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2014年4月29日 (火)

スティーヴンソンの「吉田寅次郎」小伝

近頃、『宝島』『ジキルとハイド氏』で有名なスティーヴンソンが、日本人より先に吉田寅次郎こと吉田松陰の伝記を書いたことがラジオや本や記事などで話題になっている。
何故なのか?それは旧萩藩士の正木退蔵が英国の地・エディンバラでスティーヴンソンを紹介されたとき、1年だけ教えを受けた師の松陰について語った。これにとても感銘を受けて松陰の伝記を書いたというわけである。
この本により吉田松陰のことが、英国よりヨーロッパを始め、広く海外に喧伝されたのだそうだ。

また外国の軍事的優勢について認識を新たにした吉田松陰と金子重之助が、欧米諸国の知識を得ようとペリーの船に乗り込んだことが、ヨーロッパでも大きく報道されていた。
そしてもう一つ、日露戦争のとき、戦争の公債を半分引き受けてくれたユダヤ人資本家ジェイコブ・シフもこのスティーヴンソンの伝記をを読んでいて、日本に強い関心を持っていたそうで、幕末時の欧米諸国の世界を見つめる目には驚かさる。
当時日本人よりもヨーロッパにおいて、松陰のことが知られていたということだ。

レッドロビン(ベニカナメモチ)とベニバナトキワマンサクの垣根がこの時期とてもきれいです。
そういえば垣根の見本が何十とあった神代植物園にはまだあるのでしょうか。
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2014年4月25日 (金)

漱石公園

早稲田大学オープンカレッジへ、昨年から毎週同じ時間に家を出て通っているのに、今週は間違えて1時間早く到着です。頭がどうかしちゃったみたい。
気を取り直して、夏目漱石の連載が始まったことだし、近くの晩年を過ごした家があった漱石公園へ行ってみました。
60年前まで私が住んでいた家(ずっと空き地になっていたけれど、今遂にマンションの建設が始まる)から早稲田小学校まで5分と掛からない、その道の途中にありました。
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漱石がこの早稲田南町の「漱石山房」に住んだのは明治40(1907)年9月から大正5(1916)年12月に没するまでの9年間だ。山房は敷地340坪に60坪の和洋折衷の平屋が建っていたそうだ。昭和20年に焼け落ちたけれども、敷地の一部が昭和51年に漱石公園として開園、平成20年にルニューアルオープンした。
ここで『三四郎』『それから』『門』『こころ』『道草』などの作品が生み出された。

              漱石の胸像:富永直樹作 平成3年建立315x420_3
猫塚:漱石没後漱石が飼っていた猫・犬・小鳥のために遺族により供養塔が建てられた。戦災で焼失したが、漱石37回目の命日(昭和28年)に復元された。
私は昭和29年夏にこの地を離れたので、この猫塚を見ながら学校へ通っていました。約60年経っているので古びました。
23日NHKBSプレミアムで「猫と芸術家の物語」~夏目漱石・福を呼ぶ猫~で『吾輩は猫である』のモデルになった猫との生活をやっていました。
英国留学以来ノイローゼになって当り散らしていた漱石も、猫をモデルにこの小説を書いたら、病気も治って家の中も明るくなったので、この猫が福を呼んだということで可愛がられたとか。
漱石山房に猫と引っ越しして来て、暫くしてこの猫が死んだときに、門下生数人に猫の死亡通知書を送ったということが、テレビでも紹介され、また新聞に再掲された隣に書いてありました。
                    猫塚(供養塔)315x420_4
          公園には「道草庵」があって資料が展示されている420x315

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2014年4月23日 (水)

国分寺・万葉花まつり

国分寺・万葉花まつりは10日前の13日に行われました。
史跡公園の広場では開会式が始まったばかりで、この後笙の演奏など様々なイベントが行われる。
                    奈良時代の衣装420x315
国分寺とは、奈良時代に聖武天皇によって、全国の約70ケ所の国府周辺に、仏教による国家鎮護のために建立を命じた寺院。

ここ広大な武蔵国分寺と国分尼寺跡は今は史跡公園として整備されている。古来、北に山あり(国分寺崖線のことらしい)、東に川あり、南に国府(府中)が程よい距離にあり、西に道(鎌倉街道)ありということで、非常に立地条件に恵まれているということで、現在までその名を受け継ぎ市の名前までなった。
後継寺院として、医王院最勝寺国分寺がある。420x315_2
       寺の楼門には全国の国分寺の名の幟が40本揚げられている420x315_3
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              植木市で売られていたタンチョウソウ420x315_4
この日の寺では4月8日の花まつりと同じ灌仏会が日を置かずして行われている。
灌仏桶の中に甘茶が満たされ、小さな誕生仏が安置されている。柄杓で甘茶をかけて祝いました。420x315_5
お寺からは甘茶がふるまわれました。アジサイの仲間のアマチャの若葉がこんなに甘いとは。子供の頃は飲むのが楽しみだったなあ。370x278
この寺は万葉植物園でもある。先代がすでに50種あった万葉の植物に100種を加え150種を集め、万葉にあるすべての植物を境内に植え、万葉の歌を合わせて立てた。
残念ながら見えなくなってしまった植物もあるが、選ばれた歌が素晴らしい。
楮そのものも見当たらなかったが、万葉人の歌が鑑賞できる。338x450
万葉花まつりはその名にふさわしくお寺の境内も史跡公園にもいろいろな花でいっぱいだった。1_420x315
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             ユズリハの花 まだ開いていないのか?420x315_13



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2014年4月20日 (日)

浅草流鏑馬

364x420丁度100年前の今日から朝日新聞に掲載されたというので、本日『こころ』1回目が掲載された。漱石の「漱」は「欠」のところが「攵」の字です。
高校の時に読んだ最後の3部作『こころ』『道草』『明暗』もすっかり内容を忘れている。
家にある昭和58年発行の本に寄れば、全部で109回にわたって連載されたようです。今関一馬の挿絵が所々に入っている。
本で一気に読んでしまいたいところだが、100年前に戻った感じでこれから20数週間読むのを楽しみたい。

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昨日第32回「浅草流鏑馬」を見てきました。小笠原流です。隅田川沿いの隅田公園特設馬場で赤い毛氈が敷かれた有料席で2時間の鑑賞でした。
TVで見たことがあっても実際に見るのは初めてで興味津々です。
しかしながら会場に入る前まで読めても流鏑馬を書くことが出来ませんでした。
チラシに寄れば、天武天皇の時代(700年頃)に始まり平安時代に行われたが衰退した。その後、源頼朝により復活されたが幕府の凋落とともに衰退し、江戸時代吉宗のとき、世嗣の疱瘡平癒祈願のために流鏑馬の奉納を命じ400年ぶりに復活した。現在鎌倉鶴岡八幡宮を始め、様々な神社で行われている。

馬は昨日那須と日光から車で輸送されてきたそうだ。
的が40間(約72mか)間隔に置かれ第1の的に射ると次の第2の的まで40間走る間に次の矢をつがえなければならない。これを3つ全部当てるわけで、なかなか難しいことがよくわかる。
まだ始めて1年の射手は矢をつがえ終わらないうちに次の的が来てしまい、外れて成功しない。ここから矢継ぎ早という言葉が生まれた。
またサラブレッドに乗った射手も成功しない。というのもサラブレッドは足の長い外国種で走るのが凄く早く、あっという間に走り去ってしまうからだ。
的の大きさは54㎝と45㎝の2種類あって、小さい方が難しい。上手な射手は板の中央に当て、板が割れる。すると花吹雪が散るのである。

午後1時から3時までなので、正午に着いてまずは深川飯の昼食を。

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いろいろなお役目の方々と馬の入場。馬場には大理石の粉が20cm以上の高さに盛られている。これだけを用意するのも大変でしょう。
歩いたり走ったりすると白い砂埃が舞い上がって目が開けていられなくなる。420x246
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          的がつけられる(お手伝いは白鴎高校の生徒だそうだ)280x420
          射手が第1第2の的を命中させ第3の的に近づいてきた420x280_2
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                   宗家小笠原清忠氏420x320
                       女性射手420x280_3
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                     いろいろな衣装280x420_2
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輸送車が入ってきた。 終わってすぐ馬たちはこの輸送車に乗せられて帰ろうとしている。420x280_6

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2014年4月17日 (木)

ロンドン見学記3

<4日目>

◆ケンジントン・ガーデンズ
ハイド・パークの西隣、地続きで広がる大きな公園でケンジントン宮殿がある。

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                 美しい緑の芽吹きは花でした600x400_420x280_8
                  マロニエももう咲いていました400x600_280x420_2
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いろいろなガン(雁)が芝生の上を歩き回り、犬に追いかけられたりしています。ガンは陸生だそうで種や草や昆虫を食べます。
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               ダルメシアンはこの頃見かけない420x280_2

◆ケンジントン宮殿
以前来たときはチャールズ皇太子と故ダイアナ妃が住んでおられ、外観だけ拝見した。今回は中を見学したが、意外に質素で驚く。420x280_3
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ここはヴィクトリア女王が生まれ育ったところで、女王に就任した日、ここで枢密院会議が行われ、その部屋にテーブルと椅子がそのままありました。その後女王はバッキンガム宮殿へ移ったのです。
女王にはアルバート公の間に4男5女のお子様が生まれた。145㎝と小柄ながら老いては76㎏の肥満であったそうだ。在位は63年7か月に及び、繫栄した大英帝国に君臨しながら内政、外交はなかなかに波乱に富んでいる。420x280_5
                  ビクトリア女王のドレス420x280_7
                    故ダイアナ妃のドレス280x420
                       庭園420x280_8
◆セント・ポール大聖堂
英国国教会。チャールズ皇太子と故ダイアナ妃がこちらで結婚式を挙げたのは招待客が多くて、ウェストミンスター寺院では狭かったからだそうだ。
内部は壮大で華麗、天井には見事なモザイクが施されている。ネルソン総督が地下に眠っている。280x420_2

◆大英博物館
古今東西の文化遺産を集めた世界一の規模を誇る博物館。何でもじっくり見ると1週間かかるそうだ。考古学上の文化遺産にとどまらず、化石、鉱物、標本、骨董品、絵画、版画、写本、書物、古文書、貨幣など、地球全土に植民地を持って、蒐集品は増える一方だったという。新聞や自然史の分野や本は新しい建物へ移転している。420x280_9
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見学はエジプト、ギリシャ・ローマ、西アジアにとどめる。
                  エジプト:ラムセス2世とミイラ2_280x420
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ギリシャ パルテノンの神殿から切り離されていて痛々しい。神殿に嵌っていてこそその美しさや価値が生きるというもの。これだけはとても残念。420x280_14
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                      西アジア420x280_17

◆シャーロック・ホームズ博物館 
ベーカー街221B番地 30分以上も並びました。小説と映画を殆ど見たので、再現した部屋がリアルでした。Photo_4
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最後の夜もパブ。もうスープとパンしか食べられない。パブはチップもいらないし、安かった。420x280_22
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あいも変わらず写真が多くて申し訳ない気持ちです。ご覧いただきありがとうございました。
地下鉄車内の若い人たちは日本ほどスマホを見ていなかったことに驚きました。というより日本は車内でも路上でも家の中はもちろんでしょうが、日によっては10人中8人くらいとみました。もう中毒とも言える状態で、これで若者は勉強できるのであろうかと異国の地で心配したほどです。


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2014年4月14日 (月)

ロンドン見学記2

<2日目>

◆コートールド・ギャラリー  マネの「草上の昼食」「フォリ・ベルジェールのバー」、ルノワール「桟敷席」、ゴッホ「耳に包帯した自画像」、ゴーギャン、セザンヌなど印象派と後期印象派の名作が揃っています。

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◆ウォレスコレクション ハーフォード候がフランス革命時に入手したアリー・アントワネットの使用した家具調度やフラゴナール「ブランコ」、ブーシェ「ポンパドール夫人の肖像画」、ドラローシュなどの絵画が素晴らしい。420x280
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                                    日本と同じ八重桜が満開だった420x280_3
ウォレスで昼食:紅茶ポットに南部鉄が使用されている店がいくつかあるらしい。水が硬水なのと、空気が乾燥しているので紅茶がとても美味しく感じられます。これで10ポンド(約1800円)だからかなり高い。我が家に帰って8%の消費税にもすぐ慣れそうだ。420x280_4
◆ビクトリア&アルバート博物館 アートやデザインに興味ある人には見逃せない展示がいっぱいだ。ラファエロのタペストリーの下絵やコンスタブルが集められ、彫刻や壁画から陶磁器、家具、ジュエリー、ドレスなど実に雑多ではあり、東洋コレクションも充実している。Va_420x280
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3つの美術館や博物館を巡って、もうくたくたでした。
帰りは、WASABI(わさび)という寿司やおにぎりなどを売っている和食の店でtakeoutしてホテルで夕食にする。まずまずの味でした。今晩のニュースですし飯の米はベトナム米だそうだ。なのでちょっと微妙だったわけだ。420x280_5
そうそう、地下鉄に乗っていた時に、買い物帰りらしい前に座っていたおばあさんが、買い物袋から買ってきたワサビのチューブの中蓋のアルミ箔をちょっぴり開いて、ワサビを舐めていたのに驚きました。家庭で練りワサビをどんな料理に使うのだろうか?大体普通の人がワサビを食べるのだろうか?と疑問が湧いたけれども尋ねるわけにもいかないし、大いなる疑問として残りました
同じく地下鉄では何度も席を譲ってもらった。年上らしき男性も譲ってくださるのだ。席の前に立っていたわけでもなくすぐ降りるというのにである。日本ならたとえば中央線で30分や40分かけて都心に行くのに、疲れて眠っているサラリーマンなどはpriority seatを譲るということはあまりなく寝こけています。
道を聞いても困ったことがあって聞いても、本当にみんなとても親切に教えてくれるのでした。さすが観光都市ロンドン!

<3日目>
◆トラファルガー広場とセント・ジェームズ・パーク
トラガルファー広場に到着すると高さ44mのネルソン提督の像が目に入る。トラファルガーの海戦で勝利した記念だ。

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その後ろに堂々たるギリシャ風建築のナショナル・ギャラリーがある。420x280_6
この広場の東側にはアドミラルティ・アーチ(海軍省門)があって、くぐって彼方に目をやるとヴァッキンガム宮殿が見える。この道をThe Mall(ザ・メル)という。420x280_7
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                   アーチを振り返る420x280_9
ザ・メルの右にはチャールズ皇太子の住むセント・ジェームズ宮殿があり、左に入っていくとセント・ジェームズ・パークが広がる。420x280_11
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◆ナショナル・ギャラリー (撮影禁止は殆どここだけでした)
イタリア・ルネッサンスやオランダ、フランドル、後期印象派など多い。
ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」「聖母子と聖アンナと洗礼者ヨハネ」、カラヴァッジョ「エマオの晩餐」、ホルバイン「大使たち」など名画が勢ぞろい。
フェルメール「ヴァージナルの前に立つ女」「ヴァージナルの前に座る女」にまた出会えました。家の本より。358x420
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◆ケンウッド・ハウス
ロンドン北部のハムステッドにある。地下鉄を降り、バスに乗ると左右に豪邸が見えてくる。高級住宅地として名高いところです。
ケンウッド・ハウスはハムステッド・ヒース公園の北端に建っている。420x280_17
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フェルメールの「ギターを弾く女」があるのでここまでやってきました。ロンドンにはもう1枚フェルメールの「音楽のレッスン」がクィーンズギャラリーにあるそうだが閉まっていて見られなかったのが心残りです。420x280_22
      レノルズやゲインズバラの作品が多い。レノルズの「エマの祈り」420x280_23

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2014年4月12日 (土)

ロンドン見学記1

午後4時ごろ到着したヒースロー空港からロンドン市内に向けての道中、白い桜と木々の若葉の美しいこと!日本より少し寒いロンドンももう春です。
4日間見学したロンドンのホテルはハイドパークのそばのOxford streetにあり、地下鉄の駅にも近く、部屋は静かで広く照明も明るく水回りも良しといったベスト環境でした。
旅行社からのデポジットされたスイカのようなオイスターカードで、中心ゾーンからゾーン2まで地下鉄乗り放題、バスはどのゾーンでも乗り放題で大変便利になっていました。
見学の一日半だけ女性の現地日本人ガイドさんの案内で上手な詳しい説明を楽しみ、後の2日半の自由時間は添乗員さんに頼らず行動することが出来ました。

<見学1日目>
◆集合前にハイドパークを眺める
ハイドパークの北端にあるマーブルアーチは大理石でできている。後方には日比谷公園の9倍ある公園が広がる。

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               白い桜は八重、ピンクの桜もあった。280x420

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◆テートブリテン ターナーを中心に、社会問題を画いたホガース、肖像画と歴史画のレノルズやゲンインズバラ、風景画のコンスタブル、そして今日本に来ていて殆どなかったラファエル前派・後派のイギリス絵画が並んでいる美術館。
ヨーロッパにおいては遅咲きのイギリス絵画もここに花咲いたことのわかる美術館でした。
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赤いバスが名物だが、特に2階建てバス(ダブルデッカー)の2階の最前列は良い眺めだ。2_420x280
◆国会議事堂とビッグベン ビッグベンは15分毎に鐘が鳴っていました280x420_2
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◆ウェストミンスター寺院 11世紀に修道院として建てられたもので、エドワード5世と8世を除き、すべての君主がここで戴冠式を挙げた。またウイリアム王子とケイト妃の結婚式が行われた。シェクスピアやニュートンなど有名人のお墓が並ぶ。280x420_4
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昼食:スープはとても美味しかった。ローストビーフと野菜の付け合せの一皿ですが、厚切りのローストビーフです。肉も野菜も味がなく硬く、ヨークシャープディングは大きくて、またケーキも甘すぎて途中で断念しました。420x280_5
◆テムズ川クルーズ ビッグベンからいくつかの橋をくぐってロンドン塔まで乗りました。墨田川クルーズのようなものです。420x280_6
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     タワーブリッジ 美しい跳ね橋だがめったに跳ねたところが見られない420x280_9
◆ロンドン塔 ローマ時代からの要塞。その後王宮、牢獄となった。夏目漱石も丁寧に見て思いを馳せたことが『倫敦塔』で語られる。宝物館には戴冠式で使われた王冠が展示されているが、さすが大英帝国の王冠は凄い。420x280_10
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ロンドン塔にはカラスが8羽(2羽はスペア)飼育されている。塔に多数住み着いたカラスの駆除をチャールズ2世が考えていた所、占い師に「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」と予言され、それ以来、ロンドン塔では、一定数のワタリガラスを飼育する風習が始まったとされる。420x280_14
夕食:パブレストランに、二人分としてサラダとフィッシュ&チップス一皿ずつを頼みましたが、かなり残しました。明日の夕食は和食にしたい。420x280_15

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2014年4月 3日 (木)

マシュー・グッドマン著「ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む」

「ヴェルヌの『八十日間世界一周』に挑む」~4万5千キロを競ったふたりの女性記者~

1989年(明治22年)11発14日に女性記者のネリー・ブライとエリザベス・ビズランドがニューヨークを出発した。
そもそもネリ―が描いた夢を新聞社が企画実施に漕ぎつけたのであるが、出版業界のオーナーがネリ―が出発した朝にこの事を知り、ネリ―と競わせたいとエリザベスを説得し、半日でドレスを作らせ、荷物を作らせ、ネリ―が旅立った同日の夕方6時の大陸横断鉄道に送り込んだのだ。全く驚きべきことで、無謀そのもの。
ネリ―はニューヨークから東回りのコースに対して、エリザベスは西回りのコース。アメリカを蒸気機関車で横断した後、太平洋を蒸気船で日本、香港、セイロン、イエメンからスエズ運河を通ってイタリアに上陸、フランスからイギリス、アイルランド、そして大西洋を船でニューヨークまで。ネリ―はほぼ同じコースを逆回りと言うわけだ。

ネリ―は記者として精神病院まで潜入するなどして様々なルポルタージュ記事を書いた行動派で元気で威勢がよく明るい。
エリザベスはじっくり時間をかけて雑誌に記事を書いていた。静かな上品な物腰で落ち着いた雰囲気の女性でネリ―と対照的であった。
この頃すでにスエズ運河が開通し、蒸気船や蒸気機関車が世界を走り回っていたのを利用したわけだ。
結果はエリザベスが船便が突然中止されたり、大西洋が嵐で進めず勝利を掴むことが出来なかった。今の飛行機で移動する旅行からは想像もできない過酷な旅を二人は結構楽しんでいる。
ネリ―は72日6時間11分、エリザベスは76日19時間30分でブェルヌの小説の80日間を見事塗り替えた。

ネリ―は途中フランスでジュール・ヴェルヌ夫妻の出迎えを受け家まで行っている。前半は旺盛に記録したようで後半は気力が失せていた。しかし勝利したことでアメリカに入ってからは盛大に迎えられ栄光の1ヶ月を送るのだが、1年後はみじめな状態に、そしてその後はびっくりするような波乱万丈の生涯であった。
一方エリザベスはラフカディオ・ハーンの友人であり、多くの友人と交流があった人である。負けて到着した時は全然報道もされなかったが、その後の人生は弁護士と結婚して名作を書き残し、夫の闘病生活を支え見送ったのちはボランティアなどアメリカ婦人らしい老後を送っている。

ネリ―もそうだが、エリザベスは世界一周で一番良かったのが日本だったそうだ。夫と共に日本に長期滞在し、夫亡き後もまた日本で7か月も過ごしている。
中国人のアヘン漬けの記事が凄い。当時のアメリカの様子も映画のように描かれ、また歴史なども散りばめられ、なかなかに面白い本でした。

近所を散歩すると我が家のチューリップも咲かないうちに、いろいろな花が咲き出していました。
                 ウグイスカグラ(スイカズラ科)420x315
ヤブサンザシ(ユキノシタ科)5つの花弁に見えるものは萼で、花弁は見えにくいですが、萼の間にある小さなへら状のものです。420x315_2
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                    ユスラウメ(バラ科)420x315_3
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明日4日から1週間ロンドンの美術館や博物館見学に行ってまいります。

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