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2013年5月23日 (木)

瀬戸内海11島めぐり(2)忽那諸島からしまなみ海道・馬島へ

Photo 2日目(5/17)はチャーター船でとびしま海道の大崎上島から愛媛県松山方面に向かってまっしぐら、忽那(くつな)諸島に入りました。
忽那諸島は松山のすぐ沖、西北に並んだ島々で、平安から戦国時代には水軍忽那氏の根拠地だった所だ。
穏やかと思われる瀬戸内海もエンジンのなかった時代には、潮の関係や風が吹くと航海が出来ず、海上の参勤交代の潮待ち、風待ち港として栄えたそうだ。
チャーター船には専属のガイドさんがいて、島の名前を全部教えて下さり、それぞれの島事情や歴史も教えて下さった。この方も昨年1人しか生まれなかった何処かの島の住人でした。

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<野忽那島> 松山に一番近い島で映画のロケ地として有名だそうだ。

          皿山展望台からの眺めはいかにも瀬戸内海らしい風景Photo_4
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廃校 かつて島村留学も受けていたが小学校も廃校。この諸島では2つの島しか小学校が存在しない。Photo_9 
              どの島のトベラもいい香りを放っているPhoto_10

<津和地島> 松山から一番遠い方の島で昼食をいただく。お米以外は島の産物で素朴な味わい。モズクやヒジキを島の産物として出荷している。Photo_13

         各家にはツバメの巣があり、親が今赤ちゃんを育てているPhoto_11
この辺りの島では5/17は釈迦の誕生を祝う灌仏会で花御堂の誕生仏に甘茶をかけました。そして甘茶をふるまってもらいました。
アマチャはユキノシタ科のガクアジサイの変種だそうで、葉を茶にして作ったそうだ。おやつの乏しかった子どもの頃の甘茶の味わいを思い出します。
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                     またまた蜜柑の花Photo_14
                ヒルザキツキミソウとヤナギハナガサPhoto_15
<二神島> 二神水軍の根拠地

                   どの島の家も瓦屋根だ Photo_16
気候が温暖で条件が揃ったのか松山から持ってきたサボテンがお化けのように大きくなって2階の方まで伸びていました、よく見ると花が咲いています。Photo_17
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             卒塔婆で作られた、珍しい家形のお墓です。Photo_19
<馬島>
Photo_20 最後は今治へ向けて船は走ります。来島の近くの造船所(新来島どっく?)を船から見学です。

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しまなみ海道の来島海峡大橋の橋脚にある馬島へ。来島海峡は潮の流れが激しい所だそうで、丁度渦潮観光船に出会いました。
                         来島Photo_25
                         馬島へPhoto_26
        エレベーターで上がり橋を散策 来島海峡大橋は第三まであるPhoto_27
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                      橋からの眺めPhoto_30
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コメント

島の写真を拝見しておりますと、40年前に
行った鷲羽山を思い出しました。
子供達は小さかったので忘れているでしょうね。

5/17は旧暦の4/8ですから、釈迦の灌仏会を
する訳ですね。島はまだ旧暦が生きている
のですね。
お墓も本土とも沖縄とも違いますし・・・

投稿: matsubara | 2013年5月24日 (金) 08:37

★matsubaraさま

おはようございます。よいお天気ですね。

最終日鷲羽山の前の児島港に入りました。
鷲羽山から瀬戸大橋や島々を眺めたかったですがすぐ岡山空港へ向かいました。
もう40年前に鷲羽山に行かれたのですね。まだ瀬戸大橋が出来てなかった頃でしょうから景色が違っていたことでしょう。

島のお寺さんや檀家さんの女性たちが接待する姿は私の子どもの頃(東松山市でした)と変わっていないです。お雛様などと同じくしっかり旧暦が生きているのですね。

投稿: tona | 2013年5月24日 (金) 09:28

父の転勤で周南コンビナートのある山口県の瀬戸内海側の街で2年暮らしたことがあります。
高校のクラスメートには、島から通っている人も居ました。
結婚してからも父は水島コンビナートの工場長として転勤・・・
借り上げ社宅は倉敷でした。
まだ乳幼児だった息子と実家に行った際に鷲羽山にドライブし、瀬戸内海を望んだことがあります。
私の瀬戸内海の思い出はここまでで、瀬戸大橋やしまなみ海道が出来てからは知りません。
景色もすっかり変わったのでしょうね。

瀬戸内海には3000の島があり、そのうち名前がある島が720、人が住んでいる島が162!
ということも知りませんでした。
いずれも過疎化が進んでいるのですね。
温暖な地なのにと意外でした。

まだまだ知らない日本の姿、ブログを通して知ることができましたよ。

投稿: nao♪ | 2013年5月24日 (金) 22:05

★nao♪さま

高校は山口の瀬戸内海側の街だったのですか。nao♪さんもかなりあちこちの地に住んだことがあるのですね。
お父様がいらした水島コンビナートを帰りに眺めることができました。
そして鷲羽山のある児島湾に船が入りました。鷲羽山は景観が素晴らしいということです。
景観と言えば島の間にさまざまな橋が架かっているのが当時と違ってきたのでしょうね。
大きな岩に木が生えた無人島も3000の中に入るそうです。瀬戸内海も広いものですね。
温暖で歌に歌われているようなのどかな風物も産業がなく、また段々畑の厳しさから若者が出て行って、高齢化していく島の運命を知り、どうしようもないのかと明るい日射しと裏腹に気持ちが暗くなりますが、ここだけの話ではないのですね。
本当に知らないことだらけです。

投稿: tona | 2013年5月25日 (土) 08:49

野忽那諸島というのがあるのですね。
忽那の由来を知りたいです。

投稿: 佐平次 | 2013年5月25日 (土) 10:25

★佐平次さま

忽那諸島は、平安時代から戦国時代まで忽那氏の根拠地だった島々で、その中の一つに野忽那島があります。
鎌倉時代から南北朝にかけて、忽那氏は水軍を組織し、瀬戸内海一帯で活躍したそうです。
私は村上だけかと思っていましたら、忽那や二神や塩飽などの水軍が割拠していたのですね。まだまだたくさんあるのかもしれません。

投稿: tona | 2013年5月25日 (土) 16:09

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