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2013年1月23日 (水)

蜘蛛手の歌

近くのお鷹の道の小川にコサギが餌を探していました。小川に登場は初めてです。
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『光圀伝』冲方丁著
黄門様とはイメージが大分違う光圀の伝記。
兄がいながら何故世子になったのか、そのために藩主になってから義を貫くために兄の子を世子にする。自分の子は兄の世子に。
大名家にありがちな兄弟の争いもなく、素晴らしい兄に支えられ、また家康の十一男である偉大な父の試練に耐えて、気の強い光圀は成長するのである。
青年期は傾奇者(かぶきもの)として市中で暴れ回り、大名の子が出入りするのが憚られるような所に入り浸る。これが後にお膝元の水戸の藩政に大変役に立つことになるのだが。
そして天性のものだったのか、詩歌への情熱が素晴らしく旺盛で、漢詩、和歌などの創作がかなりのもので、当時の武士社会における金字塔のような存在だ。
このことは、関白近衛家の姫を正室に迎えるが、対等に楽しむことになる。また藤原惺窩の子の冷泉為景や後水尾院との交流を持つことになるほどだ。
ここで知ったのが、昔から京都の宮中公家文化の水準の高さである。現在に引き継がれたあらゆる管弦詩歌を始めとする日本文化は宮中なしでは保たれなかったことである。
あの修学院離宮を造営した後水尾院は最高と言える詩歌に秀いでる。
「蜘蛛手の歌」に至っては、七つ×七つの和歌を縦横に並べて、ことごとく文字が重なり合ってゆき、さらに斜めに二つ、四角形の対角線も同じように和歌が並び文字が重なるのだ。つまり同じ言葉が共有される。
光圀が見たこの歌はさらに驚くのは右上から周囲の重なる24を拾い出すと「東照の宮、三十三回忌を弔う歌」だそうで徳川家康三十三回忌にちなんでの贈歌だったのだ。
政治的神の徳川家康に対して文化文芸の神後水尾院だったのだ。この後も光圀が詩歌に励んだのは言うまでもないが、「大日本史」編纂に乗り出すのである。
私たちも知る、宮本武蔵、沢庵和尚、山鹿素行、林羅山父子、朱舜水、そして『天地明察』の安井算哲などの交流も描かれる。
犬公方の五代将軍綱吉との確執、綱吉が滑稽に描かれるのも興味深かった。

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コメント

おはようございます
想定外の家の雪がやっと消えました
予報は雪でしたが今日は降らないようです
コサギは餌を捜すのにたいへんでしょう
寒くて小魚もかくれてるから
『光圀伝』について興味深く読ませていただきました

投稿: たなちゃん | 2013年1月24日 (木) 06:23

★たなちゃんさま

我が家も庭の雪が今朝になって消えていました。しかし、家の前の畑の日蔭側の雪はまだまだたくさん残っています。
この冬は寒いですね。

この川では魚はメダカくらしか見たことがないのです。
そうなんですか。魚も寒いと隠れているのですね!
野生の動物たちにとって厳しい冬なんですね。

投稿: tona | 2013年1月24日 (木) 08:08

「光圀伝」も読もうかと迷ってました。
図書館にあるかな。

投稿: 佐平次 | 2013年1月24日 (木) 10:21

 
こんにちは。
 
まだ消え残る雪の上に、また積雪か?と身構えましたが、
今回は雨のままだったようで、今朝は安心して送り出せました。
 
コサギの白が美しく眩しいです。魚たちだって食べられたくないですし
コサギの漁はさぞかし根気のいるものでしょうね。
足で水底をゆするようにしているコサギを見た事がありますよ。
 
冲方丁さんの『光圀伝』をお読みになったのですね。映画『天地明察』を
観たいなと思った(観られていませんが)とき、『光圀伝』共々読んでみたいなと興味を持ちました。果たせていませんが。
tonaさんの記事を拝見してまた興味がわきました。
光圀だけでなく、後水尾院はじめ、関わりのあった多くの方たちの
登場も興味深いですね。後水尾院の「蜘蛛手の歌」というのは
すごいですね。よくぞそこまで多くを…。驚きました。
自分には全く無い才です。
 

投稿: ポージィ | 2013年1月24日 (木) 10:24

★佐平次さま

私も図書館で借りました。
60人くらい待ちました。751頁で時間がかかりました。
佐平次さんならすぐ読めるでしょうね!

投稿: tona | 2013年1月24日 (木) 18:31

★ポージィさま

こんばんは。ありがとうございます。
雪と言われましたが2度とも雨で良かったです。
冬は人間様でも寒さのためにエネルギーがいってお腹がすきますから、鳥たちは大変ですね。必死に水の中を見つめていますが、獲れた様子はありません。魚も可哀そうですが、鳥も哀れになったりします。

光圀は小さいときから性格が強くて、これでないと江戸徳川家をも脅かす存在になれなかったでしょうね。
後鳥羽院(隠岐の島に流された)や後水尾院は歌に秀でていたということは知っていたのですが、蜘蛛手が詠めるのはこの方だけでしょうか。実際の歌を見てみたいです。理解は出来ないでしょうが。凄い才能なのですね。

投稿: tona | 2013年1月24日 (木) 18:44

蜘蛛手の歌の存在は初めて知りました。
歌の世界でもあまり知られていない
情報です。
いろは歌のほかにこういう歌もあったのですね。
暇なだけでは出来ないことです。
皇族も有意義な時間を過ごしていたのですね。

鷺は逃げ足が早くていつも失敗します。
うまく鮮明に捉えられましたね。
近くで見ますが人の気配にすぐ反応します。
都内にいるとは信じられないです。

投稿: matsubara | 2013年1月24日 (木) 18:59

★matsubaraさま

本当にどうしたらこんなことが出来るのでしょうか。凄い歌です。そして凄い才能です。
宮中の和歌は水準が高いですね。延々と続いて今があるのですね。
しかし現在は国民のどのくらいが和歌に親しんでいるのでしょうか。俳句では海外でも盛んとか。matsubaraさまも歌詞を発行されていらっしゃって、なかなか出来ないことです。陰から拍手を送るだけです。

鷺は逃げ足が速いのですか。これはラッキーだったのですね。よっぽどお腹がすいていたのかもしれません。

投稿: tona | 2013年1月24日 (木) 19:19

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