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2014年3月31日 (月)

宮古・八重山諸島10島めぐり(4)

Y_map八重山列島② 小浜島 石垣島

<小浜島>

竹富島からいったん石垣島まで戻ってまた船で西表島のそばの小浜島まで行き、ここで島の面積の約5分の1を占める「はいむるぶし」に宿泊。
                    ホテルからの海

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                     ハイビスカス420x280_2
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ガチョウはハブを食べる。この島ではクジャクは害鳥だそうだ。
2001年度上半期NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』の舞台になった島です。

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                 向こうは西表島と由布島420x280_8
                   大きなカニがいました420x280_9
              展望台から。手前の木はマングローブ。420x280_10
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八重山諸島に入ってから、どの島もバスのドライバーさんが運転しながらガイドをしてくれます。どの人もすごく面白く、途中で三線を弾いて歌ってくださったりするのだ。420x280_14

<石垣島>
◆米原のヤエヤマヤシ
西表島と石垣島だけに自生する天然記念物・ヤエヤマヤシは高さ20mもある。420x280_15
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         迷彩服の柄はこの樹膚から考えられたそうだが本当か?280x420_2
             オオタニワタリ 新芽の天ぷらなどが絶品280x420_3
                      クワズイモ420x280_16
                  ニッパヤシはここが北限280x420_4
                  ドラセナの花はこんな花!280x420_5
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◆川平湾 美しい湾にはサンゴの種類が多い。
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        グラスボートに乗って沖縄しかない青いサンゴを見ました420x280_19
空港へ行く途中ドライバーさんがカンムリワシの幼鳥を発見。これはとても珍しいとのこと。日本では西表島と石垣島と与那国島しか生息しない。蛇を特に好む。420x329

美しい海と咲き乱れる花々、水牛や蝶、サンゴと南国的な自然や独特の民家を10島で堪能してきました。ご覧いただきありがとうございました。

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2014年3月29日 (土)

宮古・八重山諸島10島めぐり(3)

Y_map_2八重山列島① 西表島、由布島、竹富島

<西表島> 
宮古島に1泊、石垣島まで飛行機で30分、石垣島で1泊した後、西表島へは高速船で行く(高速船には7回も乗った)。
八重山諸島最大の島で面積の90%が亜熱帯の自然林で川が30本もある。
イリオモテヤマネコをはじめとする固有種が多い。マラリアが発生して定住が困難だったが今は撲滅された。

                                マングローブ原生林クルーズ420x280
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マングローブにはオヒルギ、メヒルギ、ヤエヤマヒルギがあり、海の水と混ざった汽水に生え、支柱根に支えられ、また気根を出す。これはヤエヤマヒルギの気根420x280_3
サキシマスオウノキの板根。左の一番高い板根で3.3mもあり、幹周りは3.6m、高さは20m。420x280_4
                  水田はすでに田植えが終わっています。2期作~3期作。420x280_5

<由布島(ゆぶじま)>
西表島に隣接した周囲2㎞と小さな島でかつては数百人住んでいたが、1969年、台風によって壊滅的被害を受けてから今の住人は10数人のみ。ある夫婦が島に残ってたくさんのヤシや花を植え続け、今は島全体が亜熱帯植物園です。
島までの海の深さは大人の膝丈に満たない。移動手段は水牛車。3歳から車を引く水牛は15~20人くらいの人を運ぶ。大人しく賢い水牛には名前がついている。私が乗ったのは由太君と慎太郎君。420x280_6
仕事の合間に休んでいる水牛たち。水牛は汗腺がないので汗をかかない。体温が40℃にもなって暑いので水の中が好きで、一日200リットルの水を飲むのだとか。420x280_7
植物園420x280_8
                                      ブーゲンビリアガーデン420x280_9
中央に白い花が3つ。同時に咲いているのは私には珍しい。咲き方や包葉の色もいろいろだ。420x280_10
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                                                 パパイヤ420x280_15
                              コダチヤハズカズラ(キツネノマゴ科)420x280_16
                                   キンレンカ(ノウゼンカレン科)420x280_17
                                     オオゴマダラは日本最大級の蝶420x280_18
                      そのサナギは黄金色で、ここで見られて感激です。420x269

<竹富島>
今教科書問題で脚光を浴びている竹富町は、石垣島と与那国島を除く、竹富島を含む八重山諸島全体だそうです。
重伝建(重要的伝統建造物群)保存地区で、木造赤瓦の民家と白砂が撒かれた道という沖縄古来の姿を保っている。420x280_19
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そこを水牛車で見物と言うわけであるが、こんな表示が数か所で見られて、由布島みたいに海を渡るわけではないので歩けるから、三線を鳴らしながらの水牛車がひっきりなしに通るのはさぞや迷惑というのがわかる。しかし水牛車の観光で成り立っているのも事実で複雑な状況ではある。鎌倉も終日の人の流れで住んでいる人は騒音で大変とのこと、似たようなことです。420x343
屋根や門にはシーサーが。島にあるシーサーは170以上で、それを写した絵葉書を買いました。いろいろな顔があって見ていて楽しい。
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星砂の浜では星形をした砂(星形の原生動物の有孔虫の骨格)を探しました。420x280_23

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2014年3月26日 (水)

宮古・八重山諸島10島めぐり(2)

宮古列島②
<宮古島>その2

樹木の緑とお花がきれいでした。
主な産業としては、サトウキビが終わると葉タバコ、そしてマンゴの収穫となる。トライアスロンの島でもあります。

  ベニモンアゲハ(アゲハチョウ科)は熱帯に分布し、鮮やかな赤の斑点が並ぶ。420x321
ガジュマル(クワ科)があちこちに見られた。別名:絞め殺しの木。
土台となる低木や岩に発芽して、成長した幹から気根を垂れ、徐々に幹や土台の木にからみつき、土台の木を殺す恐ろしい木。420x280
アダン(タコノキ科)の実。奄美大島に住み着いた田中一村の絵が印象的です。この実は繊維質で食べるのに適さないが、ヤシガニの好物です。
雌雄異株、この木も気根を垂らして接地し、木を安定させ、風倒を防いでいる。葉はパナマ帽や筵や籠の材料となる。420x280_2
モンパ(紋羽)の木(ムラサキ科) 樹形がなかなか良い。海岸沿いや岩場に自生。潮風に強い。
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◆熱帯植物園 植物園でありながら植物名が明記されていないのが残念420x280_3
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                     トックリヤシ420x280_5
                トックリアブラギリ(トックリサンゴ)420x280_6
                  バナナ(バショウ科)の花420x280_7
                       キンチク280x420

◆東平安名崎(ヒガシヘンナザキ)420x280_8
                    アダンの群生420x280_9
                 イリオモテアザミ(キク科)420x280_10
                  テッポウユリ(ユリ科)420x280_11
                   ハマウド(セリ科)420x280_12
                  ハマゴウ(クマツヅラ科)420x280_13
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宮古島の家の玄関には、この6つの突起があるスイジガイ(水字貝)が魔よけとして吊るされています。600x400_420x280
宮古島空港のターミナルは屋根が赤の漆喰で固められていて沖縄の家風です。420x280_17
毎晩、三線の演奏や島唄ライブで「芭蕉布」や「島唄」「新安里屋ユンタ」など聴きました。420x280_18
        三晩ともブッフェをチョイス、いろいろな味を楽しみました420x280_19
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2014年3月24日 (月)

宮古・八重山諸島10島めぐり(1)

宮古列島①

500x600東京から約2000㎞もあるという先島諸島(宮古列島・八重山列島)の10の島に3泊4日で行ってまいりました。
羽田→那覇→宮古へ2時間50分+55分のフライトでした。

宮古列島は8つの有人島、八重山諸島は10の有人島からなる。
宮古列島では宮古島とそこから橋でつながっている池間島と来間島、橋が間もなく完成するという伊良部島とこれに繋がっている下地島の5島を見学しました。

宮古島に入るとサンゴ礁の海と畑やビニールハウスが見えました。宮古島には山や川(小川が1つだけ)がなく、ハブもいない。年間雨量が多いので地下水が豊富で渇水の心配がない。420x280
どの島も周りはサンゴ礁に囲まれて美しいエメラルドグリーン色に輝き、その外の日の光が届かなくてサンゴが育たない深さの海と色が異なり、境目は波がサンゴに当たって一直線に白波が立っているのだそうだ。
この後どこに行ってもこの景色が見られてビーチ三昧でした。420x280_2
<池間島>
宮古島の北に位置する小さな島でこれは島から池間大橋と宮古島を眺めたもの。山がないのがよくわかります。420x280_3
こんな小さな島にも「さとうきび畑」があります。風が吹くとざわわ♪ ざわわ♪と鳴るそうです。これは少し前に植えられたものですが、今はさとうきびの収穫の最終段階で人々が刈っていました。凄い重労働にもかかわらず収入が少なく、高齢化が進んで減っているそうだ。420x280_4
<伊良部島>
宮古島の北西にあり船で渡る。昔大津波が押し寄せて島の巨石が海岸に押し流された風景。420x280_11

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<下地島>
伊良部島の西にあり40~100mしかなくて橋で繋がる。
1㎞の滑走路があってパイロットはここで訓練する。420x280_6
<来間島>
宮古島の南西にある小さな島 全長1690mの来間大橋は日本最長の農道橋420x280_7
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<宮古島>その1

◆砂山ビーチ
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◆与那覇前浜420x280_9
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2014年3月16日 (日)

日本刺繍の天井・旧岩崎邸庭園

『世紀の日本画―後期』展を見た後、不忍池を回って旧岩崎邸庭園に行ってきました。

上野公園の桜の蕾も少し膨らんでいました。寒桜と大寒桜が先に咲いていました。

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不忍池はハスの枯葉で覆われ、ユリカモメだらけで、ハシビロとオナガガモとオオバンが数羽いるだけでした。400x300_3
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旧岩崎邸は岩崎彌太郎の長男で第3代社長の久彌の本邸であった。当時15000坪あったそうだが、現在は三分の一の敷地に明治29年に建てられた3棟と広い芝生の庭園があります。400x300_6
洋館・撞球室は英国人のジョサイア・コンドルが設計した。コンドルは鹿鳴館・上野博物館・ニコライ堂・三菱一号館などの設計を手がけた人。そして絵が上手で河鍋暁斎に弟子入りして多くの日本画を描いたということを最近知ったばかりです。
洋館の広いこと!装飾は17世紀の英国ジャコビアン様式(ねじり棒型、丸型の脚)だそうで、その中にイスラム風のモチーフがふんだんに散りばめられている。
壁紙も各部屋全部違っていて金唐革紙がキンキラキンで凄い。
洋館南側は列柱の並ぶベランダで、1階列柱はトスカナ式、2階列柱はイオニア式。1階ベランダには英国ミントン製のタイルが敷き詰められている。400x300_7
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一番驚いたのがある部屋の天井が日本刺繍で埋められていることだ。気の遠くなるような作業です。洋式水洗トイレまであった。
岩崎家は方々に別邸を持ち(清澄庭園や殿ヶ谷戸庭園など)、驚くほどのお金持ちだったのですね。

大広間の一棟だけの和館には、橋本雅邦が下絵を画いたと伝えられる障壁画が色あせて残っていました。420x315
撞球室(ビリヤード場)はスイスの山小屋風で壁は校倉造り、屋根がインスブルックの黄金の屋根風です。洋館と地下通路とつながっている。420x315_2
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袖塀(門や建物の脇に設けられた塀)には岩崎家の家紋である「重ね三階菱」が中央に見える。420x315_5
クロッカスやクリスマスローズ、そして列柱などいろいろな装飾に多く使われたアカンサスが植えられていました。350x263
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2014年3月13日 (木)

『日本人の味覚は世界一』鈴木隆一

『日本人の味覚は世界一』~「旨味」のわかる驚異の味覚はどこからきたか~ 鈴木隆一著

4基本味に旨味が加わったのはなんと2000年だそうだ。アメリカで舌で旨味を感知する受容体が発見されたからだ。
旨味調味料であるグルタミン酸ナトリウム(昆布の旨味)もイノシン酸ナトリウム(鰹節の旨味)も日本人が発見した。
日本人だけ昆布や鰹節でだしをとってきた。元を辿ると魚介類の海洋資源が豊富で、動物性タンパクに不足がなかったことや、日本が農耕に適した風土であったこと。また大陸からの距離があったために牧畜がそのまま伝わらなく、またその必要性を感じなかった。それが日本人が他の大陸にある国々とは異なる食経験を持ち、異なる味覚を持つ要因となった。
海洋資源というと鰹にカビを生えさせて鰹節を作ってしまったことに驚く。魚だけにとどまらず、seaweed(海の雑草)と呼ばれる海藻を食べるのも世界的には驚異だ。スコットランド、アイルランド、チリなどで一部食べられるだけだ。
昆布を乾燥してだしをとるのも大した知恵だ。奇跡的に日本人だけが旨味を感じる力を持ったというのも、日本食特有の「だしをとる文化」があったからだ。それも水が軟水だから素材からだしを抽出しやすかったというおまけまでつく。

日本には四季があるため、季節によって異なる食材が採れ、食材が豊富であるため、材料そのものの味を引き出すという料理法が発達し、香辛料を多用することなく、日本人の味覚に大きな影響を与えてきたわけである。
それに比較して他の国では辛味が珍重される。辛味は厳格にいうと味覚でなく触覚・痛覚だそうだ。
また世界の大半の肉食の国や暑い国においては、歴史上の面でも香辛料やハーブを活用しているので日本とは大いに異なる。

近頃、味覚力を鍛えられた外人にも日本食がブームとなり(外国での一部の外国人によるインチキ日本食は残念だが)、健康にも和食が一番ということで、世界文化遺産にもなったこととも相まって私たちの誇りにもなった。こんな国に生まれて住んでありがたいことです。
研ぎ澄まされた味覚を子孫にも伝えて、インチキ食品には騙されないようにしたいです。

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2014年3月 9日 (日)

京王百草園

東京日野市にある京王百草園は今、50種500本の梅が咲いています。満開で混んでいました。

江戸時代享保年間に、小田原城主大久保候の室の寿昌院が徳川家康の長男・信康追悼のために松連寺を再建し、それに伴い百草園が造営される。
明治初期に松連寺は廃寺となり、百草園は地元出身の生糸商人が所有したが、1957年に現・京王電鉄に移管された。

             寿昌院手植えの梅、樹齢300年で巨樹だ。420x280
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                 梅の木は、1本1本味わい深い。420x280_3
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                       満月しだれ280x420_2
           展望台から、スカイツリーは私の目には見えない。420x280_7
            志ばらくは 花の上なる 月夜かな (芭蕉歌碑)420x280_8
                       心字池420x280_9
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                     茶室:三擽庵420x280_11
                  今年初めての’マンサク’420x280_12
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                      スイセン420x280_14
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                    マメヅタ(ウラボシ科)280x420_3
                敷地の隣の百草八幡宮420x280_16



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2014年3月 6日 (木)

葛飾応為ことお栄

江戸時代にも女性絵師はいたようですが、私が知っているのは池大雅の奥さんの玉瀾とお栄です。

お栄は北斎の三女で応為は画号である。北斎が娘を「おーい」「おーい」と呼んだので付いたという説がある。
肉筆画においては父をも凌ぐ腕前で、晩年の父の制作を助けたと言われる。
男のような性格で慎みを欠き、結婚したが夫の絵の拙いところを指して笑ったので離縁されたという話や、父共々すごくだらしなくて片付けが出来ず、散らかると引っ越しを繰り返したと言う話を聞いたことがある。
さらにWikipediaによれば、
「絵の他にも、占いに凝ってみたり、茯苓(サルノコシカケ科)を飲んで女仙人になることに憧れてみたり、小さな豆人形を作り売りだして小金を儲けるなどしたという。
弟子の露木為一の証言では、阿栄は北斎に似ていたが、ただタバコと酒を嗜んだという。ある日北斎の描いていた絵の上に煙草の吸殻を落としたことがあり、大変後悔してタバコはやめたというが、しばらくしたらまた元に戻ってしまった。
また阿栄にも弟子がおり、たいてい商家、武士の娘であり、絵の家庭教師として訪問して教えたようである」・・・とかなり破天荒な面白い女性だ。
山本昌代著『応為坦坦録』を早速読んでみよう。

応為の現存する作品はたった10点と言われる。
そのうちの一点、太田記念美術館で開催されていた「葛飾応為 吉原格子先之図ー光と影の美」を見て来ました。
先日の「大浮世絵展」で見損なったメナード美術館蔵の『春夜美人図』は残念であった。
秋にはボストン美術館蔵の『三曲合奏図』が来るそうで是非見たいものです。

                    『吉原格子先之図』
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格子の向こうには吉原の遊女が明るく照らし出され、それを覗く提灯を持った男たち、光と闇のコントラストがくっきりとして、これを私たちが覗き込む。
光の画家、レンブラント、ラ・トゥール、フェルメールが思い起こされる。
応為の描いたものとしては挿絵が展示されていた。

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2014年3月 3日 (月)

3月15日は靴の記念日

『西洋靴事始め』稲川實著

今日はひな祭りですが、靴の記念日はいつでしょう。少し先ですが、3月15日だそうです。
日本で靴が造られるようになったのが明治3年、それ以前の靴はすべて外国製の輸入靴だった。
日本陸軍で軍靴が採用されたのが明治2年。それまでは軍隊も草履だった。
江戸末期にさむらい姿で西洋靴を履いた人は坂本竜馬で、桂浜には、着流しで懐手で靴を履いて立つ銅像も建てられていて、モデルになった写真も長崎で写されたもの。
和装に靴と言えば華族女学校の女学生がえび茶の袴姿に靴という出で立ちだった。今でも大学生の卒業式にたまに見かける。明治時代は男女とも羽織袴の正装に靴を履いていたのである。176x286
最初は靴と書かないで沓だった。
製靴業の祖は西村勝三で佐原藩の武士だったが脱藩して商人に転じ、明治3年3月15日に開業し、近代産業に育てあげ、今日の靴産業の礎を築いた。それで業界ではこの日を靴の記念日とした。
応募者の少年たちは、皮革の異臭を嫌い、仕事をいやがって逃げてしまって苦労が多かったらしい。
手で縫っていた靴だが、明治4年に1台だけ靴ミシンが輸入される。しかし靴用シンガーミシンが入って来たのは明治23年だった。
靴を履くには靴下が必要と言うことで、西村がメリヤス製造工場を明治5年に設立した。この年には靴の製造の技術指導をオランダ人レ・マルシャンに依頼している。
後にこのレ・マルシャンは日本人靴屋に入聟し、帰化した。帰化第一号であり、国際結婚のはしりだそうだ。

とまあこんな具合に事の初め、日本人と靴の出会いを中心に話が古い写真や文献とともに綴られています。
日本の町工場の技術は世界的にも優れている。例えば靴だけでもそうした先人の優れた技術のおかげで、今までたくさんの履きやすい靴に助けられて生活できたわけで、靴に限らず先人の数々の苦労の上に成り立っている私の生活です。

『大草原の小さな家』のシリーズに靴の話が載っていたのを思い出しました。
『農場の少年』作者ローラ・インガルス・ワイルダーの夫となるアルマンゾの少年時代を書いた作品です。ローラは1867~1957年なので明治時代の話です。
この中に、開拓地では年に1回靴屋が回ってきて2週間住み込んで家族の靴を作るということで、ワイルダー家では靴屋が4人の子供靴を寸法を測って、アルマンゾの父親が狩猟の獲物のなめした皮を使って、製造する様子が細かに書かれています。
自給自給の生活でも技術者の手を借りたことがわかる場面です。

ヒヨドリは最後に家の千両万両の実を食べつくして餌がなくなったので、この頃モッコウバラの葉を食べています。350x263
            メジロもちょこちょこやって来るようになりました350x253

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