バンスカー・ビストリツァ> 中部スロヴァキアの中心都市。
14から16世紀にかけて、銅の生産が最盛期で欧州各地に輸出していた鉱山の町で、当時の富を背景に整備された旧市街には装飾された家が並んでいます。

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またスロヴァキア民族蜂起(SNP)はこの地から興った。第2次世界大戦末期、ナチス・ドイツの支配からスロヴァキアを解放しようと立ちあがった反ファシスト運動である。
スロヴァキア民族蜂起博物館にはソ連製の輸送機や戦車や装甲車など屋外にも展示されている。Photo_9
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<フロンセク> 
フロンセクの木造教会と鐘楼 世界遺産に登録された地図⑤のカルパチア山脈の木造教会群の1つ(a)Photo_12
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通りがかった家で、リンゴを収穫していたおじいさんから可愛いリンゴをいただきました。皮ごと食べたら甘い!帰って普通のリンゴと比べたらかなり小さい。スロヴァキアではこのリンゴがあちこちにあって、結構収穫しないで地にたくさん転がっている。もったいないけどそのような週間のようだ。Photo_13
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教会の近くには18世紀の館がありました。中央煙突にはコウノトリの巣が見えます。Photo_16

<ズヴォレン> 14世紀、トルコの来襲に備えて建造された城がズヴォレンの町にあります。実際にはトルコはここまで来なかった。Photo_17
<バンスカ・シュティアヴニツァ> 世界遺産に登録された町。地図①の位置が間違えています。近隣諸国同様に地名などが読みくく覚えにくい。
銀の産出で栄えたましたが、今では観光客が殆ど訪れない、塔の多い坂の町でした。
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              男性が日本人が珍しいらしく歓迎の言葉を盛んに叫び続けましたPhoto_22
                                   通りの壁にはマリア・テレジアの顔がPhoto_23
[見学3日目] スロヴァキア第2の都市、コシツェ滞在。

<ヤソフスカ>
・ヤソ修道院 18世紀にドイツ人建築家によって建てられた複合的な大修道院Photo_24
            シルエットは現地ガイド山(左)と添乗員さん(男性) Photo_25
・ヤソフスカ洞窟 世界遺産の712あるカルスト洞窟群の1つ。ハンガリーにつながっていて、昨年見たハンガリーの洞窟にはコンサート会場が造られていたのを覚えています。地図⑥は実際はもっと南です。
鍾乳石や石筍、最後の1枚は「コウモリ」
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                 イチイやホップや実など多かったPhoto_30
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<コシツェ>
町を散策し、中世博物館で牢獄や残酷な拷問や刑の様子などを見てから、スロヴァキア最大の聖アルジュベディ教会の塔に上り、町全体を眺めました。Photo_34
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                         続く

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2012年10月17日 (水)

スロヴァキア周遊(1)

0001 引き続き旅行記になってしまいました。
スロヴァキア周遊は3,4年に1度しか催行されないそうで、今年はどうやら3年ぶりに催行されるということで、急遽決めて何とオーストラリア帰国から9日間しかなくてとても体力的に心配でしたが、どうやら無事に帰って来ることが出来ました。
北海道の5分の3という小さな国で、人口は540万人。
北隣りのポーランドと南に接するハンガリーは殆ど平野の国なのに、スロヴァキアの国土の30%は山林で、緑がいっぱいの国です。城と町の教会が主とした見学箇所でありました。
民族はスラブ系でハンガリーに支配されたのち第一次世界大戦時、チェコと合併したが1993年にチェコスロヴァキアから独立した。
2004年にEUに加盟、2009年にはユーロを導入しギリシャ、スペイン、イタリアなどと違って欧州危機にも持ちこたえています。
驚いたのが物価の安さで、これらの国の3分の1くらい。ビールやグラスワインも1~3ユーロという安さです。
初任給が6万円でも生活できるのが納得です。
電気は原発2基だけでまかなっている。日本と地理条件が違うので水力発電は出来そうにない。国民は早寝早起きで、ホテルでも人が入らないと廊下も電気がつかない。あるホテルはエレベーターから出ると真っ暗で、自分で明りを付けるスイッチを見つけなくてはならず、そこまでするのかと驚きでした。
振り返って、震災直後のことも忘れ、日本の電気の無駄遣いには呆れかえるばかりです。

                                   シベリアはすっかり雪で覆われていたPhoto
首都プラチスラバはウィーンの東、バスで1時間です。
ウィーンの空港からずっと続く風力発電機、何百もありそう。(行きは夜だったので帰りの風景)Photo_2
ウィーンから流れてきたドナウ川と北から両国国境を流れてきたモラヴィア川の合流点の東側がプラチスラバで、この首都は殆ど国境にあります。
合流点にはナポレオン軍に砲弾で攻め落とされ廃墟となったデヴィン城がある。ロシアで敗れたナポレオンもここではまだ勢いが凄かった。井戸は55mの深さに掘られドナウから引かれていた。(何れも見学最終日の写真。地図の位置はずれています)
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デヴィン城からのドナウ川の眺め 中央右側からモラヴィア川が流れ込んでいる
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<首都プラチスラバ>
                                   ホテルの近くのビルに。アート?

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                                              ホテルの近くの木Photo_7

町のシンボルがプラチスラバ城。四隅に塔が突き出ていて、「逆さテーブル」のあだ名で親しまれる。町とドナウ対岸を見渡す要害の地に建つ。
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          町の広場の前の日本大使館。 国旗が掲げられている。Photo_11
                  町点描
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            面白い像や置物が多い町だ
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2012年10月 5日 (金)

西オーストラリアの旅(5)完結編 ピナクルズ→パース

Photo_46  <見学7日目> 9月24日はジェラルトンからブランドハイウェイを南下(ワイルドフラワー探し)→奇岩ピナクルズ見学→パース

Western Floraといいう所に、野生のカンガルーが遊びに来ていました。カンガルーの鉤爪のある手や足を意味するカンガルーポーをこのあと数種見ることになります。

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                    ウェディングブッシュPhoto_7
                     バンクシアアセラPhoto_8                     
                     再びフェザーフラワーPhoto_9

研究員の方がフェザーフラワーを顕微鏡で拡大してくれました、本当にフェザー!Photo_10

   昼食のレストランの所にカンガルーポーが咲いていました。結構背が高い。Photo_11
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いよいよ奇岩で有名な、ナンバング国立公園のピナクルズへ
太古の海辺に根を張った原生林の名残で、大地の風化によって石灰岩層だけが残ったものという。
広くて小山を越えたらまた同じ風景が現れて迷子になった人も。
最初の展望台から 遠くに車で廻っている人もいた。Photo_13
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                   ハート形の穴が開いた岩Photo_16
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                                       ピナクルズに咲いていた花Photo_21
                                           イエローテイルフラワーPhoto_22
                                              クレマチスの一種Photo_23
次にレーガンズフォートという場所で最後の花探しです

                       遂に発見:エナメルオーキッド ピカピカに光っていますPhoto_24
                         キャッツポー(猫ちゃんの可愛い手に似ているかな)Photo_25
                                                 その他の花Photo_26
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<見学8日目> 9月24日の半日はパースの見学でした

まずワイルドフラワーが手を入れないで咲いている[ワイヤレスヒル]へ

                                                  グラスツリーPhoto_30
                                              グラスツリーの花Photo_31
                                レッド・アンド・グリーン・カンガルーポーPhoto_32
                                          再びキャッツポー(色違い)Photo_33
                       ミルクメイドPhoto_34
次に市民のオアシス[キングス・パーク]へ 
                  2度の大戦の戦死者の慰霊塔Photo_35
                        市街を望むPhoto_36
たくさんのお花がきれいに手入れされていました。その中で今までなかったもの

                      デザートピーPhoto_37
                   ブラック・カンガルーポーPhoto_38
                   レッド・カンガルーポーPhoto_39
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                        ムラムラ Photo_41
                      パース中心地Photo_42
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天候に恵まれ、有名なワイルドフラワーをたくさん見ることが出来ましたが、ただ1つ南十字星の形をしたサザンクロスが見られなかったのが心残りです。
約3千キロメートルを運手して下さったドライバーさんに感謝です。それにいつものことながら添乗員さんなしではこんな楽しい旅行は出来ません。

イギリス連邦の1つなので食事はまずいと覚悟していったのですが、意外やとても美味しかったのには驚きました。春巻みたいのもあったりでかなり凝っていました。
社会保障制度が高度に発展している国。しかし救急車を頼むと800ドル(約7万円)もするそうでただの日本が珍しいでしょう。
今パースは景気が上向きで大変活気があるとそうだ。老後はキャンピンか―でまわるのが殆ど人の夢だそうだ。
有名なAussieハズバンドの家庭サービスは有名。5時になると我が家へまっしぐら。兎に角家族が1番大切という。飲食店以外は店は殆ど閉まってしまう。
土地が広いから、家も広く2階屋は殆ど見かけない。
都市から外れると買い物も大変だけれど、子どもの教育が大変。週に3回登校とか無線で授業を受ける所もあるそうだ。学校では好きな席に座るし、いじめが少ないという。

車がないと生きていけないので、人々は交通ルールをしっかり守る。実際にスピードを出し過ぎている車は皆無でした。

あれもこれもと欲張って長い旅行記になってすみませんでした。読んでいただきありがとうございました。
明日10月6日から15日まで10日間スロヴァキアに出かけてきますのでお休みいたします。コメント欄は閉じさせていただきました。


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2012年10月 3日 (水)

西オーストラリアの旅(4)世界遺産シャークベイからブライトン

Photo_5 <見学5日目> 9月22日はカルバリー国立公園を出発してハメリンプール → シェルビーチ → イーグルブルフ → デナムでサンセット

                         宿泊したカルガリーのロッジPhoto
                                         ロッジのそばの朝の海岸Photo_2
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Photo_6  シャークベイは添乗員さんが書いて下さった地図(←)にもあるように、オーストラリアで一番最初に世界遺産になった所です。
面白い形をした半島が2つ突き出ていますが、その東側の方のペロン半島でいろいろ見学しました。

                                               世界遺産マークPhoto_7
                                                 ワイルドホップPhoto_8
Photo_9  世界遺産マークの所を左折して暫くするとハメリンプールに着く。
ここにはストロマトライトが見られました。地球の酸素の起源になったものです。
所々に説明板があって成り立ちが書いてあります。
これはシアノバクテリアという繊維状の微生物が、昼間は光合成をし、夜は粘液で海水中の石灰砂などの堆積物を固定し、また昼に再び光合成をして成長したものとのこと。
こんなマッシュルームみたいな色で、岩みたいなストロマトライトにバクテリアがいて、酸素を出しているなんて!それが地球上で初めて出した酸素で、酸素を必要とする生物が出現したわけです。
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←今も光合成をおこなっていて酸素が泡となって出ていました!

                    ストロマトライト

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                   茶色くなった部分はもう800年くらい前に死んでしまったというPhoto_15

次は半島の中央に100㎞にわたって貝殻が続くシェルビーチです。
長さだけでなく深さも14mもあって、真っ白い無数の貝殻が堆積しているから驚きです。
4000年前から出来たそうなんですが、何でこんな無数の貝殻が積もっているのか不思議です。風、気温、海水塩分濃度、湾の浅い地形など様々な要因で出来たと聞いても理解できません。
砂ではなくて全部貝殻
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                                        海岸の奥行きもかなりあるPhoto_19
レストランなどこの辺りの家の壁などにはシェルを固めてレンガ状にしたものを使っている
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                     イーグルブルフの海岸 深さによって色が変わって見えるPhoto_22
インド洋のサンセットその1 デナム海岸にて 対岸の半島や島越しに沈んで行ったPhoto_23

<見学6日目> 9月23日はモンキーマイヤーで野生のイルカとの触れ合い→ジュゴンクルーズ→ジェラルトンでサンセット

モンキーマイヤーは野生のバンドウイルカと触れ合えるビーチで、イルカとの交流は1960年代に始まり現在3世代目だそう。
レンジャーの人がイルカを紹介。餌をあげられるのは、メスの4歳以上で妊娠していないものに1匹だけ。
餌をあげる人は子どもと女性の2組だけだった。
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                                          餌をもらって帰るペリカンPhoto_26
オプションでジュゴンを見るクルーズに参加しました。
マストの上で見張りが叫ぶ方向に行くと一瞬ですがジュゴンを見ることが出来たものの、写真には何だか茶色いものが写っていただけでした。
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それよりもイルカの群れが船にくっついてきて海岸よりよっぽど迫力がありましたPhoto_29
面白かったのが帰りに船の下にあるネットにドイツの若者6人が寝そべって波を浴びたことです。凄い波しぶきは痛そうで冷たそうですが、彼らは良く耐えました。
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ジェラルトンまで南下する
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           途中に固有種のクアンドングの木の実。ジャムにする。Photo_33

インド洋のサンセットその2 ジェラルトンでの夕日はきれいでした
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この海岸辺りではロブスター漁が盛んで日本に輸出しています。
1匹1000円しない大きな伊勢エビみたいのをこの日は半分戴きました。自分だったかそれとも誰かの結婚式以来です。

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次回のピナクルズとパースのヒルやパークのお花で終わります(続く)

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