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2013年11月21日 (木)

西川一三著『秘境西域八年の潜行』

こんな日本人がいたということで、西川一三氏のことを慕辺見行さんに教えていただき、その著書を図書館で借りました。
上下巻812頁、上下段の細かい字で、8年間に及ぶ全紀行、全生活の記録ですから読みでがあります。まだ別巻があるのですが未読です。
西川一三氏(1018~2008)は昭和11年に満鉄に入社し、昭和15年に脱サラして興亜義塾(外務省の支那西北地域に挺身する若人を養成する)で研究に没頭する。2年目は廟でラマ僧に混じって一蒙古人になり切る訓練をした。
東条総理から「西北支那に潜入し、支那辺境民族の友となり、永住せよ」の命令を受け、昭和17年から昭和25年の日本への帰国まで8年間も秘境に潜行し、6000㎞歩いた記録でもあるのです。

まず文章がしっかりしていて、風景描写などが美しいのに驚く。そして、過酷な旅の記録、広い各辺境の地の現状・実態、ラマ廟の克明な記録などぼんやりとしか知らなかった蒙古、青海、チベット、インドなどが洗いざらい語られている。
常に日本人とばれないようにすっかり蒙古人になりきっての8年間、もう大変・過酷という言葉では言い表せない。

水が極端に少ないこの地の人々の生活には驚く。この当時の様子でしょうが、一生に1度も風呂に入ることなく、トイレでも紙は使わずそのまま、食べ物の脂で汚れた手もそのまま衣服にこすりつけ、その手で燃料の牛糞をつかんでくべ、シラミやノミや南京虫のいる個所を掻く。自分の椀が2つあって、一つはお茶用、もう一つは主食用で、貸してくれる場合は中に唾を吐きかけて黒光りのする着物の裾か袖口で拭いてよそってくれる。食べ終わると椀も箸も洗わないで舐め、鍋も次の炊事の時に雑巾で拭いてそのまま使う。
衣服は汚れきってボロボロになった時に新しくするだけという。ほんの一例だが著者はすぐ汚いとも思わないで慣れてしまったそうだ。

まずは内蒙から寧夏、甘粛、青海、そしてチベットのラサまで、途中ラマ僧修行をしながらの厳しい旅だ。
野宿、自炊、殆ど茶と麦焦がしみたいな食べ物だけ。猛き部族や盗賊におびえ、川を渡るのも橋がないから大変だし、水のないゴビ砂漠などを彷徨い、5000m以上の高地で命を危険にさらし、寒さと吹雪の中の行進、ラクダを操ることの大変さ。

到着したラサで祖国敗戦の噂を聞き、ヒマラヤを越えてインドはカルカッタまで旅する。敗戦に自分の使命も終わりと落胆するのだ。その後生活をするためにヒマラヤ越えを数回して煙草などの密輸に携わり、ブータンも旅し、凍傷で歩けなくなってインドのシッキム(ヒマラヤの南側のネパ-ルとブータンに挟まれた地域)で乞食をする。癒えてラサに赴き、レポン寺で1年弟子になって修行。チベット最大の寺院の当時の組織や生態が克明に記されていて貴重な記録である。

その後、木村肥佐生に頼まれて出た、九死に一生を得た西康(チベット東部で四川省に接する)への旅はさらに凄い。その後乞食をしたシッキムのカーレンボンで1年間新聞記者をした。この間、チベット語のみならず、ヒンズー語、回教語もものにし、インド放浪・無銭旅行に出る。
汽車の只乗りと托鉢で、ブッダガヤ、サルナート、クシナガル、ルンビニなどの聖地を回り、ネパールに潜入してカトマンズ往復をしている。
パキスタン、アフガニスタン、イラン、イラクなども行く予定だったが危険で果たせなかった。
シッキムに帰還してからビルマ潜行の準備をしていたが、木村肥佐生がらみでインド政府に逮捕され、獄中生活を送り、日本に昭和25年5月31日に戻ったのです。獄中生活は屋根の下で寝られ、食べ物も与えられ、勉強も出来、天国だったとか。

こんな栄養もない食事、苦難の連続の旅と修行の8年間なのに、病気は熱病を2回しただけ、凍傷の時も医者に見せず、見かねた友人が医者に連れて行ってやっと治ったの如く、医者に頼らず何でも自力で治す人なのだ。
日本人としても稀な頑丈な身体に、何事にも挫けず、厳しい気象条件や不潔、単調な食事、飢えも全然平気、図太い精神で立ち向かい、人との和もうまく取り持つという、驚くべき人だ。それに加えて何より国からの使命を全うしようとする心、冒険心、学びたいというタフな精神が心の元気の原動力とみました。

                  <都立殿ヶ谷戸庭園>
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         近くの庭園の紅葉はまだでしたがツワブキが満開でした

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                                           白実の百両(唐橘)420x280_3
         サンザシの実(実が黒っぽいのでクロミサンザシか?)420x280_4
                      菊の盆栽展420x280_6
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コメント

さすがに行動がお早いですね!
私も慕辺さんに教えて頂いて気になっていましたが
まだ読んでおりません。
蒙古での生活、上のほんの少しの引用だけでも
想像するのもつらいですね。
大体、インドでの獄中での生活が天国だったというのですから
後は推して知るべしですよね。
本当に凄い日本人がいたものです。

投稿: zooey | 2013年11月21日 (木) 14:59

★zooeyさま

実際にどこも行ったことがなくて、TVの映像で見たので想像するだけですが、ネパールやインドなどに実際を歩かれておられる慕辺未行さまなら、このあたりの旅行記は様子がわかるでしょうね。チベット、モンゴルはどんなでしょうね。
潜行された頃から70年経っていてもそんなに変わらないでしょう。ただ空路だけでなく、鉄道と道路が出来て誰でも旅行が出来るようになったので、どうでしょう、生活は少しは豊かになったでしょう。
もうこんなに文化に浸ってしまった日本人ですから、このように凄い人はいないでしょうね。

投稿: tona | 2013年11月21日 (木) 16:29

凄い本ですね。西川一三さん。
8年間任務を忘れることなく耐えて生きてきた足跡は想像を絶するものだったと伺えます。こういう記録を若い日本人に読んで欲しいと思います。
それにこの方は元々体も頑丈に出来ていたのでしょう。人間は困難な状況の中で死ぬことは簡単である。しかし耐えて生きることは難しい。だけど生きて日本の土を踏み家族のもとに帰ろう、と励まして部隊を満州から引き揚げてきた人の話を聞きました。人間はいざとなればとんでもない力を発揮し生き延び、逆に諦めたらいとも簡単に死にいたる、という話を思い出しました。これは戦争に参加した満州から部隊を引き連れ日本を目指した元軍人の話です。
この本、読んでみたいですね。

投稿: macchanny | 2013年11月21日 (木) 19:57

★macchannyさま

私も満州から引上げは、藤原てい著『流れる星は生きている』や宮尾登美子著『朱夏』やそして知人のお母さんと知人兄妹5人の引き上げなど、これぞ想像を絶するものだったと思ったものです。
その通り生きて帰ろうとする一心、なんて凄いのでしょう。
この西村氏もまた心身ともに頑丈な人ではありますが、首相からの任務を果たしたく、それがすべてだったのですね。
今は時代が変わって、目標を失った人々の群れを悲しく見つめるのです。
世界から存在が消えてしまいそうな日本、何とかしていかねば。読んでほしい本ですね。

投稿: tona | 2013年11月21日 (木) 21:12

慕辺未行さんが推薦していた本をもう読まれたとは
さすがです。
いつもながらの実行力に感心しています。
きっと読まれるからそれを見たらいいわ
なんてずるいことを考えていました。

本当に聞きしにまさる凄い人なのですね。
もう一人、河口慧海と言う人も凄いらしいと
彼が言っていました。
この人も凄い人で時代は遡り、日本人で最初に
シルクロードを通り、仏教遺跡をたどった人と
聞いています。読みたいと思い、何年経ちました
ことやら・・・30年は経っています。

投稿: matsubara | 2013年11月21日 (木) 21:55

こんばんは (◎´∀`)ノ
西川一三氏の著書の内容と感想、さっそく紹介いただきありがとうございます。
いやはや何と申し上げてよいのやら・・・、ありがたいことです。
ブログで西川氏のことを紹介しておきながら、ラサ到着後のことは知らないのです。
それだけでなく、ラサまでの道中の生活習慣、『不潔』過ぎるほどの習慣についても知りませんでした (^_^;;ハズイ!
ラサ到着から帰国までは私も気になっていたのですが、まさかその後もこのような紆余曲折・波乱万丈があったとは (゚o゚)ナニッ?!
それにしても終戦から5年近く経ってからの帰国。もしインドで逮捕されなかったら彼は帰国したのかどうか・・・?もしかしたら一生帰国する気がなかったのかも・・・とふと思いました。

投稿: 慕辺未行 | 2013年11月22日 (金) 00:06

★matsubaraさま

厚い本で随分時間がかかりました。
次々展開する内容には惹きこまれました。
こんな強い人がいたとは!ただただ驚くばかりです。
河口慧海も5冊でしたか読みましたがすっかり忘れています。生活は同じようだったのですね。
何かを一筋に求道するということは人間に偉大な力をも与えてくれるものですね。何もなくふらふらしている私です。

投稿: tona | 2013年11月22日 (金) 08:16

★慕辺未行さま

おはようございます。
お陰様でずいぶん時間がかかりましたが読み終えました。
とても感動しましたことをご報告します。
ありがとうございました。
そう、インドで逮捕されなかったらビルマに行き、そしてラサに戻っていたのでしょうね。
チャンスを見てさらに西へ行こうとしたかもしれません。
運命に翻弄されたのではなく、自ら切り開いてたどり着いた人でしたね。
千分の一でもいいから、この人のように強くなりたいです。でないと安らかに死ねませんもの。

投稿: tona | 2013年11月22日 (金) 08:20

>国からの使命を全うしようとする心、冒険心、学びたいというタフな精神が心の元気の原動力

引き返すという選択肢はなかったのでしょうか。
凄すぎるなあ。

投稿: 佐平次 | 2013年11月22日 (金) 08:35

★佐平次さま

それがどこにも日本へ引き返そうと思った節がないのですよ。
蒙古に骨を埋めてもいい覚悟が垣間見えました。今の日本に育ったら誰もそんなことを思いませんよね。時代もあるのですね。

投稿: tona | 2013年11月22日 (金) 19:36

こんばんは (◎´∀`)ノ
ふと思い出しました。
彼に与えられた密命は『西北支那に潜入し、支那辺境民族の友となり、永住せよ』でした。
日本が戦争に負けたと知ってもなお彼は、その命令を守るつもりでいたのでしょう。
つまり彼にとって帰国することは『命令に背く』ことだったと考えていたのではないでしょうか。

投稿: 慕辺未行 | 2013年11月23日 (土) 23:20

★慕辺未行さま

再訪有難うございます。

ラサで日本が原子爆弾にやられて敗戦した噂を聞いて、インドまで確かめに行きました。確実に敗戦ということが分かったので、自分の使命は終わったと思ったそうです。帰国の途を失ったが気を取り直してラサに戻りラマ僧として本格的修行に励んだそうです。ところがひょんなことから帰国できたのですね。

投稿: tona | 2013年11月24日 (日) 08:39

西川一三氏の奥様は盛岡で御健在です。
2016年9月8日講演会があり娘さんとご出席されました。内容は戦後の生活や執筆の様子等でした。原稿用紙3200枚は奥様が清書されたそうです。1年で364日働いて家族を養ったという事でした。貴重なお話を聞くことができ興奮しました。今後このような日本人は出ないと思います。

投稿: marui | 2016年9月 8日 (木) 21:35

★maruiさま

まあ!本日講演会があったのですか。
本の中には書いてない部分ですね。知りたかったです。どんな生活をされていらっしゃったのか。
364日働いたということは書いてあったような気がします。
感想で述べましたが凄い方ですよね。
もう講演はないのでしょうね。
残念な想いです。
お知らせいただいてありがとうございました。

投稿: tona | 2016年9月 8日 (木) 21:44

奥様は90歳と高齢で車椅子生活ですのでおそらくこれが最後の講演かと思います。
娘さんには感想と謝意を認めた手紙を出しておきました。聴衆からは多くの質問が出ましたがご本人の体調もあり十分な時間が取れませんでした。とにかく不世出の日本人である事には間違いありません。

投稿: marui | 2016年9月 9日 (金) 22:45

★maruiさま

そうだったのですか。そういうお年でしょうね。
西川一三氏はあんな厳しい生活を長い間送ったのに、90才近く生きられて脅威です。しかも1年中亡くなられるまで働いていて。
戦後の生活がどのような生活であったか本当に知りたいと思っていました。
本も図書館で借りたのですが、手元に置いておきたい本です。川口慧海どころではないですね。
インドへ何度も往復したことやチベット東など凄い所を探検したところを今も思い出します。インドに行った時も足の裏がひどかったのに医者にもかからなかったその強さ、もう驚きの連続で読みました。本当に凄い日本人がいたものですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2016年9月10日 (土) 06:52

講演を聞いて謝意と感想を認めた手紙を娘さんに出したところ
さっき電話で娘さんが感謝の意を伝えてきました。奥様は
大変重い病気で今回の講演も断ろうと思ったそうです。
私の手紙を見て「こんなに喜んでもらって良かった」と言っているそうです。西川氏の出身は山口、奥様は静岡で盛岡には
親戚、知人が全くいなく戦後の生活は大変苦労されたようです。

投稿: marui | 2016年9月10日 (土) 20:02

★maruiさま

再三にわたりご様子をお伝え頂きありがとうございました。
帰国されてからも国の関係でしばらく大変だったのに、その後ご出身地でもない盛岡に何故と思ったものでした。戦後寄る辺のない土地でご家族ともども苦労されたそうですが、それまでのチベットの地でのことからは、国内のどんな苦労もものともされなかったのではと思いました。
帰国後よく重病になられなかったものと思います。↑の私の感想のような方だったことを実感しました。
maruiさまは勿論、盛岡の方にいらっしゃって、講演会を主催されたのでしょうね。皆様の感動はいかばかりでしたか。私たち読者はその後を知りえないので、参加された方々は本当に良かったですね。

投稿: tona | 2016年9月11日 (日) 08:29

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