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2014年2月13日 (木)

徐福伝説について

徐福研究一筋17年という方々の講義を聴きました。神奈川県の徐福研究会の会長さんと会員の方です。

徐福は司馬遷の『史記』の記述に存在する。これが徐福伝説の始まりで、中国には徐福の故郷や出港地などのゆかりの地があるそうだ。そして日本には徐福が到達したところや、訪れたところなどの伝説がある。
記述の内容は:方士(神仙、医療、保健、摂生の技を持つ)である徐福は秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3000人の童男童女と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、平原広沢(広い平野と湿地)を得て、王となり戻らなかった。・・・とある。
しかし徐福は、不老不死の薬を取りに行ったのではなく、始皇帝の圧政から逃れるための亡命であったという説もあるという。種を持って、多くの若者を連れて行ったのは新天地の開拓が目的であったと。

紹介された徐福伝承の場所は23か所。
有名なのが和歌山県新宮市、三重県熊野市、佐賀市、福岡県八女市、京都府の伊根町、富士吉田市、東京都北区王子、男鹿半島、青森県小泊など。

新宮市の新宮駅近くの徐福公園内には、紀州藩によって江戸初期に建立された徐福の墓がある。平成になってから中国風門や徐福像が建設された。伝説では徐福の永住地であり、農業技術、漁法、捕鯨、製紙など多くの技術を伝えたと言われる。

熊野市・波田須地区には徐福の宮がある。徐福の船がここに流れ着いたとされる。

佐賀市各地に上陸地、お手洗いの井戸、お手植えの神木などの伝説が残される。

これら伝説地の多くが修験道の寺院と関わりがあり聖地である。
徐福の神仙思想は道教の基盤である。修験道は道教からも大きな影響を受けており、したがって徐福と修験道が関連付けられるというわけだ。
徐福が東渡したのは紀元前210年頃である。日本では卑弥呼の時代から400年以上も前であり、古事記、日本書紀が書かれた時代から900年以上も前で文献には残らない。
徐福が本当に日本に来たかどうかは、歴史的には確認できていない。

伝説地では行政も加わって、伝説の継承、街おこしに活動している。各地の徐福会でも交流がなされ、中国とも徐福を通じて厳しい関係にある日中間の友好促進に役立てて行こうと考えているそうです。
以上いただいた資料からの抜粋ですが、17年間もずっと徐福を愛し、研究を続け、各地と交流し、中国での国際徐福フォーラムに参加して研究発表したり、ゆかりの地に赴いているようです。
私自身は新宮や熊野の地の伝説しか知らなかったですが、ずっと研究を続けている方々の熱意にただただ感嘆するばかりでした。

          ...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

江戸東京博物館の「広重五拾三次」展では五十三次の名前を知らない所が結構ありました。
「鞠子 名物茶店」もその一つ。名物茶店のとろろ汁が美味しいそうで、今もあるなら食べてみたいと思いました。
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鞠子は東海道五十三次の20番目の宿場で、丸子とも書く。現在の静岡県静岡市駿河区丸子。東海道中でもっとも小さい宿場だとか。

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コメント

こんばんは (◎´∀`)ノ
徐福、名前は聞き覚えがあります。
不老長寿の薬を求めて日本にやって来たとか…。
それにしてもそんなにたくさん伝承地があるのですね。
実際に訪れたからこそ、伝説が残っているのかもしれないですね。

東海道五十三次の鞠子(現:丸子)宿のこのお店、今でもあります。
昔ながらの茅葺き屋根のお店です。
『丁子屋』と言い、自然薯のとろろ汁が美味しい名店で、一度訪れたことがあります。
あのとろろ汁、本当に美味しいです。
静岡の人々が「接待で利用したいお店」のトップだそうです。
すぐ傍に『丸子梅園』があります。

投稿: 慕辺未行 | 2014年2月13日 (木) 23:12

こんにちは
 
はて 徐福…見覚えがあります。伝承を拝見すると、そのお話にも
微かな記憶が。でも、いつどこで目にしたのか全く思い出せません。
しかしこれほど日本各地に伝承が残っているとのことですから、
どこかで見聞きしていても不思議ではないのでしょうね。
卑弥呼の時代よりもそんなにも前の時代のことなのですか。
古代日本の文化・文明の祖なのかもしれない人?
これほど広範囲にわたる各地に徐福伝説が存在することが、
ちょっと驚きでもあります。
彼によって製紙の技術も伝わったとすると、現存する書物より
もっともっと古いものがあったかもしれないことになるのでしょうか。
そういうものがあったら、謎に包まれている日本の古代史も
もう少し明らかになっていたかもしれませんねぇ。
残念でもあり、謎だからこそロマンがあるのだとも思えます。

投稿: ポージィ | 2014年2月14日 (金) 10:42

tona様
鞠子は単身赴任中に時々立ち寄ったところです。当時は観光バスが来て賑わっていました。丁子屋の傍の川堤には日に焼けた緋毛氈を掛けた床几があって鄙びた雰囲気でした。

投稿: evrgrn | 2014年2月14日 (金) 12:09

徐福伝説は韓国にもあります。
済州島の西帰浦は「徐福が西に帰る」といって,去った所,が名前の由来と聞いたことがあります。

投稿: gaki | 2014年2月14日 (金) 12:17

徐福伝説を少しネットで見ますと確かに
全国にあるみたいですね。これまでは
和歌山だけと思っていました。

恐らく大勢で隊を組んで来て、途中で
難破か何らかのアクシデントがあり、
あちこちバラバラになって日本に着いた
のでしょうね。
全く関わりないところに遺跡はないでしょうから。
2200年も前のことですから分からない
ままでしたが、中国でも近年ようやく
出身地がみつかったようですね。
ロマンのある話です。

鞠子の宿は記念切手にもあったような気がします。

投稿: matsubara | 2014年2月14日 (金) 14:26

★慕辺未行さま

こんにちはsnow
仰る通りだと思います。全国にこんなにたくさん伝承地があるというのはそうとしか思えません。
マルコ・ポーロは日本の黄金を求めて日本方面の中国へ、徐福は不老長寿の薬を求めて、日本は東の孤島で詳しく知られていなかったのですね。

鞠子宿のお店、今もあるのですか!
名前は「丁子屋」というのですね。
今も名物にふさわしく美味しいわけですね。
しかも静岡で接待したいお店トップまで教えていただきありがとうございました。いつか行かれるようにお祈りします。

投稿: tona | 2014年2月14日 (金) 15:59

★ポージィさま

こんにちは。
この間と同じペースで積もっています。

1昨年紀伊半島旅行の熊野方面にさしかかった時に、ちょっぴりガイドさんから聞きました。でも銅像などは見ていません。
他にも伝説上の人がいるようですが、この数の多さは根拠がありそうな気さえしてきます。
新宮の地が有力とすれば、捕鯨まで教えたということで今でも太地町で行われている起源だったりして(駐日米大使が批判したそうです)。
紙もそうだとすると凄いこと、おっしゃるように日本史が塗り替えられそうです。
このロマンあるお話だからこそ、皆さん熱心に研究されているのでしょう。ありがとうございました。

投稿: tona | 2014年2月14日 (金) 16:12

★evrgrnさま

そうですか、鞠子はご縁があったのですね。
「丁子屋」というお店があるそうで思いがけないことでした。
緋毛氈をかけた床几があるなんて江戸時代のようですね。
観光バスまでたくさん行っているのですね。
いつか行きたいです。教えていただいてありがとうございました。

投稿: tona | 2014年2月14日 (金) 16:18

★gakiさま ありがとうございます

この講座では済州島に、徐福が通過したという伝説があるとのお話でした。
西に帰る「西帰浦」ですか。ということは中国に向かったと考えられるのですね。でも帰らなかったと史記に書いてあるわけです。

投稿: tona | 2014年2月14日 (金) 16:23

★matsubaraさま

私も和歌山県のしか知らなかったですが、中国からは九州が一番近いから九州説も頷けます。
しかし修験道という関連でみますと全国に伝説があるのもわかりました。
そして、漂着してバラバラというお考えもあるわけですね。面白いです。
中国では徐福村や秦皇島、岱山島、瑯琊台などに徐福の像が建てられているそうです。
春秋戦国時代の人々を祖先としてきた孔子の子孫の話などがある国ですから、あちらでは真実味がありそうです。

初めて知った鞠子宿ですが、記念切手まであったのですね。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2014年2月14日 (金) 16:34

こんばんは。
ご近所にも秦さんという方がいらっしゃるので徐福の熊野伝説も納得出来そうです。(^^)

鞠子のとろろ汁は新婚時代に静岡の榛原に住んでいたので出かけたことがありました。
丁字屋でいただいたのですが、その当時46年前でもとろろ汁にしては高価なような気がしました。

投稿: アザミの歌 | 2014年2月14日 (金) 21:04

★アザミの歌さま

こんばんは。
熊野市は三重県にあることを知ったのは1昨年の紀伊半島旅行でした。三重県って南北随分距離があるのですね。
そうですか。秦さんがいらっしゃるのですか。
徐福が漂着したということを大分前に聞いたことがありました。

榛原とは良いところにお住まいだったのですね。
とろろ汁はどこでも高いですが、46年前に高かったのでしたら、きっと今も高いでしょうね。
地図で見ましたら、東京から新幹線ですと丸子も近いので行けないことはないと思ったところです。
教えていただきありがとうございました。

投稿: tona | 2014年2月14日 (金) 21:31

徐福一行が旅する様子を想像すると面白いですね。
言葉、食べ物、服装、夜の過ごし方、、。

投稿: 佐平次 | 2014年2月15日 (土) 11:57

★佐平次さま ありがとうございます

そうですね!
言葉ですが秦の始皇帝と話した言葉、今の中国語とはだいぶ違うのでしょうかね。
捕鯨を教えたなんてありますが、その頃の中国で捕鯨が行われ、食べていたとは全然考えられないのですが。
これぞ徐福を思うロマンでしょうか。

投稿: tona | 2014年2月15日 (土) 15:28

静岡市の丸子とろろ情報です。
丁子屋は県外からの方には評判が良いです。
すぐ近くに一松園もあり、地元ではよくでかけます。その先バイパスの向かって二軒屋の交差点をお不動さんの方向に入っていってもとても美味しいとろろ汁屋さんがありました。

投稿: 愛好家 | 2014年2月22日 (土) 00:30

★愛好家さま

丸子にはとろろ汁を是非食べに行きたいと思いました。
富士山がきれいに見える時期ですと秋から冬でしょうか。
それに美保の松原などもついでにと思います。
新幹線で行かねばなりませんので、各駅に乗り継ぎ、駅からの道を探索しなくてはなりませんね。
貴重な情報をありがとうございました。

投稿: tona | 2014年2月22日 (土) 08:46

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