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2014年6月28日 (土)

恩田陸著 「『恐怖の報酬』日記」

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恩田陸著 酩酊混乱紀行「『恐怖の報酬』日記」イギリス、アイルランド
あれ、この表紙『地球の歩き方』にそっくり。出版社も違うというのに何故??

作者恩田さんは、その飛行機恐怖症が常軌を逸しているというか、超重症だ。
搭乗時間の12時間は言うに及ばず、旅が決まってから旅の準備の間もずっと飛行機に乗ることを思い出すたびに恐怖感が募り、読んだり書いたり、お酒を飲んだりして気を紛らわす。ちなみに作者はビール党の大酒豪だ。
出かける朝から搭乗前、長いフライト中の恐ろしい恐怖は、エドガ・アラン・ポー『渦』を連想させるほど。渦の主はいっぺんに髪の毛が真っ白になったと書いたあったような記憶があるが、恩田氏の美しいポートレートを拝見してもそんなことはなかったようだが。
211頁中、70頁でやっとロンドンに降り立った。帰りの体験でも全然恐怖症は治らないのに、この1年後はスペインの地に、その後南米などあちこち出かけるようになっているとか。克服出来たのであろうか。出来なくても毎回70頁もの恐怖体験に懲りないで出かけているのだろうか?

著者によれば、人間にモノを考えさせるのは恐怖の力だそうだ。受験に失敗するかもしれない、失職、資産目減り、病気などの恐怖に押されて勉強、資格取得、健康診断などするというわけだ。人間はこれだけでなくあらゆる恐怖と毎日闘っているようだ。なるほど怖いと思うことが日に何回かあるような気がする。私の多くは、老病死ね。考えることや勉強することはそのために一杯あるけれどもいまいち中途半端だ。著者はこの恐怖感でこの1冊が上梓されたわけだ。

著者はSFやホラーやミステリの大家だ。私はミステリ部門はOKだがSFなどは凄い苦手。映画で観るのは結構楽しいのに本はさっぱり。人の推薦するブライアン・オールディスの『地球の長い午後』は最初のページの半分でやめたほどだ。
再び著者のビールについて・・・1回に3パイント(1パイントは473ml)は軽くいけて、パブの2,3軒の梯子をしてしまう。機内ではビールの他、ハーフボトルのワイン2本飲んでも全然酔えないなどと書かれている。何とも羨ましく面白い人だ。

何かでもらったカスミソウの種を蒔いてみたら花が咲きました。初めてです。
現在は全然花束を手にしませんが、昔はお祝いやお見舞いなど花束を手にしたことが多かった。
その花束の中に主役を引き立てる花としてカスミソウが背後に束ねられているという印象の花、丈が短いので花瓶にさしてもうまくいかなかったです。
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次回旅行記の続きですのでまたよろしく願いたします。

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2014年6月25日 (水)

イル・ド・フランス旅行(2)

●フォンテーヌブロー城

600x307_21_2250k㎡もある広大なフォンテーヌブローの森の一角にある城。1137年ルイ7世の頃は狩猟用館だったが、レオナルド・ダ・ヴィンチを呼び寄せたフランソワ1世の時代から華やかに変貌した。
その後マリー・アントワネットも住んでいたこともあり、フランス革命後ナポレオンが管理した。2_420x280_2
ここ↓馬蹄型階段のある白馬の中庭でナポレオンがエルバ島に流された1814年4月20日、別れの儀式が行われた。420x280_19
                    中はヴェルサイユ宮殿に勝るとも劣らないほど豪華だ420x280_20
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                                           広大な庭園が広がる420x280_22

●モレ・シュル・ロワン

印象派の画家シスレーが晩年を過ごした町。シスレーはイギリス人でフランス市民権を申請したが却下されてしまった。
オルセー美術館にもマルモッタン美術館にも彼の作品がたくさんあります。他の印象派の画家の多くが、後に印象派の技法を離れたなかで、シスレーは終始一貫、印象派画法を保ち続け、もっとも典型的な印象派の画家といえる・・・とあります。

                                           シスレーの家420x280_23
                           シスレーが14枚も描いているノートルダム教会280x420_7
                               ロワン川からのノートルダム教会420x280_24
                 ナポレオンがエルバ島から脱出した後数時間滞在した家
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●グレ・シュル・ロワン

1890~1900年代に日本の洋画家たちが訪れた村。
黒田清輝が帰国前の3年間滞在した家。黒田はこの村で豚肉屋を営んでいた家の娘で、マリア・ビョー(当時20歳頃)をモデルに「読書」「厨房」を描く。420x280_26
                 家の前の通りは2001年に「黒田清輝通り」と名づけられた420x280_27
                                タチアオイがあちこちに咲いていた420x280_28
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                              ロワン川を画家も散歩したことでしょう420x280_30
                            代々の領主が住んでいた城跡「ガンヌ塔」420x280_31
●オルレアン 

ジャンヌ・ダルク一色の町。今もこの町の人はジャンヌ・ダルクを誇りにしている。ジャンヌは1429年にイギリス軍の包囲から町を開放して英雄となった。

ジャンヌ・ダルクが10日間だけ滞在した家。オルレアン公の財務官の館だった。280x420_8
サントクロワ大聖堂 パリのノートルダム大聖堂とほぼ同じデザインと大きさ。内部にはジャンヌ・ダルクのステンドグラスや立像がある。280x420_9
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                        旧市庁舎でもあったグロロ邸の外にも中にも像が420x280_32
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                                            マルトロワ広場にも279x420_3
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2014年6月22日 (日)

イル・ド・フランス旅行(1)

600x307_2イル・ド・フランスはパリを中心とした地域圏(大体半径100㎞前後)で、日は前後しますが、パリ見学3日間、パリの周りを東南から北に時計回りに3日間巡りました。

●バルビゾン村 人口500人程度の小さな村で、1830~1870年頃、ここでバルビゾン派が生まれ、コロー、ミレー、テオドール・ルソーらがバルビゾン村や周辺に居住し、自然主義的な風景画や農民画を描いた。

ミレーが晩鐘などを描いた地平線まで見える景色がみられるようになる。ミレー自身も農業をしながら画業に勤しんだが、大勢の子供もいて生活は苦しかった。420x183
                     メインストリート420x280
                テオドール・ルソーの家と隣の教会420x280_2
                    ミレーのアトリエ
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バルビゾン派美術館
もとは旅籠でマダム・ガンヌが貧しい画家たちに部屋を貸してくれ、宿賃の代わりに壁に絵を描いた画家もいた。
館内には旅籠の内装そのままとバルビゾン派の絵が展示されている。420x280_6
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●プロヴァン 城壁に囲まれた世界遺産の中世都市で、中世に「シャンパーニュの大市」が定期的に開かれたのを再現したお祭りが行われていました。
中世祭りの時だけ入場するのに10ユーロ必要だが、中世の衣装を着てきた人は半額なのだそうだ。パリや近郊からやっていた人々が、バラグッズ、クレープ屋、蜂蜜屋、民芸品屋などずらりと並んだ露店を冷やかし、もう歩けないくらい混み合っていました。

騎士ショー
城壁の外で行われたアクロバティックな騎士のショー。日本の流鏑馬とは違ってはいますが、サーカスのようにかなり難しそうだ。420x280_10
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パレード
中世の衣装を着た人々800人のパレードも人が多くて殆ど見えない。まだ見たこともない中世の衣装をたくさん見学できた。420x280_14
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セザールの塔
シーザーが建てたとも言われる監視塔で倉庫も付いている頑丈な建造物。420x280_17
        狭いらせん階段を昇ってみると美しい街並みを一望できた420x280_18
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2014年6月 8日 (日)

『アメリカ50州を読む地図』浅井信雄著

もうすでに例年の6月いっぱいの雨が降ってしまった今年の梅雨、アジサイが全部お辞儀して、一花折れてしまいました。360x270
1昨年挿し木したカシワバアジサイが2輪だけ花を付けましたが、小さいです。420x271
小鳥さんが播いてくれたのかいつの間にか大きくなった一重のクチナシの花が今年もたくさん咲いて、オレンジの実が今年もできそうです。420x347
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昨年初めてアメリカに行ってみてその広大さ、自然の雄大さが心に残っています。残念ながら人々の生活は覗けませんでした。
アメリカは世界で一番知っている国でしょうか。というのも観る映画は殆どアメリカ映画で断片的にアメリカの景色、気質、物凄く強い精神の持ち主が多い一方、心を壊して精神科医に託している人が多いことなどが見えます。

『アメリカ50州を読む地図』浅井信雄著
1998年の古い本ですが、とりあえず50州がどの辺にあるかを知りました。
各州都とは別に本や映画や歴史やニュースに出てくる有名な都市、クリーブランド、リッチモンド、プリマス、オクラホマ・シティ、シンシナティ、セントルイス、エルドラドなどなどの州を言えと言われれば、この本を読んだ今も言えません。
州出身の有名人、州の歴史、地理、人種割合、政党支持の割合などいろいろな角度から説明しています。日本の25倍の面積で人口密度は日本の10分の1だ。歴史は新しいけれども、過去にはフロンティア精神、開拓精神が国を作り、世界の指導者で牽引する立場になるほどの強力な国を築き上げた。しかし中国やロシアの台頭、テロに怯える昨今、とても難しい舵取りに右往左往と言ったところか。
アメリカについても学びたいことはいっぱいですが、とても手が回らず、とりあえず入門の書として愉しみました。
いろいろな逸話も掲載されています。
☆アンドリュー・ワイエス(画家)は「クリスティーナの世界」:体の不自由なドイツ人女性の膝をついて匍匐している後姿の絵が有名だが、ワイエスは何と奥さんに隠れて30年間も彼女を描き続けたそうだ。何故内緒に描く必要があったのか、何故この女性だけを?と言う疑問が湧いてくるが、いつか伝記でも読んでみたい。
☆オー・ヘンリー(作家)は『最後の一葉』など短編で有名ですが、銀行の金を横領し、起訴されるが逃亡し、その後有罪判決を受け、模範囚で減刑されて釈放されたというのである。優れた短編もこのような背景を知って読むと違ってくるでしょうか。

が特に興味深かったです。

 

          ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

11日夜から20日までイル・ド・フランスへ行ってまいりますので更新は22日頃になる予定です。またよろしくお願いいたします。

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2014年6月 5日 (木)

人生最期の日々をどう過ごすか

今日の雑学大学の講義のタイトルは「人生最期の日々をどう過ごすか」でした。

この頃「終活」と言う言葉も使われることが多くなったが、その意味はwikipediaでは「生前のうちに自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくこと」とある。
「おひとりさまでもだいじょうぶノート」も持っていて、遺言や葬儀について考え始めたところ。
そんな人も多いのでしょう、今日の講座はいつもより込み合っていました。

今日の講義はそういうことではなくて、病気で寝ている最期の日々のことです。
人生最期の日々の過ごし方について4つの質問が出されました。
①どんなことが起こるのでしょうか
②そのときどこで暮らすことができるでしょうか
③どんなサービスが受けられるでしょうか
④どんな心持で過ごしたいと思いますか

死因の一位になってしまった癌は二人に一人が罹り、三人に一人が亡くなる。人生最期の日々は癌で苦しむ人々が増えることになる。
で先生は仰る。ピンピンコロリは理想だけれども、最期の苦しみも受け入れ、その覚悟をしなければならないのではと。世の中はいいことばかりがあるのではなく、苦しみはやってくるのである。それまで幸せな時間もいっぱい持ってきたのであるから。
身体機能が低下すれば、気が滅入り生きる意欲も失われるが、気持ちの持ちようにより、今をよく味わうことにより、過去も未来も生きてくる・・・と考える。
今誰から大切に思われているだろうか?大切に思ってくれる人が誰も居そうになかったとしても自分自身がいるではないか。医者も看護師も大切に思ってくれるのではないか(そうでない場合もあるかもしれないけど)と考えるようにしたい。

今の高齢者が命を終える頃、病院や介護施設や医師や看護師の不足で、自分の理想とする最期は迎えられない人が増える。
この先生の言葉で、癌や認知症だけにはなりたくないと、あるいはまさか自分だけはならないだろうと考えたりするのが身勝手で、しかも希望的観測であって、世の中そんなに甘いものではないと知りました。
何だか反省の半日でした。

                     珍しい色のツユクサやガウラ、水連が涼やかです。
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2014年6月 2日 (月)

ユスラウメのジャム

友人宅に40年以上もたつという古木のユスラウメを見に行きました。近所で花を見たことはあるのですが実は初めてです。
高さは2mほどで太い幹がよく分枝し見事です。2月の雪に一部折れたそうだが、びっしり実がなっていました。サクランボに似ています。甘くて美味しい。鳥が食べに来ないのかしら。
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実を摘んでジャムを作ってくださった。
実を洗って少し茹でて、手で裏ごしします。大きな種が残ります。砂糖を40%近く加えてゆっくり煮詰めると出来上がり。
梅系の味で色がなんとも言えずきれいです。『色の手帖』で調べると、「チェリー」又は「チェリーピンク」でした。350x229
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ユスラウメはバラ科サクラ属で、別名は桜桃という。当然果実酒にもなる。ユスラウメ酒もいただいて来て暑い気候にぴったりでした。庭に1本あったらと思うけれども、もう時すでに遅しです。

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『薩摩スチューデント西へ』林望著

幕末、薩摩藩の命で俊英15人と秘密使節団4人の19人が九州から長い船旅の末、英国に渡った。薩英戦争を起こした、あるいは生麦事件を起こした薩摩は海外列強の前の日本の将来を案じ、新しい時代を担う者を育てるべく海外に留学生を派遣したのだ。
3ヶ月に渡る困難な船旅といっても、1等船客であったから悲惨なものではなかった。討幕だ、攘夷だ、尊王だという国内の状況で頭がいっぱいだった彼らも、大きな船の中、道中の香港やシンガポールを目にするうちにそんなことは頭から消えて、進んだ西洋の文化に圧倒され、学んで国内の工業など起こしていかねばという使命に心が燃え立つ。
英国に着いてからの貪欲な態度はイギリス人をして、中国などのアジア人とは違うと言わしめるほど。
それにしても、留学生を一軒家を借り、教師、家政婦などを雇い入れ勉強させる莫大な費用を薩摩藩は用立てたのですね。さすがに幕末の異変にそれもかなわず、いろいろな事情で1年で留学を切り上げざるを得なかったし、その後の彼らの動向も全員華々しかったわけでもなかった。
これより2年前に長州の5人、伊藤博文、井上馨らが密航して勉強していたのだが、こちらは後の日本の中枢で大活躍したことがちょっと書かれていた。1年で急遽日本の戻った伊藤、井上を除く苦学の貧しい3人と薩摩留学生と交流が少しあったそうだ。

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