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2013年5月29日 (水)

思い出の万博

Photo そろそろスクラップブックを捨てようかと、その前にもう一度振り返って見てみようと全12冊を眺めたのですが、、
結婚する前からこのブログを始めるまでの約40年間、ことに当初は何でもかんでも貼って感想も書いたりして、まめなことでした。昔はボーリングをやっていたことを発見したり、労音で音楽を聴きに行ったり、今は殆ど行かない喫茶店でお茶したり、勤めながら子育てもしながら、まあ、よく遊んでいること。元気だった頃を懐かしんで、またそこに子どものことを書いているので捨てるのをやめることにしました。

昭和45年の3月から9月まで半年間、大阪で日本万国博覧会が開催され、夏休み7月20日に3歳半の娘を連れて出かけています。
当時万博へ向かって日本全国から大勢の人が移動しました。約6422万人で1日平均34万人だったそうだ。
あまりに激混みでモノレールも電気タクシーも乗れず殆どの展示館は並んでいて入れず特にアメリカ(月の石を触りたかった)やソ連館は数時間待ちで、ドイツ館とフランス館のみの入館でした。
昼食はチェコ料理、空中ビュフェ、夕食はスカンジナビア・バイキングと書いてあって懐かしいですが、何のために出かけたのか、むなしい万博見学だったみたい。

一方比較することではないですが、時代は下って、東京スカイツリー展望デッキだけで1年間638万人、東京スカイツリータウンは5080万人(私は3回)で、スカイツリー騒ぎから各観光地など悲喜こもごもと言った感があったそうです。

左は娘の迷子札。迷子になった大人と子供の数は22万だったとか。
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2013年5月26日 (日)

瀬戸内海11島めぐり(3)笠岡諸島と塩飽諸島

今治に宿泊して3日目は香川県の丸亀近くの詫間港までバスで移動し、港からチャーター船で笠岡諸島と塩飽諸島を巡り、瀬戸大橋を眺めながら岡山県の尾道市児島港に上陸し、岡山空港から羽田へと帰りました。
殆どの島に信号機がなく、ある小学校の前に設置して、本土に行った時に困らないように訓練するとか。

◆笠岡諸島 
Photo_2 岡山県の最も広島県寄りの笠岡市の前に広がる、笠岡市に所属する島々。31の島のうち有人島は7島で人口は約2700人。
ここは有数の漁場である他、海水浴客やキャンプ客で賑わうそうだ。

白石島> 名のごとく石を産し、墓石に加工されるそうだが、近頃は墓を建てる人が減って奮わなくなってしまっとか。島の至る所、山の上まで石が突き出ていました。
全島が国の名勝で、離島には珍しく干拓が行われているそうだ。

開龍寺 大同元年(806年)弘法大師空海が唐の国より御帰朝の再、ご留錫になり御開山された寺と書かれていた。凄いことに背後の巨石を穿ったごとくに建物が入り込んで建てられている。Photo_3
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               境内には仏舎利塔も建てられているPhoto_6
                      水子地蔵Photo_7
                        海岸Photo_8
                       無人島Photo_9
  <真鍋島> 映画『獄門島』や『瀬戸内少年野球団』のロケ地。中国や四国に多い真鍋姓の発祥地だそうだ。
『二十四の瞳』のような中学校があり、居合わせた先生に訪問を許された。昭和24年の建物だそうで、校長、副校長、教員8名の10人の先生に中学2年2名、3年3名だけの学校。Photo_10
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      寺の屋根の葺き替えでいらなくなった鬼瓦が寺に陳列されていたPhoto_14
         <大口島>の鼻が取れてしまった象岩が船内から見えたPhoto_15
◆塩飽諸島 
Photo_16 坂出市と倉敷市を結ぶ瀬戸大橋から西に浮かぶ28の島々。潮流の速い瀬戸なので操船に長けた島民が住んだそうで、戦国時代には塩飽水軍として勢力を持っていた。
、源平合戦の屋島の戦い、足利尊氏の再上洛の戦い、倭寇などで活動した。また、法然が1207年の承元の法難の際、流刑先の讃岐国にむかう途中、一時滞在していた。幕末の咸臨丸の水夫は、50名中35名を塩飽の島民が占めた。
船大工から転身し家大工や宮大工となった塩飽大工は瀬戸内海沿岸を中心に建築を担った。

本島> 笠島地区は重伝建で塩飽大工の技を生かした100棟あまりが建ち並んでいる。
             見通しがきかないようにわざと通りを曲げたPhoto_17
2階は虫籠窓(むしこまど)や格子窓、階下は腰格子、出格子を合わせた表構えです。Photo_18
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                         お墓Photo_21
                      瀬戸大橋Photo_22
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瀬戸内海の島は小豆島と淡路島と安芸の宮島しか知りませんでした。マイナーな11島(もうすでに混同してどこがどこだかわからない状態)に詣でて、蜜柑の香りが広がる穏やかな自然やそれと裏腹な水軍の活躍などを見聞し、いろいろな感動を覚えて帰ってきました。しまなみ海道と瀬戸大橋の一部を見ることが出来たというおまけ付きでありました。

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2013年5月23日 (木)

瀬戸内海11島めぐり(2)忽那諸島からしまなみ海道・馬島へ

Photo 2日目(5/17)はチャーター船でとびしま海道の大崎上島から愛媛県松山方面に向かってまっしぐら、忽那(くつな)諸島に入りました。
忽那諸島は松山のすぐ沖、西北に並んだ島々で、平安から戦国時代には水軍忽那氏の根拠地だった所だ。
穏やかと思われる瀬戸内海もエンジンのなかった時代には、潮の関係や風が吹くと航海が出来ず、海上の参勤交代の潮待ち、風待ち港として栄えたそうだ。
チャーター船には専属のガイドさんがいて、島の名前を全部教えて下さり、それぞれの島事情や歴史も教えて下さった。この方も昨年1人しか生まれなかった何処かの島の住人でした。

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<野忽那島> 松山に一番近い島で映画のロケ地として有名だそうだ。

          皿山展望台からの眺めはいかにも瀬戸内海らしい風景Photo_4
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廃校 かつて島村留学も受けていたが小学校も廃校。この諸島では2つの島しか小学校が存在しない。Photo_9 
              どの島のトベラもいい香りを放っているPhoto_10

<津和地島> 松山から一番遠い方の島で昼食をいただく。お米以外は島の産物で素朴な味わい。モズクやヒジキを島の産物として出荷している。Photo_13

         各家にはツバメの巣があり、親が今赤ちゃんを育てているPhoto_11
この辺りの島では5/17は釈迦の誕生を祝う灌仏会で花御堂の誕生仏に甘茶をかけました。そして甘茶をふるまってもらいました。
アマチャはユキノシタ科のガクアジサイの変種だそうで、葉を茶にして作ったそうだ。おやつの乏しかった子どもの頃の甘茶の味わいを思い出します。
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                     またまた蜜柑の花Photo_14
                ヒルザキツキミソウとヤナギハナガサPhoto_15
<二神島> 二神水軍の根拠地

                   どの島の家も瓦屋根だ Photo_16
気候が温暖で条件が揃ったのか松山から持ってきたサボテンがお化けのように大きくなって2階の方まで伸びていました、よく見ると花が咲いています。Photo_17
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             卒塔婆で作られた、珍しい家形のお墓です。Photo_19
<馬島>
Photo_20 最後は今治へ向けて船は走ります。来島の近くの造船所(新来島どっく?)を船から見学です。

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しまなみ海道の来島海峡大橋の橋脚にある馬島へ。来島海峡は潮の流れが激しい所だそうで、丁度渦潮観光船に出会いました。
                         来島Photo_25
                         馬島へPhoto_26
        エレベーターで上がり橋を散策 来島海峡大橋は第三まであるPhoto_27
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                      橋からの眺めPhoto_30
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2013年5月20日 (月)

瀬戸内海11島めぐり(1)安芸灘とびしま海道

お天気に恵まれた16~18日に瀬戸内海の、とびしま海道・忽那諸島・笠岡諸島・塩飽諸島の11島をめぐる旅に参加しました。
瀬戸内海は11の県に囲まれ、東西450㎞、南北15~55㎞、平均水深31mの内海で3000の島があり、そのうち名前がある島が720、人が住んでいる島が162ということだ。
多くの島々は平らな土地がなく、山を開いて段々畑を作り蜜柑畑にした。天然の良港に恵まれた島だけ漁業が成り立っているが、盛んだった製塩業も衰退している。段々畑は非常に手間がかかることから、若者が島を離れ、高齢化が進み、昨年1人しか子どもが生まれなかったという島も複数あり、そうした島はやがて無人島になるのだそうだ。
美しい瀬戸内海の島々も観光に訪れて感動しても、住んでいる人々の生活は大変な一面があるのだということを改めて知ったことでした。

Photo 安芸灘とびしま海道は広島県呉市から南東にある安芸灘諸島の、地図の下蒲刈島から岡村島までを結ぶ8つの橋梁の愛称です。まだ大崎上島には架かっていません。

<下蒲刈島(しもかまがりじま)> 安芸灘大橋を渡った最初の島

Photo_2 ◆松濤園 この町には江戸時代に善隣友好の使節団である朝鮮通信使が12回来日したうち、11回立ち寄ったという。その様子を復元した「御馳走一番館」や本陣と番所が再現された「蒲刈御番所」が園内にあります。

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               園内から次の蒲刈大橋が見えますPhoto_8
<上蒲刈島>

 ◆県民の浜 美しい浜辺ですPhoto_9
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                   浜はマンテマが花盛りPhoto_11

                     マツバウンランPhoto_12
<大崎下島> 2つの橋を越える

ここ御手洗は重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)の町です。江戸時代の港町で各家には御接待の花が飾られ、どこの家にも花が溢れているとても印象的な素敵な町です。Photo_14
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蜜柑の花 どこの島もそうなのですが、蜜柑の花盛りであの芳しい香りに満ちていて、それだけでも今の季節の島は訪ねる価値があります。Photo_23
天満神社には菅公の碑がありました。菅公が大宰府に左遷された時、この地に寄って手を洗ったことから御手洗の地名が付いたという。Photo_24
                     戦国時代の石垣Photo_25
明治の時計屋さん 全国からだけでなく外国からの時計も修理をしている凄い時計屋さんなのです。修理する時計が入った宅急便など小包がたくさん転がっていた。Photo_26
              家の礎石に継ぎ目がない1枚で出来た家Photo_27
                 戦後すぐのもので足長小学生Photo_28
                        蛸壺Photo_29
               海の色がきれい 向こうの島は岡村島Photo_31
今回の島めぐりで一番美しい島でした。いろいろな屋敷や江戸の町並み、船宿、遺跡、潮待ち館などたくさんの見どころがいっぱいで、もう一度行きたい所です。
この平羅橋をくぐって奥に見える大崎上島に宿泊のためだけに船で渡りました。
来島海峡方面まで見えるホテルの露天風呂が素晴らしかった

夜の瀬戸内海料理
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2013年5月14日 (火)

3つの絵画展へ

2日に分けて行った絵画展です

東京駅から三菱一号館美術館への道、丸の内側へ駅を出ると左手に日本郵便が手掛けた商業施設「KITTE」が建ちました。「切手」「来て」の2つの言葉に由来するネーミング。
旧東京中央郵便局の局舎を一部保存・再生した部分と新築部分からなるJPタワーの地下1階から6階までをいう。いつか機会があったら買い物したい。Kitte1_3
                        サイトよりKitte_2
① 奇跡のクラーク・コレクション展 於三菱一号館美術館

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クラーク美術館はボストンから西へ車で3時間の所にあって、訪れることができない美術館です。そこが改装中で73作品(内61作品は初来日)がやって来たというわけです。
収集したクラーク氏はあのシンガーミシンの設立者の孫で夫人はパリの舞台女優。
いつも比較的すいているこの美術館が入場制限するほどの混雑ぶりで、いかに印象派好きが、生涯目にすることが出来ない作品を求めて集まっているかです。
大富豪夫妻が自身培った審美眼によって集められた作品はどれも素晴らしい。
ミレー、コロー、モネ、シスレー、ピサロ、マネ、ロートレック、そしてルノワールが何と22点。「かぎ針編みをする少女」「鳥と少女」「タマネギ」などずっと見ていたい作品がずらりです。

Photo_5「3月19日にニューヨークのグランドセントラル駅構内で東京駅とグランドセントラル駅と姉妹駅締結式が行われた」という掲示がありました。丁度この1週間後位の28日にこの駅を訪れたのですが、その事を知っていたらもっと感慨深く眺められたのですが。
両駅は同じ頃開業しているが(グランドセントラルは今年、東京駅は来年100周年)、東京駅の方はホームは3分の1なのに発着本数は6倍、一日の乗車人員は3.5倍で、いかに駅が混雑しているかうかがえる。

② 木村荘八展 於東京ステーションギャラリー

Photo_9 Photo_10 東京ステーションギャラリーは初めてです。再開記念と木村荘八生誕120周年だそうです。
木村荘八は東京日本橋の牛肉店に生まれた生粋の江戸っ子で、小唄の師匠でもあった由。また語学も得意ということから西洋の先進的な美術情報を集め紹介したしたという。
チラシにあるような力強いタッチと濃い色彩が目に飛び込んでき、岸田劉生と交流があったからというわけでないかもしれないが、同じように自画像を何枚も描き、何だか画風が似ています。
ところが永井荷風の新聞連載『濹東綺譚』の挿絵を担当し、『東京繁盛記』の文と絵が展示されていましたが、全然別人のような画風です。
ここは森美術館同様、作品のリストがないところが残念な美術館です。

展示室の壁は所々古いレンガが剥き出しになっていてレトロな感じです。テラスから丸の内北口のドームが臨めます。
                      テラスの内側

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③ Paris、パリ、巴里 日本人が描く1900ー1945 展 於ブリジストン美術館

Photo_11 Photo_12 明治33年から終戦までの期間、日本から飛び出して官費、私費でそれぞれパリへ留学し、懸命に現地の画風を学び、研究し、パリを描いた絵が40点展示されています。
テーマに引きずられる絵画展となっています。
日本人が描くパリの女性、黒田清輝、浅井忠の絵がいいです。
藤田嗣治が5点、猫の絵が好きです。乳白色の絵が印象的な嗣治だが、そうでない絵が見られます。
佐伯祐三が6点、以前見た祐三展が懐かしい。パリの建物や広告を描き続けた画家は、パリをとことん愛したのですね。
岡鹿之助が2点あったのですが「セーヌ河畔」が他の彼の絵と違ってアンリ・ルソー風なのに驚きました。

今度は昼間の瀬戸内海クルーズに出かけてきます。

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2013年5月11日 (土)

目黒天空庭園

Photo_2ブログ友やテレビで紹介されていた目黒区立の目黒天空庭園に行ってみました。
3月30日にオープンしたばかりで、首都高速道路大橋ジャンクションの勾配のあるループ状の屋上・7000㎡に回遊式の庭園が広がります。
3階部分から歩きはじめると勾配になっていてぐるっと360度まわって行くうちに9階に達し、そこはクロスエアタワーに通じていて、区役所出張所や図書館が入っています。後で行ったらその図書館の立派なこと!う~、羨ましい。

         こんなふうにジャンクションの巨大な建造物の上にあります
             下の道路から見ると首都高が渦巻いていますPhoto_7
        3階入り口部分 ここからもうたくさんの植物が植えられている Photo_8
先生に連れられた子どもたち、それにクラブツーリズムの一行も来ていました。まだ植えられたばかりの木々は茂っていないから木陰が何もなくて真夏はかなり暑そうです。1ヶ所四阿があります。Photo_9
立て札が立っていて四季折々の木や草花が楽しめそうです
             今はヒューケラ(ツボサンゴ)が真っ盛りPhoto_10
                     ハクサンボクの蕾Photo_11
                         ?Photo_12
                      ハマナス一輪Photo_13
                       バイカウツギPhoto_14
途中で円形部分の中を覗いてみる。何かのコートらしきものが見えます。この地上部分を「オーパス夢広場」という。左上の建物がクロスエアタワー9階部分。Photo_15
                      Photo_16
上るにつれ360度視界が開け高層ビルもたくさん見えるし、富士山も望めるそうだ、Photo_17
                        頂上近しPhoto_18
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          頂上の向こうは滝や池があるけれども閉鎖されているPhoto_20
面白い場所に凄い庭園が出来たものです。
チラシによれば、用土は5000㎥、木は4800本、地被類32000株あり、屋上耐過重は2t/㎡だそうだ。高低差は24m。
植栽コンセプトは和風にするためマツ類が主体で、桜類や常緑樹を、風当たりが強いので防風植栽シラカシを高生垣状に、地表面は多彩なグランドカバープランツが植えられています。一体どのくらいの費用がかかったのでしょう。区はお金持ち!

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2013年5月 8日 (水)

大幅な消味期限切れ

あらまあ、冷蔵庫内の練りゴマの消味期限を見たら1年前に切れている。以前知人が9年前のドレッシングを使って「平気よ」とこともなげに言って食べていたのを思い出して、なんかもったいなくて「ゴマ豆腐」を作ってみた。結構美味しかった。そういえば、昔は消費期限や賞味期限などという表示はなくて凄く古い食品を食べていたけれど、誰もお腹を壊さなかった。
ポン酢も昨年8月だし、ストックしてあるポン酢さえ3月。1人の時大根おろしや茹で野菜にかけて食べてしまおう。
表示が出来たために食の安全は一応確保できたけれども、無駄にしないためには表示を常に点検しなくては。

会津のお土産
会津といえば「こづゆ」や「にしんの山椒漬け」が有名。
このこづゆには人参、筍、しらたき、干しシイタケ、きくらげ、干し貝柱、銀杏、豆麩などが入っている。ダシが干し貝柱で山の幸がいっぱいの何とも素朴な汁の味わいです。
「じゅうねん味噌」というのが奥会津特産のじゅうねん(エゴマのことで、脂肪酸組成がよくαーリノレン酸が含まれていて体に良く、たくさん食べたいけれど、大量に市販されていない。韓国では種子や油や葉まで食べるとか)を天然味噌と砂糖とみりんで練り上げたもの。
「しそ巻き」はじゅうねん味噌にクルミなど入れて紫蘇で巻いて揚げたもの。名物の岐阜の五平もちのような「しんごろう」もじゅうねん味噌を塗ったもの。
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2013年5月 5日 (日)

イギリスの肖像画

「イギリスの肖像画 ~1枚の肖像画は1冊の伝記に匹敵する~」 早稲田での今年12月までの講座のタイトルです。
中世から20世紀にかけての、イギリスを代表する肖像画(歴代国王や有力貴族、詩人、作家、芸術家、政治家)と肖像画家(ハンス・ホルバインからジョン・シガー・サージェントまで)の紹介がなされる予定。

当時からずっと絵画には序列があって
 歴史画(宗教画)
 肖像画
 風俗画
ーーーーーー
 動物画
 風景画
 生物画

19世紀になるとこれが大きく崩れることになるが、この序列を知ると時代と画家の置かれた立場など良く理解できると思う。

リチャード二世の次に早々講義に出てきたヘンリー八世。ハンス・ホルバインが描いた肖像画。16世紀は足を隠している女性に対して男性は膨張色の白いタイツ姿。これは足の長さと形を強調するためだったとか。あのルイ14世の肖像画が頭に浮かぶ。
6人のお妃のうち2人を処刑した王の冷たい目、首と顎の境目が隠され、帽子を被せて頭髪を隠す。
あごひげですが、16世紀にひげを伸ばすのが、身分が高い人のステータス・シンボルであった。肖像画を見ると薄いが、面白い形に整えられている。ホルバインが描いた当時の権勢を誇ったトマス・モアの肖像画のひげも薄く(薄いほどお洒落であった)凝っているが、処刑される前に「私の自慢のひげは切らないでください」と言って断頭台へ上ったと言う。自分の死に対してもたくまざるユーモアがあったことに驚く。これからは肖像画のひげを見るのも楽しみになった。

とまあこんな調子で1枚の肖像画から歴史、人間関係、風俗、生活等々いろいろなことを読み説いていくのです。

講師は英語英文科出身の若い女性で、出口保夫英文学者の愛弟子で『楽しいロンドンの美術館めぐり』の共著もある。
スタイル抜群、ベストドレッサーで毎週次はどんな服装で現れるか楽しみといった具合で、私は勉強しに行っているのか?と自分の頭を叩くのであるが。
『ハーバード白熱日本史教室』の北川智子氏は若干29歳から昨年まで3年間、ハーバード大学で日本史の先生をしたが、そこで「ティーチング・アワード」賞、「ベスト・ドレッサー」賞や「思い出に残る教授」賞も受ける。日本でも「ティーチング・アワード」賞は東海大のように若干あるようだが、アメリカの大学はなかなか粋である。
このような話があるので、我が先生に早稲田でのベストドレッサー賞を押したい。
先生は純粋の美しいイギリス英語の発音で心地よく英文を聞ける。博学で、ノートを見ることなく、例えばプランタジネット朝8代をすらすら板書し、美術史論も滔々と述べるのである。
今まで続いてきた講義でたくさんのファンがいて教室は活気に溢れている。

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                 今朝の僅かなソラマメの収穫Photo_3

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2013年5月 2日 (木)

映画『127時間』

アカデミー賞受賞作「スラムドッグ$ミリオネア」のダニー・ボイル監督が、青年登山家アーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコが扮する)の奇跡の実話を映画化したサバイバル・ヒューマン・ストーリー。
何時も作りものだからと今まで顔をそむけたことはなかったけれども、唯一最後は顔をそむけてしまった映画だ。実に過酷で衝撃的な映画だ。

主人公は携帯も持たず、誰にも行く先を告げずにいつもの峡谷遊びにやってきた。そこで峡谷の間に石とともに滑落し、手を石に挟まれて身動きが取れなくなってしまう。誰もいない砂漠のど真ん中で、脱出すべくいろいろやるがだめで一度は諦めかける。しかし気を取り直し決死の脱出を見事に成し遂げ、127時間(5日と7時間)後に無事生還を果たすのだ。
過酷な状況の中で常日頃慢心に陥り、親や妹、恋人にも冷淡だった自分を見つめ直し後悔しながら、様々に脱出を試みるのをビデオに撮っていく。僅かな水と食料も尽き、尿を飲み、寒さにも耐え、次第に衰弱し、幻想を見るようになる。そんな絶体絶命の肉体と精神の極限からいかにして生還を果たすか、手に汗握るシーンの連続だ。127時間もぶら下がっていると血の巡りも下半身に集中するような気がするがどうなのだろうか?
実在の彼は懲りもせずに今も登山家として活動しているというから驚きました。      

            ツリガネズイセンの株がますます大きくなっていくPhoto
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                   シラン どんどん増えるPhoto_3
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ウンナンオウバイも終わりになった。家のは通常の6~8枚の花弁でなく、5枚の花弁の上に5枚の花弁が後から開く。Photo_5
                       テッセンPhoto_6
                 空いている所はビオラだらけですPhoto_7
                    近所の赤花エニシダPhoto_8
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