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2014年6月 5日 (木)

人生最期の日々をどう過ごすか

今日の雑学大学の講義のタイトルは「人生最期の日々をどう過ごすか」でした。

この頃「終活」と言う言葉も使われることが多くなったが、その意味はwikipediaでは「生前のうちに自身のための葬儀や墓などの準備や、残された者が自身の財産の相続を円滑に進められるための計画を立てておくこと」とある。
「おひとりさまでもだいじょうぶノート」も持っていて、遺言や葬儀について考え始めたところ。
そんな人も多いのでしょう、今日の講座はいつもより込み合っていました。

今日の講義はそういうことではなくて、病気で寝ている最期の日々のことです。
人生最期の日々の過ごし方について4つの質問が出されました。
①どんなことが起こるのでしょうか
②そのときどこで暮らすことができるでしょうか
③どんなサービスが受けられるでしょうか
④どんな心持で過ごしたいと思いますか

死因の一位になってしまった癌は二人に一人が罹り、三人に一人が亡くなる。人生最期の日々は癌で苦しむ人々が増えることになる。
で先生は仰る。ピンピンコロリは理想だけれども、最期の苦しみも受け入れ、その覚悟をしなければならないのではと。世の中はいいことばかりがあるのではなく、苦しみはやってくるのである。それまで幸せな時間もいっぱい持ってきたのであるから。
身体機能が低下すれば、気が滅入り生きる意欲も失われるが、気持ちの持ちようにより、今をよく味わうことにより、過去も未来も生きてくる・・・と考える。
今誰から大切に思われているだろうか?大切に思ってくれる人が誰も居そうになかったとしても自分自身がいるではないか。医者も看護師も大切に思ってくれるのではないか(そうでない場合もあるかもしれないけど)と考えるようにしたい。

今の高齢者が命を終える頃、病院や介護施設や医師や看護師の不足で、自分の理想とする最期は迎えられない人が増える。
この先生の言葉で、癌や認知症だけにはなりたくないと、あるいはまさか自分だけはならないだろうと考えたりするのが身勝手で、しかも希望的観測であって、世の中そんなに甘いものではないと知りました。
何だか反省の半日でした。

                     珍しい色のツユクサやガウラ、水連が涼やかです。
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コメント

こんにちは
 
終活といったことがオープンに語られるようになったのは
ある意味良いことと思います。日本では死に関することについて
語るのはずっとタブーとされてきましたものね。
そっと黙って蓋をしているだけとはいかない時代になったという
ことなのでしょうけれど。
病気で寝込んで迎える最期の日々の過ごし方、気持ちの持ちよう
についての講座ですか。私は子供のころからずっと、死そのものより
そこにいたる苦しみや辛さが怖くてたまりませんでした。
見送った身内や、クックの最期の日々は、そんな私に生き様を
考えさせるものでしたが、見続ける自分の苦しみの方に、
より一層気持ちが向かってしまったような気もします。
私自身がクックと同じ状況に置かれたら受け止め受け入れていけるか、
今も自信はありませんが、心の準備は心のどこかで、少しずつでも
していかなくてはとも思います。
ただ、そのときがきたとき、そばにいて手を握っていてくれる人が
ほしいなぁ。かなわないかな…
 

白いお花たちが、これからの季節緑と共に爽やかですね。

投稿: ポージィ | 2014年6月 6日 (金) 09:59

★ポージィさま

ポージィさんにはまだまだ早い話ですよね。
私はこの頃結構病弱くなってしまって、ちょっとしたことでも悪い方へと心の状態を持っていってしまってどうしょうもないです。
そして痛い、気分が悪い、苦しいが続いたらもう耐えられないと思うのです。
両親の最期の方を見ていますと、苦しいでしょうけれども苦しいと言わなかったし、亡くなる前は昏睡状態になるので死ぬ瞬間は知らないととみました。
ですから要はこの前の段階ですね。あれこれうるさく言わないでいられるかが勝負です。
ご両親様やクックちゃんもそうだったのではないでしょうか。
それにしても自分のことになったらそうは問屋がおろしませんよね。
こころの準備の段階に入った私ですので、良いご意見を聞いて嬉しいです。
ありがとうございました。
ポージィさんの手を握ってあげられないのが残念です。

ポージィさんの白いスミレ同様、白い花に目が惹かれる季節です。

投稿: tona | 2014年6月 6日 (金) 16:14

こんばんは。
白いお花たちが涼しげですね。(^^)
我が家にも白のツユクサや白ノシランがあります。

生まれてきたときから死は必ずセットになっているのですが、そういった話は気軽にできないのが現状ですね。
でも、私たち夫婦では50代ぐらいの頃にはその時には潔く受け入れようといつも話していました。
自分なりの充実した人生だったからかもしれません。

5人の老人の死を看取って思ったことは最期は治療しないのが一番穏やかに旅立てることを実感しています。

一昨年に亡くなった90歳の叔父の時も主治医は本当の意味の終末ケアーを実践してくださいました。
「食べられなくなったから死ぬのではなく死ぬから食べられなくなったのです」と言って水分の補給だけしてくださり、最後にはそれすら血管が受け付けなくなりました。
前日までトイレも自分で行くこともでき穏やかな最期でした。
多分、栄養などの補給をすれば痛みの神経が最後まで働いたりして苦しんだと思います。
私たちもその時が来たらそのようにしたいと思っています。(^^)

投稿: アザミの歌 | 2014年6月 6日 (金) 20:33

すみません。
 >白ノシラン

白のシランの誤りでした。

投稿: アザミの歌 | 2014年6月 6日 (金) 20:38

>今誰から大切に思われているだろうか?

結局そういうことなんですよね。
今、大切に思ってもらえなければ
死ぬときも思ってもらえるわけがない。
孤独に死にたくないのであれば(死自体は無論、孤独なものですけど)
今から人間関係を大事にしなくてはいけませんね。
最近、親しい友人に癌が見つかって
色々考えざるを得なくなってきたところでした。

投稿: zooey | 2014年6月 6日 (金) 22:49

毎日考えるのはそのことです。
考えてもどうにもならないけれど。

投稿: 佐平次 | 2014年6月 6日 (金) 23:01

ならば…最後の時が来るとしたら
その時が来るのを知らずに居たいと思います。
普通に生活して普通に笑って…眠って
そして気が付かないうちに最期を迎えていたと言うのが
臆病な私の願いです。

投稿: pochiko | 2014年6月 7日 (土) 00:10

★アザミの歌さま

>自分なりの充実した人生だったからかもしれません
このように言わしめるアザミの歌さんご夫婦は凄いです。
人間の欲望には限りがなくて、上ばかり見て、今までの人生はあまりにも中途半端で悔いだらけ、充実していなかったと顧みる方が多いというのに。
抵抗しないで受け入れることですね。
叔父様の最期はもって範とすべしです。
どんなことがあっても、慌てず騒がず受け入れるというのは今の私にはまだ出来そうにないですが、でもその準備段階に入ったということです。よりどころは先人ですね。
医療が不足していく中、無駄な治療をやめれば、医療を必要とする人に回ります。エゴさえ許されないような今後の医療界、切迫しているようです。これから考えることがたくさん出来たときにお話を聞かせていただくと思うのですがよろしくお願いいたします。

白いツユクサやシランは私には珍しいです。お庭で眺めることが出来るのは素晴らしいですね!

投稿: tona | 2014年6月 7日 (土) 08:40

★zooeyさま

確かに自分が誰からも大切に思ってもらえないと考えたら、実に寂しいですね。それは死ぬ時も同じ状態です。自分だけが自分を大切に思うというのはあまりにも悲しい最期です。
自分自身だけでなく、人とのことを考えるのもとても大切と、最期を思うにつけわかってきました。
ご友人のご病気、ショックですね。いろいろ考えさせられることですね。
私はzooeyさまの年の頃は呆れてしまうくらい何も考えていなかったです。
覚悟が私と違って随分違います。

投稿: tona | 2014年6月 7日 (土) 08:49

★佐平次さま

お互いに随分身近になってきたことですね。
でも佐平次さんはかなり考えていらして、達観されていると思うの。

投稿: tona | 2014年6月 7日 (土) 08:52

★pochikoさま

家庭環境やpochikoさんの生き様はもうちゃんとそうなるように位置づけられていると思うのです。
囲まれた家族の懐の深さ、働いて勉強して感謝しているその姿がです。
動物たちとの交流からも多くのことを学んでおられるでしょう。今が充実していることこそ最重要事項ですから。

投稿: tona | 2014年6月 7日 (土) 08:56

ガウラは、花が小さくて写すのが難しいのに
よく撮れていますね。

92歳の母が元気ですので順番はまだとタカを
くくっているときっとあわてると思います。
でも誰が何と言ってもピンピンコロリが理想です。
父もそうでしたし・・・
こういう問題は宗教が解決してくれますね~

投稿: matsubara | 2014年6月 7日 (土) 14:26

★matsubaraさま

ピンボケ写真が多い中、時々撮れることがあるのですよ。しかし手振れさせるのはなかなかなおりません。
matsubaraさまはピンピンコロリのお父様と年齢を重ねてもお元気なお母様の血を受け継いでいられるので、どちらにしても大丈夫ですね。
宗教が解決のお話もまたいつかお聞かせください。お願いいたします。

投稿: tona | 2014年6月 7日 (土) 15:13

2年続けて両親を見送ったばかりの私にとって、この問題は大きなテーマです。
父は認知症も癌もありましたが、両親二人とも最後は食べられなくなり、誤嚥性肺炎が原因の死亡でした。

今の時代は病院に入院するととにかく抗生物質と点滴や管で生かされます。
死ぬに死にきれない状態となります。
看てる方がつらくて「苦しめないで下さい」と、医師との葛藤が多々ありました。

「自然のままで亡くなるには入院しないのが一番」と言われています。
私たちが高齢になるころは、医師も病院のベッドも少なくなり、最後は自宅で地域の町医者が看取る時代になるそうな・・・
これまた一体どういう時代になるかと戦々恐々ですね。

94歳の父の死と同じ時期に、主人の兄が二人相次いで78歳で亡くなりました。
一人は末期の肺がんで、僅か3週間で亡くなり、一人は脳幹出血(首から下が麻痺して4年の闘病)
これらを見て感じることは脳出血や脳梗塞で寝たきりになることが一番周りに迷惑をかけて、本人も辛いということです。

認知症も家族は大変ですが、本人にとっては死の恐怖も感じられずに済みます。
癌も若い方なら悲劇ですが、兄のような死に方は見習いたいと主人は申しております。

両親や義兄たちを見ていて、私が一番恐れているのは、寝たきりになる確率が高い脳出血や脳梗塞かな~と思うこの頃です。

投稿: nao♪ | 2014年6月 8日 (日) 10:56

「活」なる文字の付く言葉が、この頃やたらと聞かれるようになりました。
「終活」もその中の一つで、この頃よく耳のするようになりました。
人間、この世に生を受けた以上、終わりは必ず迎えねばならない事実です。
 「ピンピンコロリ」は誰もが望むところでしょううが、もしあったとすれば
それは偶然としか言えないかもしれません。

 エンディングノート、遺言、などもよく話題に出てきましたね。
皆、遺された者に迷惑をかけたくないという配慮からか、自分の終焉について
真剣に考えるようになった結果でしょうね。
 私も一応やらねばならない手続きとか、希望も書き残してはありますが、希望通り
やってくれるかどうかはわかりません。
 人が、余命を宣告されたとき、他人は「自分のやりたいことをやって、思い残すことのないように」と
言いますが、果たしてそんな心境になれるでしょうか?
 
 甥が食道癌で62才で亡くなりましたが、1年くらい前に自分でなんとなくわかったのでしょう。
自分の小さい時暮らした旧満州に行きたいと言い出し、家族はよくわからないまま、7日間、行きました。
後でわかったのですが、写真を見ると我慢してる様子が伺えます。      
 いよいよ食べられなくなり入院。手術はできないとのこと。そして余命長くて3か月と宣告され、本人も
承知してました。ただ死を待つのみなら家で最期を迎えたいと帰りました。自分で作った小鳥の餌場を眺めながら
の毎日。しかしいよいよとなると、家族は我慢できず再入院となり、帰ることはありませんでした。
 亡くなる1週間前に見舞いましたが、何を言っても無表情。ただ最後のただ一度の旅行だけは満足だと言っていました。
よくあんな状況のもと、旅行を決断したものだと感心しました。
果たして自分がそんな状況になった時、やりたいことを出来るか疑問。86才まで生きたいま、思いのまま生きてきた。
天命を待つのみ。長々のコメントご免なさい。

投稿: 夢漢人 | 2014年6月 8日 (日) 16:52

★nao♪さま

立て続けのご両親様の見取りをされて、とても感極まるお話です。
最期の治療をどうしたらよいか、苦しめて寿命を延ばすのはやめてほしいと、最初にお願いできるものならしたいです。
リビングウイルに同意する書類を最初から渡される病院もあります。これから高齢者がますます増えるのですから医学界もどうにかしてより良い方向に持っていってほしいですね。
今朝やっていたのですが、島では高齢化が100%というところあって、孤独死がとても多いそうです。考えただけでもぞっとする話ですが、医者や医療機関不足や見取り手不足で私たちもそうなる可能性が大いにありますね。

義兄様のお話ですが、癌は高齢ほど若い人より苦しまないそうですが、確かに腦出血や脳梗塞による後遺症は長ければそれだけそういうことなんですね。癌は自分が辛いですが、寝たきりはまわりに迷惑をかけてもっと心が痛みますね。
迷惑をかけたくないということで、血圧や高コレステロール、不整脈など検診で厳しくチェックされ、薬も服用するようになります。(私のことです)。
認知症もこれに劣らず重症のは大変です。
朝起きると東に向いて祈るこの頃です。

投稿: tona | 2014年6月 8日 (日) 19:34

★夢閑人さま

「終活」はやればできることですね。
あとの「~活」は時にはままならず苦労することも多いですが。
ピンピンコロリは1000人に一人ももいないかもしれませんね。お願いすれば必ず成就するということでもありません。だからといって自棄自暴もいけないし、心配し過ぎもいけないし、何て難しいのでしょう。
余命宣告は辛いことですね。そんな時まずどうするでしょうか。
数日は落胆で生きた心地がしないでしょうか。
甥御さんのお話、悲しいお話ですね。
自分がその立場になったとき、このような思いきった行動ができるでしょうか。否かもしれません。
ひとつの生き方として胸に刻んでおきます。
私は子供が一人なので遺言など書かなくてもいいかなあと思っていますが、してほしいことはいろいろありますので、メモ程度にして普段から言っておこうと思います。
貴重なコメントいただき感謝しています。
まだまだお元気な夢閑人さんです。私の方が見習わなくては元気でいられないですね。
今が一番いい時と思っています。いつ黒雲に覆われてどん底に落ちるかはもう覚悟しつつあります。
ありがとうございました。

投稿: tona | 2014年6月 8日 (日) 19:51

人生最後の日々をどう過ごすか、大きなテーマですね。癌などで苦しみいながら一生を終える人もいれば淡々と高齢化して弱って寝込んで不自由な身になって一生を終える。出来たら苦しみながら終わりたくないですね。それで生きている時はそれなりに輝いていたい。例えばfaceーbookをしながら人々とつながっていたい気がします。高齢化して家内と別れて施設に入ることになるのは淋しいですね。死ぬときは一人になるわけですがそれが淋しい。人間産まれた時は一人、死ぬ時も1人になることを覚悟しなければならないのですね。辛いですね。生きているまま別れるということは・・。
知り合いの老夫婦で夫人はがんに犯され余命4~5カ月の人がいますが旦那さんもご婦人も辛い思いだと思います。奥さんは私がいなければ何もできない旦那、と云って歯がゆさでいっぱいです。

投稿: macchanny | 2014年7月 2日 (水) 19:10

★macchannyさま

確かに周りを見回しますといろいろな最期があるものです。
自分の最期が何も見えないのが歯がゆいですが、少なくとも楽に死ねるということは殆どないようです。
どんなに寂しくそして苦しいでしょうね。
そして生きているまま別れるということもあるのですね。
だんだん何もできない男性も少なくなっていくのではありませんか。家庭内で教育、それを聞かなければ自業自得ですね。
我が家でも夫との生活も寿命に近づいてきたため10本の指で数えられる年数です。としきりに夫が申します。いろいろ覚悟をする段階になりました。
コメントありがとうございました。

投稿: tona | 2014年7月 2日 (水) 19:39

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