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2012年10月23日 (火)

スロヴァキア周遊(3)

0001_2 スロヴァキアに住んでいた、人口の2割のユダヤ人は、9割もナチスによってポーランドやチェコの強制収容所に送られ、その時点で殆どユダヤ人がこの国にはいなくなった。実に酷い話である。
従って各町に存在するシナゴーグは閉鎖され、博物館のような施設として使われている。
スラヴ系は美人が多く、7日間を通して寝食を共にしたガイドさんも元気で若く美しく、たくさん勉強されている人でした。
何処もテレビでは紹介されたことがない初めて町でありながら、他の国と似たりよったりの感で、写真を見ただけでは町の名前もわからない。

[見学4日目] コシツェからタトラ山地まで

<プレショフ> スロヴァキア第3の都市。イスタンブールからバルト海への交易路上に位置し、古くから栄えてきた町。
聖ミクラーシュ教会 手前の公園とともに両側が大きな道路で囲まれている

Photo
   公園の中のヨハネ・パウロ2世とシシー(エリザベート)の像 
Photo_2 Photo_3

ワイン博物館では南米、オーストラリアは勿論、日本や中国のまで展示されていました。試飲はスロヴァキアの赤、白、トカイの3種。緯度が高いのでドイツ系のブドウを植えていて、白が名産のようです。Photo_4

                   洗礼者ヨハネ教会の中Photo_5
<パルデヨフ> 地図④にあたる世界遺産の町。ポーランドとハンガリーを結ぶ交易の要衝として栄え、城壁や砦が良く残されている町として有名だそうだ。Photo_6 Photo_7
            広場はかなり広いけれど、人は殆ど見かけない。Photo_8
広場から見える教会(聖エギーディウス教会)の塔に登ると、前面に見えていた建物は、広場の真ん中に建つ旧市庁舎(1505年。スロヴァキアにおける最初のルネッサンス様式だとか)であった。
反対側、高層住宅がたくさん見えるPhoto_9
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<ヘルヴァルトフ> 
地図⑤の世界遺産の木造教会群の(b)の聖フランシスコ教会 内部見学ができた。
これら木造教会は16~18世紀のもので、ビザンチン文化とラテン文化が融合した建築で、しかもスラブ人の建築文化の特徴が見られるとのこと。Photo_11 Photo_34 Photo_13
                    古い壁画が残っていたPhoto_15
                夕暮れの中にタトラ山が見えてきたPhoto_16
[見学5日目] タトラ山地滞在 緯度が北緯49度くらいで北海道のさらに北の樺太南部あたり。朝夕は2~5℃。日中は14℃。

<ロムニツキー・シュティート峰> タトラ山地第3の高峰2634mをホテルから眺め、ロープウェイで登りました。気温は-2℃くらいで寒かったです。
ホテル敷地内から朝焼けのタトラの山。真中がロムニツキ・シュティート峰。

Photo_17
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               タトラ山地はすっかり紅葉していましたPhoto_19
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888mから2634mまで中間駅を挟んでロープウェイで一気に登った先には、タトラ山脈の山々、その山の向こう側は1昨年行ったポーランドで、国境近く、つまりこの山々の麓にいたのです。感慨深いものがありました。Photo_21
Photo_23

<スピシュスキー城> 地図②に位置する世界遺産
スロヴァキアのこの地にはモンゴル人(タタール人)やトルコ人の襲来の脅威があった。それに備えての建造の始まりは13世紀前半だが、1780年の火事で焼け落ち巨大な廃墟となった。Photo_24
Photo_25
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           眼下にはスピシュカー・カピトゥラの町が広がっていますPhoto_30
<レヴォチャ> 歴史地区
1242年にモンゴル軍の侵略を受け、当時支配していたハンガリー王が防御線としての機能を併せ持つ城壁に囲まれたこの町を建設した。

        聖ヤコブ教会はこの国の最大級(全体は写しきれなかった)Photo_31
「恥の檻」 罪を犯した人や恥ずべき行為をした人をこの中に閉じ込め、さらし者にした。Photo_32
              ルネッサンス様式の美しいアーチの市庁舎Photo_33

                   続く・・次回で終わります

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コメント

他のヨーロッパの国と違って胸躍る感じはしませんがヨーロッパの1つの断面なのでしょう。外からの脅威に晒されたこと、また恥の檻をみると厳しい国の歴史が思い浮かびます。
ロムニッキの峰は寒くて大変でしたね。

世界には、ヨーロッパにも華やかばかりでなく色んな国があるのですね。
お元気に帰国され、それに皆さん親切で何よりでした。

投稿: macchanny | 2012年10月23日 (火) 22:41

珍しい写真ばかりありがとうございます。
焼け落ちたというスピシュスキー城、
無残ですね。
こんな石の城でも焼けてしまうのですから
日本の木造建築を残すのは
難しい筈だとつくづく思います。
「恥の檻」、現代なら考えられないでしょうが
あまりに酷い犯罪(子どもを虐待した親とか最近の尼崎事件とか)を聞くと
こういう所に入れたくなりますね。

投稿: zooey | 2012年10月24日 (水) 08:36

★macchannyさま、おはようございます。

欧州の東欧、中欧はモンゴルやトルコの襲来で備えが大変だったことが、この国の城壁や廃墟でよくわかりました。
それにしても襲ってくる方のエネルギッシュなこと、世界史上でも稀なことです。日本の元寇における勝利はまさに台風のお陰で奇跡です。
緯度が高いのでこの国はもう暖房の中で過ごしているでしょうね。日本よりずっと寒さが早くやってくる国です。到着した日のプラスチラバは26度だったそうですが、山はマイナス気温で差が激しいです。
じみなのに、こぎれいで素朴な感じのする国でした。

投稿: tona | 2012年10月24日 (水) 08:57

★zooeyさま

こちらこそいろいろ感想をありがとうございます。
石の城の廃墟といえば、スコットランドのアーカート城を思い起こしますが、ウェールズやドイツや、もう数え切れないほどあります。ここも対モンゴルですから、そして世界遺産になるくらいですから大きかったです。
今では欧州では大火事なんてあまり聞きませんが、電気のなかった時代は明り源がきけんなものだったでしょうから、たくさんあったのですね。

ははは、、この檻を見て、私もそんなことを一瞬考えました。誰がここに入るのにふさわしいかなんて。その通りですよ。

投稿: tona | 2012年10月24日 (水) 09:09

こんにちは。
世界遺産のパルデヨフの町は綺麗でかわいい町ですね。
スピシュカー・カピトゥラの町にも同じように感じました。
でも、城壁や他の民族の襲来に備えた城跡など見ると、
実際はどんな暮らしをしていたのだろうとも思います。
冬も長く辛そうですし。
tonaさんがいらした時期、山地の紅葉は美しい時期だったのですね。
今朝の程度の気温で、寒い寒いと思っている寒がりの私。
長い冬を想像しただけで気持ちが萎縮し萎えそうです(^^;)

西からも東からも常に周囲からの脅威にさらされ続けた歴史と
その中で暮らしてきた人々の記憶や感覚というのは、
今の日本人には想像つきませんね。

投稿: ポージィ | 2012年10月24日 (水) 09:19

★ポージィさま

ヨーロッパも本当に脅威にさらされる歴史だったのですね。そのような体験は日本には今全然なくて、北朝鮮のミサイルが飛んできたらどうしようと思ったくらいです。
欧州のどの国も城壁だらけ。町は小高い丘の上です。その小規模なのが日本の戦国時代ですが、規模は比較になりません。
そう言った意味での平和を前にして、何も文句は言えません。何でも感謝ですね。
地震がないのと、欧州の春から夏は素晴らしいですが、冬は想像できないほど寒さが厳しく辛いようです。緯度を見て納得ですね。イタリアまで下ると少し日本と同等かと。全部いいことはないわけです。でも世界各大陸から見ると欧州は別天地の感です。
今朝は一段と寒くなりました。ポージィさんの感じた今日の寒さは私も実感です。富士山の雪を眺めていると、美しいけれども寒さが伝わってきます。まずは電気マットが登場しました。

投稿: tona | 2012年10月24日 (水) 09:36

拝見していて、首都のプラチスラバしか
多分
行っていないということに気づきました。
おかげでこちらで詳しく拝見できてよかった
です。
ハンガリーの一部であったり変化が著しい
国ですね。
エリザベートは、あちらでは有名ですが
この国にも銅像があるのですね。
悲劇的な一生がドラマになっていますね。

投稿: matsubara | 2012年10月24日 (水) 10:16

★matsubaraさま

ハンガリー支配以前は、モンゴルやトルコに大変怯えていたようです。
それが城壁などにあらわれているのは、西欧と変わりないですね。
ご覧いただき感想をありがとうございます。
いつかチャンスがありましたら、お出かけください。
エリザベートに関してはウィーンやハンガリーなどで見聞しましたが、先日映画で見て、悲劇がよく伝わってきました。
王妃は飢えないけれども、幸せな人はマリア・テレジアとビクトリア女王だけかと思ったりしました。他にも発掘すればたくさんいるでしょうけれども。

投稿: tona | 2012年10月24日 (水) 15:49

スロバキアは首都ブラチスラバだけしかいっていませんがなにかまだ社会主義の名残が随所に残っている印象が強いです。
でも木造教会はなにかほのぼのとさせてくれますね。タトラ山地の降雪は富士山の冠雪どころではありませんね。お寒かったことでしょう。恥の檻はいつごろまで実際に使われていたのでしょうね。あまりにしっかりしていてなまなましので古い時代のものには見えないのです。それにしても蒙古やトルコ軍の来襲がどんなに怖ろしかったかよくわかりますね。有難うございました。

投稿: yamasemi | 2012年10月24日 (水) 19:37

城壁や砦が良く保存されて残っている様子。
また、16-18世紀の木造教会が残されており、
しかも古い壁画が残っているとは、驚きです。
支配されたり、支配したり、人類は大昔から戦争に明け暮れてきたことが分かります。
そんな産物が城壁や砦ですね。人類は、どこの国でも、
城や砦を建造して、縄張り争いを繰り返して来た、
それは現在に至るも変わらない現実。
これからも国と国の争いは続くことでしょう。
それにしても、タトラ山脈の山々の景観、素晴らしいです。
「恥の檻」ですか?人間とは残酷な生きものですね。

投稿: 茂彦 | 2012年10月24日 (水) 19:54

★yamasemiさま

この周りの国の町はすべて社会主義の名残が建物で現れていますね。ルーマニアやブルガリアが特に印象的でした。
ルーマニア、スロヴァキア、ポーランドと続く木造教会群はどれも似ているようで、造りもいろいろな様式で趣深いです。
中もしっとりしていて落ち着いた感じですね。
タトラ山に行きたくて行ったようなものなのですが、苦労しないでロープウェイだけで行ける山頂の眺めも格別です。国境の山はスイスのモンブランやマッターホルンでも味わえました。
全く城壁や城の廃墟は往時の襲来や火事の恐ろしさを見せてくれています。
こちらこそ感想をありがとうございました。

投稿: tona | 2012年10月25日 (木) 08:51

★茂彦さま

他にも要害に建つ城跡を丘の上に数か所見ました。一体どのくらいあるのでしょう。日本の山城と同じようなものでしょうね。
闘いは現在も一定地域、特に中東において繰り返されていますね。報復という形で無限に繰り返されていて、パキスタンの少女マララさんのような可哀そうな事件も起きています。
人間の憎しみの恐ろしいこと。古来続いて絶対になくならないものです。
人間ってかくも残酷な生き物とは。牢獄やこのような檻を見て感じます。

木造教会の古い壁画には「アダムとイヴ」なんかもありまして、もう擦り切れて見えない感じでしたが、よく大切に保存されたものです。高松塚のような感じです。
タトラの山からポーランドが見えて感激でした。有り難うございました。

投稿: tona | 2012年10月25日 (木) 09:04

日本にその檻をおいたら政治家や官僚で入りきらない?
私もはいらなきゃいけないかな。

投稿: 佐平次 | 2012年10月25日 (木) 10:59

★佐平次さま

ははは、本当に檻が小さすぎますね。外から面々を眺めてみたいものです。
佐平次さんは一番前で眺める方です!

投稿: tona | 2012年10月25日 (木) 19:04

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