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2012年12月24日 (月)

タスマニア島の旅(2)

Photo_2 タスマニア島の西洋人の発見は、英国人キャプテン・クックではなく1641年のオランダ人アペル・タスマンによる。
1876年にここに住んでいたタスマニア人アボリジニは絶滅した。文明のもたらした病気の蔓延と植民者が鉄砲で撃ち殺したためである。

[観光2日目] タスマン半島へ

<ポートアーサー> ここは2010年に「オーストラリアの囚人遺跡群」の一つとして世界遺産に登録された所。Photo
この流刑跡は全土で8か所、そのうちタスマニア島には4か所ある。7万5千人の囚人がこれら収容所に、本国英国や大英帝国各地から送られてきたが、ここポートアーサーには1830年から約50年間1万2千人が収容された。
目的は、荒れ地開墾、造船、建物建設、農作業などの労役であった。
この中には9歳から17歳までの少年も含まれ15年間に3000人といわれる。

Photo_3 Photo_5   入り口でトランプが渡されるのであるが、私はスペードの3。中に入ってスペードの3の扉を開くと名前や年齢、罪状が書いてある。
William Bickleで12歳、罪状は時計を盗んで7年の刑とある。
英国は階級制度の国で、下層階級の生活は貧窮にあり、盗みをしないと生きて行かれないような状態。ポートアーサーに送られてきた囚人の多くがそのような罪状。
こんな話も聞きました。オーストラリア英語は本国やアメリカと発音が違って英語圏の人も聞きとれない部分もあるそうだ。それは英国の最下層民の言葉だからだそうだ。映画『マイ・フェア・レディ』のオードリーヘッブパーンが下町英語を直そうと訓練されているのを思い出す。
21日のNHKの番組「世界遺産・時を刻む」で、今、自分のルーツを探す人が増えていて、番組に出ていた人は先祖に犯罪者が7人だかいることがっわかって、一人一人を調べていた。オーストラリア首相が自分の先祖も流刑者だったと告白したことにも拍車がかかったようだ。

                     ガバメント・コテージPhoto_3
                         教会Photo_4
分離型刑務所内のチャペルは個人ブースに入って立ち、仲間から遮断されていたPhoto_5
                   独房のベッドはハンモックPhoto_6
                        建物群Photo_7
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ドラゴン・オーラム 魚のにおいの花で、コンニャクの花に似ています。Photo_10
                           鳥Photo_11
             イギリス式庭園の花々や木
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              湾のミニクルーズで湾からのポートアーサーPhoto_25
死者の小島 約1100名が埋葬されている。低い方の土地には囚人、高い方には市民や軍人で死んでからも厳格な社会序列が維持されていた。Photo_26
ホバートに戻る途中で
            <奇岩タスマニアアーチ> 波と風で浸食されたPhoto_27
                  <景勝デビルズキッチン>Photo_28
                 <縞を描いた不思議な海>Photo_35
<ワイナリー>で昼食 メインにヤギ肉とウナギと白身魚が出た。ブドウの実はまだ赤ちゃん。Photo_29
          <ネルソン山>ホバートを見降ろす標高340mの山からPhoto_36
ホバートでの自由時間に
Photo_31 Photo_32 Photo_33 Photo_34 

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コメント

こんにちは。
タスマニアも、美しい・綺麗ばかりではないのですね。
アボリジニの人々の悲惨な歴史には愕然としました。
タスマニアデビルに対してと同じような対し方だったの…?
アメリカ大陸も含め、植民地の多くはこんな歴史を持っているのですね。
本国の社会格差のひずみから生まれた多くの犯罪者たちもまた悲痛で、
どちらも人間という生物の負の部分が生んできたものなのだと
美しい地だけになおさら悲しく思います。
そうした悲惨なことは決して繰り返してはいけませんね。
日本とて同じです。

投稿: ポージィ | 2012年12月24日 (月) 09:08

tona様
人種や階級による序列と差別はその社会にとってタブーとされることが多いですね。日本でも未だに多くの問題がありながら伏せられています。それがタスマニア(というかオーストラリア)では観光資源になっているというのが驚きです。

投稿: evergrn | 2012年12月24日 (月) 16:53

★ポージィさま

こんばんは。
早速にありがとうございます。
中南米のスペインやポルトガルのよる征服はマヤやインカを滅ぼしてしまいましたものね。やはり虐殺と病原菌をばらまいたことによるものでした。
ここでも最後の1人までも殺したそうで驚きました。
どの民族でもどうしてこんなに人間は酷い事が出来るのでしょう。
本国英国においても下層階級の悲惨な生活が、こんな地まで引きずっていたとは思いもしませんでした。
もうこんなことはあってはいけないと負の遺産として、世界遺産に登録、観光の目玉にもしているオーストラリアです。

投稿: tona | 2012年12月24日 (月) 18:45

★evergrnさま

その通りですね。
イギリスは今でも階級社会だそうで、1,2世紀前は生活が悲惨だっただけに、囚人たちの刑を受けた動機に胸が痛みます。
そのような先祖の支配者側も受刑者側の悲劇もあからさまに出して、建物や生活の様子などをすべて公開し、かつ観光資源にしているのには私も驚きました。
観光立国タスマニアです。

投稿: tona | 2012年12月24日 (月) 18:51

タスマニアがこんな負の部分を持っていたとは初めて知りました。
流刑と云うことではうなづける話です。島流しですね。日本でも同じところがあります。

そこにまた墓があるということも悲しい話です。そこで働く人達もこれまた大変だったと思います。

これらが世界遺産に指定されているということに何かほっとしたものを感じさせられます。

凄いところに行かれましたね。こんな島があるのですね。
多分観光客はそんなに多くはないでしょうね。

投稿: macchanny | 2012年12月25日 (火) 13:06

★macchannyさま

こんばんは。
労働を必要とするために、かなり軽い犯罪で遠い英国や本国から連れてこられたのですね。
服役は子どもにも厳しかったようです。
特に冬は寒かったようで殆ど暖房もなく生きていくのが大変だったでしょう。
お墓は囚人のには墓碑もないそうです。
負の遺産を訪れた人にも観光地として知らしめることはいいことです。
犠牲になったアボリジニと囚人のことに遠く思いを馳せる地でもあるわけですね。

タスマニア島は最近急に脚光を浴びるようになったそうです。観光客は一番多いのは中国人です。何処もごったがえすこともなく少なかったと言えます。


投稿: tona | 2012年12月25日 (火) 19:44

オーストラリアはのんびりとした明るい国というイメージがあり、
実際旅行した時もそう思ったのですが
ちょっと歴史を齧ると愕然とします。
初期の入植者は「スポーツハンティング」としてアボリジニを殺していたと
何かで読んだことがあります。
タスマニアのアボリジニは絶滅していたとは知りませんでした。
酷い話ですねえ…

投稿: zooey | 2012年12月26日 (水) 19:08

タスマニア人は絶滅ですか?人間とは残酷な動物ですね。
流刑地がタスマイア島に4ケ所も?
オーストラリア、タスマニア島が流刑の地だったことは
聞いていますが、現実にこのような土地が存在するのですね。
死者の小島。死人に対しても社会序列が維持ですか?
驚くような話ばかりです。

投稿: 茂彦 | 2012年12月26日 (水) 19:54

大英帝国の負の遺産をきちんと残して公開しているのは良いことですが、胸にずしんとくる重さを感じますね。パラダイスのような島かと思っていましたらアボリジニの絶滅をきたし、子供の流刑地でもあったのですね。沖縄の戦争の遺跡を見学したときと同じような心の痛みを感じます。いまでも世界のあちこちで悲惨な目にあっている人達がたくさんいるのですよね。世界中が平和に満たされる日が来るといいですね。良い年をお迎えください。

投稿: yamasemi | 2012年12月26日 (水) 19:56

イギリスの囚人の島ということは、聞いていたの
ですが、これほど酷いとは知らなかったです。
オジーイングリッシュが下層階級の言葉という
ことも初耳です。

アボリジニはまだ健在だと思っていたのですが
悲惨な歴史があったのですね。

死んでからの墓地まで差別されているとは
驚きますね。

投稿: matsubara | 2012年12月26日 (水) 19:59

★zooeyさま

本当に歴史と現在の姿は殆どこんな史跡がないと重なりませんね。
「スポーツハンティング」とは!
白人もそんな時までかくも野蛮であったなんて。南米のスペイン人コルテスをいつも思い出してしまいます。
今回アボリジニとの混血の人を数人見かけました。幸せそうな家族の中の一員として。
まだまだこんな酷い殺し合いが解決できない国が多すぎて困りますね。

投稿: tona | 2012年12月26日 (水) 20:04

★茂彦さま

タスマニア・アボリジニ人は本土のアボリジニ人と違って全滅してしまったそうですね。
それも鉄砲で撃たれてだそうで残酷です。
全オーストラリアに11か所そのうちタスマニア島に5か所もあったそうで、こうした事実を本土に2回も行っていながら知りませんでした。
英国はインドのカースト制度と並んで、徹底した階級制度の国なのですね。お墓までそうとは驚く話です。有り難うございました。

投稿: tona | 2012年12月26日 (水) 21:34

★yamasemiさま

現在のパラダイスの中に潜むこの無残な過去は想像もつきませんね。
ホント、沖縄の戦争の傷跡、語り部のお話などのことなど思い出させられますね。
子どもが軽い盗みをして、遠いロンドンからこんな島まで護送され、囚人生活をしたなんて、胸が痛くなりました。
アフリカ、中近東など戦争に次ぐ戦争で絶望的な状態です。早く平和が訪れないかと毎年思うのですが、難しいのですね。ありがとうございます。yamasemiさんも良いお年をね。

投稿: tona | 2012年12月26日 (水) 21:44

★matsubaraさま

まさにロンドン下町言葉だそうですね。
私が唯一わかるのが、dayがダイと発音されていることです。アメリカともイギリスとも違うらしいですが全然わかりません。
本土のアボリジニは虐待などを受けたようですが、今日まで歴史を経ながら今は職業に着いている人も多いそうですね。
タスマニア島にもアボリジニの地を引いた人が食事をしていました。数人見かけました。
日本にもまだ部落の問題がありますが、この差別も似ているように思われました。

投稿: tona | 2012年12月26日 (水) 21:50

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。

投稿: 履歴書の作成 | 2013年2月 3日 (日) 11:24

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